職務内容記述書を考える:
先日「Job(ジョブ)型雇用の考察」を取り上げて論じたので、今回はその根幹をなす“Job description”(=職務内容記述書)を考えてみることにする。先ずお断りしておきたいことがある。それは間違っても“job”を「ジョブ」などと発音するとか、カタカナ表記して頂きたいということ。この発音はアメリカだけではなくUKでも「ジャブ」なのであるから。お疑いの向きはOxfordででも発音記号をお調べ願いたい。私は「ジョブ」のようなローマ字読みは認めないのだ。
職務内容記述書などと言うと何か厳かな感じがするかも知れないが、私の経験ではそれほど緊張することもないような極めて当たり前の事柄しか記載されていなかった。即ち、その職務を担当する者に与えられ、且つ達成することが求められている常識的な事柄が述べられているだけなのだ。例えば“sales and marketing“を担当するのであれば、大要下記のような項目が並んでいると思えば良いだろう。
*売上高と売上数量の目標。
*営業活動と市場戦略。
*販売促進活動。
*既存の取引先との密接な接触と関係の維持。
*競合する各社の動向の調査と報告。
*自社製品の市場における評価の調査。
*取引先の新規開拓と新製品の開発。
*日常業務の報告書の提出。
*毎月の市況報告。
*事業部長が招集する会議への出席。
という辺りになるだろう。注目して欲しいことは部内の誰とも重複しない業務を単独で担当する以上、我が国では重要視されているだろうことの「部下の指導・育成」は先ず要求されないと思っていて良いことだ。その仕事が何時までも続く保証はないのだし、後継者を任用するのはその営業担当者の仕事ではなく人事を含めて全権を持っている事業部長、即ちGeneral manager(GM)の責任になる事なのだから。
その担当マネージャーを採用するに当たっては、GMが面接してそれまでの経験と能力を確かめた上でその任務を担当させるのに相応しいと判断したのだから、上記のような職務内容記述書を与えて遂行と達成の方法の一切を任せるのだ。従って、既に述べたようにその項目ごとにその実行の手段とかの細かい指導や指示などしないものなのだ。それは、その為に面談して能力ありと判定した中途採用者なのだからだ。
実際に私は秘書さんとは業務を如何に分担するかを取り決めただけで、一切の細かい口出しはしなかったし、英語の指導などしたこともなかった。彼女には一切判断業務はしなくて結構だし、私の出張中や不在の場合に発生するかも知れない判断業務は放置しておいて結構だと定めた。その意味は「秘書にはマネージャーが担当する仕事である判断業務の為の給与は与えられていないというか、彼女のjobではないのだから。この辺りを英語では“I am not paid for that.“のように言うのだ。換言すれば、彼女にとっては”None of my business“なのだ。
この各マネージャーに与えられた職務内容記述書にあるような職務を各自がバラバラに遂行していて事業部が予算を達成できるのか、部門として成り立つのかとの疑問が出そうだと思う。私は割り切って考えるようにしていた。と言うのは「全権を持つ事業部長が事業部としての目標というか予算を立て、各マネージャーに目標の売上高と数量を割り当てて彼らが達成できればそれで良いのであって、私が他のマネージャーに課された目標値など気にせずとも良いだろう」と考えていたのだ。
事業部長は年の始めには会議を招集して部員全体にその年度の予算を通達するし、年度内にでも途中経過も知らされるようになっている。マネージャー足る者は言われなくとも、それくらいは承知しているべきはずだ。ここまで述べたように、アメリカ式では飽くまでも各人の能力が基になっているので、我々は「出来なかったらどうなってしまうか」という問題は十分に解っている。自分の職務内容記述書にある諸々の項目を達成する為の方法というか手段は各自に一任されているのだ。
我々は何時でも「その日のうちに処理しておくべき事」を抱えているのだ。それは必ずやり遂げておかないと翌日の負担が大きくなるだけだから、夜の9時になろうと10時になろうともオフィスに残って片付けようとするのだ。時には片付かない日もある。その場合は翌日の早朝にでも出勤して何とかしようとする。ウエアーハウザーの本社ビル内には、そういう者たちの為だけがどうか知らないが、Cafeteriaでは朝6時から朝食が供給されるようになっていた。これぞ“Don’t put off ill tomorrow what you can do today.”の表れだと思っていた。
この反対に当日の仕事を早く片付けることが出来た者は、午後2時にでも3時にでも帰ってしまう。個人単位が基調だから、上司から何か言われることもない世界だった。自慢にも何にもならないが、私は東京にいる間に何度も土曜日か日曜日にも出勤していた。すると屡々ドアに鍵がかかっていない時があった。即ち、誰かが出てきているのだった。尤も、土・日や祭日に会議を招集して「この日ならば電話もかかってこないし能率が上がって宜しい」と言って東京事務所員を泣かせた他の事業部の副社長もいたが。
以上が職務内容記述書(Job description)の基調にある「job型雇用」の、私が経験した実態である。我が国の会社と比較して歴然として違う点は「飽くまでも個人が単位」であり「皆で一緒に行動して目標を達成しよう」とは誰も考えていないのだ。そこには年功序列制もなければ「新卒で入社して」と言うか、下から段階的に昇進する仕組みにもなっていないのだ。そういう制度をどうやって我が国の会社という文化の中に組み込もうと考えたのだろうかと、私は疑問に感じるのだ。先に指摘したが、その人次第で「向き・不向き」があると思うのだ。
余談になるが、アメリカには似たような考え方で“Standard of performance”(業績達成基準)や“Key goal”(達成指標)などという方式もある。