Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

vsオーストラリア

2011-01-30 02:57:22 | スポーツ
アジアカップ2011決勝戦の相手はオーストラリアでした。
延長戦の末、李選手が見事なドフリーでのボレーシュートを決めてくれて
1-0の勝利!おめでとう!!

松井選手がいない、香川選手がいない、など主力選手の離脱が相次ぐ中で、
見事控えに回った選手たちが活躍して、このアジアカップを制してくれました。
層の厚さを感じます。そして、ザッケローニ監督の手腕もあるんでしょうねぇ。
なんだか、見ていても、ザック監督に代わってからは、自分の予想以上のサッカーを
展開してくれています。素人ながら、サッカー眼の勉強になりますね。

今日は、後半にMF藤本選手を岩政選手に交替して、左サイドの攻撃性を特化した形を見せました。
長友の攻撃力、機動性と今野のカバーリングとバランスと俊敏性を合わせて、
スペシャルな形にしたようです。
あーいうのはさすが、勝負にいく監督だなという気がしますね。
以前、チャンピオンズリーグだったかな、サイドの枚数を増やしてサイドを制圧して勝利したチームが
ありましたが、それだって、普通の考え方からしたら無いような戦術。
そういう柔軟性をチームに持ちこめる監督は、欧州の主要リーグのセリエAで一流の仕事をしてきた
ザッケローニ監督だからこその采配だと思います。

僕としては後半は運動量をあげて勝負に賭けていくのかと思っていました。
相手の陣内をかきまわす動き、連動した動きで相手を崩すのかと思いましたが、
オーストラリアはマンマークじゃなかったし、そういうのは徒労に終わる戦術だったかもしれない。
サイドから崩して、細かいパスでゴール前っていう戦法もありましたが、
なにせこのチームは基本動作の質が高いです。
パスもうまいし、ラストパスの通すところと受けるところでの想像力もすごい。
いつのまにこんなに成長したんでしょうねぇ。
昨年のW杯ベスト16はフロックじゃない、そのことを証明してくれる優勝です。
いやいや、証明してれる以上の優勝ですね。

今年は南米選手権だったかな?にも招待されていましたし、
アジアチャンピオンとして挑戦するのはすごく楽しみです。
ザックJAPANから目が離せません!

ひとまず、お疲れさまでした。
今後も応援していきます!

いーもんみたなぁ。名波選手のボレーも思い出しちゃったな。
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『きりぎりす』

2011-01-29 21:25:38 | 読書。
読書。
『きりぎりす』 太宰治
を読んだ。

新潮文庫から出ている太宰中期の短編集『きりぎりす』を読みました。
まず最初の、女性の独白体小説「燈籠」、特に結び方が素晴らしいので、
ぐぐっと読む者の気持ちがつかまれます。

それで、だだーっと読んでいくと、
どうもこの時期の(?)太宰はまるで自分を卑下するように、物語の主人公を卑下して、
卑屈とさえ思わせられるくらい徹底的に、自らを人間の屑だと自認するんです。
それを読んでいても決して、僕なんかにしてみたら太宰は屑になんか思えないわけです。
自分を屑とする太宰以下なのが、それを読んでいる自分だなということに、
個人的に気付かされるので、しょんぼりして寝付くという事態に陥ります。

しかし、しかし、最後から三番目の短編、「風の便り」というのがそういう読者を救うような
手立てとしての作品になっています。このあたり、編集者のうでが素晴らしいっていう
ことなのかな、しっかり理解しつくしている人が本を編んでいることが身を持ってわかりました。
「風の便り」はこの作品群の中では、世代に関する論、創作に関する論、言葉自体に対する論などが、
作家同士の往復書簡という形で弁証法的に語られています。
すごく面白かったです。
特にですね、たとえば世代に関する話ですと、上の世代に大物がいるときの下の世代の息苦しさ、
それゆえに芽を摘まれるように、才能が伸びていかないことが明らかにされています。
これはたぶん、この時代(戦前の昭和の時代)の描写ですから、そのスケッチではあるにしても、
今の時代にも十分に言えることだったりしますね。
そういうところは、その大物たる人物のせいなのです。かれらとて、そういう部分でいえば、
失敗者であり、自らの成功しか…それはそれですごいのだけれど、し得なかった、
直後の世代からエネルギーを搾取してしまったかのような存在であると言えるんですよね。
考えてみると、そういう大たる人物たちは、その作品の力によって、
「どうだ!」と同時代のクビ差、アタマ差届かない
同業者を抑えつけてねじ伏せてしまうとところが、望まぬにしろ、あります。
そして、20歳と30歳では、経験も知恵も違うものです。
30歳と40歳でもそうです。
それなのに、ハンディキャップマッチではなく、同じ条件でレースをすることになるのですから、
下の世代は不利も良い所なんですよねぇ。
いやいや、あてこすってるわけではないですよ、あげつらってるきらいはありますけどね。

そこらへんの、世代間の条件の悪さ、有利不利を言語外のところで感じて、
世代間の亀裂っていうのが生まれるのかもしれないです。
みんな、言葉でなかなかうまく言えなくても、そういうことは肌で感じていて、
とやかく論じたてても理屈がついてこないから、とりあえずつらーっと「上の世代とはつきあわねー」
とかなるんじゃないですかね。
この場合、上の世代と付き合うことによるメリットよりもデメリットが大きいと計算されたことになりますし、
そう計算された上の世代は悲しいものです。
まぁ、身一つでやっていこうという人は、へんにメリットを考えないでしょうから、うまくデメリットも回避されて、
成功するっていうパターンもなきにしもあらずな気がしませんか。
ちょっとわかりにくいかもしれない話です。

さて。
この『きりぎりす』では、今述べた「風の便り」のほかにも太宰(?)が佐渡を訪れる旅行記「佐渡」も
面白いですし、女性一人称独白の「千代女」も、真を突いていて妙っていうような佳作です。
中期の太宰治はなかなか面白いです。僕は以前に読んだ「女生徒」がお気に入りですが、
この短編集にも先にあげた作品たちが実に心を揺さぶってくれます。
まぁ、「太宰治って面白くないね」っていう人もいますけれど、
「なんでもかんでも、してもらうのがエンタテイメント」と思っている人以外には、
まあまあ高確率で「面白い!」と言ってもらえるんじゃないかなぁ。

ほんと、太宰さんは、入水などせずに、老いてからも小説を書いてほしかったものです。
それは無茶なことだったのかもしれないけどね、彼の心の中はわかりません。

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vs韓国

2011-01-26 01:16:17 | スポーツ
アジアカップ2011準決勝は、韓国との一戦でした。

前半から飛ばしていく日本は、ペースを握るもののPKを与えて先制を許す。
その後流れの中から、本田圭のパス、長友のラストパスを経てFW前田が身体を犠牲にしながら
ゴールネットを揺らして同点。
延長戦、疑惑のPKを岡崎は得て、本田圭が外したところを途中交替の細貝が押し込み勝ち越し。
そのまま勝利かと思いきや、延長後半戦終了間際にゴール前の混沌を韓国に作られて失点。
PK戦へ。

PK戦は、GK川島の読みと思い切りのいい動き、そしてプレッシャーに押しつぶされて
枠へ飛ばなかった選手も一人いて、3-0の勝利でした。おめでとう!!!

岡崎と長友はよく走りますよねぇ。
ああいうプレーは大好きです。走るだけじゃなくて技術もしっかりしているところが素晴らしい。
そして、本田圭がいて、長谷部がいて、遠藤がいる、このワクワクする中盤、たまらないですよね。
気がかりっていいますか、もすこしチャレンジしていって欲しい選手は内田選手ですね。
かといって、いきなり次の試合から飛ばしていったとしても、それはプレースタイルが違うから
うまくいかないでしょう。ドイツに戻ったら、少しづつそういうプレーを試して攻撃性を
増してまた代表に戻ってきてほしいと思います。

次はオーストラリアかウズベキスタンが相手の決勝ですね。
もしかすると、今日の試合が事実上の決勝戦かもしれないですよ?
って、そんなこともないか。

みんな出し切って欲しいです。
良いチームです!
応援してます。
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『南極越冬記』

2011-01-23 14:49:38 | 読書。
読書。
『南極越冬記』 西堀栄三郎
を読んだ。

1957年2月~1958年2月までの南極第一次越冬隊の話。
越冬隊隊長による、自身の日誌やメモなどをまとめて作った本です。

この西堀栄三郎という人は、年配の人ならば知っている人が多いと思いますが、
今西錦司、桑原武夫、梅棹忠夫といった人と交流のある、
当時の日本の知の世界の中心にいた人のようですね。
彼ら、みんな、冒険野郎の一面を持っています。特に登山。

戦後の貧しい時期ですが、国際地球観測年という世界的なプロジェクトに
日本は参加することになったようです。ちょっと調べてみると、
国民から義捐金を募ったりしていたことがわかります。
なので、越冬隊の責任者でありこの本の著者である西堀さんは、
国民の期待を背負っているんだから、それを自覚してしっかりした成果をあげたい、と
堅くて真っ直ぐな決意を抱き、それをずっと最後まで持ち続けます。
しかし、隊員たちの多くは夜になると麻雀にあけくれて、西堀さんは何度とため息をもらします。
西堀さんの気持ちはわからないでもないけれど、読んでいるとちょっと、というかけっこう
堅い考えだなと思わせられるところがあります。映画は見るにしても、小説の類は好きではないし、
マージャンを嫌悪し、パチンコなどの勝負事にも興味がなく、
自ら「娯楽に興味がない」と言っています。
これで西堀さんが自分の価値観以外認めなかったり、
強引な布教のように、他の隊員に考え方を押し広めようと
していたならば、越冬隊はバラバラもいいところの、
人の集まりとしては最悪なことになっていたことでしょう。
西堀さんは、自分のわからない部分でも、それを認めるというか、尊重しますね。
そういうところは、読んでいて、自分も見習おうと思いました。

越冬記ですから、簡単にいえば日記です。
何月何日何をしたという記述などから、各隊員の性格や役割がスナップ写真のように、
多くは彼らの一面や一瞬を切りぬいたような形で書かれています。
そういうのは読み手の想像力を喚起するものです。
犬係の菊池隊員はほんとうに犬想いなんだなぁ、だとか、
コックの砂田隊員の苦心、プロ根性が垣間見えたり、
よく名前が出てきて、トリックスターめいた隊員がいたり、
なかなかに面白く構成されたメンバーであることが読めてきますし、
そこは著者の西堀さんの目によって見透かされ色づけされた隊員の描写ですから、
著者が良い目をしているということなのでしょう。

本当は厳しいのだろうけれど、この本を読んでいるぶんには、
ゆるそうな生活を思い浮かべてしまう。
アホなこともしてますし、失敗もしている。
もう少し気をつかえばいいのに、と思わせられるところもありますが、
そういうところこそ、古い時代なのでしょうね、
気を使いません。
たとえば、火災が出るのですが、それでも、火災の原因になりうるような
タバコはやめられんとか書いてあります。
大体、この西堀さんは、南極に来る前に火災こそが一番怖いと委員会かなにかで
喋っていたそうなんですね。だったら、禁煙を条件にいれればいいじゃないかって、
今だったら言うでしょう?そこが、違うところですよね。
逆に、そういうところに代表されるように、ゆるい部分がけっこうあるのです。
だから、こういう過酷な条件下での生活にも隊員たちは気持ちに余裕を持って
臨むことができたのではないかなぁと思います。

この時代の彼らと、今の時代の僕らを、「おにぎり」に喩えてみましょう。
彼らがおにぎりだったならば、米も具も品質は粗末かもしれない、
でも、握られかたが絶妙なのです。ゆるくてボロボロ崩れてしまうことも無く、
押し寿司みたいなのでもなく、適度に空気も一緒に握られている、そういうおにぎりだと思う。
対して、僕らがおにぎりだったならば、高級な米と具を使って握るのですが、
どういうわけか力が入りすぎて、押し寿司みたいなぐちゃっと握って
隙間の無いおにぎりだったりしないでしょうか。
まぁ、極端な話ですけれど。

それと、アメリカの南極観測隊が1937,8年頃だったか40年だったかに使った
「スノー・クルーザー」の話が書かれているのですが、これが可笑しいです。
WEBで調べてもSFのしか出てこないので(英語のページは出てきますが)、
この本を読んでみてください。アメリカ人らしいと言ったら失礼かもしれないけれど、
ビッグなことを考えるのは素晴らしいにしても、ちょっと地に足がついていない失敗が
ほほえましいです。いや、その…、僕は「アホだ」と思って笑ったけども。
やっぱなんていうか、アメリカ人は、押せ押せのパワー偏重傾向の思考があります。

南極の一年はさぞや何もないことだろうと想像してしまうものですが、
人間が11人も暮していればドラマが生まれるものでしょう。
「旅行」と呼ばれる観測探検だとかがたびたびおこなわれますし、
トラブルやブリザードに見舞われる中でのそれへの対処ややりすごす様子、
心理は面白いです。
人々の営みっていうもの自体が面白いんですよ、きっと。
マージャンが流行っていても、せっせと生活しているさま、そして、
その構成単位が11人というコンパクトさが、この越冬記に対して
親近感を持って読ませる要素になっているでしょう。

80年代の初めごろにヒットした映画『南極物語』は、この第一次越冬隊のために働いた
タローとジローのお話です。かれらの名前はちょこっと出てきます。

戦後復興まもない時期に、外国と共同のプロジェクトとして南極観測をやったことは、
当時、国民の興味と期待の的だったようです。
だから、『南極物語』もヒットしたのでしょうね。
すごくローカルチックなというか、マイノリティであるはずのものが、
国民に共有されていたような感じがします。
まだまだ国内の意識が多様化されていなかったからかもしれない。
多様化された中での話題の優先順位というものこそ、
客観的であって、そこでの順位の高いものにはうっすらとした深層心理的なものが反映されていたり、
小さな公約数的なものが反映されていたりする度合いが強いと個人的に思うのです。
しかし、この第一次越冬隊の時期の日本は、みながとても主観的だったという見え方もしますし、
きっと話題のスケールがかつてなかったほどのものであり、そのために、
南極をみなが顕微鏡で覗いて見ているくらいに、些細なことでも大きな情報として感じたのかもしれない。
情報が少ない時期の国民は主観的になり、情報があふれんばかりの時期の国民は客観的になる…、
これは一つの仮説ですかね。

…、とここらへん、書きながら考えると、思考の改変が改行ごとに浮き彫りになります…。

えーと、あえてこの極寒の季節にこの『南極越冬記』を読んでみたのでした。
イメージしやすいでしょう、寒さが。だからこそ感情移入しやすいでしょう、彼らに。
本の帯に書いてありますが、「アンコール復刊」した本だそうです。
さすが、それだけのことはあって面白いので、時間のある方は是非手にとってみてください。

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vsカタール

2011-01-22 00:43:04 | スポーツ
アジアカップ準々決勝の相手国は、
開催国のカタールでした。
完全アウェイの戦いの勝者は、カタールなのか、日本なのか。

3-2で日本の勝利でした。おめでとう!
香川選手が2ゴールにアシスト気味なのが1つ。大車輪の活躍でしたが、
まだ、ボールを取られたりする場面があるので、そういうところの危機感を強くして
プレーしたらもっとよくなりそうだな、なんて思っています。

今日の前半なんかはちょっと躍動感に欠けるサッカーだったように見えた。
頭良くサッカーをするのはとても大事なことだけれど、
頭だけのサッカーは難しい局面をうまく打破しずらいし、
ゴール前の混沌を創りずらいです。
解説も言っていたけど、無駄とも取れるプレーってのも大事なのよねぇ。
人生においても無駄って大事だしね。
たとえば、娯楽映画を見るのだって無駄っていえば無駄でしょう、
でも、それが契機となって良い展開になったりすることもある。
わからないものなんですよね。
そういうのが、サッカーにも当てはまるということです。
人生で起こることのすべてが、サッカーのグラウンドでも起こる、って
そんな言葉ありませんでしたっけ。
まんざらウソでもない言葉じゃないですか。

次は、イランか韓国と準決勝です。
腰を据えて戦いぶりを見させてもらって、そしてそして応援します。
力を出し切って、なおかつ怪我をしないことを祈っています。

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『ソーシャル・ネットワーク』

2011-01-21 14:21:59 | 映画
デビッド・フィンチャー監督の最新作
『ソーシャル・ネットワーク』を観てきました。

今や世界に5億人もの会員を持つSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、
『Facebook』を創った男、マーク・ザッカーバーグたちの話。
どうやって『Facebook』が生まれ、成長し、どんな問題を抱えたか、というようなことが、
フィクションを交えて語られています。

現代の成功者の神話みたいなものです。
どうやって成功しえたかってのは誰もが知りたい秘密でしょうし、
「今」の話ですから、余計に興味がわくでしょう。

以下、ちょっとネタバレ。




著作権を無視して、使用者同士で音楽を交換しあえるソフト『ナップスター』の開発者、
ショーン・パーカーが巧妙にマークたちの仲間になっていくところがね、
ちょっとイヤな奴だなって思わせられます。
ナップスター自体がそうですけど、他人のふんどしで相撲を取るのが得意な人なんだろうな。
そのショーンは、何故ナップスターを開発したのかという問いに対して、
当時憧れていた女の子に振り向いてほしかったために、目立とうとして作ったと言っていました。
それで、マークが、「今でもその彼女のことが気になるか」と問うと、
「いや、気にならない」と答える。
そういうヤツは何か大事なものを失っているよなぁって思いますよね。
それで、マークはどうなのかというのは、映画を見てのお楽しみ。

しかし、一体、マークは、自信の成功のためには重箱の隅をつつくくらいの神経質さで
他人を、それも近しい仲間を切り捨てていく非常な一面を持った人物なのか、
それとも、計算しないがためにそう見えてしまう、損な人なのかはわからないところです。
でもねぇ、Wikiで調べたら推定資産額が40億ドルとなっていました。
損な人とは言えないのかなぁ。

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vsサウジアラビア

2011-01-18 00:35:22 | スポーツ
今大会のサウジアラビアは何かがおかしいようです。
グループリーグ2敗して敗退が決まった状態での最終戦。
日本相手に0-5の完敗です。
かと思えば、ヨルダンなんていう国が強い。
こうやって凋落と勃興が起こるものなのかなぁ。

最初の数分こそ、試合がどうなるかと緊張気味にみていました。
それはきっと選手も同じことだったでしょうが、
日本代表の選手たちの技術と集中力がそれに打ち勝ったかのように、
岡崎選手がうまく先制してくれました。
彼はこの試合ハットトリック。
また、センターフォワードの前田選手が2得点1アシスト。
すばらしい活躍です。

こういう相手とのこういう試合はインディ・ジョーンズみたいな娯楽映画を観るよりも
気楽に楽しめちゃうものだと思います。
そんな今日の試合での一番の見どころは、
後半の終盤に、相手のコーナーキックのこぼれ球からつかさずカウンターにいった場面でしょう。
あのカウンターではたった3人で、疾きこと風のごとく相手ゴール前まで攻め入りました。
シンプルかつスピーディなこと、これまでの代表チームで見たことがありません。
日本代表チームっていうのは、カウンターのチャンスでも、一から組み立ててゆっくりまた攻め入る
っていうことが多かったんですよね。カウンターでの本当の速攻ってほとんどなかったですよ、
少なくともここ3,4年は。
そんなカウンターができていたのが嬉しかったですね。

ブラジル代表でさえ切れ味鋭いカウンターをやるんだから。
どんなときもドーンと構えるサッカーなんて強豪チームでもやらないんだから。
それを日本がこれまでやっていたのは恐ろしいことです。

さぁ、次は準々決勝の、開催国カタールが相手です。
めちゃめちゃ嫌なチームですね。
でも、このザッケローニ監督率いる新生日本のレベルは高いです。
面白い試合になるでしょう、妙な審判がさばかないかぎり。
アウェイだから、そこのところが気になりますわ。

それでも、楽しんで良い結果を残してください、日本代表!
応援しています。
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センター試験2011

2011-01-17 20:38:47 | days
土曜日、日曜日とセンター試験が行われましたね。
受験生の方々は疲れたかな?楽しんじゃったかな?

出題される分野だとか、時の運なところもありますからね、
良かった人は「たまたまだ」くらいで構えればいいでしょう。

去年もやったのですが、今年も翌日の新聞に掲載された問題を使ってセンター試験の現代文だけ
挑戦してみました。現役時代も大したことがなかったのに、
現役を過ぎた今ではもう現代文くらいしか通用するものがありません。
というか、現代文を解く能力は、受験生の年代を過ぎても向上していく人が多いと思います。
かくいう僕もその一人。
得意なものに得意顔で挑戦してみるのもいやらしいかもしれないですが…。

それでもって、結果は、78/100点でした。
あんまり良くなかったですね。
最初の「挙措」という漢字以外のところはじっくり考えれば間違えない問題でしたが、
そこで間違えてしまうのが、時間制限にせきたてられる人間心理というもの。
僕は50分くらいで解こうと考えていて、48分で終了したのですが、やっぱり時間不足です。

現代文くらいしかとりえがないから、センター試験くらい満点はとっておきたい。
それでこの出来栄えはちょっとなぁ。やっぱり去年の後半にパチンコをやってたせいかな、
あれは頭が空っぽになりますからね。

来年もやる気があればセンター現代文に挑戦したいです。

そうそう、取り上げられた小説の主人公が婆さんだったんですよ、
それで、問題がなかなか難しかった。
どこぞの掲示板で「ばばあ、死ね!」って書いてありました。
さすがの僕も笑ってしまった。
一言こぼすくらいで、そこからエスカレートしない分には、
冗談として僕も共感してしまいました。

さて、話は変わります。
いつも考えるのですが、こういう現代文の問題を作る人の国語力ってすごいのでしょうね。
その苦心がうかがえるものもありますし、
「お、あたま切れてるね」と思わせられる選択肢もありますよね。
作成者くらいの国語力を受験生に求めるくらいの難易度にしてみるのはどうなんだろう。
…うわ、おもいっきり人ごととしての発想だ。

それにしても、本当に、受験勉強みたいな感じの勉強しかないものなのかね、
義務教育の目指しているものっていうのは。
どうしても競争になっちゃうものだしなぁ。
僕はどうしても、そういう場合に、分の悪いほうの人を見てしまいます。
見るばかりか応援したり、そういう人の逆転に自分も頭をひねったりしますね。
そういうのがね、自分のために頭を使うことに繋がったりもするんだよなー。

学校の勉強の出来不出来に、人生の優先順位第一位をおくのは大間違い。
僕はね、感性の豊かさこそが大事だと思うのですが、
これが一番!としてしまうのは、間違いな気がする。
一番になりうるものが12個くらいあれば面白い気がします。



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『ゴーン道場』

2011-01-16 10:56:03 | 読書。
読書。
『ゴーン道場』 カルロス・ゴーン
を読んだ。

今やルノーと日産のCEOを兼任する、日産自動車を生き返らせたカルロス・ゴーン氏による
「人を育てること」についての方法論を、短い質問に短く答えるという形で
読ませてくれる本でした。

もともと朝日新聞かなにかの連載が溜まって本になったものなので、
限られた紙面で簡潔な言葉を綴って(述べて)語りかける方式になっている。
なので、最初は、けっこう浅い感じの本なのかなと思いましたが、
そういう簡潔な言葉の連続によって浮き上がってきて触れることができるようになる
ゴーン氏の経験というものの突き詰められてシンプルに表現される理屈が
実に勉強になるし、これはちょっと問題がありますが、そのまままずはパクってしまいたくなります。
パクるにしても、実践するとなると難題だろうなとしり込みしてしまいそうなのが
たくさんあります。それでも、この本の性質上、人を見る眼が鍛えられるということもあって、
これは即効的に眼力があがります。そんな一時的に向上した眼力で頭に浮かべたいろいろな人物を
眺めてみると、とある人物に対して「彼はすごい人物だな」と再評価することになったりもしました。

つまり、この本は人を育てることをメインにして解説している本ですが、
その理想となる人物像がズバリと描写されているわけでして、
「こういう人物にするためにはこうこう、こうするといいのでは」という言い方で進められるんですね。
だから、その理想像にもはやなれている人がいるとびっくりするという次第です。

人を育てる人も、人に育てられる人も、それぞれにメリットがあって、
良いことだから積極的にやりましょうと言うんですね。
部下を育てること、上司を育てること、リーダーを育てること、子どもを育てること…etc。
それぞれになるほどと思えることもありますし、繰り返しになりますが、自分がその理想像に達するのは
難しいよなぁと思えることもたくさんあります。そしてゴーン氏の、というか、プロフェッショナルの
厳しさを感じられる部分もあります。

僕なんかは、できるだけストレスと無縁でスルスルと抜け道をたどりながら歩いて行けたらな、
なんて思いがちなのですが、やっぱりそれは逃げであって、逃げていると失敗すると書いてありました。
それに逃げないでいるとやっぱりそれ相応のストレスを抱えることは避けられません。
きっと胃が悪くなるなーだとか、休みの日も仕事が頭から離れなくなるなーとか、
僕の人生の負の部分のリバイバルを想起させられたりもしましたねぇ。
そうは言っても、20代の頃とはちょっとは人間が変わってきていますからねぇ、
それほど簡単にはやられないかもしれない。

この本で言われていることの、もっとも大事な部分は「共感能力」と呼ばれる能力かもしれない。
共感能力とは、理屈を超えて相手と心を通わせ合う力、だそうです。
女性の方がこの能力の高い人が多いみたいですね、それは僕も経験上そうだと思います。
逆に、共感能力が高い人はどこかしら女性的に感じるようなところもあります。

思い起こせば、僕は高校時代に意図的にそして実験的に、
直感を排除して理屈だけを駆使して生活していたのですけれど、
それで左脳が鍛えられたといえば鍛えられました、しかし、
ここでいう共感能力の形勢には不利益を背負い込ませただろうなぁ。
なかなか難しいものです。
直感はすごく大事なんですけどねー、理屈より先に来るものであって、
理屈なんてものは往々にして、直感に説明を付け加えたものだったりしますよね。

『ゴーン道場』はそれほど難しい本でもないし、分量も少ないです。
それでも、各章、段落ごとに考えさせられるところもあって、
目を休めながら頭を整理して、また読み始めるという事になることが多い読書になる人が
けっこういらっしゃるのではないでしょうか。

この本の最後に、ゴーン氏の読書観が述べられています。
乱読な読み方は僕も似た感じなので、共感できました。
でも、体系的に読んで知識を蓄えるやり方も、推奨して欲しかったなぁとも思いました。
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vsシリア

2011-01-14 03:46:35 | スポーツ
アジアカップ2011の第二戦、シリア戦をテレビ観戦。
初戦のヨルダン戦はスルーしていたので、
今年のサッカー観戦初めがこの試合になりました。
そのヨルダン戦は、なんと引き分けたようで。

それでザッケローニ体制になってどういったサッカーを見せてくれるかなと
そこに注目していたのですが、派手じゃないけど、地味すぎもしないできちっと動いたり球を回したりと、
成熟したサッカーをしているなぁという印象。
たぶん、8,9年くらい前にイタリア代表が来日して日本と試合をしたことがあるのですが、
その時のイタリア代表の雰囲気にすごく近いなと思いました。
そんな遡らなくても、W杯のイタリア代表を思い浮かべればいいんですが。

規律によってしばられていながらも、規律だけを守っているサッカーじゃないんですよ、今の日本は。
これが数年前の日本代表だったら、個性を発揮できなかったと思います。
今や各々が個性を発揮しながらも規律を優先していますね。
それだけ、ここ何年かで出てきた選手が、技術も頭も優れているということなのでしょう。
それだって、カズだのナカタだの先人達が培って歴史を切り拓いていろいろ教えてくれたからなんでしょう。

今回のシリア戦で、前半やっと1点を先制しながらも後半にGK川島が退場しPKを決められて同点とされ、
その後10人になりながらもPKを取り返して勝ち越し、そして試合終了という厳しい流れではあったものの、
サッカーのやり方自体にはほとんど問題はないような気がしました。
ただ、その精度を高めていくこと、ザッケローニ監督のサッカーをもっと素早くやっていくことが
課題なのかなと思いました。

みんながクレバーにサッカーをやるものだから、僕はそこをあえて危惧して
この言葉を贈りたいと思います。

「クレバーかつクレイジーに」

PKを与えた時の守備の混乱ぶりはクレイジーでしたが、そうではなくて、
攻撃の時に相手陣内で混沌を生み出すために必要なのが、クレイジーさなのではと思い、
この言葉を記しました。
まぁ、でも、勝ち越し点になった本田圭選手のPKはクレイジーでしたよ。
ど真ん中いきましたもん。相手GKの足の間でしたもん。
それ以前に、「おいおい、本田が蹴るのかよ…」と嫌な予感さえしましたよ、…結果オーライ!

今日は後半から、たぶん実況やら解説やらを聴いた感じだと、
監督の指示で二列目の飛び出しとそれにともなう
スルーパスが使われ出したみたいですが、
あれも、使いだしたらずっとそれ一辺倒にするのもちょっと芸が無いというか、
次戦では、今日の前半のような試合運びの中に4,5本混じらせておくくらいでいいんじゃないのかね。
といいつつ、ど素人だからわかりませんが。

今のチームは松井にしろ、本田圭にしろ、香川にしろ、自分で打破するタイプがそろっています。
そんな関係からバランスをとってなのか、逆にサイドバックの長友や内田が
強引に行くシーンが見られないのがちょっと残念。
今日は香川選手の出来(運かも)が良くなかったようなので、彼を変えて、
パサーの柏木選手あたりを早い段階でみたかったです。
攻撃にもうちょっと有機性がみられるといいのかもしれないですよ。
有機性というのは、それぞれがうまく絡み合うこと。
ボールを持っていてもいなくても、それぞれの動きがお互いを活かしあい、
クリエイトする動きが見たいです。
シンプルなプレーでいうと、ワンツーですね。

次戦は不調といえども恐ろしい相手のサウジアラビアです。
気を引き締めて戦えばきっと勝てるでしょう。
今日だって、印象よりも苦戦していません。
ちゃんと誇りを持っているようにみえました。

というわけで、頑張って予選を突破してほしいです。
応援していますよ、日本代表!

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