新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月10日 その2 8月10日の雑感

2020-08-10 16:59:56 | コラム
気が付けばまた連休だった:

先ほど郵便受けを見に1階まで降りてみたが、conciergeが不在だったので「そうか。今日は休日だったのだった」と漸く気が付いた次第。試しに外に出てみれば「ムーッ」と来る蒸し暑さだった。上に戻ってあらためてカレンダーを見れば「山の日」となっていたが、当方にはいずれにせよ何の有難味もない休日のようだった。

*高温多湿の季節になればウイルスは勢力を弱める:
と言う説を、新型コロナウイルスの感染が激しくなり出した頃に、何人かの所謂専門家という名の医師か、医師だった方々(?)が述べておられた。だが、季節は既に梅雨も明けて連日のように今年の最高記録の温度を更新している時になった。しかしながら、一向に新型コロナウイルス様はその感染の勢いを緩めて下さる気配はないどころか、第二波は既に襲来しているという専門家が出てきてしまった。少なくとも、私の期待は裏切られた。そんな説を実しやかに流した方々が、果たして専門家の名に相応しいのだろうかと、大いに疑問に感じている。

*私は安倍内閣の支持者だが:
安倍首相は特措法の改正は新型コロナウイルスの収束後で良いと言われたようだ。これは如何に安倍内閣を支持する立場でも「左様で御座いますか。その後で宜しいのですか」と簡単に受け入れたくはないと思う。第一に、この強烈なウイルスを近い将来に(”within a foreseeable future“という英語の表現が思い浮かんできた)抑え込みきれるとは到底考えられないのだ。と言うことは、総理は国会を開く気も法律を改正する気もないと、公式な見解を公表されたと考えている。いくら何でも納得できない。再検討願いたい思いだ。

*対韓国問題:
どうしてこれほど強気に出られないのだろうか。あの半島からの労務者関連の不当な大法院の判決後に、彼等は遂に具体的に現金化が可能な手続きに出てきた。それに対して政府は官房長官の談話というような手法で反発したが、それ以上のことはしていない。僅かに日本製鉄が抗告しただけだ。文在寅大統領が狡猾に司法に介入しないと逃げるのは先刻承知だったことではないか。何故、我が政府はより具体的に彼らの国際法無視等に関して「公式」に手続き等を中止するように動けと正面から申し入れをしないのだろうか。彼等をつけ上がらせない手法を採って欲しい。

*日本大学ラグビー部の問題:
話題の方角をグッと変更してみた。私はマスコミの辞任したと報じられているラグビー部のヘッドコーチの問題の取り扱い方が気に入らない。それは、飽くまでもフットボールの「フェニックス」の永年の支持者として憤慨しているのだ。即ち、ほとんどのテレビ局は「あのアメフトの悪質タックルで話題を賑わした日本大学のラグビー部が」と余計な枕詞を振っていた点だ。特にフジのバイキングでは事もあろうに、関学のQB奥野君の親まで呼んできてきたので、直ちにチャンネル変えた。この局は日大に対して含むところがあると見たほど、あの時は責め続けた。

この件だけは2節目に入るが、あのフェニックスの一件は何度も指摘したが「悪質タックル」と決めつけるのは不適切である。あれは(内田前監督は否認したが)監督かコーチの指示無しに一選手が企てるプレーでないし、あれはタックルのではなく当たりに行ってしまった、敢えて片仮名で書くと「アンスポーツマンライクコンダクト」であって、試合中のプレーである。それは反則であり、審判がその場でイエローなり何なりのカードを出せば決着した性質だったと思っている。

あの宮川の当たり方は決して良い行為ではなかったが、その問題を日本大学全体の在り方にまで結びつけるのは如何かと思わせる報道振りだった。今回はラグビー部を云々する前に「悪質タックル」を持ち出すのは「こじつけ」だとすら思って見ている。監督とコーチの指示があって当たりに行ったことと、ヘッドコーチの暴力沙汰や陰湿な苛めとは別個の問題だと、永年のご贔屓のフェニックスを擁護しておくことにする。どうやら、これが言いたかったのかも知れない。


私事ですが"astra”についての辛い思い出

2020-08-10 09:31:06 | コラム
AstraZeneca社が話題になって思い出したこと:

この新型コロナウイルス用のワクチンを鋭意開発中の“AstraZenecaという社名が思い出させてくれたことは、昭和25年だったか26年になっていたかも、余りに忌々しくて記憶にない、当時の進学適性検査での大失敗だった。私の悲しくも辛い思い出は、”astra“、即ちラテン語の「星」で英語ならば”star“に関してだった。

私は生来時と場合によって過度の緊張症に陥り、極端に言えばその余りに我と我が身を見失ってしまうのだ。そして、何をするべきかや何をしているのかが全く分からなくなってしまうことがあるのだった。その緊張症(解りやすく言えば「上がる」というか「舞い上がってしまう」とでもなるか)が大学受験を左右する進学適性検査の場で生じたのだった。当時は所謂「マルバツ方式」だったと記憶するが、自分が何を答えたかの記憶もなかった。だが、恐らく人事不省のような状態でほとんどを反対に答えたのだったようだ。何をしたかの記憶もなく「ボーッと」して帰宅した。

計なことだが、その受験の場所が当時の鎌倉師範で、後の横浜国立大学学芸学部(現在は教育学部?)だった。この残念で辛い思い出がある為に、私は未だに鎌倉市には好感が持てないほど身勝手に恨んでいる始末だ。

そして、成績発表の日に担任の教師に別室に呼ばれた。何事かと思えば「君は何を書いてきたのか」と問いかけられ、成績が同学年中の下から3番目の惨状で、あらゆる国立1期と2期校は受験できないと告知されたのだった。茫然自失だった。目の前が真っ暗になった。希望も何も失ったと思った。自棄になりかけていると、サッカー部のOBに「君も間抜けだな。全部×を付けたって50点にはなっただろうに」と言われたが、過度の緊張で吾を失っていたのでは、そんな知恵は働かなかったようだ。

事態の深刻さを知って少しだけ吾を取り戻してから考えたことは「浪人して来年に」だった。だが、同じサッカー部の2期上だったOBに「浪人は止めろ。兎に角何としても進学してから、再度受験し直す方が得策だ」と説得され浪人は諦めた。その直後に3年の時に英語を教えて頂いていて鈴木忠夫先生から、失意の底に沈んでいた私に葉書を頂いて激励された。その言葉が未だに忘れられない“Per aspera ad astra”だった。これはラテン語で、英語にすれば“Through difficulties to the star”という意味だと解説されていた。

即ち、「困難を乗り越えて栄光を目指せ」と言って下さったのだった。「そうだったか」と理解できて、漸く何とか落ち着きを取り戻せた。妙な言い方になるかも知れないが、何も国立大学には進めなくても、他の場で全力を尽くして具体的にどのような形なるかも知れないが、鈴木先生が言われる「栄光」を目指せば良いのだと、目覚めたのだった。このラテン語はもしかすると“Ad astra per aspera”だったかも知れないが、その響きというかリズム感が心地良くて、未だに忘れていない。

そこに「新型コロナウイルス制圧対策」のワクチンを開発中の会社が“AstraZeneca”だというのが、何となく印象的に感じられたのだった。言ってみれば、アストラゼネカ社には世界中の人の命を救うようになるかも知れないワクチンを一刻も早く市販の段階に持ち込んで「栄光」を獲得して貰いたいとでも言えば良いのだろうと思う。思うに、市販が可能になる為には“per aspera”ということになるのではないかとも考えている。


新型コロナウイルスの感染者の比率

2020-08-09 11:25:13 | コラム
矢張り新宿区が圧倒的に高かった:

ほんの本日限りの数値になると承知で計算してみた。だが、東京都の感染者の比率は国全体よりも遙かに高いし、東京都全体の人口に占める比率も高かった。不慣れな計算なので、誤りがあるかも知れないと自信がない。

国全体の感染者=47,402人/総人口=125,960,000人 → 0.038%

東京都の感染者=15,536人/国の人口        → 0.12%

東京都の感染者/東京都の人口=13,999,568人    → 0.11%

新宿区の感染者=2,069人/新宿区の人口=346,643人 → 0.595%

因みに、国の人口は20年7月1日の時点。東京都と新宿区の感染者は20年8月8日の発表による。新宿区の人口は20年8月5日発行の新宿区の広報による。

8月8日 その2 8月7日の「報道1930」より

2020-08-08 10:12:53 | コラム
児玉龍彦氏(東大先端技研名誉教授)の登場:

当方は松原耕二のTBS色丸出しの司会が好みではないので、通常は30分だけ我慢して見た上でPrime Newsに転向するのだ。だが、昨夜は好みではない巨人の野球中継になっているので、止むなく「報道1930」を見続けて、意外な収穫があったのは幸運だった。

先ずは「収穫」などと言っては失礼に当たるだろう、児玉龍彦名誉教授が語られた「世田谷区を支援される新型コロナウイルス制圧対策の内容」だった。児玉龍彦氏については閉会中の審議で強い口調で「ウイルスをこのままにすれば来週にはとんでもないことになり、来月には予想もしなかった事態が襲ってくる」という意味の事を述べられた箇所だけ放映されたので「思い切ったことを仰る方だ」という程度の印象しかなかった。今にして思えば、より具体的に根拠をも語られたのだろうが、例によってテレビ局は摘まみ食いにしたのだろう。

子供の頃からの習慣で一切メモを取らずに生きてきたので、折角の児玉龍彦氏が国会と違って穏やかに語られた強烈な印象が残った箇所だけを切り取っていくことにする。事が世田谷区についてだったので、フリップではなくチャートに出ていた東京都の感染者の棒グラフを見て、「最初の山が右下がりになったところで安心せずに、この後の期間中に感染を根絶やしにする手法を採っていれば良かった。それを怠り更に契約したホテルまで解約してしまった為に、ここ1週間ほどの400人を超える山が出来た。この山は何れ下がるから、そこで完全に抑え込む策を採れば良い」と語られた。

これは、良く考えなくとも分かるような、強烈な政府と東京都の新型コロナウイルス制圧対策への批判である。私は「このウイルス制圧策については、我が国には何処にも専門家がいない」と言ってきた。だが、感染症に対する専門の医師はおられたはずである。政府はそうだと思う方々を集めて専門家会議なるものを組織されて諮問機関として活用されたのだろう。だが、そこからは何らの有効な具体策は出てこなかったようだった。だが、要請だけの対策でも国民の清潔感と手洗いと消毒に慣れた生活習慣のお陰で、最初の山は世界でも最高の実績を挙げて乗り越えた。

だが、緊急事態宣言の解除の後はやや話が違ってきた。東京都のグラフだけを見てもここ最近の山は4月頃よりも遙かに高い。しかも、PCR検査の態勢は誰が笛を吹いても一向に政府が言うほどには拡大されないままである。しかも紹介状がないとか保健所の指示がない限り、個人的に受ければ2~4万円の負担である。その遅々として進まない態勢に業を煮やしたのが世田谷区長の保阪展人氏だった。彼は区だけでもニューヨーク式に「いつでも どこでも 何度でも」を目指すと標榜して、児玉氏の援助と協力を求めたのだったそうだ。

児玉氏は「PCR検査は既存の設備でも幾らでも出来るはず」と立ち上がられて、先ずは協力を申し出られたキリスト教の教会の庭を借りることから開始されるのだ。更に、プール方式が可能という1回に検体の数を4~6までに自動式に増加が可能な検査機をリースで導入されるというところまで業容を確証されたのだった。児玉氏は東大の検査機の使用を申請されるのだが、これは学内の倫理委員会の審査を経て漸く許可されたという一幕があった。事が「国立大学」ではこんなものだろう。

各大学にも無数の検査機はあるが、現在では閉校中で使わせて貰えないのだと、寧ろ笑っておられた。これなどがPCR検査が増えない実態では笑い事ではない。児玉氏は在来型の検査機では検査員が手作業でやっているので疲労が蓄積して効率が上がらない。プール方式の検査機が増えれば事態が改善され、何れは個人負担も¥5,000くらいまでは引き下げか可能になるだろうとまで予測されていた。ここまで聞いていると「PCR検査の量が増えないのも、感染者が再度増加傾向にあるのも、全て人災ではなかったか」と言いたくなってきた。

本筋から離れるが「何故専門家会議でも分科会にでも、児玉名誉教授のような方が招かれないのか」という話が出た。それに対する答えの如きものは「厚生労働省が(彼らの知る範囲内の方を)が選んで委嘱しているからだ」だった。「国立感染症研究所は厚生労働省の管轄だから」とも補足された。だから増税派のエコノミストの小林某氏が入っているだとも、何処かで聞かされた気がする。

私は既に我が政府には「新型コロナウイルス制圧対策の司令塔がない」と指摘した。西村康稔大臣は何時まで経っても「西村康稔経済再生担当大臣」としか紹介されない。ウイルス対策の真の責任者や分科会(でも専門会議でも同じだが)を管轄するのは何方かという公表もない。そんな態勢で彼の責任回避ばかりの姿勢を責めるのは酷かと思ってしまう。児玉龍彦氏は問題点として「リーダーシップの必要性」を強調しておられた。それは、体調不備の噂が流されている安倍首相が何をさて措いても採られるべき事だと思う。


「経済を回す」必要は大有りだ

2020-08-08 08:38:30 | コラム
4~6月期決算の結果に見る経済の危機:

本日の産経新聞が報じていたところを纏めてみれば、東証一部上場の873社中(金融関係を除けば)実に31.5%の企業が最終赤字を計上していたのだった。これは由々しきことだと思う。更に業種別の赤字を見れば、輸送器機が7,181億円、陸運が3,705億円、空運2,075億円、石油・石炭が819億円、鉄鋼が430億円となっていた。更に、我々が日常的に依存している病院は産業界とは一線を画するが、その60%が赤字で深刻な経営状態に陥っている。

私は「経済を回す」という表現は具体性に欠けると思っているが、そんなことを別にして考えよう。上記の各産業界の決算を見れば、政府が如何なる手段を講じても景気を支えて、我が国の経済を回復しようと計るのは当然すぎるほど当然である。一頃は新型コロナウイルス制圧と景気の回復を計ることを恰も二者択一の如くに言う論調が蔓延っていた。だが、私はこの両者は別個のことではないかと思うのだ。素朴なことを言えば、中央官庁にしても財務省と経産省に対するに、厚生労働省と分かれているではないか。別個に対策を講じていくことこそ優先されるべきではないのか。

ところがである、ウイルスの征圧対策の中でも東京他の地方の大都市でも、夜の街であるとか、外飲業種・外食業種、キャバクラ、ホストクラブ等々の自粛要請こそが肝腎であると言わんばかりに、これらの業種への補償に重点を置くような手法に訴えているのは、私は優先順位を誤っていると断定したいのだ。鈴木傾城というライターは「そういう業種は先行きを良くを考えれば、今のうちに撤退か廃業を考えておくべきなのだ」とまで指摘しているのだ。先日も引用したが、嘗て「中小企業の2社や3社が倒産しても」とまで言って、我が国の高度成長の基礎を築いた総理がおられた。

「経済を回す」べきは担当の中央官庁の職務であり、経営者には往年の気概があるものが少なくなった恨みがある産業界には世界に冠たる技術もあり、基板には確固たるものがある。故に、政府は彼等を支えて景気回復を一任しておけば十分ではないのか。一方の新型コロナウイルス制圧対策は依然として誠に頼りなく、数字を掲げて見せれば良識ある国民がついてくるだろうというような責任逃れの対策ばかりでは何ともならない。この対策の司令官を誰が務めているのかも判然としない態勢を可及的に改めて、具体的且つ即効性がある対策を速やかに実行していくのが焦眉の急だ。