酒の席には、色々な話がある。
昨晩、同業者3人と酒を飲んだ。
私が一番年上、あとは30代2人と20代1人。
その中の一人が、「『トイレの神様』で泣きましたよ」と言った。
その歌を私は8小節しか聞いたことがない。
CS放送の音楽番組でPVが流れていたのだが、毎回8小節程度聞いたらチャンネルを変えることを繰り返した。
まったく興味をもてない歌というのが、誰にでもあると思う。
私にとって「トイレの神様」が、それだった。
心に届かない。
だから聞く気がしない。
ただ、それを聞いて感動して涙する人を私は否定しない。
「へー」と答えるが、感動した理由は聞かない。
面倒くさいからだ。
「そう言えば、EXILE、落ち目だよな」というやつがいた。
それは、ただ新曲を出していないから、あんたの目に触れる機会が減っただけじゃないのか。
私は、EXILEも聞かない。
CS放送でPVが流れたら、すぐにチャンネルを変える。
おそらく8小節も聞いたことがないと思う。
なぜ聞かないのかは、言わない。
フアンの方に申し訳ないと思うからだ。
好きな人は、好きでいいと思う。
私は、それを否定しない。
テレビに頻繁に出ていると、売れていると錯覚する。
だが、その人がたまたま休養に入っていて、テレビなどの露出が減ると「落ち目だな」と思うせっかちな人がいる。
しかし、その人がCMに何本も出ていると、実際の仕事はしていないのに、「売れっ子」だと思われる場合がある。
そして、たいした女優さんでもないのに、CMにたくさん出ているだけで「まるで大女優」という扱いをされる人がいる。
たとえば、それはFノリカさんのことを言っているのだが・・・・・。
「Mさん、嫌いなんですか」と聞かれた。
いや、嫌いではありません。
興味がないだけです。
「もっと、たちが悪い」
3人が同時に言った。
「ところで、上野樹里なんだけど・・・大河ドラマ見たけど、あれじゃまるで『のだめ』だな」
30代の同業者が言った。
そのご意見は、ネットで見かけたことがある。
私は上野樹里が出ている、そのNHKの大河ドラマをBS放送で一度だけ見たことがある。
「本能寺の変」の回だった。
随分と色気のある織田信長だな、と信長役の豊川悦司を見て思った。
では、江姫役のヒロイン、上野樹里はどうだったか。
私には「のだめ」には、見えなかった。
「のだめカンタービレ」は、映画版を観たことがある。
上野樹里と玉木宏は、適役だと思った。
彼らを選んだプロデューサーは、すごいと思う。
「のだめ」の配役は、この二人しか考えられない、と思わせるほど二人は役になりきっていた。
素人考えではあるが、役者さんが「はまり役」に巡りあう確率は、そんなに高くはないのではないだろうか。
多くの役者さんが、「はまり役」を得ずに終えるような気がする。
それを思うと、「はまり役」を得た役者さんは、幸運な人なのだろう。
ただ、その結果、役の残像現象にも惑わされると思う。
そのイメージがあまりにも強すぎて、見る側が「はまり役」を思い浮かべてしまうのである。
だから、あんたは「のだめ」の残像現象を見ているんだよ。
それは、上野樹里が悪いんじゃない。
悪いのは、あんただ。
あんたの脳が残像を消しきれていないからだ。
そんな私の力説に対して、同業者は「Mさんは、上野樹里のフアンなんですか」と聞いてきた。
いや、俺は、柴咲コウだ。
私がそう言うと、「ああ、柴咲コウって言えば、たしかドラマで『オレンジなんとか』だったっけ?」とマヌケな顔の同業者(オレンジデイズだよ、バカ)。
「いや、『大奥』で、クサナギと共演していたよ」ともうひとりのマヌケ顔(大奥はニノミヤ君。クサナギ君は黄泉がえりだ。しかもあれは、共演したのは竹内結子だ、バカ)。
「柴咲コウって言えば、ホラ、ホラ、なんだっけ・・・・・? 思い出せないな。う~ん、柴咲コウに代表作なんてあったっけ?」と強烈なマヌケ顔。
きさまら、俺を本気で、怒らせるつもりか!
昨晩、同業者3人と酒を飲んだ。
私が一番年上、あとは30代2人と20代1人。
その中の一人が、「『トイレの神様』で泣きましたよ」と言った。
その歌を私は8小節しか聞いたことがない。
CS放送の音楽番組でPVが流れていたのだが、毎回8小節程度聞いたらチャンネルを変えることを繰り返した。
まったく興味をもてない歌というのが、誰にでもあると思う。
私にとって「トイレの神様」が、それだった。
心に届かない。
だから聞く気がしない。
ただ、それを聞いて感動して涙する人を私は否定しない。
「へー」と答えるが、感動した理由は聞かない。
面倒くさいからだ。
「そう言えば、EXILE、落ち目だよな」というやつがいた。
それは、ただ新曲を出していないから、あんたの目に触れる機会が減っただけじゃないのか。
私は、EXILEも聞かない。
CS放送でPVが流れたら、すぐにチャンネルを変える。
おそらく8小節も聞いたことがないと思う。
なぜ聞かないのかは、言わない。
フアンの方に申し訳ないと思うからだ。
好きな人は、好きでいいと思う。
私は、それを否定しない。
テレビに頻繁に出ていると、売れていると錯覚する。
だが、その人がたまたま休養に入っていて、テレビなどの露出が減ると「落ち目だな」と思うせっかちな人がいる。
しかし、その人がCMに何本も出ていると、実際の仕事はしていないのに、「売れっ子」だと思われる場合がある。
そして、たいした女優さんでもないのに、CMにたくさん出ているだけで「まるで大女優」という扱いをされる人がいる。
たとえば、それはFノリカさんのことを言っているのだが・・・・・。
「Mさん、嫌いなんですか」と聞かれた。
いや、嫌いではありません。
興味がないだけです。
「もっと、たちが悪い」
3人が同時に言った。
「ところで、上野樹里なんだけど・・・大河ドラマ見たけど、あれじゃまるで『のだめ』だな」
30代の同業者が言った。
そのご意見は、ネットで見かけたことがある。
私は上野樹里が出ている、そのNHKの大河ドラマをBS放送で一度だけ見たことがある。
「本能寺の変」の回だった。
随分と色気のある織田信長だな、と信長役の豊川悦司を見て思った。
では、江姫役のヒロイン、上野樹里はどうだったか。
私には「のだめ」には、見えなかった。
「のだめカンタービレ」は、映画版を観たことがある。
上野樹里と玉木宏は、適役だと思った。
彼らを選んだプロデューサーは、すごいと思う。
「のだめ」の配役は、この二人しか考えられない、と思わせるほど二人は役になりきっていた。
素人考えではあるが、役者さんが「はまり役」に巡りあう確率は、そんなに高くはないのではないだろうか。
多くの役者さんが、「はまり役」を得ずに終えるような気がする。
それを思うと、「はまり役」を得た役者さんは、幸運な人なのだろう。
ただ、その結果、役の残像現象にも惑わされると思う。
そのイメージがあまりにも強すぎて、見る側が「はまり役」を思い浮かべてしまうのである。
だから、あんたは「のだめ」の残像現象を見ているんだよ。
それは、上野樹里が悪いんじゃない。
悪いのは、あんただ。
あんたの脳が残像を消しきれていないからだ。
そんな私の力説に対して、同業者は「Mさんは、上野樹里のフアンなんですか」と聞いてきた。
いや、俺は、柴咲コウだ。
私がそう言うと、「ああ、柴咲コウって言えば、たしかドラマで『オレンジなんとか』だったっけ?」とマヌケな顔の同業者(オレンジデイズだよ、バカ)。
「いや、『大奥』で、クサナギと共演していたよ」ともうひとりのマヌケ顔(大奥はニノミヤ君。クサナギ君は黄泉がえりだ。しかもあれは、共演したのは竹内結子だ、バカ)。
「柴咲コウって言えば、ホラ、ホラ、なんだっけ・・・・・? 思い出せないな。う~ん、柴咲コウに代表作なんてあったっけ?」と強烈なマヌケ顔。
きさまら、俺を本気で、怒らせるつもりか!