Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

よいお年を。(2016大晦日)

2016-12-31 20:36:01 | days
今年も紅白歌合戦の途中にこの記事を書いています。
目当ての乃木坂はまだですが(バックダンサーとしては出ました)、
欅坂46のサイレントマジョリティーがよかったですね。
この曲はすぐにiTunesからダウンロードしたのを覚えています。

さてさて、今年は前半の四半期に短編『微笑みのプレリュード』を書きあげ、
文藝春秋社の『オール讀物』新人賞に応募しましたが、落選でした。
その後、ここにアップしました。
書いていた時は、前回の『虹かける』が『文學界』新人賞に
まったく歯が立たなかったことのショックを引きづっていて、
「自信をもって書く」という行為はまるでできませんでした。
わかっていることをわかっているふうに書いたのですが、
なかなかうまい具合にはいかないみたいです。
二人視点のプチ・グランドホテル方式にチャレンジしたのは、
最後のほうでちょっと混沌としたかもしれない。
まあ、チャレンジしようと思ってそうしたわけではなく、
語り方を考えたら自然とそうなったのですけども。

四月からの半年は、地元の観光施設でアルバイトしました。
これは来年もやる予定です。
11/3に仕事が終わってから、
博物館のガイドの仕事も頼まれて一度しました。
高校生が相手だったのですが、大声をだすと声は枯れるし、
声が枯れたと思えば、話す中身が頭から飛ぶし、
うまくしゃべれていると思えば、話す中身がなくなるしで、
大変ではなったのですが、まあ、こなせたほうかもしれないです。
おとといには、この会社の忘年会にお呼ばれして参加してきました。

それで、クリスマスあたりからまた新しい短編を書き始めました。
いまは一万字くらいのところで、最終的には二万字から二万五千字くらいで
終えたいなあと思っています。
ほんとうはもっと早くから書きたかったんですよ。
それが三週間くらい風邪をひいて、気管支か肺か、
ちょっとやられたような感じで、ひどかったんです。
「年内に二編書く」という当初の予定は達成できませんでしたが、
来年には繋がっていきます。
今日は旨煮をつくったりかしわそばをつくったり忙しく、
紅白もみているので、書いたとして400字くらいですが、
元日は平常運転で執筆したいです。

金銭状況はおもわしくなく、
逆におもわしくないから執筆に集中できるようなところがあります。
皮肉なものです。
今年5回くらい200点越えした、趣味のボウリングも自重です。

と、まあ、こんな感じの2016年でした。
母の具合は安定から下り坂で、
上り坂の乃木坂ちゃんたちの勢いにあやかりたいくらいです。
もう、親父が毎日怒鳴っているのがよくないですね。
止めても火に油を注いでしまうから、手の施しようもなかなかないです。

来年は年齢もひとつ、区切りのいい年齢になります。
もうそんな歳になったかあ。
書きあげた短編で、また壁越えに挑んでいきます。
ご声援いただけたらうれしい。
また、ここを訪れてくださる皆様方に、来年もご多幸がありますように。
今年は、自分から動いていく自律性がどうやら幸せの鍵だな、
ということにも気付きました。
とはいえ、なにかを始める時にはきっかけが必要で、
そのきっかけまで自前でなんとかしてしまえはしません。
ぼくの書く文章が、あなたのなにかのきっかけになると、
これほどうれしいことはありません。

それでは、今年もありがとうございました。
2017年もよろしくお願いいたします!
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『幽霊たち』

2016-12-29 22:49:51 | 読書。
読書。
『幽霊たち』 ポール・オースター 柴田元幸 訳
を読んだ。

80年代に発表された、ポール・オースターのニューヨーク三部作第二作です。
舞台は1947年から始まる数年間。

私立探偵ブルーの元を訪れる依頼人ホワイトは、一見して変装しているとわかる。
依頼の内容はブラックの見張りで、ブラックのアパートの真向かいのアパートに、
ブルーのための部屋を借りてあるという。
かくして、ブルーのブラックを見張る日々が始まるのだが……。

前半のすんなりとした運びから中盤の狂気をへて、
後半の難解さへと続いていき、終わっていきます。
130ページくらいの長い短編のような物語でした。

ネタバレになりますが、
物語を書くことに人生を賭ける、生涯をついやす作家という存在は、
もはや自分の人生を生きていない、幽霊なのであると著者はイメージづけています。
そして、解説を読まないと気づきませんでしたが、
ブルーもブラックも、もはや幽霊のような存在になり下がっていました。

特段、この小説を教訓としなさい、と強い調子で語られていはしないですし、
まあ、小説まるごとを楽しみながら、自分と他人、自分とは何なのか、
などなどの思索をしながら読み進めるようなところがあります。
後半部に読解のむずかしさがありますが、
なんとか結末には着地できるひとは多いでしょう。

80年代くらいにポスト・モダンと呼ばれた
考え方や題材をうまく素材としてシンプルな言葉で表現しているようです。
そういうところはよくわかりませんが、
独創的な小説だな、と楽しめるものではありました。
『ガラスの街』もそうだったけれど、読者が混乱するようなところがあります。
でも、おもしろいですが。


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『実録・自衛隊パイロットたちが目撃したUFO』

2016-12-23 21:08:02 | 読書。
読書。
『実録・自衛隊パイロットたちが目撃したUFO』 佐藤守
を読んだ。

サブタイトルは「地球外生命は原発を見張っている」。
著者の佐藤氏は、元自衛隊空将・南西航空混成団司令です。
素人にも、要職に就かれていた方なのだなあ、とわかります。

前半はタイトルの通り、自衛隊航空部隊関連のUFO遭遇、目撃話で、
それらを読んでいると、スクランブル発進をふくめた、
「空」の事情を垣間見ることになります。
戦闘機で飛ぶ「空」って、こんな世界なのだなあ、
思っていたよりもずっと何かある世界だなあと思いました。
それは、空の風景もそうなのですが、
空間識失調と呼ばれる、
右旋回なのか左旋回なのか、
はたまた夜間では、逆さにに飛んでいるのかまともに飛んでいるのか、
その区別・認識がなくなる状態に陥ることもあるそうで、
地上でふつうに生活しているひとは経験しない状態が「空」にはあります。

また、未確認飛行物体(UFO)は、
有史以来、かつてない多くの人間が空を飛んだ第二次世界大戦中にも
「フー・ファイター(幽霊飛行機)」と呼ばれながら存在したそうです。
空には先客がいた、そんな印象を受けますね。

後半は、UFOの歴史や海外のトピックについて書いてあります。

著者は、「未確認飛行物体(UFO)=宇宙人の乗り物」だとは
決して決めつけておらず、
そういった態度で、
でも、事実をできるだけそのままの形で伝えようと
ペンをとってくれている感覚なんです。
そして、肯定派ではありますが、
否定派を排除するスタンスではないです。
そこはあとがきでも触れらていますが、
肯定派も否定派も、
もっと言えば現代人は、
自分の信じることや考えることと違うことに対して、
排除的だったり排他的だったりし、
それによって、謙虚に相手に耳を向けて真実を探求しようという姿勢に
欠けている、と言っている。
そこはなるほど、その通りだなあと膝を打ちました。
UFOに限らず何事も、ですよね。

このあいだ、ネットをさすらっていたら、
エドワード・スノーデン氏の発言に行き着きました。
スノーデン氏は元CIAだったかNSAだったかの臨時職員で、
秘密事項、それもエシュロンなど盗聴システムの存在などの暴露によって
アメリカに指名手配され、ロシアに亡命したひとでしたよね。
ぼくも彼に関する本を一冊読み、ここで紹介したことがあります。
そのスノーデン氏が、
「地球の地底には、我々よりもすぐれた知性をもつホモ・サピエンスがいる」
と発言したそうなんです。
「UFO=宇宙人」なんて刷り込まれてきた中、
なんて新しいんだ、とびっくりしました。
北極にナチスが逃げた、だとか、
いろいろと都市伝説的な話は読んだことがあります。
北極には(南極だったかな)でかい穴があいていて、
そこから地底に繋がっている、だとかの本当かどうかわからない話も
読んだことがあります。
まあ、地下構造をどう解釈するといいのか、
そこまで具体的に研究する気はないのですが、
原発を見張っているUFO、などと言われるのは、
事故があって、チャイナシンドロームなどと言われる事象が起こった場合、
地底が汚染されるから、UFO(この場合は地底人)が
原発周りをよく飛ぶんじゃないだろうか、
なんて説まで思い浮かびました。
やあ、地底がアツいです。

さてさて、本書の終盤になると、
そんな超能力者がいるのか!?
霊はやはり存在し、なにか影響を及ぼすものなのだろうか!?
そんなドキドキを生む項があります。
こんな話を読むと、
否定と肯定のあいだをゆらゆらするしかないのですが、
不思議なものだなあという気がしながら、
読書を終えました。

そんな話がありながら、
でも、オカルトに終始するわけでもありませんし、
どちらかといえば、オカルト本ではないと思います。
UFO現象は実際にあるのだから、
バカにせずにきちんと見つめてみてもいいし、
ちゃんと解明する姿勢は間違っているものでもない、
と問いかけてくるようでもあります。

ふだんの日常からは見えることがない世界です。
なぜ、UFO現象はあるのか、その正体はなんだろう?
そういった問いや世界を自分の内にインストールしてみるのも
悪くないですよ。
ご一読、どうぞ。


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『なぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか?』

2016-12-20 18:50:26 | 読書。
読書。
『なぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか?』 ティル・レネベルク 渡会圭子 訳
を読んだ。

時間生物学の本。
もっとわかりやすく言うと、
体内時計にまつわる24章立ての科学エッセイ。
今日は絶好調だぜ!という時は
体内のリズムと自分の行動のリズムなど
各々が合致する時らしいです。

朝型、夜型などの生活スタイルのことを
クロノタイプというそうなのだけれど、
ある人々が同じように生活していて、
同じように明暗の影響を受けても、
持っている遺伝子によって
異なるクロノタイプになるそうだ。
朝型が立派で夜型がだらしないわけではないそうです。
(たいてい、そういうことを言うのは朝型のひとだそうで)

また、訓練して朝型にすれば、
社会時間にも適応できるからやんなさい、みたいな提案も間違いで、
訓練してどうこうというもでもないらしい。
そうはいいながら、光を浴びる時間帯、量によって、
クロノタイプが変わったりもするそうで、
そのへんよくわからなかった。

社会的時差ボケ状態がつらいんですよね。
夜型は平日にそうなりがちだし、
朝型は休日の前日などに周囲の影響で夜更かしして
休日に睡眠不足に陥りがちらしい。

学校の始業時間をもっと遅らせようと
本書では強く述べていたりもします。
本書の主要な主張のひとつです。
なんでも、ティーンエイジャーのクロノタイプは夜型で、
朝早くから勉強をさせても、
集中力も理解力も発揮できずに能率的ではないそうです。
女子は19歳まで、男子は21歳くらいまでが夜型で、
それからだんだんと朝型のほうへシフトしていくそうです。
高校生が寝坊したときだとか、だらしのないエピソードのひとつになりますが、
どうも、そこには大きなしょうがなさが根本にあるようです。

エッセイとしては、せっかちなひとには向かない部類の本かもしれない。
オフの時間をオフとして使いたい人ならば、
悠長な感じで、そのプロセスを楽しむようにできている文章でしたから、
オンから離れている時間を演出してくれるでしょう。
加えて、時間生物学の知見も得られます。
ドイツ人の本ですが、英国医療協会のベストブックにも選ばれたそうです。


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「温かみ」を知ること。

2016-12-19 11:30:15 | 考えの切れ端
ツイッターのタイムラインを眺めていて、
たまに「なんでこんなことにこれほど冷たく、辛辣なの?」と
疑問に思うようなものを目にします。

それなりに懸命に勉強して「こうかもしれない」
と何かを見つけてやりだして失敗していた時、
そういう人たちに対して辛辣で冷笑的に
あるいは冷徹に言葉で一刀両断にする類の人たちって、
コミュ障だとかと言われる人たちに多いように思います。
それは人の温かみを知らないがゆえなのかもしれない。

コミュニケーションが苦手なひとに大事なのは、
ひとの温かいところや優しいところを知ること、
気づくこと、
そして触れることです。
助けあい、依存しあいながらじゃなきゃ生きられない
「人間」ってものがわかってくると、
世界の見え方も変わるし、
自分も他者も生きやすくなっていくんじゃないのかなぁ。

もちろん、
他者の優しい面を見ようとしても狡猾な面しか見えない、
だとか例外だっていろいろある。
それはそれとして注意しながら、
でも、そういう狡猾だったりするのがスタンダードだと思わないように、
見失わないようにしたほうがいい。
また、場が人を作るように、
人が悪いようでいて場が悪いこともある。

ぼくは楽しいことが好きだし、
豊かさっていいなあと思っている。
ぼく自身の生きづらさとあなたや彼女の生きづらさには、
たぶん共通するところがあって、
ぼくが得た解がきっとあなたたちにも少しは役に立つかもしれない。
生きづらさを軽くすることはできる。
そしてそんなぼくらならもっと楽しく生きられるのではないですか?

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『トラブル・イズ・マイ・ビジネス』

2016-12-13 22:05:04 | 読書。
読書。
『トラブル・イズ・マイ・ビジネス』 レイモンド・チャンドラー 田口俊樹・他訳
を読んだ。

チャンドラー短編全集4巻目にして最終巻です。

おなじみフィリップ・マーロウの
小粋なユーモア台詞がちりばめられたものや、
チャンドラーにしては珍しいらしい幻想モノや、
探偵小説の自らの価値観、分析、
などを吐露したエッセイなどが収録されています。

チャンドラーらしい描写の仕方があって、
たとえば、
魅力的で美しい女性がいる。
比較的、目が左右に離れているらしく、
それを目と目の間でものを考えているのだろう、
みたいなのには、うっすら狂気を感じたくらいです。
でも、こういうの好きなんですが。

また、エッセイの冒頭では、
こんな文言があります。

____

「いつの世のどんな種類の小説も、
リアリスティックであることを旨としてきた。
いまなら道化芝居なみに不自然なつくりものとしか見えぬ古風な小説も、
当時の読者の目で見ればそうではなかった」

____


昔の小説にならったように、昔の文体で作品を書いても、
それはパロディであり、現代を描写できな。
あるいは幻想小説になるんだと思います。

いやぁ、おもしろかったです。
とくにそのユーモア感覚が好みです。
次にチャンドラーのものを読むのは、
長編で、さらにたぶん、村上春樹訳なのだと思いますが、
自分で自分に、乞うご期待だね!と言っています。

こういう軽くておもしろい感じで、
書きだしからばーっといって、
それでいて現代のリアリズムを持っている。
そういうものをぼくも次には書きたいですね。


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