木曜日は週刊新潮と文春の発行日:
私はこれらの2誌を必ず買って読むようにしている。それは新聞もテレビも信用するには難があると思い込んでいるからだ。そこで、現在のように既に実務の世界から身を引いた高齢者では何を信ずべきかに迷うので、これらの週刊誌がテレビや新聞の醸し出す「世論」と多少以上に違う視点から見ており、週に一度という発行故にその日暮らしの報道機関よりも(この度の甘利大臣関連の報道には多少疑念は抱くが)深く掘り下げているようなので、三つの機関が言うことを総合すれば本当の形に少しは近づけるかと考えている。
何故これらの2誌しか買わないのかとお尋ねか。それは最早それだけの資金力がないからだ!
お断りしておくが、私はマスコミが好んで用いる「真実は一つ」は全く信じていない。これは年来の持論だが「出来事が一つ」であって、その出来事を「年功経験」、「依って立つ視点」、「思想信条」、「社会的地位」、「企業内の偉さの順番」、「国際経験の有無」、「直接か間接の立場か」等によって見え方、受け止め方が異なって来るのであって、それぞれの目に「真実」だと見えているだけだと考えている。自分に見える出来事を「真実だ」と押しつけられては困るのだ。
即ち、新聞記者が「真実」だと思うことが、週刊誌(出版社の記者)とは違うし、テレビのような画像が見せるものとも異なるのであるから、どれを信ずべきかを判断するのは容易ではないはずだ。だが、一般人には未だ未だ新聞やテレビを信じたい傾向が残っていると思っている。そこに、今回のように野党が居丈高に国会で質問すれば、その画像と岡田克也氏のような声高の質問に迫真力が出てしまうものだ。現在では野党が「世論」を形成しつつあるのではないか。だが、彼らが週刊文春の記事に則っているのであれば、極めて危険な世論形成ではないのか。
何が「真実か」を誰が何時何処で明らかにするかは、読者や視聴者の判断能力にもよるだろう。と言った以上、矢張り週刊文春を買いに出て行くしかないのかとも考えている。だが、それが「出来事」の実態に近づく唯一の方法ではないと思っている。さて、本日甘利大臣は記者会見で何をどう説明するのだろうか。それは彼が調査したか、彼の目から見る真実だろうが、野党やひょっとしてマスコミが望むものではないのではないか。
私はこれらの2誌を必ず買って読むようにしている。それは新聞もテレビも信用するには難があると思い込んでいるからだ。そこで、現在のように既に実務の世界から身を引いた高齢者では何を信ずべきかに迷うので、これらの週刊誌がテレビや新聞の醸し出す「世論」と多少以上に違う視点から見ており、週に一度という発行故にその日暮らしの報道機関よりも(この度の甘利大臣関連の報道には多少疑念は抱くが)深く掘り下げているようなので、三つの機関が言うことを総合すれば本当の形に少しは近づけるかと考えている。
何故これらの2誌しか買わないのかとお尋ねか。それは最早それだけの資金力がないからだ!
お断りしておくが、私はマスコミが好んで用いる「真実は一つ」は全く信じていない。これは年来の持論だが「出来事が一つ」であって、その出来事を「年功経験」、「依って立つ視点」、「思想信条」、「社会的地位」、「企業内の偉さの順番」、「国際経験の有無」、「直接か間接の立場か」等によって見え方、受け止め方が異なって来るのであって、それぞれの目に「真実」だと見えているだけだと考えている。自分に見える出来事を「真実だ」と押しつけられては困るのだ。
即ち、新聞記者が「真実」だと思うことが、週刊誌(出版社の記者)とは違うし、テレビのような画像が見せるものとも異なるのであるから、どれを信ずべきかを判断するのは容易ではないはずだ。だが、一般人には未だ未だ新聞やテレビを信じたい傾向が残っていると思っている。そこに、今回のように野党が居丈高に国会で質問すれば、その画像と岡田克也氏のような声高の質問に迫真力が出てしまうものだ。現在では野党が「世論」を形成しつつあるのではないか。だが、彼らが週刊文春の記事に則っているのであれば、極めて危険な世論形成ではないのか。
何が「真実か」を誰が何時何処で明らかにするかは、読者や視聴者の判断能力にもよるだろう。と言った以上、矢張り週刊文春を買いに出て行くしかないのかとも考えている。だが、それが「出来事」の実態に近づく唯一の方法ではないと思っている。さて、本日甘利大臣は記者会見で何をどう説明するのだろうか。それは彼が調査したか、彼の目から見る真実だろうが、野党やひょっとしてマスコミが望むものではないのではないか。