Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

よいお年を(2015大晦日)。

2015-12-31 21:16:55 | days
紅白歌合戦の真っ最中ですが、
目当ての乃木坂46の出番が終わったので、
あとは録画に任せてしまって(風情がないね・・・。)、
この記事を書いています。

今年はやっぱり本を100冊読めたのが、
小さくて大きなやりとげたことのひとつですね。

残念だったのは体重がほとんど減らなかったことです。
80kgから70kg台に突入したものの、
ほとんど減っていません。
そのまま、正月を迎えてしまいます。
増えますよね、年末年始の時期って。
ただ、まあ、わかっているのは、
間食しないでいると減るみたいってことですねー。
なんか食べたいなと思った時には、
食パン一枚だとか食べてしまうときもあるのですが、
カフェインレスのコーヒーにミルクを入れて飲むのが
ぼくにはいいみたい。

大きく振りかえると、11月くらいまではギャンブルまかせの
お財布事情になっていました。
11月には30万円くらいプラスでしたが、
あれよあれよと飲まれましたね。
成功体験があるものだから、
取り返せると思って負けるんですよね、負ける時って。

2月から8月いっぱいまで母が入院していて、
父は8月に入院して、という家庭事情もありました。
で、母の介護(今のところ要介護1)を親父を主介護者として
やっていたりもします。
そして、親父がよく感情に引きずられて怒鳴ったりしてしまうのが
母の病状に悪いので、制したりするのですが、うまくいかないことが多いという。
まあ、今回はいいです、この話題は。

それと、食品工場で5日間アルバイトをしました。
なかなか厳しかったけれど、社会で働く感覚を久しぶりに体験できました。
来年なにをするにしろ、よい助走になったような気がします。

そして、シカと車が激突といういたーい事故もありました。
そのあとに乃木坂にハマる、いくちゃん大好き、という流れで。

ボウリング大会に初出場して、びりっけつということもありました・・・。
これはだんとつのびりっけつで、その大会を含めてその後、
おおきく調子を崩したんですよね。
またそのうち挑戦しようとは思っています。

とまあいろいろと前後していますけれど、
そんな一年だった。

みなさんも、いいこと・わるいことあったでしょう?
いいことがあったときって、そのいいことに酔っていて、
そのあとの準備ができていないために、
次の悪いことに繋がったりしますよね。
悪いことがあったときには、絶対にいいことだってあるんだから、と思って
いいことに繋げることをし始めたりします。
そして、それは実ることが多いし、その過程でいいことがおきちゃったりもするし、
いろいろな拾いものや経験もする。
ぼくはどうも、ギャンブルのやりすぎで、確率論的に考えてしまうのが、
あんまりよくないなぁと思いながらなんですが、
いいことと悪いことはプラマイゼロあたりに収束するっていう考えなんですよ。
いや、ちょっと悪いあたりのラインで収束する、かな。
なので、ときどきへこんだりもするけれど、けっこうドライです。
ドライなわりに、緊張しいですがね。
(確率論の本は来年読もうと思っています)

大晦日の今日は旨煮を作り、温かい年越し蕎麦を作りなどしてでしたね。

・・・と、長たらしくなっていきますので、このあたりで。

ここを訪れてくれて、ありがとうございました。
読んでくださる方がいると、励みになります。

みなさまに幸多き2016年になりますように。

それでは、よいお年を。
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年100冊読書を達成す。

2015-12-28 00:01:04 | days
今年は大台に乗るぞ、
とかまえて臨んだ2015年の読書でした。

その大台である年100冊読書をこの大晦日間近、
12/27に達成できました。
ちょっと「やったぜ」感ありますね。

たぶん、今年と同じ状況で過ごすのであって、
感想を書かなくてよく、忘れても全然OKっていう気持ちをいまより強く持つのならば、
もっと一年の読書数は増やせるのだけれど、
それじゃぼくとしての読書の意味が無くなってしまいます。
本があたまを通過することで影響をうける内容のうち、
あたまがほぐされることがもっとも大事だとしています。

思考実験、咀嚼力、論理的思考の強化、
視覚的想像力の強化、心理的想像力の強化など。
本一冊あたまを通過すると、
内容うんぬんを別にしてこういうことがありますよね。

終盤になってきてから、小説をもっと読みたくなりました。
これは、自分にしては意外な欲求です。
今までは、小説を読むと、
そこに出てくる「教養に基づいたネタや設定」などに焦りを感じ、
新書なんかの論説ものを読んで知識をつけようとしたのですが、
もうそういうのは減らしてもいいかなというくらい、
一応のそういう種類の読書の数はこなしたようです。

そして、小説の面白さも遅まきながらやっとわかってきたのかもしれない。
ぼくなりの、小説の見るべきところや感じるところなんかが絞られてきた。
要は、勘所が自分なりにわかってきた。

今までは小説の世界で迷子だったけれど、
やっと地図と方位磁石を手に入れた感じでしょうかね。
そういう違いは感じています。

来年は、今年よりも読書数は減るでしょう。
しかし、読み散らかさないレベルで、
あたまをしっかり通過させる読書はしたい。
そして、物語を書きたいなあと思っているところです。
物語を書きたいし、今よりも小説を読む頻度を高めたい。

そんな2015年暮れのぼくの読書方面の事情でした。
もしかすると、もう一冊くらい年内に読むかもしれないですが、
録画が溜まった番組の消化などに時間を充てたい気もしています。
こればかりは気分次第です。
あしからず。

ここを定期的に訪れてくださる人たちは、
きっと本に興味を持つ人が多いと思います。
まあ、ぼくに興味でもいいのですが。
しばらくはきっと同じような感じでやっていきますので、
今後ともよろしくお願いいたします。

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『窓の魚』

2015-12-27 22:41:53 | 読書。
読書。
『窓の魚』 西加奈子
を読んだ。

今年100冊目の読書は、この本になりました。
直木賞作家で、なんとぼくと同い年の西加奈子さん。
すごいひと、いるじゃないかと気持ちが引き締まります。

男女四人が宿泊した旅館。
あくる日、ひとりの死体が池に浮かぶ。
いったい、誰が、どうしたのか。
そのような謎が大きくひとつありながら、
四人それぞれの、一人称で語られる四つの章で見られる細部から、
同じストーリーでも、いや、同じ日を過ごした四人でも、
そこで考えていること、感じていること、
話の中身や表情などの受けとめ方なども異なっている、ズレがあることで、
それぞれの人生を感じることができて、
それぞれの人としての重みを感じることができるようになっている。
そこには、たとえば交差点で行き交う人みんなに人生があってドラマがある、
というようなことの具体的な表出があります。

誰かひとりが死んだのだが、
いったい誰が死んで誰が殺したのか、
そもそも他殺なのか自殺なのか。
そこのところについていろいろと多方向へ読者の想像力をかきたてます。
これだけ殺意の契機や自殺の衝動の契機になりそうなものが日常には潜んでいるのかな、
と思わせられるつくりにもなっている。

日常の薄皮一枚の裏には危うさがひそんでいて、
みんなそうなんだよ、っていう感覚を感じる。
当時30歳くらいの西加奈子さんは最初にそういうことを描こうと思って、
これだけの物語を紡いだのだろうか。
だとすると、その企みも構築力も発想もすばらしい。

というか、そんなにみんな自分や他人に「死」を重ねあわせて見てるのか。
あまり意識的に把握できないか、つかんでは逃げていくタイプの感情として
「死」を重ねるものがあるのかなあなんて客観的に考えてみる。
自分はどうだろう、たしかに日によっては「死」を多く日常に重ねて見る日もある…。

にくたらしいことを言う友人にむかって胸の内で「こいつ、死ね!」と思うときもあれば、
もっと軽く、熱い風呂にはいったときに「あっつ!!死ぬ!!」とやるときもある。
それだけ、「死」のイメージというか言葉というかは身近で、
へんな言い方だけれどカジュアルなものなのかもしれない。

それだけ「死」に捉われているのは、
死の強迫観念なのかもしれない。
自分が死んだり近しい人が死ぬのが怖いし、
どれだけ苦しくて痛いのかもわからないし、ましてや最期だし。
「死」になれようとするから、
つまり「死ならし」のために日常の裏にいっぱい「死」への契機があるのかもしれない。

そんなところにまで考えが及んでいくような小説でした。
全章に通して出てくる、すなわち串刺しになっている味付けの猫の鳴き声の伏線などが、
不思議な感じで意味合いとしてわからないからぱーっと解放されるような感覚があって、
そういうのはわりと好きです。
ぼくがそういうのを書くとしたら、意味はあるんだけれど、
書き終わって時間が経つと忘れてしまう類のネタだと思う。

まあ、ぼくはいいです。

そういうわけで、年100冊の読書目標を達成しました。
ぼくの今の環境で100冊くらい読むと、ちょっと読み散らかすみたいな感覚もあります。
もうちょっと穏やかに暮せていたらそういうこともないのですけども。
また、フルタイムで働きだしたりしたら、もっと読めなくなるでしょう。
それでも、限界突破じゃないけれど、ぼくの読書に使う能力が伸びたとは思います。


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『マン・レイ』

2015-12-26 00:52:01 | 読書。
読書。
『マン・レイ』 マン・レイ
を読んだ。

歴史に名を残すフォトグラファー、マン・レイの作品集。

独特の世界観、美的感覚と、
それを具現する技巧力をもつ人だという印象。
その作品を眺めてみると、
CDだとかレコードのジャケットに彼の影響を受けたものがあるなあと、
具体的には思い浮かばないながらも、
そのDNAを受け継いだデザイナーがたくさんいるだろうことがわかったりする。

また、彼は画家から写真家になったのですが、
そんな彼の写真作品から絵画の分野に、
そのアイデアを持ち帰った画家の人もいるのではないか、と素人ながら思ったり。

自然な写真もあるけれど、作品といった感じの写真は
作られた環境やポーズや構図だというのが顕著にわかるような、
独自性が強く、絵の構図のようでもある。

と、つらつら書いても、百聞は一見にしかずともいいますので、
まずはWEB検索などからマン・レイの作品に触れてみるといいですよ。


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『郷土LOVE』

2015-12-25 00:30:33 | 読書。
読書。
『郷土LOVE』 みうらじゅん
を読んだ。

みうらじゅんさんが、
全国47の各都道府県について語る本。
ほぼ日刊イトイ新聞で連載された企画の書籍化されたものです。

プロローグからキレッキレのみうらじゅんさん。
そのテンションは、驚くことに、最後まで落ちません。
もうね、読んでいて笑いが腹の底からせりあがってくる感じなんですよ。
すごい本です。

あくまで、みうらじゅんさんの経験に基づいて語られる47都道府県の魅力なので、
記念館だとかお寺だとか祭りだとかゆるキャラだとかが中心になっていました。
公正だとか一般性だとかを求めるものではありません。
それゆえに爆発的におもしろいのです。

そしてその語り口です。
基本的には丁寧な言葉なのです。
そこにちょっとこじゃれたような英語を混ぜることで可笑しみが生まれたり、
勢いによって笑えるようになったり、それはもう内容の妙味で楽しめたり、
とにかく話術が巧みなんですよ。
巧みなんですが、とても器用なんだというわけじゃなくて、
頭の柔らかさのための巧みさなんだろうなと思えました。

今回読んだなかでも、真似したりパクったりして、
友人を笑わせたいと思えたものは数知れず。
北島三郎記念館だとかの記念館ネタでは、
読書中すでにイトコに数件のメールをしてしまいました。
それほど、いてもたってもいられなくなるような面白さなのです。

こんなおもしろいひと、いるんだなあと、
あらためて、みうらじゅんさんの印象が輝きだしました。
まあ、ほぼ日での連載なので、
おそらくいくぶんマイルドなみうらじゅんさんなのだと思います。
宮藤官九郎さんとの対談本なんかだと、
えーらいほどの下ネタの連発とそのディープさに
くらくらきてしまいましたから。

ほろよい加減でみうらじゅんさんに酔ってみたいひとは、
是非、本書を手に取ってみてください。

角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日 : 2012-11-22

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『季刊乃木坂 Vol.4彩冬』

2015-12-21 00:11:59 | 読書。
読書
『季刊乃木坂 Vol.4彩冬』 生田絵梨花 松村沙友理 他
を読んだ。

一年くらい前にでた、
乃木坂46メンバー数人のグラビアとインタビューが載ったものです。
もちろん、ぼくの目当ては生田絵梨花ちゃん。
彼女のインタビューを読むと、素の自分がおもしろくない、何もない、
みたいなことを言っていますが、まだまだ若いし、30歳になるときに、
人間的魅力にあふれていればいいじゃないか、なんて言いたくなりました。
あせらず、いろいろな経験をして、遊びもして、ふざけもして。
そして、いろいろ考えて。
そうやって、柔らかくなっていくんじゃないかな。

まっつん、こと松村沙友理さんや生駒ちゃんもかわいかったー。

生写真3枚つきです。
残念ながら、サイン付きのは入ってませんでした。

著者 :
東京ニュース通信社
発売日 : 2014-12-26

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『会社で起きている事の7割は法律違反』

2015-12-20 00:00:08 | 読書。
読書。
『会社で起きている事の7割は法律違反』 朝日新聞「働く人の法律相談」弁護士チーム
を読んだ。

労働基準法や派遣法など、労働に関する法律に照らしながら、
「それって法律違反じゃないの?」といういろいろな困ったケースに
答えを出してくれる本。

こないだ聞いたことなんだけれど、
派遣社員の差別は小さい会社のほうがありがちだということです。
そして、たとえばそのひとの能力や経験を考えて仕事を振らないといけないのに、
いきなり全開の仕事をまかされたりするそうで。
そういうのは、パワハラになるというけれど、
パワハラはセクハラと違って法律で取り締まられていないみたい。
パワハラを規定する法律がない。

それでも、労働局が相談になってくれるみたいです。
でも、セクハラもそうだけれど、
パワハラは被害を被害者が主観で語らなければならず、
客観的証拠をあげにくいところが、取り締まりの難しさだということです。
また、主観で「これはきつかった」と言っても、
「一般的に見たらふつうですよ」なんて、
加害者である上司などから返されたりすることもあるだろうし、
その線引は難しいだろうなあ。

と、まあ、パワハラに限っただけでも、本書でかるくさささと読んでみても、
なかなか濃厚な感じにあたまが味わっています。
ひとつのケースについて割く紙幅は2ページかそこらですが、
それでもいろいろと覚えておくと良いようなキーワードが得られるので、
そこからまた労働に関する違う本を読んで、知識を強化したり、
WEBで調べてみたりするのに役立つでしょう。
詳しい人と話すためのとっかかりにもなって、
そこから知識が広がることもあると思います。

また、厚生年金の加入範囲が緩和されたという話もありました。
厚生年金をかけられる基準が緩和されたのは、
年金が切羽詰まっているからだとも言われているそうだけれども、
はたして、パート労働者と国のWIN&WINなのかどうか。

それと、ブログやSNSで職場の話を書くのは危険だということです。
おいらも気をつけよう・・・、危ないや・・・・。

ブラック企業が跋扈し、
ピンハネをする人材派遣業者が大きな顔をしている昨今です。
そういうものに少しでも対抗するには、労働者の結束が必要になってくるのでは、
と思ったのですが、やはり昔からありますよね、労働組合というものが。
しかし、最近では労働組合の加入率もかなり落ちているようです。
そこには、非正規労働者となっている人が増えたがためという理由もありそうですが、
なんとなしに、選挙の投票率の低下と似たような要素があるのではないかなという気もするのです。
「あきらめ」「無力感」などのようなものなのでは、と推測するところなのですが、
どうなんでしょうねぇ。


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『図書館の神様』

2015-12-16 23:16:55 | 読書。
読書。
『図書館の神様』 瀬尾まいこ
を読んだ。

『図書館の神様』というタイトルですが、
舞台は高校の図書室です。
こまかいことを言う、とは思いますけども。

ときおり、うそ臭さや無理を感じるような場面がありますが、
それでも、おもしろく最後まで読めてしまった。
小説って、やっぱりフィクションだね、架空のものを楽しむものだね、
という気分になる種類の小説です。

主人公が国語の講師なので、
川端康成や山本周五郎、夏目漱石らの作品についての、
ひとこと、ふたこと、があるのですが、
著者はそういう文学を経て、こういう小説を書いているのかなあと思いました。
あとがきを書いている作家の人は、夏目漱石こそかなり読んでいるけれど、
川端康成や山本周五郎については、それほど知らない(といいつつ、
読んだものがちらほらあるみたいでした)と言っていた。
作家を目指す者はやはりブンガクというものに多く触れているものなのかな、
と祭り上げ的に、作家の人たちの存在を高く感じてしまいました。

そうそう、そのあとがきを書いた作家の人、山本幸久さんは、
自分が短編を書く前や執筆最中に、
ペラペラとめくる川端作品や山本作品があるということでした。
そういうのって、文体がうつってきたりするんじゃないかな、と
そういうのをあまり好まないぼくは頭をかしげたところです。
そんな堅いことを言うなよ、という種類のものなのかなぁ。

小説の内容のほうは、その文体とともにさっぱりとしていて軽く、
10代の子たちこそ楽しめるのかな、と思えました。
YA(ヤングアダルト)文学って言うのがあるじゃないですか、
あれに当てはまるのかな、なんてちらと脳裏をよぎりました。
そんな軽い読み心地なのに、
細かい固有名詞だとか、なにかの過程だとか順序のおこなわれる描写は
堂々としてリアリティを持っていました。
そうなんですよね、最初に「うそ臭さや無理を感じる」といいましたが、
そういうリアリティのある描写や設定が土台にあるから、
展開やキャラクターのうそ臭さによって、どっかに飛んでいってしまわないのです。
ふわりとしていても、しっかり重りがついている。

ぼくが書くと、重りを何kgにするかにこだわった末に、
かなりの重さのものにしてしまうきらいがあるなぁと、
自らを客観的に眺めるきっかけになりました。
ふわり感ってぼくには大事なのかもしれない。

というようなところですかね。
面白かったし、あっという間に読めてしまいました。


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『たまごボーロのように』

2015-12-15 04:03:35 | 読書。
読書。
『たまごボーロのように』 華恵
を読んだ。

子どもの頃からモデルとして仕事をし、
女優としても活動される華恵さんのエッセイ集。
小学生のころからその文章力には定評があります。

そういうわけで、
華恵さんの文章についての評判はなんとなく知っていて、
「モデルをやっているすごい小学生の子がいる」
と頭の片隅にですがしっかりと認識があったので、今回読んだのです。

思った以上によかったです。
いいふりしない、等身大をこころがけているような文章でした。
(それでも、猫を被ってるところはあるのでしょうけれど)

語彙が豊富で、効果的な擬音があって、
真正面から文章を書いているような感じ。

スピード感を重視して、
はがれていくものや飛んでいくものなんか、
気にもとめないで書くというスタイルもあるけれど、
それじゃ豊かさまで落としていってしまう。
楽していない姿勢がベースにあって、
そこから慣れていってこれだけのものを書けるようになるんじゃないかなと思いました。

華恵さんは、ほめられると崩れるひとのようなので、
万にひとつ、もしも本人がこの記事を読まれたときのことを考えて、
ひとつ厳しいことを言っておきます。

・・・と思ったけど、ほぼ無いや。
このトーンで小説を書いてみると面白いかもしれないですね。
でも、小説を書くと文体ににもっと技巧をこらすような方向へ行くでしょうし、
それはそれで文章磨きなのだから、
つとめてこのエッセイのトーンを墨守する必要はないかもしれない。
エッセイはエッセイで、っていう。
この『たまごボーロのように』以降のエッセイ集は発表されていないようですが、
本人の公式WEBサイトでブログを書いてらっしゃるので、
いまはどんな感じだろうと思った時には覗いてみようかなと思います。
この本を読むにあたって検索して見つけて、
昨日、ちょっと二記事くらい読んだところだったのでした。

ちらと、こないだ読んだ角田光代さんの『対岸の彼女』が出てきたり、
乃木坂46の歌で、その言葉の意味を知らずにいて今回わかった「バレッタ」
というものが知ることができたり(女性の小物だとかにうといです)しました。

Googleで画像検索すると、大人になってきれいになられた華恵さんを見れました。

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『女子高生の裏社会』

2015-12-11 00:00:05 | 読書。
読書。
『女子高生の裏社会』 仁藤夢乃
を読んだ。

「JKリフレ」や「JK散歩」などの裏社会のJK産業に携わるをえなくなった少女たち。
彼女らは一体どういういきさつでそういう仕事を選んだのか。
どういった家族環境、学校環境、健康状態の子がいるのか。
個々のインタビューを通じてわかってくる、
少女たちの居場所のなさや大人とのよいつながりのなさ。
このような仕事がはびこるのは、けっして彼女たちだけの責任ではない、
社会にだっておおきな責任があることを見失ってはいけない、
そのようなことが浮かびあがってくるノンフィクション。

まあ最初は、
女子高生のインタビューからJKリフレやらお散歩やらの内容、
裏オプなどの内容をよむと、正直なところ半分勃起してしまいましたよ。
えろいぜ、と思って。
でも、半分くらいのところからほんとにひどい話になってきて、
意識もエロから離れていった。
男は無神経なんですな。
自分自身の野獣の面ってなかなか自覚していないし、
女の心理を勘違いしているところもあるかなと思った。
AVばかり見ているとそうなるのかな?
ばかな世界ですからね、エッチビデオの内容って。

ふたつ前に読んだ『採用基準』には、
自助・共助・公助のうち、共助つまり近所の人だとか友人知人だとかの間での助けあいが
大事になってくると書いてあったのだけれど、
本書『女子高生の裏社会』を読むと、
困窮していたりする彼女らに欠けているものがその共助であることがよくわかる。

現代社会では共助が弱いのです。
そして、もっと共助を大事にしようという声すらあげにくいのです。
なにかあれば「自己責任」って言われるくらいですから。
そういう氷点下レベルの冷たさはもうやめようよって感じで、
『採用基準』の著者は「共助が大事」と言ってくれたかのようで、
それには心は熱くなった。
同様に、本書の著者も、しきりにまともな大人との、
しっかりしたつながりは大事だと説いている。

ぼくはよく自助が大事だとして、
個人での努力でなんとかなるしかないと考えていたのは、
人間不信というか、冷たい社会はなかなか変わらないものだ、
という気持ちが勝っていたからかもしれない。
共助については、大変な環境にある当事者のぼく自身からは、
声の上げにくいことだったかなあと思う。
きっとこの本に登場する少女たちにも、
声のあげにくさの理由として、
「当事者すぎて言えない」というのがある人もいるのではないか。
自分を主張することが、助けを求めることであってさえ、
わがままなことを言っているととられそうで、
それこそ村八分だとか白い目で見られるとか、
そういうことに不安を感じたりするのではと思いました。
まあ、それだけ社会というもの一般が未成熟で、
信頼に足らないものだということを無意識レベルで感じている
ともいえるのですが。

それでも、ひと一人、完璧な考えってもてない。
補ってもらったり助けてもらったりということは、
こういう言説レベルでもあるもんだなあと嬉しくもありますね。
オトコ気なんていうと、
『採用基準』も『女子高生の裏社会』も著者が女性だから失礼になるかもしれないけれど、
よっぽど人のためになることをしてくれているし、その気概を感じますね。

それにしても、JKお散歩だとかしていた子って、
今のことしか考えられないであとで激しく後悔してしまうみたいです。
過去は消えないからなあ・・・。
消えない、どうしようもないような、否定したい過去を持ってしまって苦しむんだから、
今だけ良ければっていう刹那的な生き方はあまり賢くないという。
そこまで考えられない未成熟な年頃だからかわいそうなんだけれども。

しがらまないつながり、共助が大事だとあらためて感じました。
本書では秋葉原でのJK産業に巻き込まれた少女たちを扱っていましたが、
福岡とか仙台などでもあるといいます。
社会の冷たさ、セーフティネットも名ばかりで、親や大人も稚拙だというのが
こういった妙なものが出てくる根っこではないかとも思いました。


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