Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

連載を終えて。(ごあいさつ)

2015-04-16 14:55:40 | 自作小説3
小説『虹かける』はいかがだったでしょうか。

400字詰め原稿用紙換算で93枚ある、
ちょっと長めの短編だったので、
全部しっかり読んで下さった方はいらっしゃるかなあ、と
わからんちんなところではありますが、
アクセス解析をみてみると、アクセスゼロではないので、
きっといらっしゃるのでしょうね。
ありがとうございます。

伝えたいこと、表現したいことがあって書いています。
読むという行為をしてくださったことには、
心から感謝しますし、しっかり伝わったよと心の中ででも
言ってくれるような方々には大感謝です。
さらに、楽しんでもらえていたら嬉しいです。

主人公の虹矢たちの目には、
社会って灰色の世界に映っている部分ってあると思ってるんです。
そりゃ、空は青くて、緑は美しくて、
世界はすばらしいと思えるところは大きいのでしょうが、
人間社会というものにうまく参加できずにいた彼らだったので、
こと「社会」というものには色彩の美しさをみることはできていません。
よって灰色の世界の住人だったわけです。

そんな彼らが夢みた一獲千金でしたが、
夢を託したレインボウアローの敵役がシルヴァールーラーという葦毛の馬でした。
シルヴァーなんて名前ですが、葦毛の馬ですからつまりは灰色です。
ルーラーは支配者という意味ですので、灰色の支配者つまり、
社会のメタファーでした。
虹矢たちが灰色の社会に打ち勝って、
色のついた社会をみられるかという戦いでもあるレースがジャパンカップだったわけです。

最後の方では、茜が灰色のニット帽をぐぐっと被り直すところもあります。
そこも、残念だけれど、メタファーとして、
また灰色の支配を甘んじてしまう様子を書いたつもりです。
しかし、僕は彼らには悲観をしていないのです。
それは最後の最後での虹矢の独白めいたところの内容に拠ります。

全体を通した文体の感じとしても、
内容にある現実の冷たさからそのまま同じように悲壮感を感じさせるようにはしていなくて、
生命力、こころの種火の部分のエネルギーを感じさせるかのようになっているはずだと
自分では考えています。
それはたとえば、最近よく聴いているビリーホリデイの歌声のように、
暗い歌や切ない歌を歌っても、明るさを失っていない、
光のさす方向を向いて、どこか諦めないようで軽くて深い歌声のようであればと思っている。
そのあたりの表現はまだまだ未熟なところもあるのでしょうが、
完全にそうできていないわけではないです。

最後に、この作品の作風がはたして『文學界』に応募するに
値するものであったかどうかは疑問符がつきます。
しかし、一次も通過しなかった(通過者40名くらい)ことは
重く受け止めたいです。
それでも、この結果を今後に役立てたいですし、
書いたことで成長できたとも感じているんです。
一時的にかもしれないけれど、読解力もまあ上がりましたしね。

そういうわけですが、
読んで下さった方々、本当にありがとうございました。
読んでくださる人がいたということが励みになります。

それでは、Fish On The Boatは通常営業に戻りますが、
また何か書いちゃうような気もしているので、
どこかに応募するか否かはわかりませんが、
そのときはまたやってるよーだとか
記事にするでしょう。
そのときはまたよろしくお願いします。

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『虹かける』最終話

2015-04-15 00:01:00 | 自作小説3
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 九月になって、カズは工場のアルバイトを辞めた。愚痴れよな、と言っておいても、なかなか愚痴るのは好きではない性格らしく、ストレスを許容量以上までたくさん溜めこんで、ついにチェックメイトのような状態になり、辞めた。
「しばらく休んだらいい」
とぼくも茜もカズをいたわったのだが、返す言葉で、
「賭け金を減らしてしまって申し訳ない」
とカズはうな垂れるのだった。茜も、発掘調査の期間が終わった後、新しい仕事が見つからなかった。ぼくは
「まあ、しょうがないよね、当初より少ない額で勝負しようと思うけど、どうだろう」
と茜が何かお詫びめいたことを言いだすより先にメールで意見を求めておいた。そして同様のメールをカズにも。二人とも、ぼくが了承するのならやりたい、というような返信だったので、予定通り、十一月下旬のジャパンカップで勝負することにして、その旨をさらにメールした。

 引きこもりがちだった三人の人間が、いきなり何か仕事をやり出して三人ともすんなりいくというのは、やはり難しいことだったのかもしれない。ぼくらは明らかに息切れしだしていた。思い返してみると、お金を稼ぎながらもまるで遊ぶということをしていなかった。これはカズにしても茜にしても、たぶんそうだろうという気がした。カラオケに行っただとか、本やDVDを買っただとか、おいしいものを食べにいっただとかは全くなくて、それぞれに淡々とお金を積み立てていく日々だった。夏にジンギスカンはしたけれど、頑張っているわりには遊んでいない。リフレッシュができていなかったじゃないか、と、今さらながらに気付くことになった。なんて愚直だったんだろう。そうやって反省の気持ちに動かされるまま二人を、アウトレットモールまで買いものにでも行かないか、とメールで誘ってみた。二人は馬券計画に頭を捉われていたし、唐突だったこともあって、なんで買いものなんだい、だとか、買いものに使うお金なんてない、だとか、返信してきたのだけれど、
「最近のぼくらは心を擦り減らしすぎてないか。気持ちを殺伐とさせてまで計画にこだわることもないんじゃないかな、どうかな」
とツイッターで問いかけると、それはその日の夜の十一時過ぎだったのだけれど、朝までの間に二人から、ニジがそういうのなら行ってもいい、というようなリプライが来ていた。じゃ、雨天決行だよ、とぼくが休みの火曜日、それは五日後のことだったが、日取りを連絡しておいた。すると、途端に楽しみになって、今まで重りをつけて生活をしていたんじゃないかと思えたほど、それから足取りも身体も軽くなったのだった。なんだこれは、と思って、その元気がわいてきた様子を二人に伝えると、二人も似たような感覚で、カズなどはそれまでのどんよりしていた気分とは逆方向に気分の針が振れ出して、眠れない、とまで言っていた。やっぱりそうだった、ぼくらには遊んで楽しむ行為が不足していたのだ。
 当日、朝早くからぼくらはJRの汽車を乗り継いで、着いた駅から今度はバスに乗って、アウトレットモールへ向かった。着いてみると、平日の午前中にも関わらず、何十台もの観光バスと乗用車が駐車場に所せましと止まっていて、モールを歩く人の数もかなりのものだった。茜は楽しそうにいろいろなお店のたたずまいと商品の服やバッグなどを眺めている。カズも、思っていたよりも人手があることに、はじめはちょっと緊張した面持ちではあったのだが、高い天井の開放的なつくりと広さ、そしてモール内に満ちている楽しげな雰囲気に次第に心を自由にしていったようで、ちょこまかと、お店からお店へとみつばちのように渡り歩いていた。そんな二人に後れを取ることなく、ぼくも楽しく店内を見回しながら、歩いていた。おしゃれなカーディガンがある、茜にきっと似合うようなスカートをはいたマネキンがいる、カズが被ったら外向的な感じにイメージが変わりそうなハットがある。とくに、これと買いたいものを決めていたわけではなかったので、店を冷やかすだけの三人組に違いなかったのだけれど、ふと足を踏み入れた靴屋で、茜が一足のスニーカーを手にとって、
「これ、欲しい、買う」
とそれまでの一線を越えると、ぼくもカズも急に新しいスニーカーが欲しくなり、各々、気がつくと好みのものを試しばきしてサイズをチェックし、会計を済ませていた。ぼくは茶色で、カズは水色で、茜はあずき色だった。それからぼくらはモール内で人気のピザ屋にて少し遅くなった昼食を済ませ、そこから事前に調べておいた近場のボウリング場へと歩いた。
「ボウリングなんて、福島に住んでた時以来だよ、ちゃんと投げられなさそう」
と茜が不安を口にするも、表情は明るい。カズは
「俺は、ボウリングやったことないよ、ルールもよく知らない」
というので、それからそのルールの説明を茜と二人でしているうちに、ボウリング場に到着したのだった。茜は上手だった。ぼくなどは百点を越えるかどうか、そこで四苦八苦しているのに、彼女はスペアだのダブルだのをよく取って、百五十点を越えるくらいのスコアを出した。カズは、一ゲーム目こそ六十点そこそこだったのだが、元来、パワーがあるので、コントロールが定まってくると、ストライクを何度か取れるようになって、最後の三ゲーム目には百三十点近いスコアを出して、ぼくを上回ったのだった。どうやらぼくが一番へたくそだ。ガッツポーズを作ったり、ハイタッチをしたり、たえずわあわあ言いながらのボウリングだった。そうやって、ぼくら三人は、三人としては初めて、娯楽というものを心から楽しんだ休日を過ごした。帰りはみんな疲れ気味だったのだけれど、汽車の中でのおしゃべりも弾んで楽しかった。ついぞなかった、充ち足りた日だった。

 そんなアウトレットモール遠征からしばらく時は流れ、紅葉も終わり広葉樹の木々は葉が散って幹と枝だけのさみしい姿になった。初雪も降り終わり、もはや根雪を待ち冬の訪れに備える季節で、吹く風は厳しい冷たさだった。
 十一月下旬の日曜日、ぼくはまた物産館の休みをもらい、カズと茜とともに、バスを使って札幌の場外馬券売り場ウインズへとやってきた。歩いている途中で、ビルの屋上の観覧車の姿が見えてきて、ぼくが指差したときには、三人に笑顔が生まれたのだけれど、それからウインズに入館すると、それが戦闘スタイルなのか自分でもよくわからないが、自然と厳しい顔つきへと表情は変わるのだった。ぼくは黒のジャンパー、カズは濃紺のパーカー、茜は光沢のある黄土色をした薄手のダウンジャケットを着ている。時刻は十二時半だった。ジャパンカップのレース発走時刻は十五時五十五分で、まだ三時間も余裕があるというのに、メインレース以外のレースをやるためなのか、それともぼくらのようにジャパンカップをいまかいまかと待っているためなのか、たくさんの人でビルの中はごったがえしていて、暖房のせいというよりも人々の熱気のせいで暑かった。巨漢のカズは初めのうち、ハンカチで首筋や額や鼻の下の汗を何度もぬぐって耐えきれなさそうな様子だったので、
「ここにいるから、風にあたってこいよ」
と促し、少しの時間ぼくらのいるビルの五階から下に出て、外気にあたりクールダウンをして戻ってきてを繰り返した。
「いよいよだよなあ」
とぼくは誰にともなく言った。さっきから少し速くなってきた鼓動を落ち着かせたく思って呼吸を深くしてみても、なかなかいつものようには戻らない。ぼくらのこの半年間を賭けた大きな勝負だ。いや、賭けたのはぼくらの未来だともいえる。三人で合わせたお金は三十四万円だった。カズが九万円、茜が八万円、ぼくが十七万円という内訳だ。個々の出した額はそろってはいないのだけれども、もしもこのレースで勝負に勝ったなら払戻金を三等分に山分けしようという約束をぼくからしていた。
 あのレインボウアローがジャパンカップに出走することがわかった日、ぼくはぜひ、と二人にこの馬を推薦した。レインボウアローは夏を越した復帰戦のセントライト記念を四着し、続いて同世代だけで競うクラシックレースの最後のレースである菊花賞を十二着で終えた。良い成績とは言えない。しかし、レインボウアローの調教師は「菊花賞は厳しい走りをしなかったのでジャパンカップには疲労は残さずにだせるし、休み明けから三戦目というローテーションで動きも素軽く、よくなっている。それに、ダービーと同じ距離とコースだから力を出せるはずだ」という強気のコメントを出していた。ぼくはそこに期待した。強豪ひしめくジャパンカップだけあって、前日のオッズではレインボウアローは二十一・八倍の八番人気になっていて、カズの家のパソコンでそれを確認したぼくらは、それをどう理解していいのかわからなかった。勝てば、三十四万円が二十倍以上、つまり六百万円を優に超えるお金を手に入れることになるのだが、実際、レインボウアローに勝つ見込みはあるのかどうか、専門家はどう見ているのかを知りたくて、結局、深夜にやっている競馬番組を見終わるまで、急遽カズの部屋にぼくと茜は居残ることになったのだけれど、そのテレビ番組ではどの馬にも勝つチャンスがあるという夢のありすぎる結論で終わってしまって、それじゃレインボウアローにだって勝機はないわけではない、と妙な感じで背中を押されて、自信満々ではなかったけれど後悔はしないことを確認しあい、単勝馬券を買うことに決めた。
 ウインズの階段の端に縦になって順に座って待つぼくらだった。あまり話はしなかった。カズは払戻金を受け取って入れるためのファスナー付きのトートバッグを膝に乗せて両手で抱きしめている。出走までの時間が、長く、長く感じられた。だけど、同時に、出走時間を迎えるのが怖くもなってきた。もうすでに、三人そろって馬券購入窓口まで行って三十四万円分の単勝馬券は購入済みだ。マークカードを記入するときも、お金を窓口に出すときも、馬券を受け取る時も、ずっと手が震えっぱなしだった。責任を持って、その重たい馬券をジャンパーのポケットにしまい、緊張のため汗で湿った手で上からずっと押さえていた。たまに、茜がオッズを確かめにフロア内のヴィジョンを見に行った。レインボウアローのオッズは前日から比べて、少し人気を上げたようで、最後に見たときには十八・一倍の七番人気に落ち着いていた。そして、ついに、その時刻を迎えた。ぼくらはフロアの端にある大きなヴィジョンに映し出される映像をなんとか見逃さずにいられる場所に移動して立っていた。

 快晴の東京競馬場で演奏されるファンファーレの音がスピーカーから聞こえ、出走馬十八頭すべてのゲート入りが終わる。芝コースのコンディションは「良」。それぞれのプライドを賭けた二千四百メートルのレースが始まろうとしていた。がしゃんとゲートが開く音がして、各馬がいっせいに飛び出したその中で一頭だけ、出遅れた馬がいた。八番のゼッケンをつけたレインボウアローだった。ぼくは声もなく、息をのんだ。先行戦法が得意な馬だけれど、後ろから追い込む戦法だって得意かもしれない、まだわからないぞ、と自分を勇気づけ、馬を信じ、横の二人をちらと横目で見てみると、やはりぼくと同じように、馬を信じているような、決心を固めたような、そんな強いまなざしでヴィジョンを見つめていた。
 レースは、およそひと月前に行われた大レースである秋の天皇賞を逃げ切り勝ちしたゼッケン三番のマキシマムターボが引っ張っていた。いや、引っ張っているどころか、一馬身、二馬身、三馬身・・・と、どんどん後続との差を広げ、大逃げ戦法に打って出ている。マキシマムターボを除いてはほぼひと固まりの馬群となっていて、その馬群の前の方の位置取りに英国からやってきたゼッケン十五番、一番人気の凱旋門賞馬シルヴァールーラーがいて、その走りは、ぼくの目にはなんとも貫録のある落ち着いたもののように映った。そして我らがレインボウアローは最後方でじっと我慢のレースをしている。このまま最後方で力尽きてしまうのか、それとも、未知数の瞬発力をみせてくれるのか、それはまだまだわからなく、どきどきするよりほか仕方無かった。フロア内はざわついていて、実況中継のアナウンサーの声がところどころ聞きとれない。左回りの東京競馬場のコースの一コーナーと二コーナーを走り抜け、十馬身以上、後続との間に差をつけたマキシマムターボが前半の千メートルを通過したようで、アナウンサーはそのタイムを読み上げる。五十八秒四。ぼくらの後ろでレースを見ている眼鏡の二人組の男の一人が「速過ぎる、潰れるぞ」ともう一人に短く言うのが聴こえた。
 灰色の葦毛馬シルヴァールーラーはやはり落ち着いたまま、騎手の指示通りなのだろう、四番手の位置取りをずっとキープしている。その走っている様子からも頭の良い馬なんだろうな、と素人目にも感じられる。馬群は向こう正面の直線を抜けて、三コーナーから四コーナーに入って行った。ぼくのどくんどくんという鼓動はどんどん高まっていく。きっと、カズと茜も同じだろうなと思いながら、レインボウアローから目を離さずに、頼んだぞ、という祈りに似た願いを込めた。まだ、マキシマムターボは十馬身くらいのリードを守り先頭をひた走っている。シルヴァールーラーはマキシマムターボの逃げるペースに自分のペースを乱されてはおらずにレースをしているようで、じっくりと、勝利を射程圏内に入れたかのような戦略で一頭抜き去り、三番手に順位を上げた。さすが、と言っていいようなレースぶりだ。マキシマムターボが四コーナーを通り抜けて直線の入り口に入ろうかとする時には、二番手以下の集団すべての馬がペースアップしており、レインボウアローも例外ではなかった。レインボウアローはカーブを曲がりながら、二頭抜き、その前の馬と馬体を合わせながら、先団目がけてぐんぐんと位置取りを上げていっていた。馬たちの掻きあげる土の塊が宙を舞うのが見えた。
 そして、もっとも早く直線コースに入り、内ラチ、つまり内側の柵に沿って粘りを見せていたマキシマムターボを追って、二番手に上がったシルヴァールーラーは、まだ騎手が腰に鞭を放っていないにもかかわらず、もはや三馬身差ほどまで詰め寄せていた。前半に飛ばして逃げたために、もう余力の残っていないマキシマムターボは足取り鈍く、しかし、一瞬、天皇賞馬の意地を見せ、並びかけてきたシルヴァールーラーを抜かせまいと並んで走ったのだが、そこで鞭の入れられたシルヴァールーラーはもう一段階スピードを上げ、先頭の座を奪ったのだった。そのとき、もうこのレースはシルヴァールーラーに勝たれたかな、と大勢の人はそう決着を想い浮かべたかもしれない。後続から追いすがってくる馬たちの脚色は一様で、先頭との差は縮まる気配がない。いや、しかし一頭を除いて。
 シルヴァールーラーが勝利を確信するかのように先頭に立ってもスピードを緩めずにゴール板を目指していたそのとき、中団に並んで走っていた四頭の馬込み、その間に隙間が空いたのだった。そしてその後ろから青い帽子の騎手を乗せたレインボウアローが縫い出てきて、その四頭をぱっと抜き去り、その瞬間から放たれた七色の矢と化して、王者のオーラをまとった葦毛のイギリス馬を目がけ、飛んで行ったのだった。その七色の矢と化したレインボウアローの瞬発力はすさまじく、シルヴァールーラー以外の他の馬たちはまるで、走っているのではなく止まっているだけのただの障害物だとでも言うように、歴戦の強者であるはずの彼らを簡単に一頭二頭とどんどん抜き去っていくのだった。
 ゴールまであと百メートルのところで、先頭を行くシルヴァールーラーとレインボウアローの差は二馬身しかない。ぼくのどきどきは最高潮に達し、顔も熱を帯びていた。カズと茜のことも忘れ、レインボウアローの奇跡を見届けようと、心の底からヴィジョンにくぎ付けになった。シルヴァールーラーの外目を走るレインボウアローのほうが、脚さばきが良かった。一完歩、一完歩、獲物を捉えるため、一番でゴールを駆け抜けるために人馬一体となって差を縮めていく。だが、そこでシルヴァールーラーは、さらに激しくなった腰へのムチに応えて、驚いたことにもうひと伸びして見せた。そのため、その差、半馬身が縮まらない。このままゴールしてしまうのかと思ったそのとき、レインボウアローは、きっと己の限界を超えた意地かなにかで、それはサラブレッドの本能の力かもしれないが、
最後のひと伸びを見せ、なお王者に喰らいついたのだった。そして、その振り絞った力でシルヴァールーラーをついに、かわした。が、それはゴール板の前だったか後ろだったかが判然としないところでだった。勢いではレインボウアローがまさっている。ゴール後、両馬の騎手はたがいにガッツポーズを取ることなく、どっちが勝ったかわからないといった体で馬上から一言二言、言葉を交わしていたように見えた。ヴィジョンには、一着二着の欄に馬の番号の記載がなく、横に「写真」と表示された電光掲示板が映し出されている。
 レースが終わった直後、ぼくは言葉を失って呆然とし、ただすごいものを見たことはわかっていて、頭の中は真っ白に近いような状態だった。そんな興奮と驚きに支配された表情でカズと茜のほうに顔を向けると、カズも同じような顔をしながら、でも結んだ一文字の口に力が入っている。茜は目を潤ませていて、すごかった、という形に唇だけ動かした。写真判定によって勝敗が確定され発表されるまでにけっこうな時間がかかった。その間、馬券が当たるかどうか、その結果が相当に未来の道筋を左右するという、運命の渦中にいるぼくらにとっては、結果がでるまで一日千秋ならぬ、一秒千分のような待ち遠しさがまずあった。そこに、歓喜する気持ちと残念に思う気持ちのどちらへも瞬時に変化するようにできている、混然となったくるおしい感情のかたまりが、その発露をやはりいまかいまかと待ちながら飾り立てていた。ぼくの心の内では、わずかに、期待のほうがまさっていた。ゆえに、そうして、ある種の甘い苦しみのような状態にあったのだが、それも、次の瞬間に終わりを告げる。掲示板に五着まで入着した馬の番号が出たのだ。「オーッ」という人々の声が響く。レインボウアローの付けていた番号である八番という数字は、二着のところに点灯した。着差には「ハナ」と出た。勝ったのはシルヴァールーラーのほうだった。フロア内に満ちた大きなどよめきは、きっと安堵のためのものだったのだろう。
そのときにはぼくらはすでに、階段を降りはじめていて、建物内からでようとしていたところだった。ぼくらはお互いの顔を見なかったし、話すこともしなかった。ぼくの目には涙がにじんでいて、きっとカズや茜も同じだったろう。自らの感情、それは強い喪失感に似た種類のものだったが、そういった感情を必死で押しとどめ、逸らそうとし、あふれだしてくるのをどうにか処理するのに苦心したが、こぼれおちるのを止められないものが多かった。外に出るとゆっくりと小雪が落ちてきていた。
 こうして、ぼくらの計画は、終わった。

 計画は失敗に終わっても、容赦なくぼくらの生活は続いていく。あの計画の失敗によって、一時期、ぼくらはどんなにか気怠い日々を過ごしたものか。カズに至っては、ほぼ一日中、布団の中で過ごす日が何日か続いたようだ。希望ばかりを見ていたせいか、跳ね返ってきた現実によるショックは大きかったのだ。でも、街を囲む山は白くなり、クリスマスも近づいてきた頃のある夜、ぼくら三人は久しぶりに神社で待ち合わせをして集まり、それから、個人経営の小さな食堂に入って、ラーメンやそばを食べながら、あの日までの道のりを振り返ってみた。引きこもりがちだった日々から、まったくの別世界である《労働する世界》に足を踏み入れることになった、そのきっかけは、馬券計画だった。それまで縁のなかったお金というものを稼ぎだし、嫌だったり辛かったりしながらも、それらに負けたり打ち勝ったりして、そういうことが、生きているんだ、という種類の忘れかけていた実感をもたらしたような気がする。引きこもりがちだからこそ、日々を送っていても感情が揺らぐ経験も少ない。だからこそ、ジャパンカップでレインボウアローの走りに心を揺さぶられたのは、お金を失った大きな対価となったんじゃないか、とぼくらは話をした。そこまでの道のりだって、悪いことだってあったけれど、結果的に平板な人生よりずっと面白かったんじゃないか、と、そんな感想も、三人で共感を持って共有した。そんな中、
「でも、いまのところだけどさ、家にいるのがいちばん落ち着いていいな」
とカズは本音を漏らした。
「『オズの魔法使い』みたいだね。冒険が終わって、おうちがいちばんだわ、ってドロシーが言うの、知らないかな。わたしたちも、冒険してたんだよね」
と茜がやわらかい目もとの表情で問いかけるのを聞いて、
「そうだね、ずっと引きこもって暮しながら、うちがいちばんだ、っていうのとはわけが違うと思うな。そのセリフを言えるのは、冒険して感情を揺さぶられた者だからこその、安心を得た気持ちだよ、たぶん」
とぼくが引きとった。
 食堂を出ると、粒の大きな雪が顔にあたり、一面に降りそそいでいた。
「明日の朝は積もるかも」
と、茜が灰色のニットの帽子を深くかぶり直す。そうして、ぼくらは帰りしなに、『オーバーザレインボウ』を鼻唄で合唱したのだった。冷たい冬の夜の外気に、その唄声はよく通って響き、もしかすると降る雪を小さく振動させていたかもしれない。本格的に雪の季節になった。雪は虹を生まない。ぼくらはそんな虹なき世界を何カ月も過ごさなくてはならない。だけれど、虹というものの存在を忘れることはおそらくないだろうと思う。冬が終わり春になり、雪が溶け始めて、やがて雨が降る。そんな雨の後にいつかかかるであろう虹を、きっと三人で眺めよう、いや絶対に三人で眺めよう、別れ際、そうぼくらは約束した。

 あの日、三人が力を合わせて購入した三十四万円分のレインボウアローの単勝馬券は、ぼくが、責任を持って保管している。その馬券は透明なアクリルのフォトフレームの中央に堂々とはめられている。そしてそれは、ぼくらの歴史であり、経験であり、力を合わせた証拠である結晶のようなものだ。この先、きっと、ぼくら三人は当時を忘れそうになった頃にこの馬券を取り出して眺めたり触ってみたりなどし、あの時とあの時までの思い出を思い起こして、苦い気持ちを噛みしめたり、触発されて元気になったりすることだろうと思う。フォトフレームに収められたそれは、ある種の記念碑的な存在になったのだ。過去から現在、そして未来へ流れていく時間上にぽとりと落とされたマークが、記念碑である。それは、その当時の、とある瞬間である《あの時》に、いろいろなその当時の意味を付着させて凝固化したものだ。ぼくらが振り返って、その記念碑を眺め、そこから抽出される意味を思い出して再体験し、だから今、自分はこうなんだ、と自身の由来を知る。ぼくらの記念碑によって振り返ることができるその由来は、この世に生を受けた時点のものでもないし、たとえば小学校ではじめて賞状をもらった時点のものでもなく、いたって、より自然発生的に生成されたポイントからのものだ。だから、一見、あやふやで、頼りげのない生の記憶の部分を記録したポイントのように思われるかもしれないが、どうだろう、そうだとしたって、こんなにも生きていた瞬間を凝縮した記録ポイントを持てる人というのはこの世界にどれだけいるといえるだろうか。食堂で、三十四万円の対価は心を揺さぶられたことだとぼくらは結論付けるように話したけれど、それだけではないのがどうやら本当らしい。もっと、ぼくらが考えていたよりもずっと深い意味を持った、人が心に持つ種火に関係するものだと、うっすらとだけれど、今はそう思えている。
 あれからツイッターやメールで話すのだけれど、ぼくら三人が共同で、カフェなのか雑貨屋なのかまだわからないながらも、とにかく何かお店をやってみないか、というのが話題になる。特に茜の本気度が高いようだ。そして、今度はギャンブルの力を借りようとはせずに実現したい、という気構えだったりする。
 ほら、やっぱり記念碑は、いや、記念碑に宿っているものは、ぼくらの生き方に影響を与えているみたいだ。きっとこの先も、ずっとずっと、永久に、ぼくらが心の種火を使って虹をかけようとしたことは、消え去ることはなく、まるでお守りのように、力を与えてくれるものへとより昇華していくのだと思う。そして、いまはまだ、ぼくらは未熟だけれど、いつか、本当に虹をかけることができる日がくる、その時まで少しでも動きつづける、見つづける、考えつづける、そうでありたく思っている。

【終】
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『虹かける』第三話

2015-04-14 00:01:00 | 自作小説3
 3


 神社で三人で会った日から、つまり、あのとき茜に会ってからだんだんと、そして今では彼女の魅力のために抑えがたいくらいの性衝動を感じるようになっていた。少しずつ貯まってきたお金はもちろんこれから大勝負するときのための資金になるわけだけれど、ちょっとくらい使ってもいいだろうという気にさえなってきた。それも、ススキノの風俗店へ行ってすっきりするために使いたかったのだから、かなり性欲に囚われている。そんなものだ、男なんて。
 思えば、大学時代に、ゼミの仲間から人数合わせのために呼ばれた合コンで知り合った二つ年上の准看護師の女性とセックスをして以来、女の素肌に触れていない。その女性はとても話のしやすいタイプで、男に慣れているような口のきき方と笑い方をした。その場で強気になって食事に誘ってみたらほとんど逡巡もせずにオーケーをくれて、その食事の夜には簡単に部屋までついてきて、そして寝た。ぼくの性器を含んだ口の中の吸いつく感覚、先端を撫でる舌先の感触が強い印象として残っている。そして行為にうつって、絶頂を迎え射精したときの満足感というか達成感というか、気の抜けるようなやり遂げた感じは、自慰の時よりも何倍も強かったし、そこで得られた満ち足りた癒しの感覚は他では味わえないようなものだった。できることならば、あのたまらない感覚をたまらない茜と味わいたい。茜とだったら、きっと、人生で一番の快感を得られそうだし、同時に彼女にもそういった気分を与えてやりたいと思った。
 でも、たぶん、ぼくが茜に告白したならば、その瞬間から、ぼくら三人の仲間関係からは、瓦解を決定づけるように親密さという大切な要素が失われて、壊れていくような気がする。そして、仲間関係が壊れたならば、それから茜との行為によって性欲を満たされることもあるまい。そう考えて、やはり今のままの関係をとりあえずは維持していく方がいいのだろうな、と性欲にがんじがらめの頭で計算してみたりした。そんなわけだから、計算してみても、勃起はなかなか収まらなかった。

 そんな撞着したような日々を経てなのだが、七月の下旬になってからぼくは二人にメールを入れて、休みの都合がつく日に例の川原でジンギスカンをやろうじゃないか、と持ちかけた。仕事の様子などの近況もききたいし、との文言も添えて。どうしても茜と同じ空気の中に居たくてしょうがなかった。いや、空気になって茜に吸い込んでもらって体内に入りたい、くらいの、十人が聞いたら十人すべてに気持ちが悪いと言われてしまうような、本当に変態的な心理状態にも片足を突っ込んでいるほど、彼女をつよく切望していた。だからといって、二人だけで会うとぼくとしては相当気まずい。ひとり昂った気分でなにか変なことを言ってしまって、茜に怪訝な顔をされてしまうかもしれないし、その可能性はたぶんに高いと思えた。なので、気やすく茜と接しているカズの存在は不可欠だったし、カズに対してだって会って話をしたい気持ちはあるわけで、そう考えると、やっぱり三人の仲間なのかなあという気がしてくる。ぼくの性欲はなんとかしてぼかしておいて、とにかく食べて喋ってを楽しもうという気持ちのほうに変化してきた。せっかく三人してお金を稼いだのだから、ストイックを気張らずに、目的の前に少しくらい楽しんだっていいだろう。ほどなくして二人から休みの日取りを書いたメールが届く。茜もカズも、土日の二日間が休みだった。
 ということはぼくの休みが問題だ。商売柄、なるべく土日は休まないようにと言われている。でも、このジンギスカンの会なんていうのはよくある集まりというわけではない、滅多にない機会だ。それでなくても、自分はアラサーと呼ばれる年齢になっており、心構えもなくあっという間に三十代に入っていくのだと思われる。大事な仲間と三人だけでジンギスカンをして、そのままたき火を囲んで喋りながら夜を明かすという経験をせずに、どんどん歳を取っていって、そのまま同じような機会に恵まれずに、そのうちそういうことを出来ないような状態になっていくことだって考えられる。それは空しい生き方だとは思わないか。できるかできないかわからない未来よりか、今できるというその「今」を大事にするべきなんじゃないだろうか、と、なんとか休みを取る方向へと思考が傾いていった。「今」を大事にしよう、なんて他人から、それも上から目線で働きかけられることもあるけれど、ぼくはそういう他律的な意味での「今」を大事にするようなことはちょっと違うと考えているところがある。やっぱり自分から感じる、「今」なんだ、という気持ちに従うという自律的なやり方が、本当に心から誇れるような自分自身の生き方なのだろうし、その生き方にこそ責任というものだってはっきりと持てるものなのだと思う。とにかく、大事な「今」だ、というように考えが落着して、ぼくは次の日店長に、言いにくかったのだけれど
「どうしても、仲間とこういう催しは初めてなので」
とお願いして、八月最初の日曜日を休みにしてもらった。繁忙期である、子どもたちが夏休みの日曜日を休むなんて、まったく空気を読まないというか、他の人たちに迷惑をかけてしまう行為なのだけれど、馬券計画のために思いがけずやってきた、それまで長く引きこもりがちだったぼくらにとっては帰ってきた青春、もしくは遅れてやってきた青春のように感じられるものを久しぶりに体験することを、労働の神様がいたなら、よく頑張ってやってるからご褒美だ、ときっと許可してくれるものだと我田引水に想定することでなんとか気持ちを整理した――とそんな心の動きをちょっと客観視してみると、自分はけっこう奉公するタイプなのだな、とそのとき思い当たることになった。こんな性格だと、もしも過重労働を強いる会社に就職してしまったら骨までしゃぶられるかもしれないとぞっとしたのだが、ぞっとしておきながらも、そんなことになったらすぐに辞めるだろうな、根性ないし、と気が付いて、どろりとした生ぬるさが心を覆っていったのだった。

 集まる当日の土曜日は、三時半までの仕事なので、退勤してから一度帰宅し、着替えなどを済ませて五時に川原に行くことになっていた。そんな都合だったから、茜とカズには事前に、肉とか野菜とか飲みものとかジンギスカン鍋とかの買いだしをしてもらった。自転車で川原に向かう途中、きっと茜たちはもう焚きつけたたき火を囲んで、いつものように歌を唄っているんだろうな、今日はなにを唄っているのだろうかと想像し、楽しさとうらやましさが一緒になって頭と身体いっぱいに張りつめてきて、それによってペダルを漕ぐ足にいっそう力がみなぎって回転を速めた。
 だが、着いてみると、予想とは裏腹に、二人はそれぞれうつむいて黙りこくり、折り畳み式のイスにちょこんと鎮座している。なんだ、喧嘩かな、と心配になって、それまでの楽しさとうらやましさが、パンクしたタイヤから漏れ出る空気よりもずっと速く、しゅうしゅうと音を立てる間もなくその光景を見るやいなや直ちにぼくから抜けていった。
「お、お、おう」
と、どもりながら声をかける。茜は何も言わずに手を挙げてこちらを見る。カズはやや遅れて、
「おつかれさん」
とかすれた声を出した。
「なんか、静かじゃないか。喧嘩でもしてるの」
とおそるおそる訊いてみると、二人は首を横に振る。
「なんだよ、どうしたんだよ、元気ないな、二人とも、おいおい」
と大きめの声ではやしたててみると、なんとか、寝床から起き上がるように二人のテンションはやや上がっていったような表情になった。さらに
「せっかくなんだから楽しもうよ、なあ」
と笑顔であおってみると、茜もカズもなんとかいつもの親密な雰囲気をやっと醸しだし始めて、よかったあ、と安心すると同時に、笑顔あるところに幸せがやってくるという社長の朝礼の言葉がちらりと頭をよぎった。三人で笑顔になって、幸せを掴もうじゃないか。
 燃料となる枯れ木をブロックで囲んでそこに新聞紙を詰め込み火をつける。いつもならそれだけのたき火のところだが、今日は備長炭も買ってきてもらっているので、いつもよりも長く火を囲んでいられるだろう。鍋を設置して肉や野菜を乗せる。さあて宴の始まりだ。いつもと変わらぬ心安い感じに一応はなった二人とともに、まずはペットボトルのジュースで乾杯をした、ぼくらの計画がうまくいきますように、という願いを込めるのを忘れずに。
食べながらそれぞれの近況を報告し合おうと思っていたのだけれど、川原に着いた時の空気が空気だったのでなんとなくそれは避けて、インターネット上で流れている最近の面白いトピックを紹介してまずはカズと茜にノッてきてもらうのを期待した。ぼくは、カラスの寿命は通常は十年から三十年もあって、それ以上生きる個体もいるらしく、そうなると人間の言葉を解するようになるものもいるらしい、という最後のほうは本当だかわからないような話をした。でも、茜は、どおりで、と首肯く。
「きっと、人間のやってることの意味がわかってたりするよね。お通夜とかお葬式にカラスが集まるでしょ。もっと言うと、それ以前に、死んだ人が出た家の周りの電線にも、そうとわかってる感じで大勢集まるよね」
「あのちっこい脳みそでねえ」
とカズが羊肉をほおばりながらあいづちを打つ。ぼくは
「人に対する識別能力もかなりのもんだよ。カラスってたまに人の頭を蹴飛ばすんだけどね、上空から急降下して。大学とかでもさ、一年生が狙われることが多いみたいなんだよ。その地区に初めてやって来た人間に対して、たぶん、先輩面してやってるんだと思う。よく見てるし、わかるもんだよな。ちなみに蹴飛ばされると血が出るよ。首の負担もかなりのもんだ」
そう、ちょっとした知識を披露すると、茜には
「さては前に蹴飛ばされたな」
とバレてしまった。そんなこんなで、場は少しずつ温まっていき、続いてカズからもネット上の面白い話題やニュースが飛び出して、笑いの花が咲きながらどんどん時間は過ぎていき、いつしか夏の薄曇ったような夕闇が迫る時刻になっていた。
 もういい頃かなと思い、カズに、さっき元気がなかったけどどうした、と問いかけてみた。何でも話せよ、相談に乗る、と。彼はいくらか口を開くのを重そうにしていたのだが、やがて話しだした。それは、工場にあまり慣れなくて、仕事が遅いことに周囲から文句というわけではないのだけれど、厳しい顔つきとか目つきとかがよく向けられて、最近だと、投げかけられる言葉にも険があるように聴こえて、毎日自宅に戻ってきても、疲れが抜けないし眠りも浅いし、どうやらストレスを抱えてしまったということだった。カズの困った顔が、苦悶をたたえた彫像のように、本当に救い難い表情に、炎によって照らし出されて見える。
「そうだったのか。大変だったな、カズは。なあ愚痴っていいんだよ、茜にだってさ、俺たち仲間なんだし。そのほうが健康的だと思うし」
と鬱屈しそうなカズの心境を思いやって、もやもやを解き放つ方向へ誘おうとする。茜も、そうそう、言っていいんだよ、いくらでも聞くよ、とやさしい。
「ありがとう、やっぱり、二人と友達で嬉しいよ。一人だったら潰れてるところだわ。今度から愚痴らせてもらうか」
とカズは苦笑いする。一方、茜の元気の無さはどうなんだろう、カズと似たようなことなのかなと思って、なにかあったんでしょ、と訊くと、うつむいたり顔を背けたり、なかなか告白しようとせず、そのうち、
「わたしはあとで」
と、話を打ちきった。
 そこで沈黙が訪れるかと思いきや、おもむろにカズが、唄おう、唄おう、とぼくと茜に催促しだした。茜はすぐにその気になって、
「それじゃ、『やさしさに包まれたなら』唄おっか」
と歌を指定する。荒井由実の名曲だ。たき火を囲んで人気のない静かな川原で、大声を張り上げるでもなく音程重視にささやかな感じで唄う『やさしさに包まれたなら』はよかった。それは夏の夜の蒼黒い闇を柔らかく波紋のように波うたせ広がっていくかのようにして、消えていく唄声だった。唄い終わると、ぼくらは何も言わなくなった。パチパチというたき火の音の存在感が増す。
 しばらくして茜が、思い出したように持ってきたエコバッグから福島産の桃を取りだしてぼくとカズに一つずつくれた。それまでけっこうな《間》に対して、無理にというわけではなくて自然なかたちで、呼吸だけをするように黙ってそのまま座っていたせいか、ぼくはなんだか自分の部屋に居るときのような、誰に気兼ねするでもなく寛いでいるときの気分になってきていた。他人といると、まるで自動的にちょっと元気な自分になったり、いわゆる《つくった自分》に、その他人がいつもつるんでいる茜とカズであっても少なからずなってしまうところがあるのだが、その《つくった自分》の膜が一枚べろんと剥げて、むき出しの、ほとんど素の自分になってしまったかのようだった。これは、カズや茜のような親しい仲間ではない他人と、長い時間顔を合わせていてもなることでもある。そうしてそうなる時には、会話していても、普段とは違う発想の言葉が飛び出したりする。それは、ややもすると、現実的な考えに基づいていることが多い。そんなテンション感覚でも、福島産の桃のおいしさにはストレートに感銘を受けた。
「うまいよ、茜、桃ありがとうね。やっぱり福島の桃って鉄板だよね」
と感嘆していることを茜に伝えれば、カズも
「今度から福島の桃は箱で買うわ。で、朝昼晩、毎食桃でいいわ」
とおどけているのだか本気なのだかわからないのだけれど、興奮気味にそのおいしさを讃えながらそう宣言して、それについて茜は
「そんなに一気に食べたらおなか壊すよ」
と笑ったのだが、それはとても嬉しそうに見えた。
「検査でも検出限界値未満だったりするんでしょ」
と茜に質問してみると、彼女は笑顔のまま
「そう。大体そうみたいだよ。だってね、農家の人たち、苦労したし、かなり工夫もしたみたいなの。だから、そのかいあって安全でおいしい桃なんだよ。胸を張って全国にお届けできる」
と強く言いきってくれた。いまだに残っている風評被害、しかし、ぼくらにはまったくの、どこ吹く風の悪い評判であった。
 そして、そんな会話の雰囲気のその流れのまま、ペットボトルに詰めて持ってきていた水で桃の果汁のついた手を洗いながら、ぼくは再び茜に、ねえ、仕事でなにかあったのかい、と訊ね、愚痴っても悪態ついてもいいからさ、言ってごらんよ、聞くから、と続けた。茜が少しためらうのが見てとれた。言いづらいことなのだろうと、そこだけは見当がつく。だが、茜は心を決めて、じゃ、言うけど、と話し始めたのだった。切れ長の涼しげな目もとが、きりりときつくなった。
「いやな男がいるのよ。北郷大学の大学院生でね、調査員のリーダーの教授の助手をやってるやつなんだけど、最初はいろいろ教えてくれて、いい人かもなんて思っちゃったんだけど、急にね、ちょっと二人だけで話がしたいって言いだして、強引に木陰に連れて行かれてみたら、お金欲しいんだろって言うわけ。え、と思って、でも全然なんでそんなこと言うのかわかんなくて黙ってたら、五千円やるからキスさせろ、だって。ムカッときたんだけど、そこは耐えてその場を離れたの。でも、次の日もその次の日も、もうしつっこいの。なあ頼む、だの、八千円にしようか、だの。ずっと無視してたんだけど、エスカレートしてさ、今度はやらせろっていうんだよ、二万円でいいだろ、すぐ済むからって。なに言ってんのこいつと思って、わたしに触れたら放射能が伝染るけど、いいの、わたし福島の人間だけど、ってためしに言ってみたら、悔しいけどそいつひるんだんだよ、信じたんだね。そしたら教授がね、そのときだけわたしたちが喋ってるのを近くで聞いたみたいで、なにやってるんだってなったわけ。そんでさ、追い詰められた院生の男がなんて言ったと思う、わたしがそいつを誘ってたんだって言い逃れしようとしたの。もう信じられなかった。でも、教授はウソだってわかってくれて、そいつに怒ったんだけど、でも、そいつ、まだ助手として残ってるんだよね。処分は調査が終わって大学に帰ってからなのかもしれないし、もしかしたらかわいい弟子だからとかで、あとで無かったことにされてしまうのかもしれない。ほんと、立場弱いよ、女でアルバイトでってさあ」
聞いていてびっくりした。なんという目にあってたんだと怒りがこみ上げて、いつしか握りしめていた左右のこぶしが震えるほどになっていた。カズも眉根を寄せていて、話を聞き終わるなり
「むごいな」
と一言こぼした。
「でもね、調査はお盆前までで終わるの。それでもう顔を見なくて済むようになる。給料もそこまでだからなあ、また仕事探さなきゃなんない」
と茜はそう結んだが、ぼくは
「もっと前に言ってくれればよかったのに。辞めたって良かったんだよ」
と抗議せずにはいられなかった。茜は苦笑いで、ごめんごめんと謝り、でも、意外と根性あるのかもわたし、と強がるのだった。
 それからはまた、面白い話からそうでもない話までいろいろ喋ったり、ネタがなくなるとしりとりだとかの単純なゲームをしたりしながら夜を明かした。東から上がってこようとする太陽は短い時間だけ朝焼けを作ってみせ、その瞬間、茜はやっぱりその景色を、たぶん震災のときに重ねるようにして見上げていた。
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『虹かける』第二話

2015-04-13 00:01:00 | 自作小説3
 2


 「有田くぅん、スマイルぅ」
と困ったような声で、大げさに泣きそうな顔をした社長が小走りで寄ってきた。いけね、と思う。この小さな観光物産館では、社長が店長を兼務していて、率先してお客さんに笑顔をふりまき、そして部下である店員たちにまであり余った笑顔をみせる。
 こんなことを言えば怒られるかもしれないが、社長の笑顔はどことなく面白い。何が彼の笑顔の面白さを作っているのかは、はっきりとはわからないのだけれど、たぶん、その一つの理由として、自分の笑顔に確固たる自信を持っていることがあるだろう。その笑顔で、相手は胸がキュンとはしないだろうし、社長の歯がキラリと光るわけでもない。そうであっても、人を惹きつけるような、弱い磁力を発するかのような笑顔というものは存在するのだ。顔の作りのせいだろうか、あと笑い皺の顔とのバランスだとか。ぼくは、社長のそんな人間臭くて人の好さを感じさせる笑顔は嫌いじゃない。
 そのとき、十一月までに貯められるお金を考えてぼうっとしていた。それでお客さんが自分の真ん前にやってきてなんとなしに商品のことを訊いているのにも気付かずに、つまらない表情で――真剣な表情が他人からはつまらないと言われるその顔で――棒立ちしてしまったのだ。
「あ、すいません、スマイル、スマイル」
と、あまり得意ではないのだけれど、無理やり口角を持ち上げて笑顔を作ると、社長は
「そうだよぉ、それね」
と満足そうに微笑み、自分の持ち場へとサササと去って行った。ぼくは気を引き締め、お金の考えごとは頭の隅へと追いやって、お客さんの対応に集中することにした。そうすると、時間は見上げた飛行機のようにいつの間にか過ぎ去っていくのだった、飛行機雲すら残さないくらい見事に。
 今日の勤務時間である六時間が過ぎ、お先に失礼します、と物産館を出て自転車に乗り、五月下旬のまだ陽が高い時間帯のさわやかな空気をたくさん胸に吸い込みながら下り坂の多い帰り道を走って、自宅へ続く交差点を通りすぎてもなおペダルを漕ぎ、カズの自宅まで自転車を飛ばした。カズは午前中に隣町の缶詰工場にアルバイト勤務をしたいがために面接を受けに行ったはずで、その手ごたえはいかほどだったかを聞きたかったのだ。
 到着し、部屋に入れてもらったぼくに、麦茶の入ったコップを差し出しながら、カズは困り顔の中からほのかな照れた微笑みのような表情をみせる。彼は
「どうだった、うまくしゃべれたかい」
と問うぼくを一瞥すると、ううんと唸ってパソコンと向き合ってしまった。感触はかんばしくなかったのかな、と心配になった気持ちのまま、イスに座りマウスを握ったままディスプレイを見つめる巨体の幼馴染を見やる。彼のイスはぎいぎい音を立てていて、彼がひとつところに体重を預けて座っているのではなく、もじもじと軽く体をよじりながら座っていることがわかった。パソコンの画面を見ているようでも、心はそこにはないのだろう、あれこれ思案をしているのだろうと思えた。そんなわけで、パソコンの動作音とイスのきしむ音は響いてはいるものの、お互いの間にはしばしの沈黙が訪れ、ぼくはカズが出してくれたよく冷えた麦茶を持ちあげ、ホースで水を与えられる夏の動物園のカバよろしく一気にごくごくと喉を鳴らした。ああ、おいしい。自転車の長時間運転によって喉が渇いていたから、胃袋だけではなく内臓にまで沁みていくような冷たい感覚を気持ちよく感じながら飲みほした。すると、
「まあ、わかんないよね、どうだったかってさ。今まで面接を受けたことがないんだから。
面接官が笑ったり、饒舌になったりしたら受かる可能性が増えるのかとか、全然わかんないよ。淡々としてたさ」
とようやく答えてくれた。そうか、そうだよな、と思って、自分がひと月ほど前に面接を受けたときのことを思い返してみた。
 社長はやっぱり笑顔で――といってもその日初めてその笑顔を見たのだけれど――ぼくの職歴の無さについてまず質問をした。脚がわななきそうなくらい緊張していたのだけれど、これは訊かれるだろうなと前もってその返答を考えてきていたので、黙りこくってしまうことなく話しだすことができたのだった。それは、自分のやる気の無さ、生きていく力の弱さを認めた上で、そこから抜け出したいんです、というようなことだった。ぼくは今まったくのゼロですが、だからこそ、なんにも吸いこんでいないスポンジのようなもので、もしもここで働くことができれば、どんどん、こなしていく仕事のやり方だとかを吸収していけると思います、それに他の仕事のクセがついていないから、素直に覚えていけると思います、そう言いのけたのだった。ウソではない。ウソではないのだが、最後のほうなんて勢いがついたのか、自分でも意外に思ったほど、ずいぶんと主張することができた。たまに、こう、想定している以上のことができる自分がふと表に出てくることがあって、そんなときは、助けられたな、とまるで他人事のように自分のそういうところに感謝することがある。そういうこともあるなぁと思いながら、カズにも
「職歴がないことは訊かれたろ。そこは返せたかい」
と大事なところに的を絞って訊いてみた。すると
「人の役に立ちたいって言ってきた。ほんとはお金が欲しいのが一番だって正直に言おうかと思ったんだけどさあ、直前で勝手に口がそう言ったんだ」
と、カズはえへへと笑った。カズにも自分の想定を超えて現実的にうまくやってのける自分がいるのだな、と共感を覚えて、そうか、受かるといいよな、いや受かってほしいわ、そう心から願いながら呟き、それから
「茜はどうなんだろ」
と茜の職探しのほうに話を振った。茜のほうもずいぶん気になる。
 新聞のチラシによさそうなアルバイトの求人があった、という報告をつい先日、ぼくらはそれぞれスマホではなく金銭的な理由でガラケーを使っているのだけれど、その携帯のメールで受けていた。それ以来、なにも音沙汰はないし、こちらからも連絡をしていなかったのだ。
「そうだ、カズ、古新聞はあるかい」
と訊くと、彼はすぐさま察して立ちあがり、別の部屋へ消えていったかと思うと、そのチラシを手にしてあっという間に戻ってきた。
「グッジョブ」
と言葉短くその行動の素早さを褒めると、
「機を見て敏なり、かな。ちょっと違うかな」
と言いながら、まあそれよりもとばかりに、テーブルの上にチラシを広げてこちらに見せてくれた。すぐさま覗きこんでみる。そこには「未経験者歓迎」の大きな文字と、それに次ぐ大きさで、「遺跡発掘調査員募集」の文字が躍っていた。
「このへんに遺跡なんかあったっけ」
と訝しむと、カズは目ざとくチラシに書かれている勤務地の箇所を見つけ出して指差した。それはこの街から車で四十分ほどかかる、隣町との境目付近の、道路の周りは草木が鬱蒼としていたり、山への入り口だったり崖になったりしている区域だった。もちろん、バスが送迎をしてくれて、装備品も向こうが用意してくれると書かれていた。
「虫除けスプレーはこっち持ちで必要だろうな」
とカズは一升瓶のような丸くて太い腕を組みながら、またたく間に想像力を働かせる。チラシの下の方には札幌の北郷大学が行う調査だと記載されていた。
「土器が出るのかな。石器かな。面白そうじゃないか、これ。なんか、いいなあ」
と、ぼくは畳に寝転んで天井を見上げながらそう言ってしまうと、ぼくら三人が考えている計画が、ちゃんと軌道に乗って目標を達成しそうな気がしてくるのだった。計画にはお金が必要だった。というか、お金を貯めることそのものが、とりあえずの目標なのである。

 前にも言ったように、そもそものきっかけはカズだった。そして、今考えても単純としか思えないのだけれど、そのきっかけに触発されて思い浮かんだ計画を二人に持ちあげたのがぼくだ。そのぼくが考えた計画は、発想が練られてもいないしひねられてもいないようなものだったのだが、それでも、二人は、
「いいじゃん、やってみよっか」
と、これから遊びを楽しむんだ、といったノリで、二つ返事でこの《運命をともにする計画》を受けてくれた。そうやって、それまでの生活とは百八十度方向が違うような、ぼくたちの、目標へ向けた攻撃的で行動的な日々への転換が始まったのだ。
 では、その計画とは何なのか、これから手短に語ってみる。どうか、馬鹿にしないでついてきて欲しい。昨年の晩秋のとある日、カズはいつものようにネットの中をあてもなくぶらぶらしながら偶然見つけたブログ記事の話を、たぶん興奮によって長めになったのであろうEメールで送ってよこした。それには、そのブログの書き手が、約一七〇倍になる馬券を当てて、およそ一七〇万円を手にしたことを、その証拠となる本物の馬券の画像とともに記事にしてひけらかしていた話だった。詳しく説明すると、その書き手は、競馬のレースの一着と二着に、選んだ二頭の馬が入れば当たりとなる馬番連勝(通称は「馬連」という)の馬券を、一つの組み合わせ当たり一万円で三つの組み合わせ、つまり三通りを購入し、その一つが万馬券と呼ばれる一〇〇倍超えの大穴馬券で、それを的中させたとのことだった。カズは、そんなのは希有な例だとはわかるけど、実際に当てた人がいるのを知ると、すごく羨ましいよね、とメールを締めくくっていた。たしかに、一七〇倍の馬券を三通りの組み合わせだけで当てるなんて、よっぽど競馬に詳しい上に、極めてツイている人にしかできない芸当だと思った。そうして、ふと、競馬のテレビ番組を欠かさず見るようにしていた競馬好きの大学時代の同じ学部の知人の存在を思い出したのだった。そういえば、あいつ、卒業したら馬券を買いまくるって、勉強そっちのけで競馬の研究してたよな。彼は機嫌の好い時にこう言いふらしたものだ。
「いいか、大穴を狙って儲けたいなら、少額でもたくさんの組み合わせで攻めろ。低配当で稼ぎたいなら、一つの組み合わせに絞って大きく賭けろ。それで負けたのなら仕方がないさ。中途半端なのが一番よくねえんだ」
また、こう教え諭すような口調で言ったこともある。
「初心者は単勝馬券を買うべきだね。そのほうが配当は低いことが多いけどさ、当たりやすいんだよ。それに遊べるし、わかりやすいのよ、一頭の馬を見てりゃ良いからな。好きな名前の馬だとか、栗毛の綺麗な目立つ馬だとか、そういう理由で単勝馬券を買って儲けちゃうことだってあるんだよ」
当時、競馬とはそういうものなのかどうか、ぼくには少し計りかねたのだけれど、カズからのメールを読んで、じゃあ、買いたい馬を一頭に絞って、大金をかけてみたらどうなんだろう、それならば馬連よりもわかりやすいし、まるで儲けやすいんじゃないだろうか、という考えが、雨後の水たまりを滑りに来るあめんぼのように、当然、といった体で頭の中に登場したのだった。
 こうしてみるみる近づいてきた一獲千金への道筋。それは論理的な思考によらない単なる思いつきの夢想だったとしても、ぼくには妙に現実感を帯びたもののように感じられたのだ。幸運が、なんだか目に見えてくるようだった。幸運の形は馬券の形をしていて、それはレース後ほぼ必ず、誰かが獲得することができる。楽観的すぎるかもしれなかった。でも、その夢想に心を浸らせることによるとろけるような感覚は、ついぞ最近は味わったことのない、全身の筋肉がリラックスしてほぐれでもするかのような気分の良さだった。そうだ、来年の今頃までに、三人で五十万円貯めるのはどうだろうか。そして、その五十万円を一気に、一つのレースで何倍にも増やそう。それが、ぼくら三人が、時間がかかりながらも働き出した理由。それが、ぼくらの計画。カズはそれで自動車免許を取って車を買うその購入費の足しにするのが目的。茜は福島に少しの間里帰りする旅費代と苦しい生活費の大きな足しに。ぼくは家の改修の足しとして。近頃足腰が弱ってきた母のためにバリアフリー化を考えていた。
 それまで家に引きこもって失ってしまっていた自分たちの時間を、一挙にお金に変えて取り戻そう、そんな、ついぞ思い浮かびもしなかった、てごわい現実から逆転勝ちしようという気持ちが、ぼくらに結束感をもたらしたような気もしている。

 遺跡発掘調査の仕事に応募したのかどうか気になって茜にメールを入れるとすぐに返信が着て、夕方、三人で神社で会うことになった。
 去年、この計画をスタートさせてから約半年、計画とは裏腹に、ぼくらはやはり腰が重たくどっしりとしてしまって、それにだらだらどろどろもしていて、それぞれの家に引きこもりがちで動きがなかった。言いだしっぺのぼくにしたって、それまでよりも求人のちらしをちょっと多く見るようになったり、ハローワークに通う機会を少しの気持ち分くらい増やしたりしたのだけれど、これといった求人に出会うことがなく、もう頓挫するかな、と思えた春先、それは雪融けの季節で、きっと巡り合わせの悪さみたいなアンラッキーな部分も雪とともに溶けて消えてしまったかのようで、そう思えるくらい、ぼくにとっては観光物産館の仕事は、好都合というか、願ってもない良い話だったのである。そして、今年の雪融けは、たぶんにカズや茜にとっても気分の上での雪融けでもあり、こうやって、三人で仕事の話をすることになろうとは、向いている方向が大きく様変わりしたのがやっと現実に影響を及ぼし始めていて、感慨深さもあったりする。
 神社にはぼくとカズが先に着き、あとから茜が時間通りにやってきた。茜はグレーと黒のボーダーのパーカーにジーンズといった格好で、いつもながらにボーイッシュなのだけれど、そんな格好でも性的な魅力は抑え切れていなくて、久々に会えたということもあったが、ぼくの心臓の鼓動は少し速く深くなる。そんなぼくとは反対に、
「よお」
とリラックスした笑顔で片手を振るカズが横にいる。茜は大好きな仲間だ、それ以上でも以下でもない、そんな宣言がいつか近いうちにぼくの内面を察したカズから飛び出すんじゃないだろうかとちょっと心配になったりもしながら、ぼくも、カズにあわせて、
「よお」
と手を挙げた。すると、茜も肩のあたりで小さく手を振って、嬉しそうに返してくれた。
「ニジ、仕事は終わったんだね、おつかれ様。カズは面接だったんだってね、おつかれ様」
ぼくらは茜の仕事探しのことが気になってしまう。
「茜はどうなの、遺跡の話は」
たまらず口火を切ったのはカズだった。
「実はね・・・」
そう、声のトーンを落として茜はたっぷりと間を取った。ぼくらはそれからどうしたかを早く知りたくて、二人とも、口を半開きにしてしまった状態でいまかいまかと待った。茜はぼくらの注意を一身に受けていることをしっかり確認するように、一度深く瞼を閉じて、そして開くのと同時に
「もう受かっちゃったんだよ、ごめんね、言わなくて」
と笑った。
「なぁんだ、よかったじゃん、なんで言わないのさ」
緊張の抜けた吐息とともに一気にカズは言った。ぼくも、よかったよね、とお祝いの気持ちを伝えながら、いつから勤務なのかを訊いてみると、六月の第二月曜から、ということだった。
「じゃ、あとはカズかあ」
そう言いながら、ポンポンと彼の肩を叩いて励ます。途端に、
「プレッシャーだなあ」
と夕焼け空を仰いで困った顔になったので、
「おい」
と気合をつけるかのように言葉をかけて、それから茜のほうを振り向くと、茜も夕焼け空に心を奪われている様子だった。見事な夕焼けだね、と声をかけると、
「あの日の次の日の朝も、こんな夕焼けみたいな朝焼けだったんだよなぁ。あの日から全てが変わってしまったな」
と震災の事を思い出しているのがうかがえた。

 その二日後、当人も含めた三人の心配をよそに、カズは見事に缶詰工場からアルバイトの面接の合格通知をもらった。これで、三人とも、なんとか職について、目標に向かってお金を稼ぎだす段になる。五月の最終週からカズは工場に通い出し、六月の第二週から茜は発掘現場へ向かうようになった。ぼくは相変わらず自転車で観光物産館へ通っている。それぞれに、仕事に対する不安な気持ちとやる気を併せ持ち、さらに三人の夢を思い浮かべながら、道端に自信たっぷりに咲き誇るたくさんのルピナスに――それは天に向かって真っすぐ姿勢よく咲いていて、そのあり様に――自分を重ね合わせるようだったかもしれない。少なくとも、ぼくにはルピナスから得る心象的な感覚に、近しく感じるものがあった。あるいは、ちらほら咲き始めたアジサイにもだった。あの丸く青紫色の花冠たちが、ぼくらの労働を祝福しつつ、冷静であれ、と職場で空回りしないように出してはいけない足を制してくれるかのように感じられた。そう、だから、ルピナスとアジサイ、いずれも、自分たちの応援団みたいだ、とぼくはこっそりと彼らに仲間意識を感じていて、妖精視するかのように、大事に思う気持ちでときどき目をやったりしていたのだった。

 そしてその頃、競馬界では今年のダービー馬が決定していた。日本一のレース、映えある日本ダービーを制したのは、三番人気だったレインボウアローという馬だった。父はキングカメハメハ、母はアフターザレインで、母の父はレインボウクエスト。レインボウクエストは世界一のレースである凱旋門賞で二着でゴールインした馬だったのだが、そのとき一着に入った馬がレインボウクエストの進路妨害のために降着となり繰り上げ優勝している。まさに、一度雨が降った後に輝いた、名前の通り虹のような馬である。そして、引退後、種馬となって大成した。レインボウアローは祖父であるレインボウクエストからその「虹」の名前を受け継ぎ、今年のダービーを制したのだった。
 ぼくはこのレースを、仕事から帰ってきてから妙な緊張感を持ってインターネットの動画で見たのだった。先行と呼ばれる、集団の前目につけて直線で抜け出して逃げ切る戦法を得意としていたことも実は事前に知っていた。なにせ、名前が名前だ。ぼくの虹矢という名前を英語にしただけじゃないか。四月にこの馬の名前を知った時には、ひっくり返りそうなくらい驚き、それとともに、レインボウアローは現れるべくして現れた馬で、これは神がかり的な大きな運命を示している、と信じこむ寸前の心理になったほどだった。
 それはそれとして、このダービーのニュースと、レインボウアローという馬についてのことを、さっそくその夜ツイッターで二人に話したのだが、二人ともやはり大きなギャンブルをすると決めた後なので興味を持ってこのレースを見ていたようで、勝ち馬の名前についても、奇遇だよね、とか、もうジャパンカップで買う馬は決まったね、とか書いていて、好意的に受けとめていたようだ。そうなのだ、ぼくらの勝負レースは十一月のジャパンカップに決まっていた。世界から強豪が集うレースなので、どの馬が勝ってもおかしくないし、きっとオッズも割れるのではないかと踏んだのだ。ぼくとしては、出来ればジャパンカップにレインボウアローが出走してほしかったし、もしも出ることになったら二人にはこの馬を推そうと思っていた。
 魅力的なその鹿毛の馬は、この瞬間からすでにぼくらの夢を、その背に乗せていたのかもしれない。
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『虹かける』第一話

2015-04-12 00:01:00 | 自作小説3
 1


 観光物産館でのアルバイトを始めてからおよそひと月がたった。今日もいつもながらにほどよく忙しく――つまり、少し余裕残しの、それゆえの充実感を感じるような忙しさで――退勤した今、まだ明るい空を見上げながら、ふうと息をつく。
 二十八歳にしてアルバイトの、ぼくがやっているのはどんな仕事か、ちょっと興味を持ってもらうことにして、その説明をすると、朝は午前八時までを目安に自宅の家から自転車にまたがって、終いには上り坂で息を荒げながら、トータル三十分くらいをかけて出勤する。息が整うのを待たずに店に入れば、まず「あぁ、今日も始まるなあ」と、わくわく感のある甘い緊張感の中でエプロンをまとい、それからタイムカードを機械に通して、すぐさま午前九時の開店前までに終えなければならない品出しを始める。それはたとえば北海道ならではの、かわいらしい小熊のキャラクターや勇ましいサラブレッドの彫り物をした金属片がついた昔ながらのキーホルダー、そして、とうもろこしやじゃがいもなんかを菓子製品化したものや缶詰や粉末のスープにした加工品、エゾシカやキツネなどの動物のぬいぐるみ、などなど代表的なものはこれらだが、商品の種類はもっと多様で、全国的な広い視野でみれば個性的に間違いはないのだけれど、道民として落ち着いて見回せばどこの北海道の物産館でも売っていそうなものばかりだったりする。ぼくも初めこそ、多彩な商品のカラフルさに気分が明るくなりながら仕事をしていたのだが、一週間もしないうちにはやくも見飽きてしまい、それと同時に棚や台などのそれぞれの商品の定位置を、なんとなくではあるが意識せずに覚えてしまった。
 週に一度、月曜日にだけ短い朝礼がある。しかし、いくつになっても人前で話すことが得意ではないらしい社長の幾分紅潮した笑顔から発せられる挨拶や訓示の最後の文句である
「・・・今日も一日、スマイルを忘れずに。スマイルあるところに幸せとお客さまはやってきます。それではみなさんよろしくお願いします。以上です」
というのはどうやら毎度の決まり文句のようで、そこの箇所だけは慣れた感じで声の抑揚と発音のスピードが明らかに違って、こなれている。聞き慣れてくると、その最後の文句には、労働意欲を高めるスイッチを押してくれる何かしらの力が宿っているのかもしれない、と不思議に思えてくるほど、
「さて、やるかっ」
とこれから始まる一日に向けて、なぜだかボルテージがあがる効能があるのだった。
売っているものの中には初めてここに来てぱっと館内を見渡した人ならば、おもしろいなあ、と感じるであろうものが多いと思うので、そういった商品の魅力で商売の勝負をするものなのだろうと思いながら、それまで警備員しかしたことがなくて客商売は初めてだったぼくはしばらく仕事をこなしていた。そのせいなのか、ちょっと働く気持ちが商品任せになっていて、ぼんやりしていたところがあったのだが、それが違うということは、最近になってだんだんわかってきたところでもある。それは社長の言うように、商品力よりも、従業員たちがお客さんによい印象を与えながら接客することのほうが大事らしいということだった。そしてそれは今のところ正しいと思っている。
 そうやって、物産館が開店しているときはあらかた館内にいて接客したりレジを打ったりしているのだけれども、ときおり、
「有田君、ちょっと」
と事務室のほうに呼ばれ、パソコンの表計算ソフトで、レジのコンピュータが自動生成した、商品名と数値の羅列の、荒い表を清書するのを頼まれてやる。自分の個人のパソコンではインターネットやメールをすること、そしてアイチューンズで音楽を管理することばかりやってきていたので、正直、その表作りの仕事をしてほしいと言われたときは、できる気がせず若干血圧が下がったような、力が抜ける気さえした。だってソフトの操作も画面に表示される多数のアイコンの意味も、異世界の地図のように全く解読できないのだから。でも、事務長は
「初心者でも大丈夫だから」
と、これを見ながら少しずつできるようになってほしい、と笑顔で、図解入りの入門書を貸してくれた。これはぼくにとって重要なアイテムだ。こうしてぼくは、いささか頼りなげな船に乗っているような船乗りのようではあっても、《表計算ソフトの大洋》という深く広大な大海原に漕ぎだすための重要なアイテムであるコンパスを入手し、新発見の陸地を見つけながら、そこで得た特産品や宝石などに相当する、きれいに罫線で仕切って整えた商品販売個数表を中心とする二、三種類の表を、誇らしげではあるのだけれど、そこは謙虚になんでもない感じでその都度、事務長に提出するのだった。

 繰り返しになるが、ぼくは今年の四月で二十八歳になった。名前は有田虹矢で、二人の仲間はぼくをニジと呼ぶ。子どもの頃は、レイン坊などと呼ばれたこともある。でも、このあだ名はかっこう悪いと思っていて好きじゃなかった。札幌の私立大学を卒業してからまもなく地元に戻ったが、あまりぱっとしなかった成績が暗喩するかのように、それからいままでたいした職歴も無い。この観光物産館のアルバイトに就くまでにも、仕事をしていない期間は二年半くらいもあった。
こんな身にはよくあることなのだけれど、いったい何になりたいのか、お金を稼ぐ気はないのか、そういうことを両親や親戚などから、折をみて叱責のように言われたことが何度かある。そういうときには、本当に済まないような気持ちになったし、意欲のない自分を責めたりもした。しかし、しょうがないとしか言えないのだ。もちろん、不利な条件として、あふれんばかりであってほしかった求人だっていくらでもあったわけじゃないし、目移りするようにさまざまに、極彩色のように輝いていてほしかった職種も限られていた。まあ、でも、これらはいいわけにすぎないとは思う。ただ、言うに事欠いて言うわけではないのだけれど、とにかく自分が働くというイメージがまったくつかめないのだから、そもそもの一歩すら運べない。いやいや、目をつむってでも一歩進めれば、イメージが湧いたのかもしれない、だが、その輝ける勇気を、ぼくは残念ながら眩しく光る砂金の一粒ほども持ち合わせていなかった。何になりたいのか、お金をどんどん稼ぎたくないのか、ぼくへの好意から言っているのだとするそういった問いを浴びせられても、まるで好みじゃない柄のハンカチをプレゼントされて、それを持ち歩かなければならないときのように、自分となじむ感じがしない。自分自身と現実とのズレを感じてしまう。
 では、どうしていきなりアルバイトを始めたのか。それは、幼馴染のカズこと鈴井和夫のある一言に端を発するアイデアに拠るのだけれど、そのアイデアについてはまた後で語ることにしよう。その前に、カズ自身のこととぼくとの関係、そして忘れちゃいけないもう一人の大事な仲間、本堂茜について語りたい。

 カズは巨漢の主である。それも横幅のほうに特化した、すれ違う人たちの目を強く引くようなタイプの、ぼくと同い歳の男だ。かわいそうなのはそのような巨漢でありながら気が弱いというところにあって、例えば道を歩いていてじろじろという他人の視線を感じ取ると、それだけでもう、もじもじとどんどん下を向きはじめてしまう。巨漢によくある汗っかきでもあるので、そのもじもじした状態が長い間続くと、さらにそれが女性の視線によるものだったりすると、じゅわあっと大量の汗をかいてしまい、その汗をかいている自分を、よせばいいのにさらに俯瞰的な意識上の視点で、《おかしな自分》として見つめてしまって余計に恥ずかしくなり、さらにさらに汗をふきださせてしまう。そのさまは、はた目で見ていると、気の毒以外のなにものでもない。だから、人の目が気になってしまうカズは必要以上に外に出ることはなかった。家に引きこもりがちなのだ。そして無職の状態が続いている。何も、生来の、重症的気弱さではなかった。それは高校時代のある事件がきっかけになっている。
 その事件については、川原でカズと茜とぼくとでたき火を囲んでいる時に、ぼくはほとんどのことは知っていたのだが、茜のためにカズ本人の口から、ゆっくり、途切れ途切れに、迷いながら、ときに震えすらした言葉によって伝えられた。
 高校一年生の時に、身体のごつい先輩たちにスカウトされるがまま柔道部に入部したカズは、夏休みを迎えるまでにある女の子に、厳密には彼女の吹くフルートの音に恋をした。片思いの恋と言えるかどうか、よくわからない。その女の子は、過疎化が進み生徒数が年々少なくなっていくこの街唯一の高校の廃部寸前になってしまっていた吹奏楽部に所属する女生徒で、B組のカズとはクラスが違ったのだが、同じ一年生だった。その女生徒の家は高校から徒歩で通える場所にあり、カズはバスで自宅から通学していた。というか、そのバス停と女生徒の家とは一〇〇メートルも離れていないような近距離の、いわば同じ町内で班分けするならば同じ班に入るくらいの近い範囲内に存在していた。
それは夏休み目前のある日のことだったが、バスを待つ部活帰りのくりくりの坊主頭のカズは、何件か立ち並ぶ二階建ての家々の一つの二階の部屋の内の、その窓の網戸から濾すように出てきた、フルートの奏でる旋律を聴いた。それはところどころで音が止まる、まだその楽曲に馴染んでいない練習したてのものであることがうかがえるものだった。音色が流れているのを聴くとき、それはカズにとってとても心地よかったようだ。時折、音が途切れると、はっと現実に引き戻される気がして、そしてまた音が鳴り出すと、ふかふかの羽根布団に身体を預けているときのような柔らかな幸福感に見舞われたんだ、とカズはたき火の中に小さな木の枝を放りこみながら懐かしんだ。そういう日が何日か続き、一度、その女生徒の家の前までいって、そのときも流れていた音色に耳を傾けてしまったことが、物事の明暗を分けた。好きになった女生徒の吹くフルートの音色にうっとりしていると、何気なくその音が途絶えて女生徒が窓から顔をのぞかせた瞬間があった。そしてその眼下に、丸くたたんで帯を巻いた柔道着を肩から背中に下げ、微笑みを浮かべながら立っていたカズがいた。カズの微笑みは、実は彼の素の顔にうかぶ表情だったりもする。素で、幸せっぽい人、それが十代半ばまでのカズだった。今では、素で、困っているっぽい人、そんな顔つきの人になってしまったのだが。きっとその時には、いつも以上の微笑みのカズがいたことだろう。そんな日を境に、夏休みは始まった。
カズは部活のある平日の午前中は学校に通い続けた。そして、何も気付くことなどなかった。もう取り返しのつかない状況になってしまってから何かがおかしいことに気付いたのだが、それは、すでに二学期の始業式のことで、クラスメイトも他の組の生徒たちの多くも、どこかさげすむような、遠巻きにするような、せせら笑うような、そんな一学期とは違う距離感の中にカズを置いていて、それにカズは違和感を覚えたのだった。もともと、同学年の中でも発言力のあるポジションにいたわけではなかったためなのか、それは関係がないのか、判然とはしないが、生徒同士の力関係によるポジショニングのもっとも下のポジションへカズが転落させられたのは速かったようだ。カズは陰でストーカーと呼ばれていた。夏休みの間に、主だった生徒たちの間で、主にメールでそう噂を回されたらしい。夏休み直前に女生徒が窓から顔をのぞかせたとき、部屋の中に友だちの女生徒もいて、彼女が噂を始めたらしいのだが、そのことを知った時には、カズはもう完全に生徒社会の外においやられてしまっていた。
 ぼくはカズと同じ高校に通っていて、そのときから、カズにしてみると唯一の友だちになったのだ。でも、それはぼくが大学へと進学するまでであり、それからぼくが卒業して帰郷するまでは、たまに電話やメールで言葉を交わしたり実家に戻った時には会ったりもしたのだけれど、カズはほぼひとりぼっちの日々を過ごしていた。噂にたいしては、ぼくにしてみても、そのような思い込みの強いまるで一方的な噂を元にする仲間はずれの行為を、ちょっとでも駆逐できなかったことが悔やみとして残っていながらも、大勢の人たちのそういう一方的な力の方向性を正そうとしても、一人や二人では、まるで象と相撲をとるくらい歯が立たないことを学び、それ以来、はからずも少数派としての所作を二人して身につけてしまった感があったりする。
 ただ、その川原のたき火での告白の席で、茜が言ってくれた言葉が忘れられない。それがどれだけカズとぼくを慰める言葉だったか、心がぼうと熱くなったことを今でも覚えている。茜は我慢ならないかのように、でも、いつもの茜らしい東北言葉のイントネーションでこう始めた。
「それでストーカーだっていうの。ねえ、二人ともビートルズの『ノー・リプライ』って歌知らないかな」
カズはその歌を知っていたが、ぼくにはわからなかった。
「『ビートルズ・フォー・セール』の一曲目だね、覚えやすいメロディの歌。その歌がなんだっていうの」
そうカズが、なんだろう、という顔をして茜にたずねかえすと、彼女はさらに続ける。
「カズ、歌詞は読んだのかな。歌詞の内容が面白いんだけど」
「いや、英語の詞も、訳したものも読んでないなぁ。CDを聴いただけ」
それを聞き、茜は涼しげで美しい眼元の感じのまま、じっとカズを見据えて
「あの歌って、居留守を使った女の子を責める歌なの。それも、家にいることを外から目撃して、居留守だって断定してるんだよね、それも二度も。そんなの、歌詞の主人公の男が、女の子を疑って家の周りからずっと監視していたっていうことじゃない。裏を返せば、そういうことがわかるわけ。それこそ今でいえばストーカーなんて言われるかもしれないことだよね。でもね、そういう内容の歌が、六〇年代のイギリス、いやビートルズだから欧米や日本とかの先進国もなのか。そういった大勢の人がふつうに聴いてたわけ。歌詞の主人公の男がやってた行動はとりあえず受け入れられてたの。それが今じゃ、まあ、どうしようもないストーカーが実際にいるせいか、ひどいっていう方向に、ストーカー未満の行動さえくっつけられちゃったりしてさあ、ヒステリックっていうか、過剰っていうか、カズの場合はきっと面白がられてるんだよね、そんなのずっと気にすることじゃないよ。ビートルズのメンバーでもやってたかもしれないような、子どもの感覚が抜けきってない十代では自然って言えるような行動だよね。そういうわけだから、カズは苦しみすぎたよ、その苦しみにサヨナラしなさい」
と、その理由をぼくらに投げかけて、同時にやさしい言葉で包み込んでくれた。
 まだ明るい時間帯のたき火ではあったけれど、炎はめらめらと眩しく燃えさかりながら揺らめいて、その揺らめきはつねに新しい形を作りだしてはまた形を変え、なんとなしに眺めているぼくらの心を退屈させないどころか落ち着かせもする。空は青く高く、薄く引いたような雲が流れていて、たき火の煙もそんな空にゆっくりと吸い込まれていった。

 さて、茜のことを話したくてうずうずしている。なんといっても、ぼくらは本当に茜を好いているからだ。とくにぼくは――それはカズはどうなのかは知らないという意味において――セクシュアルな意味でも惹かれている。あの切れ長の澄んでいて鋭い眼、少し幅の狭い口のなまめかしさのある魅惑の唇、すうっと整った眉に、品のある小さな鼻、ショーットカットの黒い髪の毛、インディペンデントな印象を与える肩の水平なライン、全体的にすらりとしていても、存在感のある胸、ちゃんとくびれている腰、弾けてしまいそうな溌剌とした尻、長く真っすぐな脚。それだけはっきり彼女の外見的な素晴らしさを挙げることができながらも、実は、じろじろ、だとか、爪先から舐めるように、だとか、彼女の全身をくまなく見たことは恥ずかしさゆえにないのだけれど、それでも、「もうたまらない感じ」という言葉を使うのならば、彼女に対してだし、それはうんうんと納得するくらいぴったりくるとぼくは思っている。だから、たまにカズが茜と例の川原で、そこらに転がっている大きな石に腰をかけあいながら、気持ちよさそうに一緒に歌を唄っているのを目にすると、カズにはうっすらと嫉妬を覚えるのだが、同時に感じる《ほのぼの感》のほうがそれにまさってしまうので、「なんだよ、いいなぁ」と微笑んでしまうのだった。二人は『翼をください』がお気に入りの歌のようである。
 茜は今二十一歳で、東日本大震災による原発事故の被害を避けるために五年前に福島県福島市からこの街に避難してきた。震災当時十六歳の高校一年生だった茜は、放射性物質の飛散に心臓を凍らせるほどの恐怖を感じた両親の意向で家族三人この街に避難してきたのだが、彼女本人は、地元に残った祖父母とともにそこに残りたかったらしい。けれども、両親はなかば強引に、そして、まだ原発事故の規模がどこまで拡大するのかわからない時期だったこともあり、その恐怖感から茜ともども故郷を去ることにしたのだ。ただ、その後、知ってのとおり事故は最悪の事態を免れ、福島市など避難区域外の空間放射線量は落ち着き、戻ろうと考えればまた故郷に戻れたのだが、その頃もまだ両親、特に母親は放射能を忌み嫌い、怖れ、さらにそれだけではすまず、精神面でも急にいらいらしたり泣きだしたりして不安定さを見せるようになってしまった。茜は擦り減った母親の神経をなだめるためにこの街に居続けている。荒涼とした母の心の大地に、また川が流れますように、草木が育ちますように、そう祈りながら、日々を送っている。
 そして、何もないという意味において、純然とした田舎たるこの街では「あの」福島から来た人間だからという理由で、特に同世代から彼女は好奇の目でみられるようになり、それでは済まずにだんだん差別的な目でみられるようになってしまった。「あの」事故のさなかに、街を歩いていたんだって、それって放射能を浴びたってことだよね、と。それは放射能への忌避だけではなしに、そこに茜の美貌への同年代の女の子たちの強い妬みが介在したがゆえの差別でもあったのではないだろうかとぼくなんかは思っているのだが。そして、その年代の女の子たちの持つ特有の権力にかしずかされるように、男の子たちも、本当ならば茜と屈託なくしゃべったり仲良くしたりしたかったに違いないのに、誰が茜のキスを奪うかの競争だって始めたかっただろうに、冷たくつっけんどんに、あるいは無視を決めこんだ接し方をしたようだ。そんな状況にいたので、茜もまたカズのように、なんとか高校に通い続けて卒業証書を手にした後には、就職もせず、なんとなく引きこもりがちの生活を送るようになってしまっていた。
 ぼくとカズの良かったところは、原発事故発生当時から、いろいろと情報をネットで取り続けたことにあり、錯綜する放射能関係の情報のどれを信頼するかについて、客観的な事実のデータを元にして情報を発信している人たちの情報をまず優先順位の一位とし、さらに除染の取り組みや農作物や水産物などの放射線検査の結果を、あまり多くではなかったけれどもネットで閲覧するようにして、そうしているうちに見えてきた、信頼できる専門家や有識者や被災地の人たちの、各々のツイッターやブログなどで発信する言葉を摂取することで、放射能を怖がり過ぎずに意識することができた点にある。ぼくとカズはそれぞれで得た情報を逐一、主にメールで伝えあい、それぞれに自身のパソコンでチェックしなおすというようなことをしてきた。そして、これだと思うような本も何冊か読んだのだが、そういう種類の本はとてもありがたかった。だから、放射能はとても嫌な存在なのだけれど、伝染病のように人から人へうつるなんていう一部で持ちあがった噂を即時否定することができたし、スーパーで福島産の桃が売られ始めたときに、応援する気持ちで買って食べ、そのおいしさにあらためて驚くこともできたし、出荷にこぎつけた農家の人たちが流した汗と涙を感じることもできた。それについては、おめでたい、という人もいるだろう。放射線検査についても懐疑的な見方をする人たちだ。だけど、ぼくらは、それを信じることにしている。はてしない疑心暗鬼に陥ってしまうことこそを、ぼくらは心配した。ぼくもカズも無職で、家に居てなにもすることがないから情報収集をしていたという理由もあるのだが、それにしたって、あの当時のあの震災のインパクトに突き動かされざるを得なかった感覚は忘れることができない。なにかできることはないのか、被災者の力になりたい、でも、なれないし、やれることも何も思い浮かばない。状況把握に努めるだけで精一杯で、そのわりに把握しきることはできなかったのだが、そうやって、東北、ひいては福島に感情移入をして情勢をみてきたことが、茜との出会いを生んだのかもしれない。
 自治体主催の就職支援セミナーにカズと二人で参加したときに、休憩時間にこの街の情報専用の掲示板があるという話になって、そこで、福島から避難してきた人を悪く言う書き込みがあったことを、目を吊りあがらせながら非難していたら、たまたまぼくらと三人一組になって、小売サービス業の接客の仕方のシミュレーションをこなしていたのが茜で、彼女はそのとき、
「わたしのことなんだ、それ」
と短くすばやい口調で話に入ってきた。
 ちょっと自分たちを卑下するかのような言い方になるけれど、ぼくらにはたぶん一生縁がなさそうにすら思える、とびきり美しい女の子と、その瞬間からお互いを大切に思い合う仲間になったのだった。そして、ついでに言うと、ぼくら三人はみんなひとりっ子だった。ひとりっ子同士で通じ合うものって、うまく言えないけれどなにかしらあって、それは自分たちの性格に通底するものだったりする。茜とぼくら二人がこんなにも仲良くなれたのには、そんなひとりっ子気質の部分にも関係しているものがあるのかもしれない、と思っている。
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