Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『吉祥寺の朝日奈くん』

2022-06-27 23:25:27 | 読書。
読書。
『吉祥寺の朝日奈くん』 中田永一
を読んだ。

せつなくて、でもぬくもりのある恋愛模様を五編収録した短編集。五つともストレートな恋愛ではないところに、「なんだ?なんだ?」と読み手の目をリードしていくものがあるのかもしれません。

とくに、最初の「交換日記はじめました!」と、表題作でもある締めの「吉祥寺の朝日奈くん」が、僕にとってはかなり好みなうえにその出来映えに拍手したいくらいでした。

「交換日記はじめました!」は交換日記が繰り広げられるその一冊のノートを舞台として場を固定しています。数奇な運命により、最初に企図された交換日記から逸脱した、日記リレーのような体裁になっていくのですが、そこにほんとうに豊かな物語が根付くのです。アイデアといい、内容といい、僕は「やられたわ!」と嬉しい悲鳴をあげたくなったくらいです。

「吉祥寺の朝日奈くん」では山田真野というすらりとした子持ちの美人がヒロインとして登場します。その言語感覚や性格に男性読者ならばキュンとしてつよく引かれるところがあるようなキャラクターです。そして、つかず離れずのような関係がつづられていくのですが、まずそこまでのふつうの日常の描かれ方に、癒しすら感じてしまうのでした。もちろん物語としては、そういった一枚岩の癒しだけでは終わりません。

五つの物語に共通するのは、余分な力の抜けたダウンビートな筆致だと思います。それが心地いい。そういった書き方で、ダウンビートでも退廃せずに前を歩むような物語を作り上げている。音楽で言えば、スロー気味なアコースティックもの、あるいは同じくスローで進行しながらほのかにあたたかなオルタナティブ。説得力でねじ伏せるだとか、権威をもたせて文句を言わせないだとか、そういうのとは真逆です。だけれど、トリッキーなギミックがよく効いている。柔らかく書いていきはするけれども、そういったギミックで物語自体の個性的な芯を据えている、というように。

本作品の特徴のひとつとしてあるのは、登場人物たちの「味」と、彼らの間に強くある「引力」。それらを読者は楽しむのだと思う。つまり、味のあるキャラクターたちが、ばらばらに離れていなくなることはなく、現実からすれば不自然なほどお互いが引き合ってくっつき、たくさんの科学反応を起こすのです。

ある意味ではそんな夢想を読書という形で体験させてくれるのが本作品だと言っていいのかもしれません。そういう世界観が本作品にはあります。たぶん多くの人って、ふだんからそういった世界を憧れのように夢想しているものです、ひとりでいるときなどに。他者と融合する、とまではいかなくても、気持ちのいいセッションをしたいものだと多くの人は考えているように思えるのです。そういったセッションを叶える前提でのお互いの吸引力を、過剰なくらいまで本作品のキャラクターたちはみんな持っているのかもしれない。

そういった意味でも、本作品はなんていうか、夢の一冊でした。よかった。


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「たら」「れば」「もしも」との付き合い。

2022-06-19 10:58:57 | 考えの切れ端
僕はどちらかというと、「たら」「れば」を言うタイプではない。それは生きていく上でのある種の強みではあります。だけれど、そういった「たら」「れば」「もしも」は創作や工夫の種なんです。もっというと、後ろ向きの「たら」「れば」「もしも」こそが物語を生んだりもする。人の、切っても切れない「弱さ」だからなのかなあ。

会話の中で「~~だったらよかったね」「そうだねえ」なんて言いあうとき、表面上は同調しても本気の部分ではそうは思わないで割り切っているタイプです。十代の頃に後悔と格闘したひとつの結論としてのものなのかもしれません。「決定」するということについて、じっくり考えたんだと思います。生半可に決定するものじゃない、というように。

それでも、割り切っているようでいて、他者に「~~だったらよかったのに」なんて言われると腹が立ったり。後悔させたいのかな、とか、他人の「後悔案件」への対処から学びたいのかな、とか、他人の後悔を知って自分だけじゃないと安心したいのかな、とか思っちゃう。

いろいろと経験してきた後悔の気持ちは、他者の気持ちをわかること(シンパシーやエンパシー)と繋がるだろうし、ある程度はそのマイナスを引き受けながら共感する能力を育むなどのプラスを生む意味合いで後悔をとらえるのがいいのでしょうか。難しいものですねえ。

それと、「後悔」に苦しむ人は、「反省」だけすると良いことも言い添えておきます。「反省」は、あれを今度こう直せばいいはずだ、などという修正案とともにやって、悔いたりしなくていいものです。「後悔」が重い人はドライな「反省」だけでいい。若いうちは特にそうでしょう。

そのときそのときの心の余裕を考えながらその度合いを決めて、極端に針を振らずに「後悔」とも付き合っていけるようになると、人としての厚みは増しそう。でも無理するべからず。ほどほどに、時間をかけて、だと思うのですがいかがでしょうか。

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近況としてですが、ただいま原稿を書いている真っ最中です。80~90枚くらいで終えられそうで、現在65枚でクライマックスに片足を突っ込んだ状態です。青写真はできていますから、とん挫はしないと思います。
また、4時間のパート勤務を始めたんです。時間の都合がよく、介護や家事や家の問題、そして原稿と向き合いながら働けるのではないかと思い、就くと決めた販売店の仕事です。
ちょっと更新の頻度が低くなりそうなのですが、どうぞ今後ともおつきあいよろしくお願いいたします。
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