Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

「DV防止法改正案を閣議決定」から考える。

2023-02-26 12:07:02 | 考えの切れ端
「DV防止法改正案を閣議決定 精神的暴力でも裁判所が保護命令へ」という記事をNHKニュースで読みました。<政府は身体的な暴力だけでなく、ことばや態度による精神的な暴力でも、裁判所が被害者に近づくことなどを禁止する「保護命令」を出せるようにするDV防止法の改正案を、24日の閣議で決定しました。>とあります。

確かに必要だなと思ったのです。今までこういった精神面への暴力が身体面の暴力に比べて軽視されていたのですが、精神面へのダメージだって深刻なんですよね、という意識が具現化したものだからです。それに、実際面、そういう被害のある人が逃げるための逃げ道が細い道であっても無いよりはよっぽど良いのではないか、とちょっと単純かもしれないけれど、思うのでした。この逃げ道を補強するべく、NPOなんかが手助けしてくれるとより被害者は生きづらさから逃げ出しやすくなるでしょう。

ただ、僕が引っかかるのは、加害する側へは罰則だけだろうところです。いや、ケアもするのだろうけれど、社会的に表立って明らかにされていないように思いました。「保護命令」と同じくらいに加害側のケアも必要。正直「加害者ケア命令」も欲しい。放っておくべきじゃないのです。放っておかない社会を子どもたちが見て育つしますしね。

加害側は罰則で対応する、というのとは別方向の見方をすることが必要なのではないか。加害側がDVをするのは、加害側が精神面に大きな問題を抱えているからです。ケアをして、社会に戻す。罰則だけで社会に戻していても対症療法にすらならないのではないでしょうか。暴力衝動をケアされない人たちを是認する社会自体も問題でしょう。

ちょっと裏読みしてしまうけれど、人々の暴力性をうまく使ってやれ、利用してやれ、なんていう密かな思惑だって権力側にはあるんだろうから、そういうものが暗黙の中に無いようにする、白日の下で論じられるようにする、そういった透明性が欲しいと僕なんかは思うのです。逆に言えば暴力利用の意識が薄まらないと暴力も減っていかないのではないでしょうか。

山極寿一さんの『暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る』に書いてあったと思うのだけど、食べ物と性があるかぎり、欲望が暴力を産んで無くならないというような知見がありました。けれども、たとえそうであっても人間の「理性」はその根源的な暴力衝動を緩和させるのではないか、と僕は人間の理性とその発達に賭けたくなるのです。

理性とは、謙虚さであり客観性でもあります。そういったところをヒントにして、より生きづらさを解消できた社会になるといいのになあ、と思うのでした。
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『鉄壁の青空』(自作小説)

2023-02-25 00:02:46 | 自作小説17
 逆さの青い空は、逆さの青い空なのに、青い空のままなにも変なところがなくて、どう受け取ってみようとしてもまるで面白味がなかった。ぽつらぽつら、浮かぶ雲にだって、さして変哲というものが感じられないから、やっぱり面白くない。

 青い空と白い雲の群れにしてみれば、「だからなんなの」。空は、私がおかしいだけの話だ、と言わんばかりで、あるまじきほどの揺るぎなさだ。そうか、私がおかしいか。
 私は逆さの窓から外を眺めていた。床にあおむけになり顎を上げ、のけぞる様にして、頭側にある窓から空を覗いていたのだ。

 私は空に呆れた。あまりに無敵なんだもの。「どんな方向からのいかなる攻撃であっても私ども空には、1ミリの効果だってありません」。でも、雲くらいなら蹴散らせるな、と思う。「雲を蹴散らしたところで、私ども空にとってはなんの関係もないのですよ」。鉄壁だね、と続けて思う。

 あー、しんどかった。頭の皮膚をずりずりと床にこすりつけてしまったし、頚椎にはありえないような負荷をかけてしまった。がくん、と頭を床と平行に戻してからすぐに腹筋に力を込めて、むくりと起き上がる。
 この部屋での最後の午後だ。私は進学のため明日の朝、この家を出る。新しく住まう札幌の部屋はもともとそれほど広くはないのに、たくさんの本を送り込んでしまい、より手狭な空間と化している。そういうわけで、新しい部屋は住みはじめの前から雑然としてしまったのだけれど、好きなようにさせてくれた両親の気持ちはありがたかった。

 私は、もしも逆さに青空を眺めてみたとしたら、この部屋とこの家とこの土地に積もった、数多くの過去というものに、改行を挟むことができるような何かを体験できるのではないか、とふと思いついたのでした。生まれてこのかた十八年で初めての試み。今まで頭の中をよぎったことすらない試みです。

 さっき、改行、と言ったけれど、それは生まれ育ったこの土地での今までの生活に、ピリオドを打ってしまう、と言ったのではちょっと違うなと思ったから。だから、改行と言ったのです。ピリオドってほど、私は終わらせていない。家族との関係は続くし、今までの友人たちともきっとまた会う。先生だって校舎だって、ご近所さんたちだって公園だって、次にお会いしたり足を踏み入れたりするとき、第二章だとか第二巻だとかっていう感覚ではないから。せいぜい、次の段落だ。逆に、そうしておいて欲しい。すぐ隣の行であって欲しいのです。わずかに視線を動かすだけで振り返れる間近さであって欲しいのです。

 終わらせていないのは、終わらせたくなかったから。

 でもそんな生ちょろい改行案は、果たしてこの青空がうまく遂行させてくれなかった。青空は、フン、と鼻を鳴らすように、いや、鼻を鳴らすほどすらもこちらを歯牙にもかけていなかった。
 超然。私は私の存在の小ささというよりも、青空の湛える遥かかなたまで続いている尊大さに、ぺっと唾を吐きかけてやりたくなった。だって面白くないのだもの。でもそれって、まさしく天に唾する行為。見事ね、空は。やっぱり無敵で鉄壁なのよね。

 空ってすごいなあ。あらためてその広大なさまにため息をついてしまう。天空の透明な要塞だ。逆さまに見越してやってもびくともしなかったし。

 君たちはオーロラを見せるそうだね。「そうさ。幻想的だと君たちは言いますね。電子なんかの粒子と空気の粒子とのちょっとした反応に過ぎないのですけれど」。おやおや、現実的な性格なのかしら、空って。わたしは次に、いじわるを思いついた。

 オゾンホールって君たちにとっての傷口なんじゃない? あらまあ、無敵じゃなかったんだね。「勘違いしてもらっては困りますね。空は、青かろうが赤かろうが空であって、大気中の成分が変わろうが空であって、オゾンに穴が開こうが、空いた場所も空なのですよ。空って、あの位置にある空間の便宜的な名前なのです」。顎をしゃくるかのような堂々とした言い分だ。辟易としたのだけれど、ちょっと待て、引っかかるものがある。

 今、空間って言ったよね。空間の便宜的な名前だって。待ってよ、それ、だっておかしくないかな。宇宙までいっちゃったら、あなたたちは空じゃないわけ? 大気の成分がない空間は空じゃないわけ? 「………………」

 私わかっちゃった。空ってひとつの概念。たとえば月に、空はないんじゃないかな。
 
まだ夕暮れにもなっていない真っ青な空が、私の頭の思考の中で逆さまになった。視覚的には逆さまであったときも鉄壁だったのに、思念の中ではもう形無し。

 空。あなたたちはほとんどイメージなのですね。

 そうして私は窓を開け放ち、逆さまにならずに空を見上げた。私は奇跡的に改行を果たせたのだと思う。気分の上ではとてもすっきりしていた。私の新生活を、今までとは少しだけ違った見え方のする青空が、両手を広げて迎え入れてくれた。

(了)
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『颶風の王』

2023-02-23 20:20:41 | 読書。
読書。
『颶風の王』 河﨑秋子
を読んだ。

明治の初めの頃でしょうか。東北の庄屋の娘が雪崩の被害に遭いながら、偶然生じた雪洞の中に乗ってきた馬と共にまぎれる。助けの望めないまま、長い間馬とその雪洞に過ごす娘は、空腹のためにその馬を食べ、生き延びるのだけれど……。

娘が生んだ捨造は一頭の馬と共に開拓民を募集していた北海道に渡り、以後、根室にて主に馬の生産で食べていく。その捨造から5代にわたる家族の話です。

力強いストーリーテリングでした。僕が通ってこなかった道に咲いている言葉の花たちを多く所持しているような著者、という印象がまずありました。時代小説として始まることもあり、その語彙の種類や言葉の用い方が、僕のカバーしていない領域にあるものみたいな感じなのでした。しかし、自分と近い言語感覚では無いから面白くはないということはなくて、序盤から惹きつけられるのです。すごかったです。そして、語彙や文体や内容から、著者はこれまで手を抜かずに生きてこられたのではないかなぁというような強い感じを受けました。

作者のデビュー作なのですが、その時点での持てる力を最大限に発揮してつくった、自身として渾身かつ最高のものといったような、力のある作品という感じで第一章を読み終えました。第二章も素晴らしく、第三章に入ると舞台は現代にうつるので現代小説といった向きが強くなり、文章の持つ匂いが少々薄まったように感じられましたが、読み進めるうちにそんな第三章の現代小説の文体になれてきたためか、その奥からそれまでの章に宿っていた匂いが再び立ち現れてくるのでした。

物語を作ることへの「挑む」というその精神のあり方がうかがえて、「素晴らしいな!」と作家を一人の人として見た分へのリスペクトの気持ちが生まれます。これってたぶん、作家の生きる態度なんでしょう。負けてられないぞって思っちゃいます。

フィクションを作るのって、油断すると無味乾燥というか張りぼてと言うか、空疎なものができあがりがちなのだと思います。血が通っていて、現実と地続きで、それでいて眼前にまざまざと浮かび、温度や匂いまでをも感じるような夢を見させてくれるのがこの作品でした。心して最後まで読みましたし、そうした分のお返しを存分にしてくれる作品でした。楽しみました。

最後に、引用を。
__________

及ばぬ。
人の意志が、願いが、及ばぬ。
ひかりの脳裏に強い文言が蘇る。オヨバヌ。祖母が繰り返していた言葉だ。地も海も空も、人の計画に沿って動いてはくれない。祈りなど通じず、時に手酷く裏切ったりもする。それは人がここで生き、山海から食物を得るうえで、致し方ないことなのだと。(p198)
__________

→自然の姿をそのままのものとしてとらえている箇所です。僕も同じ意味のことを秘密のファイルにメモっていたりしますが、自然とは人間のためにあるのではなく、時に人間にとって非道なふるまいをするものです。温かで優しいと人間が感じる面を見せたかと思うと、情け容赦なく人間をゴミのように蹴散らしたりもする。もともと人間が自然環境に合わせて適応したのであって、自然が人間に合わせて出来上がっているわけではないのだし、人間の適応についても、自然の「人間にとって都合のいいおだやかな範囲」が比較的幅広いため、それに合う形でそうなっていたりするんだと思います。そもそも、温かいとか優しいとか穏やかだとか、擬人化して自然を近しく感じるのは人間の勝手。そしてそれは空想の範囲の話であって、自然そのものとしっかり相手するときには、そういった空想のフィルターを外して考えないと、命取りにもなり得るものではないでしょうか。本書のこの文章は、そういったことが端的に表現されていて、深く肯いたところなのでした。

ネタバレになりますが、この「オヨバヌ」が、馬を食べた娘から始めて6世代にわたるこの物語の幕を引く鍵になるのでした。

こういった、挑んで書いて成し遂げた作品に触れると、やる気になったり生きる気持ちが強くなったりと好い影響を受けるものですね。おもしろかった。


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『日本人のための日本語文法入門』

2023-02-20 20:00:30 | 読書。
読書。
『日本人のための日本語文法入門』 原沢伊都夫
を読んだ。

「日本語文法入門」だなんて、義務教育時代の国語授業を学び直す内容なのだろうな、と簡単に推測して買った本です。しかしながら、どうやらそういう中身ではなかったのでした。「どうやら」なんて言い方をするのは、僕が義務教育時代に、どうやって文法を教わったのかを、ほとんど覚えていないからです。「連用形」だとか「体言止め」だとかといった言葉は覚えていますが、文法といえば、どちらかというと英語文法のほうが頭に残っているほうです。

さて。
これまでみんなが国語で習ってきたものって「学校文法」と呼ばれていて、「日本語文法」とは区別されている、とあります。それでもって、日本語文法のほうが正しい、と。なぜか。学校文法は古文と現代語との連続性を考え、あえて論理的矛盾に目を瞑り、言語感覚を養っていくようなところがあるようです。日本語文法は、まるで外国語の仕組みを研究するように日本語を扱い、どういった論理で言語が成り立っているかを学術的に研究したうえでの論理的文法解読。

日本語文章は、「主語述語と装飾する言葉たち」というとらえ方ではなく、「述語とその他の装飾する言葉たち」というとらえ方がほんとう。述語以外は文の成分になります。主語は重要ではないのでした。述語こそが重要なのです。

初めて知った言語学の言葉に「ボイス」「アスペクト」「テンス」「ムード」がありました。とくに「ボイス」を見たときの日本語の見え方がとても面白いです。「ボイス」とは、受動文、使役文などといった用法をいいます。そんな、受身形、使役形のほか、もうひとつ重要なものに「やりもらい形」があり、これこそ日本語の特徴的な形であり、そして、この言語を使用する日本人の心に表したり影響を与えたりしているわけでした。

「やりもらい形」は「~~してあげた」「~~してくれる」「~~してもらった」といった使い方がそれにあたります。たとえば、「教える」という言葉をあてはめて、「A君がB君に日本語を教えてあげた」「A君が私に日本語を教えてくれた」「B君がA君から日本語を教えてもらった」という三つの分があるします。「やりもらい形」を外すと、「A君がB君に日本語教えた」「A君が私に日本語を教えた」「B君がA君から日本語を教わった」ととてもシンプルな形になるのですが、日本人はそこに物足りなさを感じやすいといいます。なぜか。

「やりもらい形」は日本人の思いやりの心が込められているからだと著者は書いています。さっきの三つの文章に戻ります。どう思いやりが込められているかというと、「A君がB君に日本語を教えてあげた(A君がB君に日本語を教えるという思いやりをあげた)」「A君が私に日本語を教えてくれた(A君が私に日本語を教えるという思いやりをくれた)」「B君がA君から日本語を教えてもらった(B君がA君から日本語を教えるという思いやりをもらった)」という以上の例文のようになるのでした。著者も、なんともまどろっこしいのだけど、どうしてこういう表現をするのか、と問いかけつつ、つづけて解説をしてくれます。

日本人は和を尊重します。そこでは助け合いが必要で、必然的に他人とのやりとりには思いやりのやりとりが重なっていった。著者は聖徳太子の憲法十七条にある「和をもって尊しとなし」を引用して、日本人らしさはこういうところにあるといいます。現代の日本人もこういった言語の仕組みの影響を受けながら、思いやりの心を育むのかもしれないですね。これが英語だと、自我中心の言語なのでこうはいきません。他の章でもあるのですが、日本語は自然を受け入れるかたちの用法に満ちていて、自然中心の言語だと言えるのだそうです。

というように、このような日本語文法の本を読んでいると、言葉たるものがどれだけ心に影響するか、また、日本語が心の細やかな動きにどれだけよく対応する言語か、ということが行間または文章の奥のほうから立ち現れてくるのを感じるのでした。

ふだん、あまり意識せずに使っている日本語を、客観的に学問するように眺め直してみると、なかなか頭が柔軟に対応してくれませんでした。過去に学校文法を学んだ時の脳の部位がかちかちになっていて、なんだか変化を拒むかのようでした。それでも、用法の細かいところはさておき、英語とは違った構造による人の心理への日本語の影響をうかがい知ることができたのはよかったです。

あとがきに「サピア・ウォーフ仮説」という言語理論について述べられています。言語の構造は、その言語の話し手の認識や思考様式を条件づけるというものです。社会や環境、遺伝子のみならず、言葉なんていうものからも、人間の心理や精神構造、思考様式は大きな影響を受けているのではないか、ということなのです。こうやって日本語についてちょっと詳しくみただけで、僕はもう、この仮説を受け入れたい気持ちになってくるのでした。


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『step  Eguchi Hisashi Illustration Book』

2023-02-18 23:00:00 | 読書。
読書。
『step  Eguchi Hisashi Illustration Book』 江口寿史
を眺めた。

漫画『ストップ!!ひばりくん!』の作者である江口寿史さんの作品集です。2015年以降のものを集めています。

絵のポップセンスがすごい方ですよね。かわいくて、いろいろな意味でおしゃれな女の子たちをたくさん描いています。こういう種類のイラストを手掛ければ、並ぶ者などいないのではないかというほどの訴求力をお持ちだというか、考える間もなくズバンと鑑賞者の感性の内側に入ってくるというか。

なんだか、とても好いなあと瞬時にこちらのセンスを刺激されるようなポップミュージックのようです、それもかなりキャッチー。でも、ベタベタとしてこない一定の距離はきちんとある感じがします。

描かれている女の子たちのコーディネートにしても、髪形にしても、持っているアイテムにしても、すべて素晴らしく見えるのでした。現実だったら、とてもおしゃれに見えるその反面に、わずかにでも悪く付け入る隙ってあると思うのです、難癖をつける突破口みたいな小さな瑕疵が。そういう部分をうまくデフォルメする過程で塗りこめているというか、イラストにする過程で情報量を落とすときに、うまくその瑕疵も落としてしまっているのではないか、と思いました。

それで、イラストの人物たちには肯定感があるんです。自分のストロングポイントを前景にして生きている感じでしょうか。それでいて押しつけがましくはないんです。それは生きていくための、前景だから。きっと、描かれた人物たちが舐められるのは本意ではないので、絶対に舐めさせない、という絵筆を取るうえでの前提があるのかもしれません、わかりませんが。仮説です。

眺めていて好ましいのは、そういった意味での凛とした感じが、大なり小なりイラストに備わっているからなのかなと僕はそう考えました。

というところです。たびたびページを開きたくなるような好い本です。


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『村上朝日堂』

2023-02-17 21:29:51 | 読書。
読書。
『村上朝日堂』 村上春樹 安西水丸
を読んだ。

1984年刊。『日刊アルバイトニュース』に連載された、安西水丸さんが挿絵を手掛けた村上春樹さんのエッセイ。挿絵で1ページ、エッセイで2ページの計3ページが1篇の分量です。

村上春樹さんって、思ってたよりもずっと外向的だなあ、とこのエッセイから感じられました。アウトサイダーってほどじゃないまともな感じがしてる。なんか、とっても健康なんです。

80年代。こういった、くだらなさと嘘と雑学と気楽さとが混ざり合った空気感の創作物で笑ったり楽しんだりする、というのがおそらく生まれでたのが80年代ですよね。僕は77年生まれなので、物心ついてから小学校を卒業するまで80年代の(でも地方の)空気にどっぷりと染まって育ちました。だから、このエッセイを読むと、当時のどこか空っぽというか、飄々としたというか、そういったすかすかなおしゃれさの、ポジショニングがとても高いところにあったような印象が甦るのです。それは都会的なのでした(まあ、村上さんはそんなおしゃれさから片足をはみ出している感じはあります)。

今読んでみると、またそれとは別の、今だからこその違った感想も、先述の当時を想起して甦るものと並走して立ち上がってくるのでした。並走するもの、それはまず、けっこうな力業で軽業をこなしている感じがあります。書く人は、当時は当時の枠組みの窮屈さを感じていたのでしょうけれども、それでも自由闊達さがそこにはまだある。未知の荒野が眼前に広がっているなかで書いている。

つまり、今と比べてやりにくさというものもあったのだろうけれど、別の意味で今と比べてやりやすさがあったはずで、そのやりやすさはたとえば、書いた文章が売れても密やかな空間で躍動していられる、というのではないかと思う。今と80年代の、衆目というものの違い。今ってとくに情報も文章もバイアスがかけられた状態で広まりやすいだろうから。

今って良くも悪くも、すべてが同一空間に並べられやすい。みんなおしなべてまな板の上の魚にされやすい。1984年って、いくつもの小さなまな板が点在していて、それらはそれぞれの場所で密やかだったのではないか。サブカルの異空間がぽつぽつと別々にあったというみたいに。

だから、それぞれ密やかで目立つことなく、異空間の仕切りで区切られていたから、『村上朝日堂』のようなある種のやりたい放題的散文(そこにはちょっとした放縦ゆえの小さな解放感がある)がエンタメとして成立していたのかもしれない。というかまあ、そのやりたい放題が当時の若さの一面なんだろうね。本書刊行時の村上春樹さんは35歳前後だし、大人として書いているのだけど、それでも今の僕が読むと「まだまだ青さがあるぞ」と読めてしまう。そして、どことなく乱暴さをうっすらとはらんでいる。それはこの時代に許されていた(あるいは抑えられていなかった)、無知のゆえの乱暴さではないか。無知というか、当時、未だ知られていないものが多すぎて、許容されざるを得なかったものや議論されずにいたものたちの自由さ(勝手さ)からくる乱暴さ。文化人の中で、武闘派でもない、たぶん穏健派に仕訳されるような少数の人たちのなかにも、そういった「腕力」が簡単に見受けられる時代だったのでしょう。いや、現在の時代性からくる価値観で眺めると、そこに「腕力」が見えるだけで、当時はとても平和的なものとして目に映っていたと思います。こういうかたちで時代の変化を体感するとは、思いもよりませんでした。

本書のような、放縦な創作。それは、現代では抑圧がすごくてなかなか作る気にならないというか、たぶん視野の外にあるような創作論からできている。現代のこの息苦しさを認めてしまっていいのかなあ。ほどほどに放縦できるくらいが生きやすい。枠内にばかり収めようとせず、ボーダーライン上だとかグレーなところだとかを狙っていこう、と言いたくなってくるのでした。

……と論じてみてもまあ、これは完全に後出しじゃんけんであります。今回は言いたい放題ぽく書いてみました。


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『恋しくて』

2023-02-13 21:15:07 | 読書。
読書。
『恋しくて』 村上春樹 編訳
を読んだ。

海外文学プラス村上春樹さんの書下ろし一篇、あわせて十篇の恋愛短編アンソロジー。各章末に村上春樹さんによる短評と甘苦判定星評価付き。

世の中には様々な種類の小説がありますが、やっぱり「王道」でも「ベタ」でも子どもがテーマでも大人がテーマでも、恋を扱う小説って多いですよね。純文学でもエンタメでもラノベでも、恋の占める割合は大きい。本書は、選者かつ訳者としての村上春樹さんが、そんな恋愛の短編小説、それも海外のもので未翻訳でそんなに古くないものを選び、さらにアンソロジーにするために努力して探し出した多数の掘り出しもの(?)をくわえて一冊にしたものです。

巻末に村上さん本人が述べていますが、純文学的作家の恋愛作品はストレートじゃない筋の物語ばかりで、さらには恋愛の大人度のとても高いものもあり、さまざまな恋愛レベルの作品が、ある意味ではごちゃっとした印象を持ってしまう集められ方をしています。

でも、どの作品も違う味わいでありながら、その味わい深さがあります。「ははぁ、こういう手の感慨がありますか」「いやぁ、こっちはまたさっきのとはかなり違うけど、これはこれでアリな味わいだね」というふうな連続なのでした。

同級生の少女を尾行する『テレサ』なんかは、腹を抱えてしまうおかしみも出てくるのですが、反対の切なさや辛さといった感情を揺さぶれる部分もあり、短い作品ながら振幅の広さに感心すると同時に、とても楽しめました。

また、『L・デバードとアリエット――愛の物語』は短編でありながらも長大な時間の経過を扱っていて、人生の甘みと苦味を十分に味わえる作品。苦味の部分がほんとうに辛いのだけれど、甘味に当たる部分の、二人が結ばれる直前の少女がモーションをかけている場面などは、文字の書かれた紙という次元にいるはずの自分が、そこをいきなりワープして突き抜ける気分で、頭のなかに「恋心が強く発現しているイメージ」が咲き誇りました。こういうのは読書体験として「なんて最高だ」と思えることの大きなひとつです。

というところですが最後に、あとがきから村上さんの一文を抜き出して紹介し、終わりにします。
__________

でもたしかにいろいろと大変ではあるのだけれど、人を恋する気持ちというのは、けっこう長持ちするものである。それがかなり昔に起こったことであっても、つい昨日のことのようにありありと思い出せたりもする。そして、そのような心持ちの記憶は、時として冷えびえとする我々の人生を、暗がりの中のたき火のようにほんのりと温めてくれたりもする。(p373)
__________

どうです、自分の心にも思い当たるなあ、なんて思ったりしませんでしたか?


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『悪戯な双子たちの思い出』(自作小説)

2023-02-12 11:47:41 | 自作小説16

 少し茶ばみの見え始めてきた網戸越しに虫の声の響いてくる九月初めの夜の深みの頃。僕はぬるいシャワーを浴びた後のとっちらかった濡れ髪にバスタオルをこすりつけながら、Tシャツとトランクス姿で誰もいない暗がりの居間に戻ってきた。そのままガラス製のテーブル上のリモコンを手に取り、壁際にあるテレビのスイッチをつける。画面から放たれる淡い光線が薄っぺらく部屋に漂った。隣の寝室で寝入っている妻の香奈子を気づかって、急いでその音量をしぼりにかかる。香奈子が起きないことを願うゆえに、音量が小さくなるまでの短い間、発せられる大きな話し声やBGMに息が止まってしまう。そうして香奈子の目覚めた気配がしないことを確かめると、ゆっくりとソファに身体を埋め、画面から放たれる淡い光を浴びた。すぐさま、尻が汗ばんでくる。傍らの扇風機のスイッチを押した。
 肌に擦りついてくるのをはっきりと感じるくらいの重たく湿った密な空気が充満している。まるで、空気がどうにかしてでも固体になりたいという強い夢を持っていて、神様か仏様か誰か、とにかく形而上(けいじじょう)的な何かがその夢をひと時汲んであげたかのようだった。そんな空気を吸いながら、テレビのニュース番組をしっかり見る感じでもなく映像の映り変わりをただ眺めていた。エアコンを装備している家庭の少ない北国のこの町で、この時期では珍しいほどの、ベッドに横になって寝苦しくなるだろう夜だった。
 ニュース番組はスポーツの結果を伝え終え、それから長いCMを経て、その夜の特集を流し始めた。画面上では若いボクサーがスパーリングしている。プロデビュー後3戦3勝の経歴でフライ級に属するボクサーだ。これくらいの成績でニュース番組に取り上げられるのだから、すべて派手な1ラウンドKOだったりするんだろうか、とぼんやり考えながら眺めているとそうではなく、それに続いた内容は、このボクサーの一卵性双生児の弟が兄に続いて先日プロデビュー戦を勝利で飾ったというものだった。弟もフライ級だった。
 二人とも卓越した才能を持っていて、近い将来チャンピオンベルトを賭けて双子同士で闘う可能性が色濃く有り、周囲の期待も相当なものである、というようなことを番組のナレーターは静かなトーンで淡々と語った。
 僕は冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出して喉を鳴らす。双子、と聞いて頭がもやもやし出していた。言葉にまとまる以前の考え事というか思念というかが急に僕をとらえてしまったのだ。ついにはニュース番組への集中力がぶっつりと途切れ、右手で冷たいビールの缶を握ったまま元のソファに再度深く腰を落とした。双子か。そういえば、と記憶が追いついてくる。あれは昭和から平成へと元号が変わった年、中学一年の頃だった。

 僕が今住んでいる北海道のこの町と面積や人口などの規模はそれほど変わらないのだけれど、この町よりももっと北東に位置するもう少し涼しい町で僕は生まれ、中学までを過ごした。
 その町の中学校の二学期が始まる日に、僕らの学年に双子の転校生がやってきた。三つあるクラスのうち、A組に金森昭人(あきと)が、僕のいるC組に金森隆人(たかと)が転入してきたのだ。一卵性の双子だった。
 双子はともに痩せていて平均的な背丈をしていた。そしてともにあまり口を開かない性質だった。とはいえ、双子同士ではよくお喋りをしていたのをたびたび目撃していた。なのにクラスメートたちとはあまり口をきかなかったのだ。
 切れ長の目、太い眉も共通点だった。というよりも、双子はどちらがどちらなのか見分けがつかないほど瓜二つで、それは顔立ちだけではなく、耳までのふわっとした髪形や普段の表情も似ていたし、使っているカバンやシャープペンシルの種類まで同じだった。ひとつ分かりやすく違っていたのはつけているベルトの色で、A組の昭人が黒、C組の隆人が紺だった。めざとくこの点に気が付いたのが実は僕で、仲の良かった数人のクラスメートに、双子の彼らの見分け方はあそこだぞ、と教えて回ったのだった。隆人と僕は席が隣同士だった。
 その他に、周囲には秘密にしている僕だけの双子の見分け方もあった。友達に教えたとしてもおそらくよくわかってもらえないくらいの双子同士での微細な違いの見分け方だったから、僕はそのことを他の誰にも言わず自分だけの双子を見分ける方法として、ベルトの色で判別できるにもかかわらず、たまにそのフィルターを通して双子を判別し、ひとり満足していた。
 その微細な違いとは、双子の喋り方だった。ほんのわずかではあるのだけれど、A組の昭人のほうが言葉の音と音とのつながりが少しだけ粘っこく、僕のクラスメートになった隆人のほうがわずかばかり音と音とを区別するように発音する。その時々の調子や機嫌によって変動する違いなのかもしれない、と初めの頃は思いはした。だけれど、さっきも言ったように、双子同士で喋っている時、彼らの発音の仕方をフィルターにかけるようにしながら耳を澄ませてみると、僕には異なる個別性のものとしてそれはとらえられたし、感じられたその差異を双子の腰のベルトの色で答え合わせすると、いつも正しく判別できていたから、このことに気づいてから一週間で、判別法に特段間違いはないと確信するまでになった。誰に自慢できる能力ではなくとも、ひとつの特別な身体的技術を身に付けたような気持ちになるもので、なぜかとても誇らしく思ったのだった。
 転入後しばらく経っても双子は双子だけで話をしていた。廊下側の席の隆人はクラスではあまり口をきかず、声をかければ短い一言で返しはした。でも、会話に混ざるようなことはほとんどしてこなかった。たとえば僕なんかは、絶対に楽しくないだろうに、と思ったのだけれど、休み時間でも隆人はひとりで教科書を眺めていたりしたのだ。昼休みになると、隆人はA組の昭人と廊下で落ち合って、教室にいるときとは見違えるような快活さで話をして二人で笑い合ったりしていた。そのくだけた感じ。身体をくの字に曲げたりなどするその感情の発露は、教室にいるときの彼と比べてとてもじゃないけれど信じられないくらいだった。
 僕らもともとのクラスメートとはほとんど口をきかないというそのうちとけない態度は、双子が人見知りだからというよりも、双子に僕らが軽く見られており、双子の胸の裡で僕らは小馬鹿にまでされているのではないかという疑いを僕に与えた。いや、クラスメートたちも薄々そう感じていたのではないだろうか。とはいえ、誰もなにも言わなかったから推測でしかないのだけれど。でも、だからといって僕は双子に敵愾心を持つことはなかった。きっといくらかの時間とちょっとしたきっかけの問題なのだと考えていた。
 ある日の昼休み、双子が廊下で可笑しそうに話をしながら沸いていて、僕はちょっとした気まぐれで彼らに声をかけた。「よお。なんか楽しそうだね、なんの話をしてるんだい」。その日、隆人が喋っているのをはじめて見た。双子はお互いを見つめ合うと、それまでの威勢の良さを一瞬のうちに仕舞いこんで、おとなしく言った。まるで伸ばした首を甲羅の内に引っ込めた亀みたいに。
「昭人のクラスは俺のクラスより英語が一コマ進んでるから、どんな内容だったって聞いていたんだ。ほら、次の授業、英語じゃないか」
 A組とC組の英語の授業は教師が同じだったし、確かに双子の言う通りだった。でも、双子に声をかけるまで僕は彼らに聞き耳を立てていたので、双子がそんな話をしていなかったのはわかっていた。その内容はもっと俗っぽく、たぶん女子についてで、その話の断片からおおよそが察せられていた。まだまだ猫をかぶっている。瞬時に厚い壁を作られてしまい、僕は気まずさを覚えたし、なにより落胆した。
 ただ、それと同時に、というよりもそれ以前の初期的な段階で僕は大きな違和感を双子から受けていて、そちらのほうにこそより多くの注意を奪われていた。そのとき、隆人の喋り方が、昭人のそれだったのだ。いつもの隆人よりもわずかに言葉と言葉が粘つく感じの喋り方だった。僕だけの双子判別方法は僕の錯覚だったのかもしれない。でも、まだ確かめてみたかった。
 予鈴が校内に響き、双子は、じゃあ、といった風に馴れた感じで軽く手を挙げてそれぞれのクラスへと散っていこうとする。僕は双子の一人の後を追うようにしてC組まで歩く中で、彼の肩を叩いた。
「どうして昭人がこっちの組に帰るんだ?」
 双子の彼は立ち止まり振り返った。双子の彼のその表情は驚きに引き攣っていたが、すぐに顔の筋肉の表情だけは制して、両目以外から驚きの感情を消し去って見せた。かけたカマが決まり、心昂る僕は昭人に顔を寄せ、囁いた。
「当たりだな。まあ、内緒にしとくから」
 C組に戻ろうとする昭人のベルトの色はやはり、隆人の紺だった。
 教室に入って席に着く。廊下側の席の昭人はほんとうに驚いたようで、抑えた小声で目を瞠ったまま、
「どうしてわかったの」
とわずかに粘つく口調で食いつくように、隣に座る僕に訊いてくるのだった。
「いや、ちょっとね。みんなはわかってないから、大丈夫」
とこちらも小声で早口で返す。後ろの席の太っちょの田川が、双子が僕に話しかけている珍しさに気を取られた様子で昭人を見つめているので、まずいかな、と思った僕は昭人にちらりと目線で合図をし、会話を打ち切らせた。
 放課後。僕は陸上部の部活に出る前に、帰宅部同然の科学部に所属することに決めた双子を捕まえて、一階の下駄箱近くに位置する廊下の突きあたりにある少しだけ奥まった作りのスペースに連れて行き、話をした。
「実は、三回目なんだ。バレるなんて思いもしなかった」
 バツが悪そうに伏目勝ちにして、今日は黒のベルトをつけA組で過ごした隆人が指先で鼻の頭を掻く。そうだろう、昭人のあの驚き方だったのだから、隆人もそうであったに違いない。
「誰にも言わないでほしいんだ。秘密にしてくれないか」
 昭人はすでに諦めきった表情でいつもより眉が下がり、笑みを浮かべている。
「わかった。三人だけの秘密にしよう。でもどうして入れ替わったりなんかしたの」
 そこは聞かずにはいられない。階段から降りてくる上級生女子たちの甲高い大きな笑い声が急に廊下に響いてきてやかましかった。僕ら三人はもっと隅に寄って話を続けた。隆人が応える。
「ただのいたずらだよ。そうでもしてないと楽しくないからさ。別のクラスにしれっと座ってなにごともなく過ごすのって、けっこう面白いんだ」
 隆人から、な? というような目つきを受け取った昭人がさきほどからの笑みを浮かべたまま頷く。
「それはそうなんだ。間違いなくね。でも、隆人、この際言っちゃっていいんじゃないか」
 僕ら三人の間に一呼吸のじれったい間があって、隆人がふうと息をつき、その勢いで言った。
「そうだな。実は昭人がさ、うちのクラスの倉橋さんがいいっていうんだ。それで俺がA組に行って、昭人がC組に来てみたんだ。昭人、狙ってるんだよ。それがほんとの理由」
 倉橋早苗は確かにうちのクラスの女子だ。すらりとしてどちらかといえば長身。ショートカットで目が大きく、あっけらかんとした態度でクラスの男子ともよく口を利くタイプだった。
「そうなのか。でも、倉橋さんと話したことあるの? というかほら、それ以前に君たち金森兄弟は無口だって評判だし。君ら、倉橋さんどころか誰ともあんまりしゃべらないし、同学年の誰かに自分たちから話しかけたこともないんじゃないのか」
 そのようにちょっと踏み込んでみると、意外にも双子はにやけた顔で口元に泡立つ笑いを噛みしめるようにしながら身体をゆすっている。僕はこの場で優位に立とうとは思っていない。でも、もしも僕が優位に立とうと試みても、双子はこの調子で自分たちの優位を握って離さないだろう。それは二対一の数の優位性以上の、確固とした自分たちへの自信から来るものなのかもしれない。あるいは、自分たちへの視野狭窄的な強烈な思い込みがあるからなのか。
 昭人は言った。
「倉橋さんとの距離を詰めていくのはこれからだよ。あと、君はおもしろいから別としてだけど、他のクラスメートとはおいおいなんとなくやっていくよ。倉橋さん以外に興味ないから、なんだけど」
 興味がないだなんて、そんな態度でこれからの長い学校生活は苦痛じゃないのだろうか。倉橋さんがいることと、二人でクラスを入れ替わってみてはほくそ笑むこと、それだけしかこの学校には求めていないのだろうか。
「おいおい、もっとこの学校生活を楽しめばいいのに。小学生の時から君らはそんな感じだったわけ」
 僕の問いかけに隆人は首を振る。
「父さんがよく転勤する人なんだ。そのたびに、何度も転校してきたから。だから俺らは俺らだけがよければいいような感覚でやってきた。それがいちばん生きやすいと思ってる」
 双子は互いを見つめあった。そこにはおよそ誰にも入り込むことができないほどの一体感が僕には感じられた。さながら、がっちり閉じた牡蠣貝のように。
「水沢先生は君らの入れ替わりに気づくかもしれない」
 水沢先生はC組の担任だ。50歳を過ぎていて、顔色はいつも青白く、少しくたびれた感じのする教師だった。
「水沢先生ね、無理だよ、あの先生、歩くなすびみたいなものだもの」
 双子は嫌な声を立てて笑った。水沢先生の真っ黒な髪の毛はいつもどことなく脂っこく、茄子のへたのようにぺたりと頭に被るようなヘアスタイルだった。
「じゃ、クラスの中でわかっちゃうやつがでてくるかも。たとえば、田川とか」
 僕はそう言いながら、さっき昭人を見つめていた田川の名前を出してみた。それから昭人の目をまっすぐ見つめた。昭人は、
「あんな太ってたらだめだ」
と僕からなんなく視線を外し、またしても双子は強固に見つめ合い、かつ自分たち以外をすべて嘲るような笑い声をたてた。僕は強く怒ってやりたくなったのだけれど、それもちょっと子供じみているように感じて途惑ってしまい、むしろ意識して穏やかな口調に抑えて、あんまりそういうこと言ってるとよくないぞ、とたしなめた。双子はぎゃははは、と僕にまで笑いかける。
 そのひとときだけ僕は彼らと仲間になれたような、ずっと遠く隔てられていた壁の瓦解を感じた。双子と打ち解けた空気をようやく感じられたのはうれしかったのだけれど、それは渋味のずっと勝ったうれしさだった。
 それから双子は来る日も来る日もクラスを入れ替わった。もはや、その所属はあべこべのままが正常であるかのようになった。僕の隣に紺のベルトの昭人が座り、A組には僕の隣だったはずの隆人が黒のベルトをつけて席についているはずだった。
 隆人を名乗る昭人に、「隆人、あのさ」と声をかける。そういう毎日を過ごしていると、神経がとても疲労した。時にはいい加減いらいらしてきて、こんなのどっちだって構うものか、と特に重い荷を背負いこんでもいないはずなのに全部放り出してしまいたい気持ちになることもあった。
 隆人と入れ替わった昭人は、たまに機会を見つけて倉橋さんに声をかけるようになっていった。少しずつ近づいているみたいだった。倉橋さんの声も好きなんだ、と昭人は僕と二人だけのときに切れ長の目をさらに細めて言ったこともある。教室に響く倉橋さんの声は透き通るような音色をしていて、僕にしてみてもその声音は好ましく耳をくすぐるのだった。
 その昭人が、帰りのホームルームが終わってみんなで机を後ろに下げているタイミングで僕を手招きし、あとでちょっと聞いてくれないかな、と苦い顔を作って見せる。今日は教室の掃除当番だから、終わったら聞くよ、と応えると、掃除の終わる頃に教室に戻ってくるから待っててほしい、と言い残して廊下へ出ていった。そこへ同じく教室の掃除当番に当たっている田川が近寄ってくる。
「最近、金森と仲良くなったみたいだね。それも双子のどっちとも喋っているじゃない」
 田川に限らず、他のクラスメートたちの目にもたぶんそのように映っているだろうと察せられた。
「まあ、席が隣だし。A組の双子と二人一緒のときに話しかけてみたら、それからなんとなく話せる間柄になったわけ」田川は思案気に口をへの字に曲げて、僕を見つめながら何度も小さく頷いている。「今度、一緒に金森たちと話してみるかい? 彼らだって話せる相手がもっと欲しいだろうし」
「うん。でも無理にとは言わないけど。自然とそういう場面になった時にだな」
 田川はそう言うと、掃除道具箱のほうへ歩いて行った。何を言いだすだろうか、と不安に思ってしまった。知らないうちに双子との間に疚しさを抱えてしまっている。というか、双子の行いの疚しさに僕は巻き込まれてしまっていた。
 いや、足を踏み入れたのは自分からだった。双子の入れ替わりに気づいた時にそれを無視できなかったのは、素直に言えば功名心のようなものが働いたからだ。誰に対してか。双子に対する功名心。それは僕の、あんなことに気づいてしまったらどうにも避けようと思えない性格的必然と結びついての結果だったのだ。僕があそこでぐっと思いとどまって、正反対の行動にでていたらどうだったろう。つまり、もしも双子の入れ替わりをクラスメートたちに知らせるという行動にでていたら、ということだ。そうすれば、田川と話をしながら疚しさを覚えることはなかっただろうし、この先訪れるだろうクラスメートたちに疚しさを感じる時への懸念に対しても、もやもやすることもない。でもそれだと、双子とは疎遠のままだっただろうし、そればかりか埋まらない溝すら生じて、すれ違うことすら起こることのない、まったくもって両者の関係は圏外の関係といった形になっていたかもしれない。
 双子への疚しさと、数十人のクラスメートへの疚しさ。数の上でもこれまでの付き合いを考えても、クラスメートたちを選び取る方が無難な選択なのは間違いない。しかし、僕は後者を選び取った。そこにはきっと功名心のようなものだけじゃなく、双子の持つ未知の魅力に惹かれたところがあったのだ。僕のよく知るクラスメートの誰よりもずっと、僕の知らないいろいろな何かを双子は備えているように感じられたのだ。僕は、双子が吹かせる秘められた未知の魅力という香しい風にたなびく好奇心の旗となっていたのだった。
 掃除が済み、僕を含んだ同じ班のメンバーたちがそれぞれ、「それじゃあ」だとか「またね」と言い合い教室を後にしていく。それとは反対に、教室に戻ってくる生徒も数人いたのだけれど、彼らは忘れ物を取りに来ていたり、トイレや理科室なんかの掃除を終えてカバンを取りに来ただけだったりするので、長居などせずそそくさと教室を出ていくのだった。僕は窓台にもたれながら彼らの背中を見送る。誰もいなくなった教室で、教室外から小さく聞こえてくる帰りしなの生徒たちの短い喋り声や靴音、戸を閉める音などを聴き流しながらそのまま静かな夕凪のような気持ちで昭人を待つ。昭人のさっきの苦い表情にも不思議と気持ちが引っ張られることはなく、平穏のままにどんな報告であれ相談であれ受け止められる心持ちでいる。
 やがて昭人が隆人を連れてC組の教室に現れた。双子はなにやら小声で話し合いながら、真っすぐに僕のほうへ歩み寄ってくる。そんなとき、倉橋さんの澄んだ声が教室に響いた。
「昭人君たち」
 声をかけられ、双子が二人とも振り返る。それから顔を見合わせた後、昭人に扮している隆人が片手を上げて応えた。同じクラスの隆人の名前ではなく、昭人の名前を倉橋さんが口にしたことに僕は違和感を覚えた。倉橋さんは教室のドアから一歩入ったところで立ち止まり、僕らの立っている窓際まではやって来ない。ただ、ちょっとはにかんだような表情をしながらも、その抑えきれない笑顔がときおり漏れ出るのが可愛らしかった。隆人に扮する昭人が好意を持つ倉橋さん。そのために双子は入れ替わり始めたはずだった。でも、倉橋さんからは隆人が演じる偽物の昭人のほうの名前がでた。まさか倉橋さんも、僕のように双子の喋り方の些細な違いに気づいているのだろうか。
 隆人に扮する昭人が話をリードしようとする。
「ちょうど今、三人が合流したところなんだ。どう? 時間が無理じゃなかったら倉橋さんもちょっとしゃべったりしない」
「何か話題があるの」
「この学校の話だよ。俺たちが転校してくる前の話だとか。あと、みんなだいたい小学校から一緒なんでしょ、その頃の話なんかも聞きたいと思って。ね?」
 飄々と出まかせを言う昭人は、わざとらしさむき出しのフレンドリーなやり方で僕の肩をぽんぽんと叩いた。鬱陶しいと思いはしたけれど、ぐっとこらえて双子に合わせてやることにした。
「倉橋さんも、金森兄弟に教えてあげてよ」
 僕は双子の意を汲んで、倉橋さんを誘った。嫌ではないようなのだけれど、物怖じする倉橋さんはなかなかこちらまで近寄っては来なかった。そこへもう一人、様子を伺うようにしながら教室に入ってくる人影があった。双子と僕の視線を集めたその闖入者は田川だった。僕は反射的に、どうした? と声をかける。ちらりと見た双子は二人とも、いけ好かないなという表情を頬のあたりにうっすらと浮かべている。
「忘れ物だよ。でもなに、この集まり」
 田川は目玉をくるくる動かし、双子と僕、そして倉橋さんを眺め、これらのメンバーの集いにどんな意味があるのかを推し量ろうとめまぐるしく頭を働かせている様子だった。双子はたぶん、田川にはすぐに忘れ物をカバンに詰めてもらって教室から出て行って欲しいと願っていたと思う。でも、倉橋さんがいる手前、無理に促すような邪険な態度は見せたくないだろうとも窺われた。田川は太っていてモテないキャラではあるけれど、だからといって女子たちから嫌われているわけではない。倉橋さんなんか、田川の登場によって表情がやわらいでいて、そればかりか僕や双子よりも先に、田川の去就を左右する一言を投げかけたのだった。
「昭人君と隆人君がね、もっとこの学校のことを聞きたいんだって。それと、小学校の時の思い出話もだって」
 もともと双子は僕に話があったのだけれど、倉橋さんが現れたのでしばらく倉橋さんの相手をしてから予定通り僕と話をする算段をしていたのではないかと思う。それが、田川まで現れてしまい、自分たちの思惑が果たせなくなった気配を感じ、いらいらしている風だった。僕は、田川までもがこの場に現れたことに、嫌悪を感じるどころかこれはこれでいいじゃないか、というある種の開き直りのような陽気な気持ちに変わっていた。
 田川は、「面白そうだな」と言って上唇をぺろりと舐める。
「そうね。面白そうかもね」と倉橋さんは緊張の解けた笑顔で相槌を打つ。
「じゃあ、小四のとき、グラウンドの近くに熊が出た話は外せないな」
 田川はもはや自分の部屋にいるときのように弛緩した笑顔で話をし始めている。双子の胸中を思うと笑ってしまいそうだった。
 それは、小学校四年の春、GWのすぐ後のことだった。連休モードから抜けきらないぼんやりした感覚で一時間目の算数の授業を終えた休み時間。「みんな、見て!」と窓際で叫ぶ田川がクラスのみんなの視線を集めた。すぐさま田川の元にざわざわと人垣ができて、みんなで外を見た。グラウンドの端の草むらに一頭の大きな黒い生物がうろうろと行ったり来たりしている。見るなり「熊!」とヒステリックに反応して震え出した女子がいた。「先生に知らせてくる!」と機敏に教室を駆け出す数名の男子もいた。
 双子はこの話に、言葉少なに興味を示してくる。
「見間違えじゃなかったのかい」
 昭人に扮する隆人が張りのない声で田川に尋ねた。ためつすがめつといった態だ。
「あとで警察が来たんだけど、足跡を確認してたし。てか、ニュースにもなったんだ。鉄砲を担いだ猟友会の人たちも来て、その日は小学校の周囲を含めた全体が立ち入り禁止区域になった」
 自慢話のように田川は語った。僕のなかの記憶も甦ってきた。そしてまた、昭人に扮する隆人が質問する。
「授業とかどうなった」
 間髪入れず倉橋さんが答える。あの時の場景が倉橋さんにも生々しく甦ってきているのかもしれない。
「臨時休校になったの。集団下校すら危ないんじゃないかってことになって、車で来られる保護者が呼ばれてね、先生たちと一緒に代わるがわる生徒を車で送ったのよ。みんなで学校脱出作戦」
 倉橋さんの言葉に、僕と田川も頷く。
「下級生から送っていって、上級生みんなが帰ることができたのってもう昼過ぎだったって言ってたよね」
 僕もこの時のことになにか言及したくて、そう口を挟んだ。今度は隆人に扮する昭人が恐るおそるという風に訊いてくる。
「あのさ。ここって、人が住んでるところにも熊が出てきたりするの」
 それにはきっぱりと僕が答えた。
「出る。珍しくない」
 倉橋さんも田川も、微笑みながら、そうそう出るんだよね、と相槌を打っている。双子二人の顔が引き攣った。見ていておかしなほど同じ瞬間に、シンクロして。
 そこで田川が補足する。
「でも、いつもじゃない。たまにだよ」
 そうだね、と言って双子以外の三人で笑っていたのだけど、双子は顔を見合わせるでもなく、表情を失くし青くなっている。倉橋さんが澄んだ声でふわりと踏み込む。
「昭人君たち、そんなに思いつめなくていいって。熊の目撃は多くても、人が襲われたことってこの町ではほとんど無いから。熊は熊で、人の気配がしないときに出てくるみたいだよ。目撃情報だってだいたいが車で通りかかった人からのものだって言うし。それでも怖い?」
「いや、そんな、怖いわけじゃないけど」
 隆人に扮する昭人が、本物の隆人のほうをちらりと見やって言ったのだけれど、まだまだ血の気が失われたままの表情なのだった。昭人がいくら取り繕おうと試みても、顔の筋肉はちぐはぐな動きにしかなっておらず、どうにも不細工な顔になって、見るに堪えなかった。
 双子が失ったのは血の気や表情だけではなく、いつもの対外的な態度もだった。「でも、嫌だよな」と昭人に扮する隆人が本物の昭人に向かって、青白い顔で呟く。
 あのとき廊下で、僕が双子の入れ替わりを見破って見せる前、双子が楽しくお喋りをしていたその彼らだけの自由を、僕は目撃していた。彼ら二人の間でしか現れることのないその屈託のなさと、陽気さと、そしてどこかに邪悪さの宿っている哄笑がそこにはあった。今、普段は上手く包み隠しているそんな双子の素顔の片鱗が、彼らが人前で片時も脱ぎ捨てることのない分厚い仮面に生じた、ごくわずかな亀裂の間から顔をのぞかせている。
 僕はそれを見逃さなかった。どう評価し判断するべきものなのかはよくわからなかったのだけれど、双子の性格とその関係の基礎的で裸の部分を、僕は心のシャッターでとらえたのだった。判断は後でよかった。その場面を覚えておきたかったのだ。双子の未知を解読するひとつの手がかりとしてなのかもしれない。好奇心がそうさせたのだと思う。
「あーっ! 嫌だ。大問題だな」
 荒れた調子で本物の昭人が吐き捨てる。倉橋さんは驚いて一歩後ろに退いたし、田川は目を丸くして昭人を凝視していた。本物の隆人はわずかに体面を保てていて、昭人をなだめながら、
「まあ、待てって。人の気配を察したら出てこないみたいだし、襲われた人もほとんどいないっていうし、安全なほうなんじゃないか?」
となんとか言ってのけていた。初めて、双子の性格の異なる部分を見た気がした。すると、これまでの双子のぴったり重なりあったような同一感が、とても奇妙で不健全なもののように感じられてきたのだった。
 お喋りはそんなところで終わっていった。気分の悪そうな双子と、彼らを心配して「ごめんね」と声をかける倉橋さん。忘れ物の漫画雑誌を机の中から取り出してカバンにしまうと、「それじゃ、帰るわ」と滑るように教室を出ていった田川。
 僕は双子に、
「気を付けるに越したことはないけど、それでもまあ実際大丈夫なものだぜ。そのうち慣れてくるし、そんなに考えすぎるな」
とフォローを入れた。乱れている双子の気持ちが元通りに落ち着くまでそこに居たかったのだけれど、部活の開始時間にだいぶ遅れてしまっているので、寄り添ってくれている倉橋さんにその場を任せることにして僕はいそいそと教室を出た。

 翌朝、教室に入ると田川が僕の登校を待っていた。食いついてくるようにして田川は言った。
「昨日言い忘れたんだけど、金森兄弟の見分け方ってあるんだよな、あいつらのベルトの色の違いがそうなんだよ。わかってたか」
 田川は誰かから又聞きしたようだ。田川ですら知っているようだと、同学年のほとんどにこの判別法は行き渡っているかもしれない。
「ああ。知ってたよ」
「実は倉橋さんから聞いていたんだ。倉橋さんは昨日、最後まで金森兄弟に付き合ったんだってな。けっこう親しくなれてよかったってさ」
「あの後、長く居たの」
「うん。いろいろ話したそうだ。素の金森兄弟を知ることができた、って言ってたよ」
 熊の行動範囲が人間の居住区域にまで及ぶことに驚いていた双子の、その分厚い仮面があのとき砕けて、そのまましばらく修復は無理だったのだろう。いっそのこと、この先、もうずっと素顔の双子でいればいい。
 田川はそこで僕に近寄り、声をひそめてこう言った。
「あのな。倉橋さん、A組の昭人が好きだって。付き合うらしい」
「そんな話にまでなってたのか。しかし、あんなに似ている双子の、同じクラスじゃないほうと付き合うのか」
「俺もそう思って倉橋さんに訊いたんだ。双子の違いってわかるのって。ベルトの色じゃなくて、性格的な違いや外見の違いがって」
「なんて言ってた?」
「なんとなく違うんだって。フィーリングの違いって言うのかな、って言ってた。漠然とした何かがあるんだろうな」
 唸ってしまった。倉橋さん、君が好きな昭人は、もともと同じクラスだった隆人なんだよ。フィーリングの違いなんてものは、おおよそ勘違いだ。
 そこへ双子が教室に入ってきた。おはよう、と挨拶を交わす。昨日は悪かったな、と僕が言うと、「いやいいよ、大丈夫だ」と返してきた。僕はすぐに気付く。その発音の淡白さに。紺のベルトをつけたその双子の一人は、入れ替わる前のもともとの隆人だった。意中の倉橋さんと付き合うことになって、入れ替わりを止めたんだな、と察せられた。倉橋さんと付き合うため、昭人は元のクラスに戻ったのだ。
「田川、ちょっと悪い」
そう言いながら、隆人の腕を引っ張って廊下に出る。
「元に戻ったのか」
 単刀直入に言った。
「どうしてすぐバレちゃうんだろうな。なかなかやるもんだな。でな、昨日話したかったのはその話だったんだ」
 薄く笑ったその表情には再び分厚い仮面が張り付いているのが僕には見えた。さすがに一晩経ったことで隆人は自分を取り戻したのだ。双子にとって、自分を取り戻すということは、仮面を修復したことにあたる。僕は、また君らとの距離は元通りか、と気怠さを覚えながら言った。
「昭人の目的が達成されたからか。彼女のほうからも好かれるなんて運がよかったな」
「まあ、昭人はな」
 隆人はそう低い声のトーンで返してきた後、もっと小さな声で、良いんだか悪いんだか、と唾を吐き捨てるみたいに言うのだった。そのときの隆人の表情には怖気立つものがあった。
 不気味で、影とでも表現するほかにはないようなものが色濃く射しこんでいたのだ。僕は目を逸らせばその影に襲いかかられるような感覚に捕らわれてしまい、本意ではなかったのだけれど、相当の無理をしながら隆人の表情を見つめ続け、対峙した。そうしなければ、よく掴みきれない何者かに倒されてしまうと本気で思った。
 目を逸らすこと。それは一勝負の内の簡単な一つの負けという意味を持つのではなくて、今後の人生を大きく揺るがすくらいの深い敗北を意味し、僕はその瀬戸際にあるように感じていたのだ。そんな重大な敗北の烙印を押されてしまう危機にあるような気がして、隆人から目を離すことができなくなった。まるでしがみつきでもするような気持ちだ。
 とても強烈な危機感の中にあったのだ。うまく説明し難いのだけれど、生き方が開かれていないことでうまく排出できなかったエネルギーが、意図しないなにがしかの反応を経て変容したものによる圧迫なのかもしれなかった。僕は自分がゆらゆらと頼り気のない存在に変わるのを感じた。
 しばらく無言のままその場に立ち尽くしていると、昭人が歩いてきた。僕はこれならば敗北せずに隆人から自然に視線を外せるチャンスだと自身を奮い立たせ、堂々とした態度に見えるように虚勢を張りつつ、わずかにわなないてしまう目の焦点を昭人へと移行させる。そして、やっとのことで言った。
「昭人、好かったな。でも、彼女が好きなのは逆の双子の方だよな」
 両足が廊下を踏みしめる。声はかすれてしまった。昭人は、ふん、と鼻を鳴らす。
「遠くから眺めているっていうその距離感の違いで、恋心なんてものは変わるものだ」
 それを受けて、隆人が言う。そんなものさ、と。
 昭人が続ける。別にいいじゃないか、と。
 僕は揺れる心の内で、双子の言葉を復唱した。そんなものさ、別にいいじゃないか。
 短いやり取りの間に、隆人の顔に射し込んだ恐ろしい影は、昭人のほうにも現れていた。
 ほんとうは、双子は倉橋さんに気づいて欲しかったのではないだろうか。入れ替わっていたことに。ほんとうの双子の、それぞれの存在に。

 そのときからずっと、中学を卒業して離ればなれになるまで、双子の表情からその影が消えることはなかった。彼らとはその後、一度も再会していないし、噂も聞かない。僕が同窓生のその後の動向についての興味が薄く、まるで詮索しないタイプだからという理由もある。
 倉橋さんは幸せだろうか、とふと思った。続けて、あの双子は、と彼らを思い浮かべると、残念だけれどおそらく幸せではないのではないかと思えた。


 テレビ画面のめまぐるしい明暗の入れ替わりに引き摺られるように、照明を落としたままの部屋は明るくなったり真っ暗になったりを繰り返していた。ぼんやり眺めていたニュース番組への集中力が戻ってくる。双子のボクサーの特集がちょうど終わった頃だった。
 双子のボクサーは一卵性であっても、髪形は違うし、体の筋肉のつき方もなんとなく異なって見えた。お互いがお互いとは違うということを当たり前の事として踏まえている、というか、磁石の同じ極同士の反発のように自然と心理的に離れていった結果としての、その姿なのかもしれなかった。
 彼らは生まれたときから、良くも悪くも自分ととても近しい他者をごく身近に持っていた。協力しあうことも少なからずあっただろうけれど、でも自分が自分になるためには、お互いがお互いを遠ざけたい気持ちのほうも強くあったのではないだろうか。
 一卵性双生児のボクサーたち、彼らのその見た目からでも窺える違いは、健康的な格闘の果てとしてのものなのだと思う。結果として同じボクサーにはなったけれど、それは二人が全く同じ道を進もうと決めたのではなくて、生来、見てきたものや触れてきたものが同じものばかりだったせいかもしれない。
 でも、譲れない何かが、彼らの見た目からしても、はっきりわかるくらいにそれぞれを変化させたのではないだろうか。彼らは二人だけで閉じてはいない。
 僕の知るあの中学時代の双子は、あの後、ボクサーたちのように健康的な過程を踏んだだろうか。僕にはそうは思えなかった。あの時、あの表情に射した険しい影は、もはや刻まれてしまった段階としてのものだった。双子のとった行動を是とするあのどす黒い影から逃れるだけの覚悟と忍耐と勇気を、あの双子が持ち合わせていたようにはどうしても思えない。どこかで覚悟や忍耐や勇気といった資質を育まなければ、あるいは誰かからもたらされなければ、あの影から逃れるための格闘の第1ラウンドにすら望むことはできやしない。
 どう楽観的に解釈しようとしても、彼ら双子が、今この時に幸せの内に生きていると想像することは、今の僕には無理だった。なんというか、厚く垂れこめた暗雲の重苦しさがあの双子に重なってしまうのだ。思い浮かべる双子はいつも暗い曇天の下にいて、僕に背を向けて立っていた。僕は彼らの名前を呼んで振り返らせてみようかどうか迷いはすれども、たぶん声をかけることはしない。振り返らせて目の当たりにする双子のあの表情に射した恐ろしい影が、きっとさらに彼らの顔の内部深くにまで刻み込まれ、見る者に戦慄という感情を呼び覚ましてくる深い傷跡のようになっているに違いないという確信が座り込んでいるから。どうしたって僕には見るに耐え難い姿をしているだろうからだ。
 いや、待てよ、きっと思い過ごしなんだ、そうに違いない。僕はそのとき、ふと生れ出た「思い過ごし」という観念を無理やりにでも活かすべく、それを飲み込もうとする。難儀してでも飲み込んでやろうとする。幸運というきっかけを双子が掴み取っていないとは限らないからだ。その可能性は、それほど小さなものではないだろう。
 思い過ごしだ、思い過ごしだ、思い過ごしだ、思い過ごしだ。なんども飲み込む努力をする。
 思い過ごしだ、思い過ごしだ、思い過ごしだ、思い過ごしだ、思い過ごしだ。この言葉が馴染むまで、何度でも、何度でも。
 ほとんど確実に、そのほうがみんな、そう、ほんとうにみんなが救われるのだから。
 双子は分厚い仮面を被っていた? 思い過ごしだ。
 双子は双子だけの間だけで閉じていて、外には開かれていなかった? 思い過ごしだ。
 双子は、僕に案じられるような不幸な人たちだった? 思い過ごしだ。
 僕は、わかりやすいくらいにはっきりと双子を、つまり隆人と昭人とを区別して接してやるべきだったのだろうか? 思い過ごしだ。
 僕は一体、双子にどうなって欲しかったのだ?
 僕は、双子をどうしたかったのだ?
 僕は、双子の何をわかっていたというのだ?

 テレビを消し、扇風機も停めた。人工の音たちが消え去り、真っ暗になった部屋に侵入し続ける外からの虫の声だけがある。それは心の糸を爪弾くようにやけに切なさを掻き立ててくる。
 僕の口から自然と零れ出たため息が、不快なほど生ぬるい。居たたまれないくらいの、不快な生ぬるさだった。そんなやるせなさを倍加させるように、見上げる月だって、今夜は無いのだった。

(了)
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いじめる側の人をマイノリティとしてケアすること。

2023-02-10 00:26:23 | 考えの切れ端
いじめた側よりもいじめられた側をカウンセリングしたり配置転換や転校をさせたり、働きかけるのはいつもいじめられた側だったりする。いじめた側は「ごめんなさい」とちょっとめそめそしたら「次、またやったらもっと罰があるぞ」くらいで終わる。いじめた側へのケアがないのだ。

人をいじめてもケアされずに大人になって社会に出て、という流れがずっと続いているのだと思う。大昔から連綿と。そうやって大人になった人たちが是認される仕組みの社会だから、パワハラなどのハラスメントが多発するのではないだろうか。

それは強さとはどういうものかという問いへの勘違いからきている。というか、あまりにも当たり前だから前提を疑う空隙すらなく勘違いしている。なぜって、いじめる側から大人になっていった人たちに重心が置かれた社会だから。

いじめる側のほうがマイノリティになってしまう社会のほうがまだ本当じゃないかな(とはいえ、そういう真っ当な社会ならば、時間と労力をかけていじめた側をケアして、マジョリティに復帰させるでしょう)。重心が違うんです。あべこべのようだけど、現状こそがあべこべ。ゆえに苦しむ人が多いのでは?

以前読んだ本(岩波ジュニア新書だったと思います)に、北欧の国々などでは、いじめられた側よりもいじめた側の心に問題があると判断してケアするとありました。社会を作っていくのは、人をいじめるくらいの腕っぷしの強い(そしてアクの強い)人たちじゃないといけない、みたいな精神的マッチョを基盤とするのが常識のようになって強い風潮を作り出していたりしませんか。

そうやって出来上がった社会は、言うまでもなく、人にやさしくはならないです。他者をいじめてもケアされることのなかったために、自身に大きな問題を抱えたままでいて、しかしながら自分では解決できず、そのまま生活し続けてそのために他者によくない影響を与えてしまう人たちが、おそらくマジョリティなんだと思います。

それなりに多くの人々が、社会の足元の「前提」に対してまず疑問を持って、本当だったならそうじゃないはずという自覚ができると、生きづらさは少しずつ緩まると思います。

政治の出番はそれからな気もするんですが、どうでしょうか?
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修行なのだけど本番のような執筆。

2023-02-07 21:32:04 | days
昨年の12月に続いて、先月末からまた短い原稿に取り組んでいます。

100枚だとか150枚だとかのある程度まとまった原稿に取り組む前に、執筆に慣れていこうというのが目的と言いますか。書きながら書きながら調子を上げていこうという算段なのでした。やっぱり、一つ書いてみると「こういうところがちょっとまずいのかな」だとか、アップしても反応を頂けないと「出来自体の質だろうか」だとか、いろいろ考える種が得られます。間隔が空くとよくわからなくなったりもするので、ちょこちょことまるで愛用の刃先を研ぐかのように小説脳の手入れをするみたいにそういった脳の部位を使っていった方がよさげです。

そのぶん、読書が追い付いていきませんが、現在は3冊並行読みをしていて、まあひと月に読む冊数はこれまでと変わらないような気がします。

で、現在の原稿。原稿は当初予定の20枚を超えてなお、「もうちょっとだけ続くのじゃ」状態。「STAY GOLD」なんて言葉がありますが、この原稿はGOLDな気がしています。でも、GOLDなようでいてOLDだったりもしがちですからね。目を光らせないと、です。

筆力がなければアイデアは生かせません。これまではずっとリアリティだとかリーダビリティだとか表現力だとかの筆力を磨くことを重視していました。多少難しめのアイデアでも作品として成就できる筆力が欲しかったからです。そろそろ、アイデアのほうも今までよりも練ってみてよいのではと考えています。たぶん、文章はついていけます。

今回執筆中の原稿はどこにも応募しません。そういう原稿を書くのは久しぶりです。なんだかんだと毎度どこかに応募してきましたから。

仕上がったら、本ブログとnoteにアップする予定ですので、どうか読んでくださるとうれしいです。
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