Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『グラスホッパー』

2014-03-26 00:55:22 | 読書。
読書。
『グラスホッパー』 伊坂幸太郎
を読んだ。

一年ぶりに伊坂作品を読みました。
彼の作品は、大体は発表順に読んでいて、
今回はこの、殺し屋小説『グラスホッパー』になりました。
面白かったです。

こういうのって純粋に作品を楽しむにはよくないのだろうと思いながらも、
伊坂さんの力量を探りながら、つまりは言葉遣いをちょっと批評的な気持ちで
読んでしまったのですが、本作はストーリーだとか、
小説の映像感覚でひっぱっていく種類のようで、
特に、後半にかけての盛り上がりや、
そこでわかってくる伏線だとかの仕掛けに「やりますね!」と、
熱いため息が漏れました。

ただやはり殺し屋小説なので、好き嫌いはあるでしょう。
伊坂さんの文章が大好きならば、読み終えられるかなぁ。
僕はどっちかというと、『アヒルと鴨のコインロッカー』のほうが好きですね。
そういいながらも、本作は面白くて一日で読んでしまったんですけども。

続編なのか、続編的なのか、『マリアビートル』という作品があります。
本作の登場人物も登場する、などと、WEBで少し調べると出てきましたが、
これもそのうち読んでみようと思っています。
「面白かった!」という評判も聞いたことがあるんです。
まぁ、いつになるか。けっこう先の話です。

角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日 : 2007-06-23
本作はストーリーだとか、小説の映像感覚でひっぱっていく種類の「殺し屋小説」ようで、特に、後半の盛り上がりや、そこでわかってくる伏線だとかの仕掛けに「やりますね!」と、熱いため息が漏れました。


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『Tweet & Shout ニュー・インディペンデントの時代が始まる』

2014-03-25 00:01:53 | 読書。
読書。
『Tweet & Shout ニュー・インディペンデントの時代が始まる』 津田大介
を読んだ。

インターネットが普及した95年頃からの音楽業界の様子や流れを説明し、
現代の音楽の分野はどういう道筋を経て今のようになったか、
そして今どうのようになっているかが書いてあります。
「今」というのは、2013年1月までですが(本書は2013年2月25日発行)。

内容には、政治や東日本大震災のことも少し語られ、
特に震災については、本書の終りの方で、ロックバンド、
アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さんとの対談の中で、
彼の震災に関する活動を中心としながら取り上げられています。

しかしながら、大きな目で見て言えば、
この本は、ミュージシャンを中心としてクリエイターが今後
生き残っていくためにはどうしたらいいのかというビジョンを、
いろいろなモデルケースを紹介しながらもたらすものでありましょう。
そしてニューインディペンデントという言葉でもって表現していますが、
それは自活のできる新しい形でのクリエイターのスタイルについての言葉です。
自活であり、そして自助というものもやっぱりこの時代には必要なのだ、
そう思えてくる言説でした。
自助については、1月に考えたことがあります、その時の記事がここなので、
興味のある方は続けて読んでみてください。

津田大介さんについては、
数回テレビで見たことがあるのと(僕はあまりテレビを見ないので)、
ツイッターでフォローしているくらいなもので、よく知らないです。
ただ、本書などの彼の著作を読むと、
ツイッターでは他人からの彼自身の評価については
損をしているんじゃないかと思える向きがあります。
でも、僕みたいな、ツイッターがきっかけで本を買ってみたりする人もいるでしょうし、
有料メルマガの宣伝としても使えているでしょうから、
いいんでしょうね。

300人確保しないとクリエイターとしてはやっていけない、と
目標値を明確にあげています。そして、そのくらい確保できないようじゃ、
プロしてはまず無理だと断言しています。
厳しい世界です。
そして、そういう形を作るのには今ってそんなに時間はないんだぞということでした。

僕はクリエイターには興味があるんですよ。
まぁ、なんにせよ、なんらかでも動かないといけない時期みたいです。
東京という街は、そういう切迫感を与える街だ、
なんていうようなことがNHKの朝ドラ『あまちゃん』のアキちゃんが
言っていましたが、もう最近は、田舎にいる僕でもネットを見ていると、
そういう切迫感を感じさせられます。
まあ、なにやら考えたり生み出したりインプットしたりすることが、
ただの時間の無駄ってこともないんだとは思いますが…。

著者 : 津田大介
スペースシャワーネットワーク
発売日 : 2013-02-22
インターネットが普及した95年頃からの音楽業界の様子や流れを説明し、現代の音楽の分野はどういう道筋を経て今のようになったか、そして今どうのようにあっているかが書いてあります。「今」というのは、2013年1月までですが。300人確保しないとクリエイターとしてはやっていけない、と目標値を明確にあげています。そして、そのくらい確保できないようじゃ、プロしてはまず無理だと断言しています。厳しい世界です。そして、そういう形を作るのには今ってそんなに時間はないんだぞということでした。
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男気ラーメン

2014-03-24 14:34:29 | days
今日のお昼に作りました。
男気満点の味噌ラーメンです。
「けやき」の生ラーメンがベースです。



どうです、またおなかがすくでしょ。

どんぶりがもう少し大きくてかっこよかったら、
もっと美味しそうにみえるんだけどなぁ。

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『LIFE!』

2014-03-24 00:23:03 | 映画
ベン・スティラー主演・監督の映画『LIFE!』を観てきました。

人によって大きく好き嫌いが分かれそうだけど、大好きな映画でした。
ベン兄やんは良い仕事しますねー。励まされるような映画。
主人公が子どもの頃にスケボーが得意だったってあったけども、
僕も子どもの頃にスケボーを買ってちょっとやったのを思い出した。

ヒロイン・シェリル役のクリステン・ウィグって好きな感じ。
コメディエンヌとしてアメリカでは有名らしいです、初めて見た。
きれいですし、あの柔らか感じで、役柄としてだすユーモアやウィットに違和感がないのが、
コメディ畑で一流だってことの証かもしれないです。ふつうっぽさもよかった。

頭の中でいろいろ妄想しているよりか、
実際に冒険してみたらいいんじゃない、手足を動かそう!
みたいな映画と見受けました、おおまかには。
Comments (2)
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『アンダーグラウンド』

2014-03-22 00:13:48 | 読書。
読書。
『アンダーグラウンド』 村上春樹
を読んだ。

1995年3月20日に(昨日がちょうど事件から19年目でした)
オウム真理教による地下鉄サリン事件が東京で発生しました。
死者は13人、被害者は6300人(本書には3800人)にものぼりました。
事件当時僕は17歳で、教室で1時限目か2時限目の生物の授業の時に、
教室に入ってきた先生が興奮しながら「ひどい事件が起こった」
といって、結局授業にならなかったことを覚えています。
そのくらい、インパクトの大きな事件で、その後もしばらく
世間はこの事件とそしてオウム真理教に関する報道にくぎ付けになりました。

本書は小説家・村上春樹さんが初めて手掛けたノンフィクションで、
彼がインタビュアーとなって、62人の被害者や関係者に事件のことを
語ってもらった、777ページに及ぶ大作です。

その日、何が本当に起こったのか。
事件の当時、地下鉄駅構内や周辺では具体的にどうだったのかは、
事件後マスメディアからは語られなかったようです。
語られるのは、正義の「こちら側」から断罪するように分析され糾弾される
悪の「あちら側」すなわちオウム真理教だったようです。
つまり、「こちら側」と「あちら側」を対立させ、相互流通性を欠いたかたちで
一方的に「あちら側」を責め立てる論調があったようです。
しかし、そこで著者はあとがき的なところでこう述べています。
「あちら側」の論理やシステムを徹底的に追求し分析するだけでは
物足りないのではないか、もちろんそれは大事で有益なことだが、
それと同じ作業を同時に「こちら側」の論理とシステムに対しても
平行に行っていくことが必要ではあるまいか、と。
このあたりについて「どうして?」と思う人は、本書を手に取ってみてください。

62人のインタビュイー(語り手)から語られることは、
たとえば同じ地下鉄を利用した人ならば状況は一緒なのですが、
そのときの対処の方法、感じたことや考えたことは十人十色で違います。
そして、その違うそれぞれの体験によって、事件当時の様子が多角的で
部分的にわかるようになっています。
インタビュイーの方々は、たぶん警察の事情聴取を受けておられるでしょうから、
語る内容が整っていて、対象化されていますが、
それは、もしかすると、書き起こし文の編集をした著者によってそう読みやすく
されたところが大きいのかもしれないです。

意外に思われるかもしれないですし、不謹慎とさえ誤解されるかもしれないですが、
インタビュイーのひとたちの人生を交えて語っていることが多いのですごく興味深く、
面白かったりします。笑えるようなことを言ってる人もいる。
こういう人もいるんだなぁ、大変な仕事をされているなぁ、
だとか、そういう感想を持ちながら読むことになります。
そうはいっても、そのインタビューの大部分であるところは事件の体験なので、
ぐっと気を引き締めたりしながら読む場面もあるのですが。
それだけ、本書は被害者の人生の一場面としての事件であり、
その大きさを語っているでしょう。

被害による「縮瞳」という症状、
後遺症とみられるような健忘の症状や疲労のしやすさというものが
多く告白されていました。

それで、ここが一つの問題なのですが、
サリンを撒いた犯行そのものによる被害と、
その後の社会の無理解からの被害がこの事件にはあると言われていました。
「もう時間がたっているんだから事件の被害のことは言うな」というような空気、圧力ですとか、
「あの人はサリン被害者だ」という差別があったようです。
それはどうなんだ、と思いますよね。
現代人の冷たさです。
原爆被爆者を差別するというのもありましたが、
サリン被害者もはみ出し者扱いをするムラ社会がこの日本の社会なのでしょう。
なので、本書でも、仮名でインタビューを受けておられる方が多くいらっしゃったようです。

安心社会とは、はみ出し者を無視したり迫害したりする排他的な性格を持っています。
それを信頼社会に移行していこうとする考えももちろんあって、その方が良いよなぁと、
僕もなんとなく考えていたりします。
信頼が裏切られた場合に機能する法律、
一定の道徳感覚・倫理感覚が社会全般で共有されているという信頼の前提があってこそ
「ムラ社会(安心社会)」後の「信頼の社会」は機能するのでしょう。

とまぁ、いろいろと考えさせられます。
オウム真理教の問題は、いまなおはっきりしない部分もあります。
そんななかで、事件を風化させないための力をもった本です。
あとがき的な部分はちょっと難しめですが、
「物語」が必要だ、などと語られる論説に繋がったものですので、
そういう知識や経験がある人はわかると思います。

その日、何が本当に起こったのか。事件の当時、地下鉄駅構内や周辺では具体的にどうだったのかは、事件後マスメディアからは語られなかったようです。語られるのは、正義の「こちら側」から断罪するように分析され糾弾される悪の「あちら側」すなわちオウム真理教だったようです。つまり、「こちら側」と「あちら側」を対立させ、相互流通性を欠いたかたちで一方的に「あちら側」を責め立てる論調あったようです。しかし、そこで庁舎はあとがき的なところでこう述べています。「あちら側」の論理やシステムを徹底的に追求し分析するだけでは物足りないのではないか、もちろんそれは大事で有益なことだが、それと同じ作業を同時に「こちら側」の論理とシステムに対しても平行に行っていくことが必要ではあるまいか、と。このあたりについて「どうして?」と思う人は、本書を手に取ってみてください。62人のインタビュイー(語り手)から語られることは、たとえば同じ地下鉄を利用した人ならば状況は一緒なのですが、そのときの対処の方法、感じたことや考えたことは十人十色で違います。そして、その違うそれぞれの体験によって、事件当時の様子が多角的ですが部分的にわかるようになっています。インタビュイーの方々は、たぶん警察の事情聴取を受けておられるでしょうから、語る内容が整っていて、対象化されています。それは、もしかすると、書き起こし文の編集をした著者によってそう読みやすくされたところが大きいのかもしれないです。意外に思われるかもしれないですし、不謹慎とさえ誤解されるかもしれないですが、インタビュイーのひとたちの人生を交えて語っていることが多いのですごく興味深く、面白かったりします。笑えるようなことを言ってる人もいる。こういう人もいるんだなぁ、大変な仕事をされているなぁ、だとか、そういう感想を持ちながら読むことになります。そうはいっても、そのインタビューの大部分であるところは事件の体験なので、ぐっと気を引き締めたりしながら読む場面もあるのですが。それだけ、本書は被害者の人生の一場面としての事件であり、その大きさを語っているでしょう。
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『自分を愛する力』

2014-03-16 23:40:14 | 読書。
読書。
『自分を愛する力』 乙武洋匡
を読んだ。

先天的に手足がない乙武洋匡さん。
彼は、そんな境遇でも自分を否定したことは一度もないといいます。
ずっと自分を肯定してきた、つまり明るく生きてきた。
そして、現代人にはその自己肯定感が足りないのではないかとして、
自己肯定感とはどういうものかを、
自らの経験からの多くのエピソードで語ってくれます。
本書は、子ども時代の家族の愛、
教師時代に経験したこと、
自分が父親になって感じたこと、の
3つを軸にした自伝的な論説です。
巻末には、精神科医の泉田閑示さんとの対談が収録されています。

わかりやすい文章でもって、
落ち着いて語ってくれている内容がとても沁みます。
読んでいて、納得と共感、そして心が開ける気持ちゆえの
笑みや感動が生まれます。
主に、よりよく子どもが成長していくための心理面での補助は
どういう風にしたらいいのか、というのがテーマです。
それはさっきの書いたように、大きくいえば自己肯定感を育むことなのですが、
その中の細かいいろいろなものにページを割いて簡素に説明してくれています。
きっと、読む人によっては、自身の心の暗部や、
親や教師や他人を恨んでいた気持ちの理由がわかることにもなると思います。
そうであったとしても、ちゃんと乙武さんの気持ちになって読めば、
すがすがしく前を向いてやっていこうと、
心を新たにすることが出来るのではないでしょうか。
そういう気がしながら、そして自分の中のそういうものも少なからず感じながら
読み終えました。

それにしても、乙武さんって手足がないというハンデをほとんど感じさせない人。
生来の向こうっ気の強さがポジティブに働いているのでしょう。
手足がないゆえにどうしてもできないことや助けを必要とすることがあって、
そういうことに負い目を感じるわけではないとは思うのですが、
「自分はこういうところが至りません」としっかり認識しているのが、
人格に好影響を及ぼしているんじゃないかと思ったりしました。
本人は家族の愛情と育て方が良かったと書いてはいるのですが。

いわゆる健常者には、「やろうと思えばできるよそんなこと」
と言いながら何もしない人ばかり。
それって、やれないことの自覚がないゆえに、
やれるやれないの自己分析が足りてないのと、のぼせているのとがあるのでは。
健常者は健常さにのぼせる、かもしれない。

僕も、自分の至らないところ、できないところなどをしっかり見つめ直して、
出来るところを活かして、何をするべきかを分析しないとなと思いました。

とっても好感を持ててためになる、読みやすい本でした。

わかりやすい文章でもって、落ち着いて語ってくれている内容がとても沁みます。読んでいて、納得と共感、そして心が開ける気持ちゆえの笑みや感動が生まれます。主に、よりよく子どもが成長していくための心理面での補助はどういう風にしたらいいのか、というのがテーマです。大きくいえば自己肯定感を育むことなのですが、その中の細かいいろいろなものにページを割いて簡素に説明してくれています。きっと、読む人によっては、自身の心の暗部や、親や教師や他人を恨んでいた気持ちの理由がわかることにもなると思います。そうであったとしても、ちゃんと乙武さんの気持ちになって読めば、すがすがしく前を向いてやっていこうと、心を新たにすることが出来るのではないでしょうか。そういう気がしながら、そして自分の中のそういうものも少なからず感じながら読み終えました。
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『かないくん』

2014-03-15 19:07:28 | 読書。
読書。
『かないくん』 谷川俊太郎:作  松本大洋:絵
を読んだ。

言葉のほうが先に出来上がって、
それから絵が描かれたそうですが、
言葉と絵の双方、
威張ることなく媚びることなく、
尖ることなくダレルことなく、
初めから一つのものであったかのように、
そこにありました。

この絵本の中で発せられた言葉には、
温度があるかのよう。
吐く息や、声の響きの輪郭が、文字になったかのよう。
そんな言葉が語っていく。

この絵本の絵は、そういった言葉に、
張り合うでもなく、よいしょするでもなく、
引き立て役を引き受けたわけでもなく、
しっかり、言葉の柔らかさとシンクロして
情景をあらわしている。
それは、一緒にダンスを踊るようでもあり、
餅をつきあうようでもある。

言葉というのが縦の糸で、
絵が横の糸で、
丁寧に織られてできた素敵な織物のように、
大事にしたくなる、そんな絵本です。

「死ぬとどうなるの?」
と帯に書かれていますが、
読むとそのテーマからまず感じるものがあるでしょう。
そして、感じるものが薄っぺらじゃなくて、
「うまくいえないけれどもしっかりある」ことがわかるのではないか。

昨今、迅速主義が流行り、
すぐに答えを言え、意見を言え、考えを述べよ、
と迫られることが多くなりました。
もしも、すぐに言えなければ、意見がない、考えがないとみなされてしまう。
でも、感じたことが醸成して言葉になるまでには時間がかかるものです。
早急に言葉にしてしまったら、失われるものがあって、
それが実はとても尊いものだったりする。
だから、この絵本を読んだ人は、
すぐに答えを出そうしなくていいんだと思います。
しっかり感じていれば、ある日、あっ、という感じで言葉になって
でてきたりします。
それをお楽しみにするといいんじゃないかな。

好い絵本、素敵な絵本、すごい絵本。
まるで、無機質じゃない、生きている絵本でした。
「死」っていうものも、無機質じゃないのかもしれない、
そう思えてしまいました。

この絵本の中で発せられた言葉には、温度があるかのよう。吐く息や、声の響きの輪郭が、文字になったかのよう。そんな言葉が語っていく。この絵本の絵は、そういった言葉に、張り合うでもなく、よいしょするでもなく、引き立て役を引き受けたわけでもなく、しっかり、言葉の柔らかさとシンクロして情景をあらわしている。それは、一緒にダンスを踊るようでもあり、餅をつきあうようでもある。「死ぬとどうなるの?」と帯に書かれていますが、読むとそのテーマからまず感じるものがあるでしょう。そして、感じるものが薄っぺらじゃなくて、「うまくいえないけれどもしっかりある」ことがわかるのではないか。昨今、迅速主義が流行り、すぐに答えを言え、意見を言え、考えを述べよ、と迫られることが多くなりました。もしも、すぐに言えなければ、意見がない、考えがないとみなされてしまう。でも、感じたことが醸成して言葉になるまでには時間がかかるものです。早急に言葉にしてしまったら、失われるものがあって、それが実はとても尊いものだったりする。だから、この絵本を読んだ人は、すぐに答えを出そうしなくていいんだと思います。しっかり感じていれば、ある日、あっ、という感じで言葉になってでてきたりします。それをお楽しみにするといいんじゃないかな。好い絵本、素敵な絵本、すごい絵本。まるで、無機質じゃない、生きている絵本でした。「死」っていうものも、無機質じゃないのかもしれない、そう思えてしまいました。
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『新装版 コインロッカー・ベイビーズ』

2014-03-14 23:48:48 | 読書。
読書。
『新装版 コインロッカー・ベイビーズ』 村上龍
を読んだ。

この作品が発表されたのは1980年とのことですが、
今もってまったく力を失っておらず、
80年代が舞台でも古めかしさを感じさせない、
言葉通りの「現代の文学」でした。

これでもかという数の、
明細な名詞に形作られた一文一文の情報量の多さ、
そしてそれらが無駄なく読者に想起させる場面や状況、
この濃厚さがこの小説、ひいては村上龍文学の一つの特徴です。
そしてタブーなど無いとばかりに垣根無く、
歯に衣着せぬ描写がページ上にほとばしります。
縦横無尽でありながら細やかな神経で緻密に言葉を積み重ねているという、
さすが、と言ってしまうほどのすごい仕事です。

僕は結構、小説やらエッセイやら、ものによっては論説文を読むときにも、
その筆者に乗りうつるように読んだりします。
ここでこういう言葉が出る、展開する、というのを読者でありながら
追体験する感覚です。
そうやって磨かれる自分の感性や感覚や思考というものは確かにあるんです。
それで、この村上龍さんにもそうしようとすると、
莫大な情報量、つまりその深遠さと広大さにクラクラしてしまう。
それで、内容もエグかったりして慣れるのに大変だ、というのがあります。
読むのをやめようかな、と思うくらいに、
何かしらの不安定さを心に生じさせられるかのような、
異物感を感じてそれを頭の中にいれたくないという防御反応が起こるような、
そんな気分になりました。
それを、だましだまし、ちびちびと序盤は読み進めることによって、
慣れてきて、一気に150ページだとか読むようになるんですが、
そうやって読むことで、頭が底から混ぜっ返される感覚になりました。
これはたぶん良い事です。
頭の底に積もっていた成分も撹拌されてフレッシュになる感覚でした。

さて、どんな話かというと、
キクとハシという、コインロッカーから発見された赤ん坊が主人公で、
彼らが孤児院で育ち、養子に出されて・・・というように進んでいきます。
二人とも生まれて間もなくコインロッカーに捨てられたためなのか、
自閉的な性質があり、それを打ち消すためになされた治療が、
彼らが生きていく中で、それとなく、彼らにははっきりわからないまま
テーマになってしまう。そして、ドラマチックに展開する彼らの人生、
それは簡単なものではないのですが・・・どうなるのか、という。

それにしても、この作品を読んで思いましたが、
これほど今のサブカル的なアニメにマッチングしそうに感じた
村上龍作品はないです。
きっと18禁になりそうですが、アニメ化すると面白そうです。
それまでの、天才バカボンとか、ドラえもん、とか、巨人の星とか、
そういったものから、攻殻機動隊とか、AKIRAとか、エヴァンゲリオンとか、
そういう質のものに変化していくきっかけとしての一翼を、
この『コインロッカー・ベイビーズ』は担っていたんじゃないかと、
考えてしまうほどでした。

解説を金原ひとみさんがお書きになっています。
彼女の云うとおり、日々、よくわからない罪悪感を感じる人、
嘘偽りの世界のように世の中が感じられる人には、
パワーを与える小説かもしれないです。
ちょっと、疲れるけれども。

これでもかという数の、明細な名詞に形作られた一文一文の情報量の多さ、そしてそれらが無駄なく読者に想起させる場面や状況、この濃厚さがこの小説、ひいては村上龍文学の一つの特徴です。そしてタブーなど無いとばかりに垣根無く、歯に衣着せぬ描写がページ上にほとばしります。縦横無尽でありながら細やかな神経で緻密に言葉を積み重ねているという、さすが、と言ってしまうほどのすごい仕事です。それにしても、この作品を読んで思いましたが、これほど今のサブカル的なアニメにマッチングしそうに感じた村上龍作品はないです。きっと18禁になりそうですが、アニメ化すると面白そうです。それまでの、天才バカボンとか、ドラえもん、とか、巨人の星とか、そういったものから、攻殻機動隊とか、AKIRAとか、エヴァンゲリオンとか、そういう質のものに変化していくきっかけとしての一翼を、この『コインロッカー・ベイビーズ』は担っていたんじゃないかと、考えてしまうほどでした。
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『本当は誰が一番?この国の首相たち』

2014-03-12 22:48:44 | 読書。
読書。
『本当は誰が一番?この国の首相たち』 八幡和郎
を読んだ。

東久邇宮稔彦首相から始まる戦後の首相たちを、
管直人首相までずらっと紹介し、
首相としての成果を著者が独断で評価値をつけ、
何をしたかだとか、その当時の情勢だとか、などを説明した本です。

僕が初めて認識した総理大臣は、
中曽根さんなんです。それ以前は知らない。
しかし、本書によると、もうその当時から
本当の意味での才人だったり大物だったりした首相は
登場しなくなっていて、誰でも、つまり資質不足の人でも
総理大臣になれる時代に突入していたとのこと。
生まれてこのかた見てきた首相がどれも小物とは、
「総理大臣」というイメージのスケールは
きっと僕以降の世代にとっては小さいものなんじゃないでしょうか。

ちなみに、僕が「好ましい総理大臣だった」と思う人は
小渕恵三首相です。その他はあんまりわからない。

それにしても、80年くらいまでの政治家って、
歴史的人物が多い感じがしました。
吉田茂、岸信介、池田勇人・・・。
昔は今よりもビジョンが持ちやすかったのでしょうか。
そういうシンプルさってあったのかもしれない。

ここ30年くらいは、小手先の政策ばかりのように、
本書を読んで感じました。
バブル経済が弾けると言われていた頃も、
何もしなかったし、弾けてもなかなか対処しなかった。
それで、小さなことを「改革だ」としてやっていて、
こりゃ、それ以前の政治家が「ナタの切れ味」
でもって政治をしていたのが、
ここ最近の政治家は「安全カミソリの切れ味」
でもって政治をするようになっているように見えてしまう。

たぶん、時代の変化にスピードに、旧来の政治家としてのスタンスが
合わなくなってしまって、それに合うような人材が現れるまでの
過渡期であって、もうそれを超える時期に来ているように、
僕なんかには感じられたのですが、どうでしょう。

また、中盤から小沢一郎さんの名前がちょくちょく出てきますが、
どうにも、時の首相を混乱させたり、意地悪したり、
嫌がらせをしたりして、まともに政治をさせない役割を担っています。
壊し屋なんて言われる人ですが、その通りでした。

それと、東日本大震災が起こった時の対処で管さんが
ボコボコに叩かれている言葉を見つけたりしますが、
僕は管さんは外れクジをひいてしまったわけで、
それまでに危機管理のシステムや実際の防災・減災の取り組みが
たらなかったという点で、過去の何代にもわたる政権にも
大きな責任があったと見ます。
一部だとは思いますが、そこらへん、民衆の異常な思考のうねりというか、
スケープゴートにされたように見受けられました。

巻末には著者が語る理想の首相像というのがありますが、
これはどうでしょうね、はてさて、と言ったところ。

「首相でみる現代史」とも言えます。
著者の考えのフィルターを通してのものですので、
異論があったり、違和感があったり、
読む人によっていろいろかもしれんませんが、
なかなか面白いので、時間のある方は是非。

東久邇宮稔彦首相から始まる戦後の首相たちを、管直人首相までずらっと紹介し、首相としての成果を著者が独断で評価値をつけ、何をしたかだとか、その当時の情勢だとか、などを説明した本です。「首相でみる現代史」とも言えます。
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東北を、想う。

2014-03-11 21:59:38 | days
今年も3月11日になりました。
あの震災から3年です。

東北の復興はまだよくみえてきません。
それは、復興が遅れていることもあるでしょうし、
どんな復興計画があって実際に行われているかを知らないという
両面からのものだと思います。
そして、そういう人は多いでしょう。

もちろん、復興して欲しいし力になりたいですが、
どうしていいかわからないです。
東北へ行くのも難しいしなぁ。

通販サイトをもっと充実させて一つに集めるといいんじゃないのかなぁ。
楽天でやってくれない?って思ったり。
もう売ってないけれど「浜のミサンガ」とか
販売中の「大漁旗ブレスレット」とか
そういうのを一つにまとめるポータルサイトがあっていい気がした。
もちろん、牛タンとかずんだ餅とか冷麺とか果物とか
特産品も一緒に並んでいて良いでしょう。

それと、僕が、今後どうなるか気にしている癒しのための技術があるんですが、
それを先取りして、研究を速めてやって実用まで早く持っていって、
一大保養施設を福島か宮城に作ったらどうだろう、と想像して漠然とした計画を立てて、
某大企業に提案しました。そこには、ホテルも併設して、ディズニーやサンリオなどの
ショップもあって、HONZのような所と提携した本屋があり、水族館があり、
ボウリング場があり、シネコンがあり…という夢のような施設なんですが、
それくらいのものを作っちゃえよ、と思ったんですね。
しかし、そういう技術は、
たとえば、実用新案技術評価書が添付されうんぬんだとか、
産業財産権として権利登録された特許・意匠・商標等うんぬんだとか、
なんだかややこしい規準があるらしく、
そういうのに当てはまるならば検討しますよ、という返事でした。

そういうわけで、きっと、その技術を研究してる研究所に働きかけて、
某企業と結び付けることが成功しないと難しいんでしょうね。
研究所にメール打とうかどうか考え中ではあります。

東北は青天の霹靂で大被害をこうむったんだから、
どうやっても復興してほしいです。
復旧じゃなくて、どうだ、もっとよくなってやったぞ!と
地震や津波を見返せるような、あの3.11をある意味チャンスにしてしまった、
くらいの復興を遂げて欲しいです。

僕は何もできないのですが、
これからの復興と亡くなった方々のご冥福をお祈りします。


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