読書。
『霊と金』 櫻井義秀
を読んだ。
「宗教嫌いの神秘好き」と形容される日本人。日本社会で勢いを増しているスピリチュアルについて警鐘を鳴らす本です。副題は「スピリチュアル・ビジネスの構造」。2009年刊行の新書ではありますが、著者の目と分析力が、本書で扱われるいろいろな事件やトラブルの底の部分まで透徹しているので、今読んでも翳りのない論考として光っていました。構造的にどうなっているのかがちゃんとわかっているからこその、スピリチュアル・ビジネスに対する(そしてある部分での社会構造に対する)見抜きがあります。
最初に登場するのは、宗教団体がその身を隠して作った会社が運営するヒーリングサロンに取り込まれそうになった女性の話で、そのやり口がわかる内容になっています。とにかくお金を吸い上げるために、スピリチュアルの論理を駆使し、「御霊光」だとか「浄化」だとかの文言と共に巧妙にヒーリングから抜け出せなくさせます。いろいろな決まり事で個人を縛って、組織からのお仕着せに従ってしまうように仕向けるんです。そこで語られるのは、「○○しないと不健康になるから、これを試しましょう」だとか「もっと他の人を勧誘してこないと、徳が下がる」だとか、一歩ひいて考えれば何を言っているんだ、という類いのことばかりです。でも、組織のスタッフと付き合いが生まれて、心理的に近い距離から言われてしまうとつっぱねるのに勇気がいるようになるのでしょう。それに、個人の内に勇気が育つ前に、組織のスタッフ側から勇気の芽を摘むような圧力がかけられる。
これは、次に登場した統一教会の話も似ています。統一教会の論法は、特有の論理で強固に縛るものから始まります。これも、前提を疑えるし否定もできるのですが、教会側から「否定などしたら罰が当たる」というような脅かしで不安や恐怖を植え付けてくるのがずるく、いじわるなのです。逆に、そういった論法でくるほうが倫理的に罪なのですが、教義というのは恐ろしいもので、「それは絶対の真実」だから逆らえないし覆せないとしてくる。世の中、ひとの心理と一体化しようとする「絶対」ほど悪いものはないというのに。これは世界三大宗教であろうと、「絶対」との一体化を説くものは悪だと僕は考えます。
統一教会の話でいうと、この宗教団体の創始者は韓国人で、日本人は韓国人よりもよっぽど低い霊的な地位にあるのだと規定しているそうです。これは嫌日だとか反日の思想を韓国人のほとんどが持っているのではないかとのイメージが日本の中ではけっこうあると思うのですが、実は韓国人が反日だというよりも、韓国人の多い統一教会の信者(とそのシンパもでしょう)が反日の姿勢のようです。一般の韓国の人々は、特段、日本人に極端な悪いイメージはもっていなそうです。このあたりは踏まえておかないとやぶからぼうに韓国の人々にたいして妙な感情を抱いてしまうので注意が必要だなと思いました。
その他、教会や寺社仏閣の収支についての話、占いやオーラ撮影などの店が多く出店する見本市である「すぴこん」の話、そして最後にテレビ番組による影響を考えながらリスク認知をしっかり自覚することで自分の身を守る方法はあることを示して終わっていきます。
「すぴこん」の章がなかなかにぶっとんでいて面白いのですが、こういうコンベンション(見本市)に多数の集客があるのは、どうやら多くの人がテレビでスピリチュアルの世界観になじんでしまっていることと、ここで癒しが得られることを見こんでいるということがあるようでした。本書に登場する「日常的にドラゴンが見える人たち」だとか、まったく異世界の人たちだなという印象を受けますが、人間は多様で千差万別ですし、なんらかの特殊な才能(スピリチュアル的にというより独特さという点で)を持つ人たちなんだろうなあと思うことにしました。ただ、著者も言っているとおり、オーラにしても占いにしても、エンターテイメントとして楽しんでいるうちは安全なんですが、のめり込んでしまうととんでもないことになります。実際、出店している各店には、あなたもオーラを解釈できるようになるだとか、スタッフになれる道を用意しています。その講習を受けて免許をとるのに何十万とかかるのですが、そこでえた免許は当り前ですが任意のもので、社会的には本来なんの影響力もないものなんです。s楽しみでやっている分にはいいですが、本気でやっていると、その道はちょっと違いますよ、といいたくなります。
あと、鋭い見抜きにしびれたところがありました。女性の占い好きは、自分の頑張りだけでどうなるものでもない立場にあるから運を見たがるゆえのことだ、というのがそれです。つまり、女性の人生は結婚・出産・子育てと大きく人生が変わり、自分の頑張りだけでどうなるものでもない、だからたとえば相性占いをして運を知りたいのだと。占い好きとか宗教信者の女性割合とか、僕は性差として脳の構造に特徴的な何かがあるのではと見てしまいがちなところがありました。でも出産・子育てだけじゃなく、とりまく社会的環境・文化的環境が行動や考え方に抑圧をかけているものだし、それだけ自力でやれる裁量が少ない立場だから運をみるっていうのには納得でした。
そこを前提にして考えてみると、考えが膨らんでいくのです。スピリチュアルや新興宗教などに惹かれるのは、辛い現実世界とは別の世界を見たいというのがひとつあるようです。現実とは違う世界に浸ることを考えれば、仮想現実や拡張現実、つまりVRとかARが今後代替することになるんじゃないかとも考えることができます。自分の頑張りだけじゃどうにもならないのは、格差社会の現在、男性のなかでも増えたでしょうから、なおそう考えられるんです(自分の頑張りだけじゃどうにもならなくて運が見たいという心理になって占いに走る男性は増えていないかどうかはちょっと知りたいところです)。
ただ、こうやってテクノロジーが発達した現在、スピリチュアルに走らない代わりに仮想現実の世界が市民権を得ていく、というか仮想現実世界が広がっていくイメージは、かつての宗教やスピリチュアルと重なるような気がします。苦難の道を行く人々が求める「別の世界」は、もう宗教やスピリチュアルじゃなくても仮想空間にあるだろうし、やる気があれば自分好みの世界を作り出して共感する人たちと共有することでその仮想世界がよりちゃんとした世界然としだす、というイメージって浮かびませんか。仮想空間が、宗教やスピリチュアルに変わって、ある種の受け皿になっていっているような気がしてくる。
また、もうちょっと考えを膨らませることもできます。頑張りだけじゃどうにもならない男性が格差社会によって増えたことは、それまでの女性の立場と似通った立場の男性が増えたことだとしてみます。そうすると、たとえば美少女バトルアニメや魔法少女アニメなどの人気が高いのは、男性が頑張っても報われない自身の立場を、運に頼りたくなる最たる存在である「少女の社会的・文化的境遇なその存在」に仮託するからなのではないでしょうか? 運によって著しく人生が変わる境遇にあるとする存在(少女の存在)に、格差によってうまくいかない存在になっている男性たちが感情移入しやすくなったのかもしれない。
この視点は、女性アイドル人気にも通ずるように思います。頑張りだけじゃどうにもならないなかで、それでもどうにかなっていくストーリーに魅せられているっていう部分はあるのではないか。ただ、かわいい、とか、きれい、とかだけで人気が出るわけじゃないところがなおそうなん感じられるのです。
というふうに、最後は読者の中で発展を見せるようないろいろなヒントが詰まっているともとれる本です。そうじゃなくても、ストレートに内容を吟味することでスピリチュアル・ビジネスや新興宗教をより客観的に考えることができるようなきっかけにもなり得るでしょう。
一度きりの人生に、余計な干渉やトラブルはできるだけ避けたいものです。そのためにはどうやら学びって大事です。それも、応用が利くような知見と、柔軟な思考力を養うためのものが特に。
そういえば本書を読み終えて思い出したことがあります。昔、神道系の新興宗教のお札を車に貼った人が上司だったなぁと……。
まあ、それは置いておいて。世の中のよく見えない部分を照らす光でもありますし、社会構造について少し解像度があがる読書にもなりますから、おすすめでした。