Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『松村沙友里写真集 意外っていうか、前から可愛いと思ってた』

2018-11-25 22:40:40 | 読書。
読書。
『松村沙友里写真集 意外っていうか、前から可愛いと思ってた』 松村沙友里 撮影:桑島智輝
を眺めた。

乃木坂46イチかわいいと自他ともに認める!?
松村沙友里さんの1st写真集です。

もうこりゃ、「かわいい!」以外の何ものでもないでしょ、
と眺めていましたが、かわいいの他に、なんとちょっと笑えるのです。
序盤のおもしろポーズ写真だとか、
天使の恰好をしてカラオケをしている状況だとか、
海辺でドレスを着て松村さんらしい「どうだ」っていう笑顔をしているところとか、
そういうところに、
彼女のあっけらかんとした陽性の部分がよくでていて、
微笑んじゃうし、ときにくつくつと笑いが漏れてしまう。

キャップを被って舌を出している一枚は特にお気に入りです。
あれはすごくキュートでラブリー。
もちろん、写真集ということでセクシーなショットもたくさんあります。
僕の場合だと、付録でついてくるポスター4種類のうち、
一番セクシーなおしり出しショットが当たり、
でっかいサイズで見れてしまいました(やったぜ)。

やっぱり、昨日今日かわいくなったっていう、
可愛くて美人になりたて、ではない人ですからね、
もうご自分の抜けたルックスが板についていて馴れっこで、
そういう前提で気さくにおもしろく振る舞える方だと思うから、
垢ぬけていないところが無いですよね。

それで、近づきがたいなあと思っていると、
おいでおいでみたいに
彼女の愉快でシンプルな魅力につられて近づいていくことになり、
そうして近づきすぎると、パンチをお見舞いされる(さゆりんごパンチ)。
そんな感じのイメージです。

そして、けっこう心配性な人らしいですし、
またうつぶせで寝る寝相の話とか、
白米3合をドレッシングとかソースで食べる話とか、
(まあ、これ全部内緒の話だと本書に書いてあるんですけども、
テレビ番組でも公言しているから、まあいいのでしょうが)
そういうのを総合してみてみると、
これはほんとうに現代人的だなあという印象を持ちます。
あたまの優れた人でもあるので、
公には出てこないところでいろいろ気を使ったり考えたりしているんだろうなあ、
と思えました。
そういう女性らしい繊細さとあっけらかんとしたところという
矛盾してるようなところを併せ持つのが彼女をわからなくします。
ミステリアスで、でもそれが魅力にも関係している。

松村さんといえば、
僕の中では、ドラマ『初森ベマーズ』のユウウツ役が印象強いです。
ユウウツちゃん、独特な役柄で、でもカギになる子で、
やっぱりかわいいんですよね。
蟻を飼ってますから。
ぶつぶつ独り言を言いますから。
……僕は変な子好きかもしれない。

撮影は若月佑美さんと同じく、桑島智輝さん。
なんだか写真に安定感を感じます。

撮影場所はハワイで、
南国に彼女の明るさは似合うと思う。
ミステリアスで、核心部分をつかませない人だけれど、
それでもこの写真集を眺めると、ちょっとだけ近づけた気になれます。
少しでも彼女に興味を持つ人にはおすすめできる作品です。

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『サクラ咲く』

2018-11-24 01:38:52 | 読書。
読書。
『サクラ咲く』 辻村深月
を読んだ。

三作の短編を収めた連作集。

まず、最初の『約束の場所、約束の時間』ですが、
初挑戦の辻村さんの小説の文体は穏やかで、
それでいてストーリーテラーだなあと思いました。
饒舌にならずに、でもちゃんと表現していて。
中学生くらい向けのせいか縦より横に重点を置いた作品。
縦、横というのはこないだ読んだ文学講義の本に書いてあった捉え方で、
横はストーリーの流れのことで、
縦はひとつのセンテンスなどから立ち上がる表現の奥行きやそれ自体の面白さなど。
『約束の場所、約束の時間』は、
それこそドラえもんを読んでいるみたいに
すーっと流れて行きながらも残る感覚でしょうか。

続いて、表題作の『サクラ咲く』。
中学生の女の子が主人公なのですが、
その性格の弱いところからはじまり、
仲間内の人間関係をを通じてどうなっていくかがひとつの読みどころでした。
ストーリーはストーリーでしっかりと流れていくのだけれど---
それも興味を十分にそそられながらなんだけれど---、
その物語のなかで生きている少年少女たちがそこに息づいている感覚で、
苦しみ、悩み、考え、喜び、笑い、楽しみ、心を成長させていくんですよね。
そういう一人ひとりの個性や変化や過去なんかの設定が
細かくされているのかな、と思いましたが、
それが功を奏しているのか、
物語の中の人間模様が、穏やかに波打つ水面のように、
シームレスに変化しながらきらめくように出来ているかのようでした。
そして、心理面だとか、人との関係性の繊細な面がさりげなく表現されています、
それも、書き込みでではなく、空白でかんじさせるようなところもありますね。

そして、最後の『世界で一番美しい宝石』。
ヒロインの美しい女生徒の描写を読むと、
すぐに彼女に対する僕の個人的なイメージは、
漫画『恋は雨上がりのように』の主人公、橘あきらにピタッと決まってしまいました。
今作のヒロインの名前も立花亜麻里といって、ちょっと似ていたりする。
今作では、前二作に比べてテーマが深いというか、
より考えさせられる内容にもなっていました。
未開の地に作者が分け入っていくような感じで、
哲学して書いたような面白さ。
これは以前、20数年前ですが、
「ソリトンSIDE-B」というEテレの番組で、
「哲学を勉強する」と「哲学する」は別だよね、
と出演者の方々が語っていて、
僕も見ていてそうだよなぁと思い、
哲学を勉強するよりか哲学するほうが本当のように感じたものでしたが、
作者の辻村さんがここでも腰を据えてきちんと哲学して書いているなあと、
すばらしさを感じると同時に、
自分も次に書くときには彼女の姿勢を忘れないようにしようと
見習う気持ちで背筋を伸ばしました。
物語は、レイヤーをはぎとって、
下の絵をみせるかのような流れの構造になっています。
さらに、だからといって、下部構造のほうが本当だよ、なんていわずに、
上部の表層構造だって同じくらいの力はあるものだとして扱っているように読みました。
下部構造になると、弱みとか妬みや汚さなんかがでてきて、
人によっては、そういう見えない部分こそが真実なんだ、と語りますけれど、
表層でみることのできる、爽やかで美しく、
楽しく笑っていられるような部分だって真実なんだ、という意識で
書かれているように思えましたねぇ。

全体を通してもおもしろいギミックというか、
細いのだけれど物語を貫く軸があって、
そういうところで、「あっ」と思う感覚で物語の重層性に気持ちよくなります。

辻村さんはもう直木賞を獲ってらっしゃって有名な書き手さんですが、
僕にとっては遅い、初めての出会いでした。
しかし、こういう書き手さんがいたのだなあと嬉しくなりましたし、
刺激にもなりましたし、プロットをしっかり書いてそうだというヒントもあり、
また違う作品を手に取ることになると思います。
すでにこの作品を読んでいる方は多いかもしれないですが、
まだの方にはぜひ、おススメします。


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『森と日本人の1500年』

2018-11-21 01:50:44 | 読書。
読書。
『森と日本人の1500年』 田中淳夫
を読んだ。

その土地に住む人々や文化は、風土によって作られる、
という考え方って一般的にあるものだと思うのですが、
では、日本人とともにあった自然、そのうち森というものは、
いったいどういう変遷を遂げてきたのか、
そこを見ていくような本です。

実は、日本の森林の99%は人によって手を加えられたものであって、
自然そのままの自然林ではないそうです。

古くから木材や燃料として木は用いられ伐られてきました。
そのため、大和政権のころから、
植樹などの森林の手入れについての記述が古文書に残っているそうです。
さらに、近代に入ると製紙業も加わりますし、
産業革命によって木材の需要は軒並み上昇していく。
よって、明治期の山々にははげ山も多かったとか。
そこで政府はドイツから学んだ林学を政策に取り入れ、
計画的な林業を本格的におこなうようになったとか。
しかし、時代は下り、太平洋戦争によってまた林業は荒れ、
戦後また立てなおされはするものの、
現代に続いてきた日本の林業は、
かつての欧州のやり方のように、
力によって自然を支配するという思想を
今でもその根本の思想として持っているようで、
あまりうまくいっていないようです。
逆に、欧州では自然に逆らわないように、
自然と共存するような形での林業が主流になってきているとか。
それは、ずっと昔の日本の林業の精神だったものでもあるのだそう。

森林の手入れについても、
間伐、つまり間引いたり、
枝払いをすることによって、
他の木々によりよく陽が当たるようになり、
成長を促し、森林自体が健康になっていくことや、
一斉林といって同じ種類の木をその土地すべてに植えず、
針葉樹や広葉樹をバランスよく植えて多様性を保つことで、
病気や害虫などで森林丸ごとが一気にだめになるリスクを抑えることができることなど、
森林の分野のみならず、他の分野にも応用できそうな話になっていました。

最後の方では、
森林浴、森林セラピーといった、
科学的には立証されてはいませんが、
ヒーリング的な森林の利用の仕方についての記述があり、
また、食育ならぬ木育というものも
最近興っている分野だとして紹介されていたりと、
230ページそこらの新書でも広く知れますし、
ところどころはけっこう深い話もあり、
この分野の入門書としては、
読み応えがあるものなんじゃないかなあと思いました。

最近では漁業のほうで、
魚が乱獲によって減っているからなんとかしないと、
という意見が出ているようですが、
日本の林業でも同じように考えていくべきことが、
本書では示唆されていました。


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『東大准教授に教わる「人工知能ってそんなことまでできるんですか?」』

2018-11-13 00:01:26 | 読書。
読書。
『東大准教授に教わる「人工知能ってそんなことまでできるんですか?」』 塩野誠 松尾豊
を読んだ。

人工知能の研究者である東大准教授と
博識なビジネス戦略家の対談本。

最近、劇的に伸びてきている印象の人工知能の分野。
将棋の世界でトップ棋士を打ち破ることが当たり前になったり、
アメリカではクイズ王がその得意なクイズで人工知能に負けたり、
はたまた、ビッグデータの解析だ、ディープラーニングだ、
仕事を奪うだの、人間を超えるだの、そのうち人間を支配するだの、
いろいろと注目を集めていますよね。

人工知能は、それを作っていく時に、
まず人間に似せるか違うものにするかの選択肢があるといいますが、
人間に似せるほうを選んだ場合、
人工知能の研究が人間自体の研究にもなっていく、それもかなり深いところまでも。
ゆえにその研究者が人間の認知だとか脳や心理に、
相当通じるようになる。
これは人間をいろいろ総合的に知るのに良い、
面白い分野だと思いました。

優秀な人工知能の登場により、
教育が変わり、
交通が変わり、
医療が変わりなどしていくだろうと予測されています。
つまり、社会が変わっていき、
常識も劇的に変化していくだろうと見通されていました。
本書の対談によって、
それらが浮いた話などではなく、
現在と地続きで、近く到来する未来、
それも議論されているものとの誤差はそれほど大きくはなさそうな形でやってきそうだ、
とその理路や知識情報からうまく納得させられるようにそう感じました。
とはいえ、いつも未来というものは、
予想したそのものの通りにはいかず、
けっこう違うものとなって現実になっていくような気がします。
はたして、本書で語られたことがどこまで実現するか
本当のところはわかりませんが、
AIの研究がどういう道筋の上にあるかを知るにはうってつけだと思いました。

また、面白かったのは、
AIに対して、宇宙派と地球派という二種類の態度があるというところ。
地球派は、あくまで人間が主役で、AIを人間がうまく使っていこうとする。
一方、宇宙派は、生物の進化において人間が最終形態ではなく、
人間はAIを生みだしたのちそのヒエラルキーの頂点をAIにゆずるものだ、
つまり、人間はAIを作り出すための過程としての存在である、
AIを作るために生まれたのだ、とする。
僕はこの宇宙派の考えは「もしかして??」としてあたまに浮かんでいたので、
やっぱりそういう考え方ってあるんだね、
それも、大きな派閥として二分されているうちのひとつとしてあったんだね、
と大きく頷きました。

AIが今以上に進化したときに、
いったい、宇宙派と地球派のどちらが正道になるかわかるでしょうが、
2045年問題の話もあるくらいですし、
それはそう遠い未来でもないかもしれないですね。
まあ、AIが進化して人間を脅かすのではないかという不安を持つ前に、
地球人口の大きな増加などによる気候変動、気温上昇の環境問題を
どうにかしなければならないんじゃないか、とは思うのですが……。

本書は、対談者のお二人とも知的であるし、
飛び出す言葉や概念も新しくて便利なものだったりして、
そういうのを読み知るだけで頭の中がクリアになったような気さえしてきます。
このようなのが、読書による端的な知的体験というものでしょう。
文庫化されてもいるようなので、
興味のある方は手に取ってみてください。


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『O・ヘンリ短編集(三)』

2018-11-12 00:08:12 | 読書。
読書。
『O・ヘンリ短篇集(三)』 O・ヘンリ 大久保康雄 訳
を読んだ。

新潮社から出ているO・ヘンリの短篇集の最後の集です。
どうやら現在は新しい版のO・ヘンリ短篇集が出ていて、
収録作品が僕の読んだ三つとは違うふうにシャッフルされ、
もしかすると新訳になってもいるかもしれません。
興味のある方は調べてみてくださいね。

さて、今作では、弁護士や判事など、
法曹界で仕事をしている登場人物が多かったです。
また、話のオチがよくわからないものもあり、
第一集、第二集のほうが面白みはあったかもしれないです。

でも、たとえば、
あの木から葉がすべて落ちてしまうとき、
私は死ぬんだわ----というような、
熱に浮かされ、かつ弱気になってしまっている病人がでてくる、
センチメンタルで切ない話「最後の一葉」ですが、
これが収録されていて、
きちんと読んだのってたぶんに初めてでした。
O・ヘンリの短編って「あ、あの話かー」という有名なものが多数ありますね。

本書最後の「都市通信」という作品がなかなか味わい深かったです。
貧しい時代の、必死に生きている人間が出てきますけれども、
汚らしい恰好をしていたり、街自体も汚かったりしても、
そこにでてくる人間たちには好さを感じるというか、
まあなんていうか、愛おしさとか共感とはちょっと違うかもしれないですが、
彼らとは近しい感覚のようなものを覚えるんですよ。
「心」を感じるといったらいいのかなあ。
ということは、角度を変えて考えてみると、
O・ヘンリがちゃんとその当時生きていた人間たちのカラーっていうものを、
フィクションのなかでのキャラクター造形の作業でちゃんと扱って、
その「心」ごと人物を作り上げていた作家だったということに
なるのではないでしょうか。
ま、個人的な印象からの感想なんですけどね。

三作読み終えてみて、
どの作品がもっとも印象的だったかといえば、
「賢者の贈りもの」がやっぱり心に残っていますかねえ。
あれぞペーソスって気がします。

たまに形容が多すぎるような文章になっていたりもしてそこは好きずきですが、
アメリカ文学史に残る名短編作家の作品ですからさすがの面白さだし、
そんなに難しくもないエンタテイメントなので、
読んだことがない方にはおすすめしたいです。


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「秘すれば花」と「シェア」のもてなし論。

2018-11-04 23:23:50 | 考えの切れ端
「秘すれば花」としておもてなしをするという、
日本的な考え方ってあると思う。
たとえば、お客さんにお出ししたお茶のその葉っぱが
とんでもなく貴重で高品質なものだったとしても、
あえて口にせず、ただお客さんに「どうぞ」と言い、味わってもらうというような。
でも、どんどん情報を開陳して、
秘密など何もないようにするおもてなしがよいとする考え方もある。
後者は若い人が共感しやすいのだと思う、なぜなら「シェア」の考え方だから。

他人に期待しない・信用しない、
という文化が基礎にあるような欧米の世界であれば、
その距離を埋めるべく情報を開陳する
「シェア」的なおもてなしはすごく効果があるでしょう。
シェイクハンド(握手)の習慣だって、
「わたしは何も武器等を持っていませんから」と手の内を見せることで、
相手を安心させるための意味がそもそもあるのだという話を
聞いたことがあります。
つまり、根深い不信が意識の底に横たわっている社会。
そういう社会だから、
アメリカなんかでは信用できないことが前提のために銃社会だったりする。

一方で、
お客が相手に「どんなもてなしをしてくれるかな」と期待し、
店側もお客がこっちに期待してくれているのを
前提としてもてなそうとする日本的な関係性では、
「秘すれば花」なる方法論は有効なのでしょう。
何も言わなくてもお客は店側の行為に探究心をもって解釈にいそしむだろうから、
秘密が無駄にならない。
それどころか、お客は想像をしたり感覚を研ぎ澄ませてもてなしを味わおうとしたりするし、
はたまた、もてなす側もお客のためを思って想像し、考え、労力を注ぎ、
それをお客が受け入れてくれたことに喜ぶ。
これすなわち、豊かさ、でしょ?

(余談ですが、
このあたりの話って、
メールやLINEなんかが普及して、
簡単にメッセージを送れ合う世界になったけれど、
時間のかかる「手紙」という手段を使っていた時代のほうが趣がある、
その「手紙」というツールそのものに豊かさを感じる、
という話とちょっと似ているのではないでしょうか。)

そんなわけで、日本的な「秘すれば花」と
欧米的な「シェア」と、
それぞれのおもてなしの方法論の違いは、
その社会内での「信用の構造」の違いによるのでしょう。
現代の日本はたぶんに欧米的な「シェア」がよいとする気持ちが強い人たちは多いと思う。
それでも、日本的な「秘すれば花」のよさにはすぐに気付ける心性を持ち合わせているだろうと
僕は考えています。
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