Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『夜のピクニック』

2021-12-30 20:13:39 | 読書。
読書。
『夜のピクニック』 恩田陸
を読んだ。

第二回本屋大賞受賞作。修学旅行の代わりに行われる夜通し80kmを歩き続けるイベント「歩行祭」を舞台にした、男子高生・融と女子高生・貴子のふたりを主人公とした物語。

二人は三年生になってから同じクラスになった。それまでお互いを避けてきたのにどうして、と困惑する二人は、実は異母兄弟なのだった。「葛藤と対立」からはじまる二日間の人間模様がどのような結末を迎えるのか、わくわくしながらずっと読み続けていられる名作でした。そして結末での「葛藤と対立」の落としどころが素晴らしかったです。しっかり活力がある作風で進んでいくのに、落としどころではさりげないくらいの柔らかさが印象的。緩急や硬軟のメリハリだととることもできるのではないでしょうか。

読んでいると、きっと細かくきっちり、がっちりとしたプロットを立てて書いていったのだろうと思えるのですが、プロットに沿って書いていても文章が生きいきとしているし、アウトラインに沿うように無機的になる部分が無いところもさすがでした。単純計算すると、作家が38,9歳くらいのときに書いたものだと推測できるのですが、作家の実年齢よりも20歳も下の世代のやり取りを、脚が浮つくことなく成立させることに成功しているところは、腕っぷしあってこそでしたね。しっかり血が通っていました。

そして、哲学や知見が登場人物たちの口から散見されるのですが、なかでも「これは!」と共感したものを引用して終わります。こういうことをなんとなく感じていたけれど、しっかり言葉にしていなかったなあというところがしっかり言葉になっていました。
______

融は未完成の少女たちが苦手だった。ふわふわしていて、サッと表情が変わったり、絡みつくような目をしたり、恨めしい素振りをしたり。その青臭さが魅力であることは認めるものの、あんなふにゃふにゃしたものに手を出したら、大変な目に遭うのではないかという不安の方が大きかったのだ。(p225)
______

……僕も苦手な方ですね。ひとつこの引用に言い添えるならば、ここで語られている性質って、少女たちだけに限らず、成人を迎えた女性たちのほとんどにも失われずにある、ということです。輪郭がくっきりした大人の女性の存在のほうが珍しいような気がするのですが?

というわけですが、さまざまな世代の人が読んでもきっと楽しめるだろう佳作なのでした。おもしろかった。


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「干渉」が跋扈する世の中。

2021-12-27 11:11:21 | 考えの切れ端
たとえば僕は、「干渉」されるのが好きではありません。親からの過干渉、友人からの干渉、そして仕事上での干渉ですら受け入れられないときがあります。今回はそんな「干渉」を見ていきます。

世の中ってものは「干渉」だらけであることが改めて理解できると思います。そして、意識の底あるいは無意識に密着した「干渉」をうまく対象化できたならば(できるだけ、ということですが)、自制や自律が利いた、より生きやすい世の中に変わるではないかな、と考えます。

そうなんです、「干渉」がまるで秘密裏に市民権を得て人中であぐらをかいている今の世の中は、息苦しかったり生きずらかったりしませんか。より生きやすく、ベターな居心地の世の中になればいいのにと思っての論考です。

「干渉」にはさまざまな形のものがあるのですが、「干渉」というものに分別がないのが今の社会でしょう。まずよくあるのが、親からの「干渉」です。こうしなさい、ああしなさい、などの指示や命令によって他律性を押しつけられる形の「干渉」。いわゆる「お仕着せ」です。重松清さんの小説に、父親(祖父だったかもしれません)からの「過干渉」によって小さな子どもにチック症状が起こるものがありましたが、「干渉」によって自律性を損なわせることは精神的な危機に直結するのだと思います。これがひどいことになると、難癖をつけたりでっちあげたり屁理屈を使ったりしてまで理由をこしらえて「干渉」するタイプの人もいます。これは家庭のなかに限らず、クレーマーやモンスターと呼ばれるタイプの人が似た精神構造をしていると考えています。支配欲があったりします。もっといえば、支配したり自分の思うままに他人を動かさないと自分が不安になるタイプなのではないか。また、こういうケースもあります。不安に長くさらされながらその不安に正面から対峙して解決しようとせず逃げていると「認知の歪み」が生じると言われます。認知が歪むと、なんでもないようなことなのに、その事柄に対して自動的に、これは悪いことだ、と捉えるようになるそうです。そうなると、その悪いことが葛藤になるので(認知的不協和)それを解決するために他人に干渉を始めるものもあるでしょう。

次に仕事上での「干渉」を。上司から、「それじゃダメだ、やりなおしてくれ!」と言われることは珍しくないことでしょうけれども、そういった上下関係による命令・指示は「干渉」の仲間です。仕事によくないところがあったのだから悪いのは「干渉」されるほうだ、と考えるのも珍しくありません。しかし、よりお仕着せ的な「干渉」を行いやすくする下地として、そういった命令・指示は機能しているのでは、と考えられます。まあ、仕事がうまくいかない人に、こうやれ、ああやれ、と口を出し始めればそれはもう正真正銘の「干渉」です。そして、そういう場面はとても多いです。

続いてネット世界などでの「干渉」を見ていきます。ネット掲示板でのコメント欄がにぎやかであれば、多くの人がその件あるいはそのニュースの当事者たちに「干渉」を行っていると見ることができます。炎上もしかりです。赤の他人なのに、やんややんやといろいろな言葉を浴びせる。これ、「干渉」です。同様に誹謗中傷の書き込みが怒涛のように押し寄せられるのも、すべて「干渉」です。さらに考えれば、ツイッターなんかでのエアリプですら「干渉」の性質の強い行動だったりします。

さらに見ていきましょう。TVショウの司会者やゲストの人たち、コメンテーターの人たちが政治や社会現象・社会問題に対してあれこれ発言します。これも良い発言や共感を呼ぶ発言だったとしてもやっぱり「干渉」なんです。社会に積極的にコミットしていく、という多くの場合には「社会参加」よりも「干渉」になっているきらいがあるのではないでしょうか。

まだまだあるでしょうけれども、最後にしますが、広告も「干渉」です。この商品はいかがですか、などと尋ねてもいないのに商品の説明を聞かされたり読まされたりする。また、ケータイに広告メールが入って個人の時間に侵入を受ける。これらは、広告による「干渉」です。

現代は「干渉社会」なのです。では、みんなそんなに「干渉」が気にならなかったりするのでしょうか。いやいや、そうじゃないから息苦しく生きている人が多いのです。ただ、「干渉」には人と繋がりたい欲求がこじれて発現してもいます。つい声をかけてしまう、お節介を焼いてしまう、そういったことは人と繋がりたい気持ちの現れで、「干渉」にならないようにもっとうまくやろうすると、難しくてどんな行動を取ればいいのかわからなくなるでしょう。つまり、受け入れた方がよい「干渉」もあれば、断固拒否するべき「干渉」もあるのだ、と。「干渉」についてわかってきたから全部はねのけよう、ではなく、いいよ全部受け入れよう、でもない、ケースバイケースであたっていくべきです。1か0ではないです。またはもっとグラデーションで考える。パーセンテージですね。これはこれだけ良くない「干渉」の性質が含まれているけど、でも行動するべき「干渉」だと思う、と各々が判断する。そのためには認知の歪みをできるだけ少なくし、自己省察をやってみることが大事になります。自分を省みるのは、自分の向上のためだけではなく、社会のなかでいろいろと良い反射を生む行動なのではないでしょうか。相互に影響を受け合うものですからね、社会は。

というように、まるで集団的無意識のように、みんなの心の中にしれっと潜みこんでいる干渉行動。干渉への疑問が低かったり、もともと無かったりします。そのあたりにメスを入れてみませんか。知るだけでも大きな一歩です。そのちょっとした補佐になれますように、という記事でした。おそまつ。
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『人を見捨てない国、スウェーデン』

2021-12-18 19:42:54 | 読書。
読書。
『人を見捨てない国、スウェーデン』 三瓶恵子
を読んだ。

幸福度調査でいつも上位にランクインする北欧の国々。スウェーデンはそんな国々のなかでも、ひと昔もふた昔も前からその高福祉社会のありかたが日本でも注目されている国です。本書は、スウェーデン在住30年以上(本書執筆時の2012年当時)の著者による、子どもたちの生活を中心にスウェーデンを紹介してくれる本です。

スウェーデンはいろいろとタダなことが多いそう。それだけ多くの税金が取られてはいるのですが、国や地方の税金の使い道がはっきりしており、そのことにスウェーデン人たちが納得しているとのこと。たとえば、大学に至るまで学費や入学金がかからず、さらに返済不要な奨学金や教育手当がある。医療の分野でも日本よりもお金がかからない(しかしながらちゃんとした医師に診てもらうまで長い時間がかかりはします)。

障害者への福祉も手厚く、障害者手当は月額19万円、28万円、36万4千円、など大きく分けて3段階あるそうです。これ、日本ですと障害者一級の年金で年額97万4,125円ですから、月額でいうと約8万1千円です。だいぶ違うのがお分かり頂けると思います。さらに障害者が働くための仕組みもしっかりしているということです(おもに派遣社員としてはじまり、うまくいくと派遣先で採用される)。

これだけ福祉に手厚くとも、スウェーデンは自立・自律の気風の国なのでそれ相応の厳しさはあり、就職についていえば、若いうちはスキルが足りなくて思った職につけないことが多いのだと。すこしずつ短期の仕事をこなしつつ(スウェーデンにアルバイトはない)、キャリアアップしていくものだそう。このことについては、多くの人が同じ条件なので、少しずつ積み重ねていく向上のやりがいみたいなものがあるかもしれません。つまりは、頑張ろうとする気持ちになりやすいかもしれないです。

また、入試なんてどうなってるの? と好奇心が働く方もいるかと思いますが、小学校から大学まで入試はなく内申点で進路の合否は決まります。授業内容や選択科目も、様々な職業について生きていけることを第一にプログラムが組まれているみたいです。

本書を読むことで人を大事にしているがゆえの強い国の有り様がみてとれるのでした。こういった仕組みの国は、長く続いていく種類の強さがあると思います。人が自立していてこその社会だから厳しさはあるだろうけれど、生きている実感に満ちていそう。日本のような一発勝負の社会ではないので、学び直しはふつうだし雇用流動性も高い。

あとは、ハラスメントやいじめだとかの人間関係面はどうなんだろうと思いながら読み進めると、サポートの仕組みもあるみたいでした。自分から働きかけねばならないけど、行動にレスポンスがきちんとあるようです。それと、親の体罰を禁止する法律がありながらも、親などからの虐待はそれなりにあることも隠さず書かれていました。幸福な国といえど、すべてを克服しうるシステムではないということです。

そんなところですが、他所の国の仕組みや気質などを知るのはおもしろいですね。日本に居続けると固定観念に縛られやすくなりますから、こういったのもありなんだな、と知れるのはありがたかったです。


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『スティグリッツ教授の これから始まる「新しい世界経済」の教科書』

2021-12-12 18:21:40 | 読書。
読書。
『スティグリッツ教授の これから始まる「新しい世界経済」の教科書』 ジョセフ・E・スティグリッツ 桐谷知未 訳
を読んだ。

台頭著しい中国とは違った意味で、世界経済のこれからを考えるうえでその動向をもっとも注視しなければいけない国がアメリカです。なぜなら、アメリカはこれまで経済のグローバル化を推し進めてきた国であり、昨今力が落ちてきたと言われつつも、まだまだ世界の中心にポジションを取り続ける国だからです。

グローバル化の過程でアメリカは自国のルールを他国との貿易や経済のルールにおいても適用してきました。つまりグローバル化の主導権を握ってきた国であり、そのことはいわずもがなだと思います。そんなアメリカの国内では格差の拡大、それも富める1%と下位に属する層とに別れてきていて、中間層が空洞化しつつあるようです。この状況は日本の状況ともとても似ています。本書はそんなアメリカの経済状況の現状を分析し、なにがいけないのかをノーベル経済学賞受賞のスティグリッツ教授を中心としたルーズヴェルト研究所のグループでの共同研究の結果と提言を著したものです。アメリカ国内で貧富の差が拡大しているのに、そのルールを他国にもお仕着せるようでは他国も同じ目に遭います。本書のタイトルに『「新しい世界経済」の教科書』とありますが、グローバル化によって多くの国々に蔓延したアメリカと同様の格差社会を是正する方向性こそが新しい世界経済であるとの観点からのセンテンスだと思います。

僕たちが生活していて不安や不平等を感じるときというのは、少ない給与や不十分な利益、未来に対する不安などがあると書かれています。それを氷山の海面上にでた部分に喩えて、海面下のすぐ下の部分にあたるところに注目するのが本書です。そこには、経済の規制、税制、労働法があります。富める上位1%を優遇してどんどん富むようにしていくように、規制も税制も労働法も機能している。この何十年前からの経済システムの設計のありかたに今日の中間層の零落すなわち貧困層の拡大の発端があるのだと指摘されています。ここを具体的にどう良くない機能をしているかを前半部では述べながら、後半部でその打開策を提言しています。

読んでいて晴れ晴れする気分になるところが多いのは、一般人(僕のような者だとかです)が肌感覚で感じているんだけど言語化がままならないものを見つめて表現してくれているからでしょう。本書で具体的に指摘している部分って、実は市民感覚と繋がっているんです。

そして、どうして格差社会がいけないのか、と問う人もいると思うのですが、格差社会のほうが経済は発展しないからというのがまずひとつあります。中流層が多くて元気なほうが経済は発展していくと経済学の研究としてわかっているのだそうです。経済が発展するほうが豊かでしょうし、より多くの人が不安の少ない生活、または幸せを感じられる生活を送れるほうが豊かだというのがふたつめの答えです。

本書を読んでいてやっぱりこれだよなあと思うことがいくつもありましたが、他の本などでよく目にしてきた「企業の短期主義」についてもちゃんと書かれていて、これについても規制やルールの作り方によって長期主義が有利になるようにデザインすることが大切になるという主旨でした。まったくそのとおりだと思います。

最低賃金のパート労働だとかは、グローバル化でしょうがないなんて言われ方もあるでしょうけれども、はっきりいうとまあ搾取なんですよねえ。

あと、面白かったのは、アメリカのFRBが完全雇用率達成よりもインフレ率を抑えるほうに大きく傾いてきていてそれが問題だという指摘でした。失業率が下がっていき完全雇用率が達成に近づくにつれて、お金がより多くの人に回るようになるのでインフレが起こるというのが理論的な見解だそう。インフレがすすむとお金の価値が下がりますから、国全体・国トータルでストンっと貧しくなるイメージが湧きます。本書を読むと、もっと多岐にわたるインフレのネガティブな効果と、その真偽についてわかるのですが、ここでは説明にかなりの字数がかかるので割愛します。著者は完全雇用のほうが大事だ、と主張するのですが、それは完全雇用が達成されて、労働市場において労働者の取り合いになる状況のほうが、労働者の立場が強くなり力をもつようになるので、賃金の上昇だって望めるのが第一としてあります。そうなれば、中間層社会の実現に近づくという考えでした。
また、長きにわたって雇用状態にない人を作らない効果もあるんです。長きにわたって働いていないと、仕事をこなす能力が低くなるのでさらに採用が遠のき、ますます働けなくなります(ヒステリシス現象)。

と、消化不良気味のレビューなのですが、著者が言いたいのは、みんなで中間層になろうということです。1%の人だけが巨万の富を抱えて、さらにますます富んでいくなんておかしいじゃないか、それはルールや仕組みがおかしいからなんだ、ということです。本書の中身がもっとみんなの知るところになると、世の中の風向きが大きく変わります。そんな本でした。


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『愛について語るときに我々の語ること』

2021-12-05 19:16:14 | 読書。
読書。
『愛について語るときに我々の語ること』 レイモンド・カーヴァー 村上春樹 訳
を読んだ。

アメリカの作家、レイモンド・カーヴァーの転換期となった80年代初頭発表の短篇集。全17作収録です。タイトルがほんとう独特で印象深い言葉の使い方で、こういう言い回しを読むと自分もやってみたくなります(でも、おそらく下手くそになってしまうんでしょうね)。

バカなことをしたものだなという人物や暴力的な人物、情けない人物も、話の中央に位置するかたちでよくでてきます。また、運命やタイミングなどが、それこそ人間たちのその状況や状態などの一切に構わず、まるで「まったく空気を読まずに」やってきて、人間たちを振り回したり掻き回したりする理不尽ともいえるさまをよく描いているなあと思えました。そういったものはもうしょうがなくて、そういった瞬間以降、人間たちはそれぞれどう考えたりふるまったりするかというところにカーヴァーらしいドラマがあるのではないでしょうか。

急に直角にカーブするような力技のユーモアのキレがいいです。また、「これは見事だ」「すごい」とのけぞってしまうような、これまた違う意味でのキレのある締めくくり方にしびれるのですが、そこで作者は読者の予期できない方向に話の流れを一瞬で放ってきているし、放られたあと確認するべく後ろを振り向いてみても一体どこにどう放ったのかすらうまく説明できないような放り投げ方をしてきている。それが、「これはやられた!」っていうキレなのです。そしてこのキレは手品的と形容するよりも、鉄棒競技でのシンプルで効果的な種類の着地技と形容したほうがちょっと言い得るような技術ではないかなと思うところでした。

雰囲気としてちょっとO・ヘンリを思わせるような小編『何もかもが彼にくっついていた』などは僕の好みの話なのでした。しかしながら、執筆の手本とするなら僕の場合では『菓子袋』です。さらに言うなら、目標のひとつに据えるとすると『足もとに流れる深い川』になります。『菓子袋』は地の文が淡々としていて、物語をまるで語らないままの文章で通しています。物語を語っていくのは息子と父親の会話で、はっきりいえば父親のセリフ部分のみだと言えます。構造として分かりやすくあるのにそれに反して効果的ですし、語られる物語の温度(体温を感じられるか)や湿度(乾湿)が快適で、なおかつ強さがあるかが問われるものではないかと感じました。つまり、温度や湿度や強度に注意を払ってから書こうと思ったものを書き始めたならば、『菓子袋』に負けないくらいのものは書ける可能性はあるのではないか、と。また、『足もとに流れる深い川』は筆がのっているような文章だと感じました。書けるぞという気持ちになっているときに書いてみて、このくらいの文章を書けたならけっこう喜べそうな気がします。そういうひとつの尺度として覚えておきたいです。

ほんとうに短い作品も多いのですが、すべてにおいて作品が上滑りしていません。それこそ一筋の川にたとえたなら、その深いところでの、表層とはちょっと違ったうねりにも支えられているような感覚があります。というか、川に喩えるのはまずかったですね。海に喩えましょう。海は表層の流れと海底での潮流が違います。目に見えていない海底の潮流もきちんと含まれている短篇たち、といったほうがより的に近いんだと思います。

ひとつひとつの文章に味がありますし、またマクロに見てみても筋やテーマの流れ方に敬意を持てる作家です。またそのうち、別の作品を読んでみるつもりなのですが、すでに今から楽しみなのでした。


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『山下美月1st写真集 忘れられない人』

2021-12-01 19:32:46 | 読書。
読書。
『山下美月1st写真集 忘れられない人』 山下美月 撮影:須江隆治
を眺めた。

最近では女優のお仕事が目立つ乃木坂46の3期生でセンター経験もある山下美月さんの1st写真集。コロナ禍の直前の時期に出版されたものです。撮影場所はパリ。

当時20歳の山下美月さんです。ランジェリーや水着、入浴ショットはもちろん、そのほかの写真でも露出度が高いです。たぶん、乃木坂46メンバーの写真集で一番攻めています。

肌がとても白く、きめがこまかそう。茶色がかった髪はサラサラで、柔らかそうに肩のあたりでしなっているショットがあって、僕はそういうところに女性特有の繊細な美しさを感じるほうです。美月ちゃん、少女から大人へと変わったばかりのような頃といった印象で、少女の可愛いらしさと大人の艶やかさがどちらも不完全なまま共存している稀有な瞬間という感じ。不完全なままなのが、かえって人をつよく惹きつけるような魅力に結びついているかのようです。端的には言葉にしづらいのですが、時間を越えてくるようなまばゆさを放っています。

タイトルが『忘れられない人』。しかし、裏テーマがなんと「大恋愛」。舞台がパリだけに、読者と美月ちゃん、二人だけの「大アヴァンチュール」の脳内疑似体験ができてしまいます。いやー、ほんとにそうなんですよ。恋の大冒険にどきどきする感じ。シチュエーションが、大人になり立ての彼女と行くところまで行っちゃうんじゃないかってくらい、踏み込んだつくりになっていると思います。

10代や20代の男子だったらね、こうこられたら腰が引ける人もいると思う。美月ちゃんの大胆さには計算や駆け引きが隠されていて、そうして、あれよあれよと男は溺れていくのです。きっと誘われるまま行ってしまったら、しびれるくらいの陶酔感に浸ることになるでしょう。ためらう間もなく、一線を越えてしまうかもしれない。破滅したっていいのだ、と心のままに動いてしまうかもしれない。

そういった妄想を生まれさせますねー。美月ちゃんが本気を出したらもう、そうなんです!

美月ちゃんは同期のメンバーたちとわちゃわちゃしているときの安心しているような状態での笑顔がとてもすてきな人です。本写真集でも、たとえば、だぼっとしたグレーのニット姿で両手で頭を抱えているときのショットの笑顔がそういった笑顔です。なんていうか、琴線に触れてくる笑顔だと思います。そしてそういう笑顔の人は大切にしたいって男だったら(女性でもかな)心から思うでしょう。乃木坂メンバーのなかでは、特に人の気持ちを想像したり考えたりできるがゆえに、その能力の一部分だけにスポットライトをあてるようにして小悪魔キャラなんて言われたりしますが、この笑顔にいたっては計算ではないですよね。

まだまだお仕事も人間としても女性としても途上だと思いますが、それでもまるごと好きだから応援したくなるし、彼女を見ていて元気にもなりたい。

20歳という短い時期の、とある山下美月ちゃんの瞬間瞬間を共有させて頂いたような写真集でした。だから、「忘れられない人」。これをひとつの想い出の碑のように、このときに立ち返らせてくれる。「忘れられない」が強くなっていく作品なのかもしれません。


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