Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『白石麻衣 乃木坂46卒業記念メモリアルマガジン』

2020-12-30 00:49:13 | 読書。
読書。
『白石麻衣 乃木坂46卒業記念メモリアルマガジン』 白石麻衣
を読んだ。

アイドルグループ・乃木坂46の中心メンバー白石麻衣さんのグループ卒業記念のムックです。

記録的な売り上げとなったセカンド写真集『パスポート』の未公開ショットや企画写真集『乃木撮』からのショット、そしてこのムックのためのショットの三部構成を中心に、白石麻衣さんへのインタビューや同期で仲の良いメンバーである松村沙友里さん、そして秋元真夏さんとの対談、生田絵梨花さんや齋藤飛鳥さんと大園桃子さんへの白石さんについてのインタビューが収録されています。また、現メンバーと、卒業した生駒里奈さん、西野七瀬さんからの白石麻衣さんへの印象や送る言葉の寄せ書き的コメントと、彼女らへの白石さんからのリプライも掲載されています。

言うまでもなく、容姿の美的クオリティが高い人ですし、内面のバランスだってすごく良いようにお見受けしてもいます。そんな彼女ですから、写真におさまって放つ輝きにもうっとりさせられます。どの写真も魅力にあふれているなか、どうしても1ページ挙げなさいと言われたなら、ドーナツをほおばる4コマ写真のページを僕は挙げます。まるで、まいやんと仲良くなって、幸せで好ましい時間を過ごしているかのような錯覚が生じるページです。こういうところはもう、まいやんの持つオリジナルの世界なんですよ。あえて、原色のようにまいやんの世界はつよく主張しはしませんが、まいやんが作っている世界はこの世界の保護色をまとって目立たない風で、でもしっかりと、自身が許す「自分を好きでいる人たち」にその世界へと踏みこませたなら、幸せでさりげなく包み込んでくれる感じがします。

そして、本書も、そういった世界から生まれた本といった出来なので、読んだり眺めたりしていると、まいやんっていいよな! ひいては、乃木坂46ってやっぱりいいな! という気持ちになって心が温かくなってきたのでした。正直、卒業記念本なので、もっとしんみりしたり切なかったりしてしまうかなと思っていました。でも、卒業よかったね! いままでありがとう! と笑顔とあたたかい涙でまいやんが送られていく明るく温かい卒業を感じとれて、これもまいやんの人柄や実績からきているんだろうなあという感想を持ちました。

僕は乃木坂46のなかでもとりわけ生田絵梨花さんが大好きなのですが、まいやんの推しがこの生田絵梨花さんで、まいやんは「生田絵梨花ファンの人たちに負けない!」とこの本の中で宣言していました。「いくまい」なんて呼ばれるくらい親密な関係の二人でもありましたし、誰ももう勝てないじゃないですか……。

まいやんは10月でグループを卒業されましたが、最近はYouTubeで活動されてもいるご様子。最近の画像なんかをときどきみかけると、どこか気を張っていたところがいくらか解消されたようなお顔をされているなあという印象です。

これからも注目していきたい白石麻衣さん、遅ればせながらご卒業おめでとうございました。そしてありがとうございました。乃木坂時代、輝かしかったです。


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『ゴールデンスランバー』

2020-12-28 21:33:54 | 読書。
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『ゴールデンスランバー』 伊坂幸太郎
を読んだ。

第5回本屋大賞と山本周五郎賞受賞作。伊坂幸太郎さんのキャリアのなかでもひとつの転換点ともなった傑作長編です。

仙台を舞台に、パレードの最中に爆殺された首相の殺人犯として追われる身となった青柳雅春。巨大な陰謀を実行した強大な力を相手に、青柳雅春は悲喜交々のまじりあった彼の人生のたくさんの断片とそれらで繋がっていた人々との絆を力に変えるようにして逃げ続ける、よき旧友である森田森吾が人生で最大の武器だと言う「習慣と信頼」、その言葉をたびたび反芻しながら。笑いがあり、涙があり、ドラマがあり、アクションがある。「全部入り」の感すらあります。

無理なく張られている数多の伏線とその回収の仕方がちゃんとストーリーの大切な一部を成していて見事だなあ、と思いました。本筋のおまけとして伏線が張られその回収を楽しむような余興的なものではないのです。効果的に読者を刺激し、しっかりとした快楽をもたらしもする。ギミックって、あなどれません。伊坂幸太郎という作家はその技巧に長けています。

解説を読むと、構造を特に意識して作るような知性的な操作に重きを置いてこの作品以前の作品は作られていたようなところがあるようです。それを、たとえば伏線の回収ばかりに終始しない試みを今作品では試したそうです。本来それが作家の好みでもあったそうなのですが、自分の書き方でもそうしてみることによって、作品に深みというか味わいというかが増したようなのです。

僕も小説を書きますから、こういう部分を参考にしたいなあと思いもするのですが、自分の場合はたぶん、今よりもっと技術全般を磨くほうが自分のためなのだし、新人賞の選考を考えてみてもそっちなんじゃないかななんて思うところです。

それはそれとして。『ゴールデンスランバー』は一大スペクタクルとしてとても楽しめました。息を飲み、続きが気になってどんどん読んでしまいました。おもしろかったです。


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『一瞬で判断する力』

2020-12-24 22:47:47 | 読書。
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『一瞬で判断する力』 若田光一
を読んだ。

ISS(国際宇宙ステーション)でコマンダー(司令官)をつとめたことのある宇宙飛行士・若田光一さんによる、大きな捉え方をしてみるならば、「リーダーシップ能力」についてその要素をこまかくみていく本。

「リーダーシップ能力」といえば、リーダーになった人だけが発揮することを求められる能力かと思いがちです。ですが、誰しも任された仕事のなかではその責任者ですから、状況的なリーダーだといえると本書でも述べられています。つまり「リーダーシップ能力」は、誰もが必要としたほうがいい能力なのです。

「リーダーシップ能力」。僕のイメージでは、自主自律を前提として自分で考え、能動的にコミュニケーションをとり、技術や知識の習得の向上を忘れず、他者にも状況にも柔軟な姿勢で対応する……など、が浮かびます。本書では、「想像する」「学ぶ」「決める」「進む」「立ち向かう」「つながる」「率いる」の7つに大きく分けて、リーダーシップ能力の根幹に位置するであろう一瞬で判断する力をひもといていきます。そのなかで、僕が先に挙げた姿勢についてもおおよそ扱っています。

過酷な訓練や宇宙での活動、そして地上でのデスクワークを含む宇宙飛行士の仕事経験は、他の仕事にくらべて異質というわけではありません。とはいいつつ、具体的に取りあげるなら、まったく他の仕事とのつながりはありません。たとえば深く広いプールに宇宙服を着て潜り、宇宙での船外活動の模擬訓練をするなどはそうでしょう。しかし、それは仕事・職種を個別にフォーカスしてみればたいがいみんなそのようなものです。他の仕事に比べて異質ではないというその意味は、さまざまな個別の各仕事ごとに共通している、その都度使っている能力の内容に違いはないというところにあります。本書には書いてありませんが、たとえば「ほう・れん・そう(報告・連絡・相談)」などはどんな仕事でも大切だとされる一般的なビジネススタンスのひとつですが、この「ほう・れん・そう」のようにいろいろな仕事で共通するスキルやスタンスをいろいろピックアップしているのが本書なのです。そして、『採用基準』という本でも扱われていましたが、昨今は「リーダーシップ能力」の高さを会社での採用基準として見ていたりします。ですから、ビジネススタンスの中身を大きく占めるのは、「リーダーシップ能力」であると言ってもいいと思います。まあ、個人的には、ビジネスにかぎらず、こういう姿勢はプライベートでもうまく発揮したいものだと考えるところなんですが。

本書では、そういった「リーダーシップ能力」の各要素をみていくにあたり、すべてが宇宙飛行士の具体的な経験から引かれていて、宇宙飛行士ってどういう仕事なのかに好奇心のある人にとってもおもしろい読みものになっています。宇宙飛行士に好奇心を持つ人にとっては、逆にその個別性につよく目がいきます。つまりは、個別性と一般性をいったりきたりしながら楽しめる読書をすることができる寸法なのでした。

読んでいると、「優先順位をつける」や「後悔しないために自分で決める」など、多くの人が知っていたりわきまえていたりする内容もちらほらあります。また個人的に背中を押される思いをするような項もあって、「失敗から学ぶ」「自分のことほどわからない」「トラブルは小さい芽のうちに叩いておく」「守破離」「ペース配分」「恐怖は探究心にもつながる」などがそうでした。こういった「自分もそう思ってたのだけども!」という部分はけっこうあったのだけれど、若田さんはそれをきっぱり言えるところが僕とは違う。きっと場数を踏んでいるからなのです。

というところですが、ひとが能力を最大限発揮するためには、いろいろな能力の性格がどういうものかを意識することが始まりになるでしょう。そのうえで、自分の長所や短所がわかってきます。そうすると、いつのまにか自分を俯瞰的・客観的に見ることができるようになっていたりすると思います。まず、そういう一歩を踏み出すとして、その伴走者のようにもなってくれるのが本書でありました。けっこう幅広く参照が効くタイプのビジネス書だと思います。

著者 : 若田光一
日本実業出版社
発売日 : 2016-08-31

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『アメリカ黒人の歴史』

2020-12-22 01:28:10 | 読書。
読書。
『アメリカ黒人の歴史』 上杉忍
を読んだ。

大航海時代。アフリカから奴隷として連れてこられ、プランテーションなどで働かされるようになった黒人たち。本書はそのなかでも、もっとも注目されるべき存在とも言えるアメリカ黒人のその歴史を見ていくものです。

アメリカ黒人は、その酷薄な差別と厳しい苦難の道を歩んできたがゆえに、アメリカ社会の危機をもっとも敏感に感じとった存在であり、同時にアメリカ社会の変革の最前線に常に立ってきた集団である。

奴隷制という非人道的な仕組みは、支配する側の白人にも支配される側の黒人にもその精神面に深い影響を与えることは避けられないと思います。権利も時間もなにもかもを収奪するのが奴隷制ですから、それが常態化すると(奴隷制は黒人を対象にするものに限らず古代からある悪習ではありますが)歪んだ精神性が支配者のほうにも被支配者のほうにもあらわれてくるものではないでしょうか。そして、そんな歪んだ精神性で作られていく社会は人々の歪んだ精神性を反映したものであり、その歪んだ精神性で形作られた社会がさらに歪んだ精神性を再生産したり助長したりしていくものになってしまう。

たとえば女性の地位の問題だってそうなのでしょうが、この本のテーマである人種差別のような根深い社会問題というのは、公正ではないのにまるで空気のようにありふれてしまって意識もされにくくなる「盲点化」とでも表現したくなる状態に陥ることに待ったをかけることで問題として表出するのだと思います。「本来、我慢しきれるものではないし、我慢するものでもないのだ」と気付いたりわかったりし、つよく意識していくことは真っ当です。ですが、「盲点化」(「盲点化」は「固定化」とも言えます)を望む者はたくさんいて、そこで戦いがおこる。終わらない人種差別の戦いには、収奪する側の深い欲望(利権)によるもののみならず、差別する側にとっても彼らより優位に立っていなければならないという、生存競争においての強い不安感による強迫観念がからみついているところも見えてきます。

アメリカ黒人たちは、奴隷解放や地位向上などの分節点の多くを、南北戦争や世界大戦などの戦争時下社会状況がポジティブに作用することによって迎えていました。たとえば第二次世界大戦中、敵対するナチスドイツが行っているユダヤ人排斥をアメリカが非難しても、リンチ殺人すら暗黙のうちに処理してしまうほどのアメリカ国内でのむきだしの黒人抑圧があり、それをもしもナチスドイツから指摘されて「アメリカ民主主義の欺瞞」を証明するものとして宣伝されたならば、アメリカの正義が大きく揺らいでしまう。そのために、政府が黒人に譲歩していくのです。さらに黒人側もしたたかに駆け引きをして自分たちの境遇を改善していきます。しかし、これらの前進にはかならず揺り戻しがある。南部の保守的な白人に代表される人たちの力も根強いのです。

少しずつよくなっていく様子から、状況をよくするために戦ってきたアメリカ黒人たちの一歩一歩が本書から読みとれるのですが、公民権運動の頃のキング牧師の登場にはやはりこれまでの黒人指導者を越えている感じがつよくしました。スケールといい、カリスマ性といい、能力といい、とても大きく感じられるし、実際そうだったのでしょう。彼による非暴力での活動が広まっていき、ほんとうに大きなうねりになっていく。しかし、偉大な人物ではあっても苦悩はつきなかったであろう様子がその行動の記述から読みとれます。それだけ複雑でままならない問題であり、政治的な駆け引きもあるし、その深い部分が彼にはよく見えていたのだと思います。

現代は、当時とはまた内容に大きな変化が生じている黒人差別問題と反対運動や暴動の状況があるようですが、キング牧師のような人物がでてくるときっと何かまとまるものがあるのではないかと想像してしまいました。最近の人たちにありがちな、小手先の知識でどうにか状況を打開しようというのではなくて、知識や教養を支えながら周囲にもその存在をじゅうぶんに感じさせる熱い心意気が、それがいくぶん古くさいものだったとしても有効なんじゃないか。細かい部分すべてを知っていなくても、根っこのところのベクトルがちゃんとしていて、それがちゃんと伝われば、人は動き、まとまっていくような気がするのですが、どんなものでしょうか。

本書は、公民権運動からの歴史に大きく紙幅を割き、現代の黒人差別の事情を新書という形式内でできるだけくわしく知ることができるよう、役立つ構造になっています。レーガン大統領からはじまった新自由主義とそれによる大企業優遇や福祉の縮小などの記述もありますし、そういった流れで骨抜きにされ形骸化されていく法律があることも教えてくれます。これらは今の日本に置き換えてみて気付けるところもあるでしょう。また、会議をしてそれから放置する、という行政にありがちな体質が書いてありましたが、これだって日本の行政にもぴったりあてはあまる部分があります。手に負えないケースは体よく放置しますよ、日本の行政も。

といったところで書き尽くせない、ページ数のわりにボリューム感のある濃密な中身でした。怒りと憤りを感じながら学ぶ読書です。と同時に、あまりのひどさにメンタルを削られながらにもなりました。人類学者・レヴィ=ストロースが、「この世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」みたいなことを言っていますが、本書にある数々のクソッタレな行いの記述から知るにつけ、そういうクソッタレなためだからなのかなぁ、と「はあぁ……」と息が漏れ出もしました。でも、知ってよかった、読んでよかった、と思えます。世界について、また少し、わかるためのとっかかりが増えたような気がしています。


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『穴』

2020-12-16 22:55:19 | 読書。
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『穴』 小山田浩子
を読んだ。

第150回芥川賞受賞作。表題作に2篇の短編を加えたものが本書です。

古今東西のさまざまな文学を渉猟し、吸収して、敬愛の情を持っている人が書いた作品という気がしました。膨大に読みこんだ読書経験の量を背景に持っているので、どこかブルドーザー的な力強さを執筆に転じて発揮できているのではないか。

以下、ネタバレのある感想と解釈です。



見たことのない獣を追って穴に落ちる主人公の主婦・あさひ。主人公にとってはずっと問題のなかった「世界」を見る視座が、穴に落ちたあと気付きもせずにぐらりと変わっているといいますか、世界のほうがごろっと妙な角度に曲がってしまうといいますか。そこも僕には、読んでいて物理的に穴に落ちたシーンにはとくに何も感じず、そこが過ぎてしばらくしてから「ああ、穴に落ちたというのは……」と時間差で違和感が生じてきたのでした。継ぎ目を感じさせない移行の仕方を作っているのはすごい。

それで、僕が感じたこの移行による違和感はなにかというと、まずは「混沌」という言葉が浮かんできます。主人公が驚くようなことがいろいろ起こって、その事案にたいしての理由付けがうまくいっていないために混沌が立ち現われている。これは読者もそうなんです。主人公はうまく飲みこめていないけど、読者にはわかっているという種類の小説ってありますけども、この作品はそうではありません。細部の奇妙さは奇妙さとして断定されているように読めてしまう。それはまあ、疑って読めばいくらでも疑って読めます。しかし、自ら罠にはまっていきたがるチャレンジ精神をかきたてられるようなものがこの作品にはありました。もっと洞窟の奥深くへいってやろうじゃないか、というような気にさせる。そうしてうまく転がされます。言い方を換えれば、ぞんぶんに読者を作品世界に泳がせてくれるわけです。

で、次は「認識」という言葉から考えていきます。小山田浩子さんは認識というものの扱いが巧みなのです。主人公が自分の周囲の世界をどこまで明確に認識しているか。ある認識はべつのものを認識するときの助けになり、反対に妨げになるときもあり、ときに屈曲させてしまうものにもなる。そして、主人公は物語世界のなかで認識の解像度を上げたり上げられなかったりもする。そのようななかで集められた情報やもともともっている知識などからいろいろ考えていくのですから、地盤がゆるゆるしているなかで構築された判断ができあがっていきます。それで混沌状態を体験することになるのです。そしてこれは二重の意味でもあります。なぜなら、読者の認識についても同様に考えられていて、同様の体験をするからです。しかも、没入感をあまり持たない人でもうまく物語世界の混沌に導かれてしまうくらい、粗がない文章だと思います。

物語の結末では、また違う世界に主人公は足を踏み入れています。このあたりも、うまく認識させずに世界を移行するワザが、作家の手法のみならずこの世間というか社会というかにはあるのです、ということを暗に示唆しているのではないかと感じました。

あとの短編二作は連作です。情景や描写から登場人物の心象を推し量るような読みかたで接したのですが、そこもたぶん作家は計算しているのでしょう。「これはたぶん、女性同士の性愛の予感だ」だとか「エロティックな心象を表わしている」だとか「主人公の不安で落ち着かない心持ちを蛾の死骸の描写でトレースしているんだ」だとかありました。が、しかし、結末までいくとフェイントをかけられたみたいになったのです。まあでも、僕はまだまだ小説の読みは浅いですから、もっと鋭い読みはたくさんあると思います。これだという感想は述べられませんが、この二作もおもしろく読めました。

まだまだ自分の知らない色取りの文学世界はあって(それもこの作品以外にもたくさん)、広い世界なものだよなあ、と可能性の大空を感じるみたいに口笛をふきたくなる読書でした。


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『モラルの起源』

2020-12-12 23:09:00 | 読書。
読書。
『モラルの起源』 亀田達也
を読んだ。

生物学や社会心理学、脳科学などさまざまな学問を横断する実験社会科学による人間社会の分析と考察。「共感」だとか「適応」だとか、3つ4つの鍵となる項目を大きく見ていく感じです。そうやって、これからの正義やモラルを考えていく上で必要な、その源流(起源)を眺め、踏まえていくという体裁になっています。

たとえばミツバチの群れが集合知を実現している例から、ではなぜ人間社会では集合知が実現しないか(あるいは、しにくいか)についての考察があります。ミツバチの社会は血縁社会で、個人が生き抜けばよいというよりも群れが生き抜けばよしとします。よって、次の営巣地(ハチの巣の構築候補地)を探しその候補地を集合知でもって決定するとき、各々のミツバチは個人の利害なくフラットな目で候補地を判断するようなのです。そして八の字ダンスでのプレゼンを繰り返しながら、群れの多数決で決められた次の営巣地は、客観的に見てもベストなところに落ち着くのだそうです。他方、人間社会では「情報カスケード」と呼ばれる、無条件で他者の情報を優先する心理状態によってたとえばエラーである情報が連鎖してしまうことが多々あります。これは集合知ならぬ、その反対の集合愚にあたるケースです。つまりミツバチにくらべて人間のほうは自分の目で判断していないから上滑りするような情報共有になってしまう。それも無自覚にそうだし、そのような傾向も強い。そのあたりを深掘りして考えると、人間は非血縁社会で生きているがゆえに、「まわりとは独立に、自分の判断で評価を下す」ことが当の本人にとって不利益になる可能性があり、その可能性が少しでもあるならば空気を読んでそれを避ける心理が働く、という機制の存在が浮かび上がってきます。つまり、ほんとうは実体のない「世間」というものへの意識が、人間社会での集合知を実現させにくくしている。本書では、「だから、それをやめよう」というスタンスではありません。人間のありようを深くまでみつめて、「そのうえでベターを考えられたなら」というようなスタンスでした。なので、啓もう的ではなく科学的な態度の本であって、それゆえに客観的に、それこそデリケートな概念である正義やモラルを考える地点に近づくことができるのです。

後半部では、「最大多数の最大幸福」を掲げる功利主義や「最不遇の立場を最大に改善すること」を掲げるマキシミン原則を扱います。著者としてはその折衷点を考えていく実用主義を探る方向へと光を投げますが、この折衷(妥協)の落とし所がむずかしいんですよね。ある意味、おおざっぱな見立てをする人には「ダブルスタンダード」に見えてしまうくらいの、すっきりと洗練されていないところからまず始めないと到達できそうにない気が個人的にしますし、もしかすると現実的な実用主義はそういったゴツゴツして洗練されていない状態を受け入れることを要求してくるのかもしれない、なんていうイメージもふくらみました。

ページ数のすくない、ぎゅっと凝縮された論考といった新書なので、読んでいて難しかったりもっと広く扱ってほしいと思う箇所も少なからずありました。それでもぐっと視野が広まる良書です。著者はあとがきで、批判的に読んでほしいと書いています。この分野を活発にするためにはそういった態度での読み方が大歓迎なのでしょう。そのためには読みこんでしっかり把握しなければなりません。社会学に足をつっこみたい人にはぜひとも手にとっていただいて、がんばって批判をひとつでもぶつけてみるとおもしろいと思います。


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『地下鉄のザジ』

2020-12-10 22:45:10 | 読書。
読書。
『地下鉄のザジ』 レーモン・クノー 生田耕作 訳
を読んだ。

パリを舞台にめくるめく市中冒険。テンポよくどんどん場面が変わっていくし、主人公の女の子・ザジや叔父のガブリエルたちが共有している世界観(「当時のパリ庶民の精神風俗」なんて解説もある)に匂うくらいの温かく人間くさい血が通っていて、なおかつ軽い。高尚なことを考えたり表現できた入りする人が、ざっくばらんな砕けた形式で多くの人が楽しめるように作ったような作品でした。

主人公のザジは10歳の女の子なのですが、口が悪くて口癖は「○○、けつくらえ!」で、扱いにくいどころか誰もが手にあますような子どもです。フランスという自己主張の激しい国の子どもですし、それにこれはフィクションでもありますから、なおさらザジのキャラクターは強烈なパンク調というか、世間でも有数の問題児レベルのような言動や振る舞いをしています。でも、そこに僕は自分の子ども時代のどうしようもない性格の部分、いわゆる「クソガキ」だった部分を思い起こさせずにはいられませんでした。そういう自分だったことがわかっているから、もしも自分に子どもができたらそういうところが遺伝して育てるのに難儀するだろうなと思うくらい。

閑話休題。
小説は、どちらかといえば「知性的に味わう性格の強いもの」と、どちらかといえば「感性的に味わう性格の強いもの」とがあるように思います。乾いた文体だとか、濡れた文体だとかという特徴だってありますし、それらと「知性的」か「感性的」かの連関もあるでしょう。『地下鉄のザジ』は、知性的に味わう性格の強いほうです。ドライな笑いがちりばめられていて、そのおかしさを堪能するのは感性ではなく知性のほうです。なので、門戸の広い楽しめる作品でありながら知的な深さを備えているといえるでしょう。僕はおそらく、というか間違いなく隅から隅まで楽しめたわけではないですが、教養が豊かであればあるほど楽しめる作品かもしれません。フランス語の単語や文章のままの箇所もあります。そこは言葉をいじくって面白く表現している、文学的に譲れないような部分なのでそのまま訳さないでいるのでしょうか。はたまた技術的な問題なのか。判断はできませんでしたが、読んでいても意味がわからなくなるところではないので困りはしないのですが。

話が大きく発展したりひねりのある展開をしたりもします。それでいてユーモアが忘れられることはなく、昔のヨーロッパのアニメを見ているかのような独特の感覚がありました。そういう感覚は久しく忘れていたので、懐かしくもおもしろかったです。


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『悲しき熱帯 Ⅰ・Ⅱ』

2020-12-08 00:19:40 | 読書。
読書。
『悲しき熱帯 Ⅰ・Ⅱ』 レヴィ=ストロース 川田順造 訳
を読んだ。

中公クラシックスから出ている民族学そして構造主義の名著。本文にときどき登場する「構造」の言葉が、ソシュールやフロイトあたりが源流とも言われるある種の思考の形に「構造主義」の名を与えたとか。

20世紀の半ば頃までにまだ絶滅を免れていた南米のインディオたちの諸部族を現地調査した著者による調査報告なのですが、自由な体裁で書かれていて文学的な趣もあります。そのときどきの思索、日記のような記述、体験や経験の記録を読者の興味を引くように書かれた読み物、部族の容姿・気質や風習・文化などの分析、論説などなど、できるだけ垣根を設けず思考の流れに忠実に執筆しているような雰囲気があります。なので読んでいると、さながらレヴィ・ストロースになって深い思考体験をするヴァーチャル・ロールプレイングに浸っているかのような感覚を持つくらいです。それでいて、読み手と本との対話も濃厚にできる本でもありますから、読み手が独自に思索を深めたり寄り道したりしながら楽しんで読んでいける性格のつよいほうの本だと思いました。

第二次大戦下の時代。フランス人である著者がなんとか密航して祖国を脱出する回想から始まっているのだけれど、その船内のすし詰めの状況や不衛生な環境などのしんどくて大変な様子をしっかりとした描写で書いていて、これはほんとうに大変な時代だったなぁとそこで訴えられているものをひしひしと受けとめることになるのですが、この最初の部分から文体は比較的重厚で(読みづらいわけではないのですが)、本書の濃厚さに頭を慣らしていく部分にもなっていると思います。

南米の諸民族を語るまでの導入部がかなり長いのですが、あなどるなかれ、ガツンとくる言い回しや論考に関すれば、スタートからゴールまで一貫してずっと質が高いままです。気になる箇所のうち、僕なりに「これは!」と思ったところから思いついた考えがあって、それは「若者の自分探しの旅は、自分探しという目的にはほとんど意味がなくて、旅をしたという行為にこそ意味があるようだ。それまでの人生から見て桁外れな体験をすることが、大人になるための通過儀礼のようなものになる。」というものなのですが、北米の若い男性のインディアン(ネイティブ・アメリカン)の例が挙げられていて、そこでは肉体的にほんとうにもうキツすぎるというようなことを成人への通過儀礼としてやらなきゃならない。気がふれるような領域まで自分を追い込んで(あるいは追い込まれて)、そこで精霊を見たり感じたりするまでいってしまいます。で、それがその人のインディアンネームのきっかけになる。これらと比べれば、日本人の自分探しなんてちっぽけなものかもしれませんが、過剰に保護された世界から飛びだして生身の心身でぶつかっていく体験は、やはり成人への通過儀礼的な内容があるのではないかと考えてしまいます。

また、南アジアの途上国(インド)で、靴磨きや客引きや安もの売りや土産物売りや物乞いの子どもや障害者が、旅行者の前に身を投げてくると書かれている。だが、彼らを笑ったり苛立ったりしたくなる人は気をつけるといい、とレヴィ・ストロースは言います。これらの馬鹿げた仕草、人を嫌な気持ちにする遣り方、そこにひとつの苦悩の徴候を見ずにそれらを批判するのは虚しく、嘲るのは罪であろう、と作者は続ける。この洞察に対しては不遜ながら「なかなかやるじゃないか」という感想を持ちました。なぜなら、これは人間を突き放さないことでしかわからないからです。誰でもわかることじゃないんです。そういう心理地点に到達できる人は多くはない気がします。僕自身、在宅介護の修羅場を経験したうえで、なおかつなにかの拍子にひょっこりとそういう視座を持てる地点に出たタイプで、周囲の知人たちを思い返しても「このひとはもしかすると」っていう人が数人いる程度です。ましてや、ヨーロッパの昔の偉い学者にはわからなさそうな感じがしますから。なので、作者の前述の洞察には「やるな!」と思う次第。こういうところは学問とかじゃなくて日々というか生活というかから得られる学びからきますからねぇ。

そして、本題の諸部族をめぐるフィールドワーク部へ入っていきます。ここで僕のあたまにひかっかったのは以下の部分。部族の首長だけが一夫多妻制になっていてそのあおりを食う男たちがいたり、首長は首長でその地位による優越はあるだろうが群れのリーダーとして忙しく群れのために世話を焼かなければならない。競争意識による刺激がほとんどない社会にもこういった差異があるのは、生来の差異のため――――以上はナンビクワラ族の考察部から。競争社会を批判し、競争のない社会がユートピアかもしれないと夢想しても、人間の個体差というどうにもならないものがあるのだから、完全な公平さが実現したユートピアにはなるものではないです。公平さの実現にはもっと人工的な操作が要るってことでしょう。人工的な操作が必要といったって、それでナチスドイツに代表される「優生学」方面に進んでしまったとしたら道を間違えています。人間の選別、遺伝子デザインではなくて、障害のある人でも笑って暮らせる社会へのデザインを考えるほうが豊か。文明の進歩で人工的にできることが増えていく、その力を活かすのはそっちだと思います。

しかし、最後まで読み進めていくと……。

人間には生まれつきの個体差があるから社会には多様性がある。そこから生じる良くない部分、つまり差別や立場の不均衡があるのでそれらをなくすため人工的に社会を平らで滑らかなものにしてしまうのが良いかといえば、でもそれは違うみたい。本書『悲しき熱帯』が照らす地平はどうやらそっちなんです。個体差という多様性を維持しながら差別をしないことはできます。これは多様性を認めるということで、他者に敬意を持つことでできますよね。では立場の不均衡はどうなんだろう。平滑にしてしまったほうがフェアな気がしますけれども、しかし不均衡な状態のほうが何かの拍子に一網打尽になりにくいのは多様性の強みと一緒かもしれません。かといって、生きづらい人たち・生きにくい人たちがそのままでいいなんてちょっと思えないですし。

きっと生きづらさの解消に関しては、やっていくべきは生存可能圏を開拓していく行為なんじゃないでしょうか。人間社会のハビタブルゾーンにはまだまだ広大な暗黒領域があって、そこを可視化された生存可能領域へと変えていくこと。だから、立場の不均衡の解消をしても多様性の強靭さを損なわないために、既存の社会領域を拡大もせず深掘りもせず小手先だけで器用にめくらましするのではなくて、創造に似た新領域の発見・開拓のイメージを持って考えるとよいのかもしれません。要するに、いま、生きづらい人たちが苦労しているのは棲み分けがうまくいっていないからではないのか。棲み分けのために必要な領域(生存可能領域)がまだ暗黒地帯に含まれていて、ずっと発見を待っているからなのではないのか。狭い領域にぎゅっと詰められている状態が今ではないかと仮定できるのではないでしょうか。

ということで、固い内容ばかりのような印象を持たれてしまうかもしれないですが、そんなこともないんです。たとえば、口内炎を痛がる言うことをきかない騾馬とレヴィ=ストロースの格闘は愉快でした……。

読了まで時間がかかりましたが、読んでよかった!と思えるすばらしい本でした。やっぱり、風化せずにドシンと現代まで残るものは違うんですね。




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