新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月14日 その2 YM氏との懇談

2020-08-14 10:57:24 | コラム
折角の機会だったが世間話が多く微妙な話題は少なかった。 

それでも、トランプ大統領対バイデン氏も話題にはなった。彼は「自分と自分が交際がある人たちの階層は、トランプ大統領の所謂岩盤の支持層とは先ず交流の機会などあり得ず、生活の基盤も何も余りに遠く離れているので、全く交流もないので彼らが何を考えてトランプを支持するかを具体的に訊く機会もない。要するに俗に言われている「分化」の極みの形だ。そういう層の連中がどう動くかは知り得ようがないのだ」と語っていた。

 しかも、彼の交流範囲の人たちは言わば共和党支持者であり、バイデン氏がどう出てくるかは未だ何とも言えないのだという見方だった。だが、一部には「バイデンの方がトランプ氏よりも安全ではないか」との見方もあるとは聞いていると、チラと語っていた。 

なお、彼の交流範囲にある人たちを解りやすく言えば「アメリカ全土の主要都市にあるハーバードクラブに属している人たち」とでも言えば良いと思う。例えば、彼の属していた”fraternity“(=アメリカの男子大学生の社交クラブ)にはブッシュ政権のポールソン財務長官が入っていたというようなことで、一寸我々では想像が出来ないようなハーバード独得の人脈が出来るという意味。

例えば、ウエアーハウザー・ジャパンの社長だったFranklin氏もハーバードのビジネススクールの短期コースに行っていたので会員である。私と高校の同期で物産の常務だったK君も会社から派遣されたのだろうが、ハーバードのビジネススクールに学ぶ機会があったようで、フランクリン氏とハーバードクラブを通じて顔馴染みであったというような例もある。即ち、ハーバードを通じての人脈を構築できるという優位性があるようなのだ。

久しぶりにYM氏と会食した

2020-08-14 10:36:40 | コラム
新型コロナウイルスの襲来以来初めての大冒険だった:

YM氏の提案が「昼間の酷暑を避けて夕食会にしよう」だったので、一大決心の下に永年の禁を破って19時から表参道の和食屋で落ち合うことにした。その為には先ず4月に新装なったJR山手線の新大久保駅を利用することから始めねばならなかった。そうなるとは聞いていたが、確かにプラットフォームに上がるエレベーターが新設されていた。だが、実際には先ず4階まで上がって長い通路を歩いてからもう一度下に降りるエレベーターを利用せねばならなかった。ではあっても、未だにニーブレースをしている膝を抱えていては有り難い設備改善だった。

次に向かったのは駅舎の新装なった原宿駅。以前の駅舎はそのまま保存されていたようだった。だが、そこから先にメトロの千代田線に移動する為には長い長い階段を降りねばならず、これは膝にとっては拷問に等しかった。何年振りかで利用した千代田線はお盆の最中でもあったからか空いていたので、ウイルスの心配もなく表参道まで行けた。だが、ここから先から先が苦難の一時だった。メトロには都営とは違って地上に出る為のエスカレーターもエレベーターも設置されていないので、膝を庇って長い階段を休み休み登り切った。不運だった。

YM氏とは2時間ほど語り合ったが、その内容は別途少し述べてあるので、ここでは割愛する。会食の場所は1800年代に開業した鳥料理屋だったが、中に入れば結構な客の入りで若者どもが騒いでいるのが目立った。矢張り20から30歳台の者どもはウイルスに感染すするリスクを恐れずに「夜」を楽しんでいるのかなと解釈した。だが、一寸薄気味悪い気がいないでもなかった。幸いにしてYM氏が2階の個室を予約していたので、多少は安心して語り合えた次第。若者どもか群がるのは何も新宿だけではないと言う発見にも、多少新鮮味があった。表参道の方が格好が良いのかな。

帰路はまたあの階段の昇降を繰り返して地下鉄を利用する勇気など持ち合わせがなかったので、敢えて安全だろうと思うタクシーを利用した。幸いにも運転手さんは乗客がいない時には窓を開けて換気をしているし、次亜塩素酸のスプレーで車内の消毒に努めていると語っていた。因みに、今でもそう言うかどうか知らないが、四大交通の1社だった。帰路は新大久保駅前の道を通るのだが、そこで意外な大発見をした。それは新設の駅ビルにはStarbucksが出店していたのだった。知らなかった。これで我が百人町界隈も「都会」の仲間入りが果たせた。「目出度し、目出度し」か。

矢張り偶には「日頃の行動範囲を逸脱した行動」をして見るものだ。新発見もあれば、若者どもが夜の街を賑わしていると知る機会も得た。だが、そんなことで「経済を回す」事にはなるまいと思う。続々と発表される今年4~6月期の決算の発表や通年も見通しには、一向に明るい兆しは見えない。西村康稔氏は「経済再生担当大臣」ではなかったのだろうか。昨夜もYM氏と語りあった中には「安倍首相にお疲れの様子が見えるのは」という件もあった。政府は経済を導く方向を見誤らないようにして貰いたいと思っている。小池都知事のような小手先の政治で済む事態ではないのだ。

正直に言えば、小心者の私は本日から先2週間ほどは「もしかして感染してしまったのでは」という、如何に私らしい心配とストレスと共に過ごしていかねばならないのだ。言うなれば”with anxiety“なのかも知れない。

来たるべきアメリカ大統領選挙を考えると

2020-08-13 09:15:02 | コラム
アメリカの元上司や同僚に尋ねてみよう:

民主党のバイデン候補(なのだろう)が副大統領候補者に肌色の異なるカマラ・ハリス氏を選んだのを機会に、アメリカの永年の1人を除いて共和党支持の知り合いたちに、下記のように問い合わせてみようと思っている。

私はこの点から切り出す考えだ。「貴方は現職のトランプ大統領とバイデン氏の何れを支持しますか。私はこれまでの経験から考えても、民主党政権は我が国にとっては”bad news“以外の何物でもないと見ております。クリントン政権下では『ジャパン・バッッシュイング』や『ジャパン・ナッシング』などという戯けたことが広まっただけではなく、我が国がパルプやウッドチップのような原料ばかりを輸入し、世界最高の品質を誇るアメリカ製の紙類を輸入を増やさなければ、スーパー301条を適用するとまで脅迫した歴史すらあったのです。私は民主党政権は忌避します」と言って。

私はアメリかでは貴方たちのような知識階級にはトランプ大統領を支持するとかしないという議論の前に「トランプ大統領は嫌いだ」という姿勢を示されている方々が多いと察しております。ではあっても「隠れトランプ」という方がおられるとも聞いております。トランプ大統領は確かにそのプーアホワイト以下や労働者階級等の岩盤の支持層向けには、アメリカのアッパーミドルの方々が公衆の面前で使うことなど内容な表現で話しかけるという問題点はあると思います。

だが、これまでにトランプ氏が残してきた実績を見れば(我が国の政治家たちでは考えられないほど)選挙キャンペーンの頃の公約をごく一部を残して、その手法は別にして、着々と実行されています。積み残しは私が不当だとしか思えない「対日貿易赤字の大幅削減」や「メキシコとの国境の壁建設」くらいのものでしょう。だが、そういう点を差し置いても我が国として評価すべきは「強硬な対中国政策」で、途中でややぶれた時期があったとは言え、今のうちに徹底的に叩いておこうという姿勢は絶対的にと言って良いほど支持すべきことだと思うのです。

中国で習近平主席がほぼ永久的な政権を樹立して以来の、彼等が見せる「世界制覇への野望」の姿勢は益々露骨になる一方です。彼等はトランプ大統領に「太平洋を二分して統治しよう」などと持ちかけたりする横暴さに中には「我が国の属国化の意図」までが包含されているのは明らかです。しかも、我が国には明らかに政財官界に「親中派」や「媚中派」が巣食っていることは明らかであり、俗に言うサプライチェーンにおける中国への依存度を考えるときに、簡単に中国との間を断ち切れない立場にあるのは明らかでしょう。ではあっても、私はアメリカとの同盟を採るべきだと考えております。

我が国におけるマスコミ論調では「アメリカにおける世論調査の数字を尊重して、トランプ大統領の再選危うし」となっていますし、そういう見方が広まっているかの感があります。私はこの見方は早計であり、必ずしも世論調査を信ずべきではないと考えております。それは陳腐な言い方ですが、過去にアメリカの大統領選挙の行方を決めてきた大票田の州では、必ずしも世論調査のような結果にはならなかったという事実があるからです。私は個人的にはトランプ氏のような方は好みではありませんが、そうかと言って民主党を支持するか選択する気は毛頭ありません。

私はこの来たるべきアメリカの大統領選挙は非常に微妙なものだと思っております。それは、トランプ大統領対話が安倍晋三総理大臣の友好関係は全世界の度何処の国の首脳も為し得なかったほどの信頼関係の確立であり、共にゴルフを楽しむ親密さです。大統領に何かにつけて助言を出来るのは安倍首相だけでしょう。その意味では私はトランプ大統領の再選が望ましいと思っております。だが、習近平や金正恩はどう考えているでしょうか。文在寅はさぞかし悩んでいるでしょう、アメリカとの同盟関係を断って中国の配下に入るか、北との統合に執着するかかと。

私がトランプ大統領についてただ一つ不安な点があります。それは「安倍晋三総理大臣との間柄は飽くまでも彼個人として尊重しているのであって、我が国全体を飽くまでも安全保障条約の下に、如何なる事態が生じようとも守っていこう」とお考えかという点です。それはボルトン氏の著書にもあったように「駐留軍の費用の増額を吹っ掛けて見ろ」というような考え方をしているということは、イザとなれば「アメリカを再び偉大に」と「アメリカ(もしかして自分)ファースト」を優先されてしまうのではないかという辺り。

そう心配する根拠は「何と言ってもアメリカ人の思考体系は二進法であり、二者択一で進んでいくからだ」と、22年半もの間アメリカの会社の一員として、彼らの思想信条、哲学、文化と思考体系の下で、対日輸出に励んできた経験がそう危惧させるのです。だが、トランプ大統領と我が国に間にそのような危機的な状況が生じないように努めておけば良いのだと考えている次第です。それも、トランプ大統領が再選されるとの前提ですが、それは貴方方アメリカ人の判断であり、その決断にかかっています。



甲子園の野球に思うこと

2020-08-12 08:52:22 | コラム
テレビ局とマスメディアは何故あれほど高校野球を尊重するのか:

昨11日は酷暑をものともして(?)午前中に外出した以外は、春の選抜を中止した埋め合わせの感が濃厚な交流試合とやらを、さり気なく観察していた。私にはマスコミが何故あれほど高校野球をさも重大事のように採り上げるのは片手落ちというか、他の競技の扱いと較べれば明らかに偏向だと思っている。私の持論は「嘗ての全国中等学校野球大会の延長である甲子園の高校野球は、既にその使命を終えている」なのである。

何となく片手落ちではないかと思わせられる:
この大会は戦後の何もなかった時期に落ち込んでいた国民に明るい話題を提供して楽しませたところに大いなる意義はあった。だが、最早高野連の加盟校が4,000に達した時代ではその在り方が大いに変貌してしまい、子供たちに甲子園に出て勝つ為の枝葉末節の技巧を教え込むのが最大の目的とする指導者たちが群がって、体力が不十分な高校生に夏の暑い最中に「母校」(これは出身校のことで在学している生徒に適用するのは誤り)の名誉だの郷党の誉れなどと言って、あたら前途有為の子供たちに「その為だけの野球」を教え込んでしまうのだ。しかも、トーナメント方式でだ。

今回は32校が1試合だけの為に「聖地」甲子園に招かれて晴れの舞台で野球をやっているという形式だった。そこには苦しい思いをしてトーナメントを勝ち上がるという大目的が欠落していたせいか、従来のような熱気が感じられず、監督の中には連れてきた20名(なのかな?)を全員何らかの形で試合に出して「思い出作り」をさせていたと思わせる試合運びすらあった。私は否定的な言い方しかしないが、このようにして甲子園で試合をやらせる工夫をしたことを一応は評価するが、野球部の経験がない私には「それほどの重大事」とは、中々受けとめられなかった。

名前の変化に戸惑う:
野球の本筋からは離れるが、毎年この(甲子園での)大会を見ていて、正直に言って落胆するというか、ウンザリさせられることがある。それは紹介される生徒というか野球部員たちの「名前」である。既にこれまでに繰り返して触れてきたが、所謂「キラキラネーム」は言うに及ばず、当て字(外国人のニックネームのもじりを含めて)、こじつけ、判読不能、意味不明、重箱読み等に加えるに何時だったか「車夫馬丁のそれだ」と言ったら「丁稚小僧と表現する方が適切」とのご指摘を頂戴したが、我が国の古き良き文化である「命名」が破壊されているのを見るのは忍びないのだ。

兎に角、最早名前は「流行り物」と化してしまったようで、古きは何処の学校にも2人や3人はいる「翔」単独か「翔平」、「翔太」、「翔斗」という複合体が大流行だった。今やヤンキースに行った田中将大にあやかろうとしたのか「大」という字を入れた名前が大流行だ。多くは「ヒロ」と読ませて「雄大」というような具合だ。他に目立つのは「雄太」だの「健太」だのという「太」を使ったもの、「雄平」のように「平」を使ったものは、往年はある一定の層でしか使われていない文字だった。それが当たり前のように普及している。今やそういう認識がないのか。そう言えば「航」という字も多用されて「ワタル」と読ませるようだ。

私がこれらの他に好ましくないと思うのは判読しようがなかった「心海」という者もいたし、古くは何年か前の優勝投手で高橋光成と書いて「タカハシコウナ」というのが西武ライオンズに在籍している。他にもこの手の何と読めば良いのか想像も出来なかった者たちは幾らでもいた。私が憂いているのは「我が国の伝統であり文化であると信じていた、その家に代々伝わる文字を使った命名の習慣は何処かに消え去って、近頃の若き世代の親たちは流行を追って命名しているとしか解釈しようがない流れである。彼等に問いたいのは「自国の文化と伝統を何と心得ているのか」なのだ。

野球には優れた素材が集まっている:
野球の質にも触れておこう。昨日まで見た限りでは「将来プロに行って使えるだろう」と思わせる素材には出会わなかった。敢えて「甲子園の野球」と言うが、これを見ていて毎回感じることは世間で若い親御さんたちが「これからは子供にやらせるのであればサッカーを選ぶ」とは言われる。だがしかし、野球には「この子供たちがサッカー界に行けば、我が国のサッカーの質が変わるだろう」と思わせる素材が、未だに数多く集まっているのが残念なのだ。騒がれている堂安、南野、中島翔、大迫等に大谷翔平や、古くは松井秀喜と較べられる素材を見いだせるかという問題だ。


最近のニュースから

2020-08-11 09:12:37 | コラム
気がかりな事が多い:

中国の露骨な出方:
産経新聞によれば甘利明氏が「中国がやることが露骨になってきた」と述べておられたそうだが、全くその通りだと思わずにはいられない。尖閣諸島に対する公船の出没は今や日常化して特筆大書するようなニュースではない。だが、最早自国の領土だとの主張だけではなく、いつ何時軍隊が上陸しても不思議ではないほど奪取の意図があからさまだ。それが習近平主席の方針なのか共産党の意図なのか私如きには不明だが、やること為すこと全てが国際法も何も無視で、真っ向から世界制覇に向けた動きとしか思えないのは幾ら警戒しても警戒しすぎにはなるまい。

昨日は何れはやるだろうと思っていた国家安全維持法を活用して、香港の民主化運動の象徴だった周底女史やリンゴ日報の創設者等々を逮捕した。彼等が民主化運動に向けて行動していたのは維持法施行前のことだったから、如何にも中国政府らしい強引でも何でもないとしか思えない。その形振り構わぬやり方は彼等にとっては極く当たり前の手法だと思って見ている。政府と共産党にとって都合が悪いことは一切許さないという手法は、何も今日になって始めたことではないのだが、強権的なのか、焦りなのか、習近平にとっては末期的なのかは判断のしようもないほど露骨だ。

私は彼等がここから先の近い将来にアメリカを始めとする自由と民主的勢力の諸国などに如何なる態度に出てくるかを考えて見よう。彼等が経済的な不安を抱えながら軍事費の予算を増額している状況を見るにつけても、中国の我が国に対する姿勢だけを見ても、その危険度は増す一方であるし、我が国の防衛体制では食い止めようがなくなるだろうと本気で憂いている今日この頃だ。

熱中症警報アラート:
話をグッと身近なものに持ってきた。何処かの格好付け専門の知事が「東京アラート」などという愚かなカタカナ語を用いてから、その真似をする人たちが増えたのは非常に遺憾に思う。何とも情けない貧弱な英語の能力かと嘆いている。東京アラートの時に既に批判したが、”alert“とはそもそも「警戒警報」の意味であり、何も敢えて誰もが理解しないかも知れないカタカナ語にする格好付けを笑っておいた。ところが、世間にはそのカタカナ語を崇め奉る者どもがいるようで「熱中症警報警戒警報」という屋上屋を架すような言葉を恥ずかしくもなく使い出したのだった。情けない。

その間抜けなカタカナ語交じりを平気で使って報道するテレビ局も笑止千万だ。彼等の中にもこの言葉がおかしいと解る者が2人や3人はいるだろうと思うが、彼等はヌケヌケと報道で使用している。何度でも言うが「世の英語教師たちは恥じ入って然るべき」ではないのか。何処かのスタンドプレーを多用される知事さんにも反省を求めたいのだ。

立正大学淞南高校サッカー部の集団感染:
80名以上の集団感染を起こしたと報じられている。この高校は以前は日本大学の系属校だった。そういうことよりも、この集団感染が巻き起こすだろう影響を考えて見よう。サッカーは先ず屋外で行われる球技だから、試合や練習中にウイルスの人から人への感染が簡単には起きないのではないかと密かに考えていた。だが、私は基本的には「コンタクト・スポーツ」だと経験上も承知していたので、感染もあり得るかとは想像していた。ところが、淞南高校では試合中か練習中か合宿生活の何れが原因かは究明されていないようだが、集団感染を起こしてしまったようだ。

しかしながら、Jリーグは既に定期的にPCR検査を実施しながらリーグ戦を再開している。だが、試合中に感染が生じたとの報道はない。我々の時代の古き良きWMフォーメーションでは各人が動き回る範囲を片側に限定していた蹴球の頃とは、サッカーの質が時代と共に変わってしまっている。今のサッカーでは極端な表現を用いれば神出鬼没で、プレーヤーたちはピッチ上の何処にでも走り回り動き回り、多くの相手の選手と接触(コンタクト)しているのだ、息を吐きながら。これでは選手の中に1人でも感染者がいれば、ウイルスを撒き散らすこともあり得るだろうと考えてしまう。

その点を考えるときに、淞南高校とそのサッカー部には何をさて措いても、何処で感染が生じたかを可及的速やかに明らかにすべきだと思う。いや、練習中か試合中かを究明して欲しいのだ。その何れかであれば、サッカーよりも遙かに「密」な状態で練習も試合も進行するフットボールやラグビーの方が、遙かに人から人への感染の危険度が高いのだから。そういう根拠は、フットボールではラインメンが鼻息も荒く直ぐ目の前で対峙しているのだ。ラグビーではFWの8人がスクラムを組んで押し合うのがこの球技の最も重要な部分である。サッカーとは「密」の次元が違うのだ。

そういう「密」の点から見れば、野球は未だ安全だと思わせてくれる。だが、5千人しか観客を入れないにしてもNPBには北から札幌、東京、名古屋、大阪、福岡にドーム球場があって換気はされていても屋外とは条件が異なるのではないかと、少しは危惧している。MLBのように試合会場をフロリダに集めてしまう手法もあるが、NPBでは狭いとは言え国内を移動している。経済と同様にプロスポーツも何としても「回す」必要があるのだとは分かる。だが、現在の我が国の完全とは言えぬ防疫体制では、何時何処で集団ではないまでも、感染が生じるかが分からないのは怖いことだ。