8月3日 おはよう日本
今月6日 67回目の原爆の日を迎える広島は
原爆の悲惨さを次の世代にどう語り継いでいくかという課題に直面している。
こうした危機感から広島市が今年度から乗り出したのが
被爆者の体験を受け継ぎ被爆者に代わって語ってもらう伝承事業である。
多くの人を集めようと広島市は今回
意欲さえあれば県外に住む人や被爆との関わりが無い人も受け入れた。
初日の研修には120人余の受講者が集まった。
福岡氏から応募した桐田かおりさんは
家族や親戚に被爆者はいない。
桐田さんが戦争に関心を持つきっかけになったのは
太平洋戦争の特攻隊を題材にした小説『永遠のゼロ』だった。
戦争の実態を知ろうと桐田さんは九州各地を回り
特攻隊の基地や平和のモニュメントなどを写真に収めた。
そのころ偶然見たテレビのニュースで広島市の取り組みを知り応募した。
「だんだん(被爆体験が)薄れてしまうのがすごく悲しいことだし
何か自分に手伝いが出来ないか漠然と思っていたときに
ちょうど今回の伝承者のプログラムを知りました。」
研修は3年間にわたって行なわれ
原爆について学んだり被爆者の証言を聞いたりする。
この研修に参加するまで桐田さんは被爆者の証言を聞いたことはなかった。
この日の研修では17歳のときに被爆した竹岡智佐子さんの話を聞いた。
竹岡さんは被爆した3年後に男の子を出産したが生後間もなく亡くなった。
当時 医師からは原爆が原因ではないかと言われた。
「色が白くてきれいでかわいいね。
男の子が産まれた。
みんなで喜んだ。
でも産まれて18日目
さっきまでおっぱいをおいしそうにごくごく飲んでくれた。
でももう飲めない。
口がこわばって目がうつろになってきた。
そして流れるお乳も飲まないで息を絶ちました。
お医者さんは『これが原爆病ですよ』と言った。」
竹岡さんの証言を聞いた受講生たち。
体験を受け継いで語る役割を担っていくことにためらう声が寄せられた。
「竹岡さんが実際に見てご経験なさった体験が
ことばに乗せてこられる重みがものすごく圧倒的で
伝承者にどこまで近づけるんだろうなと
今 ひるんでいます。」
桐田かおりさん
「聞いた話をそのまま口でしゃべるだけと言うのではなくて
証言されている方の思いとか
伝えたいことをちゃんとくみとって
自分たちも伝えられるようにならないととは思っているんですけど
どこに行っても恥ずかしくないように
伝承者としてちゃんと自分の口で伝えられるようになりたい。」
被爆者の歩んできた人生を我が事のように話し
語り伝えていくことが出来るのか
桐田さんは責任の重さをあらためて感じている。
桐田さんは現在 福岡氏で会社勤めをしながら
ひきつづき他の受講者と共に被爆者から体験談を聞くなどして
原爆に関する知識を深めることにしている。
そして3年後の平成27年度から
被爆体験伝承者として
広島市の原爆資料館を訪れた人たちに
原爆の悲惨さを伝える活動を始める予定である。