まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

久々にいい番組をみた

2020年02月12日 | 日記

字田舎では、買い物にでるのも大変だし、少し変わったものになると、リアル店舗ではなかなかない。

毎月少し負担になるけれど、Amazonプライムに加入して、ネット通販を利用することが多い。

月、数回利用すれば、送料無料の部分でだいたい元はとれているのだけれど、欲ばりジイサンは、使えるものは何でも使って、お得をえたいってんで、暇なときは、無料のビデオや音楽、ネット書籍など見まくっている。

そんな中で、『米軍がもっとも恐れた男~その名は、カメジロー』というドキュメンタリーをたまたまみた。

2017年にTBSが制作している番組のようなので、テレビ放送で見た方もいるのかもしれない。

内容は、太平洋戦争後の米軍統治下の沖縄で、体制(勢)と対峙しながら、生活者の視点で沖縄の人たちと活動してきた、瀬長亀次郎氏の生涯のドキュメンタリーである。

氏は、沖縄での市民運動活動家、投獄を経て、政治リーダーとなり、1970年には沖縄初の衆議院議員となって、国政でもたいへん活躍されているらしい。

当時、中学生の自分は、仲間たちと山野で遊びまわり、勢い、何も知らずにここまで生きてきたのがちょっと恥ずかしいけれど、瀬長さんという方は、ウルグアイの元大統領のホセ・ムヒカ氏のような、熱い信念がある方、という印象を受けた。

当時の国会質疑画像で、佐藤元総理とやり取りをしているのが流れていたが、総理も瀬長氏もご自分の表情、言葉で議論しているのがとても新鮮に感じられた。

ここ数年の国会中継がどうかといえば、語るべきもない。

ドキュメンタリーは、私が生まれる前の70年以上前の話から始まる。

茶色くなったノートに綴られた肉筆の文字も生々しく、久々に熱くなり、そうとう真面目に見入ってしまった。

わずかに記憶のある、1970年代初めの沖縄本土復帰。

その後、いろいろな米軍がらみの問題を経て、今ももめている辺野古の話などに繋がる。

沖縄で暮らす人たちにとっては、まだ戦争は終わっていないのである。

平和ボケして、生暖かい房総でジイサンをやっている自分はそうとう後ろめたい。

沖縄の人たちは、戦争によって、肉親を失い、家、田畑は荒廃し、もの凄い被害をうけた。
差別、男女間の問題等、はかり知れない苦痛を受けたようだ。

占領された当初は、米軍兵のレイプから若い女性家族を隠して・・・、なんていうオジイの証言もあったけれど、某隣国のように過去に頑なに、そこにこだわらない。

長崎や広島の原爆被害者のみなさんにしたって、大勢は某隣国のように、いつまでも、どこまでも米国に補償を求めていく気はないように見える。

日本人は、良い悪いは別にして、諸行無常。

過去より未来志向なわけで、また、全体としてこれほど教育レベルが高く、理性的(ある意味もの分かりのいい)な国民も稀なわけで、そんな民衆をリードする政治家さんは、昼休みに居眠りしながらでもいいから、こんなコンテンツをみて、ちょっとなにかを感じて欲しい!
そう思う。

政治を志す人の、やっている人の、『金』は、限りなく公に使ってほしい。

政治家が豪邸に住んで、ガラスまで黒塗りの車で、なんてんでは、世の中見えやしない。

『不屈』というのが、瀬長氏のイメージワードになっているらしいが、娘さんの言では、生活者の気持ちが『不屈』だから、自分は『不屈』で頑張れるんだと、94歳で天寿を全うされるまで、生涯言っていたとのこと。

人が生きるってことは、みんなに支えられている。
そして、自分もみんなをちょとずつ支えている。

いい話である。

信念を通すとか、不屈などというと、とても一方的で、過激な感じだけれど、実は、とても素直で、柔らかい心がないとできないことだと、最近気づいた。

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ジャガイモ植え

2020年02月11日 | 家事・雑草との日々

先日、時間つぶしに街に出て、行きつけのホームセンターをぶらついていたら、ジャガイモの種芋が山積みになっていた。

春めいてくると、無性に、野菜や植物に関心が出てくる。

大半はムシや鳥たちの餌であったり、枯らしてしまったりだけれど、種をまいたり、草とり作業をしている自分が好きで、今年も種芋を手に取ってしまった。

たくさん作っても食べきれない。
でも、本来が欲ばりジイサンだから、だいたいが買いすぎてしまう。

3㎏入りの袋を手に取ったけれど、今年は、ぐっと押さえて(笑)、男爵2Kgにした。

大きいものは芽を見ながら50g程度を目安に切って、軒下で切り口を乾燥させておいたが、いい状態に乾燥した。
芽も動き出したので、本日植え付け。

毎年、梅の開花を目安にジャガイモの植え付けを行ってきたけれど、今、梅は満開。

暖かすぎる冬で、今年はどうだろう?

房総は温暖だけれど、それでも、これから桜の咲く頃までに大雪が降ったり、強風が吹き荒れたりすることが多い。
ここ数年、台風の影響はひどいものである。

作業しながら、今日は穏やかだけれど、今年も厳しいのかな、との思いがよぎった。

自然の力には逆らえないけれど、願わくは、今年は穏やかな時間が訪れるといいなぁ。

 

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やっと温かさがもどってきたかな

2020年02月06日 | 少し働く日々

いやいや、今日は寒かった。
というか、今年は暖冬なので、これが本来なのかもしれないけれど、最高気温6℃前後、北寄りの強風が一日吹いた。

そんな中、交通誘導のシルバーバイトの日である。

自宅からそうとう距離のある大網白里市の海側の現場に派遣された。

交通量はほぼないラクな現場ではあったけれど、海からわずかの距離なので風もつよい。

落語じゃないけど、「いやぁ、寒いの寒くないの」である。
じっとしていると、体が凍えてきて、関節が固まり、手足の動きが悪くなる。

ジジイには、危険な寒さである。

スクワットをしてみたり、屈伸してみたり。
しまいには、簡保の『みんなの体操』を密かに5度もやってしまった。(笑)

田舎の交通誘導のシルバーバイトの良さは、交通量が少ない、現場が早く終わっても一日分の手間賃はくれる、これに尽きる。
実際の作業時間は、交通規制をかける9時ごろから16時過ぎで終わることが多い。

でも、今日は、現場の監督さんも若くて前のめり気味。
傍観しているジイサンとしては、以前の自分を見ているようで、微笑ましくもあったが、朝のミィーティングで周知された作業の到達点まではいかず、久々の残業になった。

わが方の連れは初顔。
常勤採用の方らしいが、入社後今日が5回目の現場です、という方で、寒い中、早く帰りたかったらしく、終盤はそんな無線がなんども入った。

結局シルバーバイトのジイサンマンが、リーダー代行となり、監督さんにサインをもらって無事終了。

大手の警備会社では、人材も多いのでこんな事はないのだろうけれど、ちっちゃい会社なので、ときどきこんなことがある。

体操してバイトの日給が手に入ったのだから、ま、いっか。
と思いつつ、コンビニで焼酎を買って、お湯割りで楽しんでいる。

ようやく、温かくなってきた。

これでやめとくのか肝要だな!(笑)

明日は、公園清掃のバイトにでる。

体が元気なうちは、気楽な日手間とりで、気持ちを元気に保つというのも悪くないと思う。

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なんだ、おらが原因だった

2020年02月01日 | Xubuntu学習帳

Xubuntu PCで、入力中にカーソルがあっちこっちへいってうっとおしいという話を書いたけれど、実はもう一つ、あれれっていう事象が頻発していた。

Xubuntu PCのMozc(2.23 2815.102)という日本語入力アプリで、文字入力中、突然、ひらがなモードが半角英数モードに変わってしまい面倒この上ないのである。

このアプリ、Googleさんが、いろいろなOSで使えるように開発した日本語入力方式エディター(IME)で、Webでは賞賛の声が多数。

古いPCのなので、さっそく、キーボードの接触不良かなぁ!
自分を疑うことなく、まずそっちの方へ猜疑心がむくむく。

ただ、少しひいて考えると、Xubuntu PCのOS自体はそうとういい状態で動いてる。
母体の、古いFMVのキーボードも、他のアプリの入力窓へゆっくり文字入力するときなどは、そう異常は感じない。

念のため、気になっていたキーを押しまくって挙動を確認したら、あれ、れ!
おらだった。(笑)

キーボードの左端、入力するときの左手の小指のあたりにある、あれである。
『Caps Lockキー』
ここが、『ひらがな』と『半角英数』を切り替えるキーで、ガチャガチャ不器用に入力しているときに、頻繁にこのキーを触っていたようだ。

子供の頃から、うまくいかないことがあると、その理由を他に求める傾向が強い。長く生きてきて、変な自信もついて、今は無意識の内に、なおさらその傾向があるかもしれない。

予期しない人からとても酷いことを言われたり、されたりすると、その人を恨むけれど、案外自分の方が意識しないままその人のサンクチュアリに無神経に踏み込んでいたり、触れられたくない領域を侵害している、なんてこともあるわけで、人を恨んだり、嫉妬するまえに、自分自身に向き合うことが大切である。

今回のXubuntu PC『Caps Lockキー』は、なんでも最初から物を色眼鏡でみてはだめだなぁと教えてもらったように思う。

『ひらがな』と『半角英数』を切り替えるキーが『Caps Lockキー』であることを知ったおかげで、いちいちプロパティを開いて変更する必要がなくなって、結果的には使いやすくなった。

ものは考えようというけれど、自分にとっての不具合は、悪(ダメ)で、便利なら、ああこれは善いとなる。
でも、『Caps Lockキー』は、ただのキーでよしあしなどはありはしない。
私が勝手にそう思い、勝手に一喜一憂しているだけである。

自分の周りで起こっているトラブル事象の大半は、自分がまいた種で、引き起こしているのかもしれない。

そんなふうに思った。

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