字田舎では、買い物にでるのも大変だし、少し変わったものになると、リアル店舗ではなかなかない。
毎月少し負担になるけれど、Amazonプライムに加入して、ネット通販を利用することが多い。
月、数回利用すれば、送料無料の部分でだいたい元はとれているのだけれど、欲ばりジイサンは、使えるものは何でも使って、お得をえたいってんで、暇なときは、無料のビデオや音楽、ネット書籍など見まくっている。
そんな中で、『米軍がもっとも恐れた男~その名は、カメジロー』というドキュメンタリーをたまたまみた。
2017年にTBSが制作している番組のようなので、テレビ放送で見た方もいるのかもしれない。
内容は、太平洋戦争後の米軍統治下の沖縄で、体制(勢)と対峙しながら、生活者の視点で沖縄の人たちと活動してきた、瀬長亀次郎氏の生涯のドキュメンタリーである。
氏は、沖縄での市民運動活動家、投獄を経て、政治リーダーとなり、1970年には沖縄初の衆議院議員となって、国政でもたいへん活躍されているらしい。
当時、中学生の自分は、仲間たちと山野で遊びまわり、勢い、何も知らずにここまで生きてきたのがちょっと恥ずかしいけれど、瀬長さんという方は、ウルグアイの元大統領のホセ・ムヒカ氏のような、熱い信念がある方、という印象を受けた。
当時の国会質疑画像で、佐藤元総理とやり取りをしているのが流れていたが、総理も瀬長氏もご自分の表情、言葉で議論しているのがとても新鮮に感じられた。
ここ数年の国会中継がどうかといえば、語るべきもない。
ドキュメンタリーは、私が生まれる前の70年以上前の話から始まる。
茶色くなったノートに綴られた肉筆の文字も生々しく、久々に熱くなり、そうとう真面目に見入ってしまった。
わずかに記憶のある、1970年代初めの沖縄本土復帰。
その後、いろいろな米軍がらみの問題を経て、今ももめている辺野古の話などに繋がる。
沖縄で暮らす人たちにとっては、まだ戦争は終わっていないのである。
平和ボケして、生暖かい房総でジイサンをやっている自分はそうとう後ろめたい。
沖縄の人たちは、戦争によって、肉親を失い、家、田畑は荒廃し、もの凄い被害をうけた。
差別、男女間の問題等、はかり知れない苦痛を受けたようだ。
占領された当初は、米軍兵のレイプから若い女性家族を隠して・・・、なんていうオジイの証言もあったけれど、某隣国のように過去に頑なに、そこにこだわらない。
長崎や広島の原爆被害者のみなさんにしたって、大勢は某隣国のように、いつまでも、どこまでも米国に補償を求めていく気はないように見える。
日本人は、良い悪いは別にして、諸行無常。
過去より未来志向なわけで、また、全体としてこれほど教育レベルが高く、理性的(ある意味もの分かりのいい)な国民も稀なわけで、そんな民衆をリードする政治家さんは、昼休みに居眠りしながらでもいいから、こんなコンテンツをみて、ちょっとなにかを感じて欲しい!
そう思う。
政治を志す人の、やっている人の、『金』は、限りなく公に使ってほしい。
政治家が豪邸に住んで、ガラスまで黒塗りの車で、なんてんでは、世の中見えやしない。
『不屈』というのが、瀬長氏のイメージワードになっているらしいが、娘さんの言では、生活者の気持ちが『不屈』だから、自分は『不屈』で頑張れるんだと、94歳で天寿を全うされるまで、生涯言っていたとのこと。
人が生きるってことは、みんなに支えられている。
そして、自分もみんなをちょとずつ支えている。
いい話である。
信念を通すとか、不屈などというと、とても一方的で、過激な感じだけれど、実は、とても素直で、柔らかい心がないとできないことだと、最近気づいた。