新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

突然の雨のお陰で

2014-05-23 08:29:23 | コラム
本降りになって出ていく雨宿りで EllaのCDが買えた:

昨22日は11:10頃に都営地下鉄新宿線の神保町駅から地上に出ると、意外にも雨が降り出していた。約束の時刻には一寸早かったので直ぐ道路の反対側にあるDisk Unionに入って雨宿りとした。2階で中古のジャズのCDを見ていると、LP時代から何故か聞く機会がなかった Ella Fitzgerald の "Ella in Berlin"がジャケットに難ありで税込み¥514で出ていた。盤質には問題なしというので「雨のお陰で良いものが手に入る」とばかりに購入し、気分を良くして外に出れば、何とほぼ本降り。

すると、交差点の角にある書店で¥400デプラスティックのジャンプ傘を売っていたので飛びついて買って、直ぐ近くの待ち合わせ場所に急いだ。商社マンとの定例の昼食会を終えて外に出ればどうだろう、雨は上がっていたのだった。良くあることで、またもや¥400のは無駄に近かった投資に終わった。このような形で買い入れたプラスティックの傘が一体家に何本あることだろう。

さて、Ella である。帰宅後早速聞き始めて、矢張りその上手さに圧倒された。しかも1960年2月の録音とあれば Ella の声が未だ若々しいというか瑞瑞しいものがあり、実に新鮮で素晴らしかった。Ella のLPもCDもかなりな数持っていたはずだったが、これだけが抜けていたようだった。

その後で久し振りにルチアーノ・パバロッティーが歌うカンツオーネCDも聞いてみたが、これも圧倒的な声量がある彼が半分くらい?に抑えて歌う上手さは、素晴らしいなどという言葉では形容できない。私は旧制中学の頃からJazzを聞き始め、ボーカルでは Ella を始めとしてこれという優れた歌手のLPないしはCDを買い入れて聞いてきた。

さらに、1999年に初めてイタリアをパック旅行した際に長い時間のバス旅行の間にガイドの女性が聴かせてくれたパバロッティーのカンツオーネの魅力にとりつかれ、帰国後にかの三大テノールが歌うカンツオーネ集を買ってしまったほどの愛好家になってしまった。

既に「蓼食う虫も好き好き」と言ってしまった以上、誰にも歌い手の好みがあるもので、他人様が好きで聞いておられる歌い手か歌を批判するのは失礼であるとは承知している。だが、ここに採り上げた Ella であるとか三大テノールの方がどう聞いても今回逮捕された某シンガーソングライターよりは上手いと思うのだが、どうだろう。私は決して外国人崇拝ではないが、好みの問題からすれば某容疑者を聞こうという気にはとてもなり得ないのだ。

念のため、確認して置くが、私はあの連中が歌が下手だと決めつけているのではないが、決して上手ではないくらいは考えている。困ったなと思う点は、あの程度の歌歌いに熱狂してしまっている人があれほど沢山いる事なのだ。矢張り「蓼食う虫も好き好き」だなと思ってしまうことになってしまう。

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2014-05-23 08:28:11 | コラム
本降りになって出ていく雨宿りで Ella のCDが買えた:

昨22日は11:10頃に都営地下鉄新宿線の神保町駅から地上に出ると、意外にも雨が降り出していた。約束の時刻には一寸早かったので直ぐ道路の反対側にあるDisk Unionに入って雨宿りとした。2階で中古のジャズのCDを見ていると、LP時代から何故か聞く機会がなかった Ella Fitzgerald の "Ella in Berlin"がジャケットに難ありで税込み¥514で出ていた。盤質には問題なしというので「雨のお陰で良いものが手に入る」とばかりに購入し、気分を良くして外に出れば、何とほぼ本降り。

すると、交差点の角にある書店で¥400デプラスティックのジャンプ傘を売っていたので飛びついて買って、直ぐ近くの待ち合わせ場所に急いだ。商社マンとの定例の昼食会を終えて外に出ればどうだろう、雨は上がっていたのだった。良くあることで、またもや¥400のは無駄に近かった投資に終わった。このような形で買い入れたプラスティックの傘が一体家に何本あることだろう。

さて、Ella である。帰宅後早速聞き始めて、矢張りその上手さに圧倒された。しかも1960年2月の録音とあれば Ella の声が未だ若々しいというか瑞瑞しいものがあり、実に新鮮で素晴らしかった。Ella のLPもCDもかなりな数持っていたはずだったが、これだけが抜けていたようだった。

その後で久し振りにルチアーノ・パバロッティーが歌うカンツオーネCDも聞いてみたが、これも圧倒的な声量がある彼が半分くらい?に抑えて歌う上手さは、素晴らしいなどという言葉では形容できない。私は旧制中学の頃からJazzを聞き始め、ボーカルでは Ella を始めとしてこれという優れた歌手のLPないしはCDを買い入れて聞いてきた。

さらに、1999年に初めてイタリアをパック旅行した際に長い時間のバス旅行の間にガイドの女性が聴かせてくれたパバロッティーのカンツオーネの魅力にとりつかれ、帰国後にかの三大テノールが歌うカンツオーネ集を買ってしまったほどの愛好家になってしまった。

既に「蓼食う虫も好き好き」と言ってしまった以上、誰にも歌い手の好みがあるもので、他人様が好きで聞いておられる歌い手か歌を批判するのは失礼であるとは承知している。だが、ここに採り上げた Ella であるとか三大テノールの方がどう聞いても今回逮捕された某シンガーソングライターよりは上手いと思うのだが、どうだろう。私は決して外国人崇拝ではないが、好みの問題からすれば某容疑者を聞こうという気にはとてもなり得ないのだ。

念のため、確認して置くが、私はあの連中が歌が下手だと決めつけているのではないが、決して上手ではないくらいは考えている。困ったなと思う点は、あの程度の歌歌いに熱狂してしまっている人があれほど沢山いる事なのだ。矢張り「蓼食う虫も好き好き」だなと思ってしまうことになってしまう。

福井地裁は誰の味方か

2014-05-22 08:48:05 | コラム
福井地裁は大飯原発再稼働を認めず:

私は法律だけから物事を見て考えて判断される裁判官が下された判決は、それなりにそれなりだと思っている。だが、産経は判決に対して”原発の停止で多額の貿易赤字が発生しても「国富の流失や喪失というべきではない」や「国富」を「豊かな国土に国民が根を下ろして生活していること」と定義したり、それを取り戻せなくなることが「国富の喪失だという現実を軽視した”思想”もにじませた”との見解を述べている。私は尤もだと思う。

私は我々がいなくなった時代になって原発がゼロになることまで否定する勇気はないが、原発に確実に取って代わる可能な熱源が見当たらない現時点で、全原発を止めてしまうのは最悪の愚策だと思っている。その理由はクドクド述べる必要はないだろうが、総合商社がボーナス支給の規定を変えざるを得なくなったほど利益が挙がっていると言うだけで十分だろう。その悪政の見返りというか代償が、止まるところを知らぬ電気代の値上がりで家計を苦しめ産業界を疲弊させてどうなるのか。

何度も言ってきたことだが、産業立国というか、世界最大級の製造業国である我が国の根本を揺るがせるような悪政を、その限りない無知から強いてしまった菅直人の出鱈目の後始末が十分でない現在に、未だまだ我が国の近い将来がどうなっていくかを解ることが出来ない連中が善意?で起こした訴訟を勝たせてしまった裁判官は果たして満足されているのだろうかと疑いたくなる。満足しているのだったら左翼代表だぜ。

私は冗談半分で原発停止か反対を唱える方々は菅直人以下民主党の閣僚だった者も含め、我々よりも高い電気代を負担して頂いたらどうかと思っている。理由は簡単で「彼等の主張はそれを望んでいるに他ならないから」だ。私は自分の責任でも何でもないことのために電気代が上がっていくことは受け入れがたいのだ。

Askaに甘いマスコミ報道

2014-05-22 07:18:22 | コラム
飛鳥涼の覚醒剤使用は最悪の例だと報じよ:

連日連夜、マスコミが飛鳥涼(Aska)の犯した麻薬使用の件を報道し続けている。だが、どの局も新聞もというか週刊誌も「あれほどの有名歌手が覚醒剤を使用したことは誠に怪しからん。反省せよ。彼は厳しく断罪されるべきであり、ユニバーサルレコードがCD等を店頭から引き上げたのは当然だ。恥じ入るべき悪行だ」という類いの報道は一切しない。する時は誰か著名な歌手の口借りるだけで、自社の意見か見解は出さないのが彼等の常套手段だ。

中には「これに懲りて恐らくそういうことになるだろう拘置所生活中に薬を絶ちきってから出所し、薬を絶ちきった姿を見せて再び我々に歌を聞かせて欲しい」と言わんばかりのコメントまであった。要するに彼に甘いのだ。彼等マスコミは歌手のように一旦身内であった連中にはトコトン優しいのである。また、街頭のインタヴユーでも彼のファンの如き者にしか尋ねないために、同情的なことばかりが流される。何のことはあれでは早めの復帰の舞台作りではないか。

当方があの手の歌手に全く興味も関心もなかったことは既に述べた。正直なところ今回の一件で初めてその顔を見たという具合だ。長い導入部だったが、主張したいことはファンに阿って彼に同情しているとも誤解(いや正解かな)されそうな報道を可及的速やかに自粛して「覚醒剤等の薬物に手を出せばかかる悲惨な事態になる。彼こそが典型的な悪い例であるから、若きも老いも今後一層注意するように」というキャンペーンでも打ったらどうか。

某国立病院が豪華に合理化された

2014-05-21 18:48:56 | コラム
国立の病院は何のために合理化されたのか:

この病院に昨20日に循環器科の定期検診を受けに行った。診察の前に心臓の超音波検査があるので、最も古い外来棟ではなく新しい中央棟に入った。そこには見慣れた再来受付機がないのでふと右側を見ると、そこは大きく様変わりしていて一瞬呆然となった。すると見慣れない男性の案内係が寄ってきて「初めてですか」と問い掛けてきた。「いいえ、4月19日に退院したばかりです」と答えになっていないことを答えてしまった。

そこにあったのは工事中であるとは解っていた外来棟と中央棟との間と覚しき場所に、全面的に沢山の機器が並び何処から採光しているのか知る由もない明るい事務棟があったのだ。再来受付機を発見して診療内容兼会計票を受け取ると「今月の健康保険証の確認が必要なので窓口へ」と指示された。確かこれは4月にもあったシステムだと思ってキョロキョロと窓口を探した。

全ての検査と診察が終わって会計に進むのだが、そこから自動支払機で会計を済ますまでの間には従来よりも人手を要する箇所が2段階減っていた。これ即ち合理化なのだろうとは思った。しかし、圧倒的に後期を含めて高齢の患者が多いこの病院では、現代のIT化の最先端を行っているのでは辛い患者が多いのではと思わせられる。即ち、多くの場合無人の機械に診察券を機械に入れていくやり方は少し強引かなと思ってしまったのだが。

変化はこれだけではなかった。実は、昨日には主治医から予め聞かされていた以上に多くの検査があって新装なった(5月7日から稼働開始した由だが)施設の中を迷いながら駆け巡っていた。そこにあったのはテレビの中の架空の物語の中の病院ような豪華絢爛たる設備が出来ていたのだった。即ち、売店と食堂がある地下から多くの外来の診察室がある3階まで吹き抜けになっていて、上から地階の多くの椅子とテーブルで食事中の人がいるのまで見えるのである。

しかも上から下までの交通にはエレベーターが一ライン新設された他に、エスカレーターまで導入されていたのだった。この大改造で恐らく設備としては最大限に近代化されて無駄は省かれただろうし、人員も合理化されただろうとは思う。尤も、大方の人員はこれまでは某社の請負になっていて、NCGMの人が担当してい訳ではなかったが。

この工事は私が見ていた限りでは2006年1月には既に着手されており、途中工事予定地から遺跡が出て中断したのは確かだ。だが、5月までに8年を要している。この投資と増加する一方の高齢者の医療費とは予算の項目が異なるのだろうから、お金の使い過ぎ等とお世話になっている病院の運営方針に口出しなどする意図は毛頭ない。だが、この投資による合理化というかその効果はどんなものになるのかが、少しだけ秘かに気になってきた豪華さだった。