遊び歩く日々が続いていて、畑の種まきなどが遅れがち。お天気が良かったので、落花生の収穫、葉物野菜の種まき、玉ねぎの畝たてなど、一日畑作業でした。
子供のころ、夢は?って聞かれても、何もありませんでした。
まずまず生活が安定していた家庭の気の利いた子たちは、先生、保母さん、鉄道の運転手、パイロット・・・。収入が良くて、”勝ち組”みたいな、なりたい職業をあげていました。
実際にそうなっている人もいますが、あたしゃそういう世界が見えなかった。
少し早くサラリーマンをやめて、自由人生活をしながら気づいたのは、今日のような時間を過ごしていくことが、自分の夢だったということです。
土いじりをしていると、ヒトの親疎も、利害も、貴賤もない。
おまけに、収入もない(笑)。
それでも人間関係不得手なあたしには、とても豊かな時間で、自由人だから、体力の限界の50kmウォークにチャレンジしてみたり、無銭旅行のような旅をしてみたり、子供のような時間も過ごせる。
悪くない!
日常は、畑、土があれば、そうとう遊べます。
アルバイトやボランティア作業を通じて人との軽い交流もある。
物質的な夢は、人間関係が絡み合い、自分の思うようにはなりません。
夢って、職業だけではなく、心の部分でもいいように思った今日の畑作業でした。
幸せに暮らしたい
お母さんになりたい
おじいちゃんおばあちゃんに長生きしてもらいたい
たくさんの家族をもちたい
病気にならないで長生きをしたい
・・・
こんな夢の方が現実的かも。
今日の五七調: にんべんに ゆめをえがけば はかないか
(人偏に 夢をえがけば 儚いか )
>若い時わ 夢も 希望も 在りましたが~
ほんと(笑)。
私もそう思います。
でも、それって、儚い夢でした(笑)。
60年近く前に、この世に生まれ落ちたことも、今日も元気に生きているということも、偶然・奇跡的なことだと思います。
今があるのがありがたいです。
そして、いつかはなくなってしまうことも受け入れなければなりません。
名もない庶民の路傍の石のような人生でも、お互いに助けたり、助られたり。
生きているってこと、それ自体が、すごいことなんだと思います。
例えば、こんな私のプログを読んで、何かを感じていただいた。私にも、存在する価値があったってことですよね。
死ぬまでは、間違いなく生きているわけだから、夢、持ちましょうよ。
>只、 後、 振り返って 居ます。
確かに、歳とともに、そんな時間もたくさんありますね。
私の場合、生きてきた時間は、失敗の連続で、思い出せば赤面・冷汗・ごめんなさいです(笑)。
だからでしょうか、これからの時間に生きています。
その方がラクに生きられるし、過ぎた時間はブラックフォールに吸い込まれちゃいますよ、きっと
ラクに過ごせるのが、一番の幸せですよね。
願いは、そこに向かって自分なりに努力すれば、夢なんじゃないですかね。
夢って、生きていくためのエネルギーみたいなものかも、って思います。
只、 後、 振り返って 居ます。
若い時わ 夢も 希望も 在りましたが~
俳句
調子戻ってきています。
「悪くない!」とご自分で言える生き方、素敵です。素直にそう思えます。
そうですね。現実的な夢。
私も 「 家族 穏やかに 和やかに 暮らせますように。」が 今の夢です。願いかしら、です。