Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

乃木坂46熱

2015-10-29 13:13:25 | days
さいきん、生田絵梨花さんが大好きになったことで、
俄然ぼくのなかでも注目が高まっている乃木坂46。
まあ、注目するのも、いくちゃんの存在に気づくのも遅かったのですが。

昨日、その乃木坂46のニューシングル『今、話したい誰かがいる』を買いました。
乃木坂ってなんだっけ、と思いながらも今年初めにアルバムは買っていて、
「君の名は希望」だとか「気づいたら片思い」だとかを中心に、
ほとんどすべてのシングル曲を好きになるくらい聴きこんでいた。
それで今回のシングルもやっぱり好きになる感じの曲でした。
乃木坂らしい歌。
事前にYouTubeでMVも見ていました。
切なくてハラハラと胸にくる、これも乃木坂らしいMVで。

それで、『今、話したい誰かがいる』には
37種類の生写真のうち、1枚を封入というおまけがついています。
ぼくはやっぱり生田絵梨花ちゃんのが欲しい。
それでいくちゃんを引き当てました。
縁のある子だ~、ぼくの引きもなかなかのもんだ~。

AKB48のCDも何枚かもっているのですが、
AKBのなかで一番好きなぱるるのは当たったことがない。
4回くらい生写真入りアルバムを買って、
AKBのメンバーすら当たったことがありません。
松井玲奈ちゃんのは2回あたった。
松井玲奈ちゃんはぱるるの次くらいに好きだからよかったんですけども。

それがいくちゃんのはドドーンと当たったのがうれしくしょうがない。

『乃木坂ってどこ?』『乃木坂工事中』を放送している
テレビ東京系列の放送局はぼくの住んでいる地域では映りません。
ですが、12月から見られるようになるみたいで、
これも乃木坂を追いかけるのに好い風が吹いているとしかいいようがない!
もう放送が終了して見られなくなった『乃木坂ってどこ?』の
ベスト盤みたいなのが『推しどこ?』として11枚販売されていて、
ぼくはすべて集めてしまいました。ギャンブル運があるもので・・・。
各5話で、ぼくは1話ずつ毎日のように見て笑いながら陽気に癒されています。
生田絵梨花ちゃんの『推しどこ』を見終えて、
いまは西野七瀬ちゃんの『推しどこ』を見ているところ。
この『推しどこ』、Amazonで買うと、一枚1200円くらい安く買える。
それでも、行きつけの本屋で何枚か定価で買ったんです。
Amazonだけ儲けるのもなんだか好きじゃないというのもあるし、
なにしろ、パチンコで勝ったら、その隣に本屋があるという理由もあるのです。
すぐに、勝ったお金はモノに変化して洗浄されるのが多いのです。
まぁ、それはいいですけど。

乃木坂46の1stバースデイライブのディスクは
買って見てすごく元気になる内容だったし、
それを受けて、2ndバースデイライブのブルーレイも買ったんですよ。

そんなわけで、とりあえず、ギャンブル運が続く間は、
乃木坂商品を追いかけたいと思っています。

まっとうに稼ごうとも思ってはいるんです。
母の介護がある関係で、まずアルバイトと思って探した求人は、
結局面接にいかなかったんですが、それはまた別の話、ということで。

いくちゃんや乃木坂46に元気をもらいながら、
なんとかやっていこうという所存。
来年はまた小説を書くよ。
今年はどうやってでも、がんばって年間100冊の読書記録を作りたいところです。

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『対岸の彼女』

2015-10-25 02:06:46 | 読書。
読書。
『対岸の彼女』 角田光代
を読んだ。

ずっと気になってはいたのですが、
角田光代さんの小説を読むのは初めてでした。
それで手に取ったのは、直木賞受賞作の『対岸の彼女』。
すばらしかった。

主要キャラのナナコに乃木坂46生駒ちゃんをキャスティングして(イメージして)
読んだのは素晴らしいチョイスだった。ナナコ大好き。
そしてナナコと葵の関係も美しい。
もう一人の主人公の小夜子はぼくの母親の昔のころを想起させる。

ただ、気になったのは、
80年代の過去のパートで、
スカートを短くすることや「ハブる」という言葉などや、
なんやかやと現代との錯誤のようなところがあったこと。
でも、ああいうフィクションの使い方なんだろうなあ。
意図的に、ユーミンの「中央フリーウェイ」みたいな
架空なものを盛り込んでいるのかなと思いました。

ジブリ映画で見た『思い出のマーニー』もそうだったけれど、
この『対岸の彼女』も女性同士の友情が扱われていて、
そういうのが美しくて切なくて最近のぼくのツボのようになっている。
男同士の友情にはちょっと飽きたからなのかなー。
往年の「少年ジャンプ」的な男の友情に飽きて、
女性同士の友情が新しく感じるのかもしれない。


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『地域の力』

2015-10-23 02:16:12 | 読書。
読書。
『地域の力』 大江正章
を読んだ。

島根県での酪農からはじまる地域自給ネットーワーク、
兵庫県や三重県、東京都でのシャッター商店街からの生き残りをかけた努力、
徳島県上勝町での「いろどり」という高齢者の働き手が元気な会社、
愛媛県今治市での、地産地消と学校給食、
北海道での酪農や畜産、そしてクリーン農業、
高知県梼原町での林業、
富山県での公共交通、
東京都練馬区や神奈川県横浜市での体験農園などについてのルポです。
そこから見えてくる生きた地域の力には、
なにか真似たり学べたりするものがあるようにも思えるし、
ぼくらのよく知らない分野でも、
そうやって地に足つけてチャレンジし、
成功している人が多くいることに励まされる思いもします。

田舎の役人の保守的な「プライドの高さ」に辟易しながらも、
何年もかけて見返した人もいれば、
2000年ころからすでに時代に適した、
コンパクトな街のあり方を考えてまつりごとをおこなった市長もいるしで、
もみじなどの葉っぱを料亭に売る「いろどり」こそ有名ですが、
そんなに高名ではない、知る人ぞ知るという人物に
ちょっとした偉大さを感じられるのがおもしろい。

あとがきを読むと、この本が出た2008年には論じられていなかった
TPPについての危惧ととれる考えが述べられていました。
グローバルな自由競争に「農」がさらされると、
日本では北海道の小麦など壊滅的になる分野が出てくるという話でした。
時代の流れはTPPにのっかるほうへと傾きましたが、
一般大衆の所得が低くなったり格差が広がる世の中で、
安さばかりに手がいくようになってしまうことは咎めにくいことだと思います。
そうやって、この国の農業なんかが衰退していくと、
もっと格差は広がり、もしかすると安い食べ物の安全性の問題で
健康も劣悪化するのかもしれない。
まあ、不安をあおるようなことを書いて申し訳ないですが、
そういう流れの道も一つありそうだときっと僕に限らず頭に浮かんでくるのではないか。
どうやったら日本人同士がWinWinになるか、も少し考えたいです。

それと、本書を読んでいて考えたのですが、
福祉サービスにしてもNPOなどの活動にしても、
きっとぼくの街だけではなく多くの市町村で周知が足りないと思うし、
役所はその周知をまとめてわかりやすくしてやるだけでも街が活性化すると思うのです。
「わかるやつだけわかればいい」そして「やりたいやつだけやっていればいい」というノリが、
とくに地方の過疎地では一番よくないんじゃないだろうか。

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『世界は宗教で動いてる』

2015-10-18 07:58:17 | 読書。
読書。
『世界は宗教で動いてる』 橋爪大三郎
を読んだ。

キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など
世界の宗教をみていきながら、それらがどのように、
人々の思考形態を形作っているかをみる本。
いかに、世の人びとは宗教に影響されて(それも大いに)、
社会を作っているかがわかります。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教による考え方は、
世界の西洋的な近代化と関係している。
それは、たとえば所有権という考え方がわかりやすいのだけれど、
神という絶対的存在が人間に対して絶対的な支配権をもつ、
という考えかたが応用されて、人間がモノに対しての支配権を持ち、
そこから、収益を得たり使用したり処分したりする自由がある、
という発想に繋がった。
ただ、イスラム教は一神教だけれど、
アラブの人たちなどがそこまで近代化していないのは、
政教分離をしない宗教だし、ユダヤ教やキリスト教にくらべて
「平和な宗教」であるからかもしれない。

そして、そういう所有権的な発想は、
多神教の世界では受け入れにくいものだということでした。
インドのヒンドゥー教は多神教だし、日本の神道も多神教。

ではなぜ、日本は近代化をスムーズに行えたのか。
本書では別な説明がなされていますが、
ぼくはそこにはぐだぐだな宗教観に理由があるのではと思いました。
いろいろなものを取り入れて混ぜ合わせてしまったがゆえのぐだぐださがあります。
まず、もともとの神道がある。
これは『もののけ姫』のとらえる神様観(宗教観)を考えるとわかりやすいでしょう。
ここでは説明しませんので、本書の日本の章を読むと「ああ、そうか」とわかります。
そこに、中国経由で入ってきた仏教が混ざる。
混ざるし、仏教そのものも変質して日本独自の物となっていく。
もともと、中国仏教がインドから経典を輸入して翻訳するときに、
偽経といって、中国の儒教にあうように1/3くらい作りかえられたものらしい。
そして、朱子学という儒学が江戸時代に入ってくる。
今考えてもそうだけれど、日本人の宗教感覚って、儒教的な一面もあれば、神道の一面もあって、
そして仏教の一面もあれば、いまや一神教の視点でもって神様をイメージしたりもする。
だからきっと、そんなゴチャゴチャしたものを信じれないということになって、
生活(そしてビジネス)を第一とするスタンスになってるんだと思われるのです。
そのために、近代化だとかのほうがよりシンプルな考え方なので、
上入れやすかったのではないか、障壁となる宗教観がなかったのではないか、
とぼくは思うのです。

ちなみに、西洋人は宗教を第一とするスタンスで、二番目に哲学がくるということです。
中国人は第一に政治がくるとのことでした。

本書を読むと、現代を現代となしているその根っこの部分に宗教の考え方があることが分かり、
著者の橋爪さんが少しずつそこのところを解き明かして、ほぐして教えてくれます。

こういうところをしっかり押さえておくと、
世界、いや日本の中の見え方までもがクリアになると思います。


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『檀蜜日記』

2015-10-12 23:46:14 | 読書。
読書。
『檀蜜日記』 檀蜜
を読んだ。

グラビアタレント?
お色気タレント?
きれいなお姉さんタレント?

あまりテレビを見ないぼくは、
テレビで檀蜜さんをみたことは、たぶん、5回あるかないか。
でも、名前からしても、ちょっとその動いたり話したりする姿をみても、
異色だよなぁ、という感想はもちましたし、興味もわくタイプの人。

そんな檀蜜さんが、どういうことを考えて、
どんな文章をつくりだすのか。
2013年の秋から2014年の夏までの約一年間の日記です。

と、ここから急にトーンがかわりますが、
本書を読んでインスパイアされた考えです。
ではいきます。

平気で人を追い詰めたり、立派な建前を押しつけたり、
機械的にルールで縛ったりなどなど、かなり社会は人間にタフさを要求する。
ズームアップして見てみれば、
人間が人間にタフさを要求しあっているように見えるだろう。
そんな世界で、嘘すらつけなくなったら終わりだろう。
みんな、うまく嘘をつけ。

一方で、学術的研究だとか建設的な話し合いの場だとかでの嘘は
みなの足を引っ張ってしまう。
だから、嘘をつかれたくなかったら、
人を追い詰めたり立派な建前を押し付けたり
機械的にルールでしばったりしないことだ、
ということにならないか。
それは無理だろうから、やはり適度に嘘はいるということか。

嘘って、人間関係の緩衝材のような役割をしているんだよ、
という話をたしか河合隼雄さんがされていたような気がする。
嘘のない言葉ばかりで生きるのは、
抜きみの真剣をぶらぶら携えて歩くことに似ているのかもしれない。

でも、男女限らず好きな人だとか大事な人には、
なるだけ嘘はつきたくないものです。
本音で語って、「へえ、おまえはそうなんだ」と
許し認めあえるのがいいなといつも思う。
自分を有利にして相手から何かを搾取するための嘘は最低だ。

と、檀蜜さんが本書で
「休みだが忙しい時期なので無理してバイト出勤したら
店長に休みなさいとお叱りをうけて感動した・・・」
という嘘を学生時代にエントリーシートに書いた話を読んでの考え。

檀蜜日記おもしろかったです。
内容に味があり、そしてさりげないユーモアがあります。


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司会者・生田絵梨花さん

2015-10-11 20:43:29 | days
Eテレで夕方まで三時間の生放送があった
音楽コンクール(合唱)小学生の部の司会をしたのが、
ぼくの大のお気に入りの(それもキャラクターが特にお気に入りの)
生田絵梨花さんでした。
明日も14:00から中学生の部の司会をされるので、
どうぞ、未来の大輪をいまのうちからみてみてください。

NHKの音楽コンクールっていえば、中学の時に、
ぼくの学年で予選に参加したのだった。
ぼくは選抜メンバー入りを嫌って、
当日は家でぼんやりしてたんだけど、
よい思い出になってる同窓生がいっぱいいるってことだよねえ。
今日の小学生の部を見ても楽曲の完成度のレベルが高いし、
曲自体も難しそうだし、よくこなせるなってちょっとおどろいた。
歌って、伴奏もハーモニーもメロディーもリズムも、
すべてを感じて浸りながら自ら参加していくと、
すごく脳が活性化するように思える。
すばらしい曲に、夢中になって没入すると、
脳はめまぐるしく働いて成長していくように感じられる。
生田絵梨花ちゃんもまっすぐな子だけど、
歌ってた子どもたちもまっすぐできらきらしてて。

・・・だが、かれらに近々やってくる思春期ってやつ。
つまり異性を意識したり性欲が芽生えたりっていうやつ。
あれに人は死ぬまで翻弄されていきます。
面倒な迷いを抱えながらずっと生きていくことになる前段階の姿は、
だからちょっと遠い存在のようにも思えて。
性の迷いと人格が同化するのがオトナの段階だとすると、
今日の小学生の部の透明さ、そして明日の中学生の部のいじらしさは、
今のぼくらにはそのままのものとしては無いものでもあるよね。
そういうものに触れると、思い出すこともあったり発見することも
でてきたりするんだよねー。
コンクールの最後に、
賞をもらえなかった多くの生徒たちが涙を流しているところばかりをカメラがとらえていた。
というか、カメラがどこを撮っても泣いている子がいた。
あれだけ泣かれると、コンクールってなかなかヒドイものだな、
なんて座イスに座っていたその姿勢を直しつつ、
同情というかコンクールへの批判めいた気持をもったのだけれど、
司会の生田絵梨花ちゃんはそういうことも全部抱きしめたうえでの微笑みを見せていた。
プロのアイドルとしての乃木坂46での経験や、
学生生活をしっかり踏みしめてきた経験からの表情だと、ぼくは受け取りました。
人生の苦みをちゃんと知っているし、それらを排除していないということのあらわれ。
本日の見るべきところはそこだった(しょっぱなから、かわいいなってのろけてはいたけど)。

とまぁ、そういうことですよ。

惚れるとこういうことを考えたり、
下手したら書くようになる(つまり今回は下手したわけなのだ)。
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『夜は、待っている。』

2015-10-07 23:22:29 | 読書。
読書。
『夜は、待っている。』 糸井重里
を読んだ。

『ほぼ日』でおなじみの糸井重里さんのエッセイ。
小さい言葉シリーズで、
2011年分の糸井さんの言葉をまとめたものです。

半分くらいまで、いつもの小さい言葉シリーズ以上に、
質感があって胸に響いてくる言葉たちが刻まれています。
「今回、すごいかも・・・」と思っていると、
東日本大地震が起こって、様相が変わるのです。
そこからは、今に続く、
それまでと少しギアの違うように感じられるトーンでの言葉が並び始めます。
なにか、それ以前以後では、
夢の中だったか夢から覚めたかくらいの違いがあるかのよう。

でも、だからといって、
イトイさんの言葉が取り乱しているわけじゃ全然ないです。
逆に、あれだけの混沌とした空気が支配した時期ながら、
これだけは言えるということだけを丁寧に書かれていました。
多くの人は、そこを飛び越して何かを言っていた時期です。
だから、なおのこと、すごいよなぁって見てしまうんですよね。
そして、その言葉の中からイトイさん自身の祈りが伝わってくる。

2011年分の本書には、正直、読むのがいやだなぁっていう気持ちもあったんです。
大震災の年ですから、それまでのいつもの小さい言葉シリーズとは違った、
がっくりくるような当時の心理をそのまま描写されている言葉はないだろうか、
というような不安があったわけです。
でも、イトイさんは地震発生まもないときから、
「光を射す方」を見ていこうという姿勢をとられます。
それがほんとに、その後の生き方についても救いになっているように感じましたし、
今となっても、その姿勢によって繋がってきた今だなぁという気がする。
もちろん、ほぼ毎日『ほぼ日』を読んでいるからそう感じるのかもしれない。

ぼくにとってのイトイさんや『ほぼ日』って、
情報や知見を得るためのみではなくて、
その視点もそうだし、もっというと、
日常のふとした微笑みやヒヒヒというようないたずらめいた表情などなど、
そういったふうに感じられるものに触れて自分と重ねたり、
友人や知人を見るような気持ちで客観的に眺めて、
フィードバックを得たりなどする相手のようであるんです。
それは、あたかも、<Only is not Lonely>というほぼ日の標語のようです。
ぼくという個が、個として触れながら、孤独じゃない感覚を得ているわけですから。
そしてそれは、大きく考えると、人間理解を深めることに繋がっていくように思います。
それでもって、そういう細かい人間理解が少しずつ重なっていくことこそが、
上手な歳の取り方なのかなあ、なんてふうにも思うのです。

と、いろいろ書きましたが、好い本でした。
小さい言葉シリーズはどれもおすすめです。


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『かわいそうだね?』

2015-10-05 20:45:24 | 読書。
読書。
『かわいそうだね?』 綿矢りさ
を読んだ。

表題作と「亜美ちゃんは美人」の2編を収録した文庫版です。

女流作家のえがく「女性の世界」の小説なので、
オトコからすればある意味、「秘密のベールの内」をのぞくような
読書体験になるのですが、
しかし、そういう「女性世界のおもしろさ、新奇さ」で売る作品ではなく、
その内容・中身に価値があるので、人間学を深めているような、
それも女性学を深めているような感覚を持ちながら楽しめました。

綿矢さんは、初期の『インストール』や、
以前読んだ『勝手にふるえてろ』にくらべると、
完全に目が据わっている印象をうける小説家になられたようだ。
もうこれでいくしかないのだ、と腹をくくったように読めました。
そして、才能もあるんだけど、
才能で書くというのを乗り越えたような書き方にも見える。

表題作のほうは、いわゆる三角関係ですが、
そういうところよりもぼくはわりと構造のほうに目が行ってしまって、
挟まれる主人公・樹里恵の仕事のシーンのシークエンスが、
どうしてあそこまで軽く流さずに描写するのかが気になったのです。
最後まで読み終えると、やっぱりあのシークエンスがあったから
クライマックスが映えたかなと思えるのです。
山と谷の部分でいえば、谷であり、ジャンプ台なんですよね、
そこで谷の部分でありながらも濃密さを高くしてる。
そういう筆力と計算が功を奏しているように読み受けました。

「亜美ちゃんは美人」のほうも面白かったです。
こちらも出し惜しみせずに、100ページくらいのなかに、
長編のために引き延ばせそうなパーツをちりばめているように読めた。
高校のシーンもそうだし、大学のシーンもそうだし、
もったいないくらい、おいしい部分をドンと使っています。
女子カーストしかり、美人の亜美ちゃんに怯えをみせたからこそ信用できた
山岳部の連中と彼らとの関わりしかり。
そして、そういうおいしいパーツを使いながら、
後半のバーでのやりとりや亜美ちゃんが部屋にくるところなどで、
著者は自らの腕っぷしをみせてくれるんです。
そういうところは力が入っていて深みと強さがあります。
おもしろい哲学が見えるんですよね。
そしてラストは堂々と盛り上がっています。
やるなぁって思う。

ぼくも短いのを三作品書いてみたことがありますが、
やっぱり作品の後半の部分はこの小説に限らず、
どんなものでもたいていは参考になりますし、
すごいな、そこなんだよな、って勉強になる。
アタマではちょっとわかってきている。

それはそれとして。
ぼくはさいきん、乃木坂46の生田絵梨花さんを、
びっくりするくらいほんとうにすきになったのですが、
「亜美ちゃんは美人」に照らして考えると、
美人のいくちゃん(生田さん)にたいして、苦い思いをしてしまう、という。
むやみに他人のこころを探るのはよくないんですが、
どうなんだろうと腕組みをしてしまいます。

それと、こんな名言的な一文もありました。
一部改変してありますが、こんなのです
________

自分自身が満たされれば、友人への嫉妬もなくなるのだ。
________

そうなんだよね、嫉妬があるとき、なくなるときって。


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