まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

房総駅間ひとりウォーク(JR姉ヶ崎駅~JR蘇我駅 営業キロ15.1Km) その1

2016年02月20日 | 房総駅間ひとりウォーク
月一回のペースで歩き始めた『房総駅間ひとりウォーク』の最終日。
JR内房線の姉ヶ崎駅から、JR蘇我駅を目指して、今日、元気よく歩き始めることができました。

昨年の今頃は、爪をはがしてしまったり、ひとりウォークをした後体調を崩して寝込んだり、夏は痛風で悩まされたり、いろいろなことがあった1年でしたが、よく歩き通せたと思います。
今、今日があるのが有難い!
それが、すべてですね。

姉ヶ崎駅を出て、線路と並行している県道24号線を、市原市の中心である五井駅に向けて歩いていると、県道から枝分かれした旧道との境に、民家にへばりつくように『馬頭尊』という石柱が残っていました。

馬頭尊や馬頭観音は、旅の安全を祈願して街道沿いに立てられたものだから、この周辺も近世の街道があり、にぎわっていたのだと思います。

 
表には、『馬頭尊 寛政八年丙辰年』、裏には、『作場道 上総国市原郡姉崎村内山谷 願主若者中』とあったので、今から200年くらい前に、姉崎村の人たちによって建てられたもののようです。
側面には、『房州道 木更津 ****』『江戸 ****』(*は読み取れず)などの文字もあったので、主要な交差点だったのかもしれません。
 
 
 
房総内陸部の大多喜町麻綿原高原に源を発し、五井で東京湾にそそぐ、養老川にかかる中瀬橋を渡ると、遠くに五井駅のシンボルタワー、市原市民プラザののっぽビルが見えてきました。

 

歩きはじめて2時間ほど、JR五井駅に到着。

五井は、JR駅では、市原市役所の最寄り駅であり、小湊鉄道の始発駅。
内房線の中間駅では、もっとも利用客数が多いのだとか。

奥に見える市原市民プラザ内には、Web放送をしていないので、なかなか聞くことはできないんですが、ローカルラジオ放送局、市原FMのスタジオがあるらしい。(帰ってきてから、かずさFMのアナウンスで知りました。小湊鉄道を歩くときには、生電波を聞いてみたいと思っています。)
 
 
 小湊鉄道の、田舎の風景によく合うキハ200形気動車。
最近、上総牛久駅~養老渓谷駅間で、里山トロッコの運行も行っているらしい。
機会と作って、乗ってみたいなぁ。
 
(里山トロッコのページ ↓ )
http://www.kominato.co.jp/satoyamatorocco/index.html

いつか、この沿線ものんびり時速4キロで歩いてみたい。
  
 
 
五井~八幡宿間も、線路と並行して、歩きやすい道がのびていました。
君塚地区の公園のペンチを借りて、お昼。


ご近所の方が、ウォーキングやジョギングを楽しんでいる姿を見ながら、おにぎりをパクついていたら、野鳥が足元まで遊びにきました。

ぜんぜん、怖がりません。
鳥の方がよく人なれしているのか、あたしの方が自然に溶け込んじゃっていたのか。

しばし、無言の会話を楽しませてもらいました。
 
 

八幡宿駅に到着。

中山道に同じ名前の大きな宿場がありますが、市原の八幡宿は、佐倉(成田)街道の宿場の一つだったようです。


房総駅間ひとりウォーク(JR姉ヶ崎駅~JR蘇我駅 営業キロ15.1Km) その2へつづく。
 
 
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必要なものだけあれば

2016年02月20日 | 日記

子どもの頃は昼間は草むらに寝転がり、青空に浮かぶ雲を眺めて自分の伸びしろのようなものを感じてみたり、夜空の星を眺めて、ウルトラマンのM78星雲はどっかにあるのかな、と胸をふくらませた時間を送っていたように思い出します。

高校、大学、社会人とすすみ、人間社会の混沌に知らぬ間に飲み込まれ、空を見上げるゆとりもすっかり忘れてしまいました。

ワンコと散歩しいると、冬空に、ときどきで形を変える、きれいな月がとても新鮮です。これを記録してみようかな、と思い立ち、1月から『月観表』を自作し、見えた月の形などを書き込んで楽しんできましたが、見えない日がとても多いことに疑問を持ちました。

今日様は、だいたい決まった時間に東から上って、西に沈む。月もきっとそうだろうという思い込みです。

月の出入時刻を調べてみたら、毎日50分くらい変動していて、午前中に月出時刻があったり、23時過ぎだったりしている。高度も40度くらいから70度以上。
毎日、ワンコといっしょの同じ時間帯で見ようとしていたのが、そもそも無理な話でした。

「まてよ」これは、中学生くらいの理科で習ったかな?!

生きていくのに必要ないこと、興味のないことは、ほとんど忘れてしまいますね。

使わないものはなくてもいい、必要ないことは知らなくてもいい。 それで十分なんですね。きっと。

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