Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『マリアビートル』

2020-05-27 06:18:05 | 読書。
読書。
『マリアビートル』 伊坂幸太郎
を読んだ。

東北新幹線を舞台に繰り広げられる、
殺し屋たちの交錯。
悪業や裏稼業が、
新幹線という狭い空間に凝集されて起こるドラマとサスペンス、そしてアクション。
500ページを超える大作ながら、するすると読めてしまう一大エンタテイメントでした。

今作は『グラスホッパー』の続編的作品であり、
その前作と登場人物の重なりがあり、主人公が章ごとに交代することで、
それぞれのキャラクターの深みが増し、
つれて物語の深みも増していくスタイルを踏襲しています。

大ボスみたいな巨悪的キャラクターが数人いて、
とりわけ、中学生の「王子」という名前のキャラクターが、
憎たらしくてなおかつ油断ならない悪者なのです。
そういう強いキャラクターがぶれることなく動き、その個性を全うさせる書き方には、
著者の力を感じました。

序盤で、その「王子」の章ですが、
価値判断で人をコントロールしちゃう話は「わかるな」と思いました。
上に立つように「これはいい」「これはダメ」といちいち言う事で、
周囲で忖度のようなものが生まれ、言った者勝ちの価値基準が、
そのグループ内に生まれてしまう、というくだり。
こういう呪縛を受けないためには、
多くの別々のあつまりに属することだ。
これはいい、これはダサい、の圧が強い人からは距離をおく。
そういう場合は、「勝手に言ってなさい」くらいでいいんですよねえ。

個人的には、
捨てようと腐心してきた力のひとつがこれだよなあとも思いました。
いかに他人をコントロールしないか。
謝罪の言葉ひとつで上下関係の方向付けがすすんでしまったりする、
世界の(人間の)構造自体をバカにできる世界にできないか。
……まあほぼ無理だと思うから、「できるだけそうしたい」という態ではいたいです。

伊坂幸太郎という作家は、
読者に「知的な義憤」のような充足感を与えるエンタメ作家だと思います。
また、思索へのいざないまでもちゃんと作品に含まれている。
僕が読んできた作品はすべて「力作」という言葉がぴったりくるものでした。
戦って生みだしているなあという感じもします。
そしておもしろい。
病みつきになりそうに読めてしまう怖さがあるので、
またいくらか時間を空けて、
違う伊坂作品を楽しみたいです。



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『QOLって何だろう』

2020-05-18 20:13:09 | 読書。
読書。
『QOLって何だろう』 小林亜津子
を読んだ。

中高生向けの、生命倫理学についての本。
「QOL」とは「Quality Of Life」の略で、
すなわち、「生活の質」「人生の満足度」などに訳す事が可能な概念です。

本書では冒頭でソクラテスが言ったとされる
「大切なのは、ただ生きることではなく、よく生きることである。」
が引かれていて、「QOL」はまさに「よく生きること」、
わくわくしたり幸せだなと思ったりなど、そのような時間を過ごしているときではないか、
と解説されています。

ふだん、健康に過ごしている人にとっては、
QOLを特別に意識することは少ないのではないでしょうか。
たとえば、一日のあいだの短いひとこまに、
「よく生きている」実感をなにげなく得ていたりはするかもしれません。
しかしながら、QOLをきちんと考えなきゃならない場面は、
それこそ、死に直面するときなどです。

命を最優先して、数週間あるいは数カ月生きながらえる手術をするべきか、
それとも、死が近くなったとしても延命治療を拒否し、
衰弱して余計な苦しみを避けるほうが「よく生きること」になるのではないか。
そういう葛藤をするときに、QOLの考え方が際立ってくる。

また、本書に例としてでてきますが、
障害者や認知症になった人たちのQOLは、
本人たちがうまくコントロールできない場合があるので、
それを周囲の人たち(他人)が彼・彼女のQOLを推し量り、
決めつけてしまっていいのだろうか、という疑問もあります。
周囲の人が制御しないと健康上の不利益があるけれど、
周囲の人が制御してしまうと「生きている満足感(QOL)」が
損なわれてしまう。
そういう、どっちつかずのケースが多々でてきます。

なにがどうしても、生命を存えることこそが大事、
だという考えが根強くあると思うのですが、
本書では、そのような考えは、
「凝り固まったヒューマニズム」ではないか、と疑問を呈します。
これには、カトリックの生命観であるSOL(Snctitiy of life : 生命の神聖さ)が
深く関係します。
生命は神から与えられた神聖なもの、生命はそれ自体で尊い、という価値観。
それ自体、すばらしい考え方ですが、
どのような状況であっても死なせてはならない、という考え方に繋がっていきます。
自然のまま畳の上で往生するほうと、
延命措置をして身体にチューブを繋がれ、
意識も朦朧としながら何カ月か生き延びるのと、
当人はどっちが幸せなんだろう、と考えると、
十把一絡げに「なにがなんでも延命だ」とするものでもないように思えてきます。

最近は、元気なうちに「延命するかどうか」を書面にしたためておくだとか、
周囲に話して合意してもらっておくだとかがあるようです。
しかし、いざ本人が危篤になると周囲がびっくりして救急車を呼んでいまい、
救急隊員は救命が仕事ですから、搬送されてそのまま延命処置のほうへと
方針が変わるという「看取り搬送」というシビアな問題もあります。
このあたりも非常にむずかしく、
ケースバイケースだし、
本人のパーソナリティにもよるものなので、
これだ、という正解は無いようです。

あとは、認知症等を患っている人たちのQOLばかりではなく、
介護している側のQOLについても考えが及ばないといけません。

「個人の自律」だけで生きていけたら、
シンプルでストレスの少ない
比較的幸福な生活を送れるんじゃないかと想像できるところなのですが、
実際は「関係性の自律」のなかのどこのポジションに自分を置くかで四苦八苦します。
そして「個人の自律」を重視する昔からの西洋の生命倫理学の考え方に、
最近になって疑問の声が上がっているとのこと。

つまり、
世界の実情として、
独立した個がそれぞれに分散し自律して生きている「個人の自律」というものよりも、
個と個がたがいにケアしあい支え合いながら生きている「関係性の自律」ほうがどうも本当だ、
という捉え方。
介護する側のQOL、または生き方について、
当人も周囲も「関係性の自律」ベースで考えるべきではないでしょうか?

僕は以前から自律性と他律性について考えてはきたんですが、
他律性こそが幸福感を損なうので、
自律性を確保するよりも他律性を排除するほうをずっと重要視してきました。
今回、ちょっと宙ぶらりんだった自律性のほうにも方向付けが得られた感覚です。

そんな気づきをもたらし、思考のための背中を押す役割をしてくれた本書は、
読者に「自ら考えなくてはならない!」という状況を投げ与えてきます。
急にボールが回ってくるんです。
自分なりの泥臭いシュートは一応うてたかな? と思いつつ、
でも、まだまだ考えていくことが必要ですね。

本書は、テレビドラマや小説などの場面を例示して、
読者に「考えてみよう!」とする本であり、
解説や教示してくれるタイプとはちょっと違います。
ただ、そこは入門書の塩梅として上手だと思いました。
知識を入れながら、自ら考えていくため、
脳を解きほぐす役割もあります。
正解がなかなか出るものではないので、
考えすぎると疲れちゃいますが、
著者は、一度徹底的に考えてみるべきだ、と言います。

考えすぎて疲れても、そこで得たものはとても大切なものになるでしょう。

また、序盤で、
感染症のパンデミックが起こると、
QOLよりも公衆衛生が重んじられるので、人権がちょっと軽くなる、
というような記述も見られ、
ここもこの新たなコロナの時代に、もっと考えなければならないのではないか、
と思えました。



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『高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学』

2020-05-13 23:22:29 | 読書。
読書。
『高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学』 菅原晃
を読んだ。

国家レベルの経済について、
要領よく、その要所がつかめる内容でした。
いったい、政府がやっている財政政策ってどんな意味があるんだ?
と思うことがしばしばな人は僕自身を含めて多いと思うんですが、
その大きな道筋を教えてくれる本です。

といいつつ、
僕は経済学士(IS-LM分析が懐かしかったです)。
とはいえ、まあ不真面目な、なんちゃって経済学士レベルです。
文系に数えられる学問のうち、
経済学が自分にもっとも向いていないのではないかと
大学一年のときにイヤになってもいるのですが、
学び直しとして今回手に取った本書が、
とても良書だったのです。

まず、GDPの説明から始まります。
ご存知のように国内総生産と呼ばれるものです。
このGDPは国内総所得(家計所得・企業所得・政府支出)とイコールであり、
総支出(消費・貯蓄・税金)とイコールにもなる。
これを、三面等価という。
ここを抑えておくと、
数式で表した時に数学的に展開できて、
その展開された式から「それがどういう意味なのか?」を考え、
具体的に導き出すためのフィードバックができることになります。

という序盤の辺りは基礎なのでおもしろくはないのですが、
次章で、国の財政と企業の財政の違いが解説され始めて、
少しずつ気付きが増えていき、おもしろくなると思います。
市場を考えたときに、
ゲーム理論ででてくる「ゼロサムゲーム」の考え方をあてはめる言説があります。
限られたパイをみんなで奪い合うのだ、限られた中でのシェア率を高めるのだ、
というように。
しかし、市場は拡大し、パイは増大したりもします。
市場も、消費分野のクリエイトできて大きくなれます。
で、国際貿易もゼロサムゲームではないと著者は解説します。
そして、続くリカードの比較優位論によって、
貿易に関する得体のしれない不安を取り除いてくれる。
貿易の利益は、
より得意なものに生産を特化することで、
どの国も得られるものだと証明できるんですね、数学的に。

ただ、個人的に比較優位論は、
生産を特化し貿易していくことの大事さについては分かったのだけれど、
ここでは加味されていない「質(おいしいだとか)」についての変数って
けっこう大事なんだけどなあと思いました。
また、特化して貿易することで各国が共存共栄できるのはわかりますが、
それは世界平和が実現した世界においてであり、
現在のコロナ禍のような突発的なよくない事象にさらされると、
特化しているがゆえにモノの欠乏などに直面しないとも限りません。

あくまで経済学的にはこうなるという理論なので現実には応用が必要なんですが、
応用の段階になって道を踏み外してしまったり迷子になったりしがちなのが、
経済の難しいところなのではないでしょうか。

また、消費税増税の仕組みについても解説があります。
貯蓄率が下がっていくと金利が上がる。
金利が上がっていくと不況になる。
で、どうやら金利を上げないためには財政赤字をゼロにするために税収を上げる。
これが消費税増税の目的なんですね。
「福祉に使います」だとか言われて増税されてましたが、
こういう根本のところから説明して欲しいなと思いますよね。
また、増税意外にこの局面をのりきる二つ目の方法は、
物価上昇させる、つまりインフレにするということでした。
インフレになると国の借金などの実質的な価値が小さくなります。
現今の財政では、消費税増税と物価上昇、
どちらもおこなわれている。

最後の方に書かれていて、そうなのか、と考えさせられたのが、
「流動性の罠」という、
要するに、国民の大多数がお金を使わないでただ持っている状態によって、
経済が上昇していかない、ということについてでした。
日本は長らくこの状態に陥っているそうです。
そうですよね、僕も経済学の授業で、
お金は貯めないで使え、と教わりましたもの……。
ただ、経済の難しいところは、
さっき書いたように貯蓄率の低下が不況を招きもするので、
そのあたりのバランスの大事さですね。
バランスをとるために、
政府は財政政策をし、
日銀は金融政策をする。

と、そんなところです。
ひととおり読んでみると、
初心者には、経済の見方が必ず変わるでしょう。
入門書としてこれほどすばらしいものも、
他の分野を思い起こしても、思い当たるものはなかなかないです。
著者は高校教師で、自費出版した前著が、
古書として高額取引されるまで評判だったそうです。
勘所をしっているためなのか、教え方がうまいです。

やっぱり、こういうのを少しでも知っておくと、
ニュースの読み方も変わってくるでしょう。
勉強し直しの経済学として、とてもよかったです。


Comments (2)
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『しゃべれども しゃべれども』

2020-05-12 21:28:55 | 読書。
読書。
『しゃべれども しゃべれども』 佐藤多佳子
を読んだ。

もう23年前に発表された作品になりますが、
当時「本の雑誌が選ぶ年間ベストテン 第一位」にも選ばれた、
傑作エンタテイメント小説が本作です。
また、1万円選書でおなじみのいわた書店・店主氏のおすすめ本のひとつでもあります。

主人公はまだ真打にあがっていない、
二枚目の序列にある落語家、今昔亭三つ葉。
ふとしたきっかけで、
しゃべることに難を感じている4人が、
三つ葉のもとで落語を習い始めます。
その、日常ドラマがとても楽しく、そして尊いものに感じられました。

巻末の北川次郎氏による解説には、
物語を構築しつつも物語の背後にあって素人目には気付けないような
作者の文章技術についてが書いてあります。
恥ずかしながら、僕は物語そのものと、
ごくごく狭い範囲の文章術にだけ気を取られてしまい、
北川氏が見抜いたような構造には、
まるで意識的になれませんでした。
本文読後になってようやく「そうだったか!」と得心しました。

それがどんな技術かといえば、
かいつまむと、物語の起伏においてなんですが、
物語がポジティブに進行していくところで、
すこし狭い範囲の文章、段落で、マイナスのイメージを
読者に与えるような書き方をしていることがそれでした。
つまり、登場人物の表情などの描写、
主人公の心理、などなどが、ネガティブに書かれている。
それは、人と人がわかりあったり、心理的に近づいたりすることって、
それほど単純にはいかないものだという作者の洞察があるし、
登場人物たちがしゃべりに困っている、つまり、
自己表現に困っている人たちなのだから、
なおさらネガティブな心理が的を射るし、
物語に深みを与えるし、
真に迫るんだと思いました。

僕が自分で書くときも、それなりに考えてはいるのですが、
今作品のような考え方を未だしたことがなかったので、
勉強にも参考にもなりました。

しっかり考えて執筆に臨めば、
必然的に物語の背後からこういう技術が要求されるものだろうとも思うわけで、
執筆に取り組むときの気持ちをちょっとでもないがしろにしてはいけない、と、
まあ今後もそうするつもりは微塵もないのですが、しっかり覚えておこうと思います。

そうはいっても、先に書いたような技術点など考えずにいて、
物語の面白みが減ってしまうわけではないです。
逆に、物語に没頭することで、すごく楽しませてくれる作品です。
出合えてうれしい大切な小説をまたひとつ、
知ることができた喜びをひしひしと感じています。


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『SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術』

2020-05-01 22:56:08 | 読書。
読書。
『SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術』 ショーン・スティーブンソン 花塚恵 訳
を読んだ。

「人はみな、健康な身体のもと、幸せで充実した人生を送る権利がある。
その実現のカギを握るのが良質な睡眠___」

今でもそうだとは思いますが、
僕が学生の時分、20年くらい前になりますけども、
睡眠時間を削ることがある種のステータスでした。
つまり、いつまでも起きていて、
勉強したり遊んだりしているのが勝ちで、
寝てしまうのは負けである、
人生を損することである、
というような理屈がつよかったです。

代表的な言葉に「四当五落」があります。
受験生が5時間以上寝ているようじゃ大学に受かりませんよ、
4時間睡眠で我慢して節約した時間を勉強にあてましょう、
というものですね。

でも、本書にも書いてありますが、
睡眠時間をしっかり取らないと、記憶が定着しませんし、
学習能力も落ちます。
現代では、しっかり寝てこそ受験に合格する、
が進んでいて、より正しい考え方のようです。

というように、睡眠を擁護する主張どころか、
もっと積極的に、そしてより質の高い睡眠をとろう、と著者は提言しています。
そのほうが、よりよい人生を送れると、
自らの経験をベースにして確信しているのです。

また、スポーツの世界では、睡眠をしっかり取るのも練習のうちで、
たとえば陸上のウサイン・ボルト選手はつねに8時間以上眠り、
テニスの大スター選手であるフェデラー選手は、10時間眠るのだそうです。
さきほどの受験の話にあるように、
知性にしてもそうですし、
スポーツの世界の話にあるように、
身体性にしてもそうですし、
睡眠は重要な役割をもっているというわけです。

ただ、読み進めていくにつれて、
ちょっと都合の良いような言説ばかりなのがひっかかりました。
それはたとえば引用されている科学的な証左についての出典が、
○○という専門誌、という類いばかりでてくるのですが、
どれも聞いたことがありません。
欧米ではそれなりに知れている専門誌なのかもしれませんが、
どこまで信頼性のあるものなのか、僕にはよくわからない。

そういった逡巡に拍車をかけるように、
「(その寝方だと)肌呼吸が遮られないので……」という文言がでてきました。
僕も小さい頃から、人は肌呼吸・皮膚呼吸をするものだと信じていましたが、
最近になってようやく、それが間違った俗説であることを知りました。
人間は肌呼吸しません。

また、体内時計がずれた状態が夜型だ、という前提で話が進む章があるのですが、
以前読んだ体内時計に関する本では、朝方も夜型も遺伝的に決まっている、とあって、
だから、人間はもともとすべてが朝型ではないだろうに、
本書では朝型であると決めてかかっているふうに読めました。

たぶん、こういった調子で、僕の気付かなかったところでも、
著者の個人的といっていい考えを押し付けられている言説も含まれているのかもしれない。
なにせ、読者が著者が提言する枠組みにはまることがよしとされるところがあるので
(それは本書に限らず、啓発系の本はおよそ全てがそうなのでしょうが)、
無理やりセールスされている感じがしてしまう。
おまけに言葉や論理が巧みです。

そうはいっても、信頼できそうで役に立ちそうに思うトピックが
ふんだんに見受けられもするのです。

たとえば、これ。
ストレス緩和のために使われる成分がマグネシウム。
そして、現代人はマグネシウムが不足がちなのです、と。
食べものからマグネシウムを摂取するほかに、
マグネシウム入浴剤(エプソムソルトなど)でも補給できる。
皮膚から吸収できます、ということです。
皮膚から吸収といえば、湿布以外にも経皮薬剤があるくらいですから、
きっとできるんだろうな、と僕は思いました。

また、神経を鎮めるのにサプリはおすすめできないという姿勢や、
かわりにカモミールティーを勧めるところは、
ちょっと信頼できるかなあと、
僕はそう受け取りました。

あと、長時間のジョギングやウォーキングでのダイエットは
リバウンドするでしょ? と書かれていて、
僕は身に覚えがあるので、
そういったダイエット方法の代わりに勧められていた
筋トレを取り入れ始めました。
筋トレ自体よりも、それをすることでよりよい睡眠をとることができ、
質の高い睡眠自体がダイエット効果を持つ、というのを
信じることにしたのです。
これも、よく寝た次の日の体重っていつもより落ちている自覚があったので、
やってみようか、っていう気持ちになったんです。

とまあ、いろいろとあって、
読んだ人のなかでも賛否両論が起こりそうな気がしました。

でも、こうやって睡眠に焦点をしぼって本にして、
それまでたぶんに下位にあっただろう睡眠の階級を、
起きている時間と同等以上のところまで引き上げようとする試みは
拍手すべきものなのではないでしょうか。

まるごと鵜呑みにはせず、
でも、要所要所をおさえるように読むと楽しめる本だと思います。


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