新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

心配な事

2021-01-28 08:26:01 | コラム
「心配な事があります」とテレビが言えば:

テレビのニュースで「心配な事があります」と切り出されると、つい何かお国にとって大変な事で起きたのかと思って緊張するものだ。だが、実際には何の事はない話なのだ。即ち、芸人かその辺のテレビタレントが病気になったとかいう類いの事なのだ。近頃はこの手法に慣れてきたので緊張もしなくなって「なるほど、彼らにとってはこういう案件が心配な事だろうな」と素直に理解できるようになった。ここで解る事は、テレビ局にとっての関心事というか不安材料は、芸人等の健康状態だったと認識できるようになった。

実は、かく申し私にも心配な事が出てきたのだ。それは何を隠そう、先週だったかに産経新聞が「日本大学フェニックスの橋詰功監督が来たる8月で退任する」との報じた事である。記事には後任が誰になるかは触れられていなかったのも面妖であると思う。通常は、かかる人事は後継者も合わせて公表される性質だからだ。40年以上もの長きにわたってフェニックスの熱心なファンである当方にとっては、橋詰監督の交代は重大な心配事なのである。

ご記憶の方は多いと思うが、3年ほど前だったか日本大学フェニックス対関西学院ファイターズとの春の定期戦で起きたマスコミが言う「悪質タックル問題」(私の見解は異なるが)で内田監督が退任となり、フェニックスは1年間リーグ戦出場を辞退して言わば2部落ちとなった。その際に再建監督を公募したのだが、元は立命館大学パンサーズのオフェンスコーチだった橋詰功氏が委員会に選ばれて就任した。橋詰監督はアメリカ式の指導法でフェニックスの再建を果たされて、昨年12月の甲子園ボウルでは王者関西学院ファイターズに挑戦するところまで持って行かれた。

橋詰監督の指導の下にフェニックスは1年で1部に返り咲きその勢いのままに優勝して、念願の甲子園ボウル出場を果たしたのだった。その指導法は同監督がアメリカの名門オクラホマ州立大学にコーチ留学されて学んでこられた合理的且つ近代的なものであり、練習時間もテレ朝のニュース番組のインタビューに答えたエースQBの林大希君が述べていたように「こんなに短い練習で良いのだろうか」というものだったそうだ。それほどの成績を挙げられた監督が退任となるのであれば残念至極である。

部外者の一ファンである私には詳細を知る由もないが、橋詰監督の契約は3年間であり今年の8月で満了するようなのだ。私は橋詰監督の手法で復活したフェニックスが今年は何処まで伸びるかに大いに期待していたのだから、部外者にとっても心配な事になるのだ。大学当局も速やかに後任監督を決めておかれない事には、8月というリーグ戦開始を目前にして新監督が着任されたのでは、学生たちも困惑するのではないだろうか。

また、橋詰氏ほどの指導力を備えた実績がある監督が退任されるのであれば、引く手数多となるだろうとは容易に想像できる。だが、8月で退任で9月から就任では、勧誘したいクラブも二の足を踏むのではないかと危惧する。

私の希望的観測では、歴史と伝統に輝くフェニックスであるから、その辺りを大学当局は十分に配慮されることだろうと、密かに期待している。ファンとしては、本心というか願望を言えば、橋詰監督の再任が最も望ましいのだが、如何なる事になるかと独り密かに心配している今日この頃なのだ。


1月27日 その2 東京電力はペーパーレス化で環境負荷に貢献するという

2021-01-27 17:05:13 | コラム
電力検針票をwebに変更する:

今月は気が付けば検針票と「重要なご案内」が郵便受けに入っていた。ご案内の内容は「21年3月から検針票をPCかスマートフォンに切り替える」との、言わば抜き打ち的な通告だった。私は96年8月だったかに、東電の新宿支店で余り好感を持てない仕打ちに遭っていたので、この会社の顧客に対する姿勢というか接客の態度を信用していないのである。第一に、お知らせにwebに切り替えてペーパーレス化で環境負荷への貢献に云々というのも、あの程度の紙を節約しようというのも製紙会社の出身としては気に入らないし、どれほど環境に貢献できるのかも疑問だ。

そこで考えた。ご案内で言われたように切り替えるのは簡単だろうとは思って読んだが、我が家のように88歳と83歳の夫婦の家庭では、88歳の私が先立つ確率が高いだろうと思う。すると、残された83歳の家内はスマートフォンも持っていなければPC等は扱えない。そこで愚息にも相談して、ご案内にあったように0120に電話して「引き続き紙の検針票を貰いたい」とお願いする事にした。思うに、何れにせよ検診には係員が来るのだろうから、手間は同じではないのだろうか。用紙は感熱紙だと見たが、環境にどのような負荷をかけていると言われるのだろうか。

そこでふと考えたのだが、我が国には既に圧倒的に増えた高齢者でどれほどの方々がPCなりスマートフォンをお持ちだろうかという事。現に、コンピュータの権威者である我が友のYM氏などはPCも携帯電話すら持っていないという風変わりなのだ。東京電力はそう言う高齢者の実体を何処まで調査されたのだろうか。それにつけても思うことは「ペーパーレス化」と謳う事が電力の需要者に訴える効果があるのだろうか。元はと言えば我が国とアメリカの製紙会社勤務だった私には、不愉快な印象しかなかったが。


菅内閣の奮起を期待したい

2021-01-27 09:25:27 | コラム
菅首相には毅然たる姿勢で野党と対峙して貰いたい:

マスコミの世論調査では、産経とフジを除いては支持率の下降現象が止まらないどころか、不支持率の方が高いという好ましからぬ状態だ。私は常に朝日や共同NHKの調査では設問の仕方次第では不支持に誘導されるのではと指摘して来た。それにしても、その急落振りには些か不安にさせられた。それは言うまでもない事で、この言わば未曾有と見て良いだろう新型コロナウイルスの感染拡大という危機的状況下にあって内閣がフラついていては困るからだ。

そこで、余り好みではないのだが、国会の予算委員会の中継を少しでも見て(聞いてか)、その実態を幾らかでも認識しようと試みてみた次第だ。野党というか立憲民主党は毎度の事だが内閣追及というか揚げ足取りの名手である今井雅人を初めてとして、選り抜きの菅首相攻撃陣を編成して臨んでいた。私の関心は質疑の内容も兎も角、菅首相がどのような姿勢と語り方で質問を裁いて行かれるかにあった。報道によれば、菅首相は声がかすれた上に咳き込んでおられるとなっていた。即ち、付け込まれる隙があるのかなと受け止めていた。

菅義偉という方は官房長官の頃から喜怒哀楽を表情に出して大声で明快に語るとか、激しく質問に答えるような政治家ではないとは承知していた。だが、一国の内閣道理大臣となられた現時点では、官房長官時代のままの語り口では弱いのではないかと危惧していた。そこに、現在の制圧対策が国民の期待通りには進んでいない状況であるので、得意技だった「差し控える」は出てこない代わりに、私が聞いていても「自信に満ちていない答弁と討論」になっている答え方ではないかと感じていた。

しかも、野党特に立憲民主党の手法はと言えば、首相が担当大臣に答弁を任せようとすることを許さずに「総理に訊いている」とか、辻元清美の得意技である「総理、総理」の連呼で迫るのだった。私はこの手法には飽き飽きとしている。総理大臣は全知全能ではないのであるし、担当大臣はその分野に精通しているからこそ任命されたのであり、正当な答弁が出来て当然なのだ。その担当大臣を拒否して総理の答弁を強制するのはフェアーではないと思う。私は首相は毅然として「所管の大臣が答えた後に私が補足して何が悪いのか」くらいは言って欲しいと思っていた。

それはそれとして、あのかすれ気味の声で穏やかに答えておられれば、どうしても「弱々しく、自信なさげ」に響いてくるのだ。事前の通告があったはずの質問に対して準備された答弁をされるのである以上、原稿を下俯いて読んでいる姿勢を見せられるのが得策とは思えないのだ。答弁の内容を寸前にでも頭に入れておかれて、それと同じ趣旨の事を答えれれば良いのではないのかと思ってしまう。少なくとも、視線を下に落とさずに答えられれば、かすれ声も咳き込む現象も帳消しになってしまうのでないだろうか。

兎に角聞いていて不安になった事の最大の原因は「盤石の自信を以て答えておられないのでは」と疑わせる事だった。私以外にもあの中継を見ておられる方はおられるだろうから、「総理大臣が自信に満ち溢れておられないのは何故だろう」と疑問に思う向きが出てくるのではないかと恐れている。そこに誘導尋問にかけるような設問で世論調査をすれば、不支持率が支持率を超えてしまうような結果は出るだろうと危惧している。是非とも総理以下閣僚も自信を以てこの難局に当たって頂きたいのだ、野党とマスコミの連合軍の揚げ足取り作戦に怯む事なく。


1月26日 その2 私は新型コロナウイルスを正しく恐れている

2021-01-26 10:27:19 | コラム
今感染すれば死は免れないと覚悟している:

第2回目の緊急事態宣言発出で東京都ではその効果が漸く出たのか、感染者が800人台に減少した。だが、私はこんな程度では未だ未だ安心するどころではないと思っている。それは、自宅療養せざるを得ない無症状者が言わば無数にいても、中乃至は重症の患者を受け入れる病床がないと、朝から晩まで報道されては、心不全(BNPは180)と弱り気味の腎臓(クレアニチンが1.8)を抱える超後期高齢者としては、保健所が付けて下さるだろう優先順位が高いとは思えないからだ。

常日頃から極力厳守している事は、国立国際医療研究センターの主治医の先生に厳命されている「日頃の行動範囲を逸脱するところまで出ていかない事、及び公共交通機関でも利用を回避する事」なのである。勿論ウイルスの感染が本格化して以来、誰とも外での会食などしないし、覚悟を決めてJRを利用して新橋まで行き、そこからタクシーで京橋のいき付けの理髪店に出掛けたのが最長不倒距離だっただろう。今年になってからの最長歩行距離は、トボトボと老いたる翁のように15分歩いた永年お世話になっているクリニックだ。

折角苦心惨憺して3度の心筋梗塞と2度の心不全による入院という重病を切り抜けたのだから、ウイルス如きに負けて堪るかと歯を食いしばって88歳を迎えたのだから、むざむざとやられたくはないのだ。だが、都内の感染者の受け入れ体勢を見ていれば、到底88歳の私などには優先順位が回ってこないだろう事は明らかだとしか思えないのだ。即ち、感染即ち終末への道だと覚悟をしているのだ。その人生の終わりに至らないで済むだろう方法に、ワクチン接種が徐々に現実のものとして浮かび上がってきたかの感もなきにしもあらずだ。

だが、それでさえ厚生労働省は高齢者に接種を終えるのに3ヶ月を要すると発表した。落胆する前に、これですらも些か楽観的ではないのかと、悲観論者は考えている。その根拠はテレビ報道にあった神奈川県海老名市役所による模擬実験(シミュレーションと言うらしいが)によれば、最低限でも接種会場に5人の医師とそれ以上の看護師さんを配置しなければならないとあった。海老名市側の不安材料は、それだけの医師と看護師さんを大病院か開業医のクリニックが割愛してくれるのかと懐疑的だった事。ここには、その前にある事務手続きの時間等は入っていない。

実は、不安材料はここまでにしようかと思っていたが、先ほどチラと見た(悪名高き?)「羽鳥慎一のモーニングショー」では長崎大学の教授が「75度に冷却されたワクチンを溶かして食塩水と混ぜで注射する技術を持つ医師がどれほど揃うのか」との問題を提起しておられた。また接種後に副反応を見る為に患者(と言うのだろうか?)を30分留め置いて観察する場所が常時取れるのかと、そこで見守っている看護師さんが1人で足りるのか」との疑問も語っておられた。要するに、数十万人もの高齢者に2回接種するには、多くの常設会場と時間がかかるという話だった。

こういう事を採り上げるので、このショーには兎角の噂というか評価が出てくるのかも知れない。だが、私の持論である「現場と実務を知らない人には任せておけない」を当て嵌めれば、かかる議論は必要になってくるし、河野太郎担当大臣が明27日に川崎市で実験を行うのは「正しく恐れている」良き例であると思うのだ。その結果次第では、私は後少なくとも3ヶ月は在宅に努めて自粛態勢を採り続けておくべきであるとの結論が出てくるのだと思う。矢張り、現時点では「正しく恐れる事」以外に何があるのかだと自覚している。



再び「顔相学」関連の話を

2021-01-26 08:36:30 | コラム
表情が何を物語るのか:

私は先日「顔相学」を論じた際に、西村康稔大臣が確信を持って対策を打ち出しておられない事が顔付きに表れていると指摘した。更に、坂井学官房副長官の風貌が自信のなさの表現ではないかと批判した。これらの指摘は決して根拠がない事ではないと述べておこうと、あらためて採り上げてみようと思う。

その根拠の一つに日本大学フェにクス元監督の故篠竹幹夫氏の言葉がある。篠竹氏は「俺に体調が悪いとか、僅かでも何らかの悩み等があった場合には、その弱味が何処からともなく顔付きなり何なりに隙となって現れるようだ。すると、部員たちはその微妙な隙というか変化を感じ取って、微妙に手を抜いた練習をしてしまうか、気合いが入っていない試合振りにしてしまうのだ。即ち、指導者足る者は常に心身を万全に整えて、その場に臨まねばならないのだという事だ」と語られた。「あの強気一辺倒の如き篠竹氏にしてこの言ありか」と痛感した。

この篠竹監督の言わば反省の弁を何人かの同大学の先生方と、他の大学の教授にも語ってみた。反響はと言えば全員が肯定されたのだった。即ち、皆が「教壇に立つ際に常に心身共に完全な状態ではない事はあり得るし、何らかの悩みか弱い点があるものだ。すると、恐ろしい事に学生たちは瞬時にその辺りを見抜いて、適当にしか講義を聴いていない状態になってしまうのである。我々は一瞬たりと雖も、学生たちに隙であるとか弱みを見せてはならないのである」と認められたのだった。組織の指導者や教員足る者の心構えの基本を聞かされたのだと受け止めた。

不肖私の経験も振り返ってみれば、リタイア後の1994~96年にかけてはアメリカの民主党政権からの「紙類の輸入を増やせ」との圧力があって、業界の言わば至るところで「アメリカの紙パルプ業界の実態と、アメリカの製紙業か恐るるに足らず」との講演をする機会を与えられていた。そこで見えてきた事に「一段高い演壇に立てば、聴衆がどれほどおられても、どの方乃至はどの辺りの方々が聞いておられないかは手に取るように見えてくるし、こちらが自信がない事を語っていれば、まるで手応えがないことなど、聴衆の表情が無残に教えて下さる」という点だった。

換言すれば、「多くの聴衆に語りかける時には、事前に十分に原稿を練り上げておく事も肝腎だが、自信を以て語りかけねば、ほぼ間違いなく相手にされないという厳然たる厳しさがあると認識してかかるべきだ」なのである。国会では野党が屡々「事前通告をしていませんでしたが」と断って質問するのを聞く事がある。そう言う時に自信がないと言うか、揚げ足を取られるような答弁をすれば、その表情を読んだ野党に付け込まれるのだろうと思いながら聞いている。

今回申し上げておきたかった事は「講演や講義などをする場合には、準備不足による自信のなさや、知識の不足等が表情に出ないように、万全の態勢でその場に立つべきではないか」なのである。新型コロナウイルス制圧対策などには、未だに全世界に確立された手法もなく特効薬もない時点である以上、「これで万全であるとは断言しないが、我々を信じてついてきて頂きたい」くらいの宣言をして「緊急事態宣言」を発出されても良かったのではないか。小池都知事のように「ご協力頂きたい」では、言葉は丁寧でも弱すぎる恨みが残るし、表情を読まれてしまう。