Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『吉本隆明の下町の愉しみ』

2018-01-30 20:38:17 | 読書。
読書。
『吉本隆明の下町の愉しみ』 吉本隆明
を読んだ。

思想家・吉本隆明氏の普段着なエッセイ集。
巻末には掌編の小説が三つ収録されていました。
小説のほうはあまりうまくないような……。
エッセイはとても読みでがあっておもしろいです。
小説を書くにしては、隠し事ができなくて、
単刀直入に単純すぎる傾向が見受けられます。
僕なんかが言うなって感じですけども。
それがエッセイになると、思索による間のようなものにより
文章がこなれていて、良い趣が出ている。
たまに飛躍するような文言がでてきて、「えっ?」
となるのが、この人の名調子のひとつでもあるのだと思います。

読んでみると、
東京下町風情の庶民感覚の匂いがして趣があります。
ぐぐっと深み読みすれば、
やはり思想家として論争などもした人として当然というか、
血の気の多いとまでは感じさせませんが、
エネルギーの大きさ、ひいていえば、
血気盛んさを大いに結構ととる性質の人だったのかなあという気がする。
まあ、ここいらへんは、過敏に感じとると、という意味でです。
過剰な読解・詮索かもしれない。

歳を重ねるうちに、だんだん無反省になっていく人は多い。
それはひとえに、反省する人間は侮られ勝ちなのがわかってくるからです。
反省して自分をよりよくするか、
反省せずに人と張り合うか。
社会的な人間としての後者を取る人は多い。
でもそれって、ある意味大げさに言えば、
人間的破たんへ向かったチキンレースなんですよ。

吉本隆明さんは70歳を超えた時点でも反省していたりします。
社会的自分も大事だけど、
でも僅差かも知れなくとも人間的自分を大事にした人なんだと思いました。
反省することが恥ずかしくなく、
馬鹿にされもしない社会は素敵です。
理想ですが。

利益・効率がでないことに時間や労力を費やすことは馬鹿にされがちです。
それが、資本主義ベースのこの社会での、
社会的人間ってものの考え方なんですよね。
人間としての成長や気づきが、すべて資本主義の考え方に沿うとは限りません。
むしろ、沿わない場合のほうが多いかもしれない。
「仕事と家族のどっちが大事なんだ!?」
に代表される究極の選択のひとつでもありますが、
なにが幸せかを突き詰めていってみると、
意外と「どちらかといえばこっち」的な答えって
出るのではないでしょうか。

吉本さんは人間的自分の要素を仕事にもできた人だと思います。
だから、人間的自分を活かしたままで、社会的自分としてもふるまえたのでは?
という仮の仮の、仮の仮説くらいの位置取りで考えてみました。

ちょっと話があらぬ方向へ飛んで行きました。

本書は、字が大きくすぐに読める分量だし風情があるしで、
また、吉本隆明さんの「生活する人」という面を知りたい方には
うってつけだと思います。
興味のある方はどうぞ。

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『三越伊勢丹 ブランド力の神髄』

2018-01-27 15:50:30 | 読書。
読書。
『三越伊勢丹 ブランド力の神髄』 大西洋
を読んだ。

世界一の営業利益を上げる、
三越伊勢丹グループの社長(当時)・大西氏自らが語る、
百貨店にとってもっとも大事なことと、
取り組んでいることについての話。

百貨店という商業形態そのものが、
衰退の一途を辿っているそうです。
売り上げ規模がずっと減少している。
そんな中、百貨店としてトップの地位にいる
三越伊勢丹ですが、
そうえいば、なにか良からぬニュースになっていたな、と
関係するニュースを過去へと追っていくと、
大西氏はクーデターでその座を追われたなんて記事も出てくる。
本書にはあまり書かれていませんが、
三越伊勢丹ホールディングスには、
ドロドロしていて保守的でどうにもならない体質が強くあるように見えてきます。
そんなわけで、頓挫してしまったのですが、
百貨店業界に革新を起こすその青写真はどうだったのかが
本書で語られているので、
それを読んでいくことになりました。

もっとも大事なことは、現場力だと言います。
スタイリスト(接客をする店員)こそが、
百貨店の顔であり、モノを売る最前線で活躍する社員であり、
彼、彼女らのモチベーションがちょっとでも上がれば、
顕著にそれが数字になって表れるそうです。
だから、スタイリストたちをどう大事にし、
働きやすくし、勉強してもらうか、なんですね。
三越伊勢丹では、営業開始時間を遅らせて営業時間を短くし、
スタイリストの負担を減らすことで、
逆にその接客の質をあげていく戦術をとりました。
長く働かせればいいってものじゃないのは、
他の業種でも一緒で、昨今よく言われていることです。
短い労働時間で効率よく仕事をするドイツ人と
比較されたりもしてますよね。

本書では、
これからの三越伊勢丹ホールディングスの戦略を簡便な形で述べてもいて、
その考えの道筋をたどっていくと、
なかなか勉強になるというか、面白いのです。
三越日本橋のコンセプトはカルチャーにあんるだとか、
伊勢丹新宿本店のコンセプトは、ファッションミュージアムだとか、
そういうのだけでも、へえ、と興味深くてイマジンーションをそそられますし、
脱・デパ地下という考え方も、それで足を運ぶのに抵抗を感じないのであれば、
いいんじゃないかなあと思えもしました。

百貨店の同質化が、衰退の主たる原因だと大西氏は喝破しています。
それ解消する策をいろいろと打ちながらも、
志半ばで社長を退任せざるを得なくなったのですから、
残念だったろうなあと思います。

僕は子どものころから何年か毎年、用事で一週間とか十日間とか、
東京の池袋に滞在することがあったのですが、
その頃は、西武デパートや東武デパートをぶらぶらしたりしてました。
まあ、ほとんど、夕食を食べに行って帰りに本屋さんに寄るような感じで、
子ども服売り場だとかいかなかったですけど、
一フロアが広大で何階もあるビルを歩いているのは楽しかったですね。
地下の惣菜売り場で弁当なんかを買って食べるっていうこともあって、
たとえば京樽の巻き寿司なんか、おいしかったなあと覚えています。

ただ、やっぱり、庶民としては、
デパートって高級で、背伸びしないといけないような、
上客になんてなれない異世界でもあるわけです。
シャツ一枚二万円、ネクタイに三万円、靴に十万円。
なかなか手が伸びないですよ。
でも、そういう場所があるのは、なんだか楽しいことは楽しい。
と、最近、買い物はずっとアウトレットで済ませている僕は思うのでした。

こういう業界の話ってなかなか知ることができないので、
おもしろく読みました。
そういえば、某百貨店に勤めていて、
今はどうかわからないですが、
酒類のフロアマネージャーをやっている友人がいました。
最近は連絡を取っていないからどうなっているかわかりませんが、
その世界の空気をちょっと感じられて、よかった気がしました。


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『月の満ち欠け』

2018-01-23 23:18:22 | 読書。
読書。
『月の満ち欠け』 佐藤正午
を読んだ。

第157回(2017年下半期)直木賞受賞作。

素敵な小説でした。
落ち着きある、駆け足にならない速度の文章で書かれていて、
読んでいる期間中、いい時間を過ごせました。

「輪廻転生」「生まれ変わり」が大きな仕掛けになっています。
だからといって、オカルト色が前面にでている
けばけばしい作品ではありません。
ロマンティック。
見ようによっては、ヒロインのその深い情愛に怖さを感じるかもしれない。
それでも、読後感といい、相手役のキャラクターといい、
素敵なロマンスを独特の角度から語った小説と言えそうです。
中盤の正木瑠璃と三角哲彦の章は、
これだけで短編としてでも、まばゆく、優しく、燦然と輝く出来ですよね。
この章が一番好きで、最後の〆方と同様に気持ちを持っていかれました。
さすがの実力です。

今、自分が執筆中ということもありますが、
言葉遣い、語彙、構成、喩えなど修辞の入れ方だとか、
いろいろ学ぼうという気持ちがありながら読むのですが、
面白さを楽しむ方に負けてしまう。
こういう面白くて落ち着いた作品を書けたらなあ、と
またひとつ目標ができました。


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『愛と暴力の戦後とその後』

2018-01-14 19:52:04 | 読書。
読書。
『愛と暴力の戦後とその後』 赤坂真理
を読んだ。

近現代史ってよくわからなくないですか?
なぜ太平洋戦争が起きたか、
それ以前に、なぜ大東亜共栄圏のもと、
満州や朝鮮、台湾などを支配していたか、
についても、その動機や当時の民衆の考え方や空気が
イマイチつかめなかったりしますし、
そういう方ってけっこういらっしゃるのではないですか。

ぼんやりした近現代史のとらえかたで生きているからこそ、
現在に生きるぼくらの精神構造に少なからずその影響があり、
よくわからない矛盾や苦悩が、
意識上か意識下か、そのすれすれのボーダー付近から生じたりする。
本書は、そのような、ぼんやりとしかわかっていないひとの多い近現代史を、
自らもぼんやりとしかわかっていないことを認め、前提にして調査し勉強して、
なにか「よすが」のようなものを見つけていくエッセイ。

赤坂真理さんは小説家でもおありなので、
出だしなどは、小説のそれのように、そして気合も乗っていて、迫力十分。
また、肩に力の入った文章に読めますが、
読んでいくうちにそれも気にならなくなっていきました。
迫力に押されてしまったのかもしれません。

終盤に近いところで、
「自分が現在だけにぽつんと置かれたようなよるべなさ」と書いてあって、
これって多くのひとが感じていることだろうなあと思いました。
歴史の連続性を感じ得ずに、
現代という舞台にいきなりいる感覚って、
勉強不足という言葉では片付けられないものなんじゃないでしょうか?
そして、「それは自尊心を蝕む」と続くのでした。
現代の日本人はこれだけじゃなくて、
いろいろ分裂した概念の板挟みになっていると説明されている。
政治に文句は言うけれど選挙に行ったことがない、というひとだとか、
社会上の分裂した概念が基盤になってしまっているからかもしれない。

60年安保闘争、70年安保闘争、80年代というもの、
そして、オウム真理教についてのこと、
個人体験としてのこの日本の政治感覚というもの、
最後に、憲法、をみていく。

憲法改正の動きはSNSなんかでも知識人がいろいろ考えを述べていらっしゃいます。
賛成、反対、いろいろありますが、
本書の著者の立場は、どっちかといえば反対、というところ。

自民党の改憲案には驚きますよね。
97条の「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は(中略)
現在および将来の国民に対し、侵すことのできない
永久の権利として信託されたものである」
という文言を削除して、
102条には「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と追加してる、と。

その他、天皇を象徴ではなく元首と改める(明治期に戻す)、だとか、
民主国家色を極端に薄くして、国家主義国家色を濃くしようとしていますね。
まあ、ここで、天皇を元首というのはアレコレという意味で……というような、
解釈の忖度はしないほうがいいです。
そのような曖昧な語句を今の世代がうまく解釈しても、
後の世代が自分勝手に解釈する余地を与えてしまうからです。
これは、たとえば、本書に書いてありましたが、大日本帝国憲法で、
天皇に権威を与えながら実権は政府が握れるようにしたシステムを、
昭和期に軍部が暴走できるシステムに解釈したのと似たようなことです。

日本の近現代を、論考、思索する旅をともにする意味で、
このエッセイは非常におもしろかったです。
序盤では、著者の頭のキレのよさに、
大丈夫かなと逆に心配になったくらいですが、
後半、文章から力が抜けていくのとともに、
安定していったように読めました。

著者は、若い頃に留学したのをきっかけにか、
英語に明るい方なので、
そういった点での言葉へのスポットライトの当て方が見事で、
彼女ならではの視点からの論考プレゼンがありました。

意外とさらっと読めてしまいますので、
現代人の内面に宿る不安定なフワフワ感ってなんだろう、
と疑問に思うような方は、ご一読をおすすめします。

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『土屋耕一のことばの遊び場。』

2018-01-09 14:08:43 | 読書。
読書。
『土屋耕一のことばの遊び場。』 土屋耕一 和田誠/糸井重里 編
を読んだ。

本書は、
コピーライター・土屋耕一さんが書いた、
ことばについての、ユーモアたっぷりで、
でも神髄をついている論考が中心の
「言葉の遊びと考え」(糸井重里・編)と、
回文や詰語などなどを扱った
雑誌『話の特集』のコラムから選り抜いた
ことば遊びの文章をまとめた
「回文の愉しみ」(和田誠・編)の二冊からなります。

まず、「ことばの遊びと考え」から。
コピー講座の節を読んでいて、
ものまねはコピーの審査のふるいに残らないことが語られていた。
ものまねをしているかどうか意識していなくとも、
それがすでにあるものの調子であれば、
価値は二流、三流、四流。
これは小説の創作にも言えることだと思った。

おれもこういうの書けるよ!って
既製品に寄せちゃう心理ってあってですね、
何かを作ろうというひとは、
その甘い誘惑に一度や二度や、三度や四度は乗ってしまうものなのですよ。
それって、あこがれの気持ちも一枚かんでいてね、
一人前になりたいっていう気持ちの罠の面なんだと思う。

なんの役に立たなくても、
まずそういうのが、つまりものまねができることによって
ある種の飢餓感から逃れられるから、そのためにやってしまう。
でも、三度や四度やれば、
飢餓感的劣等心もちょっと満たされるところがある、
外部の評価をあまり気にしなければ。
そうなったら、やっと勝負できるものが作れるんじゃないのかなあ。

外部の評価と自分の評価って、
駆け出しの素人にとってはまったく別々のものだと思う。
自分の評価は良いのに、
外部の評価がイマイチなのは何故だろうという疑問がすでに愚問なのだ。
なぜなら、自分のコアにある気持ちが、
外部(他人)に読んでもらい楽しんでもらうことを優先一位にしていないから。

土屋耕一さんは、自分の目と他者の目で文章を読むことを往復しなさい、という。
主観と客観の目を半々で持つべきなのだろうね。
ぼくは音楽を作っていたときに、
客観ってすごく大事だと気付き、主観だけじゃない目線(音楽の場合は聴感覚かな)を
持つように心がけて、それ以降、一応はそういう感覚を持っているつもり。

なぜ、ものまねをするのか。
自分のコアにある気持ちが実はまずあこがれであって、
その次くらいに他人を楽しませるっていうのがあるんだと思う。
それがなかなかに、相いれないのだね。
あこがれが強ければ、まず外部の評価と切り離して、
それを満足させて薄めていくことが大事なのかなあと思った。
あこがれが満足して薄まっていって、
やっと自分の仕事ができるようになるのかもしれない。

また、
「マージャンやパチンコは時間を空白にしていく」という文章にうなずく。
ぼくはいま、空白にする時間を持つのと反対の時間を持ちたいですから。
まあ、時間を空白にしたいとき、
そうしないと壊れちゃう時ってありますから、
全否定するわけではありませんよ。

「回文の愉しみ」のほうは、まあ楽しいですよ。
文章でこれだけ楽しめる経験をすると、「ことば」ってものにハマると思います。
刺激強めの、ワイセツな回文なども面白かったですしね。
こういうことばを操り加工して見せてくれる職人的技巧にはうなりますし、
コピーはいうまでもなく、これだけのことができるというのは、
ことばの申し子的な「名人」なのだろうとぼくは思いました。

軽妙ですが、スカスカじゃなくて、ちゃんと人間の重みのある文章で、
それで読むひとを楽しませてくれるサービス精神、エンタテイメント精神が、
おいそれと気づかれない気づかいの中に存在しています。

2009年に78歳で亡くなられて、
ぼくはそれまで土屋耕一氏を存知あげなかったのですが、
こんなに楽しい巨人と同時代に生活していたのだなあと
感慨みたいなものがありました。

この二冊のおもしろさは保証してもいいくらい。
ことばを扱うこと、文章をつくることに興味がある方には、
十分な興奮と刺激が与えられることでしょう。
おもしろかった。

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『西野七瀬写真集 風を着替えて』

2018-01-06 20:51:29 | 読書。
読書。
『西野七瀬写真集 風を着替えて』 西野七瀬 撮影:川島小鳥
を読んだ。

乃木坂46で何度もセンターをつとめる西野七瀬さんのセカンド写真集。

「ピースフルな旅」と帯に書かれていますが、
西野七瀬さんの存在が、
その土地の雰囲気を損ねたり、
我の強さで自分に寄せすぎたりしない、
かといって、負けてもいなくて。
撮影場所のマルタやイタリアでも、
その空気と等質になれているような写真たちでした。

乾いた心地よい風が走り抜けていった。

西野さんは女性誌でモデルをされていますが、
乃木坂46のオーディションのころのギャルないでたちだって
なかなかかわいかったのですよ。
「ななせまる」というニックネームにちなんで、
「ギャルせまる」と名付けているひともネット上でみました。

柔らかな印象なんだけれど、
脆さと裏返しでもある強い芯を持っていて、
ときとして頑固さもありそうで、
でも、柔軟に対応する社会性も持っていて、
というような女性に見えます。

今月から、
ぼくが10代のころに少年ジャンプで連載されていた
漫画『電影少女』のアフターを描くドラマがテレ東で始まるようですが、
その主演のアイ役が西野さんですね。
録画せにゃ。

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『白河夜船』

2018-01-04 21:43:10 | 読書。
読書。
『白河夜船』 吉本ばなな
を読んだ。

吉本ばななさんの、
まだデビューから早い時期の短編を三つ収録したもの。

白河夜船ってことわざなんですね、
はじめてしったです。

目に映るものなどもふくめて、
こころの動きや揺れなど、
かすかなくらいのところをとらえるのがうまいなあと思いました。
ぼんやりしたものに無理に言葉を与えて、
強引に輪郭を与えないんですよね。

さてさて、
思うに、ひとの意識の持ち方って、
現実と自分をどうフィットさせていくかによって
変わってくるのではないでしょうか。
あの出来事、目の前のモノ、他人、などをはっきり分化するタイプと、
境界を曖昧にした比較的未分化な状態を受け入れるタイプ。
それで、後者は超自然性と親和性がある。

『白河夜舟』の三つの短編それぞれ、
未分化の川に浮かんでいるかのよう。
未分化ならではの、
時間や空間のはてしなさ・深さの上になりたつ物語なのかもしれない。
超自然性をただのオカルトと決めてしまうのは、
分化タイプのとらえ方ですね。
茫洋とした未分化さの視界に見えるのは、世界の得体の知れなさ。

このあいだ量子論的な意識の考え方を書いた本を読んだけれども、
さっき、「そういえば、手塚治虫の『火の鳥』にコスモ・ゾーン
というのがでてきたっけな」と思い出しました。
コスモ・ゾーンこそ、量子論的な意識のとらえ方かもしれない。
この場合の意識は仮に魂と考えてもよさげです。
手塚先生は量子論的な議論にも明るかったのかもしれないですね。

そんなコスモ・ゾーン的な、
なにか意識や魂というものをつなぐ
地下世界なのか天上世界なのかがあるようにして物語を編むのが、
吉本ばななさんってうまいのです。
わざと、そういった世界を作り上げるのではなく、
それは作家として、
それ以前に、ひとりの人間としての思想なんだと思うのですが、どうでしょう?

ぼくはけっこういろいろな本に比較的柔軟に対応できるタイプの
読書人だと自負しているところがあります。
まず、毛嫌いしません。
それでも、これは違うぞっていうものはありますが、
小説に関しては、編集者の力添えも強力なのでしょう、
だから、そんなにみょうちきりんなものは市場にでてこないと見受けています。

第一印象で、オカルトだ、と見えるものにも、
ちょっと何作か、時間をかけてひも解いていくと、
その豊饒ななにかに触れることができたりします。
ぼくは小さい頃はUFOだとか幽霊だとか好きだったが故に、
その後、アンチテーゼにはいって拒否反応を起こしがちですが、
こうやってほぐされていくこともあるなあ、と
今回の『白河夜船』で感じました。


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謹賀新年2018

2018-01-03 12:28:19 | days
あけましておめでとうございます。

年明けからゆったりと始動していきます。
5日にはちょっと買いものに出かけ、
6日から競馬のほうは馬券始めです。

年明けからまたそばを食べ、
あんなにたくさん作った旨煮も食べ尽くし、
雑煮も数の子も口取りも、
例年通りの正月らしいものは、一通り食べ、
一年がはじまるなあという気持ちです。

今年もいつも通りの運営をしていきますので、
どうぞよろしくお願いいたします。

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