Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

「あなた自身のせい」と決めつけない。

2018-04-27 00:45:44 | 考えの切れ端
成功したときに
「みんなのおかげです!」
というとそうだそうだと喝さいを浴びるのに、
失敗したときに
「みんなのせいだ」
っていえば、何バカなこと言ってるんだって叩かれる。
成功も失敗も土壌は一緒で、
その土壌とは影響を周囲から受け取ったり周囲に与えたりを多大にやってる所。
人は「群」であり「個」である。

「群」であり「個」である状態で生きているのだから、
その人を形作る環境や影響は、
「群」だけだとか「個」だけだとかの要因に分けて考えるべきではない。
それを、あなたの成功はみんなのおかげ、
あなたの失敗は自身のせい、
だとかと限定して決めつけるのは極めて恣意的なんです。
「群」or「個」ではないんです、
「群」&「個」で考える。

他人を特に恣意的に断罪したりする行為は、
たぶんに被害者意識がその人の根本にあるからなんですよね。
人の冷たい部分だとか、
正義の神輿に乗って他人を言葉や力で痛ぶるところだとか、
全部その被害者意識由来だと思います。
虐げられている感、
恵まれない感、
これまで足を引っ張られた経験、
それらが被害者意識をつくる。

意識的にか無意識的にか、
そのどちらもあるでしょうけれど、
人を「群」だけの視点で評したり、
「個」だけの視点で批判したりするのは、
非常に操作的で狡猾な行為です。

社会の息苦しさはそういったところから生じます。
「そんなこといったって、
自分に対する不利益な影響が過去にあって、
それで恣意性が生じたんだ」
というような申し開きもあるでしょうが、
どこでそういう悪循環、連鎖を断ち切るかですからね。
気概を持って自分のところで断ち切りましょう。


僕自身もそういう視点にハマらないよう気をつけながら、
周囲のそういう考え方に気づけるようにしていきたいです。

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『雪のひとひら』

2018-04-26 00:16:14 | 読書。
読書。
『雪のひとひら』 ポール・ギャリコ 矢川澄子 訳
を読んだ。

女性の一生を雪のひとひらにたとえたファンタジー。

「川の流れのように」なんて歌がありますけれども、
雪のひとひらの人生は、水の流れに流されていくなかでの人生です。
そのなかでも、喜びがあり、悲しみがあり、
美しさにうっとりするときがあり、そして苦難がある。

わたしはいったい、なんのために地上に降りてきたのだろう、
と雪のひとひらは考え、そして、その最後に答えを見つけだします。
その答えは奉仕する役割をまっとうするためにこの世界に降りてきた、
というようなものなのですが、
実際、人間の人生であってもそのように考えてみると、
「なぜ自分ばかりがこのような大変な目に遭うのだ」
という嘆きや憤りが昇華されると思います。
「そうか、自分は世界に奉仕するために生まれたわけで、
その役割を果たしている」とわかることで救われるものがあります。

こういうのはキリスト教の価値観からくるのでしょうか。
前に読んだ、同じ著者の『スノーグース』という短篇集でも、
そのことを強く感じましたし。
この不条理な世界で生きていくための賢い感覚だよなあと思いました。
宗教のすごいところってこういうところにあるんですよねえ。

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『たったひとつの「真実」なんてない』

2018-04-23 20:41:39 | 読書。
読書。
『たったひとつの「真実」なんてない』 森達也
を読んだ。

学生向けのメディア論ですが、
僕みたいなアラフォー世代が読んでもおもしろく、
恥ずかしながら、こんないい年してても「ため」になりました。

メディア・リテラシー
(情報の読み書き能力、
意訳として「読解」と「アウトプット能力」とも言えると思う)
から、メディアがどう情報を編集し演出しているかなどを、
平易で読みすい文体で、
しかし、しっかりした質感の深さでもって
読者に説明し、ではメディアとどう付き合うべきかを問いかけてきます。

テレビ、新聞、SNS、などなどから発信される、巷にはびこる情報がどうつくられていて、
どういう性質で、といったことにはあまり注意をむけない人は多いのではないか。
著者は情報の四捨五入という喩えを用いて、
切り上げられる情報と切り下げられる情報とがあるのだ、と説明します。
また、客観的で中立的な情報などないということも、
本書の中で説き明かしてくれる。

さらに、メディアと、メディアの受け手である僕らとの共犯関係についても、
戦前の日本が戦争に向かった例を出すなどして、
腑に落ちる形で教えてくれます。ここがもっとも大事なポイントでした。

また、メディアの怖さについても解説があります。
ナチスドイツのプロパガンダを例に、
人々を思うようにコントロールしてしまうメディアの使い方があると紹介しています。
というか、現代においてだって、ニュースひとつとっても、
情報の発信手の意図によって、
受け手の僕らはコントロールされていることに、気づける人は気づける。
どんなニュースを報道するか、どんな順番で報道するか、
ニュースの中身のどれを伝え、どれを伝えないか、
あるいは、どれを強調し、どれを軽く付け加えるだけの形で済ますか。
本書を読んでいくと、偏向報道ではない正しい報道など、
この世には存在しないのではないか、
というひとつの現実のあり様が見えてきます。
ただそれでも、マスコミを、「マスゴミ」などと言い、遠ざけすぎず、
距離感やリテラシーをもって関係を保つことのほうが大切なのだ、
いうようななことだって本書は述べています。

真実はひとつ、とするから間違うのであり、
物事の真相はいろいろ複合的な要因に拠っていることがほとんどです。
そうしたことを踏まえて、メディアに接し、情報を扱う。
メディアが進化し多様化する中で、
それに振り回されず、欺かれず、真に受けず、
そして間違って情報を咀嚼した結果、自らも過ちを犯してしまうことを防ぐ意味でも、
本書に書いてある内容を、一度、自らに経験させておいたほうがいい、
つまり読んで考えてみた方がいいと思うのでした。


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『銃・病原菌・鉄 (上・下)』

2018-04-22 01:30:32 | 読書。
読書。
『銃・病原菌・鉄 (上・下)』 ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰 訳
を読んだ。

なぜ、世界は不均衡なのか。
ヨーロッパやアメリカの白人、日本人などのように、富める国を築き上げ、
豊かに暮す民族がいる一方で、
オーストラリアのアボリジニやニューギニアの人びとのように、
古来からの狩猟採集生活から発展していなかったり、
ごく初歩的な農業を営むくらいで、社会が大きく進化しない民族がいるのか。
そのことについて人類1万3000年の歴史を振り返り、
答えを探る本です。

人によっては、
その不均衡は、民族が優秀か否かによる違いだといいます。
白人が優秀で知能が高く、アボロジニは動物に近い下等種である、
というのです。
しかし、著者のダイアモンド博士は、それは違うのだ、と、
見事に論証を展開していきます。
簡単にいうと、その原因は「環境」によるのです。

栽培可能な種類の植物が身近に植生していて、
さらに家畜化可能な動物が周りに生息していた。
それらの利を生かして、狩猟採集社会から、
定住型の農耕牧畜社会へと移行していくと、
食糧生産ができるようになり、
食糧が備蓄できるようになる。
すると、その余計に蓄えた食糧で養える階層の人びとが出てきます。
貧富の差も出てくるし、
食糧生産に従事しない、たとえば兵士や何かの専門家などの職種の人びとが生まれる。
また、文字が生まれたりもするし、
あらたな技術が生まれたりもする。
そうやって社会ができあがり、発展していくわけでした。
その途上で、家畜から伝染病がもたらされ、
人々には免疫ができていく。
アメリカ新大陸が発見されて、
インカやアステカ、ネイティブアメリカンに人たちがヨーロッパ人に駆逐されたのは、
なにも軍馬や兵器の違いによるものだけじゃなくて、
その大きな原因となるものは、ヨーロッパの人たちがもちこんだ、
病原菌にあるということでした。
その病原菌によって、豚や鳥をしらず、ゆえに豚や鳥由来の伝染病に免疫のなかった
新世界の人びとはばったばったと倒れていって、征服されたのでした。

また、アメリカ新大陸がヨーロッパを植民地にしたり、
中国がヨーロッパを従えたりすることがなかった理由も述べられています。
技術や農業などの伝播は、緯度の差が無かったり同じだったりする地域ならば、
速く伝わっていくそうですが、経度の差が無くて緯度に差がある、
アフリカ大陸やアメリカ大陸だとなかなか伝わっていかないことも証明しています。

上巻は、主に農耕や牧畜の起こり方をつぶさに見ていく部分に力のある読みもので、
下巻は、文字や技術の始まりから始まって、オーストラリアやアメリカ大陸や中国など、
ヨーロッパのような歴史のはっきりした地域を除く地域に、
どう人が移り住み、生活をしていったかを説明しています。

上下巻併せて800ページありますけれども、
中身が濃く、論理の展開が見事でおもしろいです。
朝日新聞が選んだ、「ゼロ年代の50冊」で1位に輝いた本でもありますし、
ピュリッツァー賞を獲得した本でもあります。

大著ですので、機会があれば手にとってみてください。
いろいろと史学的な謎が解けると思います。




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『東大がつくった確かな未来視点を持つための高齢社会の教科書』

2018-04-10 01:02:11 | 読書。
読書。
『東大がつくった確かな未来視点を持つための高齢社会の教科書』 東京大学高齢社会総合研究機構
を読んだ。

年金の義務だとか、介護保険についてだとか、
高額療養費制度だとか、
生きていく上で知っておかないといけない大事な情報や知識がありますが、
義務教育の中では教えてもらえなかったりする。
高校や大学を卒業して、「もう勉強をしなくて済む!」と
解放された気分になる人も多いと思いますけども、
学生を卒業してからも、こういった先述の、
年金だとか保険だとかの仕組みについて学ばないといけなかったりする。
学ぶ、というより知っておくというほうが、
多くの人には適合する言い方かもしれないです。

本書は、そういった、知っておくべきなのに
学校では習わないような知識を得ることができます。
高齢社会について、その対策や法律を知っていくことは、
もしかすると今後100年近く高齢社会かもしれない日本に住む者としては、
まさにマストではないでしょうか。

今後はというか、今もですけども、
まちづくりだって、法案作りだって、
高齢社会を見据えた形で推進されていきます。
たとえばバリアフリーについて。
今歩行困難な高齢者などが増えてきているとすれば、
今後10年でもっと増えることは目に見えている。
ならば、今からバリアフリーな社会にしていくのは
当然のことになります。

特養老人施設などの施設を増やしたり、
サービスを最先端のテクノロジーで、
今後足りなくなるゆえに負担が増える介護士への過重労働を減らしたり、
様々な、今後の方向性がこの一冊で網羅的にわかります。
ただし、ぐっと踏みこんで語ってくれるような深さはありません。
各分野をしっていくための端緒というか、
入口からその先のちょっとした展望を教えてくれる程度です。
そうはいっても、本書を踏まえないと、高齢社会の深いところまで
いくことはできないでしょう。
足がかりの一冊、とでも言うといいかなあ。

日本は世界的に見て高齢社会の最先進国です。
日本の成功を世界は見習い、
日本の失敗を反面教師にして、
今後各国は高齢社会の対策を練っていくと思います。
もう、この教科書で高校生だとか学べばいいのかもしれないですね。
そうやって、高齢社会の構成員たるぼくらの知識を底上げして、
これからのあれやこれやに対応しやすくするのがいいのではないか。

本書は去年、改訂版が出ていますので、
興味のあるかたはそっちを読んでみてください。
積読が長いと、こういうことが起こります……。

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