新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月21日 その2 キリンカップのサッカー第2試合の観戦記

2023-06-21 08:21:47 | コラム
20日の対ペルー戦の我が代表は好ましい出来だった:

何時もKさんから辛口だと言われているので、偶には我が代表の試合ぶりを褒めておかねば、バチが当たると思わせられた良い出来の試合だった。相手のペルーがFIFAのランキングが21位で我が方が20位とあっては、先週のエルサルバドル戦のような二軍とでも言いたいような者たちを使っても6点も取れた試合とは、緊張感が違っていた。あの時刻になると眼瞼が下がってきて画面がぼやけるのを防ごうと、目の上にテープを貼って引き上げて見ていた。

良かったと思う点を挙げていこう。先ずは忌み嫌っている後方への展開とバックスの間での(無用の)横パスの交換を最低限度に抑えていた事。それが証拠にtime of possessionが4点も取って勝った方が42%だった事にも現れていたと思う。このポジティブ(カタカナ語である)な現象は吉田麻也を引退させたからだと言ったら叱られるか。積極的だったと言いたいのだ。

4点を取ったのも良かったが、その取り方が相手のディフェンスを崩した形になった「流れの中で取れていた事」のが特に良かった。最初の1点を伊藤洋が思い切り良く(恐らく前が空いていると読めたのだろう)ペナルティエリアの外側辺りから低い球で蹴り込んだ事は素晴らしかった。常に決定力不足を批判してきたが、あの試合ではペルーが引いて守っていた訳ではないので、遠くからでもシュートをすれば入る事があると証明していた。良かった。

三苫は技術とスピード、伊東純也は俊足をそれぞれ活かして積極的に(キープして)攻め上がって行ったのも良いことだった。現代のサッカーは蹴球の頃とは大きく変わっていて、目の前に誰かいると躊躇せずに後ろに下げるか、責任逃れのパスをしてしまうようになっている。だが、この2人は積極性が高いのは大いに結構。三苫などは綺麗にシュートを決めてくれた。伊東純はセンターリング(現在は「クロス」という)の精度を挙げればもっと良い。

南アメリカ勢にありがちなことで、ペルーも反則を承知でかなり乱暴に当たってくるし、小汚いのではなくて「大汚い」サッカーをする。遠藤航をはじめとして何人かが倒されたが幸い大事に至らずに終わったし、流石全日本代表の一軍の選手たちは「当たり、当たられ」を恐れていなかったし、負けていなかった。これは矢張りヨーロッパのリーグで鍛えられた成果だろう。また、二軍とは違って、足長族との対応策を心得ていたのも良かった。

4点を取れたのも良かった。ペルーは1点を取ったが、最後まで相手のディフェンスを崩しきれず、自分の形で点を取れずに終わった。これは、我が方の吉田麻也や長友佑都なき後のバックス陣がしっかりしていることの表れだろうと思う。GKの力量を評価できないような試合に持って行くのが良いことなのだが、昨夜はオフェンスもディフェンスも良くやっていたので、私にとっては新顔の中村航輔の真価はわからなかった。

少しは良くないというか、森保監督の選手起用の不可解なことにも触れておこう。昨夜は久保建英と堂安律は後半を15分だったか残すまで使わなかった。堂安にはマスコミが持て囃す「10番」を与えていても。特に良く分からないのは、スペインでどれ程実績を残そうと記者たちが褒めそやしても、久保建英を90分間使うことがないことだ。久保と堂安が入るとオフェンスが組織的にパス交換できるようになると見ているが、森保氏は久保が嫌いなのだろうか。

お陰様で、昨夜は気分良く床に就くことができた。森保さん、有り難う。


マイナンバーカードに関わる混乱と醜態

2023-06-21 07:06:18 | コラム
起きるべくして起きた混乱ではないか:

このカードは確か昨年に取得した。そうしようと思った理由は「本人確認の資料が方々で求められる時代になったので、住基台帳カードよりもこの方が何かにつけて有効な証明になるだろうか」という程度の事だった。いや、そう考えている間に「マイナポイント」なるものが出てきたので、アナログ世代であっても何とか手続きができればと思って、おっかなびっくり区役所に行ってみたのだった。

それが、河野太郎を担当大臣に据えると、現在のあの混乱というかコンピュータ等の操作の誤り(なのだろう)を含めて、人の手と目による失敗が数多く発生してしまったようだ。松本剛大臣は「功を焦りすぎた」と認めたとか何とか報道されている。それもあるだろうが、マイナポイントとやらを取得する手続きの際に、その作業を区役所の担当者にお任せする形で進めたのを見れば、人為的ミスは起こりえたと今になって考えている。

その時には、当人は殆ど自分でそこに用意されたPCに触れる事なく、かなり高齢と思った係の方の指導の下に進行した。その方の手腕を疑う事など全く考えていなかった。だが、あの操作で所謂「紐付け」をしていたのであれば、区役所は兎も角として、地方では人為的な失敗が起きる事はあり得るだろうと思っている。そう感じたのは、70歳からPCを導入した当方は屡々何処からともなく送られてくる操作の指令をこなしようがなく途方に暮れているし、変換ミスなどは日常茶飯事だからだ。スマホやPCを持っていない人は同年齢層には当たり前のようにいるのだ。

実は、カード取得の際に使ったPWや暗証番号を記入したメモを、何処かに置き忘れている事に気が付いていた。何と言う事はあるまいと気楽に考えていたところに、河野太郎は来年秋までにこのカードを健康保険証にすると言って聞かないようだ。かかりつけのクリニックと眼科医の受付にはそれようの機器が既に設置されている。これは暗証番号だったかを必要と聞かされて愕然となった。だが、国立国際医療研究センター病院には未だ設置されていない。

眼科医の受付の方に訊けば「お忘れの方は区役所に行って、再度手続きをする必要がある」と教えて頂けた。愕然とはなったが、来年の秋までの事だと高をくくる事にした。そうしようと思うのは、河野氏が何を言おうと出直しを考えない限り、これ以上前に進めるのは無理がありすぎると見ているからだ。少なくとも、アナログ世代をこれ以上何かにつけて困惑させるのは、岸田政権にとっては得策かどうかという問題ではないかと思うから言うのだ。


ブリンケン国務長官と習近平主席との会談

2023-06-20 07:17:15 | コラム
極めて中国らしい演出が為されていた:

今朝ほど4時過ぎにTBSのニュースで、この会談が実現したと知った。その画面に現れていたのが中国独特の姿勢だった。驚きも呆れもしなかった。中国ならば平気でやるだろうという程度の衝撃。それは、習近平主席が上座というかまるで、ではなかった、如何にも自分が最高位権力者でブリンケン国務長官が下位にあることを顕示しようとする中華思想を表している席順だった。

恐らくブリンケン氏は会談の席に着くまでこうなっているとは知らなかったのだろう。この非礼であり、ごく当たり前の常識からすれば無礼であると解っても、彼に残された選択は「会談を拒否すると言い切って席を蹴って出ていくか」あるいは「この際は千歩も万歩も譲って会談に入る」だったのだろう。ブリンケン氏は良く耐えられたと察しするのは誤りか。

思うに、あの場面は中国全土に流されるだろう。それをスマートフォン等で見る国民は「矢張り我が国の方が美国よりも上なのだと、あらためて確認した」と喜ぶし、満足する事だろう。それが習近平主席の意図するところだったのだろう。即ち「習近平様、万々歳」としようとしたのだろう。

中国に一度でも入ってみて、その気になって観察してみれば、彼らの尊大ぶりというか中華思想から来る驕りというか傲慢さを感じるはずだ。私は中国には3度ほどパック旅行でしか行った事がないが「なるほど。こういう国であり、国民だったのか」と、認識させられるような目に遭っていたので、そう言うのだ。

一例だけ挙げておこう。その時は未だ個人に観光ヴィザを出していなかったと記憶する。上海の空港に到着すると、入国の手続きをする為に添乗員が団体の人数を申告した後で全員が一列に並ばせられて、係官が人数を数えて申告通りであれば、一人ずつ審査されるようになっていたのだった。自国に観光に来て外貨を落としてくれる人たちをまるで危険人物のように扱って入国を許す尊大さには、寧ろ感心させられたのだった。

このような態度は習近平主席の段階になれば一層顕著になり、恰も「会ってやった」という雰囲気を醸し出して国民に知らせたのかと疑っている。何故彼らはあのように振る舞うのは、よく考えなくても解る事だ。何か事が生じた場合にあの報道官たちが一度でも、ほんの少しでも中国側の非を認める発言をしたかという事だ。非常に厄介で取り扱いが難しい国に増長させ得てしまったのは、何代か前のアメリカの大統領だったとの解説を聞いた事があった。


トリヴィアな話題

2023-06-19 08:22:01 | コラム
Trivialな話:

「トリヴィア」というカタカナ語は割に頻繁に使われているので、てっきりtrivialを転用して作り上げたのかなと思っていた。だが、triviaで「雑学」とか「些細な」の意味があるのだと気が付いてはいた。今回は最近のニュースの中から些細であり、雑学的になるかと感じた事柄を取り上げていこう。

ジャニーズ事務所:
以前から「ジャニーズを蛇蝎の如くに嫌っている」と言ってきたし、我が国の青少年をミーハーに育て上げようとする悪企みの集団だと認識してきた。現在マスコミが今頃になって騒ぎまくっている故ジャニー喜多川とやらの性癖もずっと前に報道で承知していた。LGBTの扱いで揉めている現在では、もしかしてあれが悪行ではないとされるかも知れないと危惧している。

ここに取り上げようとするのはそんな事ではなく、あの事務所の英語表記だ。何処にあるのかも知らない事務所のテレビ画面を見れば、最上階の辺りに“Johnny & Associates”となっていた。言いたい事はJohnnyでは所有格の“s”は付いていないのだ。それがどうして「ジャニーズ」になっているのかと訝っている。「ジャニーズ」という表記では如何にも「ジャニー」なる者の所有物であると言いたいのかと思っていた。

もう一つ不思議だと思う事は“Johnny”が「ジャニー」となっている事。今でも、あれは「ジョニー」だと信じている。だが、私の周囲にJohnのニックネームをJohnnyとしていた人がいなかったので、どう発音するのか気が付いていなかった。だが、Johnny Walkerというウイスキーは「ジョニーウオーカー」ではないか。OxfordにはJohnnyは載っていなかったが、ジーニアス英和では「ジャニー」と「ジョニー」の両論併記となっていた。

大谷翔平の大活躍:
毎朝、どのテレビ局のニュースを見ても真っ先に取り上げるのは「大谷の動静」である。全てが非常にポジティブであって気持ちが良いと思う。マイナンバーカードを保険証にしようとして評判が悪く、岸田内閣の支持率が再度30%台に落ち込んだとか、カードが誤って他者に紐付けられたという悪材料とは全く異なっていて健全だ。

「だが、一寸待って欲しい」と言う人もいる。それは「大谷君は彼自身の積極的な意志と意欲でMLBに進出してから努力して自身を鍛え上げて、今日の成績を挙げているのは快挙だとは認める。だが、私は彼に日本を代表して国民を喜ばせるために行って欲しいとは頼んでいない」という事で、岸田総理が「今国会の会期中には解散しない」と語った事よりも優先されるべきかという意味だ。貴方はどちらだと思われますか。

錦織圭君:
方々手術をしたために1年数ヶ月だったの休養期間を経て下部のツアーから復帰して、決勝戦にまで上がっていったのは、非常にポジティブな話題だと思っているし、彼の努力を褒めてあげねばなるまい。何と言っても彼は最盛期には確か世界のランキングの4位にまで上がった優れた選手で努力家だったのだ。

ここで強調したい事は「錦織圭はアメリカフロリダ州のIMGアカデミーで、アメリカ式の科学的で合理的な指導を得て、あの小柄な体格でも世界的なテニスのプレーヤーになったのである」という事。要するに「精神主義的な極限まで追い詰めるような汗と血と涙の猛練習で、あの領域に達するまで上手くなったのではない」という点だ。

この理屈は大谷君にも当てはまると思っている。「彼は希に見る逸材で素材だ」と、栗山英樹監督が説得して日本ハムに入れた時点でそう認識していた。だが、素材というか資質だけでは今日のMLBを代表するプレーヤーにまで成長できるものではない。

私見では「その素材をアメリカに行って彼自信が努力しただけではなく、エンジェルスのIMGのようなトレーニングにも助けられて一層鍛え上げた成果だと見ている。エンジェルスが何か特別な手法で鍛えたとは思えないが、素材+合理的・科学的トレーニングの効果は歴然だと見ている。

ポジティブ:
カタカナ語排斥論者は敢えて上記に「ポジティブ」というカタカナ語を使って見た。この言葉はかなり頻繁に国会議員から一般人(若者を含めて)まで使われるようになって来た。確か、先ほどブリンケン国務長官と秦剛外相との長時間の会談を「ポジティブ」と報じていた。正直な所を言えば「この使い方が良いのかおかしいのか」は解らないのだ。それは在職中でも余りこれを使って話しかけられたとか、自分で使えた経験がなかったと記憶するからだ。

ジーニアス英和には先ず「自信のある、独断的な」が出てきて、次に「人が積極的な、建設的な、前向きな」と出ている。3番目が「明確な、明白な、ハッキリした」とある。「肯定的な」は4番目であるし、私はこれが“negative”の反対語だと思っていた。「ポジティブ」は一体どの意味で使われているのだろうか。思うに、今回の会談は2番目のどれかだろう。

なお、positiveの発音は微妙で、カタカナで表記してみれば「パザテイヴ」と「パザタヴ」の間ぐらいに“vi”の所を発音するのだ。アクセントは「パ」に置かれている。余計な事になるかも知れないが、単語の知識として「ポジティブ」を目だけで覚えておくと、実際の会話で「パザテイヴ」と聞こえるように発音されると「???」となるのだと思う。

広末涼子の不倫?と永山絢斗の大麻事件:
この二つは連日連夜テレビのニュースの重要なアイテム(項目の事らしい)になっている。別に「ウンザリだ」と言うつもりもないが、テレビは間違いなく「ミーハー族に的を絞っている」と解る。広末という女優(なのだろう)の存在は早稲田大学に物議を醸した手段で入学し、しかも退学したと聞いていたので、その存在は承知していた。だが元々芸能界に興味がないので全く知らなかった人が大麻で捕まったと言われても、テレビ局の時間の浪費のように聞こえる。

面白いと感じたのは広末の亭主のキャンドル・ジュンは某国の人だという説をネット上に流れていた事。「キャン・ドルジュン」だと思ったというのだ。要するに、余りポジティブなアイテムではなく、メインになるような事件ではないと思う。「メイン」を英語ではこのように使ってはならないのだが、ご承知か。


女性役員を30%にすべし

2023-06-18 08:16:37 | コラム
女性を管理職や役員に登用すべし:

このような議論が出る度に言われている事がある。それは「我が国では先進国の中で管理職や取締役に起用されている数が最も少ないのは宜しくない。遅れている」との非常に尤もらしい指摘である。敢えて「非常に尤もらしい」と言うのには私なりの根拠がある。私は22年アメリカの会社に勤務し、その間に非常に能力が高い秘書(女性という意味である)に支えられたどころか、使われたし、奉仕もしてきたから言うのだ。

我が国には有名な女性の国会議員や経営者や論客がおられる事は十分に承知しているし、凄いなと思わせられている。その点ではアメリカ以上かも知れないのかも。アメリカには確かに素晴らしい能力を備えたMBAの管理職やコンサルタントにも出会った事がある。しかし、彼女たちは「個人」として優れた力量を発揮していた。即ち、その分野に適しておられたのだと思ってみていたし、尊敬もしていた。

我が国の閣僚、国会議員、有識者、評論家、学者、マスコミ、会社役員、管理職、一般の方々が、何処までかどれ程というか、どのように女性の優れた男性には求められない能力を知り、且つ評価して「女性登用論」を唱えておられるのかと思うので言いたくなったのである。女性登用論を否定する気は毛頭ないが、そう言う方々は男性と女性の違いを何処まで認識しておられるのかが非常に気になるのだ。解っていたら、もっと慎重になれたはずだと思う。

本日の産経新聞の社説も掲題のように論じていた。本筋の議論ではないが「何故、他の先進国より少ない事がそれほど悪いのか」とも感じている。同時に、我が国とアメリカ/ヨーロッパとの歴史と文化の違いを何処まで弁えているのかも気懸かりなのだ。

昭和30年(1955年)に学業を終えてから17年半を日本の会社で働いていた。そこで接した女性社員たちは、古き悪しく言葉で言えば「お茶汲みの事務員さん」として勤務していた。またもや悪い言い方だろうと思う事を言えば「男社会に従属」していたとしても、それほど間違ってはいないと思う。尤も、所謂お局様は約2名おられたが、管理職の地位に就いていなかった。

アメリカの会社に転じてからは22年もの間秘書と共に仕事をして「女性が何処の男性には及びも付かない能力と才能があるかを痛烈に知らされていた」のだった。何度も述べてきた事で、従業員5万8千人のウエアーハウザーの本社には800人ほどのアメリカの企業社会の基準から見て優秀な人たちがいた。だが、その中で女性の副社長&事業部長は1人もいなかったし、部下を持つ女性のマネージャーは数名いたかという程度の女性の起用と登用の仕方だった。

アメリカの会社には「凄いな」と感心する秘書は沢山いたし、悪い表現であると認識しているが、他の言い方を知らないので表現するのだが「単純反復事務作業」をすれば、男性には到底及ばないほどの能力を発揮していると解った。その仕事ぶりは誠に正確で迅速に事を処理するし、記憶力も高く、正義感に燃えていて、男どもが過ちを犯さないように綿密の監督する能力を発揮していた。但し、男性に対する対抗心と負けじ魂には一寸困った事もあった。

換言すれば「アメリカの会社組織の中で接してきた女性たちは、男性には求めようもない能力を発揮して男性(ボス対秘書の間でも)を補助し、監視(いえ管理して)男どもがその割り当てられたjobをチャンとこなせるように陰に日向に応援しているのだ」となると思う。ウエアーハウザーかジャパンで12年支えて貰った秘書さんは(変な言い方だが)家内よりも私の性格というか至らざる点を把握していて、常にカバーしてくれていた。

ここまでで、結論めいた事をいえば「女性は男性にはない能力を持っていて、その能力を男性の補助、支持、監督する面で発揮しているのであり、必ずしも管理職に起用して全体を率いていく仕事と地位に適していない人の方が多くないのか。重要な点は上層部がその女性が管理職か、秘書的な仕事と事務処理(言うなれば「内助の功」と言いたい分野)のどちらに起用すべきかを間違いなく判断できるか」だという点だ。

私を12年間も支えてくれた優秀な女性については「私がリタイアした後は、彼女を営業担当のマネージャーに起用すれば」という声もあった。私も彼女ならできると思っていた。だが、彼女も「そんな事は一切考えていない」と言い切ったし、ジャパンの社長もそうとは考えていないようだった。

私は優れた女性の管理職がいなかったとは言う気もない。他社には有名な存在の女性もいた。ウエアーハウザーでも事業部長や何十名も部員を抱えた分野での女性管理職がいなかったのは、アメリカ人は「男女同権」だの「男女均一労働」などと言っている割には「男女の適性の違い」を承知しているのではないのかと疑っていた。

私は22年間のアメリカの企業における経験で初めて「女性と男性の適性の違い」を知り、女性には秘書的な仕事等々で無限の能力を発揮している人が多いと学んだから言うのだ。

要するに「女性の起用の仕方を誤る事なく、適材適所で起用し登用すべきではないのか」なのである。絶対に見場を格好良くしようとか、お飾りにしようなどと考えてはならないのだ。再び言うが、他の先進国とは歴史も文化も違うと認識してかかるべきだという事。