「知っている」ことを「知らない」という前原誠司の典型的な政治家体質には、反吐が出るが、彼の現在の立ち位置を考えると、辞めてよかったのか、と思う。
世界我が儘ワースト・フォーのうちの中国、ロシア、北朝鮮に対する立ち位置のことである。
これら共産主義を曲解して、人民を踏みにじり続けている国に、真正面から立ち向かえる人は、少なくとも民主党の中には、前原氏しかいないのではないか、と思うのだ。
我が儘ワースト・フォーの一角・アメリカに対して物申せるのも、彼しかいないかもしれない。
そう考えると、菅内閣にとって痛手だが、日本の外交戦略にとっても大きな痛手だと思わずにはいられない。
メディアは、「見出し」を飾ることにしか興味を持たず、先を読むことを拒否し続けている。
責任を取りたくない体質が、骨の髄まで染み付いている。
そのくせ、人気取りに終始したコイズミ内閣に関しては、ポジティブ・キャンペーンを張りまくって、日本経済の「失われた10年」を「失われた20年」にした「負の遺産」は見てみぬ振りをした。
さらに、政治の歴史に何の実績も残したことがない男を「剛腕」などと言って崇め奉り、闇の力に屈服した。
また政治能力とはまったく関係ないのに、日本語の読み間違いをあげつらい、ネガティブ・キャンペーンのお先棒を担いだこともある。
アメリカ歴代大統領は、原稿の読み間違いを頻繁にしたようだが、メディアは「からかうだけ」にして、彼らに致命傷を与えなかった。
彼らは、読み間違いは「愛敬」で、政権担当能力とは、まったく別なものだと言うことを知っていて「大人の対応」をしたのである。
翻って、メディア自身が「子ども」の国では、言い間違い、読み間違いは、足を引っ張る大きな材料になる。
今回のこともそうだ。
「国益」を論ずることを避け、ただ「辞任」という「見出し」を得たいために、風の方向をすべてそちらに向けさせる。
政治資金規正法なる法律が大事なのは、百も承知。
法律は、守り守られるためにあるのは、当たり前のことだ。
罰は与えるべきだろう。
しかし、辞めさせなくてもいい。
他に選択肢は、いくらでもあったはずだ。
罰は与えるが、彼にしかできない仕事を全うさせることもできたのではないか。
辞めること、辞めさせることだけを考えていたら、本物の政治家は育たない。
私は、大臣の椅子は、そんなに軽いものではないと思うのだが。
世界我が儘ワースト・フォーのうちの中国、ロシア、北朝鮮に対する立ち位置のことである。
これら共産主義を曲解して、人民を踏みにじり続けている国に、真正面から立ち向かえる人は、少なくとも民主党の中には、前原氏しかいないのではないか、と思うのだ。
我が儘ワースト・フォーの一角・アメリカに対して物申せるのも、彼しかいないかもしれない。
そう考えると、菅内閣にとって痛手だが、日本の外交戦略にとっても大きな痛手だと思わずにはいられない。
メディアは、「見出し」を飾ることにしか興味を持たず、先を読むことを拒否し続けている。
責任を取りたくない体質が、骨の髄まで染み付いている。
そのくせ、人気取りに終始したコイズミ内閣に関しては、ポジティブ・キャンペーンを張りまくって、日本経済の「失われた10年」を「失われた20年」にした「負の遺産」は見てみぬ振りをした。
さらに、政治の歴史に何の実績も残したことがない男を「剛腕」などと言って崇め奉り、闇の力に屈服した。
また政治能力とはまったく関係ないのに、日本語の読み間違いをあげつらい、ネガティブ・キャンペーンのお先棒を担いだこともある。
アメリカ歴代大統領は、原稿の読み間違いを頻繁にしたようだが、メディアは「からかうだけ」にして、彼らに致命傷を与えなかった。
彼らは、読み間違いは「愛敬」で、政権担当能力とは、まったく別なものだと言うことを知っていて「大人の対応」をしたのである。
翻って、メディア自身が「子ども」の国では、言い間違い、読み間違いは、足を引っ張る大きな材料になる。
今回のこともそうだ。
「国益」を論ずることを避け、ただ「辞任」という「見出し」を得たいために、風の方向をすべてそちらに向けさせる。
政治資金規正法なる法律が大事なのは、百も承知。
法律は、守り守られるためにあるのは、当たり前のことだ。
罰は与えるべきだろう。
しかし、辞めさせなくてもいい。
他に選択肢は、いくらでもあったはずだ。
罰は与えるが、彼にしかできない仕事を全うさせることもできたのではないか。
辞めること、辞めさせることだけを考えていたら、本物の政治家は育たない。
私は、大臣の椅子は、そんなに軽いものではないと思うのだが。