Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『自分を見失う、他律性』&『距離感はふたつある。』

2016-07-26 23:27:40 | 考えの切れ端
『自分を見失う、他律性』

忙しすぎて「うきゃー!!!!」ってなるひと、
ヒステリーを起こすひとなどいますが、
それってたぶん、
一日が他律的な要素で満たされるからそうなるんです。
そしてそんな日々には、
炊事や掃除までが他律的に思えちゃう。
それに対して、
つよく自律性を感じられる何かを持つことが、
いいのかなあなんて思う。

なにからなにまで、
なにかにやらされてる感じの人生ってだるいぜ。

そのあたりに、
幸福な過ごし方、幸福な生き方のヒントがあるような気がしませんか?

____


きょうはもうひとつ。

____


『距離感はふたつある。』

お盆が近づいてきました。

旦那の実家に泊まり行くのがいやだ、気が重いという
奥様だとかいらっしゃいますが、
まあ、本当に他人なんだからそうだなよなあと思いますよ。
「親戚」という形式的には近い距離にポジションを取らせられながらも、
必ずしも心理的な距離は近くないわけです。
それを、形式的な近い距離に、心理的な遠い距離のものを
近づけさせなければならないところに苦しみが生まれるんでしょうねー。

人間関係において、
形式的な距離と心理的な距離が、
無理せずに一致していると楽なんですよ、ひとって。

そういうところ、ほんとうの血縁の親戚相手でも
面倒くさいなあと感じることがあるくらいですから、
いかに、形式にひとは縛られがちかってことですよね。
社会というか、風習というかが、それを求めます。

それでもって、形式的な距離が実に優位で、
心理的な距離を詰めるのに苦労するのが、
「しがらみ」のひとつの見え方だと思います。
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『「物語」のつくり方入門 7つのレッスン』

2016-07-16 00:20:58 | 読書。
読書。
『「物語」のつくり方入門 7つのレッスン』 円山夢久
を読んだ。

小説、ライトノベル、漫画の原作、童話、などなど、
いわゆる「物語」を作るために、
「これだけおさえておくと、まず物語の骨格は出来あがります」
というようなかたちの指南書です。

物語を作るのに、どこからどういう手順で作るのが正解だ、
というものはありません、と著者は始めます。
ひとつの方法として、プロットをこの本のように決めて書く
というのがあります、という見本なのでした。

物語の設定や内容、世界観を決めるための発想の仕方、
主人公、敵対者、援助者の作り方やそれぞれの意味合いの話、
ディテールや語り方の考え方、
などは物語を作るひとにとっては、
何度も役に立つような手法として、
身につけると力になるんじゃないかなと思わせられるところでした。

ぼく個人としては、どうかといえば、
人々とのやり取り(アクションとリアクションの応酬)が物語の要だから
物語の主人公はなるべく孤立させないほうがいいと言われるのだけれど、
ぼくはそのような孤立してしまったひとたちが
希望を持てるようなものを書きたいと思うわけで、
それをわりと単純にそんな立場とシンクロできるように書いてしまうのだけれど、
そうじゃない書き方もあるのかなあ、という気がしてきました。
どんなひとにも孤立の性質はあるわけで、
そういう部分を、
たとえば社交的で通っている登場人物のなかにふっと描くことで、
孤立しているなあと感じているひとたちの
共感を得ることができるかもしれないし、
そういったひとたちが孤立から抜け出そうとするならば、
そのヒントが描けるのかもしれないなあと思いました。

初級者から、
なんだか近ごろ書けなくなってきた中級者までを
想定して作られた本だそうで、
読んでいてもわかりやすく、難解な部分はなかったです。
そのぶん、軽くて、
頭からすぐに抜けてしまうような感じもあるのですけど。
がちがちに縛られない程度に、
本書を読みこむと、力になってくれそう。
ぼくも、そのうちぱらぱらとめくり直すことがありそうです。


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日々は、ボクシングの試合ではない。

2016-07-09 20:11:00 | 考えの切れ端
ロジックの根底に未熟な感情があって、
とにかくロジックでひとを追い詰めたいというタイプの言説があります。
ブラック企業にしろ、不倫にしろ、政治にしろ、
そういうものに対してであっても、
そういったタイプの言説で打ち返そうとするのは、
糾弾相手と実は似た者同士なのだと思う。

みんなの気づいていないポイントに光を当てるような言説で批判しても、
ひとを追い詰めたり追い込んだりするのはいかがなものでしょうか。
高みからの批判であり、
安全地帯からの批判であるというアンフェアな立場でひとを追い込むのは、
自分を「潔癖」で「善」で「白」で「正しい」と信じこんでいる
間違った心性がある。
自分(人)ってものは、正しい面もあるけれど、必ずよくない面を併せ持つものです。
よい面ばかりをみすぎると、大きく見失うものがあります。

そして、
なんでもかんでも、
ボクシングの試合のように、
防御を固めてなるべく打たせないようにして
こっちから急所を打つみたいなやり方が
正しくて真であるみたいな考え方が流布しちゃっている。
そんなリラックスして生活できない社会だから、
胃を痛めるひとが多いのです。

毎日、
分刻みでボクシングみたいな試合をする日々なんて
馬鹿げていやしないかな?
ケンカしたいときには、
それなりに手加減して、
ノーガードで、
一発張られたら張り返すみたいなのでいいと思うんだ。
ボクシングの試合のようなのは緊急事態なんですよ。
それを、みんなチキンというか用心深くて毎日やる。

とにかく息の根を止めたいという気持ちでひとを追い詰めたりするのは、
そうでなくては自分がやられるという強迫観念があるからなのかもしれない。
自らの不寛容の理由は、
他人の寛容さを期待できないという悲観的・不信的な予測が
あたまにこびりついているからなのかもしれないです。
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『縮小都市の挑戦』

2016-07-08 00:14:01 | 読書。
読書。
『縮小都市の挑戦』 矢作弘
を読んだ。

人口流動や高齢化によって、
地方の各都市で人口の減少や高齢化率の上昇による
限界都市化の兆候が見られている。

限界都市とは、
限界集落と呼ばれる、高齢化率50%を目安とし、
その数値まで達した集落、街に対する
本書での呼び名です。
ちなみに、限界集落化すると、
その土地だけでの経済は循環しなくなり、
発展は望めなくなると言われていて、
冠婚葬祭などの住民同士のくらしの支え合いも
維持するのが難しくなるとされます。

そんな、縮退していく地方都市のこれからを
どう築いていけばいいのかを探る本です。

本書では、180億ドル以上の破たん額をだして
財政破たんしたアメリカの都市デトロイトや、
自動車メーカー・フィアットの居城として一時時代を築きながらも、
モータリゼーションの波が去ったあとに衰え、
最近になって方向転換が功を奏したイタリアの都市トリノを
くわしく見ていくことで、
縮退していく都市のあり方からサステナビリティまでの
ヒントを得ていく内容になっています。
最終章では、日本の地方都市の様子をちらっと扱っています。

まず、
昨今、その政策名が巷間に知られるようになった
コンパクトシティというものと、
本書がかかげる縮小都市というものの違いについて。

コンパクトシティは、人口が減り都市の各地に点々とした居住区を、
鉄道の沿線などの中心地に集めて、
「街」の部分をコンパクトにすることで、
交通弱者や買い物難民を無くし、
公共交通のコストを減らしていくことを主軸とした政策です。
そこには、理念からスタートして、現実をみていくという順番があるそうです。

それに対して縮小都市は、まず現実をみて、
社会学的、自然科学的に分析して、そのなかで長所を探りながら、
その縮小都市ならではの良さを売りものにして発展しようとする。
小さなことの素晴らしさを強調しようとすらします。

両政策とも、居住区やビジネス区域の集積が大事だとしながらも、
著者が言うには、コンパクトシティは対症療法的であり、
縮小都市の考えのほうが、よりダイナミックでドラスティックであるようです。

そうは言うものの、ぼくの住む街のコンパクトシティ論を鑑みれば、
ここで言われる縮小都市の考え方も内包しているように思えます。
水と油のような違いではなく、両者に親和性のある考え方のように、
ぼくは受け取りながら読みました。

なぜ、居住区やビジネス区域を集積したほうがいいのか。
そこには、先ほど書いたように、
限界都市化して住民同士の支え合いが難しくなることを
補助する意味合いもあるでしょう。
でも、もっと大きな意味があるようです。

アレグザンダーというひとが、
真の多様性と選択性は、活動が集中し、
集約される場所に発生する、としているそうです。
さらに、「都市の魔力(人々を呼び寄せ、魅了するパワー)」は、
諸所の都市機能(飲食店、劇場、見世物、カフェ、文化施設、大学…)が
集積したところに生まれ育つ、と述べているそう。
それが確かならば、コンパクトシティにしても、
縮小都市にしても、集積する、という意味は
とても大きいことになります。

そして、重要なキーワードは「協働・連携」でした。
トリノみたいに「官」主導の協働もあれば、
デトロイトみたいな「民」しか頼りにならないような形での協働によっての
都市再興もあるわけで。

それで、ちょっと調べると協働といえばNPOというふうに出てくる。
いやいや、産官学での協働みたいなダイナミックスさこそ
望まれるものなのではないかとぼくなんかは思うわけですが。

さらに、協働・連携の基盤になるのは信頼だと書いてあり、そうだなと思った。
では、信頼とはどういうもので、どう築くものなのかと考えていくには
社会心理学が役立ちますよね。
ちゃんとしたルールの中で生活することが大事ですが、
正直に生きていくことがまず求められる。

でもって、正直は損をするものじゃない。
正直者のほうがだまされにくいという実験結果もあるそうです。
ほぼ日の、社会心理学者・山岸俊男さんと糸井さんの対談を再読してみれば、
信頼は「互いの関係を強くすること」だけではなく、
「関係を広げていく」ものでもあるんだとあります。

協働・連携で、今後縮小していかざるを得ない街を盛りたてていくには、
信頼が必要で、信頼が築かれたならば
それは「関係を広げていく」ものとして
協働の輪が広がっていくことを意味していくと思います。
産官学の協働が、閉じたものではなくかつ信頼に基づいたものであれば、
その効果は大きくなりそうだし、
その効果を得たいのならば、
役所仕事の前提となっている前例主義からは足を洗わないといけないだろうなあ、
と思うわけです。

長くなりました。
これから縮退していく街が持続していくにはどうするかを探るには
うってつけの本のひとつでした。
ですが、引用文やデータの出どころが古かったり新しいとは言えないものが目立ちました。
しかし、それはそれで、本質を突いたものばかりを集めているとも考えられるのでしょう。

これからの街おこしを考えるひとたちは、きっと読んで損はないです。


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