新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

一寸辛かった12月の強行日程

2014-12-26 07:44:20 | コラム
強行日程が昨25日のMRI検査で終わった:

今年は私にとっては言わば多事多難なものだった。特に12月は4日の藤沢大遠征の2日目から強行日程が思わぬ形で始まったのだった。4日に藤沢に到着したときに既に”hemorrhoids”の具合がおかしくなってきていて、5日のクラス会を辞退して早朝に帰宅したのだった。そして直ちに国立国際医療研究センター(NCGM)・消化器内科に予約無しで診て頂きに行って即日入院となってしまった。

検査の結果は言わば「結果オーライ」で10日に退院出来たまでは良かったのだ。だが、6日間の入院中に約束してあった懇談会等を11日以降に繰り下げて貰ったために15日以降に入っていたNCGMでの予約と絡み合って、15日から後は昨日まで土・日を除いて休める日がなかったのだった。しかも、その間に想定外のことだった入院前に引き受けていた17日の小講演まであって精神的にも自分を追い込んでいた。

それだけではなく、入院中に思っても見なかった腰痛が発生し、退院とはこれとも戦わねばならぬ状況になったにも拘わらず、治療に行ける時間を捻出出来なかったのも事態を必要以上に悪化させてしまった。しかも、15日にNCGMで受けた検査の結果ではPSA(”prostate specific antigen”)の値がそれまでの平均して10のギリギリの限界を超える14に達して、昨日のMRI検査となったのだった。14日の週だけで通院が4回もあって心理的に疲労困憊となった。

そこに追い打ちをかけるかのように(英語にすれば”to make the situation from bad to worse”辺りかな)腰痛の治療にやっと時間が取れた19日の夜が寒いと感じたことが示すように、21日に鼻と喉をやられて22日に掛かりつけの医院に当日の昼食会をキャンセルして駆けつけて薬を出して頂いて何とか悪化させずに食い止めたのだった。腰痛も今や一寸痼りが残った程度にまで改善出来ているのは不幸中の幸いだ。

23日は既に採り上げたように亡父の祥月命日での墓参を繰り上げて染井にまで行ってきたのだった。だが、24日には午後から今年最後の21世紀パラダイム研究会の定例会に出席せねばならず、23日には体調の整備にそれまで以上に気を遣わざるを得なかった。これで予定は全部終了したかの如きだが、実は年賀状には全く手がついていない。郵便局は25日までの投函すれば云々と言うが、どんなに急いでも27日以降までは無理だろう。

また、腰痛を治療してくれた理学療法士は10日以後にそれまで通りにストレッチが出来ていなかったことが、事態を改善出来なかった原因の一つに挙げていたので、ジムが年末年始の休みに入る前の29日まではせっせと通わねばなるまい。家でも出来るのではと言われそうだが、それが出来るのだったならばもう既にやっていたはずだと言い訳し、さらにこの条件下でも家にいる限りブログを毎日更新していた努力を何卒ご評価賜りたい。

あーあ、カタカナ表記

2014-12-26 07:01:28 | コラム
”The Interview”のカタカナ表記を叱る:

“The Interview”とは言うまでもなくソニー・ピクチャーが劇場公開を延期して物議を醸した後で、オバマ大統領に批判されたからがどうか知らないが、独立系の小規模劇場で上映し始めた金正恩暗殺を描いたと報じられている映画のこと。

私はそんなことを論じているのではなく、この題名のカタカナ表記が「ザ・インタビュー」となっていることだ。思うに題名を訳したというのか、カタカナ表記を考える際にソニーも悩んだと好意的に解釈する。だが、英語を学ぶ時に一番先に近く教えられることの一つに「不定詞は後に来る名詞が母音で始まるときには発音記号の「ðə | ði」の後者になって、強いてカタカナ表記をすれば「ディ」のようになる」があるはずだ。あー、それなのに「ザ」としてしまった。

これがソニーの配慮なのか、そもそも学校教育が行き届いておらず、「ザ」と「ディ」の区別すら言わないのか、あるいは教えても出来ないのと勝手に決めてしまったいるのかと本気で疑っている。こんな表記が罷り通っていること自体が間違いだし、テレビ各局が忠実に「ザ」と報道しているのも悲しいのだ。アナウンサーはおかしいと気付いて勝手に正す気はないのか。

揚げ足取り次いでに言えば、NYではこの映画を上映する劇場の「チケット」が入手困難だとも言っている。”ticket”を「チケット」とすることが今や戸籍を得てしまっているくらいも承知だ。しかし、教える側が本気になって丁寧に教えれば「tíkət」という発音が出来るようになるはずだ。何で妥協して「チケット」という表記を許したのかと怒りたい思いだ。

こんなおかしなカタカナ表記を蔓延させて、そういう教え方しか出来なかった教師を抱えて「小学校3年から英語」もないものだ。文科省は「嘘を教えていること」から何時になったら目が覚めるのか。JRその他都内を走る私鉄の幹部は、クリステル・チアリを使っている車内放送の英語がおかしいと気付かないのか。

SM氏からのカリフォルニア便り

2014-12-25 17:09:47 | コラム
カリフォルニア州の新交通システム?:

暫くぶりにSM氏からの便りの中から、興味深いと思った辺りを手短に紹介しよう。

>引用開始
“最近、こちらで白タクのようなものに乗りましたが、これがITとの絡みで滅茶受けしています。都市部に住む人は車を買わなくなるほどの革命的な動きに発展する可能性があるようです。

そちらでも”UBer”と”Lift”等で検索すると解ります。(検索すると、UBerは「ハイヤー、TAXIのご依頼・お支払いをスマートフォンアプリで行うことができる配車サービスです。本キャンペーンでは、ハイヤーの初回乗車が4,000円まで無料となるプロモーションコードをプレゼント! 」と出てきました。即ち、我が国でも実在しているようですが、これカリフォルニア州のものと同じかどうかは私には不明。)

何しろ、5~10分くらいで直ぐ来て、料金はタクシーの半額ほど。通勤に利用する者も多くなるそうなのです。このアイディアは矢張りサンフランシスコ発!Regulation問題で揉めているところもありますが、経済的で便利な消費者にはfriendlyなサービスです。矢張り、アメリカはアイディアの国かと感じた次第でした。”
>引用終わり

流通部門から製造業界に

2014-12-24 09:24:23 | コラム
新浪剛史氏はローソンからサントリーへ:

そもそもは三菱商事に新卒で入社された新浪氏は先頃ローソンの経営者を経てサントリーホールディングスの代表取締役社長に就任され、話題となっていた。私はそのマスコミ報道があった際に流通業界から製造業界への転身をやや危ぶむことを書いていた。実は、何を隠そうこの私は1972年に約17年間を過ごした紙流通業界(代理店)からアメリカの製造業(メーカー)に転身していたのだった。

新浪氏のことは一先ず措くとして、紙パルプ産業界でのことを述べてみよう。ここでは「メーカーから(販売)代理店等の流通部門への転身(と言うか天下りという見方すらある)には特筆すべきような成功例が少なく、反対に流通部門からメーカーへの天上がり?には成功の可能性が高い」という、言わば通説のようなものがあった。私はそのような説を知らず、無謀にも出ていったかも知れなかったのだ。

我が国の紙パルプ業界の中でも流通部門は1993年に第一次クリントン政権が誕生した辺りから「原料しか買い入れず世界最高の品質のアメリカの紙を買わない」と批判され、輸入せよとのかなり厳しい圧力に曝され始めた。特に紙の流通機構の複雑さが輸入紙の増大を妨げていると、アメリカ側から自らの不勉強を棚に上げた見当違いの批判が出てきたのだった。

この当時を振り返ってみれば、アメリカのみならず欧州でも理解出来ていなかったことは「我が国では流通機構というかメーカーが直接末端の需要家や中小の紙商に販売しない江戸時代からの業界内の仕組みである」との歴史と事実だった。その点を真に理解して認識する必要があることを知らず、メーカーが直接に販売することが主体であるアメリカと同様であると思い込んで日本市場に乗り込んできた準備不足が原因だった。

その文化的で歴史的な違いを十分に事前に調査・研究して弁えていれば、アメリカ製の紙には不向きで不適切な市場だと簡単に認識出ているはずだったのだ。言葉を換えれば、流通機構と末端の大と中小の需要家の何処にどのような経路で売り込めば成功するかを承知している者を中途採用すれば、成功する可能性が残っていたのだった。

しかし、江戸時代に既に確立されてきた第一次販売店とも言えるメーカーの販売部門のようである代理店から始まって、第二次・第三次・第四次と段々に規模が小さくなっていく販売店が、その規模に合わせた需要家に販売していく流通機構を、外部(海外のメーカーとその輸入代行業者)から理解し認識して取り組んでいくのは容易ではなかったのだ。

しかし、その流通機構で育ってきた者には、海外の紙の製造法と使用されている原木と我が国の紙の品質の違いをそう長い時間をかけずに認識出来て、海外の紙で通用する需要先を開拓、定期的な得意先に時間をかけて仕上げていくことが出来たのだった。一言で表現すれば「違いが解っていれば何となる」世界だったとなる。

長い話しにしてしまったが、私が三菱商事からコンビニ業界の大手・ローソンであれほど活躍された新浪氏がサントリーに転出されて、単一商品ではないウイスキー、ビール、サプリメント等を製造し、テレビ通販までを含めた広範囲の流通機構に加えて、末端までに販売する組織を如何に管理・運営されるのかなと感じたままを述べたのだった。私がアメリカ製でも紙を勝手知ったる需要先に買って頂く会社に変わったのとは何処かが違うのではないかと思ったのだった。

だが、彼はその会社の社長としてその事業に臨まれるのであり、担当マネージャーの私の仕事とは大いに異なるものであろうとは承知していた。即ち、私は直接に自分が需用者に販売する仕事だが、社長はその販売部門を最高責任者として会社全体の事業とともに管理・運営されるのだから、話が違うのだと認識している。一介のマネージャーの転身とは違うのだと。

結論めいたことを言えば、私は言わばアメリカ式に他業種への転身・転出が経営者の段階で盛んになっていくことを歓迎すべきだとも思っている。これまでにもそういう傾向が徐々に出てきてはいるが、アメリカやヨーロッパとは生い立ちが違う我が国の産業界には短期間には定着しないだろう。

現在のように変化余りにも早く且つ大規模になってくれば、国の内外で広く経験を積んだ経営者が求められていくと予測したいのだが、如何なものだろうか。

何も新浪氏のように流通から製造だけに限ったことではなく、政治・経済・官僚機構等の間を自由に動く時代を考えているのだが。

何故メリークリスマスなのかな

2014-12-24 07:30:10 | コラム
お釈迦様のお誕生日は?:

昨23日は諸般の事情これあり、亡父の祥月命日の1日前に巣鴨の染井霊園に墓参に出掛けた。街は期待通りに?クリスマスセールで賑やかだった。墓参後には例年通りに17号線を隔てたとげ抜き地蔵通り商店街に行ってみた。幸いに「四の日」の縁日ではないので人出が少なくゆっくりと見物出来た。しかし、毎度のことで格安の洋品を求めに入ったマルジには3人のサンタクロースが「メリークリスマス」と叫んで乱入してきて飴をくれたのには驚かされた。

私は一頃のテレビが「クリスマスイブを何処で誰と過ごすか」などと愚問を発して騒ぎまくった傾向が少しは下火になったのを歓迎している。だが、クリスマスを不況下での販売促進運動に使いたい心情は理解しても、我が国ようなやり方を決して快く思っていない。理由は簡単で「我が国はキリスト教国ではない」からだ。お釈迦様が旧暦の4月8日のお生まれであることを祝った灌仏会(花祭り)は何処に行ったのかと問いたい気もする。

テレビでは昨日から「明日はクリスマスイブ」と騒ぎ始め、今朝は「今日はクリスマスイブ」と賑やかだ。得意の揚げ足を取れば「明晩は」と「今夜は」の誤りだとうと思うのだが。テレビ局のこういう軽佻浮薄さは何も今始まったことではないので、毎年のように私は苦々しい思いで聞かされている。だが、それが少しでも個人消費の促進と究極的にGDPの成長に貢献するのだったら結構なことかも知れないと思って半ば諦めている。

都内や近郊の多くの場所でノーベル賞受賞で沸き立っているあのLEDを極限まで活かした電飾で賑わっているようだ。もしも現時点のように身体のあちこちに不具合を抱えておらず、夜の寒さで風邪を引くかも知れない不安、いや恐怖がなかったならば、何処にでも観察に出ていきたい希望はある。だが、今は「命あっての物種」の時期で「来年こそは」と心秘かに願っているのだ。