Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

世界バレー・アルジェリア戦

2010-10-31 20:52:26 | スポーツ
いやー、女子のバレーボール面白いですねー。
今日の、アフリカ女王のアルジェリア戦も素晴らしい強さで
日本はストレート勝ちしました。
おめでとう!

今日のヒロインは”リオ”こと迫田選手でしたね。
スピード感、しなやかさ、キレ、そういった言葉を合わせると似合うような、
決定力のあるアタックを打ち込んでいました。
いいですね~、日本女子、いろいろな駒がそろっています。
今日は出場しませんでしたが、山口選手たちもいますし、
世界の一線級のチームにぶちあたっていく上での、
「これはどうだ!」「じゃぁこれは!」っていう
カードの枚数の多さが楽しみです。層が厚いです。

そして、不動のセッター竹下選手に代わって、
中道選手が第3セットでセッターを見事に務めあげていました。
若干、アタックまでに余裕のあるトスに見受けられるのが数本ありましたが、
その数本はすべて得点しましたので、オーライでしたよね。
でも、目指すバレーは竹下選手のあげるギリギリのトスからの
ハイスピードの攻撃でしょうから、
そこは満足しないで精進していってくれるでしょうね。
そうはいっても、今日の結果は素晴らしかったです。

…、とか、なんとなくえらそな意見をぶちまけている僕ですが、
彼女たちの一つ一つのプレーに胸躍らせて見ていますからね、
多感な10代なみにきらきらした目で見ていますよ~、…って気持ち悪いね!

気を抜くことなく、それでいて気を張り詰め過ぎることなく、
次戦を戦ってほしいです。
どうなんだろう、選手のコンディションのピークはまだ先を見据えての
プレーなんだと思うんですけど。
第二ラウンドあたりでってことを計算しているんじゃないのかなー。
そうすると、まだまだスゴイプレーをみられそうです。
選手のコンディションとともに、チームの熟成ってものもあるでしょうしね。
いろいろなオプションがあってめまぐるしいバレーです。

がんばってね~。

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世界バレー・ペルー戦

2010-10-30 21:36:34 | スポーツ
女子世界バレーの第2戦、
ペルー戦はセットカウント3-1で日本の勝利でした。
おめでとう!みんな良い笑顔ですよねー、
見ていてこっちも120%嬉しくなっちゃう。

昨日のポーランド戦は0-2の3セット目から見始めて、
あれよあれよとフルセットまでもっていって逆転勝利しましたよね。
すごかったですよ、特にその精神力と体力のタフさ。

いつもそのシルエットの美しさにハっとさせられる栗原恵選手も、
ひざの手術後でまだ本調子ではないのか、スタメンではありませんが、
僕が見ていた時間帯ではかなりコート内に立っていて、得点も決めていました。
今日はちょうど、何かのCMで栗原選手を大々的に扱っているのを見ましたが、
メグカナ旋風を起こした当時の黒髪の初々しい栗原選手がかわいかったですね~。
かわいい女の子が戦う素敵なお姉さんに成長したんですな。
これからも頑張って欲しいし、怪我には見舞われないよう、選手としての幸運が
訪れればいいなって思います。
ま、それは、どの選手にもそうですけどね。
狩野舞子選手や大山加奈選手は怪我に泣いて引退してしまいましたが、
できることならば、みんな、テレビゲームみたいに「怪我はなし」という条件で
精一杯プレーした上で切磋琢磨してほしいものです。
…、無理だけどねぇ、それは。プレースタイルによって、腰に負担がかかったり
ひざに負担がかかったりってあるようですからね、その怪我を気にして、その選手の
良い所が消えるっていう場合もあるのでしょう。
諸刃の刃だなぁ。

さてさて、今日のペルー戦。昨日の試合もそうでしたが、
なんだか1年ぶりくらいに女子バレーの試合をみるせいか、
見どころがよくわからなくなっています。
今日の試合でいえば、山口選手がするすると絶妙のタイミングで
アタックを決めていたのが印象的でしたが、
もはやバンチリードブロックシステムのなんたるかなどはわかりません。
男子のバレーに近いスピードのバレーをやるっていうことも
情報としてはわかるのですが、プレーの中からはよくわかりません。
バックアタックが速いとか、トスが早いとかあるのでしょうが、
アメリカとか中国とかの一流どころと対戦してそれがどれくらい通用するものなのかが
わからないと見えてこないような気がします。
あ、これは、チームの問題ではないですよ、見ている僕の「バレー観戦眼」の問題です。

そうそう、山本(旧姓・大友)愛選手が全日本に復帰しています。
結婚して引退したときには、OGからいろいろ文句を言われていたような記事を読んだ
記憶がありますが、またこのレベルまで自分を高めてカムバックしたってことで、
「これでどうよ!」と胸を張れることだと思います。
毎試合、出し切って欲しいですね。
また、ベンチに荒木選手や栗原選手がいるのも頼もしいんですよ。
彼女らが温存されていると、
スペードのエースがまだ残されているんだぞっていう感覚になったりします。
まぁ、スタメンの選手が力で劣ることはないんですが。

ともあれ、明日も応援しながらテレビ観戦したいです。
がんばれ~、女子~。

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宇多田ヒカルノ件

2010-10-28 20:42:06 | days
宇多田ヒカルちゃんのUTADA名義のベストアルバムのリリースに関する
彼女自身のTwitter・WEBでの発言が物議を醸しましたね。
以下、WEBでのメッセージ。

宇多田ヒカル「今の気持ち」

この発言を取り上げたマスコミは、
「不買運動」として大きく報じました。
大きく報じたというよりは、趣味悪く面白がってといったほうが読み手としての気持ちにあっていそう。
なぜなら、そこに、ヒカルちゃんの発言のニュアンスを無視して、
記者がたぶん意図的に、客観性を欠き、焦点をずらした解釈をして記事にしているからです。

「不買運動」などとマスコミに標榜されると、
まるで、ヒカルちゃんが、「買っちゃダメです」と強く商品を否定しているかのよう。
たしかに、ヒカルちゃんのメッセを読むと、

>Utada名義の過去作品を持っている人は、そのbestは買う必要は無いよ、と言いたい。

とキッパリおっしゃっています。
間違ってはいませんが、
これが「筆者の最も言いたい主張はどこでしょう」という試験で、
受験者が「不買運動」と指摘したら、その人は0点です。
ま、国語の試験はね、日本語は難しいし、解釈もいろいろなんですが、
ヒカルちゃんがもっとも言いたいところはそこじゃないっていうのは、
読みとらなくちゃいけないです。
そしてそして、ここに、先ほども書いた、
「客観性を欠き、焦点をずらした解釈」であるポイントがあります。

さきほどの引用の、そのすぐ前の部分が大事なことは多くの人が気付かれたでしょう。

>"Utada the best"は私の意志とは無関係のリリースです。新しい素材も入っていないし、
>心のこもっていない「商品」です。売れなかったら落ち目だとか叩かれるのは私だけど、
>正直、ファンにお金を出させるのは心苦しい。

マスコミよ、取り上げるならば、ここを取り上げよ。
それができないから、マスコミは死に体である側面を持っているのでしょうが…。

さらに引用すると、
>でここにきて急に、英語でUtada名義でやってきたUniversalから"Utada the best"なるものが出ると
>聞かされました。なんと、同じ発売日にぶつけてきたの。宇多田ヒカルのシンコレ2の発売に、
>便乗するという商法です。

レコード会社がセリフをしゃべるとすれば、こうなりそうなイメージが湧きます。
「黙ってリリースされておきなさい、そうすれば会社も音楽家であるあなたも儲かるのだから」。
黙っていることがYESになってしまう構造なんですね。これが黙っていればNOで、
いちいち音楽家に対して許可を求めなければいけないのならば、こうした事態にはならない。

しかし、ヒカルちゃんは、レコード会社による音楽家の沈黙を利用する商法を黙認せず、
ファンには音楽家だから上から目線なんてとんでもなく、同じ人間として同じ目線で言葉を投げてくれて、
その姿勢はもっともだし立派でした。疑問も持たなかったアンフェアさにメスを入れてくれたメッセージです。

さらに、ヒカルちゃんは、発売日をぶつけてきたのは失礼だけど、
もっとファンが喜ぶように内容をよくしたらどうかだとか、
発売日をずらせないか、とか、予期せぬベスト盤の発売をできるだけ容認できる方向へもっていこうと
働きかけているその行動は見逃せません。

それらのことを中心として、マスコミは記事にしない。
それに、黙ってリリースされて、売れればヒカルちゃんの儲けになるのに
異を唱えて損をする方向にもっていってしまいましたねっていう報道はありましたでしょうか?
きっと無かったと思います。

僕はこの出来事の焦点はそこにあると思います。
決して、「不買運動」が中心をなして語られるべきではない。
音楽家が音楽を作って、代金を頂きながらそれを個人に届けるということ。
宇多田ヒカルという人は、音楽の受け手を大切にして、
受け手の人たちが意に反する(というか、目隠しでもされたような状態での)
搾取の対象には是が非でもしたくない人だ、というのがよくわかりましたよね。

一方、レコード会社は音楽を商品として利益をあげなければいけない、商売。
そこは単純な、「作った」「売った」の世界なのかもしれない。
当たり前ですが、レコード会社が、想いを込めて作品を作り上げることはできませんね、
ミュージシャンたちがそれをやる。そういうところにも温度差はあるのでしょうか。

そう考えると、今回の「宇多田ヒカルの不買運動」という記事の書かれ方で、
名前をだされて損をしているのはやはりヒカルちゃんなのです。
「宇多田ヒカルの不買運動」なる文脈が成り立つのは、レコード会社に主語を置いた、
今回の騒動の捉え方だからです。

マスコミの記事を読む人は宇多田ヒカルを主語に置いた記事に興味があるはずですが、
そこでは、宇多田ヒカルの名前を第一に使いながらも、記事の焦点の当て方としては
レコード会社を隠れ主語にして書かれています。

だからきっと、今回のマスコミの記事を読んでみて、
「なんかおかしい」と感じた人は多かったと思うんですよね。
恥ずかしながら僕は最初、さらっと読んでしまったほうですが…。

つまり、宇多田ヒカルを本当の主語にした記事を読んでいるつもりの人は、
そこに、「客観性を欠き、焦点をずらした解釈」の記事を見つけることになるのでした。
ヒカルちゃんを客観的に見るどころか、レコード会社の主観にのっとって
記事が書かれていますからね。

それはそれですよ、マスコミも長いものに巻かれるタイプなんですよ。
宇多田ヒカル個人と彼女の事務所よりも、
レコード会社一社どころかこの問題は音楽業界の体質にも繋がっているものなので、
レコード会社のほうが「巻かれるべき長いもの」にあたるのでしょう。

というわけでですね、誰にも頼まれていない、
宇多田ヒカルちゃんの今回の発言の解説をやってしまいました。
そんなのやるなって怒られそう…。

それにしても、ツイッターを読んでいたら、糸井重里さんが『ほぼ日』のクルーに「間違って」就職
しないかな、みたいなことをつぶやいてらして、それに端を発したヒカルちゃんたちとのやりとりが
微笑ましかったですね。なんでも、糸井さんのところにヒカルちゃんが見学にいくかもしれないという
ところに話が運んでいます。って、おいら、なんでこんな話までしているのだろう。
いやね、普段べつべつに好いていたモノ同士がくっつくのってエキサイティングなんですよ。
嬉しくて嬉しくて、ほほほ。

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犬モ食ワナイ

2010-10-24 18:40:28 | 考えの切れ端
小さい頃、両親がケンカしているときには、
僕は彼らの視野の外に逃れていようと努力したものでした。

いや、それよりも幼い頃だったら、「なにけんかしてるんだろー」
とばかり、面白がってケンカ見物をしていたように思います。
親も、そんな僕をかまって、「どうする?パパの味方をするのか、ママの味方をするのか」
などと、自分の立場を優勢にするがために、
そしてこういう機会に子どもがどちらを好いているのかを
確かめておこうとばかりに尋ねてきたものでした。
むろん、僕は、思わせぶりにどっちつかずを演じたり、その逆をしたり楽しんでいました。
子どもながらに本心は見せなかったです。そこが頭の良い所というか、…タヌキ。

今述べたような、本当に小さかった頃は抜きにして、
両親の視野に入らないようにした頃の、僕の気持ちって一体なんだったのかなぁ。
いい加減、ケンカってものの醜さもさることながら、
「夫婦喧嘩は犬も食わない」と呼ばれるその本質が見えてきたのでしょうか。
やるだけやってすっきりすればいい、程度の気持ちだったのか。
まぁ、詳しいことは覚えていないのです。

でも、これは覚えているなぁというのがあります。
両親がケンカをやらかした翌日だったでしょうか、不機嫌なおふくろが、
親父と結婚しなければよかった、と僕の前でこぼすのでした。
それで、僕と二人だったらいいのになんて言いましたけれど、
それ以前に、親父とおふくろが結婚しなければ、
僕は生まれなかったわけで、それじゃ、僕はいなくてもかまわかったの?
という問いに結びついていくわけです。
これはねぇ、小学生の真ん中以前の年齢の僕にしてみれば、
元気をなくす親の態度・言動でしたよ。
今の小学生なんかはもっと醒めていて、親子関係をドライに捉えているのかなぁ、とも
思ったりもしましたが、やっぱりそんな人間の、いや子どもの本質がそう変わるものでは
ないでしょうから、現代の醒めた子供も、そういった切ない経験をしているものだと
みなすべきかもしれないです。

それに、もう一つ、親のケンカや不仲による子どもへのマイナスの影響として、
へんに親が子供にべったりになるという傾向が生まれてきませんかねぇ。
不仲なときには、不自然な感じでそんな傾向も時としてみられましたが、
それはそれで、親同士のあてつけめいたいつわりの愛情ですからね、
子どもとしても、その偽り加減を感じとって空虚な気持ちが心の片隅に生まれるものです。
子どもに対する一番の教育は、親同士の仲がいいことだなんて、何かで読みましたけれど、
ほんと、そうだよなぁ、って振り返ってみると納得できます。
仲のいい親の子どもだったら、少々ほったらかしておかれても、心は暖かいでしょう。
それに、ほったらかしておかれることで、自立心というか、自分を律する思考回路が生まれそう。
なぜなら、干渉されない自分だけの世界というものに住むことになって、
そこでは自分のしたことに対して自分で責任を取らなければいけないから。
「こうなると、こうなる」っていう世界の常識や原理が、親の干渉という混じり気を帯びずに
子どもの経験につながっていきますよね。

それともう一つ、親がケンカしてどうこうっていうのも、親父と結婚しなければよかったというのも、
あまりにそれは、子どもを脇役にしてしまう行為だなぁと思うのです。
まぁ、子どもも、「いつも自分が世界の主役」ではロクな人間になりませんけれど、
ここぞというときに脇役に押しのけられると、
ここぞというときに萎える人間になりそうな気がするんですよね。
あくまで、これは「気がする」ってことですので。

と、ここでお風呂が空いたので、入浴してきます。
それでは。

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『イチロー・インタヴューズ』

2010-10-20 23:26:34 | 読書。
読書。
『イチロー・インタヴューズ』 石田雄太
を読んだ。

2000年10月13日のオリックスでの最終戦から始まる、
野球選手・イチローの、メジャーリーグを歩んだ10年の記録を
本人の言葉を軸として綴られた本です。
ほぼ、雑誌『Number』から、ときどき『文芸春秋』からの記事を
編集して作られています。

面白い本でした。
メジャーに行っても、つねに三割を打ち、200本安打を越えるイチロー選手。
そんな成績の中でも、波があります。262本安打の世界新記録を達成したシーズンもあれば、
200本をやっと達成したシーズンもある。
数字からだと、その成績はただの揺らぎにしか見えないのですが、
この本を読むと、そこに血の通ったイチロー選手の向上と苦悩と戦いが見えてきます。
常に向上していきながら、壁にぶち当たっているのです。自分をUpdateしながら、
さらにまた不具合がみつかったりする。
だから、同じことをし続けて、成績に揺らぎがあるというわけではないことがわかります。
日本で7年連続首位打者を達成し、メジャーに行ってから10年連続でさらに記録を更新中の年間200安打という
記録を成し遂げているということで、「イチローは変わらない」という印象を持ちがちですが、
「イチローは変わり続けている」のが本当のところなんですねぇ。
そういうのを知っておくことで、たとえば何か数字を見た時に、その裏には何かがあるのだという思考が
働く契機になるかもしれないですし、そういうイメージ力って大切な気もします。

そして、「期待」というものに、
僕は少しネガティブなイメージを持っていたのですけれど、
イチローさんのようなスポーツ選手になると、
そういう他人からの期待に応えることもいとわないところがありますね。
僕なんかだと、「えぇい、期待するな、萎える」という気持ちも少しあるんですよね。
だけど、そういうのがないですよねぇ、実はあるのかもしれないけど。

期待の種類にもよるのかもしれません。
「ホームランを打って欲しい」「年間200安打を達成してほしい」
「大臣になって欲しい」「地区大会で優勝してほしい」などなど
こういった種類の期待は、大きな目標と重なっていたりします。
「私のことを好きになって欲しい」「もう少し身体を鍛えて筋肉質になってほしい」
「髪を伸ばしてほしい」「無口でいて欲しい」
こういうのは価値観の押しつけの範囲内で終わってしまう期待です。
期待される側と利害が一致しません。
「一塁を蹴って二塁へ向かう時に手をぐるぐる回してほしい」「打席に立つときにカメラ目線を送って欲しい」
とか野球に例えるとそんな感じの、どうしようもない「期待」になるでしょうね。
でも、人はこういう種類の期待を求めるものなんです。
例えば「KY」なんていう「空気を読めない」という悪口も、
空気を読めという一方的な期待を裏切られたことによる愚痴を正当化したような程度のもの
なんじゃないでしょうか。
話が逸れました。

また、満足感についての発言には興味深いものがありました。
イチロー選手は、満足感を否定しないそうです。
一方で、作家の村上龍さんや中田英寿さんは、満足しないことを一流の条件に掲げていたと思います。
こうやって、意見が割れると、「こちら立てればあちらが立たぬ」ことになります。
ただ、僕が思うに、満足感を持つことが大事なのは、勝負師の心のあり方に通じるんですよね。
より勝負師に近いのが、中田英寿さんや村上龍さんではなくてイチローさんなんじゃないでしょうか。
なぜ、勝負師という名前がでてきたかといえば、ギャンブルをするときに、満足感が必要なのを思い出したからです。
いつまでも満足せずに、賭け続けるのは野暮です。それは、負けるまでやるっていうことで、
最終的に必ず負けます。勝ったところで満足してきりあげることが、勝負師には必要になるのです。
イチローさんの発言には、この他にも、ギャンブルに通じるものがあったように、僕なんかには読めました。
まぁ、ずっと満足し続けるとバカをみますから、一時的に満足することは良いことだ、と
イチロー選手的には解釈できます。

それと、チームのためにプレーするか、自分のためにプレーするかという二者択一の
どちらをイチロー選手は選んでいるかというところも興味深い所でしたし、
僕も真似しようと思いましたね。真似するというか、それでいいんですよねーという感じ。
どっちをイチロー選手が選んでいるかは、この本を読んで回答を得てください。
とかって、Webで検索すればでてくるかなー、ははは。

ほんと、こんなすごい選手が同時代に活躍しているのって、ものすごいことですよ。
イチローさんとは友達になってみたいけど、僕がもっとしっかりしないと話にならないな
なんて空想しました。
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プライド

2010-10-17 00:14:38 | 考えの切れ端
もしかすると珍しいのかもしれませんが、
子どもの頃の僕と、多くの同級生たちが当時憎んでいたものの一つは、
「プライド」でした。

いったい、プライドに対してどういった見え方がして、
嫌い、憎みさえするようになったのでしょうか。
その起点になった時期は、小学校中学年にあります。

「あの人、個人主義よね」と、別行動を取りがちな、ある個人をやんわりと
中傷する話がささやかれるのを聞きました。

球技などが強いクラスは、「あの学級ってまとまりが良いわよね」
と、うらやましがるような口調で語られるのを聞きました。

両者を結びつけると、
まとまりのある学級というのは、スポーツにも強く、
先生にも保護者にも褒められ、良い子の集まりとされる。
そんなまとまりのある学級を乱すのが、個人的な行動を取る人。
自分の意見というものを持っていて、たやすく妥協しないし、
人によっては団体行動を嫌うものもいるし、孤独を好くものもいる。
そういう個人主義は良くないね、みんな一緒にまとまるのがいいね、
というのが、その頃つまり小学校中学年の頃の集団としての有利な形勢でした。

そして、個人主義からそう遠くない位置にプライドというものが存在し、
それが邪魔なんだということになるのです。
みんな仲良くまとまることを志向すると、個人の持つプライドというものは、
とてもくだらなく、滑稽で、自分で自分を束縛する足かせのように見えてきます。
だから、「そんなプライドなんか持って、バッカじゃんねー」ということになります。

まだ、自我というものと面と向かって語りあう前の子どもです。
自分の考えに沿って、失敗しても良いから何かをやってみようという心意気に
欠ける子どもたちだったのかもしれません。
ただただ、するすると、成功への道を歩めればいい、そんなずるずるとした感覚でいたのかもしれない。

そして成功体験をまだ知らない子が多かったのでしょう。
「こういう努力をしてこういう成功を得ることができた」という経験が、
自分の中にプライドを形成する。
もちろん、そういう理由だけではありませんよね。
倫理上の信念、清潔さ、そういったものもプライドを形成するでしょう。

むろん、挫折というものも人を孤独にし、個人主義に向かわせる傾向もあるでしょう。
なぜならば、挫折は、より多くの自分への問いかけを必要とするものになるだろうからです。
自己修復に必要な自分への問いかけによって、思考力は鍛えられ、独自性が生まれ、
これもある種のプライド的役割を持つものが心に生まれて、個人主義の色を濃くする場合が
あるのではないかと推測します。

お気づきかと思いますが、僕の子ども時代の「まとまりの良い学級」を目指す考えは、
世の中をわかっていないし、とてもアンバランスで危険な「全体主義」に結びつくものです。
その後、ほぼ同じメンバーでそのまま進学した公立の中学校では、学級崩壊をやらかします。
「まとまりの良い学級」を目指す、没個性の考え方の裏返しの形が、学級崩壊だったと、
論理だてて考えていはいませんが、繋がるものだと直感しています。

僕らは、忠実な番犬が不審者を憎むように、プライドを憎み、吠えたてさえしました。
世界中のすべてのケンカ、争いの種がプライドにあるとすら踏んでいました。
プライドというものが存在しなかったら、どんなに幸せで平和な世の中になるだろう、
そう考えていました。
生存競争を知らない、資本主義の競争社会を知らない愚かな子どもだったのでした。

その後、いつから、僕はプライドを持つようになったのだろう。
個人主義へ傾倒していったのだろう。
それはまた別の機会にお話するかもしれません。

個人主義とはいっても、自分を特別視しない個人主義が好ましいですね。
俺は天才だとか、そういった思い込みからくるプライドは、今になっても嫌悪します。

同じく、今でも憎んでしまいそうなプライドにこういうのがあるんです。
実はこれを言いたくて、今までのは全部前フリのつもりでしたが、長くなりましたし、
本論よりも立派になってしまいました。
プライドというものが、成功体験、努力などから育まれるという一面を持っていますが、
たとえばその成功体験がパチンコとか競馬とかのギャンブルだけだったらどうだろう、と思ったんです。

「あの青年はやけに堂々としていてプライドが高そうだ。
だけど、話をしてみると、一家言あるようで無いのだが、一体なんなんだ」
そう思って、彼の話をじっくりとより深く聴いてみると、ギャンブルばかりしていて、
その自慢話ばかり飛び出すようになる。
つまり、運任せのギャンブルの成功体験でのみ形成された自信だった…。

とまぁ、実際にそういう人に会ったことはありませんが、
自分がそうなったらイヤだよなぁなんて思いました。
やけに気高かったりしたら笑えますけどね。

話は戻りますが、個人主義も、個人主義だけでひっそりやっていては面白くないのです。
それはそれ、個人個人のちょっとした結びつきがあると良いですね。
個人主義を阻害しないまとまりっていうものが出来るのならば、
そういう集団は頑丈だなぁというイメージが湧きます。
職場も学校も遊び仲間も、そういう繋がりの人間関係っていいですね。


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『陽気なギャングが地球を回す』

2010-10-13 22:56:55 | 読書。
読書。
『陽気なギャングが地球を回す』 伊坂幸太郎
を読んだ。

伊坂さんの作品を読むのはこれで3つ目です。
面白いし読みやすい。

会話が洒脱。文章がこなれている。
展開がよどみない。ストーリー・伏線を計算されつくしている。

今はどうなのかはわかりませんが、解説を読むと、この初期の頃の伊坂さんは
すごく時間をかけて、練って練って、
書き直して書き直して、一つの作品を仕上げるそうです。

天才が努力したらかなわない…というのは、
漫画『YAWARA!』の主人公に対する誰かのセリフでしたが、
この伊坂さんの姿勢っていうものは、どうなんだろう、
自分は大したことが無いから出来うる限りのことをし尽くさねば
及第点をもらえる作品は産みだせない、って考えてらっしゃるのだろうかなぁ、
なんて、相当に失礼ながらも想像してみました。

これまでに読んだ『ラッシュライフ』『オーデュボンの祈り』もそうでしたが、
やるだけことをやっているなぁっていう印象を強く感じるんです。
考えて、考え直して、構築し直して、みたいなことを鉄の意思でやっている。
なのに、軽妙な文体、会話文は損なわれず、機知にとんだ一文はキラリと光っている。
石頭じゃないなーこの人はってわかりますよね。
石頭じゃなくても、ゲルマン民族のごときプッシュ力は発揮できるものなのだなぁ。

作品の面白さはそれこそ、拍手を送りたいくらい素晴らしいものなのですが、
この全霊を傾けるスタンスってものが、また気持ち良いじゃないですか。
伊坂さんの作品が多く読まれる理由の一つに、この愚直さってあると思いますよ。
すっきりとした完成の仕方に特にその愚直さを感じますね。
とはいえ、まだ初期の作品しか知りませんので、これからいろいろ読んでいって
どう感じ方が変わるか、どういった作品に出会えるかがすごく楽しみです。

さて、まるでおまけになってしまった今作の感想です。
銀行強盗をする4人組が主人公です。
いわゆる「ギャング」と違って、しゃれっ気があってユーモアがあって
けんかっ早くなくて、それなりに真剣なのが彼らでした。
こういう友達がいたら楽しいだろうな、そんな気持ちにもなりました。
また、説得力のあるアフォリズムが各所に出現します。
寸言っていうんですかね、そういうのが読んでいて考えさせられますね。
この本にも引用されたりネタにされたりしていますが、
ドストエフスキーもその作品に格言めいたアフォリズムがそこかしこに
見受けられますよね。なかなかそういう言葉を生産し続けるのは容易じゃないと思います。
いや、言葉のプロだから、簡単にでてくるものなのかなぁ。
謎っていえば謎かな。そのへんのところ、何かの小説の解説で開示されていないかな。

とにかく、面白かった、と。
娯楽中の娯楽っていう感じの作品だったかな。

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vs韓国

2010-10-12 22:14:26 | スポーツ
サッカー日本代表の年内最終戦なのかな、アウェイでの韓国戦。
ともにアグレッシブなプレーをしてのスコアレスドローとなりました。
面白かったです。

ザッケローニ監督のサッカーとは一体どんなサッカーなのかと
非常に楽しみにして、そのカラーを見定めようと躍起になって見ていましたが、
わかりませんでした。

攻撃サッカーをやるといっても、守備はしっかりしている。二人以上で囲むんだっけ?
攻撃は縦への意識が高いですね。
最終ラインで球を回しているときでも、たとえば岡田監督以前だったならば、
0-0でも負けていても、まるで勝っているゲームでの球回しのように見受けられたのですが、
ザッケローニ監督のチームでは、臨戦態勢で球を回している感じがする。
より肉食獣的な攻撃をするようになっています。
比べるならば、トルシエ監督時代の攻撃時の感じに似ていなくもない。あれ以来の攻撃への貪欲さが
みられましたね。ただ、トルシエ監督のサッカーは相当守備的なので、意識は貪欲だったとしても、
攻撃のコマがたりなかったりして迫力や選択肢に欠けるところがありました。
そして、鑑みるに、今の日本代表は今までで最強なんだろうというように見えますね。
加えて、ザッケローニJAPANは船出したばかりですし、この試合を観たところ、
これからどんどん伸びていくチームだとわかります。
楽しみっていったらないですよ。日本代表ファンとしてはたまらない時代を迎えつつあります。

もひとつ、ザックJAPANの印象を言えば、岡田、オシムに比べて型にはめていない。
ジーコに比べて規律があるように見えるし、高すぎる理想を掲げていないように見える。
トルシエに比べてシンプルでコンパクトで洗練された守備と攻撃意識の高さが見られる。

サラリーマンサッカーなどと揶揄され、中田英寿さんをして「想像力が無い」と評される
日本代表のサッカーがどうやら変わりそうな気配ですね。
ザッケローニさんのような監督が、長友選手や本田選手などの海外組が活躍するタイミングで
出会うことになったこの僥倖を僕は一人、日本の鄙で噛みしめているのでした。

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『原始日本語のおもかげ』

2010-10-11 15:50:30 | 読書。
読書。
『原始日本語のおもかげ』 木村紀子
を読んだ。

この本の帯に、「~~(略)列島にひびいていた文字以前からの声と文化を語りだす」
と書かれているのですが、そんな、文字以前の「音」だけだった言葉に焦点をあてて
日本語を解き明かしていくんだっていう本というわけでは…、章によってはあるんだけれど、
一冊読んだ感じですと、常にそうだっていう本では無かったかなぁ。

とまれ、14の章でとりあげられている、おおまかに言えば14の言葉の語源、成り立ちを、
古い所では記紀、万葉集などを引きながら説明してくれています。
その思考の筋道、論理、発想、拠り所となっている知識などには、
読者として触れることができて良い経験になりました。
読んでいて、そんな簡単な結びつけ方で良いものなの?と思ってしまう
ところもあるのですが、大体のところで、思考法の深さといいますか、
熟慮加減を、さらっと語られていながらも読むことでなぞることができるのです。
多大な知識を吸収し、勉強を重ねて消化してこそ得られる視点、思考法なのだろうなとため息が漏れます。
専門用語を使っていなくても、この著者は専門家だなぁと読んでみて了然です。

ただやっぱり、語源として、音だけだった言葉の時代から、それに文字が当てられて
日本語になった形跡を感じることができるのです。
たとえば、「タスキ」という言葉は、タが手(た)で、スキは梳く(すく)などの動詞が元になって
出来た言葉ではないかと推理されています。本にはもっと詳しく書かれていますからね。
それで、そのタにしても、スクにしても、文字以前にそうやって音で表現されていたんだろうなぁと
想像力が働いたりします。
もう一つ引用すると、「おかゆ」すなわち「粥(かゆ)」は、「か」と「ゆ」に分けられます。
「か」とは、食をさす古い音で、本の中に古語の例がいろいろとあげられています。
「ゆ」はいわずもがな、「湯」なんですねぇ。合わせて「かゆ」という言葉になっていて、
その昔は、お米を湯で煮てとろとろにした食べ物だけをさすのではなく、
湯で煮た食べ物はみんな「かゆ」と言っていたらしいです。

とまぁ、ここまで読んでもらって興味を持たれた方は一読の価値はありましょう。
ちなみにこの本は、昨年の夏ごろに坂本龍一さんが推薦していたものだったと思います。
古文に疎いと読むのがけっこう大変なところもあります。

文字以前の日本語ってものを種子として、今の日本語はできあがっているんだなぁ、
原始の日本語はまるで姿を変えてしまっているわけじゃないんだなぁという事がわかる、
言葉から感じる壮大な歴史ロマンだったりもしましたよ。


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vsアルゼンチン

2010-10-08 22:53:16 | スポーツ
サッカー日本代表、ザッケローニ監督の初陣となる、
メッシ擁する南米の雄・アルゼンチンとの一戦は、
前半中盤に、長谷部選手のミドルシュートを相手キーパーが前へこぼし、
そのこぼす可能性に懸けてダッシュしてきた右サイドの岡崎選手が
タッチの差でゴールネットへ蹴り込み1-0。
何度か危ないシーンがあったものの、
最後の見せ場のメッシのFKもしのぎ、試合終了。
なんとなんと、世界に名だたる強豪、つい先日、W杯優勝国のスペインを4-1で
下したアルゼンチンに歴史的快挙の初勝利を挙げました!
おめでとう代表選手、スタッフのみなさん。

なんだか、南アW杯で粉骨砕身のプレーをしてきた彼らの頑張りが、
W杯ベスト16という結果だけではなく、今日のこの試合にも結実したんじゃないかなっていう
気がしました。短い合宿期間内でザッケローニ監督がどのような指示をしたか、
その断片をスポーツ紙のサイトなどで読んでいましたが、
きっと、彼の核心をつくアドバイスも即戦力になったんじゃないでしょうか。

アルゼンチンはあまりハイボールに対しての強さはありません。
たとえば、南アフリカでの初戦、ナイジェリア戦などは、
球回しの90%以上はグラウンダーだったと思います。
サイドから浮き玉のクロスを一度も入れませんでした。
それくらい、高さで勝負しないチームだなという印象を持っています。
今日の日本戦においても、クリアしたハイボール、GKからのフィードなど、
両チームの選手が5分5分で競り合うシチュエーションで、
日本はいつになくボールにヘディングなどで触っていました。
日本もハイボールの競り合いには弱い所があるのですが、
それ以上にアルゼンチンは勝負しませんね。

そんなハイボールでアドバンテージを持ったら、日本はアルゼンチン相手でも
十分に渡り合えるってことです。
アルゼンチンはもともとハイボールの処理を「捨てて」もあれだけの結果を残すという
チーム力を持っていますから、日本が5分5分のボールを制したところでシナリオ通りのはずです。
それが今回、日本を相手にうまくいかなかったというのは、日本がそういう5分5分のボールを
制したら、いつも以上に力を発揮できるサッカーをしているということなのではないかと思うんですよ。
なんていうか、ピッチの真ん中でボールを手に入れて、「さぁ!」っていう状態で生まれる
選択肢と余裕と相手チームへの脅威などが、ゲームプランの中で大きな意味を持つのではないかなぁ。
日本代表は次戦、韓国と戦いますが、韓国は5分5分のボールにガツガツくるチームです。
そういうところで負けないというサッカーを磨いてみるのも良い経験になるのではないでしょうか。

それと、今回の試合では、攻撃への緩急が良かったと見ていて思いましたし、
TBSの解説の金田さんか小倉さんも緩急が良いって言ってませんでしたっけね、
戦略としても重要な部分ですし、体力面でも体力を無駄遣いしないサッカーでした。
ただここで、こういうサッカーができたから、体力はこれだけあれば足りるんだっていう
勘定を選手たちがしてしまって、体力面の強化をおこたるようでは、この先危ないですよ。
あくまで、オシム監督が言っていたように、岡田監督がさせていたような、
走りまくるサッカー、献身的に動くサッカーをいつでもできるくらいの準備はしておかねば、
ここぞというところで競り負けるチームになってしまいます。
このあたりは、06年のドイツW杯で感じたことですし、あの当時のテレビの街頭インタビューでも
ふつうのおばさんでさえも、「体力が足りなかった」なんて、代表の痛い所を突いたものでした。

試合開始前に、中田英寿さんとザック監督の対談の模様が放送されました。
監督は、テクニカルさをスピードに乗せるというようなことを言ってなかったかなぁ。
そして、そんなサッカーの基盤になるのはやっぱり体力だなと思うので、
今一度、体力強化に目を向けて欲しいです。

なにはともあれ、最高のスタートをザックJAPANは切りましたね。
今後の夢が膨らむというものです。監督にはぜひとも4年後を見据えて、
4年後も采配してほしいところですが、それはどうなるでしょうか。

がんばれ、日本代表!応援していますよ~。
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