リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

野球どころではない

2011-03-19 12:10:40 | オヤジの日記
韓流スターが震災後すぐ、多額の義援金を提供した。

それに対して、ごくごく少ないものだとは思うが、「日本で稼がせてもらったのだから、それくらいは当たり前」という心ない意見もあった。

あるいは、これも極めて少数意見だとは思うが、日本の著名人の寄付の額が、「多い少ない」と非難する向きもあるようだ。

私は、寄付金額に当たり前のものはないと思っている。

そのすべてが善意であるという完全肯定はしないが、助かる人が一人でも多くなるなら、それは有効だという考えている。

なかには、こんな意見もあった。
普段は電気使い放題で、食べ物も粗末にしている人が、多額の寄付をしたとしても、自己満足としか思えない、というものだ。

しかし、それでも私は、いま一人でも多く助かるなら、その行為は献身的であると思う。
有意義であると思う。

いま困っている人が助かること・・・・・それが重要なのだ。

小さな理屈付けは、いらない。
助かればいい。


まったく違う話になるが、プロ野球のセ・リーグが3月25日の開催を決めた。

しかし、そのことで色々な方面から意義を申し立てられているらしい。

東京生まれの東京育ちだが、幼いころからアンチジャイアンツだった私は、子どものころテレビで放映されていたジャイアンツ戦の中継を見て励まされたことは、一度もなかった(いや、中継を見たことがなかったから当たり前か)。

ただ、それは私がアンチジャイアンツだからで、「ジャイアンツ愛」に包まれた人は、おそらく励まされたに違いない。

被災された方の中にも、ジャイアンツフアンは大勢いることだろう。
その人は、ジャイアンツの選手の誰か(選手の名前を知らない)の活躍に、励まされるかもしれない。

しかし、それも彼らがテレビで中継を見ることができたらの話である。
彼らの活躍を見る機会がなければ、励ましにはならないと思う。


東京ドームでの一試合の興行で、電気をどれだけ消費するか、私は知らない。
夕刊フジのサイトで「5万~6万キロワットを消費する」とあったが、それは何世帯分の電力なのだろうか。

数千世帯分になるかもしれないが、詳しいことはわからない。
そこは、電力の専門家の発表を待つしかない。

プロ野球という娯楽がもたらす目に見えない励ましを取るか、現実的な電力の供給を取るか、と言われたら、私は迷いなく後者を取る。

しかし、人それぞれ価値観は違う。


プロ野球を興行する側は、会社や選手、スタッフの生活権というものがある。
毎年の契約更改をしたときに、こんな想定外の事態のときに、給料の支払いはどうなるかを想定して契約する選手は少ないのではないか。

球団に属する職員は、入場料その他が入らなければ、生活権を犯される。
プロ野球興行に携わる人が何人いるかは知らないが、セ・リーグ側は、そんなことも考えて、強行開幕に踏み切ったのだと思う。

そして、意地悪な考え方をすると、セの経営者側は「開幕してしまえば、何とでもなる。時間がたってシーズンが終わるころになると、開幕時のゴタゴタなんか、みんな忘れてしまうよ」と思っているのかもしれない。

ただ、史上例を見ない災害を冷静に受け止めるなら、「プロ野球の開幕どころではない」というのが、私の正直な感想だ。


いま開幕したら、「あんなときに野球を開催したプロ野球は、非常識だ」という汚点を歴史に残すかもしれない。


「第2次世界大戦後、プロ野球は、それほど間をおかずに開幕した。だから、今回も開幕を」という意見の人がいたが、戦後の電力事情と今回の電力事情は別である。

比較にならないものを都合よく比較しても意味はない。


アンチジャイアンツの私としては、歴史に汚点を残した球団、あるいはセ・リーグ機構が没落することは一向に構わないが、現実は「電力量の確保」にある。


野球どころでは、ない。