新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月25日 その2 ジョセフ・バイデン大統領に何を期待するか

2021-01-25 09:25:11 | コラム
新アメリカ大統領に何を期待するか:

正直なところ、私はジョセフ・バイデン大統領に何を何処まで期待すべきかが全く解らない。いや、期待したい事は山ほどあるが、あの就任演説を聴いていても極めて穏やかで当たり前だと思えるような事しか盛り込まれていなかった、「これからは嘘を無くそう」と敢えて指摘されたのだろう点を除いては。私は時差を忘れて就任演説を生で聞こうというほど熱心な民主党支持者ではないので、その概要はマスコミ報道で承知した程度だ。

だが、あの当たり前の事を普通に盛り込まれた演説には寧ろ「ホッとした」というのが正直な感想だ。それは、7,400万票に代表されるような強力なトランプ大統領支持者の活動が活発であり、不正選挙説が明らかに残されている状況下では、バイデン大統領も民主党もあの演説には反トランプというか、トランプ大統領が残された実績の批判色を薄めたのだろうかと読んでいた。ところがである、一夜明けるや否や既報通りに17件もの大統領令に署名されて、トランプ氏の実績の反対に出て行かれた。弾劾手続きも進行している。

私は反トランプ色を打ち出されるのも結構だろうと思う、トランプ前大統領がオバマ元大統領の実績を悉く消し去っていく手法を採っておられた以上は。だが、アメリカの新型コロナウイルスの感染の拡大に勢いが止まっていない現時点にあっては、トランプ氏が残された成果の否定などに、時間と労力を費やしている場合なのかと思って見ている。世間で云々されている「分断」にも対処されるべきかも知れないが、その実体は何も民主党対共和党や、トランプ支持派と不支持派の対立だけではないと思うのだ。

私が指摘し続けてきた大雑把に言えば「支配階層」、「中間層」、「労働者階層」、「少数(ではない)民族」間の分離、「富有層」対「持たざる層」間の格差等々が、現在のアメリカを構成しているのだ。トランプ前大統領は大胆に合法をも含めて移民を追い出す方向に進まれたのは、オバマ政権下の緩い政策を否定されたのだと思っている。ところが、バイデン大統領がメキシコ国境の壁の建設を否定された途端に、南アメリカからは既に無数の難民がアメリカ合衆国を目指して北上していると報じられた。対応策が問われるだろう。

バイデン政権の対中国政策は、最早トランプ前大統領時代の強硬策から転向しようもないところにまで、中国の反アメリか政策というか、露骨な世界制覇への歩が進んでしまっている。その時期に放漫な中国政策を採って習近平以下を増長させたオバマ政権下の者たちで固めた内閣の陣容で良いのだろうかと、中国の隣国に住む私は不安になってくる。国内の“unity”は勿論焦眉の急だろうが、対中国策と同盟国との連携もそれと同等乃至はそれ以上に非常な重要事案ではないのだろうか。

英語の表現に“I have no idea where to start with.”、即ち「何処から手を付けて良いのか解らない」というのがある。願わくは、バイデン大統領が間違いのない優先順位を付けてこの難局に乗り出して対処して頂きたいものだ。


新型コロナウイルス用のワクチンは何時接種して貰えるのか

2021-01-25 08:35:29 | コラム
ワクチンの早期接種という希望的観測は捨てよう:

私は田村憲久厚労大臣が「年内に」と言ってしまった以上、早期に医療従事者以外に順番が回ってくるだろうとの希望的観測は忘れている方が無難だろうと冷静に考えるようにしている。理由は簡単で、製造元のファイザーはアメリカの会社であり、アメリカ国内でも未だに敏速に国内に出回っていない以上、仮令我が国との契約があっても、速やかに輸出にまで手が回るとは容易に想像できないからだ。

勿論、基礎疾患を抱える超後期高齢者としては可及的速やかにワクチンを接種して頂きたいと願っている。だが、多方面からの期待を担って担当大臣に任命された河野太郎と坂井学官房副長官との間に、いきなり肝心要の開始時期を巡って意見というか見解の相違を見せられたのでは、夢も希望も薄れていこうというものだ。私は坂井学氏の輝かしき経歴と、あの迫力に乏しい顔付きを見せられては、不安感だけが残った。それは、この方は政治の世界だけで過ごされて来たのは結構だが、実務や現場を経験しておられないのが気になったのだ。

官房副長官の批判をしていても事は進むまい。今や事態は変異株に如何に対処すべきかという新たな課題が出てきたし、何も高齢者に限った事ではなく無症状の自宅療養者が急死された例が増加しつつある。菅首相も河野特命大臣も総力を集中して、何もファイザーだけに依存するのではなくModernaにもアストラゼネカにも強力に働きかけて、速やかに契約量を出荷するよう、最善の努力を願いたいのだ。


「顔相学」から

2021-01-24 11:59:02 | コラム
菅首相が懸命に奮闘しておられる様に思う:

私はここでは菅首相に対しては「激励の意を込めていた」つもりで、嘗て故大谷英彦氏が唱えておられた「顔相学」に触れてみようと思うのです。

私が見るところでは、菅首相は大きく分けて「やる気というか闘志が全面に現れてこない型」だと見ています。やや皮肉な見方をすれば「やる気はあっても、そのやる気を如何なる形で表すかに戸惑っているように見える」となります。これでは、何れにせよ批判ですが、見ていて歯痒い思いに囚われてしまうのです。経験上からも言うのですが闘志が表に出ないと、回りと同じように振る舞っていても「やる気不足」という評価になってしまうことになる場合があると思います。

菅首相はその意味では、気を許しても良い場合には笑う事がありますが、常に無表情で感情が出てこないのです。言わば、形だけでも「やる気」を見せないお方なので、損をしていると思えてなりません。菅首相はもっと自信満々の表情で「何ものをも恐れずに突き進むぞ。皆ついてこい」のような強い姿勢というか表情を出して頂きたいと思うのです。私のこの辺りの考え方(人の見方)は故大谷英彦さんが嘗て主張された「顔相学」を取り入れて論じています。

話は飛びますが、私の母親は明治38年生まれにしてはスポーツに詳しく、特にプロ野球を見ていて選手たちが伸びるかどうかを「いい男であるか否かで決まる」と主張していました。だが、不思議な事に良く当たっていました。これも「顔相学」の一種でしょうか。私の顔相学では会社組織内で「急に偉くなった人」や「突然抜擢された人」や「位人臣を極めた人」等が、その地位に相応し力量があるかないかを「何時になれば、それらしい顔付きになるか」で判断してきました。

「それに相応しい顔付きになるかどうか」という点では、別な視点もあります。その顔にならずに「思い上がった顔付きになる人」も案外に多いのだし、その地位に適した実力がない人ほど「偉そうな顔付か、威張った顔になる」ものなのです。我が国の会社組織ではややもすると年功序列で順番が回ってきたか、上司に諂った効果(失礼!)で昇進した人がいる場合が多々あります。そう言う方々は概ね非常に偉そうな顔になって、実力不足を(無意識に?)に補おうとされるようです。

私は「相撲に関心はない」と常日頃言ってきましたが、実は夕方のニュースは詰まらないので、相撲を見ている時もあります。そこで見えてきた事の中には「朝乃山」は一度優勝した後からは「どうだ、俺様は」という思い上がり(傲慢さ)がハッキリと顔に出るようになり、大関になっても負けが込んだり負傷欠場したりという体たらく。今場所で無残に負けてばかりいた貴景勝は、一場所置きにまるで気力がない表情で出てきては、コロコロと転がされます。要するに押すもさんの場合は彼らの顔相で読めるのです。

政治家では、私が何時も批判している西村康稔大臣は「何時まで経っても、自分がやっている事に確信が持てないのだが」という弱気が出ている顔付きです。加藤勝信官房長官はどちらかと言えば、無表情で強気とも思わせる事を言いますが、私は「あれは自信がない事を隠そうとしている証拠」だと判定します。安倍晋三前総理は比較的に顔に出ていませんでしたが、野党に揚げ足を取られて答弁される際に喋りすぎに聞こえる時は「ひたすら防御の姿勢に徹しているのでは」が見え見えでした。

最後に顔相からは離れた話題を。誰だったか失念しましたが「菅首相の辛いところは、いざ総理大臣になってみたら、菅官房長官がいなかった事」というのがありました。良い(痛い)ところを衝いていると思いました。別な読み方をすれば「良き補佐役に恵まれていない事」でしょうか。

ある海外のメーカーに、その分野では我が国で最強であると広く知られていたある商社から、アメリカ市場でもその実力を高く評価されていた遣り手が転進したことがありました。ところが、彼が転進してきて直ちには実績が上がりませんでした。それは「彼はアメリカの大手メーカーに転進すればその優位性を活かしてどのように拡販するかを、商社マンとして研究してあったのです。彼は「必ずその知識と経験を活用できる」と確信していたのです。

ところが、彼が転進して間もなく、その主力として活用する計画だった彼の出身の商社が崩壊してしまったのでした。彼は折角の計画は根本的に練り直しになったしまったと嘆いていました。上記の菅首相の苦境論を聞いて、この遣り手の苦い経験談を思い出した次第です。


1月23日 その3 「東京オリンピックは開催できるのか」に訂正します

2021-01-23 18:29:26 | コラム
形と内容を問わなければ開催可能かも知れない:

新型コロナウイルスの制圧策が世界中の何処の国でも思い通りに言っていない状況下では、マスコミや専門家や消息筋等から色々な情報や観測が流されていて、オリンピック開催はどうなってしまうのだろうかと不安な報道機関が、組織委員会や政府に取材に回っている。だが、良く考えなくとも解るだろう事で、IOCや菅首相を初めてとして、我が国の担当の大臣や組織の方々は「開催すべく準備怠りない、必ずやり遂げる」と答えるに決まっているではないか。だが、この関係の専門家である関西大学の某名誉教授は「開催できないと損失は2兆数千億円」という試算までされていた。

私は昨年延期が発表になる前から「毎度申し上げている『閃き』では、どうしてもあの新装(改装?)なった国立競技場等々で競技が開催されている絵が見えてきていなかった。更に、今年の7月に無事に目出度く延期して開催される景色も、閃いては来なかったのだ。しかし、これには後から裏付けとなる材料が、現実の問題として続々と付いてきたのだった。その最たるものは言うまでもない、全世界で一向に感染の拡大が止まらない新型コロナウイルスである。現時点では、この問題は如何なる人智を活用しても、短期間に制圧可能な見通しが立っていない。

僅かな希望の星がワクチンだったのだが、開発された先進国では超短期間に治験を終えて接種が開始されているのは結構だが、1月の時点では言わば富裕国に於いてだけの事に過ぎない。先進工業国であるはずの我が国では、導入(輸入)契約は進んでいると報じられているが、厚生労働省による承認の手続きはこれからである。しかも、残念な事に担当大臣に任命された河野太郎と官房副長官との間に接種開始の時期について見解の相違があったりしている。

それはそれとして、現実を見れば全世界の国から出場乃至は派遣されてくるはずの選手たちの予選が終わっていない国は幾らでもある。我が国でも全種目をならしてみれば、予選が終了しているのは20%超だとの報道もある。しかも、予選を終えていたにしても、ウイルス対策等の悪条件に阻まれて練習量や調整が不十分な選手たちが多いという懸念も報じられていた。更に、兎角不安な材料を語られる中川日本医師会長は「入国された外国人選手から感染者が出れば、医療機関は対応しきれない」などと発表される始末だ。これなどは「開催しないで」と言っているに等しい。

ここまでは国内の事情が主体だが、実際にアメリカやヨーロッパの実情を見れば、感染者も何も我が国とは一桁も二桁も違う難しい状態に苛まれている。そう言う状況の中で、如何にして運動選手たちだけを保護してオリンピック参加が可能なような状態に仕上げる環境を整え、尚且つ予選会を開くのだろうか。仮に無事に予選会を経て選手団を我が国にまで送り込めたとして、共に派遣できる医師団を編成できるのだろうか。各国でウイルスを制圧しきれていれば可能かも知れないが、未だ医療の現場で患者に対応している状態であれば、そこから従事者を抜く事が可能かと言う問題だ。

このような悲観的な面ばかりを離れて考えて見よう。それは「世界の各国が何としてもオリンピックに参加して、無事に開催しようと割り切れた場合のこと」である。暴論である事を承知で言えば、(私の好みではない言い方になるが)「コロナ禍の為に練習量も不足し、未調整のままの選手でも良いと割り切って、遠い我が国まで選手団を送り込む」のである。それでは、必然的に予期していた内容とは異なる低次元の試合や競技の展開となるのは必定だが、開催には漕ぎ着けられるのではないのか。

しかし、そのような場合でもアメリカのNBCは嬉々として中継放映するのだろうか。IOCは中継を希望するだろう。だが、そんな試合を見に世界から観客が訪れるだろうか、もしかしてウイルスに感染するかも知れない危険性も残っているかも知れない我が国と試合会場に。観客を安心させて誘致する為には、我が国は今からでは遅いくらいだが、万難を排してウイルスを制圧しておかねばなるまい。だが、2回目の緊急事態宣言発出2週間を経ても、未だステージ4だかから脱出出来ていない状態では、政府も肝腎の東京都も思い切ったなどと言う段階ではない対策を講じねばなるまい。

更に言えば、ステイホーム等と言う解ったような解らないような英語擬きの標語などに頼るのではなく、いっその事「罰則を伴う外出禁止令」を特に若者を標的して発令でもしないと、感染拡大を阻止しきれないのではないかと、私は真剣に危惧している。期間はそれこそ1ヶ月でも事足りるのではないかと、希望的に考えている。如何でしょうか、小池さん。

1月23日 その2 東京ドームは開催できるのか

2021-01-23 16:44:59 | コラム
形と内容を問わなければ開催可能かも知れない:

新型コロナウイルスの制圧策が世界中の何処の国でも思い通りに言っていない状況下では、マスコミや専門家や消息筋等から色々な情報や観測が流されていて、オリンピック開催はどうなってしまうのだろうかと不安な報道機関が、組織委員会や政府に取材に回っている。だが、良く考えなくとも解るだろう事で、IOCや菅首相を初めてとして、我が国の担当の大臣や組織の方々は「開催すべく準備怠りない、必ずやり遂げる」と答えるに決まっているではないか。だが、この関係の専門家である関西大学の某名誉教授は「開催できないと損失は2兆数千億円」という試算までされていた。

私は昨年延期が発表になる前から「毎度申し上げている『閃き』では、どうしてもあの新装(改装?)なった国立競技場等々で競技が開催されている絵が見えてきていなかった。更に、今年の7月に無事に目出度く延期して開催される景色も、閃いては来なかったのだ。しかし、これには後から裏付けとなる材料が、現実の問題として続々と付いてきたのだった。その最たるものは言うまでもない、全世界で一向に感染の拡大が止まらない新型コロナウイルスである。現時点では、この問題は如何なる人智を活用しても、短期間に制圧可能な見通しが立っていない。

僅かな希望の星がワクチンだったのだが、開発された先進国では超短期間に治験を終えて接種が開始されているのは結構だが、1月の時点では言わば富裕国に於いてだけの事に過ぎない。先進工業国であるはずの我が国では、導入(輸入)契約は進んでいると報じられているが、厚生労働省による承認の手続きはこれからである。しかも、残念な事に担当大臣に任命された河野太郎と官房副長官との間に接種開始の時期について見解の相違があったりしている。

それはそれとして、現実を見れば全世界の国から出場乃至は派遣されてくるはずの選手たちの予選が終わっていない国は幾らでもある。我が国でも全種目をならしてみれば、予選が終了しているのは20%超だとの報道もある。しかも、予選を終えていたにしても、ウイルス対策等の悪条件に阻まれて練習量や調整が不十分な選手たちが多いという懸念も報じられていた。更に、兎角不安な材料を語られる中川日本医師会長は「入国された外国人選手から感染者が出れば、医療機関は対応しきれない」などと発表される始末だ。これなどは「開催しないで」と言っているに等しい。

ここまでは国内の事情が主体だが、実際にアメリカやヨーロッパの実情を見れば、感染者も何も我が国とは一桁も二桁も違う難しい状態に苛まれている。そう言う状況の中で、如何にして運動選手たちだけを保護してオリンピック参加が可能なような状態に仕上げる環境を整え、尚且つ予選会を開くのだろうか。仮に無事に予選会を経て選手団を我が国にまで送り込めたとして、共に派遣できる医師団を編成できるのだろうか。各国でウイルスを制圧しきれていれば可能かも知れないが、未だ医療の現場で患者に対応している状態であれば、そこから従事者を抜く事が可能かと言う問題だ。

このような悲観的な面ばかりを離れて考えて見よう。それは「世界の各国が何としてもオリンピックに参加して、無事に開催しようと割り切れた場合のこと」である。暴論である事を承知で言えば、(私の好みではない言い方になるが)「コロナ禍の為に練習量も不足し、未調整のままの選手でも良いと割り切って、遠い我が国まで選手団を送り込む」のである。それでは、必然的に予期していた内容とは異なる低次元の試合や競技の展開となるのは必定だが、開催には漕ぎ着けられるのではないのか。

しかし、そのような場合でもアメリカのNBCは嬉々として中継放映するのだろうか。IOCは中継を希望するだろう。だが、そんな試合を見に世界から観客が訪れるだろうか、もしかしてウイルスに感染するかも知れない危険性も残っているかも知れない我が国と試合会場に。観客を安心させて誘致する為には、我が国は今からでは遅いくらいだが、万難を排してウイルスを制圧しておかねばなるまい。だが、2回目の緊急事態宣言発出2週間を経ても、未だステージ4だかから脱出出来ていない状態では、政府も肝腎の東京都も思い切ったなどと言う段階ではない対策を講じねばなるまい。

更に言えば、ステイホーム等と言う解ったような解らないような英語擬きの標語などに頼るのではなく、いっその事「罰則を伴う外出禁止令」を特に若者を標的して発令でもしないと、感染拡大を阻止しきれないのではないかと、私は真剣に危惧している。期間はそれこそ1ヶ月でも事足りるのではないかと、希望的に考えている。如何でしょうか、小池さん。