終戦の日を前に、戦争と平和について考える話題がテレビラジオ等で取り上げられている。
今朝のラジオでも、戦争の対義語は平和ですか?、という話題が流れていて興味深く聞いた。
平和とは、物質的にも機会的にも満たされ、物を奪われる恐怖がないことで、人はその平和を守るという大義のもとに、戦争をしてきた。だから、戦争の対義語は平和ではなく、平和を守るというのは、戦争と近い言葉なのだという話だった。
確かに今隣でロケット弾を飛ばしている国の理屈は、自分たちの平和を守るために、他を暴力で威圧するという姿勢に他ならない。周辺からみたらまったく平和とかけ離れた行為である。
平和に対する言葉は暴力なのだそうだ。
暴力は武力だけに限らず、誹謗中傷、身近なところで言えば弱いものいじめなども含み、こういう暴力を減らしていくことが、平和に繋がると言っていた。
言葉を変えれば、足りるを知り貪らず、他を思いやる。道徳心(宗教心)を個々が高めていくことが、平和な社会への道なのかもしれない。
だが、人は欲と煩悩の塊だ。
奪い合い、憎しみ会い、殺しあう。悲しいことだが、これが人の本性のようにも思える。
平和な社会というのは、永遠の課題なのかもしれない。
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<今日は何の日>
1707(宝永4)年の今日、徳川5代将軍綱吉が「生類憐みの令」で鳥や魚の食糧用飼育・売買を禁止しました。
<今日は何の日>
1707(宝永4)年の今日、徳川5代将軍綱吉が「生類憐みの令」で鳥や魚の食糧用飼育・売買を禁止しました。
この例に見るまでもなく、人の平和は、社会体制と個人の両面の問題がありそうですね。
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