リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

死者何人

2011-03-02 11:52:34 | オヤジの日記
地震や災害などが起きると、必ず「死者○○人」という文字が大きく躍る。

それは、果たしていいことなのか、とひねくれものの私は考える。

数字で、災害の悲惨さを訴えたいのだろうが、数字を目にしただけで納得してしまわないだろうか。

本来なら、公にすべきことはたくさんあるはずなのに、それが数字に隠れてしまわないだろうか。

地震の規模を伝えるとき、マグニチュードという単位を使う。
震源地と深さも教えてくれる。
これは、わかりやすい。

そして、専門家が出てきて、ナントカプレートとナントカプレートが接するところで、大きな歪みが生まれて、大地震が発生しました、と説明してくれる。
これも、わかりやすい。

おそらく、誰もがわかる説明手法だと思う。

あとは、その地震がなぜ大きな被害を及ぼしたかも必要だろう。
崩れたビルの耐震強度は、どうなっていたのか。
救援隊は、規定どおりの素早さで来て、被災者を救ったのか。
ライフラインはどの程度被害を受け、復旧の見込みはいつになるのか。
政府や自治体の対応は、適切だったか。

いろいろ報道しなければいけないことがある。

しかし、センセーショナルに「死者何人」と書くと、そこですべてわかった気にならないだろうか。

「大変だ」
「地震は怖い」

そこで、終わってしまわないだろうか。

同時多発テロのとき、「死者何人」という報道が終わると、なぜか救助に携わった消防隊員がヒーローになった。

職業としての消防隊員を無理やりヒーローにする手法というのは、アメリカが抱えている対外問題の目を逸らそうとしているとしか、私には思えなかった。

政府とマスコミが手を組んで、ヒーローを作り上げ「アメリカの団結力」を示すために、世論を誘導したのではないか、と私は今でも疑っている。

だから、「死者何人」という報道は、何か大事なものを隠すために、誰かが情報操作をしているのではないかと、私は邪推しているのだ。


ただの邪推。

ひねくれものの邪推。