Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『NHK連続テレビ小説 あまちゃん 能年玲奈 featuring 天野アキ』

2014-08-31 00:07:04 | 読書。
読書。
『NHK連続テレビ小説 あまちゃん 能年玲奈 featuring 天野アキ』 能年玲奈
を読んだ。

久しぶりにアキちゃんに逢えました。
やっぱり輝いています。
真っすぐなことを訛った言葉でしゃべる、
あの声すら聞こえてきそうでした。
完全保存版と銘打たれていますけれども、
本当に、あの時期の三陸や東京の空気が閉じ込められていて、
アキちゃんもあの当時の元気さとともに写真に写っていて、
眺めていると「あまちゃん」を観ていたときにそうなる
ほがらかな自分がまたやってくるような気さえしました。
よい作品でしたよね。

というように、アキちゃんこと能年玲奈さんなのか、
能年玲奈さんであるけれどもアキちゃんなのか、
渾然一体とした魅力的な女の子がfeatされた
一冊でした。
簡単なインタビューや質問への答え、
そしてポストカードが二枚ついています。

もうこのドラマが終わって一年が経とうとしています。
そんな時期に読んでおきながらも初版本です。

あー、かわいかった。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『世界一役に立たない発明集』

2014-08-30 00:06:14 | 読書。
読書。
『世界一役に立たない発明集』 アダム・ハート=デイヴィス
を読んだ。

イギリスのヴィクトリア朝時代(1837~1901年頃を言うらしい)を中心に、
欧米の失敗発明を集めた本。

無名の発明家ばかりが出てくるのかと思いきや、
リリエンタールやダンロップやウィルキンソンという、
名前ならなんとなく聞いたことがあるような人々もたまに出てきます。
しかし、製鉄王ウィルキンソンの名前なんか、
僕はどうして知っているんだろう、謎です…。

面白いのは、数々の失敗作を通して感じられる、
当時の人々の情熱ですね。
名誉欲なのか、金銭欲なのか、趣味なのか、生きがいなのか、
それぞれの人によって違うとは思いますが、
とにかく、奇天烈でもなんでも、懸命に夢想したようなものがあったり、
目の付けどころと発想は良さげなのに、あとひと押しが足りないだとか、
ちょっと抜けてる部分があるだとか、あるんですよね。
その頃の時代に比べると現代って洗練されていて、
失敗してもその理由には納得させられるものがある、
というパターンが多いですが、
当時の失敗には、まだ科学の水準だとかが低いために自由だったこともあり、
そんな方向へ考えや発想をすすめるのかい!と
今の人ならツッコミたくなるような発明(特許取得)をしている。
ただ、そこが、豊かさとも言えます。
現代人はツッコミを恐れていて不自由な時代を過ごしているのかもしれない。
それに比べて、この失敗の人間臭さ、そしてその人間臭さの中から生まれた
いろいろな成功が現代の礎になっていたりもするでしょう。

縛られていない情熱と発想というものが、
自由に翼を広げていた時代の可笑しさを知れるのがこの本。
いやいや、可笑しさとともに、いとおしさも感じた方がいいのかもしれない。
こういう、ときに昔の人々のマヌケさを売りにする本だからこそ、
冷笑的には読むべきではないです。
まぁ、冷笑的に本を読まない、というのは村上春樹さんも言っていましたし、
どんな本にも当てはまるものですが、特にこの本はそういう感覚では
読んではいけないです。

けっこう、淡々とした文章なので、
その淡々とした文体ばかりを気にしていると面白くないかもしれないですが、
内容に目を向けて、発明家の人々の気持ちを想像しながら読むと
面白いと思います。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ITビジネスの原理』

2014-08-29 00:41:43 | 読書。
読書。
『ITビジネスの原理』 尾原和啓
を読んだ。

マッキンゼー、リクルート、google、楽天、などなど転職を10回も重ねた、
それも一流企業を渡り歩いた著者による、ITの歴史を辿りながらのITビジネス分析考。

ITビジネスに限らず、日々インターネットに触れて暮す僕らみんなにとって
興味深いことが書いてある本でした。
IT企業はどうやって利益を生んでいるか、だとか、
「パズドラ」に代表されるソーシャルゲームを分析すると、
どんなタイプのゲームがあり、それはどんな要素で構成されているか、だとか、
クラウドソーシングという新しい就労のバリエーションについて、だとかが
まず中盤までの間に説明がされ、
そこからは、ITのコミュニケーション面を重点的に、
そのテクノロジーやコミュニケーションの変容や、
そもそもの人間の所属の欲求や承認欲求というところにまで対象化して
説明してくれます。
「薄いつながりを強化する」というキーワードもあったなぁ。

学者や専門家と違って、難しい言葉では語られていません。
それは、いっぱしの知識は必要なのですが、
大抵の言葉は理解できるレベルでした。
ビジネス語も含めて、よく使われる言葉で書かれた本と言えるでしょう。
そして、ITの大筋がよくわかりますし、
いま、この時期の必読書、と言えそうです。
この時期というのは、著者の言葉を借りれば、
時代の曲がり角ということなんですよね。
インターネットの環境が整ってきて、
それをどう使うかというのが今求められていて、
その曲がり角ということです。

今回の読書でも、また僕の頭にひっかかる言葉がありました。

___________

モノを買うというのは、ただ品物を買っているだけではなくて、
その商品にまつわる物語を買っていたり、売っている人との関係性を買っていたりする
と思うのです。その関係性を手に入れたとき、人はもっと幸せになれるし、
インターネットというのは、それを実現できる力を持ったツールであるはずだ、
と思うのです。
__________

そして、著者は、それこそを楽天という会社はできるはずだ、
というように話を流れさせていましたが、
これはもう気持ちの持ちよう、意識が何かのきっかけで変われば、
楽天に限らず、いたるところでそういうアニミズム的な、
モノに宿っている作り手や売り手などの物語や関係性、魂のようなものを
みんな感じとるようになるんじゃないのでしょうか。

この間読んだ、大森荘蔵さんと坂本龍一さんの
『音を視る、時を聴く。』でいう「あったかみ」であり、
佐々木俊尚さんの『レイヤー化する世界』でいう「いとおしさ」であり、
そういった他者への敬意が、マルセル・モースに言わせると、
「自分自身の何か、自分の生命、自分の時間がモノに宿っていてそれを交換している」
でありますが、そういうのが、技術革新に劣らない生産性の向上あるいは維持にも
なるとモースは言っています。さらに、社会的包摂というものも、
それらに関連してくるような予感があります。
ひいては、生きづらいこの社会が、生きやすくなることにも繋がっていくことが
可能のようにも思えてきます。

要するに、先にも書いたように、
「他者への敬意」をちゃんと持つということなんですよね。
「他者への敬意」については、糸井重里さんが「ほぼ日」で書かれていたことが
何度もあると思います、僕もそれに影響を受けていたりするわけです。

というように、話は逸れたかのようでいて、
これは本書の中心的な内容でもあります。

社会学、というほど堅苦しくない、やっぱりITの本なので、
インターネットが手放せないみなさん、未読の方は手に取ってみてください。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『象工場のハッピーエンド』

2014-08-26 00:09:06 | 読書。
読書。
『象工場のハッピーエンド』 村上春樹・文 安西水丸・画
を読んだ。

村上春樹さんのエッセイのような短編のような文章を楽しみながら、
安西水丸さんの絵を見るような本かなぁと思って手に取ると、
逆に、安西さんの絵を楽しみながら村上さんの文章を読むようでもありました。
絵のほうが分量が多いですが、村上さんと安西さんが対等にそれぞれやっている
という感じがします。
巻末の対談でも、安西さんは村上さんの書いたものを知らずに絵を書いたと
言っておられますし。ただその中で、ウイスキーのカティー・サークだけは
被ったみたいなんですよね。それは偶然の一致。
この巻末のお二人の戯れ対談みたいなのが面白くてゆるくて良かったです。
本書全体の印象も、ゆるーい感じがして30分くらいで読めてもしまいます。

それでやっぱり村上さんの文章のほうが気になってしまうのですが、
羊男と双子の美少女がでてくるのがあります。
彼の初期の作品の主要キャラクターですよね。
それで、彼らは春の日差しの降り注ぐ庭で、手を繋いでスパゲッティの歌をうたうんです。
これがねぇ、平和で幸せで、読んでいて嬉しくなりました。

こういうライトなテーストの本当に短い短編を書いて、
今世に出すとしたら、けっこうな挑戦になるような気がします。
ライトすぎて、ただの突き抜けた嘘みたいなものが並んでますからね。
僕もこういうのを楽しみのために書きたくもなってきます。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ロボット創造学入門』

2014-08-25 00:04:43 | 読書。
読書。
『ロボット創造学入門』 広瀬茂男
を読んだ。

この本を買ったのは、その頃たぶんに
心脳問題というのに興味が湧いていて、
ロボットひいては人工知能が人にだんだん近づいていく昨今なので、
そのあたりの理系的アプローチがあるのではないかな、
と思ってでした。
残念ながら、「心と脳について」にあたるような論考はなかったのですが、
ロボットにプログラムする倫理感覚などについて、
まず人間はどうなのだと考察していくところは、
中高生向けの岩波ジュニア新書だとしても、非常に興味深かったです。
というよりも、中高生でもけっこう頭の切れるタイプの人じゃないと
理解できないのではないかと、その他の章も含めて思ったくらいです。
それでも、知的好奇心をくすぐられるように書かれていて、
記述でも専門的な言葉やらx、y、zを使った数学的記述もあるのですが
くだいた文章なので、わからないところはわからなくても、
おおむねは理解できます。

まず、地雷除去ロボットの製作過程を追いながら、
ロボットってどんな感じかというのを知っていくことになります。
さらに次章で、ヘビ型ロボットの製作過程を追っていき、
ロボット観を深めていくと同時に、
製作者である著者の生活なども垣間見えて、面白い読み物としても
読み進めていくことになります。
その章で言われているのに、こんなのがありました。

__________

大学院のいいところは、十分に時間をかけて考える時間があることだ。
朝研究室に行って机に座り、窓の外の雲を見ながら考える。
図面を書いたり計算したり、実験をしながら考える。
昼になったら、毎日欠かさないようにしている道場での空手の練習をして、
夏ならその後プールに飛び込んでダラーと泳ぐ。泳ぎながら考える。
そして学食でお昼をとり、また机に向かって窓の外の雲を見ながら考える。
あきたら研究室の仲間と雑談をしたりして、また考え続ける。
腹が減って耐えきれなくなったら、家に帰って晩ごはんを食べ、
テレビなど見てリラックスする。
そして、風呂の中や寝床で眠りはじめるまで考える。
もちろん、ときどき飲み会で羽目をはずして大騒ぎしたり、デートもしたけどね。
こんなふうに、時間を十分使ってじっくりと考えつづけられるのが、大学院だ。
最近の大学では、短期間で博士号をとらせようとするような国の政策で、
ゆったりとした余裕をもって研究しにくいような雰囲気があるけれど、
私は昔ながらの大学院のいいところをなくなさないほうがいいと思っている。
__________

すぐに結果を出せ、だとか迅速主義的に事を成せと言われがちな現代で、
とくに顕著なのは民間企業だと思いますけども、上の記述こそが
本当らしいように思いますよね。迅速主義なのは場当たり的だったりもします。
とはいえ、これは研究についてのことですから、
何にでも適用してみようというわけではありません。
でも、こうやってゆったりと一つのことに当たる経験にこそ、
学業や研究の楽しいところがあるのではないかな。

さて、最初のほうに書いた、ロボットの持つべき倫理について。
その章ではまさかの「囚人のジレンマ」についての考察もあります。

また、未来のロボットは倫理などをわきまえた知能を持つようになるとすると、
それが功利主義にのっとった考え方をプログラムするべきだ、
みたいな主張で締めくくられているので違和を感じたのです。
大多数の幸福のためには少数の犠牲はやむを得ないとする考え方が功利主義です。

この本の例だと、工場が爆発する危険があるときに、
自動走行の車型ロボットが工場内で作業しているとすると、
爆破を止めるボタンを押すためには何人かの人間を轢き殺してでも、
その目標を遂行しなければいけないとしていた。
大多数の救助のための少数の犠牲はやむを得ない、と。
カントの道徳論では否定される考えらしいです、ちょっとググってみた。

たとえば、地球が爆発するときにそれをとめるためには、
少数のあるいは半数の人類の犠牲が必要で、
それは人類の種の存続としても大多数の幸福としても必要という功利主義の考えがでてきたら、
それはしょうがない気がするんです。
危険度の高さだとかどれだけを助けるためだとかで、
やっぱり少数派は犠牲になる。

この本ではアシモフのロボット三原則も否定されていました。
ロボットを人間のようにする、
つまり利己的な生存優先の考え方を植えつけてから、
三原則でしばりあげて奴隷化するのはおかしい、という主張。
合理的にというか、本質的に考えると、それはそうかもしれない。
人間に似せる必要はない。

理系というか工学系というかそういう人って、
こういうところがドライなのかもなぁと思いました。
マイノリティは犠牲になってしょうがないとして、
例えばそう言っている工学系の人が少数派や弱者になって、
犠牲を強いられた場合どうする?と問うたとしても、
犠牲になるよって普通に答えそうですし。

東北の復興にはお金がかかるので、GDPの低い東北の復興は本当に必要か、
なんて言っているブログかツイートかに出くわしたことがあるけれど、
そういう切りすてこそ深みのない功利主義なんだと思う。

原発事故が起こった時に、
政府が情報を小出しにするようにしておきながら
避難範囲の半径10kmとか20kmとかありましたけど、
あれだって政府はパニックを恐れての功利主義的な動きをしているんじゃないか
と疑ぐった人って多かったと思うな。
福島は犠牲になれみたいに考えてないかという疑い。

こんへんでも、功利主義一辺倒だとかにならず道徳論だとかとせめぎ合わせて、
絶えず揺れているような姿勢でいるのが、悩ましいけれど本当なのかもしれない。
考え方でも、一色に染まっていると安泰な気分になるけど、
そもそもそんな真理を突いている考え方ってないんだろうから、揺れているのが良さげ。
それが、まぁ、一つの僕の結論となりました。

本書はこんな僕のような社会学よりの読み手からしてみても、
ロボットそのものの駆動系や制御系なりの記述は、
難しくて理解しがたいところが多いながらも新鮮ですし、
やっぱりこれからの人工知能を考えた時の、
倫理観を考えるというのも、人間そのものを振り返る意味でも
面白かったです。

10代だとか、若い人でね、これから工学系を中心にやっていきたい
とする人は、本書は夢が広がる本の一つになるでしょう。
原発事故が起こって、その廃炉への作業にはロボット技術の革新が必須だ、
などとも言われています。
注目分野ですし、伸びていってほしい分野です。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思考は冒険的でもある。

2014-08-22 18:43:55 | 考えの切れ端
発見して考えて、間違って、誤解して、勘違いして、
そういうのに気付いて考えなおしたり真っ白になったり、
同じところをぐるぐる回ったり、
将棋で、獲得した駒を盤にはるみたいにトンと考えの駒を置くようなことができたり、
らせん状に考えのバージョンがあがったり、
ガラガラと崩れてしまって、あらためてノウハウだけで再構築してみたり。

そういうのが、一人の中だけでおきる場合もあるし、
でも、人に言われたり言っていることを聞いたり、
本やWEBで書かれていることを読んだりなどしての気付きこそが、
思いもよらなくてありがたかったりする。
練磨されていくことってそういうことの繰り返しだろうと思います。

自分で表現したり考えや意見などを述べたり、
思想や考え方を提案したりすることってありますが、
それが他人によって改変を求められたり根拠ある批判をされたりなどして、
さらに磨かれていくことを視野に入れていたりもする。
しかし、だからといって意見等をだすときは、これが完全という気持ちで出している。

…っていいますか、完全っていうのはちょっと言いすぎだろうけど、
とりあえず自分で及第点をあげられるところまで仕上げている気持ちで表に出します。
それとは別に考えの切れ端のようにまだ不完全で先が長いというか、
そういう考えも表に出したりもする。
他者の目に触れることを考慮して考えてこそ出てくるものってものもある。

と、いうようなのが、僕のこのブログで通常述べている考えのスタンスですかねぇ。
そして、そういうスタンスは悪くないと思っています。
向上、だとか、変化、だとかの妨げにならない、やわらかな、
できれば本質的だといいたいスタンスだと思っています。

考えてみれば、読書量が増えたり、以前やっていたホームページよりも
自分の意見なんかを書いて発表する頻度が増えたりしました。
そうやって培われたスタンスなのかもしれないです。
そして、そういうもんだよなぁとも思うわけです。
強固過ぎたり、過度だったり、押しつけだったり、
気がつかないでそうなることってあるでしょうけれど、
なるだけそうならないこと、意識的であることって大事でしょうから、
そういう心がけというか、心得というか、あるような人って、
今回書いたような姿勢になっていくものかもしれない、
って、僕もそういうところがあるからこういう姿勢なんです、
という宣言的に書いてみました。

また書きますが、悪くない、んじゃないかな、ええ。

常に、絶対的な一歩で進んでいっていると自負する人も
いるかもしれないですが、
僕にはそれは無理だなと思うんです。
見ようによっては、ふらふらしている思考ってことになります。
決して悪くはない、ふらふら思考です。
ふらふらっと、思考のアドベンチャー。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへにほんブログ村

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『音を視る、時を聴く [哲学講義]』

2014-08-21 23:02:25 | 読書。
読書。
『音を視る、時を聴く [哲学講義]』 大森荘蔵 坂本龍一
を読んだ。

もう30年くらい前の対談で、著者の一人の哲学者である大森荘蔵さんは
すでに亡くなられています。
対談当時の坂本龍一さんも、30歳になってるかなってないかの若さ。
今の僕よりも若い坂本さんが、難解な大森先生の哲学講義によく
ついていっていて、もちろん、地頭の良さっていうのはあるでしょうけれど、
「頑張ったなぁ」という印象を持ちました。

タイトルにもあるように、大森先生は時間の哲学に明るい方のようで、
<現在只今>というものの区切りはどこで、どこからが過去だろうか、だとか、
「今」の定義だとか、そういうことをについて本書でも考えを述べたり、
まさに考え中のまま語っていたりします。
答えが出ていない中での、外堀を埋めたり、核心部分を見定めたり、
そういったところの思索を語ってくれています。
また、見たり聞いたりして認知するいわゆる知覚世界(ふつうの人間的感覚の世界ですよね)
っていうものが、物理的世界(科学的に証明されていることを正解とする世界)
に劣っていて正しくないとはしない考えなのは面白かったです。
そして、たとえばイメージすることは未来の産物に関わることだとか、
イメージしたものは未来に実在する産物、だとかっていう知覚の仕方っていうのが、
みなさんなかなかしたことはないでしょうが、これも一つの考えとしてあるわけでした。
難しいでしょうか、でも、頭の体操になるようでもあるし、
そういう視点を持つことで見える世界も変わるので、
ちょっとした知的散歩にもなりますよね。

具体的な例を本書の中から僕の言葉で紹介すると、
スピーカーが2つあって、それが鳴ると、
真ん中で音が鳴っているように知覚されるというのがある。
物理的世界を真とすると、それは正しくなく、やっぱり左右で音が鳴っているから
感じられる錯覚だとされるけれど、知覚世界を正しいとすると、
真ん中でたしかに音が鳴っているのは正しいとされる。
屁理屈じゃなくて、です。

僕がこれをいいなと思えたところは、
知覚世界を物理的世界によってないがしろにしないところです。
そういうのが人間だとか生物にとってはバランスがよくて、
生存していくのに生存しやすいからそういう知覚になっているのではないかなぁ。

後は、世界というのは見たり考えたりすることで、
立ち現われてくるものだ、としています。
存在というのはそういうことみたいな感覚と読みましたが、
難しかったので、誤読していたり、理解が足りなかったりしている
部分もありそうです。

最後に、本書ではさらりと触れられているだけですが、
他者との繋がり・関係において、あったかみ、という言葉がありました。
かつては、あったかみ、があったと。
そういったものはどうやらアニミズムという言葉であてはめておかしくはないようです。
自我にたいする他我っていう言葉もありました。
他我を少し想像してみること、他我を認めることって、
イコール「他者への敬意」なんじゃないのでしょうか。
前回読んだ、佐々木俊尚さんの『レイヤー化する世界』では、
他者との関係に「いとおしさ」があるとなおいい、というように書いてありました。
それは、本書でいえば「あったかみ」が似ていて、さらに、両者ともに、
アニミズムの言葉で大雑把にですがひっくるめることができそうです。
モースの『贈与論』にあることって、このアニミズムなんですよね、たぶん。
そういうものが見直されないかしら。
まったく古代と同じようにせよ、というんじゃなくて、現代風にアレンジした
アニミズム的な連帯感覚、それがいとおしさやあったかみなのですが、
そういった感覚って現代での生きやすさに効力があるのでは、
と考えたりします。
最近はこの方面での思考を深めたり検索ワードを増やせたりすることが多いです。
それも、時代の流れに乗ったり動かされたりしている何かなのかもしれないです。

それにしても、だいぶ、生きやすい世界へ今の世界に何が足りないのかが見えてきたなぁ。
だいぶとはいっても、以前の真っ暗闇よりはとっかかりである灯りがぽつぽつ出てきた
というようなところですけども。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『レイヤー化する世界』

2014-08-16 01:24:07 | 読書。
読書。
『レイヤー化する世界』 佐々木俊尚
を読んだ。

これから僕らが生きていく世界というのは、どのような世界なのか、
世界はどのようなシステムをとるようになっていくのか。

中国やイスラムやモンゴルなどの「帝国」が覇権を握った時代である中世と、
それまで帝国が世界の中心だったのに対してずっと外縁の存在だったはずの
貧しいヨーロッパが覇権を握った近代とその帝国主義と民主主義。
本書ではそれらをまず眺めて学んでいきます。
そうすることで未来のこの世界のシステムの理解が助けられることになります。

著者が教えてくれる中世と近代、それは、
学校で習う世界史では無機的で固有名詞ばかりが出てくるのに対して、
本書での中世・近代世界史のなぞり方は実体を重んじ噛み砕いた言葉で説明してくれて
なおかつ包括的で視点が上から目線ではない横から語るものでありそして俯瞰的でした。
さらに、見ていく歴史の主軸になるコンセプトが「世界システム」に設定されいて、
わかりやすくて新鮮なんです。

あとがきで触れられている参考文献のタイトルや
「トータルで参考文献は200冊以上」というような言及からして、
その斬新とも言える今までにないような、
つまりステレオタイプの教育を受けてきた私たちにしてみると
新しい角度から照射されて見える歴史と当時の社会システムは、
単なる思い付きが膨らんで語られたものではなく、
幾人の研究者などが残してきた仕事によって
裏打ちされたものだということがわかります。

ここまででも十分に面白い読み物なのですが、
ここからが「未来の世界システム」に踏みこんでいく、
佳境にあたる部分になります。
僕なんかは知ったこともなければ考えたこともないような
未知の領域だったので、若い頃に新しい曲を生み出した時のような、
先行きがまっさらな状態を漕ぎだしていくような感じに近い
読書感になりました。
はたして、未来はユートピア的なのか、それともディストピア的なのか。

要するに、世界は、アマゾンやアップルなどを、
そのもっとも基盤のものとして例にしてイメージするとわかりやすいのですが、
<場>というものが支配していくレイヤー世界になっていくだろうということです。
アマゾンというレイヤーが下にあって、その上にDVDや本などのレイヤーや、
再生機器などのレイヤーや、友人知人たちとそれについて語り合うレイヤーがあり、
というような、無数のレイヤーが重なって事象を形成している。
そういうシステムが、今後、すべての生活スタイル、
国家にも及んでくるのだというのです。
その結果、「経済力」「軍事力」「国民力」といった国力はそがれていき、
今の時代の国民国家というもの、国ごとの民主主義といったものを壊していく。
そうやって出来あがる世界は具体的にどうなのかはわからないところですし、
ヒントは本書に書かれていますが、その紹介はせずに
「本書を読む」という行為に譲ることにします。

そういうレイヤーの世界、<場>に支配される世界を未来だとして
垣間見ることになって、僕はやはり、「自助」について考えました。
国民国家にとって大事なことの一つは「強い自分」であると本書に書いてあります。
そして、その「強い自分」が必要なくなるのがレイヤー化した世界。
じゃあ、自助は必要ないのか、自分を強くすることは必要ないのか。
答えは、そうではないでしょう。
僕の直観と経験と積み重ねた知識などから「大事だなぁ」と気付くことになった「自助」ですが、
簡単にいえば、これからの「自助」は、レイヤーを多くすることと、
一つ一つのレイヤーを強化することになるでしょう、本書を信じれば。
そして、そういう「自助」が大事になってくると思うのです。
そして、本書で書かれているレイヤーが大事だという感覚も、
要するに、そのレイヤーで人と繋がることができるのが大事だと言っています。
さらに、本書では、

__________

 そういう絶え間ない確認作業のなかにこそ、自分の立ち位置への愛着が生まれ、
自分とレイヤーごとにつながっている人たちへのいとおしさが
はぐくまれていくのではないかと私は考えています。
 このような考えこそが、新しい時代の私たちのアイデンティティとなっていくのです。
 そして、そういういとおしさを基盤としたしみじみとした情感が、
自分がいまそこにいる土地、自分が生まれ育った場所、いま生きている時代への愛を
生み出すということなのでしょう。 (P-267)

__________

と著者が書いています。
ここでいういとおしさってすごく大事だと僕は考えていて、
以前読んでから頭にひっかかっている、
マルセル・モースの『贈与論』でいわれるような連帯感は、
このいとおしさのことだと僕はイメージしていました。
それで今回、著者の前記のこの部分に共感したのでした。

どうです、そういう意味での連帯感、
著者が言う「いとおしさ」というものって、
しがらみにならない程度の強さであれば、安定をもたらしそうだし、
なによりも、生きていくうえでの元気にもなりそうに思えないですか。

というわけで、ちょっと話がそれましたが、
本書『レイヤー化する世界』は良書の労作でした。
佐々木俊尚さんはこういう素晴らしい仕事をされるところに
僕なんかは男気を感じたりしますねぇ。
このあいだ出た彼の新刊はもう買って積ん読になっているので、
またそのうちに楽しんで、学ばせてもらいたいです。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活保障と社会的包摂

2014-08-14 15:20:20 | 考えの切れ端
まだ、たまにこの間本で読んだ、
社会的包摂などについて考えています。

それで、みなさんは「ベーシックインカム」っていうものをご存知ですか。
日本語に訳すと「基盤的収入」といっていいのかな。
Wikiで調べると、「基本所得補償」となっていますね。
ベーシックインカムの詳しくはWikipediaの「ベーシックインカム」を調べてもらうこととして、
そういうのに代表される生活保障というものが
社会的包摂にどう役立つかを僕はちらっと考えたりしてます。

何の教育もなしに日本でいきなりベーシックインカムが始まったら、
「自己責任」型の考え方を強調してしまうかもしれない。
世の中は公平で、そこで競争をしているという前提があって、
自己責任の考え方は正当であるということになります。
日本では多いとされていますし、空気みたいなものかもしれないですよ、
自己責任論って。しかし、それの世知辛さってあるでしょう。
要するに、「人に迷惑をかけるなよな」というものの裏返しの意味で、
自己責任論ってあるところがあります。
「迷惑をかけるな」、それはそうなんですが、
いろいろな意味での弱い立場にある人たちを
切りすててしまう考え方だとも言えるのではないか。
だから、僕は自助と、少しのというか薄いというか
そんな利他的繋がりがいいんじゃないかって
最近は折に触れて書いていたりします。
また、連帯感を強く持つことで安定するんじゃないかっていうことも
考えていて、薄いつながりとは反対のことを言うようではありますが、
そこらへんはもっと深く探っていこうと思っています。
ということで、話は自己責任のところで長くなりましたが、
今回の主旨は、社会的包摂について多少なりとも勉強したほうがいいと思う
ということなのです、僕も少しだけ本で勉強しましたし。

生活保障の面について話を進めていきます。

食べていくための労働であり、充実と交流を得るための労働であり、
というのが今の日本の労働だけれど、生活保障がしっかりしている国では、
労働は充実と交流を得るためであるという点が強く意識されているらしい。

本には明記されていなかったけれど(北欧などのことだと思う)
ある国々での就労支援の意識は「充実や交流」といった社会的包摂のためのものとされていて、
日本のように、「食べるために」のみではないようだ。
そういう意識の社会では、雇い主の労働者に対する待遇も変わってくるだろう。

「いいかお前らちゃんと働かないと食べていけないんだぞ」というのは、
雇い主がする雇用者へのすごい足元の見ようじゃないかな。
仕事先がたくさんあるような好況のときはそういうことを言いにくいけれど、
不況だとか停滞だとかしているときには、そういう汚い態度の人もでてくるわけで。

そこで生活保障(ベーシックインカムなど)がきちんとなされている社会だとどうかといえば
「お前らちゃんと働かないと充実と交流が得られないんだぞ」と雇用主が言ったとしても、
そんなことを言っている会社から充実なんか得られないのはわかっているので、
そんなところでは働かないということになる。

それはそれで社会的排除をされたということなんだけれども、
食えなくされるという極度の貧困に追い込まれるわけじゃないのがまだ救いかもしれない。
というか、そんなことを言う雇い主みたいなタイプではやっていきにくくなるだろうし、
おおよそ、そんなタイプの人は暴利をむさぼるタイプが多いんじゃないかな。

ベーシックインカムなどの生活保障は過去の劣悪な労働条件下で頑張ってきた祖先たちを思うと
すごく贅沢に感じられるけれど、そういう過去を経て僕らが勝ちとり創造する制度として
誇りを持ってやったらいいことじゃないかな。
IT革命だって贅沢なんだしそれを喜んで享受したのと同じようにしたらいい。

そんなわけで、生活保障がちゃんとなされている国であれば、
貧困対策と包摂対策を別々に考えてやれるということじゃないかな。
生活保護の不正受給だとかがニュースになっていたりもしますが、
社会的包摂をとれる社会システムがあり、民衆の側の理解があり、
ということであれば、働ける人は意欲を持ちやすいかもしれないです。

逆にいえば、食べるために働かなければいけない状態だからこそ、
不正や不公平や汚さなんかが生まれやすいのかもしれないですよね。
無理に働く、だとか、なんにせよ無理強いされてやることには、
なんらかの問題って出てきやすいんじゃないかなぁ。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノーザンホースパーク

2014-08-06 21:10:41 | days
北海道苫小牧市美沢にあるノーザンホースパークに行ってきました。

苫小牧市といっても、新千歳空港の近くで、ほとんど千歳じゃないかと
思えるような場所にあります。

まず、料金所を過ぎてから止めた第一駐車場のよこにある、
売店やパン・ケーキ屋やレストランの入った建物に入り、
いきなりお買い物からスタートしました。



けっこう買ってしまいましてね・・・。
名馬オルフェーヴルのキャップやトウカイテイオーのマウスパッド、
30万円儲けさせてもらったことのあるゴールドシップのキーホルダー、
オルフェーヴルの3Dクリアファイル、ここ特製のレトルトカレー。

一緒にいった従兄もキーホルダーやテンガロンハットを購入し、
僕らはキャップとハットを装着して園内をぐるりと歩き始めました。

そして次に行ったのが、ホースギャラリー。



社台グループの名馬たちの軌跡をたどれる記念館でした。

それからパークゴルフをしました。
18ホールで2時間もかかりました。
係の人は、4人で9ホールプレイしたら30分くらいと言っていたのですが、
僕らは2人で18ホール2時間です。
日ごろの体力不足で、けっこう疲れましたね。
勝負は従兄に完敗しましたが、僕はチップインイーグルをやりましてね、
瞬間的なものではMVPでしたよ(へこたれず自画自賛)。

というわけで、G1馬などのいる厩舎を巡ったり、馬車に乗ったりもしたかったのですが、
時間が来てしまい(夕食を作りに帰らねばならない)、
昼食を園内のレストランでハンバーグを食べて帰りました。
ハンバーグは焼いた夏野菜のササゲやナスやズッキーニや新じゃがやとうものこしがそえてあって、
見た目的にも味的にも元気が出る一皿でした。
サラダと冷製スープそしてデザートがついていて、堪能しました。

またきっと来ると思うので、そのときは馬車に乗りたいですし、
馬たちの写真も撮りたいです。
今回ここにきたのに、見た馬は4頭。シャッターを切るのも忘れました。

それでも、いろいろね、レーザーの射的なんかもありますしね、
楽しく遊べるところです。
ちょっとアブが多いので、そこらへんは注意です。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする