読書。
『真綿荘の住人たち』 島本理生
を読んだ。
東京・江古田の下宿、真綿荘。
縁あってともに住まう人たちの人間模様に、
どこか優しさと諦めを感じながらの読書となりました。
描写だとか比喩だとか、
そしてキャラクターのつくり込み具合だとかを確かめる、
そんな分析の目で眺めもしつつ、
でも、フィクションをしっかり楽しむ自分も確かに居て、
豊潤な時間を過ごせる読書でした。
いろいろな素材が、自然とひとつの作品のなかで調和する、
そういうような出来あがり方を感じもしました。
各章でいろいろと、
見透かされたり見破られたりしている、
管理人の綿貫女史が主人公の最後の章が、
いちばん好きだったかなあ。
ぐっと核心部分をそらさず、かといって重くなりすぎず話が進んでいきます。
それはきっと、それまでの章での物語性が積み重なって柔らかくもしています。
最初の章で主人公だった大和君が、
途中再度また主人公として恋愛の逃避行につきあわされるという、
旨味あるエンタメがあって、
また、心の在り様がすてきで、
大柄ながらいわゆる乙女である鯨ちゃんの切ないエンタメがあり、
はたまた、同性同士の恋があります。
バランスと緩急。
表面的な描き方のところは無いと思ったけれど、
たとえば適度に浅かったり、ズドンと深かったり、という山と谷がある。
横の流れのスピード感にだってアクセルの踏みこみ具合がある。
そして、それらを作り上げている言葉、文章表現の技を発揮するのに怠けていない。
ということで、今回学べたのは、総括すると、
文芸へのその踏みこみ方の度合いだと思いました。
真似しよう、というか、僕も心がけよう、と。
最後に、これは!という文を。
<女っていうのはつねに注目されてないと気がすまないんだ。
男がかまってやらないってだけで、
どんな悪徳だって仕方なかったって言い張るんだから、おそろしいもんだよ。>
僕はこれ、一個人の問題じゃなくて…というのがわかるのに大分かかったほうだけど、
著者はさすがですな。ずいぶん若い頃でしょう。
ていうか、ですよ。
これを読んで、やっと「そっか、そうだよね?!」と思えました。
このあたりの自分のなかで確信までいってなかったところが、くっきりしました。
(……くわばらくわばら)
読みやすいうえに、満足感もあり、
物語世界に愛おしさを感じて、やっぱり読了すると名残惜しい、
そんな作品です。
『真綿荘の住人たち』 島本理生
を読んだ。
東京・江古田の下宿、真綿荘。
縁あってともに住まう人たちの人間模様に、
どこか優しさと諦めを感じながらの読書となりました。
描写だとか比喩だとか、
そしてキャラクターのつくり込み具合だとかを確かめる、
そんな分析の目で眺めもしつつ、
でも、フィクションをしっかり楽しむ自分も確かに居て、
豊潤な時間を過ごせる読書でした。
いろいろな素材が、自然とひとつの作品のなかで調和する、
そういうような出来あがり方を感じもしました。
各章でいろいろと、
見透かされたり見破られたりしている、
管理人の綿貫女史が主人公の最後の章が、
いちばん好きだったかなあ。
ぐっと核心部分をそらさず、かといって重くなりすぎず話が進んでいきます。
それはきっと、それまでの章での物語性が積み重なって柔らかくもしています。
最初の章で主人公だった大和君が、
途中再度また主人公として恋愛の逃避行につきあわされるという、
旨味あるエンタメがあって、
また、心の在り様がすてきで、
大柄ながらいわゆる乙女である鯨ちゃんの切ないエンタメがあり、
はたまた、同性同士の恋があります。
バランスと緩急。
表面的な描き方のところは無いと思ったけれど、
たとえば適度に浅かったり、ズドンと深かったり、という山と谷がある。
横の流れのスピード感にだってアクセルの踏みこみ具合がある。
そして、それらを作り上げている言葉、文章表現の技を発揮するのに怠けていない。
ということで、今回学べたのは、総括すると、
文芸へのその踏みこみ方の度合いだと思いました。
真似しよう、というか、僕も心がけよう、と。
最後に、これは!という文を。
<女っていうのはつねに注目されてないと気がすまないんだ。
男がかまってやらないってだけで、
どんな悪徳だって仕方なかったって言い張るんだから、おそろしいもんだよ。>
僕はこれ、一個人の問題じゃなくて…というのがわかるのに大分かかったほうだけど、
著者はさすがですな。ずいぶん若い頃でしょう。
ていうか、ですよ。
これを読んで、やっと「そっか、そうだよね?!」と思えました。
このあたりの自分のなかで確信までいってなかったところが、くっきりしました。
(……くわばらくわばら)
読みやすいうえに、満足感もあり、
物語世界に愛おしさを感じて、やっぱり読了すると名残惜しい、
そんな作品です。