小説『虹かける』はいかがだったでしょうか。
400字詰め原稿用紙換算で93枚ある、
ちょっと長めの短編だったので、
全部しっかり読んで下さった方はいらっしゃるかなあ、と
わからんちんなところではありますが、
アクセス解析をみてみると、アクセスゼロではないので、
きっといらっしゃるのでしょうね。
ありがとうございます。
伝えたいこと、表現したいことがあって書いています。
読むという行為をしてくださったことには、
心から感謝しますし、しっかり伝わったよと心の中ででも
言ってくれるような方々には大感謝です。
さらに、楽しんでもらえていたら嬉しいです。
主人公の虹矢たちの目には、
社会って灰色の世界に映っている部分ってあると思ってるんです。
そりゃ、空は青くて、緑は美しくて、
世界はすばらしいと思えるところは大きいのでしょうが、
人間社会というものにうまく参加できずにいた彼らだったので、
こと「社会」というものには色彩の美しさをみることはできていません。
よって灰色の世界の住人だったわけです。
そんな彼らが夢みた一獲千金でしたが、
夢を託したレインボウアローの敵役がシルヴァールーラーという葦毛の馬でした。
シルヴァーなんて名前ですが、葦毛の馬ですからつまりは灰色です。
ルーラーは支配者という意味ですので、灰色の支配者つまり、
社会のメタファーでした。
虹矢たちが灰色の社会に打ち勝って、
色のついた社会をみられるかという戦いでもあるレースがジャパンカップだったわけです。
最後の方では、茜が灰色のニット帽をぐぐっと被り直すところもあります。
そこも、残念だけれど、メタファーとして、
また灰色の支配を甘んじてしまう様子を書いたつもりです。
しかし、僕は彼らには悲観をしていないのです。
それは最後の最後での虹矢の独白めいたところの内容に拠ります。
全体を通した文体の感じとしても、
内容にある現実の冷たさからそのまま同じように悲壮感を感じさせるようにはしていなくて、
生命力、こころの種火の部分のエネルギーを感じさせるかのようになっているはずだと
自分では考えています。
それはたとえば、最近よく聴いているビリーホリデイの歌声のように、
暗い歌や切ない歌を歌っても、明るさを失っていない、
光のさす方向を向いて、どこか諦めないようで軽くて深い歌声のようであればと思っている。
そのあたりの表現はまだまだ未熟なところもあるのでしょうが、
完全にそうできていないわけではないです。
最後に、この作品の作風がはたして『文學界』に応募するに
値するものであったかどうかは疑問符がつきます。
しかし、一次も通過しなかった(通過者40名くらい)ことは
重く受け止めたいです。
それでも、この結果を今後に役立てたいですし、
書いたことで成長できたとも感じているんです。
一時的にかもしれないけれど、読解力もまあ上がりましたしね。
そういうわけですが、
読んで下さった方々、本当にありがとうございました。
読んでくださる人がいたということが励みになります。
それでは、Fish On The Boatは通常営業に戻りますが、
また何か書いちゃうような気もしているので、
どこかに応募するか否かはわかりませんが、
そのときはまたやってるよーだとか
記事にするでしょう。
そのときはまたよろしくお願いします。
400字詰め原稿用紙換算で93枚ある、
ちょっと長めの短編だったので、
全部しっかり読んで下さった方はいらっしゃるかなあ、と
わからんちんなところではありますが、
アクセス解析をみてみると、アクセスゼロではないので、
きっといらっしゃるのでしょうね。
ありがとうございます。
伝えたいこと、表現したいことがあって書いています。
読むという行為をしてくださったことには、
心から感謝しますし、しっかり伝わったよと心の中ででも
言ってくれるような方々には大感謝です。
さらに、楽しんでもらえていたら嬉しいです。
主人公の虹矢たちの目には、
社会って灰色の世界に映っている部分ってあると思ってるんです。
そりゃ、空は青くて、緑は美しくて、
世界はすばらしいと思えるところは大きいのでしょうが、
人間社会というものにうまく参加できずにいた彼らだったので、
こと「社会」というものには色彩の美しさをみることはできていません。
よって灰色の世界の住人だったわけです。
そんな彼らが夢みた一獲千金でしたが、
夢を託したレインボウアローの敵役がシルヴァールーラーという葦毛の馬でした。
シルヴァーなんて名前ですが、葦毛の馬ですからつまりは灰色です。
ルーラーは支配者という意味ですので、灰色の支配者つまり、
社会のメタファーでした。
虹矢たちが灰色の社会に打ち勝って、
色のついた社会をみられるかという戦いでもあるレースがジャパンカップだったわけです。
最後の方では、茜が灰色のニット帽をぐぐっと被り直すところもあります。
そこも、残念だけれど、メタファーとして、
また灰色の支配を甘んじてしまう様子を書いたつもりです。
しかし、僕は彼らには悲観をしていないのです。
それは最後の最後での虹矢の独白めいたところの内容に拠ります。
全体を通した文体の感じとしても、
内容にある現実の冷たさからそのまま同じように悲壮感を感じさせるようにはしていなくて、
生命力、こころの種火の部分のエネルギーを感じさせるかのようになっているはずだと
自分では考えています。
それはたとえば、最近よく聴いているビリーホリデイの歌声のように、
暗い歌や切ない歌を歌っても、明るさを失っていない、
光のさす方向を向いて、どこか諦めないようで軽くて深い歌声のようであればと思っている。
そのあたりの表現はまだまだ未熟なところもあるのでしょうが、
完全にそうできていないわけではないです。
最後に、この作品の作風がはたして『文學界』に応募するに
値するものであったかどうかは疑問符がつきます。
しかし、一次も通過しなかった(通過者40名くらい)ことは
重く受け止めたいです。
それでも、この結果を今後に役立てたいですし、
書いたことで成長できたとも感じているんです。
一時的にかもしれないけれど、読解力もまあ上がりましたしね。
そういうわけですが、
読んで下さった方々、本当にありがとうございました。
読んでくださる人がいたということが励みになります。
それでは、Fish On The Boatは通常営業に戻りますが、
また何か書いちゃうような気もしているので、
どこかに応募するか否かはわかりませんが、
そのときはまたやってるよーだとか
記事にするでしょう。
そのときはまたよろしくお願いします。