読書。
『現代オカルトの根源』 大田俊寛
を読んだ。
スピリチュアルもUFOも、ヨーガによる覚醒も、オウム真理教や幸福の科学、そしてそれらの源流となったいくつかの新興宗教の教義も、それら現代に息づくオカルトは、「神智学」という根を持っています。
さらさら読めてしまう新書の範囲内に収まる本ではありますが、それでもそれぞれのオカルトの要所要所をつかんで書かれているので、かなりくわしく読んでいくことができます。しかしながら、荒唐無稽な妄想ともいえるものをたくさん扱っているので、終盤にあたる現代日本の新興宗教までいくと、そうとう疲れてしまいました。
プロローグでオウム真理教の教義に触れているのですが、努力して進歩していこうとする「人間」と快楽におぼれて堕落した「動物(的人間)」という二元論を用いて、動物を駆逐して人間の王国を作ろうと信者を扇動しサリン事件を起こしたことを示していました。1980年代の東西冷戦時代、資本主義でもなく社会主義でもない宗教の王国を目指したのがオウムで、70年代から流行したノストラダムスの大予言に代表される終末思想が広く世の中に浸透していたことがその土台となったのでした。オウムはそういう土台の上での「排除の論理」だったか、と気づくに至りました。
時代と同期して生きていたら、その時代の最中では疑問に思いにくい領分ってありますし、その時代に勢いのある領分の論理に論破されて同化をせまられて困ってしまいそうな場面なんてものが、けっこうかんたんに思い浮かんでしまいます(マスメディアとか、テレビとか。大きなものを共有して時代と同期していると、そのときどきって、同期している感覚無しに同期してしまっているものなんだと思うのです。いまは、インターネットがそれにあたるのかもしれません)。はたまた、そんな彼らに冷笑や嘲笑を浴びても、それだけでは教義や宗教的信条が論理的に破綻しないので、冷笑などはレベルの低い者からの迫害であって、レベルの高い我々信者はそれらを乗り越えてみせなければならない、なんていう宗教的使命を強化させもしてしまいます。この「教義の頑健さ」が厄介です。そして、教義を形作る源に、「神智学」があります。
人間と動物(動物的人間)という分類にあらわれている「二元論」や、最終戦争が来ると予言する「終末思想」、そして「排除の論理」などは、オウム真理教独自のものではなく、19世紀にブラヴァツキーが誕生させた「神智学」を祖としていて、そこから無数に枝分かれしたうちのひとつに過ぎないのでした。
「神智学」を誕生させたブラヴァツキー夫人は、母親が小説家だったこともあるのでしょうが、幼少時には物語を作って周囲を楽しませる才能に長けていたと言われているそうです。ブラヴァツキーは7つの根幹人種というものを想定しています。現人類は第5根幹人種に位置し、第7根幹人種まで行くと、霊性としての進化が終わる、すなわち、完成されるという論理になっています。
「神智学」以来のオカルトは、輪廻転生のシステムをデフォルトとして備えています。霊性(≒魂)が生まれ変わりながら繰り返しこの世の肉体を持った生命として修養を積み続けて霊性を上げていく、という考え方です。著者はこれを「霊性進化論」と名付けているのでした。
ブラヴァツキーの「神智学」に影響を受け、神智学協会で力をつけていったリードビーターという人物がブラヴァツキーの次に挙げられているのですが、彼は神智学に傾倒する以前に『来るべき種族』という小説を愛読し、自身でも幻想的な物語を作ることを好んでいたそうです。彼はインドの貧しい少年・クリシュナムルティを新たな教団「東方の星教団」の教祖に据えて、神智学を展開していきます。しかし、16年経って、クリシュナムルティが救世主的役割である「世界教師」という立場を自ら否認し、教団は解散します。
読んでいるといろいろ出てくるのですが、ブラヴァツキーにしても自分には霊能力があると見せたがって、詐術に走っているんです。霊能力というのは最大のカギですから、最近の宗教でもそこには最大の注意を払わなければいけません。霊能力が信者を取り込み、教義を信じさせる最大のカギであることを、霊能力を使えるとする側はしっかりわかっているので、誰かが「霊能力なんてそんなものないでしょ?」と疑問を呈したり否定したりすると、霊的な位からするとザコだだとか、悪魔かあるいは悪魔の手先か何かに指定されるとかされて、攻撃すらされかねなくなります。そういうことを無しに教義を展開するような公正さのないところが、「神智学」以来の新興宗教やスピリチュアルの弱点だと思います。それと、UFOや宇宙人のオカルトにすら、その根源に「神智学」の論理があります。なので、UFOフリークでもやっぱり排外主義的な心理傾向を陥りがちなのではないかと思います。
さて、話を進めていきます。19世紀半ば、フランスのゴビノーによる『人種不平等論』で、「黒色人種は知能が低く動物的、黄色人種は無感情で功利的、白色人種は高い知性と名誉心を備えている」とされましたが、その源には、「インド・ヨーロッパ語族」という言語分類の学問的発見によって派生した「アーリア人」という概念があったということです。「アーリア」はサンスクリット語で「高貴さ」を意味し、インドに侵入したサンスクリット語を話す人たちが自らを「アーリア」と称していて、そんな彼らが北西に進路を取りヨーロッパに入ってヨーロッパの人たちの祖となっているとしたことから、「アーリア人」が生まれたそう。「アーリア人」は神智学の第5根幹人種のことを指します(神智学は、これらの学説から多大な影響を受けてできあがっているのでした)。アーリア人種は白色人種の代表的存在で、インド、エジプト、ギリシャ、ローマ、ゲルマンといった主要な文明は彼らによって築かれたとされます。それで、19世紀末に『一九世紀の基礎』(チェンバレン著)によって、アーリア人種の中でもゲルマン人こそがもっとも優れているとされたのでした。
この先鋭化が、ナチスドイツのイデオロギーを支えたわけで、ナチスドイツへの国民の熱狂っていうのは、いわばオカルトに飲み込まれていたということだと言えるのだと思います。もうすこし詳しく見てみると、アーリア人のうちでもゲルマン人がとくに優秀とする学説と神智学が結びついたものを「アリオゾフィ」といい、ドイツに「アリオゾフィ」を説くトゥーレ協会(宗教結社)ができあがります。そして協会はトンデモ政党のドイツ労働者党を結成し、それが後にナチスと改称したその翌年にヒトラーが第一書記に就くのです。やっぱりオカルトに飲みこまれてそうなったんです。
ここからは「これは言い得ている!」と思った箇所の引用をふたつほど。
__________
これまでいくつかの例を見てきたように、この世は不可視の存在によって支配されているとするオカルティズムの発想は、楽観的な姿勢としては、人類は卓越したマスターたちに導かれることによって精神的向上を果たすことができるという進歩主義を生み出し、悲観的な姿勢としては、人類は悪しき勢力によって密かに利用・搾取されているという陰謀論を生み出す。(p160)
__________
→昨今注目されている陰謀論って、こういうところからも生み出されてきます。
__________
古来、悪魔や悪霊といった存在は、不安・恐怖・怨念といった否定的感情、あるいは過去に被った心的外傷を、外部に投影することによって形作られてきた。近代においてそれらは、前時代的な迷信としていったんはその存在を否定されたが、しかし言うまでもなく、それらを生みだしてきた人間の負の心性自体が、根本的に消え去ったというわけではない。そうした心情は今日、社会システムの過度な複雑化、地域社会や家族関係の歪み、個人の孤立化などによって、むしろ増幅されてさえいるだろう。一見したところ余りに荒唐無稽なアイクの陰謀論が、少なくない人々によって支持されるのは、(中略)現代社会に存在する数々の不安や被害妄想を結晶化させることによって作り上げられているからなのである。(p178)
__________
→これは爬虫類型宇宙人(レプタリアン)の存在を強く主張するデーヴィッド・アイクというイギリス人の節での文章です。不安や被害妄想を緩和するなにか別のもの、あるいは受け皿となるものが他にあるといいのに、となりますよね。
というところで、まとめにはいっていきます。たとえばオウム真理教であらずとも、「理想郷・シャンバラ」っていうユートピアを掲げる神智学由来の宗教者や思想家が数々いることが本書からわかります。そうやって様々なところから同じ言葉や理想像が出てくると、連作短編を読んで受ける感銘に似た印象的なインパクトがその人の心理に生じやすいのではないでしょうか。神智学も、それ以降の流れのものも、それまでのいろいろな宗教教義を折衷しています。そして、とんでもないくらいの想像力でそれらの隙間を埋め、あるときにはひとつ上の段階でまとめあげて融合させたりしています。
それらを踏まえて。
まとめて言うならば、これらは「壮大で超強力なフィクションである」と僕は言い切ることにします。
最後に、神智学由来のオカルトの害について、本書の「おわりに」から要約的に紹介します。
(1)霊的エリート主義の形成:霊性進化論の信奉者は、みずから修養に励むことで他の者よりも自分の霊性が高いと信じることになる。また、信奉者たちの格によって序列が生まれ、格の高い者の意思に服従するという構造が生まれてしまう。対極的に、霊性の低い者には、「悪魔が憑りついている」「動物的存在に堕している」とされて、差別や攻撃の対象となる。
(2)被害妄想の昂進:霊性進化論の諸思想を知り、それらを信じることになると、世界の見えないところを知ることができたという興奮や喜びを信奉者は得ることになる。しかし、それらの団体が拡大していく影響で批判にさらされるようになると、闇の勢力によって攻撃・迫害をされているのだと思い込むようになる。そればかりか、闇の勢力による真理の隠蔽であり、闇の勢力が広範囲にネットワークを作り上げていて人々の意識を密かにコントロールすらしているという陰謀論の体系に発展していく。
(3)偽史の膨張:「人間の霊魂は死後も永遠に存続する」という観念を近代の科学的な自然史や宇宙論に持ち込もうとする。その結果、地球が生まれる前から人間の霊魂は存在していた、という奇妙な着想が得られていく。この論理によって、地球が存在する前から、人間の魂は他の惑星で文明を築いていただとか有史以前に科学文明を発達させていたなどという超古代史的な妄想が際限なく展開されていく。その結果、歴史は、光と闇の勢力が永劫にわたって抗争を繰り広げる舞台となり、両者の決着がつけられる契機として、終末論や最終戦争論が語られるもするようになる。
『現代オカルトの根源』 大田俊寛
を読んだ。
スピリチュアルもUFOも、ヨーガによる覚醒も、オウム真理教や幸福の科学、そしてそれらの源流となったいくつかの新興宗教の教義も、それら現代に息づくオカルトは、「神智学」という根を持っています。
さらさら読めてしまう新書の範囲内に収まる本ではありますが、それでもそれぞれのオカルトの要所要所をつかんで書かれているので、かなりくわしく読んでいくことができます。しかしながら、荒唐無稽な妄想ともいえるものをたくさん扱っているので、終盤にあたる現代日本の新興宗教までいくと、そうとう疲れてしまいました。
プロローグでオウム真理教の教義に触れているのですが、努力して進歩していこうとする「人間」と快楽におぼれて堕落した「動物(的人間)」という二元論を用いて、動物を駆逐して人間の王国を作ろうと信者を扇動しサリン事件を起こしたことを示していました。1980年代の東西冷戦時代、資本主義でもなく社会主義でもない宗教の王国を目指したのがオウムで、70年代から流行したノストラダムスの大予言に代表される終末思想が広く世の中に浸透していたことがその土台となったのでした。オウムはそういう土台の上での「排除の論理」だったか、と気づくに至りました。
時代と同期して生きていたら、その時代の最中では疑問に思いにくい領分ってありますし、その時代に勢いのある領分の論理に論破されて同化をせまられて困ってしまいそうな場面なんてものが、けっこうかんたんに思い浮かんでしまいます(マスメディアとか、テレビとか。大きなものを共有して時代と同期していると、そのときどきって、同期している感覚無しに同期してしまっているものなんだと思うのです。いまは、インターネットがそれにあたるのかもしれません)。はたまた、そんな彼らに冷笑や嘲笑を浴びても、それだけでは教義や宗教的信条が論理的に破綻しないので、冷笑などはレベルの低い者からの迫害であって、レベルの高い我々信者はそれらを乗り越えてみせなければならない、なんていう宗教的使命を強化させもしてしまいます。この「教義の頑健さ」が厄介です。そして、教義を形作る源に、「神智学」があります。
人間と動物(動物的人間)という分類にあらわれている「二元論」や、最終戦争が来ると予言する「終末思想」、そして「排除の論理」などは、オウム真理教独自のものではなく、19世紀にブラヴァツキーが誕生させた「神智学」を祖としていて、そこから無数に枝分かれしたうちのひとつに過ぎないのでした。
「神智学」を誕生させたブラヴァツキー夫人は、母親が小説家だったこともあるのでしょうが、幼少時には物語を作って周囲を楽しませる才能に長けていたと言われているそうです。ブラヴァツキーは7つの根幹人種というものを想定しています。現人類は第5根幹人種に位置し、第7根幹人種まで行くと、霊性としての進化が終わる、すなわち、完成されるという論理になっています。
「神智学」以来のオカルトは、輪廻転生のシステムをデフォルトとして備えています。霊性(≒魂)が生まれ変わりながら繰り返しこの世の肉体を持った生命として修養を積み続けて霊性を上げていく、という考え方です。著者はこれを「霊性進化論」と名付けているのでした。
ブラヴァツキーの「神智学」に影響を受け、神智学協会で力をつけていったリードビーターという人物がブラヴァツキーの次に挙げられているのですが、彼は神智学に傾倒する以前に『来るべき種族』という小説を愛読し、自身でも幻想的な物語を作ることを好んでいたそうです。彼はインドの貧しい少年・クリシュナムルティを新たな教団「東方の星教団」の教祖に据えて、神智学を展開していきます。しかし、16年経って、クリシュナムルティが救世主的役割である「世界教師」という立場を自ら否認し、教団は解散します。
読んでいるといろいろ出てくるのですが、ブラヴァツキーにしても自分には霊能力があると見せたがって、詐術に走っているんです。霊能力というのは最大のカギですから、最近の宗教でもそこには最大の注意を払わなければいけません。霊能力が信者を取り込み、教義を信じさせる最大のカギであることを、霊能力を使えるとする側はしっかりわかっているので、誰かが「霊能力なんてそんなものないでしょ?」と疑問を呈したり否定したりすると、霊的な位からするとザコだだとか、悪魔かあるいは悪魔の手先か何かに指定されるとかされて、攻撃すらされかねなくなります。そういうことを無しに教義を展開するような公正さのないところが、「神智学」以来の新興宗教やスピリチュアルの弱点だと思います。それと、UFOや宇宙人のオカルトにすら、その根源に「神智学」の論理があります。なので、UFOフリークでもやっぱり排外主義的な心理傾向を陥りがちなのではないかと思います。
さて、話を進めていきます。19世紀半ば、フランスのゴビノーによる『人種不平等論』で、「黒色人種は知能が低く動物的、黄色人種は無感情で功利的、白色人種は高い知性と名誉心を備えている」とされましたが、その源には、「インド・ヨーロッパ語族」という言語分類の学問的発見によって派生した「アーリア人」という概念があったということです。「アーリア」はサンスクリット語で「高貴さ」を意味し、インドに侵入したサンスクリット語を話す人たちが自らを「アーリア」と称していて、そんな彼らが北西に進路を取りヨーロッパに入ってヨーロッパの人たちの祖となっているとしたことから、「アーリア人」が生まれたそう。「アーリア人」は神智学の第5根幹人種のことを指します(神智学は、これらの学説から多大な影響を受けてできあがっているのでした)。アーリア人種は白色人種の代表的存在で、インド、エジプト、ギリシャ、ローマ、ゲルマンといった主要な文明は彼らによって築かれたとされます。それで、19世紀末に『一九世紀の基礎』(チェンバレン著)によって、アーリア人種の中でもゲルマン人こそがもっとも優れているとされたのでした。
この先鋭化が、ナチスドイツのイデオロギーを支えたわけで、ナチスドイツへの国民の熱狂っていうのは、いわばオカルトに飲み込まれていたということだと言えるのだと思います。もうすこし詳しく見てみると、アーリア人のうちでもゲルマン人がとくに優秀とする学説と神智学が結びついたものを「アリオゾフィ」といい、ドイツに「アリオゾフィ」を説くトゥーレ協会(宗教結社)ができあがります。そして協会はトンデモ政党のドイツ労働者党を結成し、それが後にナチスと改称したその翌年にヒトラーが第一書記に就くのです。やっぱりオカルトに飲みこまれてそうなったんです。
ここからは「これは言い得ている!」と思った箇所の引用をふたつほど。
__________
これまでいくつかの例を見てきたように、この世は不可視の存在によって支配されているとするオカルティズムの発想は、楽観的な姿勢としては、人類は卓越したマスターたちに導かれることによって精神的向上を果たすことができるという進歩主義を生み出し、悲観的な姿勢としては、人類は悪しき勢力によって密かに利用・搾取されているという陰謀論を生み出す。(p160)
__________
→昨今注目されている陰謀論って、こういうところからも生み出されてきます。
__________
古来、悪魔や悪霊といった存在は、不安・恐怖・怨念といった否定的感情、あるいは過去に被った心的外傷を、外部に投影することによって形作られてきた。近代においてそれらは、前時代的な迷信としていったんはその存在を否定されたが、しかし言うまでもなく、それらを生みだしてきた人間の負の心性自体が、根本的に消え去ったというわけではない。そうした心情は今日、社会システムの過度な複雑化、地域社会や家族関係の歪み、個人の孤立化などによって、むしろ増幅されてさえいるだろう。一見したところ余りに荒唐無稽なアイクの陰謀論が、少なくない人々によって支持されるのは、(中略)現代社会に存在する数々の不安や被害妄想を結晶化させることによって作り上げられているからなのである。(p178)
__________
→これは爬虫類型宇宙人(レプタリアン)の存在を強く主張するデーヴィッド・アイクというイギリス人の節での文章です。不安や被害妄想を緩和するなにか別のもの、あるいは受け皿となるものが他にあるといいのに、となりますよね。
というところで、まとめにはいっていきます。たとえばオウム真理教であらずとも、「理想郷・シャンバラ」っていうユートピアを掲げる神智学由来の宗教者や思想家が数々いることが本書からわかります。そうやって様々なところから同じ言葉や理想像が出てくると、連作短編を読んで受ける感銘に似た印象的なインパクトがその人の心理に生じやすいのではないでしょうか。神智学も、それ以降の流れのものも、それまでのいろいろな宗教教義を折衷しています。そして、とんでもないくらいの想像力でそれらの隙間を埋め、あるときにはひとつ上の段階でまとめあげて融合させたりしています。
それらを踏まえて。
まとめて言うならば、これらは「壮大で超強力なフィクションである」と僕は言い切ることにします。
最後に、神智学由来のオカルトの害について、本書の「おわりに」から要約的に紹介します。
(1)霊的エリート主義の形成:霊性進化論の信奉者は、みずから修養に励むことで他の者よりも自分の霊性が高いと信じることになる。また、信奉者たちの格によって序列が生まれ、格の高い者の意思に服従するという構造が生まれてしまう。対極的に、霊性の低い者には、「悪魔が憑りついている」「動物的存在に堕している」とされて、差別や攻撃の対象となる。
(2)被害妄想の昂進:霊性進化論の諸思想を知り、それらを信じることになると、世界の見えないところを知ることができたという興奮や喜びを信奉者は得ることになる。しかし、それらの団体が拡大していく影響で批判にさらされるようになると、闇の勢力によって攻撃・迫害をされているのだと思い込むようになる。そればかりか、闇の勢力による真理の隠蔽であり、闇の勢力が広範囲にネットワークを作り上げていて人々の意識を密かにコントロールすらしているという陰謀論の体系に発展していく。
(3)偽史の膨張:「人間の霊魂は死後も永遠に存続する」という観念を近代の科学的な自然史や宇宙論に持ち込もうとする。その結果、地球が生まれる前から人間の霊魂は存在していた、という奇妙な着想が得られていく。この論理によって、地球が存在する前から、人間の魂は他の惑星で文明を築いていただとか有史以前に科学文明を発達させていたなどという超古代史的な妄想が際限なく展開されていく。その結果、歴史は、光と闇の勢力が永劫にわたって抗争を繰り広げる舞台となり、両者の決着がつけられる契機として、終末論や最終戦争論が語られるもするようになる。