巻き爪のために思い出に耽っていた:
昨13日の夜は、1週間前にかかりつけのクリニックで処置して頂いていた巻き爪がまた痛み出して眠れぬままに、海外で起きた思いがけない出来事を思い出していた。それが一つ出てくると後から後から「あんなこと」や「こんなこと」が思い出されるので、余計に眠れなくなった。間抜けなことに1週間経てば爪が伸びて再び食い込んだのを知らなかった。そこで、それらの思い出話をいくつか披露してみようと思うに至った次第。
Wifeは美容院に着付けに:
87年のことだった。洋紙部が日本に進出しようという大プロジェクトの手伝いをしているときだった。洋紙の本部はワシントン州の本社ではなくペンスルベイニア州のPlymouth Meetingという東海岸に置かれていた。その輸出担当者のウイリアムソンさんが「是非一度本部によって幹部に会って欲しい」と言われたので、その年にシカゴで開催されたFood & Dairy Expoに参加した後で本部に行ってみた。
行ってみて「凄いな」と驚かされたことに、この本部では出張者用にホテル形式のアパートを借り切ってあり、そこに泊まってくれと言われたのだった。ウイリアムソンさんからは「当日は町一番のフランス料理店をワイフ同伴で8時の予約をしてあるから、仕事が終わった後は宿泊所に迎えに行く」と聞かされていた。「えっつ。8時から」とは思ったが、Meadの頃に経験した東海岸の格式を思い出して、Poloのネイビーのダブルブレストのジャケットに濃鼠色のズボンという姿で待っていた。
ウイリアムソンさんが迎えに来たのは7時半頃だっただろうか、先ずは自宅に寄ってくれと言う。だが、肝心の奥方は不在だった。聞けば美容院に行っているとのことで、少し「???」だった。ところが帰館した奥方は長い裾を引いたドレスに素晴らしいヘヤースタイル(余計な講釈をすれば女性の場合はhair doという)で度肝を抜かれた。なんと正式な晩餐会だったのだ。着替えてありシャワーも浴びてあって良かったと思った。
そこでレストランであるが、8時少し前に到着すると先ずはバーで軽くカクテルでも飲んで語り合おうという順番になっていた。全てが格調高かった。やがてウエイターが厳かに“Your table is ready.”と呼びに来て、初めて着席できるのだった。Meadの頃にもこういう経験がなかった。その席は赤々と燃える暖炉の前という最上の場所だった。
だが、不幸にも一寸暑すぎるということで、次の位のテーブルに移った。36年も前のことで流石に記憶力を誇る当方でも何を食べたか記憶はないが、食べ終わった後は再びバーに行って仕上げのカクテルを楽しむという段取り。大変な正式の歓待だったのだ。87年ではアメリカの会社勤務も15年目になってはいたが、感動もしたし緊張もしてやや疲れ気味の一夜だった。
ウエアーハウザーは西海岸の会社なので、Meadほど格式張っていないと思っていたが、洋紙部はそれ以上の格調の高さがあり、アメリカでも東西ではこれほど違うのかと大いに勉強になった。因みに、Meadのパルプ部の副社長は日本に出張してくる際には、タキシードとエナメルの靴を持ってきて、夕食の席にはその出で立ちで現れていた。ウエアーハウザーの我らの副社長は夕食前に時間を取ってシャワーは浴びていたが、タキシードを持ってきたことはなかった。
このような格調高き夕食会は22年に及んだアメリカの会社勤務の間でもこれ一度きりだったので、未だに鮮明に覚えている。なお、プリマスミイーテイングは1963年11月19日にこの州のゲテイスバーグで行われた国立戦没者墓地の奉献式でAbraham Lincolnが行った「ゲテイスバーグ・アドレス」(=Gettysburg Address)で有名なところの直ぐ近く。ここにも案内されたが、何故か何の記憶も残っていないのだ。最後に余計なことかも知れないがAbrahamは「アブラハム」ではなくて「エイブラハム」というのが本当の発音。