Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『結晶アラカルト』 最終話

2011-02-19 07:00:00 | 自作小説
それからしばらくまさみとは会わなかった。
会わなかったというよりは、気持ちの整理がついていないがために会えなかったのだ。

その間、こんな夢を見た。

僕は小学生で、真夏の林の中にいる。
周囲には友達もたくさんいる。
目の前には樫の木がそびえ立っていて、どうしてもその木に登りたくなって登り始める。
枝から枝をつたって、下も見ずにどんどん登っていく。
友達はみんな見ているだろうか?
僕の勇気に目を見張ってはいないだろうか。
登れるところまで登って、さぁどうだと下界を見下ろせば、豆粒みたいなみんなは僕にかまわず鬼ごっこをしている。
きゃあきゃあ騒いでとても楽しそうだ。
僕は「おーい!」と呼びかける。
声は届かない。
また「おーい!」と、もっと声を張り上げる。
だけれど、誰も気付く人はいない。
「おーい!おーい!おーい!………」

寂しさを通りこし、悲しみがやってきた。
とたんに喉の奥に小さなブラックホールのようなものが生じて、精気とでもいうべきものをどんどん、しくしくと吸いこんでいく。
少しずつ力が抜けていった。
枝に、つかまった手が、かけた脚が、わななく。
血の気すら、ブラックホールに吸い込まれていっているようだ。
そしてついに、地面に吸い寄せられるように、抜け殻のようになった身体が落下していくのがわかった。
力の源泉ってなんなのだろう、ということについて考えるひまもなかった。
意識が薄れ、真っ暗闇になる。
小さく、名前を呼ぶ声がした。
あぁ、夕飯の時間なのだ、家に帰らなきゃ、と思う。
心配をかけてはいけない、僕は良い子なのだ、と思う。

ブラックホールは、いつしか消滅していた。
多くのものを剥ぎとり吸いこんで、消え去った。
暗闇の中で、それを感じていた。



冬の寒さが今年はいっそう身にこたえる。
あれから僕は、会社と自宅の往復だけで過ごした。
たまの休日も部屋にこもって考え事をしたりぼうっとしたり、本を読むこともなければ映画を見ることも音楽を聴くこともなかった。

そんな日々が2週間ほど経過したころ、まさみからのメール着信があった。
最近音沙汰がないことを気にかけてくれた内容だった。
そして、今度一緒に話をしようという誘いが書かれていた。
あれからかなりの時間が経過したせいか、僕はまさみに会うことが怖くなくなっていた。
僕はとりあえずは自分を見つめる目を養うことができたようだ。
そのことだけでも、まさみに報告したい気持だった。

あくる夜、白楽館という落ち着いた雰囲気の喫茶店でまさみと落ちあい、話をした。


久しぶりにまさみの姿を見られて嬉しかった。

「元気だった?」

「元気よ、和馬くんは大丈夫?わたし、このあいだちょっときついこと言っちゃったから気にしちゃったんじゃないかって気にしてたの。連絡もないし」

「ごめんごめん。冬眠してたんだ」

「やっぱり冬眠するんだ、クマっぽいって思ってたけど」

「ちょっと臆病なところもクマっぽいかもな」

「またまた、柄にもないことを」

そう言って、まさみはからからと笑った。
そして、軽く咳払いをしてこう続けた。

「そうそう、あのね、あなたが結晶と呼んでいたもののことについて考えてみたの。たとえば、極端なところで言えば…、赤い花を見て、素敵だなって思う人もいれば、不気味だなって思う人もいるわけでしょう。そうそれぞれ決定づけて思うことが結晶なんでしょう?それと同じで、ある人の容姿だとか行為だとか言葉だとかにだって、人はそれぞれの印象を持つと思うの。それこそ、アラカルトって感じで」

「なるほど、結晶アラカルトってわけか」

「和馬くん言ったよね、人の一つの印象から、それこそ一事が万事みたいに全体の印象が作られてしまうって。それはやっぱり、そうしてしまっていることを自覚するべきだと思ったわ」

「うん、そうだよね。まさみが言った、アラカルトっていうとらえ方はすごくいいと思うな。自分の感覚で相手の印象を選んだんですってことが、一段階、外在化してわかることになるでしょ。…とかっていうと、わかりにくいよね、えーと、結晶アラカルト」

「だいたい、イメージはわかるから、いいよ」

穏やかにそう言ってからまさみは続けた。

「でも、良かった。和馬くん、思ったよりも元気そうで。それに、さっき、ごめん、って言ったでしょ。前はそういう言葉でてこなかったもんね。あの日以来、いろいろ考えさせちゃったかな」

「うん、いろいろ考えたんだ。等身大の自分ってやつを意識し始めたのさ。僕はたしいたことのないヤツで、そういうヤツは不遜な態度で身を滅ぼすことを知ったわけ」

ホットココアの甘さが、まさみとの打ち解けた雰囲気をより際立たせる。
まさみはホットラムチョコレートを飲んでいるが、彼女もまた、このテーブルに漂う温かくて甘い雰囲気を強く感じていることと思う。

「そうやって態度を改めてくれたのって、そこまで私を好きでいてくれていることだって受け止めて良いんだよね?」

まさみは少し表情を引き締めて、僕の返答に重みがあるかどうかを確かめる準備をしている。

僕はそのままの感情をこめて、

「僕とつきあって欲しい」

と言った。

まさみは躊躇しなかった。
笑顔で、すっと右手を差し出してきて、僕は嬉しさにまごつきながらも、その手を握り返した。


僕は誤解を恐れないがために、いろいろなものを無意識に近いところで誤解をすることになっていたようだ。
誤解することから自由だという気持ちが、自省の念を忘れさせた。
まさみとのこれまでのやりとりで目が覚める思いがした。
彼女は美人なだけではない、しっかりと本質を見つめられる素晴らしい女性だ。

その後、僕らはたびたび会い、笑いあい、意見を交換しあい、いろいろなものを見て、たまには口論もした。
でも、お互いを尊重する気持ちを忘れていない。
雲が風に乗り、雪が降り、太陽や月が昇っては沈み、星たちは瞬いた。
そんな日々を流れる、時間というものが、なんだか急に僕らの味方についてくれたかのような気がしたのだった。
なぜって、時間の流れの中から得られた充実が、まるで時間を忘れさせるものだったからだ。
僕らは、お互いについて考え、話し合う時間を十分にもちながらも、時間の長さに飽きることも、短さを疎むこともしなかったし、焦りもしなかった。
時間というものからアラカルトした結晶が、そのようなものだったのだ、僕らはお互いに。

そんな時の流れから、いくつかの考えを得たのだが、それはこのようなことだ。
好きな者同士でも、別個の人間同士。相いれない部分、わからない部分、好みの違いがどうしてもでてくる。
そういったときに、すぐさま拒絶感をもたないことが大事なのだ。
自分自身が絶対なのではない。
自分というものがかけがえのないものならば、相手もかけがえのないものなのだ。わかりあうということは、そういうことを踏まえることなのかもしれない。



僕らの雪融けから一カ月。
ようやくこの街にも雪融けがやってくる時季になった。

そんな折、突然、彼女が交際一カ月のお祝いだとしてプレゼントをくれた。
くれたのは、なんと、バカでかいクマのぬいぐるみだった。

「なんでまた…」

あまりの巨大さとその唐突さに僕は絶句した。

まさみははしゃぎながら、

「あなたが冬眠するクマさんだったから、今があるんじゃない」

と僕の頭をぱしぱし叩き、

「嬉しい?」

と訊くので、やっと我に返った僕は

「嬉しい」

とクマを受け取った。
クマはちょっと目が離れすぎていて、間抜けな表情にみえないこともないのだが、それも愛嬌なのだろう。
こうやって僕らの交際を演出してくれるまさみに感謝した。

「で、お返しは?」

いたずらっぽくまさみが言う。

「キスは医者に止められてるんだ」

「オードリー・ヘプバーンの映画にそんなセリフがあったね」

そういって彼女はふふふと笑った。

「そう。君が喜ぶと思って言ってみたの」

「じゃあ、ただ言っただけ?ほんとにキスしてくれるんじゃないの?」

「クマは唇が無いから、ぺろぺろ舐めるしかできないんだけど、それでいいかな?」

「そんなこと言ったら、誤解されるよ!」

そう言って、彼女はやさしくキスしてくれた。


僕らはどのように、お互いからアラカルトしたのだろう。
夢中だったので、そのことについて僕はよく覚えていない。
でも、確かに、場面場面で、自分の意思で彼女からアラカルトした結晶があるのだ。
その小さなたくさんの結晶が、二人の絆を強めた。
しかし、気をつけなければいけない。
この幸せの急成長期に考えたくはないことだけれど、所詮、結晶はアラカルトしたもの。
数学の答えのように絶対なのではない。
そこを面白く感じるか、不安に感じるか。
きっと、どちらの気持ちも忘れてはなるまい。
妖しい結晶もあれば、美しい結晶もあり、脆い結晶もあれば、硬い結晶もある。
それとて、僕次第であると同時にあなた次第なのだ。


【終】
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『結晶アラカルト』 第二話

2011-02-18 07:00:00 | 自作小説
まさみは僕より五つ年下で、二十三歳の公務員一年生だ。
整ってはいるものの派手さとは縁が無い顔立ちをしているが、もしかするとこの街で一番の美人かもしれない。
それは派手さとは違った輝きで、すれ違う人をハッとさせる魅力をこの人は持っているからだ。
大きいわけでも、睫毛が長いわけでもないその眼は、やや気だるげだがとても澄んでいて、ちょっと大げさではあるけれど、森羅万象すべてに肯定された存在のように感じられる。
その眼に象徴される彼女の顔のつくりの存在感、そこが、人をハッとさせるのだと思う。
彼女は去年、大学を卒業し、故郷のこの街に帰ってきて、僕と知り合った。
僕は幸運な男だ。

僕はまさみに好意を持っている。
しかし、残念なことに、素敵な眼を持った彼女でさえ、知りあって以来、僕を誤解し続けているのだ。

どうやらまさみは、僕と出逢う以前から僕の名前を知っていたらしい。
彼女の、中学での友達の兄が僕と高校の同級生で、僕が彼とともにある夏、補導されたときの話を聞いていたようだ。
なんのことはない、ただの夜遊びだった。
スーパーの敷地で花火をやらかしたので大騒ぎになったにすぎない。
やれケンカだの、シンナーだの、無免許運転だの、そういった不良まがいのことには、憧れた時期はあったにしても、手を出していない。

最初から邪なイメージがついてしまった。
ちゃんと彼女の許可を得て煙草を吸ってみれば、「ねえ、いつから吸ってるの?」と訊ねられ、「20歳からだよ」と答えても、訝しげな眼をちらりと向けられ、そのあまりの一瞬さゆえにエクスキューズの余地がない。

また、仕事の失敗談を多くしすぎたせいか、どうも低能と思われているきらいがあり、「わたしは大卒、和馬くんとは違うの」と、小憎らしいことを言ったこともある。
もちろん、冗談めかしてではあるが、埋めようのない溝のようなものをそこに感じたものだ。

大概、二人で会えば楽しく過ごせるのだが、そういう場面がちらほら起こる。
そこが僕は気になっている。

でも、僕は誤解を解こうとはしない。
いや、まさみに関して言えば、誤解はおのずと解けるものだと思っている。
僕はまさみに好意を持っている。
彼女の眼に映る僕の在り様は、きっと日を追うごとに変化していくだろう。
僕は見ようによっては、それほど複雑な人間ではないからだ。


土曜の夜にまさみからメールがあった。
明日の氷像まつりに行けそうだ、という返事だった。

ちょうど、昼間に亜依子さんと交わした、『誤解』に関する議論を思いだして、反芻していたところだった。
“単に生きるのではなく、善く生きる”とは、よく言ったものだと恥ずかしくなった。
そして、昼間に考えた誤解に対する『信頼』の役割にもうひとつ重要なものが含まれていることに気付いた。
自分の見え方を『信頼』して、誤解が生じてしまうことと、他人の言うことを『信頼』して誤解が広まってしまうことと、もうひとつ、それは、対象になる相手への『信頼』の過剰あるいは欠如だった。
信頼が足りなくて薬にならない、多すぎて毒になる。
まさみは果たしてどこまで僕を信頼しているのだろう?


日曜日も土曜日に引き続いて、冷たくてもやさしい晴天に恵まれた。
真冬の晴れの日は、放射冷却現象で、底冷えが著しい。
氷像祭りがおこなわれている湖まで、約1時間のドライブ。
まさみは濃紺のタートルネックの上に水色のダウンジャケットを着て、ウールの手袋をはめ、ぴったりとしたジーンズを履き、「さむい、さむい」と車に乗り込むなり身をかがめた。
時間通りに家の前まで迎えに行ったのだが、待たせては悪いと、彼女は15分も前から玄関先に立っていたらしい。
楽しみだったのもあるけどね、と頬をピンクにしたまま、まさみは笑顔になった。

車内ではお互いが好きなPerfumeやくるりを聴きながら、それぞれ何年も前に訪れた氷像祭りの思い出を語りあい、わかさぎの天ぷらは絶対に食べることを決意しあい、サッカーとフィギュアスケートについて、批評的かつ好意的に、話をしあった。

氷像祭りの会場には多くの人が来場していた。
さすがに熱気は感じられないが、どことなく安心感がある。
まさみは竜の氷像の虜になっていた。

「これどうなってんの?ヒゲすごくね?」

たしかに、彼女の言うとおり、どうやったらこんなに
くねくねとした竜を氷から彫れるのかがわからなかった。
細かな鱗模様のつけ方も熟練している。
そしてヒゲなどは、あとからつけ足したんじゃないかと思われるほど、特徴的に、天に向かって逆立っていた。

僕とまさみはすべての氷像を鑑賞し、甘酒を飲み、わかさぎの天ぷら蕎麦を食べ、素直にこの催しを満喫した模範的な観光客であることを認めあった。

帰りの車内では、あの氷像は別のものに見えただのしゃべりあい、太鼓を叩いていた青年部の男性諸氏がふんどし一丁だったことに喝采をおくり、そして、いつしか、僕は誤解について関係のある話を持ち出していた。

人は、増殖する。
人は、すれ違った人の数だけ存在する。
という話だった。

「友達のAは、僕の部屋が散らかっているのを見て、だらしのないヤツだと僕のことを見ているだろうし、上司のBさんは、僕が電話で応対するのにあたふたしてろくにしゃべれないのを見て、落ち着きのない緊張しいだと思ってるだろうし、出勤の時に駅で毎日すれ違うOLの人は、僕の後ろ髪がいつもそり返っているのを見て、朝に弱くて時間が無いのねって思うだろうし、そういった、一面でしかないものから、僕の全般的なイメージが持たれやしないかな。要はさ、それぞれ関わる人たちの数だけ自分ってものが存在するって言いたいわけ。いろんなふうに思われる自分が無数に存在するってことなのさ。ある意味、それって結晶なんだよ。無限に結晶が生まれていく」

「それにしても、どの和馬くんもしょうもないね。和馬くんってそんなにイケてなかったっけ?」

と彼女は楽しそうに笑った。

「そう、僕はイケてないの」

と、僕は不機嫌さを抑えて、無機質に言った。

まさみはさらにあはははと笑い、その後、車内には少しの間、沈黙が訪れた。
僕は考えている。
どうやって、まさみが僕に誤解を抱いていることを気づかせようかと。

不意にまさみが口を開く。

「高校のころね、好きな先輩がいたんだ。その人、和馬くんと同じくらいイケてなかったんだけど、男くさいところに惹かれたんだと思う。ストイックなのとはちょっと違うのかもしれないけれど、他の男子と違って、その人は群れないの。登下校はもちろん、オフの日だってね、一人で映画を見にだとか行っちゃう。だからって友達がいないってわけでもないのよね。ちょっとそういうのが不思議に思えた。で、私その人に近づいたんだ」

まさみから恋愛感情の話を聞くのは初めてだと思いながら、うん、とあいづちを打った。

「そしたらさ、私、なぁんもしゃべれないでやんの。あ、とか、ええと、だとか言ってもじもじしちゃって、最後にごめんなさいって言って逃げちゃった。なんなんだろうって笑われちゃうよね。自分に自信がなかったからだといえば、それまでなんだけど、つまりはその人に誤解されるのが怖かったってことなの。今でも言葉を使うのに四苦八苦するっていうのに、十代なんて輪をかけてまともにモノが言えないじゃない。へんなことを言って誤解されないかな、ってそれが不安だったと思うんだ。誤解を恐れると、何も言えなくなっちゃう」

なるほど、と彼女の話がすっと腑に落ちた。
それじゃ、いつも僕がずけずけと彼女に話しかけるのを、彼女は自分に好意を持っていないから誤解を恐れる必要が無いんだろう、なんて考えていやしないか心配になった。

「あのね、まさみ…」

言うのと同時に、僕の鼓動が速く打ちはじめた。
僕は不安を感じ始めている。
誤解を避けないでいよう、気にするものかと頭ではわかっていても、心ではやっぱり怖気づいてしまう。
まさみが今言ったように、口に出そうとする言葉が、誤解への恐れを前に溶けて消えていく。

まさみは目を伏せながら言う。

「なんでこんな話をするかっていうとね。わたしへのあなたの好意がわかるから。それでいて、誤解を恐れない勇気を持っていることもわかってる。でもね、あなたはきっと、わたしの態度からこう読み取っているはず。僕を誤解しているって。誤解があるからあなたに対して一定の距離を置いているわけじゃないんだよ。わたしはあなたの欠点を見ているの。あなたはちょっと尊大すぎるところがあるよ。どうして、ごめんとかすいませんとかがなかなか言えないのかなぁ」

僕の心臓は、その瞬間ドクッと強く打ったのを最後に、平常の脈拍に戻った。
尊大すぎるところがあるっていうのは、まったくもって誤解じゃない、たしかに思い当った。
今日だって、まさみを迎えにあがるのに、20分前には彼女の家に着いているべきだったかもしれない。
それができなかったどころか、15分も寒気の中に立っていたまさみの負担をも考えなかった。
僕は誤解というものに気を取られすぎ、そしてなんでも誤解のせいにしていた。
誤解のせいにすることで、僕は謙虚さを忘れ、誠実さからそっぽを向いた生活をしていた。
胸がチクチクと痛んだ。
甘い幻想を勝手に作り上げて、そこに逃げ込みたい気分だった。


外は薄闇が迫っていた。
光は人を励まし、闇は人を慰めるものだ。
夕焼けが僕の肩をぽんと叩いてくれたような気がした。
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『結晶アラカルト』 第一話

2011-02-17 07:00:00 | 自作小説
「部長まで帰っちゃったねえ。もう事務所に5人しか残ってないじゃん」

コーヒーの入ったカップを両の手のひらで抱えながら、亜依子さんが言った。
人の少ない小さな事務所に満ちた空気は、普段よりもいっそう濃く感じられるはずなのに、希薄だ。

時刻は、午睡の誘惑にかられる、午後1時10分。
窓の外は晴天。
しかし、この時刻であっても、日差しはどこか黄色く、低いアーチのピークを過ぎた太陽が、真冬の雪景色を冴えざえと照らしている。
そして、30分もあればバラの花束をカチカチに凍らせてしまうであろう氷点以下の世界を、いっそう冴えわたらせていくようにも見えてくる。

僕はコーヒーに落とした砂糖を、カラリと音を鳴らしてスプーンでかき混ぜた。

「大体、土曜日なんて問屋が休みなのに、なんでウチは営業してなきゃならないんですか。日曜と同じで、当直を立てれば十分じゃないっすか」

亜依子さんに文句を言ったって始まらない。
その退屈さが自制の感覚を鈍くし、普段は眠っている、とげとげしい性分をむくりと起き上がらせてしまう。

でも、茶色すぎるショートの髪が、彫の浅い顔立ちとちょっと不釣り合いな亜依子さんはやさしく返してくれる。

「ほんと、なんでなのかねえ。休みでもさしつかえないだろうに。でもね、きっと今に、人件費の関係で土曜日も休みになるよ。あれか、近野くんは、土曜の稼ぎよりも休日が欲しいのか。そうだよね、若いもん、遊ぶ時間が欲しいか」

そういって彼女はニヤニヤ笑いながらコーヒーをすすり、

「そうだ、近野くんは彼女いるの?」

と、興味がありますよ、とばかり目を見開いて訊ねてきた。
亜依子さんとプライベートな話をすることは珍しい。
公私峻別の彼女であっても、その退屈さが、恋バナ好きの素のモードを起動させることになったようだ。

「彼女っていうか…、まぁ、仲の良い女友達レベルならいます」

首をひねりながら答えたせいか、亜依子さんは、何かあるぞ、と踏んだようで、身を乗り出して私的モード全開になってきた。
そして、

「なに?二股とかかけてるんじゃないの?どっちを彼女にしようかな、なんて考えているところだったりして。近野くんってそういうところありそうだよね。なんか、石橋をたたいて渡るみたいなね、慎重に、間違わないように事を進めそうなタイプに見える」

と、僕が話のレールに乗っかったと判じて、いつになく生き生きとして亜依子さんは言った。

「いや、それは誤解ですよ」

僕は苦笑して弁解したが、反面、どう思われようが構うものかという気持ちが強くなっていくのを感じていた。

僕は身振りを交えて滑稽に、誤解によって毒の杯をあおって死んだ、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの話をした。

ソクラテスは、天衣無縫に自説を説いて回ったのだが、当時の一般の価値感覚ではその考え方を受け入れてもらえなかったどころか、憎まれ、敵視されるという誤解をえて、ついに裁判にまで持ち込まれ、そこでも誤解され有罪となり、成功したであろう逃亡をさえ試みることなく、「単に生きるのではなく、善く生きる」という生き方を貫いて、毒杯を受けた人だ。

「ね、誤解ってするもんじゃないでしょう」

熱を込めて話しすぎ、息を切らしてしまったので、そう言ってぐっとつばを飲み込み、呼吸を整えようと努力した。話したことが空回りしていないことを祈る。

そこで業務課の3人が事務所を出て行った。
先輩格の徳山さんが、絵に描いたように真四角な顔で「ちょっと俺ら、作業してくっから」と言い残して。

「二人だけになっちゃったよ。電話も来ないしねえ」

僕と亜依子さんはともに総務課の経理担当。
六年先輩の彼女には、経理の初歩からずっといろいろ教えてもらっていて、頭が上がらない。
だけれど、頼れるアネゴ的性格の彼女なので、僕は安心して、元気いっぱい、生後二カ月半の子犬のように、よく彼女に戯れる。
むろん、言葉でだ。

彼女はさきほどの誤解の話を頭の中でいろいろな角度からつつき回し、考えているようだ。

ほどなくしてこう言った。

「今の、“誤解”の話だけどね、ソクラテスは死ななきゃいけなくなったでしょう。だからね、誤解されるようなことは怖いの。できるだけ誤解の生まれないようにしていかなきゃね。そう思わないの?」

それに対して、僕は、

「いや、この話の教訓は、誤解をしてしまった側にあるんじゃないですか。自分がソクラテス、つまり相手を誤解をしていないかどうか、自らに問いただすような姿勢に欠けていたことを反省するべきであって、自分が誤解されるかどうかを気にするべきじゃないと思います」

と言った。

亜依子さんの顔が、パソコン入力をしている時の無表情な顔に近くなってきた。
意見の相違があり、それは外の世界のように冷たい。
まだ結晶が貼りつくほどではないにしても。

近世に名をはせた偉大な日本の芸術家は、「誤解を恐れず、自ら誤解を招いて背負っていけ」というようなことを言ったことを亜依子さんに説明した。
彼は孤高の芸術家で、晩年は、テレビに出れば人々に笑われるようなキャラクターを見せてくれた人だった。
その「笑い」も、きっと僕らの誤解から生じたのだろうけれど。

また、ある作家は、誤解されたところでその人の本質は変わらないのだから気にするものではない、とエッセーで発表したことも説明した。

そこで亜依子さんは、なに、近野くんって誤解博士なわけ?と、ちょっと顔をゆがめてふざけはしたが、またふっと思索にのめりこんでからこういってくれた。

「それはちょっと…。世間はそんな考え方をしていないと思う。一つの視点でね、その人を見て、ある見え方がしたからだとか、それから、その人がほかの人にあれこれその見え方、独断でものをいって、言われた人がそれを信じてしまってっていうことが一般的じゃないかな。見えたこと、聞いたことが誤解だったりするのかな、なんて疑わない人が多いよ、きっと。わたしだって、あ、そうなの、って見たり聞いたりしたものを
そのまま信じてしまいがちだな」

もっともな意見だと思った。
この誤解の生じかたには、『信頼』が関係しているようだ。
自分の見え方を『信頼』して、誤解が生じてしまう。
他人の言うことを『信頼』して誤解が広まってしまう。
『信頼』なんて、かけがえのない善い気持ちであるはずなのに、まかり間違うと『信頼』の影に苦々しい気持ちを生んでしまう。

「でも、思うんですよ。いちいち、一つずつ誤解を解いていこうなんてしていたら、誤解を解くことだけで一生が終わってしまうんじゃないかって。そりゃ、上手に悪いイメージを持たれずに生きている人だっていますよ。そうだ、誤解っていったって、良いイメージに誤解されていることについては、あんまりとやかく言いませんよね、それって、フェアじゃないような気がしますね」

あくびが蔓延してもおかしくないはずの時間をうまく利用できているようだ。
僕はこの議論を楽しんでいた。
亜依子さんをやりこめようという悪魔的な気持ちから楽しんでいるわけではない。
彼女は頭の良い女性だし、先輩の威厳を保とうともして、精一杯に僕の考えについて思いを巡らせて言葉にしてくれる。
それがわかるから楽しいのだ。
だから、有益な話し合いになるんじゃないかという予感もしていた。

「身に覚えがないのに良く思われるのだって気持ちが悪いけれど、身に覚えがないのに悪く思われるよりは誰だってましじゃない?結局は、生活していくのにその誤解が障害になることを怖いと思うわけでしょう。良いイメージの誤解よりも、悪いイメージの誤解のほうが、生活を不安定にするって」

いちいち、もっともだ。
そんなもっともな返答を得られて、僕は「わん」と彼女の脚にじゃれつきたくなる思いがした。
そして、足を甘噛みする代わりに、少し意地の悪い言葉が口をついて出た。

「つまり、世間に期待していないってことですね。世間はアホだから、勝手に誤解して、怒ったり笑ったりして、そのイメージで扱ってくるものだってことですね。そこを亜依子さんのように怖れるか、僕のように気にしないかが別れるところで」

一気にすらすらと言えたために、意地の悪さが強調された感があった。

「近野くん、きっと苦労するよ」

彼女は、形になってふわふわとそこに見えるんじゃないかというくらいのため息まじりにそう言った。
僕は、あきれられたか、とイスから腰を浮わつかせて弁解するように、

「さっきも言いましたけど、みんな、自分自身が周囲に対して誤解を持っていないかどうかを十分に気にするべきです。あいまいだったり断定的すぎるものだったりを信じない努力をするべきです。ともすると、ゆるぎない根拠のように見えるものさえ、本質から外れていたりもするでしょう。100%断定して考えないことが大事なんじゃないですかね。そしてそれが、ソクラテスが言う“単に生きるのではなく、善く生きる”ことでもあると思うんです」

と、一生懸命、挽回するようによく吠えた、いや、結んだ。

「ソクラテスかー…。なるほどね、自分に対する誤解を気にしない、相手に対して誤解がないかをいつも気にする、それがあなたの姿勢ってわけか。わからないこともないけど…。そういう考え方が広く知られるといいね。わたしはまだそこまでは踏み切れないけど、あなたの意見は頭に入れとくわ」

そう言って、亜依子さんは、残ってる伝票の打ち込みをやってしまう、と言い、パソコンに向かって気分を転換するようにこぎみよくパタパタとキーをたたき始めた。
それはまるで僕との議論の内容とは正反対の軽快さで、気持ちが良かった。



そんな僕は、まさみに誤解され続けている。
それも、根本的な部分でだから、ややこしい。
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