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日本企業 加速するタイへの投資

2013-01-19 11:28:33 | 報道/ニュース


  1月11日 Bizプラス


  タイへの日本企業の投資申請金額は
  一昨年 洪水で一旦は減ったがその後復興が進んでいる。
  今ではタイへの投資全体の3分の2が日本企業によるものである。

  日本の自動車メーカーはタイへの投資を活発化させている。
  スズキは去年 タイでの初めての自社工場が稼働し
  年間5万台の計画で生産を開始。
  日産自動車は来年 タイの工場を拡張し
  年間生産台数を40万台に倍増させる計画である。
  タイを輸出拠点として活用する動きも広がっている。
  三菱自動車はタイの港から世界140か国以上に車を輸出している。
  三菱自動車は去年 タイに新たな工場を設け生産能力をこれまでの2倍に増強した。
  タイを含むASEAN全域は2015年の関税撤廃を目指している。
  自動車産業の集積が進み
  部品や熟練技術者を確保しやすいタイを
  需要が伸びるASEANの輸出拠点にしていく計画である。
  (ミツビシ・モーターズ・タイランド 村橋社長)
  「タイ ASEANが今 大きな市場になりつつある。
   中国と比較しても引けを取らない市場になりつつある。」

  好調な生産の背景にはタイ国内の需要の伸びもある。
  去年(1月~11月)タイの自動車の販売は129万台を超え過去最高を記録している。
  中間所得層の拡大や
  政府がすすめたマイカー減税策が売り上げを後押ししている。
  (販売店 店長)
  「売り上げが伸びました。
   予約にこたえられない客もいるほどです。」

  中間所得層の拡大を最大の追い風に
  日本の自動車メーカーのこの地域へのシフトは一層加速しそうである。
  市場としてはもちろん
  輸出拠点としても重要性が増している。

  タイのキティラット副首相は民間から登用された経済の専門家で
  財務相も兼務している。
  
  日本からの投資の重要性は?
  (タイ キティラット副首相)
  「日本からタイへの直接投資は現在全体の3分の2に達し
   大変重要。
   金額のみならず 
   日本からもたらされる技術移転のレベルも高い。」
  日本企業はミャンマーやフィリピンにも投資機会を見出しているが懸念は?
  「懸念はない。
   ミャンマーにしてもほかのASEAN各国にしても仲間だ。
   彼らが反映すればそうした国の雇用が増え
   地域全体の購買意欲が向上する。
   つまりタイも成長する。」
  2013年タイは世界勢罪でどんな役割を果たすか?
  「これまでタイの経済は海外に輸出することで伸びてきた。
   これからは購買力を増やして各国からの輸入を増やすことによって
   世界経済に貢献したい。」








  
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映画監督大島渚さん(80)

2013-01-19 06:29:48 | 報道/ニュース


  1月16日 おはよう日本

  
  「愛のコリーダ」や「戦場のメリークリスマス」などの作品で国際的にも知られた
  映画監督の大島渚さんが15日 肺炎のため亡くなった。

  大島渚さんは京都府の出身で京都大学を卒業した後
  昭和29年 助監督として映画会社の松竹に入った。
  入社からわずか5年という異例の速さで監督になった。
  (大島渚さん)
  「みんなが同じように時代に対する怒りを持っていた。
   その中で僕は一番そのことに自覚的だった。」
 
  大島さんが昭和51年に監督した映画「愛のコリーダ」。
  男女の究極の愛の姿を独特の映像美でえがいた。
  映画の脚本や写真が掲載された本がわいせつ文書とされ
  大島さんは表現の自由を訴え続け裁判で戦い続けた。
  裁判では無罪。
  (昭和57年 大島渚さん)
  「当然とは思っていたがうれしい。
   有罪が出るとすればむちゃくちゃだと思っていたから
   そういう意味で一応良識があった。」
  「愛のコリーダ」で助監督を務めた映画監督の崔洋一さんは
  大島渚さんから監督としての姿勢を学んだ。
  (映画監督 崔洋一さん)
  「“闘うことをやめるな”ということ。
   “自分が映画監督として撮りつづけないと闘えない”
   強くメッセージとして受け止めている。」

  太平洋戦争中の日本軍の捕虜収容所を舞台にした映画
  「戦場のメリークリスマス」(1983)。
  日本とイギリスなど4か国の合作映画で
  坂本龍一さんとデビッド・ボウイさんとの同性愛
  捕虜を処刑するシーンが世界的に大きな話題を振りまいた。

  大島渚さんはテレビの討論番組やワイドショーにも数多く出演し
  歯に衣着せぬ発言が強い印象を残した。
  (ジャーナリスト 田原総一朗さん)
  「まったくタブーがない。
   言いたいことを言う。
   コンプライアンス(法令順守)なんて吹っ飛ばせと。
   兄貴です。
   怖いけど力強い。
   何でも言える。
   けんかもできる。
   そういう兄貴だった。」

  平成8年に脳出血で倒れ一時右半身不随になった。
  監督に復帰したものの
  平成18年 映画に出演したころから公の場に姿を見せることは少なくなった。
  大島さんは妻で女優の小山明子さんの看病のもと神奈川県内の病院に入院していたが
  15日午後 肺炎のため亡くなった。
  (大島渚さん)
  「最前線でありとあらゆる敵の鉄砲の弾が飛んでくる場所というのは
   つらいが逆にそれが生きがい。
   最前線に生きる映画監督がいたということは残したと思う。」
  

  


  

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