Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

「note創作大賞2022」結果報告

2022-04-28 22:09:32 | days
「note創作大賞2022」に短編『春の妻』を応募していました。

3/25の中間発表にて、この賞へ16,848作品の応募があり212名が一次選考を通過したことが発表されました。誇らしいことに、僕の短編もそのなかに入っていました。倍率でいえば80倍ほどの門をくぐり抜けたのです。

それで今夜、最終結果発表がありました。ちょっと期待はあったのですが、残念ながら選ばれませんでした。まあ、次作、そしてさらに次、と力のある作品を書き上げていきたいです。もっと良い結果を得るために。まだまだ、なのです。

応援の気持ちで見守ってくださっていた方、ありがとうございました。これからも坂を上っていきます。

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『NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる』

2022-04-26 03:34:42 | 読書。
読書。
『NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる』 フローレンス・ウィリアムズ 栗木さつき・森嶋マリ 訳
を読んだ。

タイトルの「NATURE FIX」を訳すと、「自然が回復させる」「自然が治す」となります。

本書は、人が自然に触れたり自然を体験することによって、日々のストレスから回復することがどうやらできるようだ、ということを解説しています。そればかりか、アメリカ、日本、韓国、イギリス、フィンランド、スウェーデン、シンガポールなどの自然と人間の研究やそれらを踏まえた実践的取り組みを取材した著者の経験をまじえながら、おおよそがドキュメンタリータッチで、認知力や創造性などの向上にまで自然の効果が認められることを教えてくれるのです。

近年、都市部に人口が集中し、2008年には世界人口の半分が都市生活者となりました。自然と疎遠になった都市生活は、人が本来発揮できるはずの認知力や創造性を押しとどめてしまっているのかもしれません。そう考えると、認知力や想像力が自然の力によって「向上する」のではなく、もともと備わっている力を「回復する」手助けになっていると考えることだってできます。

この観点からみてみれば、都市生活というものは、人のポテンシャルを伸ばさず、そればかりか悪影響を与える度合いの高いものと思えてしまいます。異常に混雑した環境の中に猫たちを閉じ込めるとみんな横暴になりいじめが発生し、それがラットたちだと巣作りを忘れて自分の体を食べ始め、霊長類だとホルモンバランスが崩れて生殖能力が落ちたのだそうです。これらは極端に密度の高い環境での実験例なのでしょうが、人口密度の高い場所に暮らす人間たちはどうなのかを考えてみれば、あまり良い影響は受けていないのかなあという気持ちに、容易になるのではないでしょうか。

しかしながら、各国でなされている「自然が人間に与える好影響の研究」の成果が行政の分野で取り上げられてもいます。植樹や公園の整備など都市部の緑地化に生かされ始めているのは、人の精神面への働きかけでもあるのでした。また、日本がパイオニアとなっている森林浴の分野に代表されるように、森などの深い自然で1日でも1週間でも過ごすことによって、血圧の正常化やストレスホルモンであるコルチゾールの低下などが認められるようです。

また、女性の退役軍人たち、それもPTSDを負った女性たちが急流下りのプログラムを通じて活力を取り戻していくのですが、その取り組みについて著者自らが体験取材の模様で伝えてくれたり、ADHDの子供たちが自然で過ごすプログラムを多く取り入れた学校で過ごしながら、症状が緩和していく様子をその傍らから伝えてくれたりなどもしています。自然からの効果はまだまだ未知の部分が多いですが、それでもこれだけの強い力を深く秘めていることが示唆されるのでした。

これら広範な内容のなかでも、自然による嗅覚での影響、聴覚での影響、視覚での影響について割かれている部分が、僕にはもっとも興味深かったです。嗅覚ではフィトンチッドと呼ばれる森の匂いの成分に効果があるという研究があり、聴覚では、鳥の鳴き声や川の流れる音による癒しの研究があり、視覚では、自然の中にみられるフラクタル(全体の形とそれを構成する部分の形が相似形であること)による癒しの研究があるというのがそれでした。これらすべてをいっしょに体験できるのが、やっぱり森林浴になるのです。

以前、僕は4シーズンほど自然がいっぱいの観光地で働いていました。四季の移ろいがほんとうに身近に感じられるといいますか、自然と一体となって過ごしていた感があります。ウグイスが鳴き、エゾシカが草を食みにあらわれ、桜が咲き、ルピナスなどの野の花が季節ごとに咲き誇り、晴天や雷雨、暑さや寒さを、扉が開け放たれた小さな一軒家型の受付兼カフェで体験しながら働いていました。接客商売のストレスだってあるのですが、それでもやっぱり、基本的に気持ちの良い仕事でした。脳にも身体にも好かったんだと思います。比較的楽観的にモノを考えることができ、そして感情の抑制も周囲の人たちと比べてできるほうなのは、こういった影響も大きかったのかもしれないです。

最近は屋内にいることがとても多いです。本書の内容を踏まえると、またどこか自然に溶け込めるような場所で過ごしたくなりました。車で15分くらいのところに自然公園があるので、そこに行ってみようかなという気持ちになってきます。一月に5時間、自然のなかで過ごすと効果が出るようです。みなさんもいかがですか。


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『乃木坂46 与田祐希 2nd写真集 無口な時間』

2022-04-18 19:33:27 | 読書。
読書。
『乃木坂46 与田祐希 2nd写真集 無口な時間』与田祐希 撮影:菊地泰久
を眺めた。

乃木坂46三期生・与田祐希さんの2nd写真集。

崖から海へとジャンプする、思い切りと度胸のいい与田さんの写真を皮切りに、イタリアでの10代最後の旅の模様が伝えられます。

故郷の島でヤギを飼っていたことはファンであれば誰もが知っていることなのですが、この写真集のロケ地のイタリアでも、どこぞのヤギのリードを引っ張る与田さんの写真があり、見るなり一瞬で笑ってしまいました。これ、たまたまそうなったネタですよね。

ミラノを歩く与田さんの眼鏡姿が新鮮でかわいい。与田さんって距離感を保つのが上手そうに見える人ですが、もしも眼鏡姿の与田さんと知り合いになったならば、強引にでも距離を縮めたくなるに違いない愛らしさでした。

与田祐希さんは大自然が似合う人だというイメージでみています。もともと、自然に囲まれた土地で生まれ育った方ですし。だから、仕事の現場だとか楽屋で疲れて眠っている写真を何枚か見たことがあるのですが、それって大都会の生活が彼女にとってすこしばかり「アウェイ」だからなのかもしれない、と思ったところです。山、森、海、川、公園。そういった自然に触れられるところで、疲れた時の彼女はリカバリされるんじゃないのだろうか。……と、現在読書中の本が、自然による人間のへのポジティブな効果に関する論考モノなので、余計にそう感じるのでした。

与田祐希さんって、乃木坂の中でもちっちゃいほうでとってもキュートなのです。でもって、なんていうか、仲良くなりたいなあと思っても、なかなか近寄れないなあという感じのする女子というのが、僕の個人的な印象。もしかすると、「あなたが一番です! あなたしか考えられません!」という気持ちで向き合わないと振り向いてくれない、みたいな方だったりして。

……というように、妄想に落ちてしまったところで終わりにします。おまけのブックレットに20歳の記念の振り袖姿もありました。かわいさに触れられて、好い時間を過ごせました。


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『納得の老後 日欧在宅ケア探訪』

2022-04-10 11:07:15 | 読書。
読書。
『納得の老後 日欧在宅ケア探訪』 村上紀美子
を読んだ。

僕の母が精神の病気で要介護4です。在宅介護をしています。訪問介護やヘルパーなどを入れるともっとうまくいくのでしょう。でも、父も母も他者を入れるのを嫌がり、訪問リハビリと歯科の訪問診療以外は家族だけで介護をしています。もっと介護保険が適用される制度を活用すれば、僕も外に稼ぎに出られたのでしょうけれども、もうそういうのはほとんど諦めています。自宅でできる仕事をつきつめて、技術を磨いていくしかないなあと。

本書は、ドイツ、オランダ、デンマーク、英国、そして日本の在宅ケア等の現場や事情をルポとともに解説する本。どちらかというと成功事例に焦点を当てて紹介しています。

ヨーロッパでは、子供が高齢の親の面倒を見ることはほぼないみたいです。親との同居もあまりない。そのような背景で、介護・ケアについての分野が進展して、今があります。まず、家庭医と呼ばれる総合診療医がいて、たとえばドイツでは90%以上の人が家庭医を持っている。家庭医の数も全医者の半数近くいます。家庭医は総合診療ですから、内科も小児科も耳鼻科も整形外科もすべてをまかないますが、難しい症例の場合は専門医を紹介するようになっている。そうはいっても、家庭医になるための勉強は、範囲が広くとても大変なのだそう。僕の町の市立診療所にも総合診療科がありますが、担当医はかなり勉強や経験を積んだような、社会的にもおそらく学会的にも地位の高い医師です。ひとつの科で深い見識を持つことも苦労を伴うでしょうが、総合診療の広い知見を持つこともそれ以上に大変であることをうかがい知る例だと思います。日本で家庭医に近いのは、かかりつけ医です。

ヨーロッパの介護ケアのあり方を知るのに、その特徴をうまくつかむことができる事例が、オランダの「ビュートゾルフ」です。看護師や介護士や療法士たちが少人数でチームを組んで、自律的に考え判断し、柔軟に被介護者のトータルケアを行う仕組みがそれです。この仕組みによって回避できるのは、ひとりの被介護者に毎日違う看護師たちが通ってばらばらに看護や介護を行うことによる細切れケアです。細切れケアでは、ある種の雑になってしまう部分がでてきます。時間もコストもかかります。そういったところを埋めることができるのが「ビュートゾルフ」なのでした。被介護者にとっても、親身になって柔らかくケアしてもらえるし、欧州で重視する被介護者の自立もここでも重視されるので、利用者つまり被介護者が元気になっていく例が散見されるようです。そればかりか、看護師たちがやりがいを感じて、彼らもまた充実した仕事生活を送ることができているようです。

福祉がすべて税金でまかなわれる北欧のデンマークでは、介護の専門家教育のなかで、人間理解を「精神、身体、社会、文化」の四つの側面から学ぶそうです。暮らしは社会とのかかわりにあり、文化の中にあることを再認識させられると著者は述べていました。ケアと聞くと、食事やトイレや清拭やシャワーなどの身体ケアや家事援助ばかりがあたまに浮かびますけれども、「精神、身体、社会、文化」で考えると、より人間性を見失わないで行えるケアへの心構えができそうです。ケアじゃなくても、人間関係のありかたってなんだろう? と考えるときの指針になるのではないでしょうか。

英国の章ではあるケア従事者が、ケアが成功するには次の四つの要因が必要だと説明しています。それは、

①社会福祉と保健の協働(従来は別々だった社会福祉と保健分野の人々がいっしょに協力して動く)
②関係者すべてが関わる(ケアホームにかかわる「すべての人と人とのかかわり」の中でケア向上は実現する)
③目標は全員のQOLの向上(入居者のケアの向上に焦点を当てるだけでは、うまくかない。ケアホームに出入りする「全員のQOLの向上」を目標に置き、「人と人をつなぐケア」に焦点を当てる)
④成功した事例に着目(問題点に着目して指摘や批判をするよりも、「ケアホームの入居者は、何を望んでいるか」、「どうしたらうまくいったか」と成功した事例を集めて共有する)

このなかでも、③の「目標は全員のQOLの向上」には深く肯きました。被介護者の幸せのためには、介護する人たちのQOLが低くなってはうまくいきません。被介護者の周囲の人たちの苦しみが取り除かれてこそ、介護はうまくいくと、僕も常々考えていましたから、こういう考え方を本書から受け取れてちょっとした勇気が持てたような気持ちです。

と、今回はここまでですが、実をいうと、文章との相性が悪かったのか、内容が頭によく入ってこない読書になったんです。内容自体は知っておきたいことばかりだったので、個人的に苦労しながらなんとか読みました。文章自体は流れるような文章なのですが、言葉の配置の仕方が、僕の頭の論理性のタイプとはちょっとばかり相いれなかった。でも、ゆっくり読むと読めます。僕みたいな方もいらっしゃるでしょうから、もしも読みにくいなと感じたら、ゆっくりとどうぞ。


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『地下鉄<メトロ>に乗って』

2022-04-05 21:01:51 | 読書。
読書。
『地下鉄<メトロ>に乗って』 浅田次郎
を読んだ。

いまや世界的大企業へと発展した会社の創業者・小沼佐吉。家庭でも暴君だった佐吉の次男である小沼真次は幼いころ、兄がくり返した佐吉への反発をよく目にしていた。しかし、その反発がこじれて兄が自殺を遂げてしまったことを機に、真次の父親への反感は決定的なものとなる。大人になっても親の会社を継ぐことはなく、地下通路の一角に事務所を構える小さな会社で働く真次。そんな彼は、ある日、高校時代の書道の先生だった野平と偶然出会うことになる。その出会いのときをきっかけにするように、彼は時間を超える経験を幾度として、本当の父親の人生を知ることになっていく。

1994年の作品です。崩壊したバブル景気の毒々しさの名残が色濃く残る時代だったと思います。本作品で香るその時代の匂いとしては、景気が後退してもまだまだ経済的に余裕のあるアジア一豊かな日本の大都市・東京に住む人々の、モノのあふれた中で暮らしている空気がさりげなくあります。また、エゴイスト的な振る舞いが今よりも容認されやすい感覚も感じられます。

では、強くこころにひっかかったところを書き綴っていきましょう。

戦後の焼け野原の頃にタイムスリップした真次は街娼の姐御・お時と出合い、<抱き寄せるお時の骨は、軋むほどに細い。やはり思いがけぬ若さなのだろう。この娘が胸の奥に抱え込んだ哀しみを知る者は、この時代にも、後の世にも永久にいはしない、と思った。>という思いを抱く。

現実にこのような「誰にも知られない深い哀しみ」を胸の奥に抱えたまま生きて、そのまま死んでいった者たちは現代でも過去でもそれこそ未来にだってほんとうに大勢いるでしょう。だけれど、自分のような深い哀しみを抱えた人は過去にも、まだやってこない未来にだって大勢いるものなのだ、ということに気付くと、孤独が、孤独を保ったままで、時空を超えて結びつきあうような体験をすることになったりします。シニカルな見方をすれば、それはただの個人的な想像力の産物にすぎないのでしょう。けれども、そういう方法でしか癒されない深い哀しみというものは存在します。しかしながら、そういった方法を知ることもなく、果てしない孤立感ゆえに胸に大きな穴があいたまま、亡くなっていく人こそが大勢を占めるものなのかもしれません。でも、そこに慈しみの気持ちやねぎらいの気持ちや寄り添いたい気持ちで、イメージを持てるかどうか。つまり、詩的な精神で埋まる穴ってあると思うんですよ。

『地下鉄<メトロ>に乗って』では、戦後間もない時代で、傷つき、でも逞しく生きる人たちの強さを感じさせられます。浅ましくしたたかに法やモラルをかいくぐったり、それらをすれすれのところで行動したりする。そうしなければいけなくなった哀しみ、そうすることの哀しみと、歪みを抱えた人間の強くある姿がありました。

生命力がほとばしるような表情で生きる人たちがいればその民族は復活していく、というように語られるところがこの作品にはあったのだけれど、僕が思うにはそれはちょっとロマンチックな希望的観測すぎるようなとらえ方に思えてしまいました。人間という生き物はそこまで単純ではなくて、自分が生き延び富を得るためには暴力が肯定されてしまい、だからこそ他者を深く傷つけることへの抵抗が弱い。成功して生きていくためにはある種の不器用さを抱え込まなければならず、加害の罪を抱え込んでしまうのだと思うのです。

要するに、そこで「人間はそこまで完璧じゃないんだよな」と感じさせられたのでした。というか、すぐにボロがでる存在なのに無理してまで生きていかないといけない。ここでいう「無理をして」とは、暴力で家族を含めた他者を傷つけながらでも生きないといけない、ということです。これが、時代・社会という止まらない激流を生きるがための哀しみなのかなぁ。

本作品に、僕はストーリーそのものよりも、そういった細かいところで感銘を受けましたねえ。

1章ごとに、「ふーーーーん」と大きく息を継ぎながら考え事に落ちていくような読書でした。混沌としたもの、整理しきれないごちゃっとしたものがそのままどろどろと背面に在りながら流れるストーリーです、序盤から中盤まで特に。読みながらも、端折ったり単純化したりしないように読み続けなきゃという構えでいました。

蛇足ながら、浅田次郎先生は、僕が学生時代にアルバイトをしていた札幌競馬場で何度かおみかけしたことがありました。それどころか、ハンドスタンプの確認のためにお声がけしたりもして。直木賞作家になられた頃でしたから、あ! と思ってちょっと緊張したという。まあ、それだけなんですけどね。


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