5月23日 おはよう日本
広島市の原爆資料館本館は展示内容が大幅に見直され4月リニューアルオープンした。
館内にはこれまでにない大掛かりな修復を経て再び展示されることになった資料がある。
被爆当時 広島市内にあった住宅の壁の一部。
土壁の表面に刺さっているのは原爆の爆風で飛ばされた透明なガラスの破片。
傷跡は2か所に残っていて
爆風のすさまじさを示す貴重な資料となっている。
土壁を使用館に寄贈した鈴木さん(74)。
かつての実家から取り外したものだという。
鈴木さんの実家は爆心地から2,5km離れた場所にあった。
しかもその間に小高い山があったものの爆風に襲われたのである。
(土壁を資料館に寄贈 鈴木さん)
「こちら側に明かり取りのガラス窓
壊れて突き刺さったのがあの壁。」
「黒っぽく見えるのがガラス片。
ガラスが残っている
あるいは剥がれ落ちて跡だけが残って白っぽく見えている。」
自宅の壁に刺さったいくつものガラス片は鈴木さんにとって胸を締め付ける存在だった。
ガラス片を見ることで親友など親しい人たちが傷つけられたことを思い出すからである。
(鈴木さん)
「ガラスの破片で左目を失明し傷が残っている親友がいる。
家内の叔母はいくつになってもガラスが体の中から出てくる。」
それでも戦後 鈴木さんは父から頻繁に“壁をこのままにしておくように”と言われてきた。
科学者だった父は現物を残すことで原爆を後世に伝えようとしたのである。
その思いを継ぎ
鈴木さんは実家を取り壊す際に土壁を資料館に寄贈することにした。
(鈴木さん)
「それぞれの家
それぞれの歴史の中で原爆がいろんな形で刻み込まれているの広島。
我が家ではガラスを通して
資料館に保存いただいているものを通して
何が起きたかを伝えていく。
世界に向けて発信する大事なものだと思う。」
寄贈を受けてからおよそ30年。
土壁の展示はある課題に直面していた。
土自体の重みなどの影響を受けひびが拡大するなど大幅に劣化していたのである。
資料館は前例のない大掛かりな修復を決定。
専門業者による修復は4か月にわたった。
土壁は厚さ10cm余。
そのうちわずか1cmだけの表層部分だけを残し
他の土はひびの原因になるため削り取った。
ガラス片が突き刺さったという事実を形で残し
伝えていくための決断だった。
3月修復作業を終え資料館に戻された。
この時資料館が知らなかった新たな事実が伝えられた。
(修復を行った担当者)
「ガラス片が出てきている。」
表面以外に小さなガラスの破片が十数個
壁の中 奥深くに入り込んでいたことが分かったのである。
修復の最中 壁の裏側を削り取ったいくなかで発見したものだった。
(資料館担当者)
「あの2つのガラスだけだと思っていた。
これだけ壁に入っていた
いかにガラス片がたくさん刺さったのか。」
(原爆資料館 副館長)
「証言が聞けなくなったとき
物が“被爆の実相”を語ることになる。
物の保存はこれからも力を入れていかなければいけない。」
修復を経て再び公開されることになった土壁。
原爆が何をもたらしたのか。
74年前の姿のままでこれからも伝え続ける。