Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『かぜの科学 もっとも身近な病の生態』

2020-04-26 22:40:37 | 読書。
読書。
『かぜの科学 もっとも身近な病の生態』 ジェニファー・アッカーマン 鍛原多惠子 訳
を読んだ。

風邪。
それは単一のウイルスによる病気ではなく、
いわゆる風邪ウイルスは200種類以上ある。
そして少なくとも5つの属があって、
ピコルナウイルス、アデノウイルス、コロナウイルス、
パラインフルエンザウイルス、インフルエンザウイルスがそれらです。

本書ではそれらのなかでも、
ピコルナウイルスに属するライノウイルスによる風邪症状に焦点をあてて、
風邪全般を考察する内容となっています。
なぜライノウイルスかといえば、
風邪の40%がこのウイルスによるものだからだそうです
(日本では違うかもしれないので、「アメリカではそうなのだ」
という注釈が必要かもしれません)。

まず、感染経路ですが、
くしゃみや咳などで飛び散った粒子に含まれるウイルスから感染する「飛沫感染」と、
誰かが、鼻水やよだれなどウイルスを含む体液の付いた手で触った箇所を
知らず触ってしまい、その手で顔をいじったりなどして感染する「接触感染」があります。
また、鼻をほじる癖があると感染しやすいことが述べられている。
つまり、鼻腔は感染箇所として重要な箇所で、ここに辿りつくとウイルスが増殖し始めるようです。
ほか、気道のあたりなども感染箇所としてポピュラーだそう。

「飛沫感染」するか「接触感染」するか、
そのどちらが多いのかについては、その触れたウイルスによるそうですが、
モノ媒介で広がっていくイメージの「接触感染」は想像を超えていてなかなか驚きます。
たとえば僕なりのイメージに変換すると、
電車の手すりにだけついていたのに、1時間後にはあたりに飛び散っていて、
なおかつたくさんの人にくっついていくイメージ。
また湿気を帯びた紙幣の上でインフルエンザウイルスが二週間生き延びるだとか、
カラカラ状態でも3日間生きるとか、
現金のようなものもウイルス拡大の肩を持つのがわかります。

そして、感染してでる症状の軽重ですが、
それはその人の年齢や感受性だけに限らず、
鼻腔に感染したか気道に感染したかなどの感染部位の違いで出るようです。
流行の新型コロナが軽く済むような感染部位ってありそうかな? なんて考えていたところに、
「新型コロナは全身の血管に感染する」なんていう
ショッキングなニュースがツイッターで飛び込んできて、
それはほんとうに確実なニュースなのかどうか、
あとで覆されるようなニュースなのかわからないのですが、
ウイルスにもいろいろなバリエーションがあるものだわ、と思いました。

風邪の症状、ときに「悪い風邪をひいてしまった」と言われるようなヒドイ症状は、
どのようにして生じているかについても、解説があります。
鼻水、咳、などなど、人の免疫反応だそうです。
免疫反応が強く出た時、自分自身を攻撃しているようになって、
それが辛い症状という形になる、という構造のようです。
専門的に書くと、体細胞がサイトカインと呼ばれる化学物質を放出し、
免疫反応を媒介・調節するのですが、
それらには、直接ウイルスを攻撃するサイトカインもあれば、
炎症を誘発するサイトカインもあるそうで、
これらのバランスがどうでるかが、
そのウイルスと感染した人との相性みたいなところがあるようです。
サイトカイン自体は、最後には抗体を作る流れに辿り着かせる物質、
ということなのでした。

それで、どう治療したらいいのか。
これについても、紙幅を割いて解説していますが、
結局、風邪に効くものは無いと考えた方がいいようです。
研究中の成分はありますが、
薬に関しても、たかだかちょっと症状が抑えられたところで
風邪のウイルスに効くわけではないし、
逆に症状には意味があるとも考えられもします。
そして、薬効より副作用のほうが問題がある、という結論を出しています。
1970年にノーベル賞受賞者が提唱した「ビタミンCが効く!」という言説も
その後の研究でまったくビタミンCには意味がないことが分かったとか。
また、海外ではチキンスープが効くという民間伝承があるようなんですが、
それも、水分と栄養補給にはいいのだろう、という結論。
他、さまざまな風邪対策について考察していますが、
風邪にかかってしまえばそれは、
「もう嵐が過ぎるのを大人しく待つのと同様の対処をするほかない」のが正解みたいですね。

あとですね、脱線しますけども、
「1980年代の初期、
都市部の慢性的な雑音が子どもたちの読む能力に悪影響を与えるという説を検証した学者により、
執拗な雑音によって子どもたちは言語音の習得が妨げられるだけでなく、
血圧が上がることをも見出された」
という箇所があるんです。
ストレスが風邪のひきやすさに関係があるか解説した部分です
(ストレスは風邪をひきやすくします)。
で、話は風邪からそれますが、
このカギカッコの文章は、
「同じ文章を10回も読んでる」だとか、
「文字を目で追えているけど中身が入ってこない」だとかそういう類でしょうか。
かいつまんでいえば、「煩くて読書に集中できない」ということ。

こういうことですら科学的に解明しないと
「周囲がちょっとうるさいくらいで本が読めないなんて、君の心がけがなってないからだ!」
なんて声高な精神論に力ずくに責められないとも限らない。
まあそりゃ、感受性の鋭いひとも鈍い人もそれぞれいるわけで、程度はいろいろでしょう。
自分の論理をどこまで相手にも適用しようとするか。
「いちおう、科学的裏付けはこうなんだよね」的な言葉をやんわり発して、
それは攻撃の剣ではなく防御の盾だとすると余計な波風はあまり立たないのかな…。

……それはそれとして。

風邪はウイルスであって細菌ではないので抗生物質は効きません。
僕はつい最近まで、つまり新型コロナが流行る前くらいまで、
抗生物質は効くのだと思っていた。
だって、風邪で抗生物質をもらって飲んだことがありますから。
アメリカでも抗生物質が効くと思っている人は多いみたいです。

効くのはアルコールだよ! なんて声もありますが、
本書によると、たしかに作用はあるけれど、滅菌するまではいかないようです。
ただ、アルコール消毒液で手を拭ったおかげで、
そのあとにウイルスがつきにくくなる作用は望めると。

手洗いでは、石けんでよく洗い、20秒以上流水でながすとウイルスは流れていきます。
ハンドソープの詰め替えが僕の町でも欠品していますけれども、
石けんでじゅうぶん、それも薬用石けんなんかでなくていいみたいです。
薬用石けんは菌に効くわけで、ウイルスには効かない。
さっきの抗生物質の話といっしょです。
だから、界面活性でウイルスをひきはがし、
泡でくるんで水で流すふつうの石けんでよいのです。

というわけでしたが、今回、積読にこの本があったので、
新型コロナ禍関連だなあ、と勉強するつもりで読んでみました。

本書は力作の部類に入るでしょう。
アメリカのテレビ局製作のドキュメンタリーを見ているかのように、
それらに特徴的な構成ですが、
いろいろな専門家の言葉をキーポイントにして、
話が切り換って進んでいきます。

ちょっとこってりしているところもありましたが、
絶妙な比喩でもって楽しませてくれる文章もちらほらあります。
また、巻末には、風邪療法のあれこれについて、
トピック別に短評をつけてまとめてくれていますし、
チキンスープやブイヨンなどのありがたいレシピまでついています。

これだけ真摯にリサーチして、エンタメの精神までこもっている本でした。
アメリカのライターの力量の、その厚みを感じます。
海外のものでこうやって日本にまで紹介されるものは、
ほぼ面白いですもんね。
おすすめです。


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『知識ゼロからのIoT入門』

2020-04-25 21:00:20 | 読書。
読書。
『知識ゼロからのIoT入門』 高安篤史
を読んだ。

IoT(Internet of Things)。
直訳すると、「モノのインターネット」となります。
自動車や家電などのモノがインターネットにより結ばれ、
センサーなどから送られた情報が、
インターネットを通じてAI(どこかのコンピューター内にある)により分析され、
モノへと指令がいく(フィードバックされる)、
そうして、人の役に立つように、人が快適なように、
モノが自らを自らで調整し動作する。
わかりやすいところですと、そういった技術のことをIoTといいます。
かつて、「ユビキタス」なんて言われて志向された状態が、
「IoT」としてより具体的かつ現実的かつ多様になって実現した感があります。

本書は、そのとてもわかりやすい入門書です。
読みやすさとイメージの抱きやすさを第一に考えているのでしょう、
図解がたっぷりで文章は少なめの構成です。
そのぶん、もうちょっと詳しく知りたい人には物足りない。
しかし、この分野へのとっつきやすさは抜群ですから、
何も知らないところからのとっかかりには最適かもしれません。

IoTは第四次産業革命とも呼ばれるようです。
いわずもがなですが、
第一次産業革命が蒸気機関の発明による機械化、
第二次産業革命が大量の電力供給による大量生産、
第三次産業革命がコンピューターによる自動化、
そしてこのIoTが第四次にあたると解説されています。
2000年くらいに言われた「情報革命」は第三次なのかどうか、
本書には書いてありませんでしたが、
もしかすると情報革命は今も続いていて、
それはIoTに繋がる前段階であって、
IoTとひとくくりにされて
「現在は第四次産業革命中」という解釈をするのがあっているのかもしれない。

IoTは、なにも家電などによって消費者だけが受ける恩恵というわけではなくて、
工場の管理、コンビニなどの店舗の無人化、
小売店などでの売り上げ傾向などのデータ入手と分析から現場へのフィードバック、
農業や酪農の管理などなど、働く側への恩恵も数多くあり、
あらゆる分野に使用される技術であると言いきってしまってもいいくらい、
普及すると生活が一変してしまうくらいのインパクトをもたらすもののようです。

これはこれで、かつての「ユビキタス」がずいぶん生々しくなったなあと感じます。
たぶんに、センサーの高度化とインターネットの高速化、
コンピューターの処理能力の向上などによって、
様々な「場」に漂っている、まだふわふわしてとらえどころのない名もなきデータを
「見える化」することができる、という基軸がはっきり意識されたために、
こうなったんだと思います。
そこに、既存の経営手法であるナレッジマネジメントの考え方がかけ算して、
IoT化への思想になってるんじゃないかな、と僕は、個人的にですが、
考える次第です。

そして、得たデータを分析する際に、
たとえば回帰分析という手法がでてくるのですが、
これぞ社会でやっていくための大きな武器、というような技術ではないかと思いました。
この技術は、エクセルを使ってできますが、別に使わなくても、
仕事の現場で自然と行われている分析手法だったりもするんですよね。
このあいだ読んだ『コンビニ人間』に出てきた、
「明日は気温が高くなるから飲み物が売れる」という予測と構えも回帰分析です。
気温が高いというデータから導き出される、
そういうときに飲み物がよく売れているという相関データです。
こういうのを、単回帰分析というそうで、
その他、重回帰分析というのがあり、
たとえば本書の解説だと、
「気温が高く、入場者も多い、その野球場ではビールがよく売れる」という予測がそれで、
複数の要因から予測する分析です。
これ、店長職だったら必須の技術という気がします。
実際、店長をやってる人たちはきっと皆さんやってるんでしょうね。

まあ、そういうところですが、
他にドローン、Uber、遠隔医療、
テレワーク、ブロックチェーン、ディープラーニングなども
この分野と関わるトピックです。

本書一冊でこの分野は理解しきれませんが、
ほんとうにざっくりでいいのなら、
IoTをちょっと知っておくのにぱらぱらと読める本書は良い本でした。



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『コンビニ人間』

2020-04-19 22:52:38 | 読書。
読書。
『コンビニ人間』 村田沙耶香
を読んだ。

第155回芥川賞受賞作。
海外でも好評だという作品です。

今回の感想は内容バレになります。
そうじゃないと書けない、というか、
そうしてでも書きたい! という気持ちで臨んでいます。
ご注意ください。

主人公の恵子が子どもの頃に、
よかれと思って言ったりやったりすることが周囲から顰蹙を買い、
それがどうしてかわからない、という部分、そこと、
恵子のいつでも怒らない性分(フラットな感情で物事を眺めていられる性分)は
つながっている、と思った。

まず以下を踏まえてみる。
人間は自分にとっての善しか行わない。
それが悪とされるのは、
周囲への悪影響が指摘されたり行為者の視界にはいったりして気付かされたときだ。
1人の善、家族の善、学年のクラスの善、国の善、地球の善。
それぞれの規模があって、その外部からすると悪になったりします。

本作品の恵子が顰蹙を買った行為は、ストレートで、ある種合理的な善だった。
公園にきれいな小鳥の死骸があれば焼きとりにして食べようよ、もっと取ってくる、
と言って周囲をぞっとさせ、
男子のケンカの場面で、先生を呼んで止めなきゃと周囲で言っていれば、
掃除箱に歩いていき、取りだしたスコップで頭を殴って止める。
それはあまりに目が曇っていないから行われた「善」なのだと僕は思う。
人は、自分にとっての善、自分の信じる善だけを行うからです。

でも、その行為からわかるのは、
恵子は狭い範囲でしか善を捉えていないということ。少数の善。
それは怒りで目が曇らない性質だからか、あるいは、
怒りという感情がわかないくらいどっしりして鈍い、
または無自覚に神経を閉ざしているからだと思いました。
……と、考えながら書いているうちにぶれてきた気配ですが、
きっと恵子は誰より宇宙と繋がってる感じがする。

教科書通りに考える人、
宗教での教えの通り厳格に生きる人、それに恵子は近いのかもしれない。
彼女はすごく前向きだから、前を向けるのならばと、
そのかわりに生じる痛みや苦みを計算に入れないのだろう。
そして、はっと気づいて自分を封じて大人になった。

そして、さきほど書いた、恵子のいつでも怒らない性分。
僕にとって「怒らない」という姿勢は、
現実世界ではガンジーだとかの聖者のイメージのなかにあって、
たとえば怒らなくても神経がすっと遠くまで、
そして狭くて深いところまで届いている人という感じがするのだけれど、
同じ「怒らない」でも『コンビニ人間』の恵子のほうだと、
さっきも書いたように、
鈍いか、無意識に自分を閉ざしているか、
前向きすぎてポジティブな面しか見ていないがために「怒らない」というように感じます。
で、その「怒らない」が彼女の場合、善に関する歪みの遠因としてあるように見えちゃう。

ちなみに、歪んでいないまっすぐな善っていえばどんなものかというと、
宇宙全体を成り立たせているロゴス(秩序)に沿っているかどうかっていうことじゃないかと
仮にではあるけれど考えています。
ロゴスとシンクロしている善はまっすぐな善である、と。
宇宙全体に通じる法則を言語化というか記号化というかしたのが数学でしょうけれども、
宇宙誕生時から宇宙を支配しているその法則が秩序をもたらしている。
そこが究極であり基本でもある善なのではないか。
でもって、人間の善の場合は、
無知であればある程(何を無知とするかでまた定義しなきゃだけど)利己的なんじゃないかな。

ロゴスに近づいていくため、
いろいろ知ろうとし、わかろうとする姿勢がいちばん大事なのかもしれない。
善の行為があり、それがどのくらいの規模で善なのかはそれこそそれぞれですが、
その行為を善とするか悪とするかのときの悪よりもずっと悪なのが、
知ろうとしないし、わかろうとしないことかもしれないなと思えてくるところです。

というところまで飛んで行きましたが、
そもそもは『コンビニ人間』の恵子さんからはじまりました。
恵子というキャラクターを理解する(割り切ろうとする)のは難解な行為なんですよね……。

ちなみに、人は善しか行わないうんぬんの持論ですが、
前に短編を書きながら考えていて見つけたものです。
しかし、『利己的な遺伝子』という著名な本(読んだことない)の
そのタイトルからヒントを得ているような感じがします。

閑話休題。
作品の中核について、話を戻し、進めていきます。
ますます、内容バレになっていきますのでご注意。

「コンビニ人間」というこの言葉は、
中盤で白羽くんと恵子さんの会話のなかで一度そこに意味が付与されます。
そして終盤に再度、また違った文脈での意味づけがなされている。
たぶん作品としては、
終盤の意味づけは、読者の目につくようにという意味でこしらえてあるのではないか。

ではその終盤の文脈で語られた「コンビニ人間」とはなんぞやといえば、
コンビニバイト(その仕事とか職場)、
そこには気持ちよく寄りかかっていられる種類の他律性がありますから、
その他律性に依存する人間のことだと僕は解釈しました。

また、こっちの人間(社会の異物)、あっちの人間(普通の人)との
分かち方が作品内にでてきますが、
社会に組み込まれたら他律的に要請される生き方でこそやっと生きていられる歯車のタイプと、
社会に組み込まれても自律的に仕事をしたり生活をしたりできる歯車のタイプのことを、
分けて言っているのでしょう。

でも、後者の自律性にしても、
作品中で言われているとおり縄文時代以来脈々と受け継がれているままの
「普通」とされる生き方のひな形のなかでのみの自律性であって、
そこからはみ出ることは許されない。
はみ出た異物は排除される。
恵子のような社会的不適合者は自分を封じて他律性に身を委ねるほかない。

白羽は、はみ出た異物であっても自分を封じず、
周囲から排除の攻撃を受けている最中の人物。
白羽のタイプは生き延びていく難易度が極めて高い。
そしてこの小説の場合では、誰かに寄生して生きていくほかないということになっていた。
そういうずるさや図太さがある異物ならばそうするということ。

どちらも社会の異物的性質の恵子と白羽は、
そのあたり、「左右」というか「東西」というか、
そういう感覚の対になっている二人だと思いました。

でもまあ僕も、
もうずっと込みいった個人的事情を抱えているにせよ、
事情なんて鑑みられることもないというか、
理解もしてもらえないような中で非正規の仕事をしますから、
この作品で異物とされる人の範疇として読みもしたので、
もはやどっしりと「受け入れてやるよ」と思って読む描写もあったし、
えぐい場面であっても、どこかで経験済みなものもありました。

ただ、こういうことをここまで対象化してきちんと書いて、
なおおもしろい小説にもなっている、
そういうものを書きあげた作者には、ようやったなあという気持ちでいます。
よい作品だと思いました。

最後に独りごつならば、
こういう作品が高く評価されるのなら、
僕の書いたものだって、ちょっとは誰かれが見向きしてもい…(以下略、フェードアウト)



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『心を動かす音の心理学』

2020-04-15 23:02:17 | 読書。
読書。
『心を動かす音の心理学』 齋藤寛
を読んだ。

音楽や、環境音、声、などの
「音」にたいする人間の心理的反応や、
それをもっと具体的に研究した脳内反応についての
あれこれを綴った本です。

前向きさを呼び、
悲しい時にはまるで自分をわかってくれるかのようで(同質の原理と呼ばれるもの)、
思考や言葉を論理的にし、
大きな快楽を与え……などの本書に書かれている音楽の効能については
実のところあまり興味は無かったのですが、
お店で流すBGMの意味合いなど「行動心理学」の観点からのものが
興味深かったです。

店内で流すBGMの種類で、
お客さんの滞在時間が変わる、
商品の売れ行きも変わる、
店のイメージも変わる。
BGMによるマーケティングはまだ確立されていない手法ということですが、
実際にいろいろな作用を人間心理にもたらすのは事実のようですから捨ておけません。
現在、これといった手法がないぶん、
音楽に対する目の付けどころ(フォーカスするポイント)とセンスで差が出る分野です。

軽やかに読み進めることができる本です。
好い意味でブログ的、といってもいいかもしれないです。
惜しいことには、もうちょっと文章のネジを締めるべきところがいくつか目につくこと。
また、誤字脱字がたくさんあります。
そういうところ、ずんぶんアマチュア的だなと思われちゃいますよ……(ぼそっ…)。
ネットの文章ならよくあることで、僕も人のことをいえませんが、
本となって世に出るものならば、たとえば編集者さん、
もっと頑張ってほしかった。
そして著者のかた、校正をもっと厳しくやってほしかった。
あるいは誰か手伝ってくれる方がいてくれればよかった。

ただ、内容としては、さまざまトピックが目を引きますし、
雑学を吸収するように読めますので、
ちょっとした話のネタから、
他分野への類推の種としてまでも使えると思います。


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『権利のための闘争』

2020-04-13 19:12:27 | 読書。
読書。
『権利のための闘争』 イェーリング 村上淳一 訳
を読んだ。

自己の権利を手に入れることや保持することは義務である。
権利が侵されることは、人格まで脅かされることなのだから。
ゆえに、権利を求めないことは、奴隷状態になることを認めることでもある。
だから、権利のために闘争せよ。

重要ポイントは上記の要約にあります。
闘争といっても、イェーリングは、
ときおり、武力解決を認めもするのですが、
すべてにおいて殴りかかれと言っているわけではありません。
権利を主張するのなら、権利を奪っている者から取りかえせ、
または、それは自分の権利だと主張して、
権利を明確にせよ、そのためには全力で挑め、
というように言っています。

もひとつ要約するならば、以下を。
権利の侵害に対して、
「激情によって荒々しく激しい行為というかたち」もあれば、
「抑えの利いた、しかし持続的な抵抗のかたち」もあるが、両者に優劣は無い。
しかし、前者の態度は野蛮人や無教育の者によるし、
後者の態度は教養人によるものだ。

つまり、優劣が無いんだから、できるだけ野蛮じゃないやりかたでいこう、
と暗にさとされているかのようでもあります。

また、名誉の権利を重んじる「将校のタイプ」、
信用の権利を重んじる「商人のタイプ」、
所有の権利を重んじる「農民のタイプ」など、
権利感覚の敏感さは職業・身分によって違う。
なぜかといえば、各々の生存条件が違うからだ、という説明も。

ちなみに、
自己の倫理的生存条件を権利というかたちで保持しない選択をすれば、
(これは最初の方にちょっと書きましたが、)
それすなわち奴隷になることを自認することになる、とイェーリングは述べている。
権利を主張しないこと、
権利のために闘わないことは倫理的自殺だ、とも。
ただ、権利のためだとはいっても、
自己を見失わずにいることは大切ではないか。

このあたりの考えは、
最近ツイッターを眺めていて感じる風潮にメスをいれるものでもあるなと思いました。
コロナ禍の現在、
誰かが行動自粛を叫べば、出勤せねば食べていけないと抗議がはいり、罵倒まで出始める。
営業自粛を叫べば、営業しないと食べていけないと抗議が入り、これも罵倒まで始まる。
長く家にこもっていられる人、経済的にそれは無理の人がいます。
生存条件が異なっているから、リスクも違うんですね。
「コロナに罹って死ぬかもしれないし、拡げてしまう可能性が無くもないけど、
外で仕事をしないとコロナ以前に生活ができなくなる」
というのが大きく見当たる部分での重要なところでした。
だから、国からの補償を、との声が声高に聴こえてくる。

とにかく、今訴えられているのは、権利も権利、大権利である生存権ですよね。
その条件が異なっていて、大きく見て一律に見えるような政策では不公平すぎる、と。

と、まあ、そんなところですが、
僕自身ちょっと病みあがりみたいな状況であたまの踏ん張りが効かない、かつ、
このトピックは近々応募する小説の根幹のネタに触れる、ということで、
ここではこれ以上斬りこみません。
あしからず、です。


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『秘密の花園』

2020-04-08 00:25:26 | 読書。
読書。
『秘密の花園』 フランシス・ホジソン・バーネット 畔柳和代 訳
を読んだ。

本作は『小公子』や『小公女』とともに、
バーネットが書いた児童文学の代表作のひとつです。

物語の作りが、良い意味でオーソドックスといいますか、
物語のひな形として基本形といった感じなので、それはそれで参考になります。

主人公である少女メアリがインドから本国に帰還してやって来るまでの邸の過去、
それも10年前に大きな悲劇があり、
その悲劇ののちの10年の経過でできあがった世界がまず構築されていて、
そこに主人公のメアリが飛びこませられる。
メアリ自身が偏屈で痩せぎすで問題のある子ですが、
彼女は邸に落ちついてから、
使用人のマーサとの出会いやムーアと呼ばれる邸の周囲の植生からの生命力みなぎる風、
そして邸の周囲の庭で遊ぶようになり、少しずつ再生していく。
邸と花園によって再生していくメアリが、
逆に今度は邸と花園を再生させていきます。

気付いたことといえば、
小川洋子さんの『ことり』に出てくる鳥と話せるお兄さんのキャラクターは、
本作の重要キャラクターであるディコンからインスパイアされているのかもしれないこと。
ディコンは人と話すときは支離滅裂だけど駒鳥と駒鳥語で話をする、
という一文がありましたし、物語のなかで実際にそうでした。
そして『ことり』のお兄さんこそ、人間語がめちゃくちゃ。
共通しています。

本作後半で「魔法」だとか「大きな善きもの」と呼ばれる力。
なかなか名付けようがないけれど、
そのぶん人それぞれで自由に表現が可能なものです。
人のなかに備わってもいるし、人を含めたこの世界全体としてみてもその力はある。

なんとなく思い出すのはソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』。
この小説の底に流れているものだって人間の内に根源的に備わっているパワーのことであり、
『秘密の花園』の「魔法」などとほとんど同じだと思います。
僕も以前、かなり拙い小説ながらこの力を「火種」と名付けてテーマとし、書いたことがある。

個人的な経験ではありますけれど、
ちょっと本が読めてくると「魔法」や「大きな善きもの」
と名付けられるようなものを読書をしていない「しらふ」の状態でも
うっすらと感じられるようになってきます。
そして一度「魔法」に気付けば、
その後はけっこうふつうに、
生活な思索のなかで「魔法」を察知できるようになっていく。
まあ、しつこく考えればかもしれないですが。

最後にですが、
本書冒頭で、コロナならぬコレラによって人がばたばたと死んでいくんです。
いやぁ、この時期に疫病モノかあと構えましたが、
序盤の一章のみでした。
コロナが流行ってきてから、
カミュの『ペスト』が売れているという話を読みました。
こういう、時事に重ねて深めるみたいなのって、
僕はあんまりしないんですけど、
どうなんでしょうね、逆に視野が狭くなったりはしないんでしょうか……。

と、それはさておいて。
こういう子どもの素直な部分、それは良いところも悪いところもですが、
それらに触れられて、さらに自然の豊かさも感じられる読書になるのが本作。
あくまでそれは書かれていることであり、「読書によって」の経験ですが、
こういった読書が実生活へよい影響を与えもします。
それは、読書体験を経た後であれば、そこで知った知識や感覚や視点によって
感性がより開いた状態になるでしょうし、
その状態でいろいろと、
より深く見たり聞いたり知ったりできるようになるだろうからです。
そうして得た経験が想像力を豊かにして、
また次の読書時により深い読書ができるような
フィードバックになっていく。
つまりは好循環です。

そうはいうものの、
そういうことを考えなくても、ふつうに楽しめればいいんですけどね。

この物語に浸れれば、ずいぶんゆったりとした気分になれるでしょう。
かたとき、日常の鎧を脱ぎ捨てて、
かろやかかつ自然に、物語の世界に踏み入ってみてほしいです。


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近況、そして新型コロナを考える。

2020-04-01 00:07:14 | days
北海道はいまのところ、
先月の緊急事態宣言が効いたっぽいです。
本日は「新型コロナの新規感染者はなし」に落ちついた。
9日に札幌へいったときには中心地を歩くおよそ8割以上の人が
マスクをしていました。
やっぱり知事による宣言によって新型コロナへの意識が生まれたんだと思います。
僕もこの二カ月で外に遊びに行ったのは一度だけ。
もともと本読みだし、ひきこもってても大丈夫なタチ。
それに、まるでこういう時期の到来を見越していたかのように、
未読の積読の冊数は300を超え、
買い溜めた映画のディスクも、未開封のCDも多数ある、という状態だったりします。
実はいくらでも家にこもっていられるのです。

……などと言っていても、そろそろ生活に変化が訪れる時期です。
冬季にとくに大変になる母親の介護なんですが、
こっちを今シーズンもなんとかやり通して明日からはもう新年度なわけでして、
ぼちぼち、また観光の仕事がはじまるのです。

また今年も父親に母親の介護をひとりでやってもらう時期が近づいてきたのだけれど、
これがまた不安、というか、おそらくうまくいかないだろうと……。
はっきりいって母親の病状的にも厳しいのだけれど、
父親自体の性格も災いして(すぐにパニックになって落ちつかない)、
最初の1週間でひどいことになりそうでもある。

もしも、(というか、その公算のほうが高いのではないかと感じはするのだけれども)
観光の仕事が新型コロナの流行の為にその開始が延びれば、
家庭の方は僕が家事をしたり見守りをしたりするので落ちつくんです。
しかし、僕個人はそのためにまるきり稼ぎがない。
また、「いやいや、北海道は落ちついてきたから通常通り始めますよ。」
となったらなったで、道内に限らず道外や海外(現状ではそれは無いかな)の人たちと
仕事で交流することになりますから、新型コロナをもらう確率が急激に高まります。
やっぱり、多くの人たちと同じように、今年は苦しい立場にあります。

でも、仕事がなくなった場合でも、両親が年金を受給していますから、
食べていく分には食べていけるんですよ。
なんていうか、介護をしなければならないという不可抗力ゆえの寄生状態です。

そんなわけですから、
僕は、自宅にひきこもって出来る、
「小説を書く」という種類の創作が好きでよかったなあと思いもします。
仮に、同じく自宅で出来る仕事の、
「プログラムを組む作業」ができる人だったなら、
自室でアプリを作るなど、仕事に困らなさそうなので、
そっちのほうがずっとベターですけども、
学生の頃にHTMLですら、
メモ帳だとかで組めなかった僕ですから(ソフトでサイトを作ってはいました)、
そっちの素養がないんです。
一念発起して勉強してたら違ったのかもしれないですが、
もともとの素養としては小説を書く方がいいんですよねえ。

と、ちょっと話が逸れていきましたが、
新型コロナははたしてこれからどうなるのか、
その展望を、仮定のものであるとしてでも、
ずぶの素人ながらちょっと持っておきたい。
以下、新型コロナに対する素人考えですが、
この時点での備忘録的に記していきます。

まず、けっこう前から言われている集団免疫。
新型コロナの感染力を考えれば、7割くらいの人数が新型コロナに罹り、
抗体を得たならば、流行が治まるというものでした。
ただ、感染力の算出、R0(アールノート。基本再生産数)の推定値が
はたして正しいものかどうかの疑問がまずあります。
この間みたWEBの記事で、新型コロナのR0は2~2.5で、
だから集団免疫まで6割から7割くらいの人たちが感染して流行が終わると導き出される、
と書かれてあったと思うのですが、
もしももっとR0が高ければ、人口の8割だとか9割だとかが罹患しないと
流行はおさまらないことになるんじゃないか。
このあたり、まだはっきりしていないですよね?
それと、致死率が、今日のニュースでは0.66と出ていました。
インフルエンザの0.1より高いです。
そんな高い致死率の病気を、集団免疫が得られるまで放っておいたら、
この病気に弱い、高齢者や基礎疾患を持つ人たちをはじめ、
犠牲者を黙認することになってしまう。
これはちょっとなあ、と考えてしまう。

次に、ワクチンや治療薬の話。
まず、100%作れるというものではないことが、
このあいだのNHKスペシャルでちらっと言われていました。
作れたとしても、治験に時間がかかったりします。
早くて1年後くらいじゃないか、なんて言われる。
しかし、ワクチンや治療薬がそのうちできるという前提で構える姿勢でいることが、
実は精神衛生的にも戦略的にも有効ではないか。
なんとかワクチンができあがるまで、これ以上感染を広げない。
最終的に集団免疫で克服されるものであったならば、
自然感染に依らず、ワクチンで抗体を得ることで集団免疫を得たいものです。

なので、新型コロナは、
感染力が高く、毒性もインフルより強いという怖いウイルスですが、
みんながみんな、自分がそれに罹るのをできるだけ先延ばしにしようという
切実な心構えを持つことが大切なのかもしれません。
よく言われていますが、
人との物理的な距離を通常より広く保つこと、
密閉、密集、密接の「三つの密」を避けること、
手洗いやうがいを必ずすること、といったことを
ほんとうに心がけて、
自分が感染するのを遠い未来のことへと遠ざける。
基本姿勢はそこにありますよね。

だけれど、個人的にだとか、世帯的にだとかの経済事情があります。
会社も、サービス業や飲食業、観光業や宿泊業、イベント業を中心に、
そうとうつらいでしょうから、
そういった仕事をしている人たちは、失業のリスクが高まっているし、
給料だって減っている人もいるでしょう。
自粛をお願いされても、「自粛していたら食べていけない!」
ということになります。
ニュースによれば、政府は現金給付を、
一部の、大幅に所得の減った世帯におこなう、
ということでしたが、なんだか給付までにもすごく時間を要しそうですし、
自己申告だなんて噂もありますから、
国の財政も相当きついのか、なんて考えたりもしました。
国の財政は国力に繋がりますから、
北朝鮮や中国、ロシアの動き、
それもアフターコロナと言われる新型コロナ収束後の読めない世界情勢のリスクを
もしかすると考えているのかな、なんて頭に浮かびもしました。

ご存知でしょうけれども、
今は欧米がとても大変な状況で、
イタリア、スペイン、そしてアメリカのニューヨークも医療崩壊しているという報道があります。
日本も、東京はあと100床の余裕しかない、という話もありましたし、
感染爆発が起きたら、どこの都市でもお手上げになってしまう。
患者はトリアージによって、症状が辛くても治療してもらえないケースがある。
命に優先度がつけられてしまいます。
まだ、日本は感染爆発が起こっていませんが、
怖いのは、このウイルスの潜伏期間が2~3週間くらいあることです。
もしかすると、2週間前、1週間前、3日前だとかに一線を越えてしまっている恐れすらある。
それでも、できる限りの注意と予防の意識を持つことは、大切だと思います。
より最悪なケースを避けるために、ひどい状況になってもヤケにならない、
そういった心構えで新型コロナに向き合うべきだと思っています。

あと、世界的な状況でつけ加えて考えておくことは、
南半球でも流行していることから、終息までにはまだまだ1年、2年単位かかるかもしれないこと、
逆に、中国や韓国での感染者の増加率が下がってきたことなど、そしてまた、
イタリアやスペインでもちょっとそういう傾向が見られることなどから、
案外、感染爆発の終息は近いのかもしれないという展望もあること、
でも、これから発展途上国での感染爆発が予想され、
それによって世界的流行が長引く可能性があり、
ウイルスが変異することも考えられ、
その場合だとワクチンが再度開発されないといけないこと、
などなどあります。

……と、いろいろ述べました。
僕の把握力は目の粗いザルみたいなところがありますので、
もっと重要視しなければならないポイントを見逃してもいるのでは?
と言えなくもないです。

今回、まず感染しないことっていうのが一番ですが、
同じくらい、経済について考えなきゃならないですし、
アフターコロナを見据えて計画したほうがいいこともあります。
そして、アフターコロナで世界情勢がどうなるかも気になるところです。
たぶんパワーバランスが変化するでしょうから。

いろいろと、知恵を結集し、勇気をだし、慎重さを忘れず、
少しでも犠牲者を少なくして世界中で乗り切っていけることを信じて。
応援しあって、頑張りましょう。
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