Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『街場の文体論』

2018-02-27 23:41:48 | 読書。
読書。
『街場の文体論』 内田樹
を読んだ。

内田樹先生が神戸女子大で行った最後の講義を書籍化したものです。
講義のタイトルは、「クリエイティブ・ライティング」。

あとがきでご自身が触れられているとおり、
細かいところにツッコミが入るような出来映えです。
泥臭い、とも書かれている。

たとえば、
言語の生成は「言葉にならないもの」を母胎としている、
と最後のほうに書かれていますが、
本書の半ばにて、テクストがテクスト自体を作っていく、
すなわち、最初から最後まで頭で考えてあったものが文章になるわけではなく、
文章自体に文章生成能力があって、それによって導かれるように、
自分でも予期しないものが書けたりする、
とロラン・バルトを引きながら書いてある。
まあ、相反するようでいて、実際は、前者と後者のコラボレーションであり、
出来あがる文章というものは、ハイブリッドなものなんだろうなあと
読み下しました。

また、
西欧の学者、とくにフランスの学者のことを言っていますが、
その学者たちの書く物は、階層社会のことをテーマのものであっても、
下層のものには届かないような、
知識階級にのみわかるような言葉で書かれている。
下層のものは、こうであっては下層のままでいることになるよ、
というような主張が、下層の当事者にはまったく届かずに、
一部の上流の知識人だけに届く。
著者の内田氏は、そういうものなんだ、
と事実を述べているだけの感覚に読み受けられましたが、
これが本書の後半部になると、
日本の明治期の近代化を例に挙げて、
それでいいのか、と熱を込めて述べている。
もしも、明治期の日本人が英語や仏語や独語などを勉強して、
それを自らの立身出世のため、自己利益のために使おうとしていたら、
今日の日本の繁栄はなかっただろうと言います。
明治期の知識人は、その言語能力で、
数多く翻訳し、知識を日本に流れ入れることに成功した。
そこには、みんなのため、という贈与の精神がある。
それこそが、知識人の在り様なのではないか、と論じます。
そこも、僕は後者に肯きましたが、
本の中では、そこらへん、整理がついていない。

と書くと、細かいところをつついているように見受けられると思います。
でも、読んでいて、「これって、さっきと逆じゃないか」
などと思えてくるのですから、指摘するべきだと思えてくるものです。
まあ、大ナタを振るう的な、
とりあえず大要をつかもう的な、
そういう体裁なのでしょう、
それはそれで、読み手がしっかりしていれば面白く読める本です。
エクリチュールの話は中盤の核ですが、面白かったですし。
(たぶん、他の本でこの話は読んでいて、二度目になりましたが)

ただ、これはどうだろう、という考えが100ページくらいまでに浮かんだのですが、
それは次のようなこと。

内田氏の言うアウトサイダーであることで
多くの人に読ませる物語を書くことができるという論理には肯くし、
インサイダーが多くの人に読ませる物語を作るのには
かなりの技量がいることも認めることとしてなんですが、
人にはタイプがあり不可抗力的な環境っていう因子があり立場は選べないですよね?

あなたアウトサイダーとして書けないタイプだから
書くのやめなさいとはさすがに内田氏は言わないでしょうが、
インサイダー型の人は暗にあなたが成功する確率は低いと呪いをかけられるようなもの。
こういうところ、内田氏のような、
先まで見えちゃう人のあまり良からぬところだと思うのです。

そこには、たとえば幸せの価値観に一元性が垣間見えるように思えるのです。
誰にとっても絶対的な幸せの価値観の尺度があって
その尺度にのっとって言えば、インサイダーではだめです、
みたいな否定の仕方を感じる。

僕も幸せについては考えるけれど、
もっとゆるくてシンプルな背骨的尺度だけを考えてる。
たとえば「自律性があればいいし、
なるべく他律性に支配されないことが大事」という背骨のみで、
あとの肉付けはそれぞれやってください、というようなもの。

条件をコチコチに決めて、
その枠からはみでれば不幸なんだよ、
と暗に決定してそういう目で見てくるのは迷惑でもあります。
あるいは、一流であるためにはそんな生ぬるいことを言ってちゃ
夢のまた夢だと言われるかもしれない。
だけどそれは幸福か不幸かとは別な話だと思うのです。

真理の一本道がある、だとか、絶対的な正道がある、
だとかそういう思想をどこか
本書100ページくらいまでに感じるわけですが(例えば村上春樹賛美)、
ぼくは「すべての道はローマに通ず」がほんとうだと思うし、
川村元気氏の対談集『仕事』を読んだ時にもあらためてそう感じていました。

まあ、ぼくみたいなのが言うのもなんですが、
視野を狭く誘導するような感覚を受けとると、
その読みものと著者に対しては、う~~んとうなっちゃいますよね。
まあ、それが100ページまでで、
その後は総じて楽しめて読めて面白かったのですけども。

はじめに書いたように、
本書は大学の講義の書籍化なのですが、
最後の講でこう書かれています。
______

来週いただくレポートのテーマ、書き方は自由です。
条件は一つだけです。
僕が授業でしゃべったことやお配りした資料の中から、
一つだけ、論点一つだけに絞って、
それについて異論がある、興味がある、
意見を述べたいことがある、それを書いていただきたい。
字数も制限しません。
短くて、キリッとエッジの立ったものでもよし、
思いきり長く書いていただいてもよし。
______

そういうわけですから、
僕のこのブログ記事は、
講義を受けきって書いた仮想レポートみたいなものです。

さまざまなトピックを交えながら進んでいきますから、
飽きることはありませんでした。
一丁、ゆるくではあるけれど、内田氏と格闘してみるか、
なんていう気構えで読むと楽しめると思います。
僕が読んだのは単行本タイプですが、
文春文庫でも廉価版がでていますので、
気になる方はそちらで読んでみてもいいと思います。


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『華氏451度』

2018-02-22 00:33:28 | 読書。
読書。
『華氏451度』 レイ・ブラッドベリ 宇野利泰 訳
を読んだ。

本が禁じられた近未来の世界の話。
その世界では、本は焚書官によって焼かれるのです。
「焚書」なんて言葉は、
中国・秦の時代に行われた焚書坑儒を習ったとき以来に
目にしました。

解説によれば、
華氏451度は摂氏233度にあたり、
紙が自然発火する温度だそう。
ある意味、主人公ガイ・モンターグの中で
何かが自然発火することの暗喩のようにも読めたりしそうです。

主人公モンターグは焚書官であり、
本を焼く仕事をしているのですが、
ひょんなきっかけでそれまで見えていた世界がぐらつくんですね。
そして痛みを伴いながら、
個人のあたまのパラダイムがシフトしていく。
そして、あるとき、本を手にしたことで人生が変わっていきます。

本を禁じられた世界で生きている普通の人びとは、
スピード狂で、テレビ狂で、空虚な日常を送っています。
それまるで、この小説が書かれた50年以上前の時代から、
現代を風刺しているかのようでもあります。

本が無いという極端な設定にしたことで、
本があることのメリットがわかるようになっています。
また、本のメリットが意味すること、
たとえば、暇ってものが大事だよ、という問いかけがありました。
ここでの、「暇」は「退屈」とくっつかない「暇」のことです。
考える時間、感じる時間、
いやいや、ぼーっとする時間でもいいでしょう、
それはそれで創造性につながりますから。
そういった「暇」を、
現代の騒がしさやスピードが隅に追いやろうとしている。
そんな時代の相のスケッチのように読めました。

文章は、きっと地の文章が英語的すぎて
翻訳しにくい箇所があるのだと思いました。
ごつごつしていて、読みにくさもありますが、
勢いと、強いイメージに基づいて書かれていますから、
ぐいぐい引っ張っていく、言葉にする以前のパワーがあります。

聖書が引用されていたり、
いろいろな著述を残した偉人達の名前や引用があったりしました。
そういうところ、情報小説としての要素を満たしてもいるんですよね。
僕は書き方を学ぼうとしても読んでいますから、
そういうところ、なるほどなあ、力入れてるなあと感じました。


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『潮騒 齋藤飛鳥』

2018-02-15 21:52:41 | 読書。
読書。
『潮騒 齋藤飛鳥』 齋藤飛鳥 撮影:細井幸次郎
を眺めた。

乃木坂46・齋藤飛鳥ちゃんのファースト写真集です。
前半のロケ地が北海道でした。
登別の青鬼像との記念写真的一枚が笑えました。

齋藤飛鳥ちゃんは、乃木坂ファンのなかでも、
年若い人たちに人気があるように認識しています。
顔が小さくて、華奢に見えるんだけれど、
ダンスがしなやかで凛としています。
また、特技のドラム演奏を映像で見たことがありますが、
これもよく出来るなというちゃんとしたレベルでした。
それで本好きなんですよね。
けっこうブンガクと呼ばれるような種類のものを読んでいるみたい。

そんな飛鳥ちゃんを撮影したカメラマンは、
生田絵梨花ちゃんの写真集のカメラマンと同じ、
細井幸次郎さんでした。
個人的には「盛ってる感」の無い、
被写体の自然の魅力を引き出して撮影する人のように感じています。

後半、石垣島でしょうか、
ロケ地が変わって水着姿が眩しいのですが、
僕はインドア姿の飛鳥ちゃんが好きみたいです。
もの憂げというかアンニュイな表情で
普段着姿で部屋にいるようなのがいいなあって思います。

また、逆に、弾ける笑顔も彼女の大きな魅力のひとつ。
撮るのが難しいかもしれないですが、
もうちょっとそういうショットがあってもよかったのかもしれないです。

飛鳥ちゃんの顔って、
初めて乃木坂のライブディスクで観たときにデジャ・ヴを感じたんです。
知ってる顔のような気がした。
そうやって整っているのにどこか身近に感じる顔の作りというのも
多くのファンを獲得する一因だったりしないでしょうか。

彼女はこの先どう変化していくのでしょう。
成長をおっかけたい気がしてくる女の子です。

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『超・戦略的!作家デビューマニュアル』

2018-02-12 14:26:52 | 読書。
読書。
『超・戦略的!作家デビューマニュアル』 五十嵐貴久
を読んだ。

作家・五十嵐貴久氏による、
作家になりたい人のための、How To 本です。
著者によると、作家になるためには、
正しい方法(とはいえ、五十嵐氏の提案する方法は
あくまでひとつの方法であり正解というわけではないと言っています)で
小説を書いて応募することだということです。
作家になるためには長編の新人賞を取ることがもっとも効率的であり、
新人賞自体は攻略を考えて戦略的にやるゲームだと考えていい、とのこと。
ちなみに、純文学については著者にその知識がないので、
本書では除外対象とされています。
つまり、この本はエンタメ作家としてデビューするための
How To 本ということでした。

・プロットは100枚書くこと。
・そして推敲をきちんとすること。
・審査は減点法。
・非常識な人間は作家になれない。
・面白い作品であっても応募した新人賞の傾向に沿わなければはじかれる。
・情報小説としての性質が新人賞にも求められる。
・擬態語や擬音は評価を低める。
・偶然を用いるのはタブーで大きく減点される。
などなど、興味深いトピックと提案が並び、
食い入るように読みました。

僕が今書いているのは短編新人賞向けの小説ですが、
本書では「それでは作家になれない」として書くのを勧められていません。

ねえ。
読んでみて面白かったし、腑に落ちる部分は多かったし、
いずれ長編をと考えていましたから、
僕も次回に取り組むのは長編にしようかなあと思ったり。
ちなみに、今書いてる短編は、偶然がテーマであり、
これはさっきも書いたように小説のタブーと近接するので、
挑戦的だと見られて落とされるかもしれない。
新人賞を取るには、尖っていない、バランスの良い作品がいいようです。
たとえば、『コインロッカーベイビーズ』なみの作品が書けたとしても、
新人賞ではダメって言われるってことなんでしょうかねえ。

長編を書くならば、
一日に3枚を月に20日でもいいのだよ、と書かれていて、
僕は短編でも今回は平均一日3~5枚ですからね、
可能だよなあと思えてくる。
プロットがしっかりしていれば書けるよ、とも言われていて、
でもプロット通りいかないじゃんか、と思ったりして、
そしてそこが面白みだったりしないかなと感じるんですが、
それも、この作家デビューマニュアルからすると遠回りかつNGなんでしょう。

でも、一人でいろいろ考えて、話を聞くひともいない中やっているところに、
こうやって「やっぱりそうなんだ」と思えることも書いてある本書は、
指南本としての性質もありますが、
作家を目指す人の気持ちにも寄りそうような内容でした。
文体は柔らかくて、語り口はスマートで好感が持てる。
厳しいこと言うところも押しつけがましくなくて、
それに該当する人が読んだら、
拒否反応を起こすよりも納得して改善の道を探すほうに
傾くような気がします。

この本を教えちゃうと、強力なライバルが増えていくなあと思いながら、
せっかく読んだので紹介しました。


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『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』

2018-02-09 02:21:27 | 読書。
読書。
『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』 レナード・ムロディナウ 田中三彦 訳
を読んだ。

執筆中の小説の資料として、積読状態から拾い上げた本。
これがなかなかどうしての力作で良書。大興奮です。

偶然というものに対して、どのように考えるか。
普通に生きている人は、知識もなく、教えられる機会もなく、
ただ、不思議としか言いようのない経験しかなくて、
どう消化していいかわからないシロモノだと思います。

パチンコや競馬などのギャンブルをする僕であれば、
まだ普通に暮らす人より偶然に触れる機会が多いわけで、
それなりに耐性も知識もあるかと思っていましたが、
こうやって学術的な知識をわかりやすく体系的に、
確率、統計、心理学と順を追って解説してもらえると、
格段に自分の無知と浅さを知ることになり、
だからといって本書から馬鹿にされることはないので、
非常に面白く、「そうだったか!」だとか、
「わかった!」だとか、ピンとくるところが多く、
頭からビックリマークをたくさんだしながら読みました。

いろいろ例を出して、例証する形で説いていく部分が多く、
ゆえに、納得して読めるのですが、なかなか難しい話も多かった。
個人的には、1~10章のなかで、9と10章の前半が難しかった。
これも、読んでいる時のコンディションにもよるんですよね。
多少難しくても、どんどん読めるときってあるし、
逆にさっぱり頭に入らないときもあります。
なので、そのへんはあまり参考にはならないかもしれません。

カルダーノ、パスカル、ベルヌーイからベイズ、ラプラス。
確率から統計にいたる部分、
この本の中心部なのですが、彼らが開拓した分野をみていくことで
偶然が多角的かつ客観的に捉えられるようになっていきます。
確率の部分などは、以前に読んだブルーバックスの確率の本よりも格段に
読み物として優れていて、文系の人でもついていけますね。

偶然を確率で考えるのは、
ギャンブルをする人にとってはすごくわかりやすいです。
パチンコなんかでも、たとえば1/300の台があって、
それが300回転、つまり分母の確率で当たりがひける可能性は60数%です。
場合によっては、分母の5倍、6倍、ハマって当たらないこともある。
運がいいなと思うときには、30回転くらいで当たるのが何度も連続したり。
これが「偶然」ってものなんですよね。

日常に偶然がふりそそぎ、具合が悪くなるケースってあります。
僕もなんだこりゃ!な時期を経験したことがありますが、
それも、人生を「大数の法則」で考えれば、
そのうち大きな分母の確率に収束するようなことです。
大数の法則というのは、たとえばサイコロを60回振るとする。
各々の目は1/6の確率ででますから、1から6まで10回ずつでれば気持ちいいですが、
実際は揺らぎがあって、1が15回(1/4の確率)でて、
5が3回(1/20の確率)しか出ないだとかになります。
でも、サイコロを1万回くらい振れば、
ピタッってくらいに各目の確率は1/6に近づくんですよね。
それを、大数の法則といいます。

だから、ちょっと偶然が多いときには、
そういう「引きの良さ」で確率の分母の遥か下のところで当たりを引いてるな、となり、
そのうちまったく偶然が起きなくなって確率が収束するだろう、と
おおまかな予測がついて構えていられたりする。

また、統計で考えると、こういう場合もあります。
1から100までの数値のうち、真ん中のところが膨れ上がり、
両端へ向かってしぼんでいくグラフを想像してください。
平均を50として、どういうふうに人の運勢は分布するかみたいな図なのですが、
1という位置にいるのは、まったく当たりを引けない数少ない人たち。
100という位置にいるのは、当たりが引けまくる数少ない人たち。
どうしても、そういう人たちって数%くらいはでてくるんです。
その数%にどうやら自分ははまっているのかもしれない、
という気づきを得ることは大事なんです。

なぜなら、偶然という意味の無いものに対して意味を求めだすと、
場合によっては病んでしまったり、へんな宗教にはまったり、
ろくなことにならないからです。
本書から抜き出すと、
______

意味が存在するときにその意味を知ることが重要であるように、
意味がないときにそこから意味を引き出さないようにすることも
同じくらい重要である。

本書P248
______

となる。

偶然を錯誤するのは、人間のコントロール欲求によるものだそうです。
コントロール欲求が、意味の無い偶然までに意味を見出して
コントロールしようとしてしまう。
そこで錯誤が生まれる。
そして、その錯誤によって、偏見や差別が生まれもするのです。

_______

成功者からヒーローを作りだしたり、
失敗者を軽蔑の目で見たりすることはたやすい。
だが、能力は偉業を約束してはいないし、
偉業は能力に比例するわけでもない。
だから重要なことは(中略)偶然の役割を忘れないようにすることだ。

ある分野でもっとも成功した人間をスーパーヒーローと考えることは悲劇ではない。
しかし、自分自身を信じるのではなく専門家や市場の判断を信じ、
そのために諦めてしまうのは悲劇である。


本書P320
_______

まあ、でも、すべてを、偶然なんだからしょうがないね、
としてしまうと刹那的な人生になってしまう。

決定論的に因果で考えてしまうんですよね。
過去はそうやってあと知恵でなんとか論理づけられるけれど、
未来はそうじゃない。
それが、裏を返せば、過去への論理づけも恣意的なもので
視野の狭い考えゆえの錯覚だということがわかるゆえん。

また、本書には書かれていませんが、
書いてきたように、この世界が偶然性に支配される世界で、
未来なんてわからなくても、
未来に対する予防やセキュリティは大事ですよね。

と、まあ、盛りだくさんで濃密な「偶然」科学の本なんです。
これをじっくり読むと、世の中の見え方がちょっと変わるでしょう。

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『変身』

2018-02-01 21:02:12 | 読書。
読書。
『変身』 カフカ 高橋義孝 訳
を読んだ。

学生時代、半分まで読みながら、
雨にぬれてボロボロになり捨ててしまったカフカ『変身』を再読しました。

朝、起きたら一匹の気持ちの悪い虫に変身してた男の話。
これはなんの寓意があるのか?
といろいろ考えてしまいますが、
要はその、虫になった、というファンタジックな部分が鍵で、
あとはオートマチックのように筆が滑って
できあがっていく物語のように思えました。

なぜ、足が無数に生えた気持ちの悪い虫なのか。
『変身』が本になるときには、
カフカは虫そのものを表紙に描いてはいけない、と
出版社に急いで手紙を出して表紙絵の案を先読みして
拒否していたようです。
なぜ?なのか。
僕の解釈だと、ファンタジーというものの
深層意識性というところに必然性があると思うのです。
また、絵画のような、言葉では言い表せられないけれど、
その配置と色づかいは理にかなっている、というように、
うまく言い表せないけれど、変身したものが虫というのは、
非常に理にかなっているのだと思えます。
これは、実際に、文章の中身を想像して読んでみて、
その喚起させられるものの心象を顧みることでわかると思うのですが。

だって、寝る間もないくらいに働いて、
歩合制の外交販売員の仕事を頑張っているわけです。
忙殺されているわけです。
両親がいて妹がいるけれども、
彼らとコミュニケーションをとる時間も無い。
それも、家自体が借金を抱えているからで、
働けども働けども楽にならないし、
主人公のグレーゴルはそんな家族間の関係も
無味としたもののように感じ始めている、
実際を知る由は無いのだけれど、
そう確信に似た観念を持っているのは、
やはり仕事に追われていて、
人間らしい時間を持つことができていないからです。

だから、そんなグレーゴル自体がもう
異形の世界に足を突っ込んでしまっている。
荒んでいっている心に相当する外見が、
気持ちの悪い形をした虫だったというわけではないのか。

たとえば神様的な存在がいて、グレーゴルを見ている。
おまえの心の歪み具合、それはひとえに家族のためだったにしても
そんな背景は鑑みない、おまえ自体のその心の歪みとしてしか見ない、
そして、その心の歪みにもっともぴったりな体躯にしてやろう。
そんな神様的存在のきまぐれが、
グレーゴルを虫にしたのではないか、と僕は考えました。
意識の深層であげる悲鳴を具現化したのが虫。

そこには、せわしい生活の送り方などのスタイルも加味されていて、
ぴったりな芸術的転移をもって虫にされている。

物語っていうのは、舞台の基盤ができれば、
つまり設定が決まれば勝手に走っていくというところもあるんですよね。
虫になるという設定が決まった時点で、あとの物語の進みは
ある程度決まったものだったのかもしれないな、なんて思いました。

まあ、物語すべて、ただの悪夢だという話もあるようですが、
はてさて、ひとつに決まった解釈はありません。
読者がどう感じるかの自由が十分にある小説です。

カフカの写実的なところは、
僕の、小説を書く姿勢とおんなじかもしれない。
まあ、僕の写実性は大したことはないかもしれないですが、
絵描きがまず写実性を磨くように、
小説家も最初は写実性を磨く方がいいとぼくは思うわけ。
そうやって基礎力をつけてからだし、
ファンタジックなものをこしらえるにしても、
写実性の重力がなければ、ふわふわした建物になってしまいますから、
読んでいてもうまくないんじゃないかなあと想像がいきます。

最後に。
巻末の「解説」を読んでですが、
カフカは孤独が辛いから結婚しようと思ったものの、
そうすると相手の女性が自分の心にまで入ってきて
孤独を失わせてしまうから拒絶する。
そういう葛藤、わかるなあと思いました。


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