リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

これ以上軽くしないでくれ「大臣の椅子」

2011-03-08 10:35:26 | オヤジの日記
「知っている」ことを「知らない」という前原誠司の典型的な政治家体質には、反吐が出るが、彼の現在の立ち位置を考えると、辞めてよかったのか、と思う。

世界我が儘ワースト・フォーのうちの中国、ロシア、北朝鮮に対する立ち位置のことである。

これら共産主義を曲解して、人民を踏みにじり続けている国に、真正面から立ち向かえる人は、少なくとも民主党の中には、前原氏しかいないのではないか、と思うのだ。

我が儘ワースト・フォーの一角・アメリカに対して物申せるのも、彼しかいないかもしれない。

そう考えると、菅内閣にとって痛手だが、日本の外交戦略にとっても大きな痛手だと思わずにはいられない。

メディアは、「見出し」を飾ることにしか興味を持たず、先を読むことを拒否し続けている。
責任を取りたくない体質が、骨の髄まで染み付いている。


そのくせ、人気取りに終始したコイズミ内閣に関しては、ポジティブ・キャンペーンを張りまくって、日本経済の「失われた10年」を「失われた20年」にした「負の遺産」は見てみぬ振りをした。

さらに、政治の歴史に何の実績も残したことがない男を「剛腕」などと言って崇め奉り、闇の力に屈服した。

また政治能力とはまったく関係ないのに、日本語の読み間違いをあげつらい、ネガティブ・キャンペーンのお先棒を担いだこともある。

アメリカ歴代大統領は、原稿の読み間違いを頻繁にしたようだが、メディアは「からかうだけ」にして、彼らに致命傷を与えなかった。

彼らは、読み間違いは「愛敬」で、政権担当能力とは、まったく別なものだと言うことを知っていて「大人の対応」をしたのである。

翻って、メディア自身が「子ども」の国では、言い間違い、読み間違いは、足を引っ張る大きな材料になる。

今回のこともそうだ。

「国益」を論ずることを避け、ただ「辞任」という「見出し」を得たいために、風の方向をすべてそちらに向けさせる。


政治資金規正法なる法律が大事なのは、百も承知。

法律は、守り守られるためにあるのは、当たり前のことだ。

罰は与えるべきだろう。

しかし、辞めさせなくてもいい。
他に選択肢は、いくらでもあったはずだ。

罰は与えるが、彼にしかできない仕事を全うさせることもできたのではないか。

辞めること、辞めさせることだけを考えていたら、本物の政治家は育たない。


私は、大臣の椅子は、そんなに軽いものではないと思うのだが。