新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月22日 その2 冷静なる評論家は言う

2018-06-22 19:42:45 | コラム
コロンビアに勝ったと浮かれている場合ではない:

改めて落ち着いてあの勝利を振り返ってみよう。私は率直に言って先ほど更新したブログにも述べたように下記のように考えていた。

勝ったのは大いに結構かだとは思うが、申し訳ないことに「我が代表は予選リーグで1度でも勝てれば上出来だと思え」と予告したほど期待していなかったので、望外の出来事だったとは思う。だが、テレビ局のように浮かれて、次のセネガルにまで勝てると思い込まない方が無難だと思う。何とか勝ってくれと祈っていれば良いのだ。

理由は簡単で、あのコロンビア相手の試合では両方で3点も入ってはいたが、流れの中で取れた(取られた?)点はなかったのだ。それ即ち、我が方は「キチンとした点を取る形が出来ていなかった(乃至は作らせてくれなかった)」ということに他ならないのだから。テレビ中継的に言えば「セットから点を取った」となるのだが、私はそれだけでは評価できない。

悔やまれることは、前半に先に点を取った後で香川から左サイドを上がってきたペナルティー・エリアに入った乾に、あれ以上はないというほど良い斜め前方へのパスが出た時に、私はこの1点を取れば勝てるかなと思ったほど、綺麗な点を取る形が出来ていた。だが、乾は外した。彼は未だ未だ信ずるには足らないと思わせた。というよりも、あのパラグアイ戦だったかで乾が余りに綺麗に点を取ったので、マスコミが勝手に過大評価し国民というかサポーターに期待を持たせただけのことだと思う。

あのような点を取れる形を作れるのが香川の特徴だが、解説者もその長所に触れず、勿論新聞もテレビも認めなかった。あの試合が負けていれば大方の責任は乾にあると決めつけたいほど勿体ない失敗だった。一言だけ乾を擁護してやれば「余りに良いパスが来ると『外したらどうしよう』と瞬間的に非常に気になるものだ」という辺りだ。私はあの場面であれだけのパスを出した香川のセンスを評価したい。より厳しく言えば「今や昔日の面影がない本田にあのようなパスを出す力は残っていない」となるだろう。

私は現在のあの代表テイーム(私は「寄せ集めである以上、単独テイームより力が出ないことがある」という説を信奉している)は中心となって所謂「ゲームメーキング」をする(と言うか出来る)者が不在であるという問題を抱えていると思って見ている。解説者もマスコミも柴崎がどうの誰がどうのと言うが、「強力にテイームを引っ張って攻める形を組み立てている者がいるか。これなら決めるという裏を取ったパスなり、バックスピンをかけた縦パスを出している者がいるのか」と問いたい。

コロンビア戦では失礼かも知れないが、偶々本田が綺麗なCKを蹴って大迫が上手く合わせたとは言え、安心して見ていられる往年の遠藤保仁のようなキッカーでありパスを出して組み立てる者がいないのが不安材料だ。但し、デイフェンスは長友を始めとして安定感がある者で固めてあるので、あのFKからの1失点で済んだと評価している。だが、守っているだけでは勝てないのだ。だから、私個人の好みである香川真司を外すなと主張するのだ。

私の偽らざる評価では「大迫君は未だそこまでの領域には達していない。あの1点がW杯で(何試合出たか知らぬが)初の得点だというのでは褒めすぎだ。確かに良く戻って守ってもいるし、懸命に動いているが、あのポジションに置かれた者は数少ないチャンスを全て決めて「なんぼ」だと思っている。率直に言えば、確実性を上げてくれなくては駄目だ。現在の代表テイームにはそこまでの存在になれそうな強靱な当たりに対応する力と体格を備えた者は不在だ。大迫君のこれから先の一層の精進に期待したい。

と言うことは、依然として今回のW杯では過剰な期待は禁物だという意味だ。セネガル代表はほとんどの者が欧州のリーグにいるというから、コロンビアのような個人技頼みのバラバラのサッカーではないのかも知れない。遺憾ながら、現在の私の体調ではあの真夜中の試合開始では中継を見る体力はないと危惧する。故に、得意の「閃き」を活用できるかどうか見通し不明である。


体調の不備と戦うの記

2018-06-22 17:08:18 | コラム
注射の効果の切れ目が:

21日。朝は4時過ぎに目覚めて直ぐに解る体調の低下。先ずは首の両側が痛くて文字通り首が回らないのだ。序でに(?)両肩が痛く生あくびの連発。「来たな」と直ぐ解る徴候。ブロック注射の効果が明らかに切れてしまったようだ。諦めの心境で5時近くまでジッと耐えているのも辛い。折悪しく国立国際医療研究センター病院(NCGM)で採血の日で、朝食は抜きの予定。それでも6時には起床し最も大事な朝の9種類の薬を服用。暫く休養の後に8時33分のバスでNCGMに行こうと出発。

朝9時前の3階の採血室は患者も少なく、受付と同時に順番が来てしまった。こういうこともあるのだ。それから1階に降りて会計の順番待ち。それが終わってから地下に降りて院内で焼いているパン1個とトロピカーナのオレンジジュースで遅い朝食。この場所は言わばだだっ広いフードコートのようで何時も混み合っているのだが、運良くテーブルを確保できた。

それからシルバーパス利用で都バスを乗り継いで高田馬場駅前のジムに向かう。9時50分に体重の計測を終えてビックリの56 kg割れ。一昨日よりも1 kgも減っていた。恐らく採血された分だけの減量だろうと割り切って、ストレッチと約半マイルのウオーキング。次にマッサージチェアで体をほぐしてからシャワールームに向かった。血行も改善しようとジェットバスの風呂にも十分に浸かって、気分は爽快。

帰宅後に遅い昼食後に痛み止めを服用してから休憩。テレビを見ることなく聞いていれば「コロンビアに勝った、勝った」と浮かれている番組ばかり。当方も勝ったのは大いに結構かだとは思うが、確か「1度でも勝てれば上出来だと思え」と予告したほど期待していなかったので、望外の喜びだとは思う。だが、次のセネガルにまで勝てると思い込まない方が無難だと思う。

理由は簡単で、あのコロンビア相手の試合では両方で3点も入ってはいたが、流れの中で取れた(取られた?)点はなかったのだ。それ即ち、我が方は「キチンとした点を取る形が出来ていなかった」ということに他ならないのだから。前半に先に点を取った後で、香川から左サイドを上がってきたペナルティー・エリアに入った乾にあれ以上はないというほど良いパスが出た時に、私はこの1点を取れば勝てるかなと思ったほど、綺麗な点を取る形が出来ていた。

だが、乾は外した。彼は未だ未だ信ずるには足らないと思わせた。あのような点を取れる形を作れるのが香川の特徴だが、解説者も触れず勿論新聞もテレビも認めなかった。あの試合が負けていればマイナスのMVPは乾であると決めつけたいほど下手くそだった。一言だけ乾を擁護してやれば「余りに良いパスが来ると『外したらどうしよう』と瞬間非常に気になるものだ」という辺り」だ。私はあの場面であれだけのパスを出した香川を評価したい。今や落ち目の本田にはあのようなパスを出す力は残っていないだろう。


22日は前日の採血の結果を伺いにNCGMに行く日。予約は午前9時だった。体調は前日よりも悪く、果たして無事に出掛けられるのかと疑心暗鬼。兎に角「負けるものか」と5時に起床して一刻も早く痛み止めを服用しようと5時半には朝食。尾籠な話で恐縮だが前日まで不調だった通じも無事に開通したので、暫時休憩の後に8時17分のバスでNCGMに向かった。診療科目は泌尿器科だが、これは前立腺肥大の患者だからだ。採血の結果ではPSAの値は高値安定で微妙だった。

今回から担当の医師が変わっていたが、今までと同様に様子を見ようという診断で、9月にCTスキャンをしようということになった。これで先ず一安心だったのだが、何とか精神的に持ち堪えたので、会計を終えてからバスを乗り継いでジムに向かった。流石にウオーキングまでやる勇気はなく、ストレッチで体を温めてからマッサージチェアで休息。土日には入場出来ない会員なので、シャワールームで首筋と肩に入念に熱いお湯をかけてから溜まってもいない垢を落として帰宅。

体重は何故か矢張り比較的に減少しており、ただ単に採血で減っただけではないような気がして一寸不安。だが、減少した体重は循環器科の主治医の先生が指定された数値と一致しているので「まー、良いか」と勝手に決めて、家内と近所のホテルの日替わりランチで一寸遅めの昼食。牛丼だったから体力回復に効果があっただろうと希望的観測。一旦帰宅してから2時半に再出発して、大久保通りのHクリニックにプラセンタエキスの注射に向かった。我ながら良く体力が保ったと思う。

何と、1日に2度も大久保通りを往復したので、昨日と合わせれば2日に3回である。この通りには往時の老若男女混合の賑わいはないが、兎に角若い女性が本当に多い。サムギョプサルだのホットックだのという韓国料理店に群がるかと思えば、韓国製の(安物の?失礼)化粧品店にも殺到している。混雑の頂点に時間帯には歩行もままならないほど混んでいる。彼女らには韓国に対する政治的な配慮など皆無のようだ。怒りたくもなるが、一般大衆なんて所詮はその程度の認識だろうと思っている。

Hクリニックから戻って午後4時。精神的にも身体的にも強行軍だった2日間が終わった。だが、体重の減少が一寸気になるので、明日は30年も診て頂いている掛かりつけのSクリニックに行かねばならないかと思案中だ。結構休む暇がない生活だ。リハビリテーション病院にいる弟の見舞いにも3週間近くも行けていない。明日にはS先生に何とかして頂ければと、ここでも希望的観測。


私の小ウンザリ

2018-06-21 07:52:16 | コラム
コロンビアに勝って浮かれているが、ウンザリのさせられている:

勝ったのは大変結構だが、その後の浮かれ過ぎには多少ウンザリというか、食傷気味だ。私はハメス・ロドリゲスが先発メンバーから落ちていたのを見て「これなら勝てるかも知れない」と閃いて、実際にその通りとなった。コロンビアのアルゼンチン人の監督は何を考えたのか、後半にあのフリーキックを蹴ったキンテロという左利きを引っ込めてロドリゲスを出してきた。故障上がりだそうだった。あの起用は賭けだったのだろうが、私に言わせて貰えば自滅行為だった。助かった。

解説の岡田武史は直ちに「ハメス・ロドリゲスの動きが重いね」と一言。私はあの起用は監督の失態だと思っている。既に1人減らされている布陣に、故障上がりで碌な働きも出来ない者を出せば実質的に2人減らしたのと同じ状態に近くなってしまったのだから。ここまでは技術論であるが、私の小ウンザリは実は別のことだった。

多くのテレビ局のアナウンサーは「そう言え」と指示されているのか、無学でファーストネームトラストネームの区別がつかないのか知らないが「ハメス選手」と呼ぶのである。欧米と南米もそうだが、「ファーストネーム・ファースト」の文化であり、最初に出てくるのは名字ではなく名前である。だが、彼らマスコミ人も正常な英語の知識があると期待したい一般人も、余程学校でろくでもない教育を受けたようで、「ハメスさん」呼ばわりというか名字と名前の区別がつかないようで、平気でファーストネームで呼んでしまうのだ。情けないしウンザリである。

「ハメスさん」だの「ハメス選手」などと呼ぶのは、ニュースで「本日は晋三氏がドナルド大統領と電話会談をしました」というのと同じくらいにおかしなことなのだ。「真司選手がPKを決めました」と放送するか。私はこれまでに繰り返して「『マイケルさん』だの『ポールさん』だのと言うのを止めろ。その言い方では誰も特定しないのだ」と指摘してきた。だが、我が国の学校教育の英語では単語を覚えさせるし、TOEICに血道を上げていても、かかる文化の違いは教えていないらしいのだ。

アナウンサーかキャスターか知らないが、彼らは皆一流の大学から難関のアナウンサー試験を通って採用されてきた優秀な学業成績を引っ提げているのだろうと思う。それでも、何ら躊躇うことなく「ハメスさん」だの「フリップを出します」などと奇々怪々なカタカナ語を使うのか。シナリオにそう書かれていれば「これはおかしいですよ」と言うだけの見識もないらしいと思うと、小ウンザリなのだ。

私が12年間もお世話になったS放送のラジオの厳しいデイレクター氏は「うちはチャンとチャートと言わせているよ」と言われた。「フリップチャート」という言葉はあるが、ここでも最初に出ている言葉を使っているのかテレビ局のアホどもだ。これくらいの正常な英語の知識と見識があるデイレクターやプロデューサーはテレビ局にはいないのかと思うと、本当にウンザリである。


6月20日 その3 移民問題を考えると

2018-06-20 15:16:31 | コラム
移民国家のアメリカとEUの現状を見よ:

私は悲観論者であるとお断りしておこう。私がリタイヤーした1990年代前半の米国の人口は2億6,000万人程度だった。それが21世紀現在では3億2,000万人と6,000万人も増加して、結果的には嘗ての少数民族(minoritiesと複数になっている)が白人を間もなく上回ると見込まれている。ということは、6,000万人の増加分の大部分はヒスパニックであり、イスラム教徒であり、中国等のアジア系であると見て誤りではあるまい。それ即ち、プーアホワイト以下の下層階級が増えてきたと言えるだろう。

私はずっと「我が国は古き言い慣わしに『駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人』というのがあるが、現在では草鞋を作るか作る層に甘んじる人が激減してきた」と指摘し続けてきた。そこには色々な問題があるのは間違いないが、アメリカでは「草鞋を作る人以下の層が激増しているにも拘わらず、支配階層は一向に増えていない」のであるから、草鞋作り以下の層の心を捉えた人が続けて大統領になったのだと見ている。

しかも、その草鞋すらも作れない者どもが未だにアメリカを目指しているのは仕方がないとしても、EU圏内には何らの将来性を見込めない近隣の大陸から、あらゆる手段を講じて「難民」と称する連中が大量に流入しつつあるようだ。その流入人口が引き起こしている問題の深刻さはアメリカで6,000万人も増えた件とは次元が違うようだと思う。次々と拒絶する国が増えていくのは当然だと私は考えている。その深刻さを私がここに解説する必要などあるまい。

ところで、我が国である。草鞋を作りたがらない層が増えたと言うよりも、基本的に若年の労働力が不足しているのは間違いない。そこに合法と非合法を問わずに非白人の労働者が増えてきたのもまた疑いようもない事実だ。そういう階層の者が増えれば如何なる危険が起きるかは、アメリカを見ただけでも明らかだし、EUの諸国の苦難を見ればより一層明快である。我が国では法律の整備が追い付いていかないだけではなく、不法入国者と滞在者を追いかけていけるだけの人手も不足している。

それでも、安倍政権は「観光客の増加を懸命に図っているし、何の為に日本語学校に来るかも怪しい中国等からの留学生を受け入れて、週28時間の労働を認可しているし、滞在の方法如何では国民健康保険にまで加入させる寛容さ」である。そういう寛容な法律的な態勢を採っていれば如何なる惨状になるかは、ここ百人町/大久保界隈を10分でも歩いてみれば、3歳の童子でも馬鹿でも解る状態だ。

このままに法的に対抗措置を講じないでいれば、遠からぬ将来にアメリカと同様な草鞋を作らない層の者が増えて、参政権まで取得しないだろうが、我が国の優れたインフラと安定した治安と、外国人に過剰に親切な国民性に便乗されるのは間違いないだろぅ。私は特に中国人の若者が増えている事実には恐怖も脅威も感じるが、イスラム教徒がジリジリと増えてきたのも寒心に堪えないのだ。事実かどうかは別にしても「バングラデシュは国の方針で国民を海外に出している」という噂も脅威的ではないのか。

安倍政権は事が外国人となると大甘だとしか思えない。私は自国を捨ててまで我が国に安住の地を求めてやってくる外国人はその国で落伍者であり、食い詰め者であると断じている。自国でまともな職に就けない貧乏人どもを有り難いと歓迎してどうする気かと総理以下に伺って見たい。あれほど新宿区内を闊歩している中国人の若者たちの中に工作員が数多くいたらと思う時に、寒気がする。彼らは習近平の意を帯して来ているのななどと疑ってしまう。

我が国が難民を受けて入れていないのは正解だと思うが、難民申請をしている間に特別在留許可を与えるのは甘過ぎると思う。国費を使っても構わないから怪しい申請者は強制送還する例を設ければ、一罰百戒の教訓になると思う。政府も各官庁も外国人に対してもっと毅然たる態度と姿勢を採るべきだ。彼らは全て食い詰め者だと見做せば行きすぎかも知れないが、彼らはどう考えても我が国のような優れた初等教育を受けてもいないし、当然のことで公徳心はなく道徳など知らず、法律を遵守する精神などない者どもだと見做して良いのだ。

私はラグビーのスーパーリーグやサッカーのW杯に出てくる外国人の選手たちの異様な髪型に彫り物だらけの腕や体を見ていると、如何に文化の違いがあるとは認めても、あの下品さには胸が悪くなってしまう。そういう人種たちを受け入れて行くことが我が国と国民を劣化させる原因にでもなりはしないかと、老いたる昭和一桁生まれの心が痛んでくるのだ。安倍総理、どうぞ外国人歓迎政策を再考慮なさって、中国やイスラム教国人等に対して毅然たる姿勢で入国を制限することをお考え下さい。お願いします。


6月20日 その2 「案外」と「閃き」の補足

2018-06-20 10:20:49 | コラム
フェアープレーが勝つ:

コロンビアに勝ったのは勿論喜ぶべきことだとは思うが、勝負なんて解らないものかとも思わせられた。

あそこでMFだったという者が手を出した気持ちは解らないでもないが、後先を考えれば幼稚なプレーだし、サッカーの知能指数を疑いたくなる。当人はレッドカードはないだろうと嘆いているようだが、あれがイエローカードで終われば安いもの。PKに持って行けば外すこともあるという読みもあるのだから、狡猾な反則なのである。故に、一発退場の判定は当然だと見た。

だが、長谷部とファルカオの競り合いが長谷部の反則にされたのは誤審だと思う。そんなことがある訳はないが、何となく一瞬「レッドカードの埋め合わせかも」と考え込んでしまった。でも、全員が飛び上がった下を蹴り抜いたのは「上手いな」とビックリ。まるで川島の偏った位置取りを読んでいたかのよう。

ポーランドも負けてしまうなど、「案外」が案外に多いW杯のサッカーだが、FIFAのランキングなど信用ならないのかと思わせてくれる。我が代表のフェアープレーのサッカーが勝ったのは良かったと思う。恐らく、我が方はアンフェアーなサッカーのやり方を知らないのだと思うのだが。