Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『有頂天家族』

2019-01-30 02:38:53 | 読書。
読書。
『有頂天家族』 森見登美彦
を読んだ。

京都を舞台とした、狸と天狗と人間(そして半天狗と)の物語です。
大人物だった親父を亡くした四兄弟の狸。
かれらのうち一匹とて親父のような豪傑然とした狸はいない。
堅物で詰めの甘い長男、
やる気のない次男、
遊び人の阿呆者である三男。
まだまだ子どもの半人前、四男。
そんな彼らのうちの三男、矢三郎を主人公として、
天狗の赤玉先生やその弟子である弁天などとの関わりが
すなわちそのまま物語になっています。

いやあ、面白いですよ。
愉快なエンターテイメントです。
こんなにおもしろいのってあるんだ!というくらいに想像を超えておもしろい。
そして、七章あるうちのひとつひとつがそれぞれでおもしろいのに、
全体として繋がっていくストーリー、伏線だとかの謎ときが
うまく繋がるんですよね。
書き手としては、楽しくもなかなか大変だと思います。
でも、それが醍醐味なんでしょうね。

舞台も作者の育ちも京都ですけども、
登場人物たちが本心をみせずに会話を繰り拡げ、
でもそうやって本心を伝えあっている(わかりあっている)のが、
京都らしさなのだろうと思いました。
まさに秘すれば花なり、のありかたで、
それが根付いている土地なのかな、なんて。
住んだこともないので「そうとわかった」なんて
言えませんが。

どうやら続編があるようなので、
それもそのうちに読んでみようと思います。
すっごいよかったです。


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現実世界での小説というポジション

2019-01-24 21:16:00 | 考えの切れ端
今回は、小説っていったいなんなんだろう?
というありふれた疑問について、
僕なりに考えた、そのヒントになるような考えを述べます。

で、いきなりぴょんと飛んで、数学の話になるんですが、
みなさんは虚数って覚えていますか?(まだ習っていない方もいらっしゃるかも)

虚数は、想像上の数で実際の数ではないとされます。
でも、数学で役に立つ概念。
Wikiによれば、
「2乗した値がゼロを超えない実数になる複素数」
となっている。
なんのことかよくわからない人はけっこういそうです。
要は、実際には存在しない数であり、
想像の中だけの数なんだそうです、そのままとらえれば。

そんなわけで、虚数は、発見されてからしばらく、
こんなものは必要ない、使えない、なんて考えられていた。
しかし、「虚数が存在する」と仮定して考えると便利だったり、
虚数を用いることでやっと簡単に理解することができたりするものに気付くようになった。

僕は数学が不勉強のためくわしくはわかりませんが、
ちょっと調べると以上のようなことがわかります。
もっと知りたい方は検索してみてください。

それで、虚数とまるで同様なものが小説世界にもあるなあと思い当たる。
小説世界に、
いわゆるスピリチュアル的な要素や
ファンタジックな要素で物語を構築する種類のものがあるのは、
それらがまったく現実的ではないけれども、
それでしか人が癒されないものがあるからです。
力量のある作家は虚数的にそういった要素を上手に使って物語を編む。
夢の世界で繋がるだとか、テレパシックな要素だとか、
いろいろあります。

さらにいえば、
小説という種類の存在自体が、
現実世界に対して虚数的な存在と言えなくもないかもしれないですね。

小説は想像上のもので実際のものごとではないけれども、
小説を読むことで、現実世界の難しいところを
比較的簡単に理解したり見通せたりする場合はありそうです。
そして、さっきも書いたように、小説でしか癒せない問題もあるでしょう。

現実というか、社会というか、僕らを取り巻く環境や運命って複雑で、
理解を超えている場合がたくさんありますよね。
そういうものに翻弄されても、
小説という「架空のもの」・「虚構のもの」を用いることによって、
腑に落ちるものへと昇華してくれたり、
説明をつけてくれたりします。

だから、僕なんかはこう思いました。
「もっとみんなで小説を読んでいこうよ!」と。
小説なしで生きていくには世の中はフクザツに過ぎませんか。

虚数に思い当たったことで、
そんな考えの切れ端が生まれたのでした。
街に出ることも大事ですが、
まったく虚構に触れないことって、
人生にとっては危なげだしとてもアンバランスなのでは、
ということでした。
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『大人の学校 入学編』

2019-01-12 21:20:02 | 読書。
読書。
『大人の学校 入学編』 糸井重里・淀川長治・野田秀樹・川崎徹・荒俣宏・天野祐吉
を読んだ。

1991年頃にテレビ東京の深夜に放送された番組を書籍化したものを再編集した本です。

まず、糸井重里さんが言葉とはどういうものなのかについて語る
「イトイ式コトバ論序説」からはじまります。
言葉未満のもやもやしたものを「名づけること」で言葉になる、
なんて僕なんかは若い頃から考えてきましたが、
糸井さんの場合はそのあたり、
名づけられてもいないものたちだって言葉の素なんだ、と考えます。
言葉という概念がでっかいんですね。
だから、言葉未満のものとして言葉と区別しちゃいがちなものの、
いっしょに言葉を作っているものとして仲間として扱う。
そこは非常に面白い考え方でした。
くだけた感じの話の流れなのに、アカデミックなものを扱っている感じで、
知的興奮を覚える内容です。
たぶん、フーコーあたりもふまえて、
40歳をちょっとすぎたくらいのこの頃の糸井さんは講義したんですね。

続いて、もうけっこう前に亡くなられた、
映画解説の巨人である淀川長治さんが「美学入門」の講義をします。
映画を例にして、「愛」や「粋」について語ってくれる。
そしてそれがちょっとした都会論になっていくのです。

次に、演劇の野田秀樹さんが
「非国語」の講義をします。
こちらは、糸井さんのコトバ論とは趣がちょっと違う。
「素コトバ」と「汚コトバ」を軸に話を進めてくれる。
「素コトバ」とは言葉と意味が実直に、一対一で結びついている言葉で、
書き言葉はこちら。
「汚コトバ」とは話言葉で、第三者が聴いても意味がわからなくても
会話する二人には通じるような言葉。
「素コトバ」は伝え、「汚コトバ」は感化するという特徴があります。
このあたりも、深く見ていくと非常におもしろい分野なんですよね。

次は、川崎徹さんの「無意味講座」。
意味と無意味ってなんなんだろう、と見ていく。
意味のなかに無意味があるのか、無意味のなかに意味があるのか。
どういう構造になっているかをみていったりする。
また、先生は広告屋さんですから、もっとも広告的な講義になっています。
この講義も、非常に、表現ってものを考えるときに重要な内容になっていました。

最後に、荒俣宏さんの「図像論」。
これを読むと、美術の鑑賞の仕方がわかります。
西洋美術は「見る」よりも「読む」ことでわかるだとか、
美術にうとい僕なんかには教えてくれるものが山のようにあります。
たとえば、魚はギリシャ語で考えたときにはキリストの寓意になる。
当ブログのタイトル、「Fish On The Boat」なんて、
小舟に乗ったキリスト、みたいに解釈されてもおかしくないんですよね。
たまに、イタリアやドイツや、
いろいろな外国からアクセスが急増するのはそのためかもしれない……。
それはそれとして、本講義の最後では森永やグリコなどの商標も扱います。
そこまでの理路が深かったし、商標の章もおもしろかったです。

天野祐吉さんは主宰という立場で講義はされていません。

どの講義もエキサイティングで、
80年代からこの時期くらいまでの
こういう、知を巡る熱い投げかけと受けとめ、って好きですね。
今はこんなに熱く自分の考えている分野について語る人っていないし、
そういう場もないですよね。
あっても、マニアックなところへ行っちゃっているというか、
間口が狭くなっている。
わかる人だけわかればいい、の
わかる人のターゲットが本当に少ない領域に絞られてしまっている。

それはいいとして。
いろいろ示唆に富む内容でした。
まさかっていうくらい、ここまで知的に楽しめる本だとは思わなかった。
得られたものも大きかったです。
都会論のところは、淀川さん、川崎さんをいっしょに考えることで立体的になり、
これは次の創作に役立てていきます。

いやあ、よかった。


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再開できる運びに

2019-01-10 17:17:55 | days
こんにちは。

先日、休眠すると告知したばかりですが、
中古のディスプレイを購入したので、
パソコンが使えるようになりました。
よって、ブログも再開いたします。

画面がとっても黄色っぽいのですが、
文章を書くのならば問題はないです。

というわけで、
お騒がせいたしました。
今後ともよろしくお願いいたします。
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休眠のおしらせ

2019-01-07 10:53:52 | days
こんにちは。

今朝、パソコンのディスプレイがこわれてしまい、
画面が黒いままでなにもできなくなってしまいました。

今はタブレットでアクセスしていますが、
長文を書くのは大変なので、
しばらく、当ブログは休眠いたします。
先日、今年の抱負を述べたばかりなのに、
すぐ先の未来もわからないものですね。

そういうわけですが、
すみませんが、ご了承くださいませ。
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『才能を磨く』

2019-01-06 00:19:11 | 読書。
読書。
『才能を磨く』 ケン・ロビンソン ルー・アロニカ 宮吉敦子 訳
を読んだ。

邦題がよくないですね。
表紙に書かれている、「Finding Your Element」と、
そのサブタイトル的な「How to Discover Your Talents and
Passions and Transform Your Life」
のほうが断然しっくりくる内容です。

つまり、才能を磨くためにどうすればいいかではなく、
自分の持っている素質、才能を見つけよう、
そして見つけたら追求しようというスタンスについて書かれています。
自分にあったものを見つける、それを見つけた状態が、
「エレメントにある」と著者は表現しています。

「エレメントにある」ことがなぜ大事なのか。
著者自身や他者の経験談、心理学などに基づいた説明をしながら、
人生論や幸福論に繋げて証明していきます。
ときにエクササイズの名の元、
エレメントを見つけるために読者に自分を分析させるページが出てきもします。

プロローグから「エレメントは」なんて文章なので、
最初はスピリチュアルな本だったかな?と疑ってかかったのですが、
読み進むにつれてそうではなく、
レトリック的でもある上手な表現なのがわかります。

本書で述べられるエレメントとは、
僕がよく書いたりする、
「他律性を嫌い、できれば自律性でもって生きる」
ことも含まれていると思いました。
人のいいなりになって生きていかないこと、
お仕着せを拒否すること、
そういったことが幸せに繋がるという僕なりの幸福論ですが、
著者が述べているいろいろな角度からみる幸福へのスタンス、
エレメントのスタンスとはとても似ていました。

たとえば、引用でこのような言葉があります。

「幸福とは、人生はすばらしく、
生きる価値があるという感覚と結びついた喜びと充足感の経験である」

また、没入感、フロー体験といった、
時間を忘れて物事に打ちこむ状態も幸福感にあることが述べられていて、
これは若い頃に読んだヘッセの『幸福論』にも書かれていたことだし、
納得して読んだことを思い出しました。
そして、そこにも、お仕着せではない自律的な行動ゆえに
得られるものなのがわかると思います。

それと、本書のいいところは、
障壁があってもエレメントを探せるし追求もできることを
きちんと書きしるしているところですね。
言い訳にしてしまうようなことがあっても、角度を変えて見ること、
またその障壁に制限されてしまっても100%圧迫されるものではないこと、
そういうことをあらためてわからせてくれました。
こういったことは、自身で自身に言い聞かせはしますが、
他者の理知的な言葉で聞かされると効果が違いますよね。

とまあ、いろいろ書いていってネタバレしてもしょうがないので、
このへんにします。
一回限りの人生ですからね、生きてるなあという感慨を持ちたいものです。
また、輪廻転生を信じる人であっても、
しっかり生きないと来世に生まれ変われないともいうじゃないですか。
徳を積む、人生修養を積む、そうしなさいといいますよね。
そう考えたときに、エレメントにある人生を送れたならば、
しっかり生き切れたことになるでしょう。

良書だったので、ぜひおススメしたく思います。
年始まもない時期から良いものとの出合いが続いて嬉しいです。


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『漫画 君たちはどう生きるか』

2019-01-04 01:10:35 | 読書。
読書。
『漫画 君たちはどう生きるか』 漫画:羽賀翔一 原作:吉野源三郎
を読んだ。

ここで紹介するには珍しく、漫画の読書です。
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の漫画化したもので、
その原作は、乃木坂46の齋藤飛鳥ちゃんがこの漫画版が出る前に、
どこかで推薦していたのではなかったかな。

とても好内容でした。
主人公コペル君は優秀な中学生で、
いろいろな発見をするような人、
それも哲学的だったり社会学的だったりすることをよく発見する。

人間は自己中心的なものじゃないこと、
そしてほとんど意識はされていないけれど、
たとえば一つの製品に関わる人が大勢いるなど、
みんなが社会的に繋がっていること、
そして自尊心が大事なこと、
などなど、
オトナの僕が読んでも、背骨を矯正されるように
自分の歩く人生の道をふらふらあみだに歩いていることに気付かされます。

もともと戦前の小説で、
対象とされているのも、当時中学校に通えるくらいの財力がある中で、
さらに富裕層に位置し、
そしてしっかり勉学に励み自分の性質を磨くことも忘れないような
(あるいはその予備軍)、
立派になろうとする子に向けたもののように感じました。
しかし、現代になって本書を掘り返してみれば、
ターゲット層として考えられる層は、
当時より貧困がやわらぎ義務教育が進んだ分もっと広範になり、
ほぼ誰が読んでも考えさせられるようなものになっていると思います。
だから、こんなにヒットしたんでしょうね。
でもまあ、戦前の本らしさがありますね、
精神の下劣な連中みたいなのには容赦ない態度みたいで。
そういうところはご愛嬌だし、いろいろ読む人ごとに考えればいい話。

本書に書かれていることが実に新鮮で、
加えて本質をついていることに驚かされるのですが、
せっかく何十年も前に発表された良書であっても、
コモディティ化しなかったことを
吉野源三郎氏は天国で悔やんでいるかもしれない。
今この機会にこそ、本書の内容が理解され、共感され、
広く知れ渡ればいいなあと思いました。

まだ読んでいない方はぜひぜひ。
おすすめです。


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『本人遺産』

2019-01-03 11:56:35 | 読書。
読書。
『本人遺産』 南伸坊 写真:南文子
を読んだ。

南伸坊さんがいろいろな有名人本人になってしまうシリーズの一冊。
ページを繰るたびに、
「なんでこんなに似てるんだ」と衝撃みたいなものを受け、
そして瞬時に笑える、という楽しいシリーズなんですよね。
若い頃に、文庫版の『歴史上の本人』を読んで、
こんなに痛快な本があるのか!
と、とても嬉しくなったものです。
それ以来、また機会があれば読もうと思っていました。

写真だけのページもあれば、
本人になりすましたエッセイ付きのもあります。
そのエッセイがまた本人の独白と他人のなりきりの、
独白よりのちょうどよいポジションにいるような感じがして、
さらに本人への批判が無いがためにおもしろく読める。

本書に並んでいるレパートリーは、
ざっと約80人。
2016年発行で、ちょっと忘れかけていて懐かしい、
当時は旬だった人も載っていますが、
その当時が旬でも、まだまだ魅力を放射している
たとえばプロ野球の清宮幸太郎選手もいます。

一年の始まりの初笑いというか、初愉快にもってこいですよ。
素人芸的な発想から始まって、
ここまで高くなった芸、という感じがありますが、
これはまったくエンターテインメントですねえ!

著者 : 南伸坊
文藝春秋
発売日 : 2016-08-30
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謹賀新年2019

2019-01-02 22:12:14 | days
あけまして、おめでとうございます。

平成最後の数カ月を含めた2019年になりましたね。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

遠い目をして言いますが、
こないだミレニアムって騒いでいたと思ったらもうそれから19年経ちましたか
(……だとか、こんなことを言うのはけっこうな歳を重ねている人ですってば)。

さてさて、
本ブログは今年も平常営業の予定です!
昨年は64冊の感想のような書評記事を含めて70回以上は更新したはずです。
ほぼ同じようなペースの更新頻度にしたいと思っています。
できればもっと、という理想はあるのですが、なかなかむずかしいです。

そんなわけですが、
本ブログをよく訪れて頂いている方、
お茶もお出しできませんが、
またご贔屓にしてくださいませ。

初めて来たよ、という方、
ぜひぜひ楽しんで言ってくださいまし。
そして、またのご来場を願っております。

___________


今年はまた短編などの創作文章(小説)を書いていきます。
ここ何年かは夏場に観光業の仕事をして、
それ以外の期間に執筆しているのですが
(家での母の介護がありますし、介護抜きにしてももうこっち道と決めた)、
働いている時期にもできれば筆を取り(というか、キーを叩き)、
もっともっと書いていこうと思っています。
送付したり発表したりするもの以外のものも書いていきます。
1年間で総量にして500枚いきたいなあと。
そんな調子で、そのうち、
年1000枚いけたらシメシメといったものなんですよね。
質と量の両方をあげていきたい。
小説以外の文章、たとえば本ブログの記事やツイッターなんかを含めれば、
プラス200~300枚くらいにはなるんですよね。
文章鍛練にはなっていないかもしれないですが、
それでも言語化するという行為を毎日しているのは強みになると思っています。
どうか、応援いただけたら嬉しいです。

と、正月から僕の文章を最後まで読んでいただいてありがとうございます。

2019年、みなさまに幸多き年となりますように。
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