やがてやってくる夏を切り抜けられるだろうか:
昨年の今頃、「年齢を重ねるごとに、暑さと寒さに対する感度が鈍くなっている」と言っていたが、昨日は30度を超える暑さと90%にもなるかと疑う湿度の高さの中を新宿駅西口から四谷、信濃町、青山、麻布を抜けて三田、から芝公園の付近まで移動せざるを得ない事態になった。西口から先はバスとタクシーの中なので、さほど苦痛ではなかったとは言え、朝9時に我が家を出て600mほどを歩いて新大久保駅に徒歩で向かったときから超後期高齢者には苦難の旅となった。
特に何処か体調に問題がある訳ではないが、空調の家を出て猛暑と高湿の中を歩くのは、昨年苦しんだ以上の辛さだった。未だ6月中で梅雨も明けていないことを思えば、来るべき夏の酷暑をどうやって切り抜けたら良いだろうかなどと考えながら移動していた。目的地に着くまでに約2時間を要したが、その間に色々と考えることはできた。その思いついた話題を振り返ってみよう。
*¥144の円安:
何故かマスコミは騒ぎ立てていない。何方だったか専門家が¥150もあるのではないかと予想されていた。国の内外の金利の開きがこの続く円安の最大の原因の一つであるという話を聞いて久しいものがある。だが、日本銀行も財務省も内閣も低金利政策を変更する意図はないと表明している。
円安が物価上昇の一大要因であると聞かされている。だから物価対応で困窮世帯に3万円給付があるとも聞いた。根本的な対策を何時になったら講じられるのだろうか。私が存命中のことになるのだろうか。
*プリゴジンの乱:
マスコミというかテレビも新聞も連日のようにこの問題というか、ロシアの現状を分析して報じている。また、この分野の専門家や大学教授を招いて詳細な分析を聞いている(のだろうと思っている)。実は、私は何もプリゴジン問題だけではなくプーチンのウクライナ侵攻に関する報道も解説も殆ど見ないし聞いてもいない。見ても聞いても事態が変わる訳がないと思っているからだ。
そういう根拠は、既に取り上げたように「この侵攻はプーチン大統領が内部の反乱で暗殺されるか、最早これまでと辞任でもしない限り終わることはない」と信じているからだ。YM氏がそのアメリカの知人や大学の教授たちの多くが「プーチン大統領が何らかの事情で辞めれば(止めれば)終わる」と言っていると教えてくれたのも重大な根拠である。故にと言うか何というか「プリゴジン暗殺」もその危険性無しとはしない。
*マイナンバーカードを健康保険証に:
政府が河野太郎大臣を弾除けにしてマイナンバーカードに多様性を与えようと懸命になっていることに対して異議を唱えようとも思っていないし、余り関心がない。だが、健康保険証と合体させてしまうことには不安を感じている。何故ならば、高齢化に伴って恰も病気のデパートのようになってしまったので、受け入れ側の医療機関によってバラツキがあるし不具合が生じているというのは非常に好ましくないからだ。
バラツキとは、国立国際医療研究センター病院にはそのマイナンバーカードを読み込む機器を未だ見かけていないのに、かかりつけの数件のクリニックでは据え付けてある機器が異なっていることを言うのだ。紐付けようと企画したのだったら、政府が責任を持って全国統一の規格の機器を創らせて、病院とクリニックや医院に購入させるか配布したら良かったのにと思っている。造るのだって、一社に任せるのではなく各地の機器メーカーに分担させれば良いのでは。現時点では来年秋に紙の保険証が全廃されるまで日和見にしようという事。
*電池と充電の時代:
別段、何としても時代に少しでも追いつこうという気になった訳でもないが、今月の15日から愚息の支援を得てスマートウォッチまでを装着するようになった。有森裕子さんの故事に倣って言えば「やり遂げた90歳の自分を褒めてやりたい」なのだ。これまでに知り得た時代の流れは「様々に電化されたというのか、ディジタル化された新鋭の機器は、全て電池切れと充電に気を配っていなければならないこと」だった。
これは結構な負担であり精神的にはストレスにもなる。PCに慣れていない頃には急に動かなくなったし、変換がおかしくなったので「もしかしてこの高価な玩具の寿命が尽きて買い換えの時期が迫ったのか」と恐慌状態(「パニック」なんて言わないよ)に陥った。だが、何のことはなくマウスの電池切れだったなどと言う事態も経験した。らくらくスマートフォンも充電器などいう物を持ち合わせていないので、しょっちゅう「後何%?」と気にしていなければならない。
スマートウォッチもこの前の充電から何日経ったかが解るように、カレンダーに印を付けている。また、まさかの時に備えて単三と単四の電池は常に予備を在庫しておくよう心がけている。この買い置きへの注意と努力は、ブログの毎日更新よりも余程しんどいと感じている。要するに「時代」とはアナログ世代の高齢者にはドンドン薄情になっていく事なのだ。
話は違うが、昨日の昼前の山手線の外回りで、非常に珍しい現象に出会った。それは、優先席に座っていた我々夫婦の前に立った一寸垢抜けたようでもあり、粗雑な形(ナリ)をした30歳後半辺りと見たブリーフケースを下げた男性が、一所懸命に日経新聞を読み続けていたこと。今時珍しい現象だ。新聞を購読しない族に訊けば「ウエブ版を読めば良いではないか」と言うこの現代に、それに逆らったかのような貴重な方だと、何となく尊敬したくなった。