読書。
『みどりのゆび』 モーリス・ドリュオン 安東次男 訳
を読んだ。
60年近く前に翻訳された、フランスの童話。著者のドリュオンは小説『大家族』で有名な文学賞であるゴンクール賞を受賞した作家です。
小学校低学年の年齢に当たる少年チトは、町の大金持ちの両親やその大きな家で働く家政婦や庭師のおじいさん、両親の工場で働くかみなりおじさん、そして馬たちに囲まれて生活しています。学校へ通うことになると、まるでそのシステムに適応できず、すぐに退学することに。両親の指示によって庭師やかみなりおじさんに物事を学んでいくことになるのですが、そのうちに自分の家が武器工場だと知ることになります。
中盤までは横へと筋が流れていくお話だったのが、中盤からはそれまで語られた世界や人びとを濃く描くことによって物語の深みが増していきます。さながら、解像度を上げた部分を端的に、詩的な種類の言葉で語るというように。そういったクローズアップする技法だけではなく、物語の展開にも、ちょっとだけ哲学的なエッセンスを盛り込んだり、物事をフラットに見ることでわかってくる「そもそもの基本」に立ち返る考え方によって物語を通じて現実のベールをはがしてみたりしています。そういうやり方が、物語をおもしろくするんですね。
ネタバレになりますが、最後には、主人公・チトの属性が人間ではないものとして描かれます。チトが考えたこと、成したことを人間のままとしての行いにできなかったところに、著者の「人間への少しばかりの諦念」があったかもしれません。そこまで利他的で博愛的でみんなを幸せにしてしまう存在が、子どもだとしても人間であることに、現実をよく知るであろう作家の目にはほうっておけない食い違いが見えたのかもしれません。
さて、最後に訳者解説から、再び技法についての引用を。
_______
フランスの童話には、ひとつの特徴があります。おはなしの、筋よりもきめこまかさ、詩的なふんいきやことばのおもしろさを、たいせつにすることです。そしてそれらをうまく使って、まるで宝石のような、うつくしい文章をつくりだすのです。 (p213 訳者解説より)
_______
僕が物語を書くとき、それも最近の何作かを思い浮かべてなのですが、横の流れであるいわゆる「筋」と、その場その場で立ち上る縦の「味わい」を、意識して書きはしています。でも、そこにぎこちない部分があるというか、まるで数本の竹ひごの骨だけで簡素に組み立てた模型のような感じがちょっとします。肉付けや試みという点で、自分としては物足りないわけです。もっと自由にいろいろとやって楽しめばいいのに、どうもしゃちこばる(まあ、やれている要素もけっこうあるにはあるのですが)。たぶん、創作に使う時間がぎりぎりだからだろうな、と思いますが、そこは二倍の時間がかかったとしてもやっていくといいのではないか、と今回、本作品に触れて、そう感じました。
というように、物語世界を楽しみながらの、学びのある読書になりました。……よき。
『みどりのゆび』 モーリス・ドリュオン 安東次男 訳
を読んだ。
60年近く前に翻訳された、フランスの童話。著者のドリュオンは小説『大家族』で有名な文学賞であるゴンクール賞を受賞した作家です。
小学校低学年の年齢に当たる少年チトは、町の大金持ちの両親やその大きな家で働く家政婦や庭師のおじいさん、両親の工場で働くかみなりおじさん、そして馬たちに囲まれて生活しています。学校へ通うことになると、まるでそのシステムに適応できず、すぐに退学することに。両親の指示によって庭師やかみなりおじさんに物事を学んでいくことになるのですが、そのうちに自分の家が武器工場だと知ることになります。
中盤までは横へと筋が流れていくお話だったのが、中盤からはそれまで語られた世界や人びとを濃く描くことによって物語の深みが増していきます。さながら、解像度を上げた部分を端的に、詩的な種類の言葉で語るというように。そういったクローズアップする技法だけではなく、物語の展開にも、ちょっとだけ哲学的なエッセンスを盛り込んだり、物事をフラットに見ることでわかってくる「そもそもの基本」に立ち返る考え方によって物語を通じて現実のベールをはがしてみたりしています。そういうやり方が、物語をおもしろくするんですね。
ネタバレになりますが、最後には、主人公・チトの属性が人間ではないものとして描かれます。チトが考えたこと、成したことを人間のままとしての行いにできなかったところに、著者の「人間への少しばかりの諦念」があったかもしれません。そこまで利他的で博愛的でみんなを幸せにしてしまう存在が、子どもだとしても人間であることに、現実をよく知るであろう作家の目にはほうっておけない食い違いが見えたのかもしれません。
さて、最後に訳者解説から、再び技法についての引用を。
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フランスの童話には、ひとつの特徴があります。おはなしの、筋よりもきめこまかさ、詩的なふんいきやことばのおもしろさを、たいせつにすることです。そしてそれらをうまく使って、まるで宝石のような、うつくしい文章をつくりだすのです。 (p213 訳者解説より)
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僕が物語を書くとき、それも最近の何作かを思い浮かべてなのですが、横の流れであるいわゆる「筋」と、その場その場で立ち上る縦の「味わい」を、意識して書きはしています。でも、そこにぎこちない部分があるというか、まるで数本の竹ひごの骨だけで簡素に組み立てた模型のような感じがちょっとします。肉付けや試みという点で、自分としては物足りないわけです。もっと自由にいろいろとやって楽しめばいいのに、どうもしゃちこばる(まあ、やれている要素もけっこうあるにはあるのですが)。たぶん、創作に使う時間がぎりぎりだからだろうな、と思いますが、そこは二倍の時間がかかったとしてもやっていくといいのではないか、と今回、本作品に触れて、そう感じました。
というように、物語世界を楽しみながらの、学びのある読書になりました。……よき。