Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『競馬の世界史』

2024-02-27 22:29:41 | 読書。
読書。
『競馬の世界史』 本村凌二
を読んだ。

サラブレッド誕生前夜どころか紀元前の競馬事情から2015年までの、日本を含めた世界の競馬の歴史を、総合的にたどっていく本。

競馬の逸話がふんだんにちりばめられている本です。それこそ「名馬とは記憶に残る競走馬」のテーゼがあるとしたらそれにしたがって、記憶に強烈に残るからこその競走馬そして競馬、というその魅力をさまざまなエピソードから伝えてくれています。

本書プロローグで触れられているデットーリ騎手による一日の総レースである7戦を全勝した出来事(マグニフィセント・セブン)を僕は知らなくて、レジェンドたるところのひとつの究極的達成がこういうことだったのか、とこれまで見つからなかったパズルのピースが思いもかけないところから出てきた、みたいな満足感を得るトピックでした。

今や名手・岡部幸雄元騎手の総勝利数記録(歴代2位)に迫る横山典弘騎手が若い頃にはデットーリ騎手をまねてフライングディスマウント(パッと馬から飛び降りる)をしていたくらいですから。昔はデットーリ騎手を前にすると日本の一流でもミーハーになるみたいなところはありましたよね(このあいだの日曜日のメインレース・中山記念を横山典弘騎手は見事に優勝されて、その口取り風景でなんとフライングディスマウントをされていました)。


さて、有名なサラブレッド三大始祖。バイアリーターク、ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアンの三頭ですが、彼らの逸話が興味深かったです。たとえば、ゴドルフィン・アラビアン。彼にはグリマルキンという、終生の友となった猫がいたんですって。絵画が残っているとのことでした。また、バイアリータークはバイアリー大佐のターク(トルコ馬の意)という意味合いの名なのですが、この馬はバイアリー大佐とともに戦場で反乱軍に囲い込まれたとき、卓越した敏捷性と凄まじいスピードで包囲を突破したのだそうです。最後にダーレーアラビアン。三白流星(脚元三つの足が、靴下を履いたかのように毛が白く、鼻筋にはすうっと白い毛が通っている見た目のこと)の容姿と、均整の取れた体躯をしていて、現代日本競馬いえばトウカイテイオーのような見た目です(トウカイテイオーにダーレーアラビアンの血が濃くでた、なんて考えてもいいのでしょうか)。ダーレーアラビアンは、ダーレーの一族の者がシリアで売買の交渉を持ちかけたのだけど拒否され、なんと盗んでイギリスに連れてきた馬だそうです。その遺恨のせいか、ダーレー一族の者が殺害された謎の事件があるのでした。


次に触れるのは、最初のスター騎手、フレッド・アーチャー。19世紀に活躍したイギリスの騎手で、「彼が騎乗すればカタツムリでも勝てる」と言われていました。騎乗数8000回以上でその1/3以上を勝利したのだからとんでもない勝率です。ただ、傷つきやすい性格で、愛妻が亡くなるとほとんど錯乱状態になったり、愛娘にも先立たれつらい思いをしたそう。減量にも苦しんで、よく体調不良に陥っていたらしい。そういった苦しみのためなのか、29歳のときに拳銃自殺を遂げてしまう。広く大衆に崇められていたそうで、肖像画の複製はよく売れ、彼の結婚式ではファンの群衆を特別列車が運んだのだと。伝説的人物です。


本書を読んでいると、たまに信じがたいほどにとんでもなく優秀なサラブレッドが登場します。エクリプスにはじまり、フランスから遠征してイギリス三冠馬になったグラディアトゥール、54戦全勝の牝馬キンツェム、種牡馬としてもかなり優秀だったハイペリオン、イギリスやフランスには劣るイタリアから生まれて世界の血統図を塗り替えたネアルコ、赤栗毛という珍しい毛色の馬で(ビッグレッドの異名を取ったそう)その強烈な強さからアメリカのアイドルホースとなったマンノウォー、二歳馬(まだ幼いデビュー年)のときから米年度代表馬となったセクレタリアト。

日本でもシンザン、シンボリルドルフ、オグリキャップ、ディープインパクト、アーモンドアイ、そしてイクイノックスと、とてつもないパフォーマンスを見せる馬がたびたびでてきますが、競馬ファンはそういう馬の登場に心を持っていかれてしまう。気持ちよく。寺山修司の「さらば、ハイセイコー」という作品の伊集院静さんの朗読によるものを僕は持っているのですけれども、ああいうのを鑑賞すると、競馬のドラマと泥臭さと華やかさと、あれもこれもが混沌と重なり合っている感じのなかに希望や挫折があって、人々は競馬にそういうところを見続けてきたんだろうか、と「我思う」みたいになっていきます。


でも、競馬には賭けがつきもので、人間は金銭にめがくらみます。イギリスでも昔から不正がはびこっていて、人気馬の脚を折る、毒を盛る、騎手を買収する、スターターを買収するなどなどの行為は珍しくなかったそうです。また、賭けたお金を持ってとんずらする業者も後を絶たなかったと。それでも訴えるわけにもいかず、泣き寝入りするしかない状態だったそうです。

現代の日本ではJRAがきちんとルールを作り、厳格・厳正に競馬開催していますけれど、それってすごいことなんだろうな、と本書を読むとその重みを肌身に感じることになりました。

競走馬のひたむきな走り、そして騎手の技、駆け引きに魅了されて楽しむ人が多くいる競馬ですが、そういった遊興の歴史を知ることもまた、レースをリアルタイムでみるように十分な娯楽たりえるものとなります。過去のこととなってもなお、僕らを驚かせ興奮もさせる競走馬そして競馬。人類は競馬なんていう、これを知ったらもう元には戻れないような大変なものをはるか昔に発明してしまったんだな、なんて大げさな感想を最後に持つに至るのでした。


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自己犠牲試論。

2024-02-26 11:54:22 | 考えの切れ端
昨日とあるサイトで、齋藤飛鳥さんが自己犠牲について語っているインタビューを読んだことがきっかけで、それからずっと自己犠牲について考えていた。元乃木坂46の齋藤飛鳥さんは、大江健三郎や阿部公房などの骨太な純文学作品を読み倒すような方だ。もちろん、主なお仕事としての多忙なアイドルグループ活動の経験をお持ちだし、彼女だからこその色濃い精神活動をなされてきた方だろうなあ、という印象を僕は持っている。

自己犠牲。他者のために、自らの時間や命など、自分にとって大切なものを相手に捧げるように使うこと。僕自身、在宅介護に携わっていて、他人事ではない行為であり、重くるしく感じる言葉だ。

自己犠牲を考えていくと、「二種類あるな」とまず思いついた。ひとつは、会社や組織、グループ、社会などのための自己犠牲。もうひとつは、他者個人のための自己犠牲。

さらに進めていくと、組織や社会への自己犠牲も、つきつめれば他者たちのため、つまりは人のためになる目的なのがわかってくる。なぜならば、それが「組織の存続」や「秩序の保守」がまっさきに考えられている自己犠牲だったとしても、そういった保守行為により組織や社会が守られることで、結果的にはそこに属してその恩恵を受ける他者のためになるというところに辿り着くからだ。

だけれど、その組織も社会も、当たり前だが完璧にできあがっているわけではないし、完全に正義であるわけでもない。そのような組織や社会を最優先に考えて、そこに人をあてはめていくといった考え方、要するに枠組みに人を当てはめていくものだとする考え方でいると、そのために無理が祟って磨り減っていってしまう人は多くなるだろうし、息苦しさは募っていくだろうことが想像できる。だから、人のほうに組織や社会を合わせていくように設計していったほうがいいな、と僕ならば思う。

そう考えたあとに、ぐるりと「自己犠牲」に立ち帰ってみる。組織や社会がどんどん人間を磨り減らしていく種類のものだったときに、そんな組織や社会のためにさらに自己犠牲をするのはどうだろうか。その自己犠牲が最後には他者のためになるようでいて、でもよく考えると、得をするのは組織や社会という枠組みであって、そこに当てはめられている人間たちはほとんど救われなかったりするのではないだろうか。

組織や社会のための自己犠牲が他の人々に届くぶんは、残り香程度だったりするかもしれない。完全にも完璧にもなり得ない組織や社会が、自己犠牲を吸い取っていく。

かたや、他者個人のために行われる自己犠牲はどうだろう。人から人へ、ストレートにその自己犠牲による働きかけが伝わる。組織や社会は介在していないのだから、残り香だけ届く、ということにはならない。

あとは、自己犠牲がどれくらいなされるかについても書いていおきたい。命をすべて投げうってまでの自己犠牲もあれば、比較的わずかな時間をその人のために使うという自己犠牲もある。自己犠牲だ、自己犠牲だ、と主張しても、他の多くの物事と同じように、そこにはやっぱり多寡があるのだ。

人から人への自己犠牲の場合、そうするほかにやりようがない要因・事情があるわけだけれども、そういった場合にこそ、公助や共助が差し向けられるべきなのではないだろうか。自己犠牲はできるだけ、無いほうがよい、と僕は思うからだ。

最後に。自己犠牲を考えたことがないっていう人はいると思う。彼らは他者への想像力に欠けていたりする。どうしてかというと、そういった価値観を基盤とする人は、利己的に、他者の時間も労力も自由もなにもかもを自分のために奪い取ろうとしてしまう、と考えられるからだ。自分自身の範囲でしかものを考えられないのだ。自己の欲望や利益ばかりに囚われての行動は他者にとって害になる。それも、ときによって致命的なほどに。

自己の欲望や利益にとらわれる人生の罠(市場主義経済の罠でもある)。それらに嵌まりきってしまった段階から頭一つ抜け出してもっと心地よい空気を吸うためには、つまりよりよく生きていくためには、自己犠牲をするときの心持ちを持ってみること、そういった経験を持つことは有効なのかもしれない。ここまで考えてそう気づくことになった。自己犠牲はないほうがよくても、そういった意味合いで、否定はできないし、拒絶するものでもないし、僕自身も自己犠牲はしてしまうし、なのだった。
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『話す力』

2024-02-21 19:50:13 | 読書。
読書。
『話す力』 イノベーションクラブ
を読んだ。

ビジネス面でのコミュニケーションに役立つ能力のひとつ、「話す力」の基本スキルをシンプルに教えてくれる本です。「1対1でも何を話していいかわからない」「話せるけどわかりにくい」といった初心者の方から、「相手の反応に合わせて話し方を変えられる」中級者を経て、そして「相手を共感・納得させられる」上級者にとってのおさらいまで、ほぼオールレンジの指南書でした。文字はかなり少なく、すいすい読めていってしまう快感もあいまって、楽しく学べると思います(ただ、話しが得意ではない理由が、緊張やあがり症であった場合は、本書の範囲ではなく、また別の処方箋を頼る必要があります)。

本書では、話す力の大筋に沿って、「シンプルしかけ」という簡単に行えるスキルもいくつか収録されています。これがなかなかおもしろかったので、少しだけご紹介します。

まずは、「イー10秒」という技。口角を横に広げて「イー!」と10秒続ける、これを何度か繰り返すと、商談でいい笑顔を使えますよ、というスキルです。よくしゃべったり笑ったりしていないと、顔の筋肉ってうまく動かなくなりますから、こういうストレッチ的な動作で、表情筋がほぐれるのでしょう。

つぎに、「うなっぴー」を探せ、というスキルを。相手の反応を見ながら話をすることは、話すスキルのなかでもまあまあレベルの高いところにあたるそうです。ただ、3,4人以上だとかの複数人を相手にして話すときには、聞き手の態度はそれぞれなので反応を読み取るにしてもばらばらな情報が入ってきて、話の仕方に困ったりしてしまう。そういうときは「うなっぴー」を探しましょう、とありました。たとえば5人を相手に話すとき、5人を順々に見ながら話をしていく。そのなかで、こちらの話に頷いたりしっかり聞いてくれているのがわかるような人がいると、その人を的にして話すとよいそう。

「うなっぴー」を探すには3つの利点があります。1つは、うなっぴーを探すことで全員を見渡せる。2つ目に、うなっぴーが見つかったときに自分の話を聞いてくれている人がいるとわかり安心が得られる。3つ目に、うなっぴーに的を絞り語りかけるように話すことで、より説得力のある話ができるのでした。

複数人の聞き手の中から頷いたり納得している風に話を聞いてくれる人を見つけたら、その人メインに話す方向へとシフトすることで、話すリズムが取れるともあります。これは「みんなに公平に」という気持ちでいると逆に要領を得ない話しぶりになるので、こういうふうに気をつけようというスキルですね(余談ですが、僕はこのうなっぴーにあたるらしく、講演や講習、講義でよく先生や講師と見つめ合っているタイプです。壇上に立つ人たちはこういう技術を知っているものなんですね。無意識的なものもあったかもしれませんけども。)

最後にもうひとつ。相手がこちらの話を聞いて「納得」してもらうことって、話をする目的の大事なひとつですが、相手が「納得」するためには、その話をする「理由」がはっきりわからないといけない。そのうえで、その効果やメリットがイメージできて、「その結果どうなるのか」もわかることが必要だとありました。そのための口ぐせとして「具体的に言うと~」を身に付け、そこから話を繋げていくことも、「シンプルしかけ」のひとつでした。

そのほか「シンプルしかけ」以外でのトピックを。お釈迦様の言った「人を見て法を説く」は「相手に合わせて話し方を変える」ことですが、上級テクニックまでになるとそういった工夫が必要だと書かれています。また、最上級テクニックは「沈黙を使う」ですが、これは話す力に自信があって場数を踏んでいて余裕がないとなかなか使えないかもしれないです。

トピックとしておもしろかったのは、ボディラングエッジのところで紹介されている「ケネディ・チョップ」です。頭上から手刀を振り下ろすジェスチャーで話をするケネディ大統領のVTRを見たことがある人はいらっしゃると思いますが、あの動作を「ケネディ・チョップ」と呼ぶそうです。ケネディ大統領はこのジェスチャーで、自分の強い思いを聴き手に伝えていた、とあります。たしかに、あのジェスチャーには断固とした強さが感じられます。

と、だいぶ偏った感想になりました。「です、ます」で短く区切る話し方のよさも書かれていましたが、これって文章を書くときでもそうだったりしますよね。あらためて噛みしめておこうと思います。


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『グランド・フィナーレ』

2024-02-19 22:04:46 | 読書。
読書。
『グランド・フィナーレ』 阿部和重
を読んだ。

第132回芥川賞受賞作。芥川賞作品だけれど、これ、売れなかったん違うだろうかと思いながら中盤まで読みました。なにせ、主人公がどうしようもないロリコン(実際に犯罪レベル)でDV加害者で薬物をやってたりする。世間からは視野の外に置かれるに違いない、恥ずかしい男を直視しないといけない作品だったからです。こういう作品を読むと、なんのために小説を書き、そして読むのか、読まれるのかという問いが急襲してきます。

作品はフィクションではありますが、現実で生きる感覚を失くさずに読書に挑めば、多くの人たちが嫌悪感を感じざるを得ないのではないか、と推察される。自分の気持ちや、僕の想像の範囲内での他者たちの反応を考えて言うことではあるのだけれど、なぜ皆、反射的にこういう男を見ないようにするのか。潔癖の裏に、自らの認めたくない暗部の存在を気取るのかもしれません。酸いも甘いも噛み分ける領域に爪先だけだとしても踏み入れている人なんかはそうなのではないか、とある意味でふっかけるみたいに、勝手に決めつけて考えてしまいました。

そこで再び、なんのために書いたのだ、と考えをこらしてみると、「こういった際どいモチーフを、空気を読むなんてせずに詳らかにしてしまおうぜ、それは好奇の目とはまた違った平常の目で見てみて、なにかを感じたり分析したり意味を考えたりするために。もっと言えば、なにより人間理解のためになるのだし」という動機がもやもやっとあって書いたのかなあ、と推察されてくるのでした。合っているかどうかは別として、僕としてはそういう気持ちになってくるのでした。



さて。二部構成のその第二部に入ったあたりから、比喩の使い方や「長距離大量輸送機関」などのわざと堅い表現を用いたりなどして、ただストーリーの記述をするだけになってしまわないような仕掛けになっていました。事実と解説だけではおもしろい文章になりません。そこに回想がまじったり、筋とは離れた出来事、たとえば、ノストラダムスに予言された90年代末を過ごしたときの人々(気にした人々は一部に過ぎないのだけど)を比喩のように使ったりなどして、作品の長い長い記述をカラフルにしたり凹凸をつけたり緩急をつけたりして、よい意味で読み手をくすぐり揺さぶり転がす。そうやって読み続ける目を離れさせない機能を持たせているのではなかったでしょうか。

では引用です。
__________

 同時に、今更ながらわたしは、ごく当たり前の常識かもしれなかった世の道理を突然に思い知らされたかのような気分に陥っていた。
 子供たちの時間の掛け替えのなさにふと思い当たることにより、わたしは深い自己嫌悪の念に襲われたのだった。わたしはその、子供たちの掛け替えのない時間というものを、自らの欲望と利益のために容赦なく奪い続けてきたわけだ。――美江や大勢の少女たちから。(p129)
__________

→主人公は秘かに児童ポルノ商品を製作していて、少女たちを性的に搾取してきました。なかには、性行為にまで及んでもいる少女もいました。この部分は第二部の中盤ですが、第一部の終盤で、「I」という女性から同じ意味合いの言葉で罵られています。主人公はそれを、この段になってようやく自覚するに至る場面でした。このあたりはこの作品の足を地につける役割でもあるのだと思います。「子供たちの掛け替えのない時間というものを、自らの欲望と利益のために容赦なく奪い続けてきたわけだ」という部分は、性的にじゃなくても、そうしている大人だとか親だとかはいます。スペインの画家・ゴヤの作品『我が子を食らうサトゥルヌス』に、なんだかイメージをダブらせてしまう箇所でした。

要するに、少女たちの人生を自らの欲望や利益のため収奪していた主人公が、児童ポルノの趣味がバレて離婚されるという自業自得の報いを受けながらショック状態になり、そのタイミングで主人公の所業を主人公とのたまたまの飲みの場で知ったIという知人女性がわざわざ主人公の行いやパーソナリティを再度確認しに宿泊先の一室にまでやって来て、その挙句、まともな言葉と論理で主人公を非難した、あるいは罵った内容が、幸運にも主人公の内面に鈍い一撃を与え、これまで疑いすらしなかった自らの在り様を支えるシステムを攪拌させる反応をもたらした。

少しだけ違う角度からの言い方をすれば、自分勝手な欲望による行動が他者にとってはどういう意味を持ったかを、過去にそういったことから大きな傷を受けた知人女性から非難されて主人公は「あれ?」と思ったのではないか。その「あれ?」が第二部では主人公の中で自覚として芽吹く。つれて想像力も発揮されるようになっていきました。

ここに本作のひとつのテーマを読むことができます。それは次のようなものです。欲望が他者への想像力を押しとどめてしまい、そういったことでの悲劇性を描いている。許されないことをして間もない主人公だけれど、変節できること、変節したっていいんだということ、そういった自由は希望であり救いだったのではないか(罪についての責任問題とはまた違うところで、このことは尊重されたらいいのではないのかなあ。社会秩序のなかでその枠組みに人間を当てはめると責任が最優先となるし、人間のほうへ枠組みをあてるのならば変節の自由というものは尊重されたらいい)。

二部構成の本作でしたが、第一部が、想像力を欠いた主人公の都市部での生活で、第二部は想像力を得るその瞬間を含んだその前後の、地方の共同体での生活の話になっています。もういちど言いますが、「想像力ってこういうものなんだ」っていうのがひとつのテーマなのではないか。想像力獲得前、想像力獲得後の話として、僕はまとめて考えました。

そして、ひとりの人間の生活としてとってみても、いろいろな位相があって、それぞれの位相に合わせた自分自身というものがあることも描いていると読みました。人間は多面体、と言われもしますが、生活自体が重層的にできていたり、場所によって性質が変わったりして、その都度、表に立つ「面」は変わりがちで、そういった意味合いでの多面体という意味を知れる作品でもあると思うところでした。

最後の1ページから感じられるのは、主人公の人生が芯の通ったものとしての本番がようやく始まる、主人公はそういう気構えを持つに至った、というものです。そしてオープンエンドを遂げますが、タイトルは「グランド・フィナーレ」でしたから、そこでひとつ終わらせたことがとても大きくて、そこにクローズアップしたタイトルになっているのかなと思いました。終わりは始まりであり、しかもグランドと付くくらい大きな意味を持つ終わりから始まっていくのかな、なんて。



他、「馬小屋の乙女」「新宿 ヨドバシカメラ」「20世紀」という三篇を収録。「馬小屋の乙女」はエロ要素の他に、それよりも色濃いシュールさとナンセンスさを感じました。僕が好きな和田ラヂヲ先生のギャグ漫画に通ずるものがあるような気がします。「馬小屋の乙女」と「20世紀」は表題作「グランド・フィナーレ」の第二部と同様に神町が舞台でした。余談ではありますが、ちょっと検索してみると、作者の阿部和重さんは、山形県にあるこの神町という土地のご出身だそうです。北海道民は地理や日本史に弱い、なんて高校生の頃に聞かされたことがありますがそれはほんとうにそうで、僕は神町を架空の土地だろうと思い込むところでした。今では自衛隊の基地があり、さらに検索すると自衛隊がらみのニュース記事がでてきたりします。

というところですが、本作は、中途半端には読まないでほしいなあと思った作品です。読むならば最後まで。合わないと思ったならば、すぐに止めるというように。「無理をして読み通したらほんとうに気分が悪くなった」だとか考え得るので、「だいたいのものを読めるよ」という比較的「猛者」にあたる読者、読むものによって気持ちが浮き沈みしがたい読者、そういった方々にはおすすめしたくなりますが、「ちょい危険」とは書いておきます。書き手になりたい人は読むべし。


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『くもをさがす』

2024-02-13 00:49:35 | 読書。
読書。
『くもをさがす』 西加奈子
を読んだ。

直木賞作家・西加奈子さんが、コロナ禍のあいだに乳がんに罹患しました。その治療の日々の、記録だけにとどまらないエッセイです。

ご自身の気持ちの揺れを隠さず綴っておられます。体調の悪さにひきずられて精神面も沈んでいく日々がある。それでももちろんユーモアを忘れることなく、ときに看護師たちの言動などに大笑いもしている。がんという重い病気に罹患することで、心境はぐらりと変わるし、人生観も変わっていく。そうすると、見えているもの聞こえているものへの解釈も、また以前とは違うものになったりする。

抗がん剤や放射線治療がこれほど大変なのだとは、恥ずかしながら知りませんでした。様々な恐怖や大変さが人生には必ずくっついてくるものだけれど、病気や薬によって身体が変化していき、そこに死の影が感じられるときのそれらには堅い覚悟が求められることが想像できます。死を感じるからこそ研ぎ澄まされるものがあり、それは死を受け入れ、人生を断ち切られてもそれを飲み込むための力になるものだと思う。望まないにしても、そうやって、死への心理的な準備はなされていくように思います。

ここからは印象的だった箇所をいくつか引用しつつ、感想を書いていきます(今回のレビューはとても長いです)。

__________

クリスティは、しばらく私の顔をじっとみた。そして、こう言った。
「ドクターはなんて言うてるか知らんけど、うちは、カナコがやりたいんならやっていいと思うで。もちろん、抗がん剤で免疫が下がってるから、感染症には気をつけなあかんけど、自分の体調を自分でチェックして、マンツーマンとか、出来る範囲でやったらええんとちゃう? 柔術とかキックボクシングだけやないで。好きなことやりや?」
私も、彼女を見つめ返した。
「カナコ。がん患者やからって、喜びを奪われるべきやない。」(p48-49)

__________

→こういう言葉をかけてもらいたいもんですよねえ。また、こういう言葉がふつうに発せられる世の中だったらいいのにと思います。苦境にいるあらゆる人が、喜びを奪われるべきじゃないんですよね。「人はパンのみに生きるにあらず」にも通じる考え方ではないでしょうか。



__________

(田我流&B.I.G.JOEの楽曲「マイペース」の引用より)
当たり前過ぎて俺ら忘れがちだけれども
人生はたった一回 一回しかないんだ
(p98)
__________

→僕は、「人生は一回」ってよく考えるのだけど、けっこうみんな忘れがちなのですか?! 長いか短いかわからないけれども、残り時間についても考えたりしますが、これって少数派だったでしょうか?



__________

それでも、街の雰囲気は依然、とてもリラックスしている。あくせく働いてヘトヘト、みたいな人を私はあまり知らない。金曜日は、皆午後になると飲み始めているし、残業している人もそれほどいない(LOCAL Public Eateryというレストランの看板には、「世界のどこかは午後5時」と書かれている。つまり、いつでも飲み始めていい、ということだ)。皆、ワークライフバランスや、クオオリティ・オブ・ライフを、とても大切にしている。
でも、それはもちろん、私が持っている特権がなせることだ。バンクーバーにももちろん、あくせく働いてヘトヘトの人はいるのだろうし、残業続きでメンタルに影響が出ている人もいるだろう。私は結局、私が見ることが出来る範囲のものしか見ておらず、見たいものしか見ずに済む環境にいる
(p105-106)
__________

→カナダと日本の国民性や社会性の違いについて書かれている箇所ですが、読んでいるとカナダのほうがまっとうで人間らしい生活なのではないか、と思えてきます。くわえて、日本社会は人よりも枠組み優先の性質であることが、際立って感じられてきます。とはいえ、これ以前の部分に書かれている、著者が病院にかかるようになったときの場面では、病院にかかるまでの大変さ、手続きのゆるさがおよそそのままの形で綴られていますし、このしばらく後の部分では、カナダでは病院でなかなか診察を受けられない事態になってくるのです。そういったものと生きやすそうに見えるこれらは、地続きであることを忘れてはいけないですよね。



__________

オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』の引用箇所より

僕たちは命を保持しようとする――もう体が持ちこたえそうにないと分かっているときも。僕たちはそれに食事を与え、体勢を楽にし、体を洗い、薬を飲ませ、背中をさすり、時には歌を聴かせる。僕たちがそういう基本的な部分で世話するのは、勇気があるからでも献身的だからでもなく、それが呼吸のように、人類の根幹にある行動だからだ。時がそれを見捨てるまで、体を支えること。(p127)

__________

→これは、自分で自分の体をケアする「自助」の行為としてでも読めますが、でもまずは家族や他人をケアしたり介護したりする行為について述べていることだと読めるでしょう。たとえば日本では、苦しい生活のなかでのどうしようもない口減らしのため、「姥捨て伝説」があったり、ヨーロッパでは小さな子どもを間引きしてきた残酷で悲しい営みが童話のなかに織り込まれていたりするといいます。それらは人間の営みの歴史という大きな布生地のほんの隅っこにできた黒い染みである小さな点のようなものではないかと思うのですが、昨今の欲望重視である世の中の空気としては、ともすると、この染みの部分こそが本物だと、倒錯した価値観が大声で語られやすくなっているような気がします。人間が軽んじられる、というように。この引用の文章は、そこを元に返してくれているような思いをもって読むことができます。



__________

バンクーバーにいる人たちは、皆とても体が強い。専門家にすぐにアクセス出来ない状況や、救急で何時間も待たされる経験から、彼らは一様に体をメンテナンスすることに重きを置いている。とは言っても、食べ物に気をつけているというよりは(もちろん、ものすごく気を遣っている人もいるが)、エクササイズや運動に力を入れている人が多いように思う。
やはり野菜の全くないピザにかぶりついている人や、それ何色? みたいな色のジュースをガブガブ飲んでいるカナダ人が屈強で健康でいるのを見ると、自分達アジア人の健気さに泣けてくる。出汁から取った味噌汁や、野菜をたっぷり使った料理を食べても、私は簡単にダウンした。(p148)

__________

→日本人が固く信じている「正解」が、どうもそれほど確かなものではないことに気付かされる箇所です。個人差はあるだろうし、人種差もあるかもしれない。さらに言えば、ある病気が発症するかしないかは、確率的なものもあるかもしれない。また、医療行為を受けないほうが長生きする、という逆説的事実も最近では「夕張パラドックス」として知られてもいますから、カナダ人が日本人ほど医療行為を受けないことで、健康の強さを保てている可能性もあるかもしれません(そうはいっても、カナダ人の平均寿命についてはわからないので、大きなことは言えないですが)。それでも、運動はよさそうだ、ということには気づけます。



__________

情は意志を持って、そして尊厳のために獲得するものではなく、気がつけば身についているものだ。目の前に困っている人がいれば、愛を持って立ち上がる前に、なんかもうどうしようもなく(あるいは渋々)手を伸ばしてしまっている。もしかしたら本人は面倒だ、嫌だと思ってしまっているかもしれない。もしかしたら自分の方が困った状況にあるのかもしれない。自分の居場所を譲るのは、本当は死活問題で、でも、もうそこにいる困った人を、どうしても、どうしても放っておけないのだ。
愛がいつも良き心、美しい精神からきているのに対して、情は必ずしも良き心や美しい精神からきているとは限らない。だから情は、それによって状況をさらに悪化させたり、時に人間を醜く見せたりもする。情に流されて悪事に手を染めたり、絶対に許すべきではない人を許してしまったりする。絶対に分かり合えない、顔を見たくないと思っている誰かの悲しげな背中を見た時にホロリとしてしまうのは情なのではないか。明らかな悪縁だと分かっていても断ち切れず、また手を伸ばしてしまうのは、情なのではないか。自分の手も傷だらけ、血だらけ、泥だらけだというのに。日本人の手は、情でしっとりと濡れている。そしてその湿度は、時に素晴らしい芸術へと昇華される。(p209-210)
__________

→前段に愛についての考察が述べられ、続くかたちで情についてこう述べられていました。在宅介護をしているとよくわかるところです。在宅介護中の僕はどうやら情で介護をしている。僕の場合はさらに「明らかな悪縁だと分かっていても断ち切れず、また手を伸ばしてしまう」のもけっこうあって、これはいけないなあと思うのですが、なかなか性格的に修正の難しいところでもあり、自虐的に「お人好し」と言葉を充てていたりもします。また、情が、どうしても手を差し伸べてしまう、というその性質の源のところには、もしかすると「寂しさ」があるのかなあ、という推測が生まれました。日本人の無関心な気質と寂しさとの、その間に情があるのではないかと、想像を巡らせました。


というところです。西さんは寛解を果たし「がんサバイバー」となりましたが、今のところ再発の不安からは自由になれないそうです。何かを背負うというか、ある意味で無条件の人生の自由という好天の下にいたのに小さくはない暗い雲も出始めたなかで生きていくことになったというか、読んでいると、もちろん僕も自分自身を顧みつつ読むのですが、こういった境遇に突入する人たちって一定数いるわけで、なってみるまでは「自分には関係がないことだ」と思いがちだけれども、やっぱりある種の確率でそうなるものである、というように腹が据わってくる感覚があります。

運がいいとか悪いとか、そういった次元で語られているうちは薄っぺらい人生なのだと思います。人生とはもっと、こう、何が起こるかわからないことが前提とされていて、起こったことに一喜一憂したっていいんだろうけど、できれば感情はもっと強くあるべきだと要求されるものだし、ときに感情を排して行動するべきだと要求されもする。真剣勝負で渡っていかねばならない時期や瞬間ってあるのだし、そういった経験ののちに持てた価値観が、それまでの価値観よりもずっと自らの信条としての揺るぎなさをもたらしてくれたり、ちゃんと世界に対しても通用するようなものだったりする。

本書は、なによりも著者・西加奈子さんが、真っすぐな言葉で病気と生の局面について伝えてくれました。読んでいていろいろと考えさせてくれましたし、やっぱりその姿勢を文章を通して眺めることが出来たのがいちばん大きかったんじゃないか。本書の中で、がんを患った人には、先輩がんサバイバーが寄り添ったりアドバイスをくれたりしていました。そこは本書自体が、そういった役割を果たせるところはありそうですし、もっと広い意味で、困難にある人や、これから困難に出合うかもしれない人に伝える、ひとつの在り方を読むことができる。多くの引用もあり、それらが援用的だったり、またちょっと違った角度からの視点を与えてくれていたりしました。そういったまるごとを受け止めて、できるだけのぶんを消化して、明日につながっていくようなスピリットが人によって差はありながらも醸成される。そういった力があるような一冊だと、僕は思いました。

著者 : 西加奈子
河出書房新社
発売日 : 2023-04-18

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もっと過ごしやすいX(旧ツイッター)の案

2024-02-07 20:47:57 | days
誹謗中傷の投稿、いじわるな投稿、攻撃性が強い投稿、追いつめる投稿などなど、SNSにはダークな面がある。

もっと過ごしやすいX(旧ツイッター)を望む人がどうやら多いようなので、雑ではあるけれどアイデアだけ言ってみる。

上位Xをまず作る。そこは、下位X(今のX)でたとえば5000ツイート以上した人のツイートをAIが分析して合格したら登録できる場所。AIには誹謗中傷や暴力的なポストはないかだとか考慮してもらう。ポスト削除数の多寡も大切な要素だ。下位から上位にあがるためのAI診断は某アイドルグループのオーディションみたいに数年に一度とする。このような関門を設けることで、一定の品性というか常識というかリテラシーというか、そういったものをあまりに持たない者に、「もうすこし精進してから挑戦してみてください」と敷居をまたがせないことができる。

下位ユーザーには上位ユーザーのポストにリプライやRPはできない、上位ユーザーには上位ユーザーにだけ読める設定のポストが可能、……などは例だけれどいろいろ細かいところを考えないといけなくはある。

Xの持つ開放性についてはこれまで並みの現状維持としつつ、これらの調整をやっていくものとする。

フォロー・フォロワー数を維持したまま下位にいられるし希望するならば上位に移れるし、というふうにする。ただ上位・下位システムができた時点で、フォローしていながらポストを見られないなどが起こる。さきほど書いたように、上位ユーザーには上位ユーザーにだけ読める設定のポストが可能だし、上位には下位からは絡んでいけない。それは皆が上位に行くと解消される。

下位ユーザーには、投稿の削除数を一週間に三つまでとするだとか、そういう制限を設けると荒れにくくなるのかもしれない。それに、上位に移ってしまえば、上位ユーザーだけでTLをにぎやかにできるので、比較的ちゃんとした利用者たちが嫌な思いをしずらくなるのではないか。

……というのをもっと細かく考えていくと、架空SNSとして小説に使えそうでもある。わあ~~っと考えてみるだけなら楽しい。
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ネットアングラ体験記 in 2000

2024-02-06 12:28:54 | days
遠い昔。この国の遥か果ての大きな都市、札幌の地で。


学生の頃、高価だったグラフィックソフトなどのソフトウェアがネットで拾えてなおかつそのシリアルナンバーも手に入れられた。アングラだったのだろう。中には、使ってみるとちょっと不具合のあるソフトもあった。今思うと、提供側がなにかをいじっていたのかな、と思う。2000年前後の時代だ。

僕のアングラ体験。きっかけはこうだった。当時僕が夢中だったアイドル・Mを、同様に好きな人とネットで知り合い、その人がそのアイドル・Mのファンサイトをこれから作るにあたって、そのアイドル・Mが出演しているCM曲を僕が耳コピーして作ったMIDIファイルを使いたい、という話があった。いつもWEBやIRCソフトでチャットしていた仲間のひとりだった。

そのうち、その人からいわゆる割れ物ソフトがたくさん収録されたCDが送られてくる。なんでも使っていいから、と。でも、そのなかでもこのグラフィックソフトを使って自画像的キャラクターを作って欲しい、とのことだった。その人が作るサイトのひとつの部屋を僕に割り当てるとのことだった。

僕はそのソフトで怪物みたいなキャラクターを描き、その人が当時としてはかなり画期的なフラッシュオンリーのサイトでアニメーションにして使った。もちろんそのページでは、僕が作成したMIDIファイルが流れている。

そのサイトは完成することなく、記憶はおぼろげだけど一般公開されなかったかもしれない。当時のパソコンの性能ではフリーズしてしまうようなサイトだった。その人はもともとふらっとチャットスペースをたまに訪れる人だった。今思うとアングラの危険な人物だったのかなと思う。自称中華屋だった(ラーメン屋だったかな?)。

その人から送られてきたCDには、当時としては先端だったMP3形式の音楽ファイルも多数入っていた。B’zがやたら多くて、「B’z好きでしょ?」なんて言われて、僕は好きでも嫌いでもないような感じだったのだけど、「好き」と答えた。

当時の学生たち、Win98が普及してパソコンやインターネットはマストだ、と迫られた世代だけど、そういった割れ物ソフトを無条件に使ってしまいがちで、すごく危険だったな、と今は思う。なかには、雑誌付録の辞書CDの、検索が3回までなんてものをバイナリエディタで制限解除してしまう人もいた(のちに東大生になった)。

そういう時代と空気の中、ナップスターなんかが出てきた。ふつうの感覚ででてきたんですよ、ああいうものは。僕はMP3エンコードソフトは使ったけど、不特定多数とやりとりしたり提供したりはしなかったなあ。自分がDTMで作った曲をMP3にしてたほうだ。

……昔話でございました。
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答えを創ろう!

2024-02-05 11:08:04 | 考えの切れ端
身近な人に、これから述べるような感じの人がいるから考えた。

「物事には正解がある」という考え方でいると、答えが見つからないときに、「誰かが正解を知っていて、そういう人と出会えば正解を教えてもらえる」というような態度になりがちだ。たとえば「人生」なんていう難しい問題に対してもそうで、誰かに教えてもらえないと、「答えがないから考えても無駄なんだ」となるときだってある。

「誰も教えてくれないし、正解が存在しないようだから考えても無駄なんだ」なんて考えは、キツい言い方かもしれないけど、甘えであり子供じみてもいると思う。答えがわからない物事に対してだって、自分なりにいろいろ考えて、ほんの一歩であっても答えを創っていくものじゃないかなあ? クリエイティブがあるかないか、はこういうところにも関係する。学校では正解ばかり求められてきたけど、学校でも授業じゃなくて生活面ではそうじゃなかったでしょ?(そう考えると、学校で「優等生」とカテゴライズされる人は正解を求める態度が染みつきそうで、その後大変なのかも)

また、答えが出ないような問題の答えが誰にも教えてもらえないとなったときに、自分で考えるしかないのだけど自分で考えようとしない人は、誰かの言うことを信じたがっていたりする。もちろん、考えていくことのが難しいことだって多い。考える手がかりや足がかりすらわからない場合もかなりある。そういうときに、本を手にとる人も多いのではないか。ただ、本を対話相手として自分の思考を鍛えていく手段とするのか、本の中身を信じる対象とするのかは人それぞれだ。後者は信じることで安定しようとする(宗教の意味のひとつはそういったところにもありそう)。

「自律した自分」という状態は幸福感とも大きく関係しますが、そういった自分の生をキープしていくためのひとつには、答えが出ないことを放棄せず、そして答えを求めて誰かの言うことを妄信せずにいること、ではないか。そういった姿勢を取ることに耐えられない人は、不安の強い人だ(まあ、誰しもそういうところがあるとは思いますが)。わからないことを留保しておく。そうしておいても不安定になって乱れない。そんな「勇気」が大切なのかもしれません。
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『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』

2024-02-02 11:33:04 | 読書。
読書。
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 坂本龍一
を読んだ。

2023年3月28日に亡くなられた音楽家・坂本龍一さんが口述筆記によって書かれた自伝です。2009年に発刊された『音楽は自由にする』の続きに位置づけられる、最晩年の活動の様子を知ることができる一冊です。

江戸時代の貴族は月を愛でて酒を嗜んでいたそうなんだ、と本書序盤で坂本さんが述べています。音楽って不愉快な思いを忘れていられる、ともある。本書の題名の『あと何回、満月を見るだろう』とそれらの発言を、僕は重ねてしまいましたね。「ぼくはあと何回、素晴らしい音楽を得ることができるだろう」みたいにだって、ちょっと強引かもしれないけれど、読めてしまうじゃないですか。

坂本さんは2014年に中咽頭ガンが見つかり、それから闘病生活に入られていますが、その放射線治療のつらさが綴られています。7週間に及ぶ放射線治療の5週間目には、あまりのつらさのため坂本さんが涙ながらに「もう止めてくれないか」とドクターに懇願したことが明らかにされていました。ガンは中途半端に叩くと勢いを増し、逆襲してくるので駄目だと言われて、残りの治療も続けたそうですが、口腔内はただれ、治療が終わってからもふつうの食事がしばらくとれなかったようです。しかしながら、その5年後にはガンが寛解とみなされるほどまでに回復します。

そういった苦しい時期でも、『レヴェナント』をはじめ、数多くの映画音楽のオファーを受けられていますし、高谷史郎さんらとのインスタレーションなどやコンサートを多数されている。音楽そして芸術を仕事として、ガン治療と療養期以外は仕事から離れることなく、人生を太く駆け抜けられた印象を持ちます。闘病中も、体調が思わしくない時期でも、旺盛に仕事に向かわれている。また、「人はパンのみに生きるにあらず」などというキリストの言葉が引用されている箇所もあり、物質的な面だけじゃなくて精神的な面も同じくらい大切だ、とする坂本さんの感覚がくっきりと知れるところもありました。

そんななか、本書では坂本さんの昔話もあるのです。若い頃(70年代)、麻雀がしたくなると、いっしょにいる大貫妙子さんに加えて、電話で山下達郎さんに「来ない?」と連絡。すると、達郎さんは実家のパン屋から軽トラを運転してすぐにやってくる。さらに伊藤銀次さんも呼んで、ひたすら雀卓を囲んでいた、と。三徹もザラだったそうです。

芸大の授業はサボっていましたが、、腹が減ると大学に行って学食の前にクモの巣を張り、知った顔をみつけたら「ちょっと食わせてくれない?」とたかってた、ともあります。かつ丼が90円の時代だったそうです。(世の中で否定されがちな、人生のこういうゴロツキみたいなところを、もちろんその苦味込みでですが、僕はもう少し肯定したいほうです)

そういう部分も含めて、坂本さんには、「はぐれガキ大将」という感じがします。そういうふうに見える一面がある。ガキ大将的に傍若無人で腕力でものを言わせるような猪突猛進なところがありますが、大勢を囲って支配的になってのし上がろうとするのにはちょっと不器用に過ぎるようにも見えるのでした。だから、「はぐれガキ大将」なのです。

傍若無人さでいえば、たとえばポルトガルで観光案内してもらっていたとき、坂本さんは観光が嫌いで、あげく渋滞に巻き込まれてしまい「I hate sightseeing!」と言い放って車を降りて歩いて帰ったそうなんです。ガイドを務めていた人が、坂本さんが帰国するときに空港でワインを一瓶、お詫びの品として贈るのですが、坂本さんはそれを、手を滑らせて床に割ってしまう。しょうがないところはあるんですが、こういうふうに他人の気持ちを踏みにじってしまうようなふるまいが他にもあり、坂本さん自身悔いていました。

こういうのもあります↓
__________

若い頃には、多摩美術大学で東野芳明さんの持っていた授業にゲストとして呼ばれたものの、当日の朝まで飲んでいて八王子まで行くのが面倒くさくなり、ドタキャンしてしまったほどのひどい人間ですからね。(p163)
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ただ、こういうことを隠さず本書では言ってしまっています。老年になって、じぶんそのものを以前よりも公に対してさらけだしているように感じられます。まあ、もともと虚栄的ではないように見受けられる方ですが。

あと書いておくべきは、MRプロジェクト(p234あたりです)。VRより上位の技術で、坂本さんの演奏がデジタルで記録されていて、坂本さんがいなくても、同じ演奏を再現できる技術です。このデータが残されている限り、音楽家・坂本さんのパフォーマンスは永遠に残ります。

巻末、本書の坂本さんの話の聞き役だった鈴木正文さんによる「著者に代わってのあとがき」では、坂本さんの最後の数か月についての様子が綴られています。とくにその後半部分などは、涙無くして読めなかった。

僕は小学校高学年の頃から坂本さんの音楽に傾倒していたので、武道館でのオペラ上演『LIFE』を含め、何度か坂本さんのコンサートには足を伸ばしてきました。CDは100枚以上買いましたし。坂本さんは亡くなられましたが、彼の音楽、思想、価値観、パーソナリティなどに、これからも僕は反抗を感じたり、共感したりしながら、たぶんずっと彼と格闘を続ける、といように影響を受け続けるのだろうと思います。

坂本さん、ありがとうございました。
あらためて、黙祷を捧げます。


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